消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第四十四章 ゲンドリルの意地

 機人の項

 

 

 トールによって守護されている都市の格納庫に、翼神機は安置されていた。その場には、二人の機人、フィアラルとガラールが佇んでいる。背後には、護衛を務める二体の神機ミョルニールの姿もあった。

 

 フィアラルの手に握られている、円形状の装置に取り付けられたメーターが大きく揺れ動いた。機人たちの間に緊張が走る。

 

 翼神機の頭上付近に空間の歪みが生じた。それは【虚無】の者が使う技と同種のものであると、二人の機人は既に熟知している。

 

「事前に聞いていた通りだが……これが本当に我々の味方のものなのだろうか」

 

 フィアラルがエネルギーを計測しているメーターを見つめながら、呟いた。異質なものを前にして、畏怖の念を禁じ得ない。

 

「友軍に取り込めば、確かに大きな戦力になるかもしれないが。ロキの言うことを素直に信じて良いものかどうか……」

 

 なおも思案するフィアラル。その傍らで、黙したまま目前の翼神機を見つめていたガラールが口を開く。

 

「……来るぞ」

 

 ガラールの言葉に、フィアラルははっとなった。それまでフィアラルが眼を逸らせずにいたメーターの数値が瞬時に上昇し、ガラールの言葉がすぐ現実のものとなることを告げていた。

 

 空間から這い出るようにして、黒紫色の光体が沸き上がった。それと共に、黒い光の中から小柄な人型の機械の姿が現れる。その機械の姿は、友軍の神械グングニルに酷似していたが、全身の色が赤黒く染まっていた。

 

「お前が、冥機グングニルか」

 

 ガラールの問いかけに対して、冥機は僅かな動作で応えただけで、そのまま翼神機の頭部に張り付いた。

 

 フィアラルが慌てて冥機を呼び止める。

 

「待て。お前は本当に我々の味方なのか。お前の持っているその力、その姿。何れもが、お前が【虚無】のものであることを示している」

 

 冥機がフィアラルの方へ向き直り、視線を合わせる。冥機の眼光を直視したフィアラルは、己が暗い深淵に落ち込んでいくかのような錯覚に襲われた。

 

 微かなうめき声をもらすフィアラル。その肩に、ガラールの黒い装甲に覆われた手が添えられた。ガラールの鼓動を感じたフィアラルが我に返る。フィアラルは危なく自分は【虚無】に呑まれるところだったのかと思うと、生きた心地がしなかった。

 

(私は……仲間……冥機の力……制御……して)

 

 冥機から途切れ途切れに伝わってくる意思。フィアラルとガラールはそれがロキから聞かされていた、冥機と同化した氷の姫君のものであることを悟った。

 

(翼神機……連れていく。……時間が……ない)

 

 冥機を中心にして空間の歪みが広がっていき、徐々に翼神機の全身を包み込んでいった。フィアラルはこのまま見過ごして良いものなのかと不安を隠しきれなかったが、ガラールが半ば諦念した風な様子でフィアラルに向かって言う。

 

「翼神機グラン・ウォーデンの力は、我々の手には余る。……信じるしかない、グロリアス・ソリュートによって造られたというロキの言葉を。そして、今や一番信頼しなければこの世界の住人を」

 

 フィアラルは黙ってうなずいたが、その思考は未だ逡巡していた。

 

 やがて、翼神機全体が空間ごと大きくねじれ、虚空へと飲み込まれるようにして消えていった。

 

 

 

 質量を伴った凍てついた空気が甲板の上で渦巻いた。

 

 先ほどまでは襲撃を受けていた軌道母艦であったが、盾竜の軍勢が撤退したことで、大きな重量のある風が艦を打ち付ける音だけが周囲に響いていた。

 

 ミストは自分たちのもたらした、この世界にとって異質な風を全身に受けながら、遥か遠くの戦場を眺めていた。歌姫たちを匿っている軌道母艦は最優先で戦線を離れており、その場にいるミストもまた、束の間とはいえ戦いから解放されていた。

 

