消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第三十六章 反撥

 陸の項

 

 

 グリプドンたちが強豪であることは熟知していたつもりであったが、それを敵に回すとは考えてもいなかった。

 

 幸いにも衝突は避けられたが、未だ一触即発の状態であり、予断を許さない。キマイロンは頭を痛めていた。

 

 ドヴェルグの治癒がひとまず完了し、スコールとスノパルドはドヴェルグと共に旅だった。フレキの意志に従い、ハティのもとへ向かったのだ。そして、悲劇はその直後に起こったのである。

 

 絶望壁の要塞の上空が激しく発光し、次の瞬間、今まで聞いたこともない爆音が轟いた。

 

 生き残った者たちはしばらくの間何が起こったのかもわからず、呆然とあたりを見回していたが段々と状況が呑み込めてきた。とてつもない熱量が爆発し、絶望壁の要塞が一瞬で廃墟と化したのだ。

 

 外の防衛に当たっていたグリプドンや機械、他の獣たちは、皆一瞬で蒸発した。絶壁の内部にいた者たちの多くも黒焦げとなり、崩れた絶壁に押し潰された。

 

 僅かな生き残りが瓦礫の山から這い出て助けを求めたが、それに応えたのは無情なる虚無の騎士による掃討であった。動けなかった者は全滅し、動ける者は大急ぎで逃げ出そうとしたが、虚無の軍勢に追い打ちをかけられ、過半数はそれで命を落とした。

 

 生き延びた者が鋼葉の樹林に辿り着き、ようやく他の地域の者にも事態が呑み込めたのである。

 

 二人の機人フィアラルとガラールは、逃げてきた動器の話から、虚無の軍勢が使った兵器がブリシンガメンの首飾りであることを知った。

 

 かつて機械たちがこの世界を侵略するために開発した兵器であり、危険過ぎたため実験段階で廃棄した筈の代物である。しかも話を聞いていると、機械たちが開発していたものとは比べものにならないほど強力になっていることがわかった。

 

 この話が鋼葉の樹林の防衛に当たっていた、グリプドンたちの耳に入ったのがまずかった。激怒したグリプドンたちが、かつての侵略者の兵器で同胞が滅ぼされたことを公言し、これを聞いた獣たちも、抑圧されていた機械たちへの憎悪を爆発させた。

 

 中でも侵略者に同族を滅ぼされ、鋼葉の樹林に逃れてきたという境遇のエンペラドールの執念は凄まじかった。エンペラドールは傍らにいた動器を瞬時に引き裂き、破壊した。

 

 エンペラドールに共感する獣たちは彼の行動力を褒め称えると、彼こそが新しいリーダーに相応しいと考え、エンペラドールに同調した。

 

 エンペラドールが、たまたま鋼葉の樹林にいたことで生き残ったグリプドンたちや、賛同する獣たちと結束し、本格的に機械たちへ反旗を翻したことで、機械たちも応戦せざるを得なくなり、再び獣と機械の戦いが始まろうとしたのである。

 

 これを止めに入ったのが鋼葉の樹林の守護者である鎧装獣、キマイロンとオオヅチであった。

 

 キマイロンは【虚無】との戦いはこれからもつづいていくというのに、機械たちと争っている場合ではない、無益な戦いは止めろと説いた。

 

 エンペラドールはそれを退け、虚無の軍勢と侵略者が共謀していたのだと主張した。曰く、侵略者が多くの種族を根絶やしにしてきた事実がそれを証明している、と。

 

 キマイロンはエンペラドールたちの怒りが尋常ではないことで、戦闘は避けられそうにないと危ぶんだが、キマイロンと志を同じくする獣たちが獣と機械の間に割って入り、両者を抑え込んだ。

 

 エンペラドールはなおも戦う意志を持っていたが、エンペラドールに同調する者たちの大半は、立ちはだかる同胞の獣たちを前にして戦意を挫かれ、それを見抜いたエンペラドールが仲間たちを引き連れて、その場を退いたのであった。

 

 この出来事でショックを受けたのは、キマイロンたちだけではなく、機械たちも同様である。特に苦労してグリプドンたちと交渉し、和解した実績を持っていた、フィアラルとガラールの苦悩の色は濃かった。

 