 ミストの瞳は虚ろであった。先の戦闘で姉であるヒルドを失い、クイーンが重傷を負った。短期間で目まぐるしく変わる情勢の変化に巻き込まれ、多くの命が失われていったのだ。

 

 今もなお機械の同胞たちが、ブリシンガメンの首飾りを奪還する為に虚無の軍勢と死闘を繰り広げている。

 

 ふと、一帯の大空に響き渡る音色を聞き、ミストは天を仰いだ。

 

 それは人の声の様であり、機械の身体を持つミストにとっても感情を揺さぶられる想いが込められていた。

 

「……ディースさん」

 

 ミストはふと出た己の呟きに、多少の戸惑いを覚えた。改めて聞き入ってみれば、その音色は確かにディースの歌声に酷似している。

 

 歌声は、ヒルドの死を悼んでいる――ミストは、そんな気がしていた。

 

 ミストの見上げている高空を、一匹の蜻蛉がすーっと横切った。あれはディースの歌声から生まれた、ディースの意志を受け継ぐ者。蜻蛉はそのまま軌道母艦の真上を通り過ぎていった。後には、ミストの心の奥にまで染み入る、何か懐かしい気持ちにさせてくれる歌声の余韻が残された。

 

「ミスト……」

 

 背後からの呼びかけを聞き取り、ミストは振り向いた。見ると、甲板の床の上で俯く双子の妖精フギンとムニン、それに真っ直ぐミストを見つめるウリボーグの姿があった。

 

 いつもは宙を舞う妖精たちも、この重い空気に押される空間の中では飛ぶことは出来ず、背中の羽根も力なく畳められていた。

 

「ごめんなさい、ミスト。私たちのせいであんなことに……」

 

 ムニンが消え入りそうな声で言った。傍らのフギンも何か言いたそうであったが、その震える唇は言葉を紡ぐことをも酷く躊躇っている様子であった。

 

 ミストは妖精たちの抱く罪悪感を察した。そして、それが彼女たちの無垢な優しさからくるものであると信じて疑わなかった。それ故に、ミストは猶更妖精たちのか弱い心を介抱してあげなければならないと思うのであった。

 

「あなたたちは悪くないわ。……だから、そんなに気に病んだりしないで、ね」

 

 ミストは魚の様な下半身の浮力を使って身をひるがえし、妖精たちの前に舞い降りると、そっと労わるように右手を相手の頭上にかざした。

 

 ちょっとでも触れたら壊れてしまいそうなくらい儚げな印象を与える妖精の少女たち。ミストには、自分の心の痛みよりも、彼女たちの方が心配でならなかった。

 

 フギンとムニンからすれば、常に相手を思いやろうとするミストの方が見ていて痛ましいものがあった。ただ、そんなミストに甘えていたい自分たちの願望も強まっていた。

 

 黙って三人の様子を眺めているウリボーグもまた、もっとミストの力になりたいと願い、それでいて実質的にミストの庇護下にあることを感謝していた。

 

「フギン、ムニン、ウリボーグ。ヒルド姉さんやガグンラーズを失って……あなたたちまで居なくなるなんてことになったら私……」

 

 ミストは今でも変わらずに自分の傍にいてくれている、それだけで嬉しい――そう言いたかった。しかし、この小さな仲間たちの抱えている苦悩を思えば、それを口にすることも憚れる。

 

「ガグンラーズは……今、セイと一緒に戦っているの、ミスト」

 

 ムニンの言葉に、ミストは驚いた。

 

 ガグンラーズがロキの手によって新しい戦士として生まれ変わり、【虚無】の者たちと戦っているということは知っている。だが、それがセイと関わることであるとは……。

 

「セイは私たちと別れた後、新しい機械の身体になって敵と戦っているの。その身体には紛れもない、ガグンラーズの魂も宿っている……」

 

「ガグンラーズとセイが、今もあの戦場で……」

 

 ミストは遥か遠くで繰り広げられている戦闘を見やった。瞳の中に仕込まれたセンサーの出力を上げてよく見ようと試みたが、朧げな戦火を垣間見ることしか叶わなかった。

 