 グリプドンたちが改造を受け入れ、機械との明瞭な意思の疎通が可能となったことで、自分たちとグリプドンたちは深い信頼関係を持つに至ったと思っていたのだ。それが崩壊し、生き残ったグリプドンはすべてエンペラドールの側についた。なまじ機械たちの技術力を多分に理解していたことも、反乱の要因になっているのが皮肉である。

 

「キマイロン殿。エンペラドールたちは樹林の東側に陣取り、侵略者をここから追い出せと抗議しております。……今のところ我々の側についている同胞たちの間でも、機械たちへの不信感を露骨に示す者までいる始末」

 

 オオヅチの話を聞いていたキマイロンは、なおさら暗い面持ちとなるばかりである。

 

「……確かに私も今まで敵同士だった機械たちとは馴染めない。我らの王や南の戦士、各地の豪族たちの多くも彼らに滅ぼされた。機械たちが無力な者にまで手をかけてきた事実もある。【虚無】が現れなかったとしたら、彼らは今でも我々を脅かしつづけていたことは間違いないだろうし……」

 

「……あなたがそのようなことを仰られてはいけませんよ。我々は今を見つめなければならないのです。今、機械と争えば滅び以外の未来はあり得ない。機械たちは向こうから協力しようと言ってきたのです。彼らは過去に敵だったけれど、現在では状況を理解したからこそ今なすべきことを行おうとしているのです。彼らよりも誇り高い戦士である我々が、今という状況を理解できなければ、それこそ散っていった者たちに顔向けができない。我々は生きるためにかつての敵と手を組むのです。選択を誤り、全滅してしまっては何の意味もありません」

 

「そうだな……そうだ」

 

 キマイロンは何度も頷いた。

 

「もう一度、エンペラドールたちを説得しよう。こんなことは早く終わりにしなければならない。虚無の軍勢がいつここに来てもおかしくないのだから」

 

「お供します、キマイロン殿」

 

 キマイロンはオオヅチを見つめ、もう一度大きく頷いた。未熟だった筈の若き鎧装獣が、今はとても頼もしく思えたのである。

 

 

 

「ガラール、我々は本当にやり直せるのだろうか。もはや取り返しのつかないところまで来ているのではないか……」

 

 白い甲冑の如き機人フィアラルは傍らのガラールに向かって力無く緑色の眼光を向けた。その瞳の輝きの奥から、絶望の色が滲み出ている。

 

「弱気になるな、フィアラル。今更取り返しがつくかつかないかなど、問題ではない。ただ、実践できるからには一瞬でも早く、行動することだ。……どの道、結末は【虚無】に勝利するか、敗北して滅び去るかの二つしかない。ならば、生きている限り皆と協力し、【虚無】と戦いつづける以外に選択肢などないのだ」

 

 フィアラルとは対照的な黒き装甲を持つ機人ガラール。フィアラルと酷似している瞳の輝きには確固とした意志が宿っていた。フィアラルはその瞳を見つめ、消えかかっていた己の意志の灯火を今一度燃やした。まだ、自分たちは生きている。希望はあるのだ。

 

「あの獣たちのもとへ向かおう……。そして、我々に戦う意志がないということをもう一度伝える」

 

「そうだ。それこそ今我々がするべきことだ」

 

 二人の機人は同胞の機械をその場に残し、エンペラドールたちのもとへ向かった。

 

 鋼の針葉樹の間を、凍てつく冷気が通り過ぎる。機人たちは、それが自分たちがこの世界にもたらしたものなのだということを思い、己の為すべきことを何度も脳裡で反芻した。

 

 

 

 氷ついた岩の上に腰を下ろしている猿の如き獣の姿があった。機械化した装甲の所々で緑色のコアの輝きが煌めいている。頭部には鋼の兜のような装甲が備えられており、閉じられた二つの眼の下で、細長い筋が幾重にも束ねられた強靭な二房の白髭が周囲の無機的な風の動きを敏感に感じ取り、微かに揺らめいていた。

 

 髭がぴんと伸ばされ、獣の顔が両目を閉じたまま、鋼の樹木が生い茂る前方に向けられた。獣は小さく呟いた。

 

「来るか……」

 

 何体かの別の獣たちが走り寄ってきた。口々にこちらにやって来る者たちのことを喋り出したが、岩の上にいる獣は前足を掲げ、それを制した。

 

「丁度キマイロン殿とは話したかったところだ。出迎えてくれ。失礼の無いようにな」

 

 程なくして、道を開けた獣たちの間を通り、キマイロンとオオヅチが姿を現した。白髭を生やした獣は、氷ついた岩の上から飛び降りると、この森に残された最後の鎧装獣である二体の獣に会釈した。

 

「エンペラドール殿、こんなことはもう止めにしよう。我らは機械と争っている場合ではないのだ」

 

 キマイロンがそう切り出すと、エンペラドールは瞳を閉じたままキマイロンと顔を合わせた。

 

「キマイロン殿、確かにあなたの心配ももっともだ。だが、その危惧を機械どもにいいように利用されているということには気づけなかったらしいな」

 

「何を言っているのだ、エンペラドール殿。あなたこそ、キマイロン殿の言うことを真に理解してはいないというのに」

 

 オオヅチが憤りも顕わにそう言ったが、エンペラドールは取り合わなかった。

 

「グリプドンの話では絶望壁の要塞を破壊したのは、機械どもの兵器だったそうだ。奴らは最初から我らを殲滅するためにあの兵器を造り出したのだぞ」

 

「それは……確かにそうだったのだろう。だが、その兵器を利用したのは【虚無】の者だ。機械ではない。あなたは機械と虚無の軍勢が共謀していると疑っているそうだが、あの兵器は多くの機械をも巻き添えにしているのだ。【虚無】は我々と機械、共通の敵なのだぞ」

 

「果してそれが信用できることかな……。仮にそうだとしても、【虚無】も機械も我らの敵であることに違いはない。機械どもと手を組み、【虚無】に勝利したとしよう、その時機械どもは弱りきった我らを滅ぼし、この世界を乗っ取るに決まっている。キマイロン殿、あなたは機械どもに散々利用され、切り捨てられるだけの存在で満足できるのか。あなたはあんな鉄くずどもに利用される程度の器ではない筈だ」

 

「機械と争うのはお互いに不利益なだけだ。そもそもこの世界の住人だけでは【虚無】には勝てない。……生き延びる選択肢は機械と共闘するしかないのだ」

 

「では、機械どもにいいように使われ、最期は機械の侵略を助けた挙句に捨てられるために戦うと言うのか。その時になってからでは遅いのだぞ、キマイロン」

 

 エンペラドールの双眼がかっと開かれた。その眼は両方とも本来の色彩を失っており、どす黒い土塊のようであった。

 

「私の同胞は機械に滅ぼされ、ただ一人生き残った私は光を失った。臆病者の私とて、散っていった一族の誇りすべてを受け持つ義務は心得ている」

 

 キマイロンは、エンペラドールの土塊の如き瞳に暫し圧倒されていた。その瞳には光こそないが、果てしない憎悪が渦巻いている。

 

「そして各地の豪族が相次いで侵略者に滅ぼされた。その中にはあの南の戦士や、先のグリプドンたちも含まれている。おそらくこの世界の至るところで同じ惨劇が繰り広げられたことだろう。機械と手を組むこととは即ち、これまでの戦いすべてを諦め、自ら滅びの道を選ぶことに他ならない。あなたとて王を失い、多くの同胞を機械どもに討たれた筈だ。誤った選択はするな、誇り高き鎧装獣よ」

 

「先も言っただろう、我々だけでは【虚無】には勝てない」

 

「その考え方がそもそもの間違いなのだ。我々の力はそんな程度の物だったのか。我々は鉄くずどもに尾を振るだけの誇りも尊厳もない、ただの傀儡だったのか。そうではない。我々は、我々の手で勝利を勝ち取るべきだ。機械から押しつけられたこの力も利用できるなら利用してくれよう。だが、我らが機械に利用されていては駄目だ、それは我らの真の敗北を意味する」

 

「あなたが取りつかれている疑念が、この世界の滅亡を引き込むことがわからないのか。この世界は確かに我らのものだ。機械のものではない。だが、機械たちも自ら頭を下げて我々に協力しようと言っている。ドヴェルグ殿もそれに賛同し、スノパルド殿の話では氷の姫君たちも機械たちと協力していると聞く。我々は機械たちを受け入れ、ともに繁栄するべきなのだ。今まではその土壌がなかったために多くの悲劇が起こってしまったが……今は違う」