「ミスト、私たちなら……あそこで戦っているセイたちを見ることもできるの」

 

 ミストはムニンの方へ向き直り、懇願するように言った。

 

「私にも教えて。セイとガグンラーズのことを」

 

 ムニンはフギンと顔を見合わせた。お互いに頷き合うと、双子が手を合わせる。それと共に、中空に一筋の光明が灯り、そこから一つの映像が映し出されていった。

 

 最初は不鮮明なヴィジョンに過ぎなかったが、徐々に映像ははっきりとしたものとなり、友軍と協力して盾竜の群れと戦う獣機合神の姿が映し出されていった。

 

「獣機合神セイ・ドリガン。それが、今のセイの名前なの」

 

「セイ・ドリガン……」

 

 ミストはセイ・ドリガンの雄姿に釘付けとなっていた。大分様変わりしていたが、セイの面影がある。そして、セイと共に戦う、騎士ガグンラーズの姿が重なって見えた。

 

 ウリボーグもまた、遠方で戦う獣機合神の映像に見入っていた。共に旅をしたガグンラーズとセイの面影を持つ機械の戦士。勇猛果敢であると同時に、強い信念を持つ獣機合神の姿は、ウリボーグの心をもとらえて離さかった。

 

「セイ、ガグンラーズ……どうか、無事に帰ってきて」

 

 ミストはセイ・ドリガンの無事を強く祈っていた。

 

 

 

 朱色の火花をまき散らし、撃墜された盾竜が吹き飛んでいった。なおも殺到して襲い掛かってくる盾竜の群れに対して、獣機合神は一瞬も休むことなくドリルを備えた大槍で迎え撃つ。

 

 ブリシンガメンの首飾りとの距離は大分詰めた。この調子で攻め入れば、十分に勝機がある。最前線で猛威を振るう獣機合神の存在に勇気づけられた機械たちの士気は、大いに高まった。

 

 友軍の犠牲も大きかったが、既に敵の中枢にまで到達しつつある。普段は温厚なヴィーザルも逸る気持ちを抑えきれなくなっていた。

 

 一方で、共に戦うボルヴェルグはこの戦況の変化に疑念を持ち始めていた。僅かな時間であったが、唐突な敵の士気の乱れがあったからこそ、戦況を覆すことが出来たのだ。ここまで常に第一線で戦ってきたボルヴェルグだからこそ、この不自然な戦局に感づいていた。

 

(些か出来過ぎているのではあるまいか……。あれだけこちらの歌姫という泣き所を突いてきた敵がこうもあっさりと退却するなど)

 

 歌姫を失えば、我々の敗北は決定的となるだろう。それなのに、虚無の軍勢は中途半端なところで引き上げ、結果として勝機を逸している。もし、最初から歌姫を狙って攻めて来ていたのであれば、あの状況下で退くなど、到底考えられない。

 

(敵の目的は歌姫では無かったのか。いや、しかし)

 

 だが、こちらはこの好機に乗るしかない。ボルヴェルグはここに来て友軍の士気を挫いてはならぬと言わんばかりに己の疑念を振り払い、黒槍を突き出した。生み出された旋風は盾竜を薙ぎ払い、同胞たちの進むべき道を空中に作り出した。

 

 ボルヴェルグによって穿たれた敵軍の穴へ、セイ・ドリガンが瞬時に飛び込んだ。大槍を大車輪の如く回転させ、周囲の盾竜たちを巻き込む。セイ・ドリガンの後ろからボルヴェルグ、ヴィーザルを始めとする友軍がなだれ込み、なおもセイ・ドリガンを食い止めようと迫って来ていた盾竜たちを蹴散らした。

 

「もう一息だ。我々は敵の喉元にまで入り込んでいるぞ」

 

 ヴィーザルが叫び、それに応える無数の動器と神機たちが一斉にブリシンガメンの首飾りの近辺の空域に攻め込んだ。

 

 この戦い、既に勝敗は決した。我らの勝利だ、ヴィーザルはそう確信していた。

 

 

 

「来おったか」

 

 浮遊し連なっているブリシンガメンの首飾りの中央の個体に腰を下ろしているゲンドリルが、接近してくる獣機合神を見据えていた。

 

 先陣を切っていた獣機合神は幾度もゲンドリルの差し向けた盾竜と衝突していたが、後方から続々と連なってくる機械たちの援護によって、既にブリシンガメンの首飾りの端に到達していた。

 

 獣機合神はその眼光でゲンドリルの姿を捕らえると、獣の様な咆哮を上げ、ブリシンガメンの首飾りを形成する一つの人口衛星に取りつくと、大槍を振り回しながらその上を一気に駆けた。

 

 ここに来るまで冷静になろうと心中で己を諫めていた獣機合神セイ・ドリガンであったが、討つべき敵の姿を直視したことで、沸き起こる強い闘争心を抑えきれなくなっていた。

 

 ゲンドリルの身体が胡坐をかいている姿勢のまま宙に浮く。続けて、手にしている杖を一閃させた。黄色い紋様によって構成された魔法陣が中空に現出し、それと同じものが二重三重になって創り出されていった。

 

 ゲンドリルが杖の柄の部分を前方に押し出すと、連なった魔法陣が砲撃の如く突き進み、迫り来る獣機合神を目掛けて直進していった。

 

 魔法陣と激突した獣機合神は人工衛星から押し出され宙を舞ったが、バーニアを噴射させることで空中で踏みとどまり、魔法陣の壁を押し返した。

 

 獣機合神は次々と連射される魔法陣に向かって、大槍の先端の高速で回転するドリルを構えると、凄まじい唸り声を響かせながら突進した。魔法陣の壁が次々と突き破られ、空中に四散し、獣機合神の通った後ろには金色の粒子が尾を引いていった。

 

「ゲンドリル。捉えたぞ」

 

 セイ・ドリガンはそう言い放つと、眼前のゲンドリルに向かってドリルを突き出した。ゲンドリルはひらりと身を翻すと、セイ・ドリガンの得物をかわし、杖の先端から雷光を放ち、セイ・ドリガンの装甲を焼いた。

 

「よくここまで来たな……戦士よ」

 

 ゲンドリルは追い込まれてもなお、幾分かの余裕を感じさせる態度を崩さなかった。

 

 セイ・ドリガンは先の攻撃で受けた傷を顧みることも無く、再度大槍をゲンドリルに向けて、言った。

 

「俺はこの時を待っていた。貴様に滅ぼされた我が同胞たちの仇を討つ、この時を。……あの時、受けた屈辱、今ここで返させてもらおう」

 

 ゲンドリルが訝し気に眼前の獣機合神を見定めた。やがて、納得した様子で言う。

 

「ほう……おぬし、あのセイと呼ばれていた獣か」

 

「俺の意識はセイのものだが、俺は多くの獣や機械たちと一体化し、共通の意志で今この場にいる。今の俺の名は獣機合神セイ・ドリガンだ」

 

「なるほどのう……。随分と様変わりしたものよ」

 

「貴様のその虚勢も今すぐ崩してやる。もう貴様には後が無い筈だ」

 

 セイ・ドリガンの大槍に備えられたドリルが一層強く熱量を帯び始めた。次の一撃でゲンドリルを仕留める。セイ・ドリガンはそう決心していた。

 

「大したものよ。儂の死での道連れにしては不足はないか」

 

 ゲンドリルの杖が高く掲げられた。魔法陣が何重にも連なって上昇していき、天を貫くように聳え立つ。

 

「なんだと……ゲンドリル、何をするつもりだ」

 

 セイ・ドリガンの問いに対して、ゲンドリルはほくそ笑んだ。

 

「ほっほっほ。おぬしほどのつわもの、それに既にこの空域に入り込んでいるおぬしの仲間の機械ども。皆まとめてブリシンガメンの首飾り諸共消し飛ばしてくれよう」

 

「ブリシンガメンの……まさか、貴様、自爆するつもりか」

 

「その通りじゃ。儂が改良したブリシンガメンの首飾り、おめおめと敵にくれてやるとでも思っておったのか、愚かな……」

 