 

「疑念ではない、確信だ。機械化に適応できずに、死に絶えた同胞の無念を忘れたのか。機械を受け入れるということは侵略を受け入れること。適応できなかった同胞の尊厳を踏みにじる行為に他ならない。それに前も言ったが、そもそも私は機械どもが虚無の軍勢からこの世界を護るために戦っているなど、信じてはいない。奴らが【虚無】を引き込んだのだ。奴らが来なければ【虚無】も現れなかった。あの鉄くずどもこそが、諸悪の根源に他ならないのだ」

 

 エンペラドールの意思を変えることはできないのか……。キマイロンはそう思い、項垂れた。

 

 傍らのオオヅチはエンペラドールを黙って睨みつけており、その瞳には怒りすら宿っている。視力による知覚ができないエンペラドールであったが、憤るオオヅチの気配ははっきりと感じていた。エンペラドールはそれを相手にはせず、オオヅチの憤怒は高まった。

 

「……我々が【虚無】を引き込んだということ、それはそのとおりかもしれない」

 

 奇妙な音声が響いた。キマイロンとオオヅチ、周囲の獣の多くにはその内容が理解できなかった。だが、兜の如き頭部の装甲とともに、ヘイル・ガルフと同じく侵略者の話法を獲得したエンペラドールと、改造されたグリプドンたちはその言葉を聞きとっていた。

 

 気配も感じさせずに現れたのは、二人の機人であった。皆は、その機人たちがここの機械たちの指揮官であることを知っていた。

 

「この私に気配を感じさせずにここまで来るとはな。またキマイロン殿をかどわかすつもりか、侵略者」

 

 エンペラドールが怒気も顕わにフィアラルとガラールを交互に睨む。

 

「我々の故郷はかつてない災厄に見舞われた。我々機械の上層部の者たちが何か知っている様子ではあったが……おそらくあれは【虚無】なのだろう。私の同胞の多くもそれに感づいていた。この世界の侵略の決行が決まった時、まだこの世界には【虚無】の兆候も見られなかった。ところが、侵略を決行する段階になってから様々な兆候が観測され始めたのだ。上層部が焦っていたのもそのせいだろう。一刻も早くこの世界を統一し、完成された世界で【虚無】を迎え撃つ……それが当初の我々のプランだったのだ」

 

 そこまで言うとフィアラルは、自分のことを憎悪を籠めて睨んでいるエンペラドールの前で跪いた。

 

「頼む。もう一度我々に機会を与えてくれ。我々はもう決して侵略行為は行わない。共に力を合わせ、【虚無】と戦おう。戦いに勝利した暁には、我々一同全力で以てこの世界の復興に力を注ぐことを約束する」

 

 跪くフィアラルを見下ろすエンペラドールの表情には何の変化も見られなかった。ただ忌まわしげに並んだ牙を擦り合わせ、白髭を振った。

 

「私が光を失う寸前に見たもの……あれは一面に広がる私の同胞たちの亡骸だった。それだけではない、誇り高き私の同胞たちが護り抜いてきた、多くの無力な獣たちの変わり果てた姿が、私の眼に焼きつけられたのだ。私は今でもあの光景を見ている。私の眼に映る光景はあの時のままで止まっているのだ。それをもたらしたのは誰だ。貴様ら侵略者ではないか」

 

 エンペラドールはヘイル・ガルフと同種の能力を駆使してフィアラルに言った。その言葉を周囲の獣たちの多くは理解できなかったが、グリプドンの生き残りたちは黙って聞いていた。

 

「今更信用できるものか。だが、部下を連れずにここまで来た度胸だけは認めてやろう。せめて苦しませずに葬ってくれる」

 

 フィアラルに抵抗する気配はなかった。エンペラドールは構わずに白髭を振り上げる。硬質化した髭は、束ねることで機械の装甲をも切り裂く刃となるのだ。

 

 それを見て、今まで黙って見ていたガラールがエンペラドールとフィアラルの間に割って入った。

 

「待ってくれ。お前がそれを望むなら我々二名をこの場で葬っても構わん。だが、この森にいる他の機械たちには手を出さないでくれ。彼らは我々の命令に従ってここに来ているに過ぎない。皆、この世界の住人と戦うことは望んでいないのだ」

 