 セイ・ドリガンはゲンドリルが言い終わるのを待たず、その胴体を狙ってドリルで突きかかった。ゲンドリルは左右から電光を迸らせることで直進するセイ・ドリガンの勢いと視力を奪い、攻撃をかわした。

 

「お前たちがここに来るまでの間に、既に術式は完了してある。あとは起爆させるのみ……」

 

「ちいっ。やらせるか」

 

 セイ・ドリガンが我武者羅に大槍を振り回して電光を打ち払うと、ゲンドリルに飛びかかる。しかし、両者の間に出現した魔法陣によって阻まれた。

 

 中空に連なる魔法陣が急速に拡大し、それと同時にブリシンガメンの首飾りの中央を担う人工衛星から膨大な熱量が溢れ出した。連なるブリシンガメンの首飾りが次々と発光し、今にも爆発する寸前であった。

 

「さあ、共に【虚無】へと落ちようぞ」

 

 セイ・ドリガンがありったけの熱量を発散させることで己を抑え込んでいる魔法陣を打ち破った。だが、間に合わない――セイ・ドリガンはそう思った。

 

 天空を突く勢いで連なる巨大な魔法陣。それが突如激しく明滅し、急速に光力が失われていった。尚も空間に留まろうとしていたかに見えた魔法陣が、糸が解れたかのように綻び、形が崩れていく。

 

 ゲンドリルは驚愕の眼でその様子を凝視していた。やがて、魔法陣は一つ残らず崩れ去り、空間に溶け込むように消えていった。

 

「なん……だと。なにをした、貴様」

 

 あまりの出来事にセイ・ドリガンもまたその手を止めていた。後方から駆け付けている機械の仲間たちもまた、この目まぐるしい状況の変化に戸惑っていた。

 

「あ……あれは」

 

 ゲンドリルが上空に表れた空間の歪みを見抜いた。その歪みが大きくねじ曲がり、空間を押し開きながら、巨大な白銀の神機が姿を現した。

 

「翼神機じゃと。まさか、完成したとは。……しかし、この力は」

 

 翼神機の両翼は広げられ、左右に凍てつく氷の様な結界が形成されている。そこでは未だ残っているゲンドリルの魔力の残滓が、金色の弱弱しい光を出しながら渦巻いていた。

 

「儂の魔力を打ち消すほどの氷壁を創り出すとは。あやつ、我が神と同じ力を備えているというのか」

 

 翼神機の頭上に、冥機グングニルが浮かんでいた。冥機は槍を備えた両腕を左右に広げ、翼神機の両翼に禍々しい波動を送っている。

 

「……そうか。奴が敵に取り込まれた、ということか」 

 

 ゲンドリルの両腕が力なく下げられた。ゲンドリルはこれ以上術式を展開しても無駄であることを自覚していた。

 

「万策尽きたな、ゲンドリル。覚悟」

 

 セイ・ドリガンが大槍を構え、再び戦闘態勢に入った。

 

「知をもがれたとはいえ、儂も神将の一人。むざむざとやられはせぬ」

 

 ゲンドリルはセイ・ドリガンを睨むと、杖へ向け、先端に熱量を集中し始めた。

 

 セイ・ドリガンが先手を打とうと、ゲンドリルに向かって駆けだした。一閃された大槍が、ゲンドリルの杖によって受け止められる。そのまま両者が得物による打ち合いが繰り広げられた。

 

 冥機によって制御されている翼神機の展開する氷壁によって、ゲンドリルは魔法陣を使った攻撃と防御を封じられていた。それでもゲンドリルの機人本来の力と特殊合金で造られた杖の威力は強力であり、セイ・ドリガンとて容易く打ち破ることは出来なかった。

 

 だが、セイ・ドリガンの内に秘められた熱量はゲンドリルのそれを大きく上回っており、徐々にゲンドリルの方が押されつつある。そのことは、本来後方で指揮を執る知将であるゲンドリルにもわかり切っていることであった。

 

 そして、遂にセイ・ドリガンのドリルがゲンドリルの杖を圧し折った。急いで杖を修復しようと光電の糸を両腕から放出し、杖を繋ぎだしたゲンドリルであったが、間に合わなかった。

 

 セイ・ドリガンのドリルがゲンドリルの胴体を穿ち、一気に貫いた。己を貫通したドリルを見下ろし、ゲンドリルは観念した風で抵抗を止めた。

 

「遂に……遂に、討ち取ったぞ……同志たちよ」

 

 セイ・ドリガンが高らかに宣言した。

 

「……見事、セイ・ドリガンよ。……だが、神は……この世界の何もかも滅ぼすおつもり。……滅びゆく順序が入れ替わっただけに過ぎぬわ」

 

 徐々に熱量を失っていくゲンドリルが弱々しく語った。

 

 セイ・ドリガンはゲンドリルの真意が掴めず、コアの輝きも消えゆく宿敵に問う。

 

「……虚神は貴様らも滅ぼすというのか」

 

「……左様。……あの冥機……何故、儂はあれの意志を……我が神の意志と確信したのか。今ならばわかる。我が神は……最初から同胞を生き永らえさせる気などなく……冥機も神も、真なる【虚無】の発動を望んでいたのじゃ……」

 

「ばかな、ならば貴様は何れ自分も消されるとわかっていてなお、【虚無】の神に従ったというのか」 

 

「それが神将の位を授かった者の忠義……おぬしには……わかるまい」

 

 ゲンドリルの折られた杖が足場に落ち、カタンと音が響いた。

 

「お前たちの【勇者】の覚醒も……翼神機の誕生も……すべて、神の思惑通り。……せいぜい、抗うが良いわ。……じゃあの、先に……【虚無】で……待っておる……ぞ」

 

 ゲンドリルの全身が黒ずんでいった。そして、芯まで錆び付いた金属の様にぼろぼろと崩れ出し、形を失ったゲンドリルの身体が翼神機の両翼から巻き起こっている風に巻き込まれ、空中に散っていった。

 

 セイ・ドリガンは大槍を収め、風に弄ばれながら消えていくゲンドリルの骸を、ただ茫然と眺めていた。

 

 

 

 

 今回の戦いは、【虚無】に抗う機械たちの勝利に終わった。ゲンドリルの消滅により、統率する者を失った盾竜の群れは方々へ散っていき、後に残されたブリシンガメンの首飾りを奪還することに成功したのだ。

 

 戦勝を祝う機械たちの中で、一人、何やら思案気な様子で佇む騎士の姿があった。黒槍機ボルヴェルグである。

 

 ボルヴェルグの傍らには未だ翼を広げたままこの世界の重い空気を一身に受けている翼神機と、その翼神機に取りついている冥機グングニルが居る。

 

 ボルヴェルグは訝し気に冥機を見やった。歌姫の塔が【虚無】の神によって浸食されていった際に見た闇に染まった神機。それが友軍として存在しているとは、ボルヴェルグにとって、間近で見てもどうしても信じ難いことであった。

 

「もし、冥機が味方についていなかったら、我々はブリシンガメンの首飾り諸共、消滅していた。……ロキよ、お前は最初から冥機を味方につける気でいたのか」

 

 その問いに答える、一つの影。ボルヴェルグの背後に、ロキの端末であるベビー・ロキの姿が現れた。

 

(冥機の力を利用することは、この戦いが始まった時点で決めていたよ。敵の将がブリシンガメンの首飾りをそう簡単に渡してくれるとは思わなかったからね)

 

「気に入らんな。お前はまるで何もかもを知り尽くしているかのようだ。我々は皆、お前の掌の上で弄ばれている……そんな気がしてならんのだ」

 

 暫しの沈黙があった。やがて、その沈黙を破ったのは、ボルヴェルグの疑念に応えるロキの電子音声であった。

 

(多分、君たちが僕に抱くそういった感情と同じものを、僕も僕を造った先代の【勇者】に対して、思っている……よ)

 

「先代の【勇者】……天戒機神グロリアス・ソリュートか」

 