「貴様らの言うことなど信じぬ。逃げる者の命すら奪ってきた貴様らだ。それ相応の末路を辿らせてやる」

 

 エンペラドールの髭が蠢きガラールの胴体に狙いを定める。それを見てとったキマイロンが叫んだ。

 

「止せ、無抵抗な相手を手にかけるつもりか。あなたは戦士としての志も忘れてしまったのか」

 

「キマイロン殿、この者らに情けは無用だ。それをこの者らは散々示してきたではないか」

 

 エンペラドールの白髭が一閃し、ガラールを襲った。ガラールの黒色の装甲が引き千切られ、宙を飛んだ。

 

 破壊されたガラールの装甲の中から傷ついたコアがむき出しになる。それでもガラールは黙ってその場に立ったまま、エンペラドールを見つめていた。

 

 エンペラドールが白髭を真っ直ぐに突きだし、コアへ向けた。キマイロンがそれを止めようと跳びかかったが、片方の白髭で打ちつけられ、近くの鋼の針葉樹の幹に叩きつけられた。針葉樹から金属質の高い音が響く。キマイロンは無傷であったが、強い衝撃を喰らったため、すぐには立ち上がれなかった。

 

 エンペラドールの両方の白髭が同時にガラールのコアに接近する。今度はオオヅチが止めに入ろうと槌の如き鼻を振り上げたが、間に合わない。

 

 ガッキと音がした。微動だにしないガラールとエンペラドール。周囲の獣たちは言葉を失い、その様子を見守った。フィアラルが驚きの眼でガラールのコアに刺さっていると思われる髭を凝視した。

 

 やがて、エンペラドールが己の髭をガラールのコアから引き離した。周囲の者たちが見ると、ガラールのコアは少し欠けていたが、さほど傷ついてはいなかった。

 

「……全く避けようともしなかったな、貴様」

 

 エンペラドールが呟いた。それは獣の言葉であったが、ガラールはエンペラドールの感情を理解しているらしく、静かに頷いた。

 

「もし、少しでもかわそうとしていたら……僅かでも迷いがあったなら確実にそのコアは砕け散っていた」

 

 エンペラドールは髭を収めた。周囲の者たちはその様子を呆然となって見つめていた。

 

 一体のグリプドンがガラールとフィアラルの側に歩み寄った。グリプドンはガラールをちらと見やったあとで、フィアラルの方へ向き直ると、機械の言葉で言った。

 

「ブリシンガメンの首飾りを造り出したのがお前たちの同胞であるということに変わりはない。それが我が同胞たちを滅ぼしたという事実もだ。……だが、少なくともお前たちの覚悟は本物であるらしい。機械すべてを信用することなどできないが、お前たちは信用するに値するのかもしれない」

 

 エンペラドールの傍らについていた生き残りのグリプドンたちも同意の意思を示した。それを見ていた獣たちの敵意も徐々に消えていった。オオヅチとキマイロンもその変化を読み取っていた。

 

「……。駄目だ、やはり。信じることはできない」

 

 エンペラドールはそう言うと、踵を返してその場を立ち去ろうとした。

 

 もはや自分に従う獣たちがいないことで、これ以上自分が機械と戦おうとしたところで無意味だと自覚していた。だからもう自分には居場所がない。

 

 エンペラドールの足を止めたものは、遠くの方から響いた悲鳴であった。つづけて無数の獣、それにフィアラルとガラールから待機しておくように言われた筈の機械たち。

 

 エンペラドールは一瞬、機械たちが襲ってきたのかと思った。しかし、すぐにそうではないことを知る。

 

「奴らだ。【虚無】が攻めて来た」

 

 一体の獣が叫んでいた。至るところから轟音が響き、大地が振動する。状況を把握したキマイロンが周りの獣たちに指示を出し、皆が次々と行動に移った。それまでエンペラドールの側についていたグリプドンや他の獣たちもそれに従った。

 

 フィアラルとガラールも部下に指令を伝える。電子信号が伝わり、瞬く間に鋼葉の樹林にいるすべての機械たちがそれを受け取り、行動を開始した。

 

 虚無の軍勢は鋼葉の樹林の内部から突如現れた。絶望壁の要塞を襲った際は上空から攻めてきたが、今度は地の底から生えてくるようにしてわらわらと溢れ出てきた。

 