(そう。僕は【勇者】の想定通りに動いて、君たちを導いているに過ぎない。だからね、時々思うんだ。【勇者】には予め決めておいたプランがあって……ここまでの戦いも、これからの戦いも、【勇者】は知っているんじゃないかって。僕も、所詮は【勇者】の思惑に利用されている一つの傀儡に過ぎないのかもしれない、と)

 

「かつて【虚無】と戦ったグロリアス・ソリュートが、今後の戦いを見通しているというのか」

 

(確証はないけど。僕というプログラムの全貌は、僕自身にもよくわからないところがあってね。新たな危機に局面するたびに、【勇者】の遺したデータが浮かび上がっていくんだ。僕が次に為すべきことを予め指示しておいた、そんな感じに)

 

 ボルヴェルグは改めて、冥機の姿をまじまじと見つめた。この【虚無】の使者だったものの力さえも利用することを、グロリアス・ソリュートは予見していたというのだろうか。にわかには信じられない話である。

 

 ボルヴェルグの視線を受けても、冥機には僅かな反応も見られなかった。翼神機に取りつく冥機の相貌は虚ろであり、心はここにない様子で、両眼は虚空に向けられていた。

 

 

 

 ブリシンガメンの首飾りが歌姫たちの手に渡ったことを、白の神は既に知っていた。

 

 白き機神獣の両翼は広げられ、獅子の様な相貌と狼の様な巨躯が、これから己に滅ぼされる世界の風を受け、獣毛がなびいていた。

 

(ゲンドリルめ、しくじったか。……だが、どの道、真なる【虚無】を発動させる際に自由意思のある部下が残っていても邪魔なだけ。そろそろ頃合いかもしれぬ)

 

 機神獣の両眼が鋭く輝き、虚空に眼光が焼きつけられた。すると、虚空が蠢き、異なる空間同士が繋ぎ合わされ、遠方の情景が浮かび上がった。

 

(アルブスよ。お前はこれから空帝ル・シエルをプラチナムと共に操り、ブリシンガメンの首飾りを攻め、歌姫を抹殺せよ。近隣の空域一帯のイージ・オニスを総動員しても構わぬ。だが、失敗は許さぬ。良いな)

 

 それだけ伝えると、機神獣は竜騎との交信を止め、己がこじ開けた次元の裂け目へ飛び込んだ。

 

 ヴァルハランスに傷つけられた機神獣の身体は、完全に回復している。更に、周辺の地域の浸食はほぼ完了しつつあり、現出した白夜の虚空は【虚無】の代行者たる虚神の本来の力を引き出す役割を果たしていた。

 

 あとは、歌声さえ消えればこの世界の消滅を阻むものは無くなる――それもまた、機神獣の想定通りに事が運んでいた。

 

 機神獣が次元を跳躍し、その場を立ち去ってもなお、周囲には【虚無】の影響が色濃く残っていた。

 

 ぼろぼろと崩れ去っていく森林の中から、一匹の小さな虹色の蝶が舞い上がった。その後に続いて、弱り切った小さな獣や光虫たちの姿が現れる。

 

 虚神からは全く問題視されていなかった小さき者たち。その者たちは、侵略者から逃げ延び、今もまた【虚無】から逃れようとしていた。

 

 虚神の姿が消えた今のうちに、ここよりも安全な場所を目指す。それが滅びゆく者たちの最後の抵抗であり、それを導くことが今日まで生き延びてきた蝶の使命であった。

 

 

 皆を導く、小さな光虫の輝き。

 まだ残るかぐわしき緑の地へ。




関連カード

●レインボウパピヨン

白の光虫。
自分のフィールドに緑のスピリットがいれば自身のBPを上げる効果を持つ。
フレーバーテキストでは、緑の地へ皆を導く役割を担っており、侵略者に追われていた生き物たちを助けるスピリットの一体と思われる。
侵略者が現れる前の白の世界は緑の世界と酷似していたらしい節があり、他にも初期の白のスピリットには緑に関する効果を持つ者が多い。

本章の最後の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
おそらく、侵略者に追われる時を想定した一文であるが、虚無の軍勢が出現した後も変わらない使命を全うするという意味で引用した。

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