 鋼の装甲を備えた虚無の騎士や、蠢く不定形な粘土状の物体。それに両者の中間のような異形の姿もあった。

 

 力のある獣たちの何体かが森の住人を避難させ、残りの者たちが虚無の軍勢を喰い止めるべく牙をむく。

 

 これまでの戦いで敵の戦闘方法を熟知していた獣や機械たちにとって、敵の一体一体は決して倒せない相手ではなかった。ただ、敵の総数は見当もつかない。戦闘が長引けばそれだけ獣たちは、機械化しているとはいえ疲労も溜まり、機械に関してはその多くが指揮系統を破壊されただけで隙が生じるため、不利であった。

 

 エンペラドールも他の獣たちと共に戦った。ある悲壮な決意を胸に秘めて。

 

 大地が激しく振動した。

 

 不思議なことに虚無の軍勢の侵攻が急に収まりつつあった時のことだ。

 

 鋼の針葉樹が黒く変色し、崩れていく。その様子を見てとったキマイロンは唖然となった。

 

 大地から不気味なうねりが生じ、それは巨大な渦を形成しつつあった。その場にいた獣たちが断末魔を上げながら渦に呑まれ、崩れ去った。渦は慌てて飛び去ろうとした虚無の軍勢の何体かも巻き込み、その規模を広げていった。

 

 虚無の軍勢は渦が出現したことで目的を果たしたのか、戦闘を放棄して上空に引き挙げていった。放っておいたら鋼葉の樹林すべてがあの渦に呑まれるのでは……。キマイロンの危惧を裏づけるように、渦は更に広がる。

 

「【虚無】だ。ドヴェルグ殿がスノトラという者から聞いたという……。虚龍に張りつき、奴らの世界に潜入した者たちが感知した、【虚無】」

 

 キマイロンの傍にいたガラールが叫ぶと、それを聞きつけたフィアラル、それに違う方向からエンペラドールと一体のグリプドンが駆けつけてきた。

 

「例の【虚無】か。虚龍でも虚神でもないのか……これは」

 

 グリプドンが言うと、フィアラルが頷いた。

 

「そのとおりだ。あの話が本当だとすると……これこそが【虚無】そのもの」

 

 【虚無】の渦はなお拡大をつづけている。周囲にいる者たちはどうすることもできず、集まった者たちも相手があまりに強大であったため、結局背を向けて逃げる他はなかった。

 

 【虚無】の渦が広がる早さは、渦そのものが大きくなるほど早まっているらしい。逃げ遅れた獣が足を取られ、渦に呑み込まれて消滅していった。

 

 それまで背を向けて走っていたエンペラドールが、仲間の悲鳴を耳にすると立ち止まった。渦は目前にまで迫りつつある。

 

「エンペラドール殿。どうしたのだ」

 

 キマイロンの声には幾分かの当惑があった。

 

「私は機械とは相容れない。だから、この世界に私の居場所はない」

 

 エンペラドールが跳躍する。渦から逃げていた獣たちが横からエンペラドールの雄姿を見て、口々に何事かを叫んだ。次の瞬間には、エンペラドールの全身が【虚無】の渦に呑み込まれていた。

 

 エンペラドールは【虚無】に呑まれてもなお消滅していなかった。滅んでいった同胞の魂がエンペラドールに集まり、強大な守護の力がエンペラドールを護っている。

 

(おお、皆ここにいたのか。そうだ、もうこの世界に我らの居場所はないのだ。ならば、生き残った者たちの居場所を創るためにこの身を捧げよう。皆、私に力を貸してくれ)

 

 エンペラドールは渦を突き進み、その中心部に達していた。

 

(さあ、最期の大仕事だ。……キマイロン……オオヅチ……同志たちよ、あとのことは頼む。この世界を……滅んでいった者たちの遺志を……受け継ぎ……【虚無】に勝利してくれ)

 

 エンペラドールの身体がコアを中心に発光した。それはあらゆる存在を許さない【虚無】の中における唯一の色彩であり、存在だった。

 

 

 吐き出し、吸い込む虚空の渦。

 己を栓にし、止める者あり。

 弱まる虚無、遠のく崩壊。




関連カード

●エンペラドール
機獣。
己の身体を栓にすることで「虚空の渦」を止めた。

本章の最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
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