消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第四十五章 踊る鎧神

 歌の項

 

 

 殺意を返し輝く盾。

 刹那の間を受け、踊る鎧神。

 

 

 白鳥は風の失われた重い質量に満ちた空を飛んでいた。かつてのこの世界の生き物であれば、このような空を飛ぶなど不可能であったが、機獣と化した白鳥にとってはそれが最早自然なこととなりつつあった。

 

 白鳥は、そのことを恐れていた。もう、かつての世界は二度と戻ってこないのではないか――そう思ったからである。

 

 事実、世界の本質が変容した今となっては、侵略者が来る前の世界へ戻すことは到底不可能となっている。白鳥の本能はそれを感じ取っていたのだ。

 

 この空も、先ほどまではかつての世界を彷彿とさせる風が吹いていた。以前、獣機合神もそれを体感するために飛行した。だが、【虚無】の力が行使されたことで世界の均衡が瞬く間に崩れ、気づいた時には慣れ親しんだ風も消えていた。

 

 世界が壊れていく。己の内に秘められた星の魂が、壊された世界に何を与えることが出来るのか――白鳥はそのことを自問するようになっていた。

 

 

 

 視界の悪い、吹き荒れる吹雪の中。そこでは、歩哨を務める獣の鳴き声が時折聞こえるほかは、生命を感じさせるものはなかった。

 

 この広大な雪原の中、一際強い氷雪に覆われている、青白い砦が建っていた。

 

 砦はあまり大きなものではないが、五方向と中央部分に備え付けられた青白い発光体から創り出されている結界が、一際異彩を放っていた。

 

 ここは古の戦において、氷の姫君たちの拠点の一つであった。その機能はヘルとの戦いの頃と比べても衰えてはおらず、要塞皇オーディーンを主力とする侵略者の一軍がこの世界の中心を担う王都を襲撃した際、都で暮らす姫君たちの何人かがこの砦に逃れてきた。

 

 しかし、この砦の主である六花の司書長サーガの計らいにより、砦に集まった姫君や従者の獣たちは皆、ソールを始めとする多くの姫君がいち早く立てこもっていた千年雪の尖塔へと移住していた。建物を守護する術式はこちらの方が強固であったが、向こうには凍獣マン・モールを筆頭に、ファーブニルやニヴルヘイムといった豪傑たちの存在があったためである。

 

 現在では姫君たちからも見放された僻地と言えるが、今になってこの砦を利用する者たちがいた。

 

 砦に備えられた唯一の出入り口から、一体の大柄な白い虎が顔をのぞかせた。その虎は身体の大半が機械化しており、背中には本来この世界の住人にはそぐわない筈の火器が備えられていた。

 

 虎が一声吼えると、雪原を走っている複数の獣たちが、虎の声を頼りにして、砦の方へ走ってきた。

 

「どうだった。奴らの動きは」

 

 帰還した歩哨の獣たちに対して、虎が尋ねた。

 

「今のところは、出現の兆候も見受けられない。まだ、ここの存在に気づいてはいないのではないか」

 

「油断するな。奴らは不意に現れる。こことて、決して安全とは言えないのだ……」

 

 虎はそう念を押すと、歩哨の役割を終えた同胞たちを砦の内部に迎え入れた。

 

 主のサーガすらいなくなった砦であったが、今は敵から逃げ延びてきた各地の獣たちがここに立てこもっていた。

 

 獣たちにとっての敵とは、かつての侵略者である機械たち、及び虚無の軍勢である。この場にいる獣たちには世界の情勢の変化は伝わっておらず、歌姫と侵略者が手を組んでいることも知らなかった。そのため、虚無の軍勢も機械の侵略者と同じ勢力であるというのがこの獣たちの認識である。

 

 ただ、獣たちをまとめるリーダーとしての役割を担っている虎のビアンコは、虚無の軍勢が機械よりももっと異質な存在であることを察してはいた。機械たちは門というこの世界の機構を利用しているが、新手の軍勢は世界そのものを捻じ曲げてその機能を破壊することで侵入してきている。歴戦の勇士であるビアンコは、おぼろげながらそれに感づいていたのである。

 

 砦の内部は手入れをする姫君がいないために寂れていたが、獣たちなりに環境を整えてはいた。結界の術式を理解する者が誰もいないため、もし防壁を破られてしまったら立て直しは不可能であったが。

 

 綺麗に削られた冷たい石で構成されている回廊を、ビアンコと、豹の姿の機獣、ジャッカルのような姿の甲獣が連れ立って歩いていた。

 

 本来、大自然の中、草や大地を踏みしめながら闊歩する獣たちにとって、砦の床は居心地の良いものとは言えない筈であった。それが今では、機械と化し、硬質化した身体を持つ今の獣にとっては、己の足で踏みしめるものが人工物であろうと自然物であろうと大して変わらなくなってしまっている。獣たちは本能的に恐れていた。自分たちが長年培ってきた感覚と価値観が失われていくことを。

 

「このような歌声も届かない辺境の地、いつまで持ちこたえられるかわからぬな……」

 

 ビアンコが唸るような声で言った。

 

「連中はここの存在には気づいていないのであろう、ビアンコ殿。この場で隠れていれば、何れ歌姫たちや世界中の同胞たちが反撃に転じた際、はせ参じることもできる筈」

 

 傍らにいる機獣の発言は、ビアンコにとっては些か楽観的過ぎる気がした。

 

「……世界は確実に滅びに向かっている。お前たちも見ただろう、外の世界を。雪は冷たさを失い、風は身を突き刺すように鋭く、重い。異変は留まるどころか、むしろ加速している。このまま黙っていては、我々は敗北する。その後は……すべてが死に絶える未来しかあるまい」

 

「ビアンコ殿。あなたの懸念もわかるが、この地に落ち延びてきた同志たちの生きる気力を奪いかねない言葉は控えてくれ。皆、救いを求めて、かつての聖域の一つであるこの砦に集っているのだから」

 

 反対側にいる甲獣の言うことも、ビアンコにはよくわかる。ただ、氷の姫君たちからも見捨てられた辺境に留まっていても事態は好転しないのだという考えが、重圧となって己の思考を圧迫していた。

 

「すまない、今のは忘れてくれ……」

 

 その一言が、ビアンコにとっての精一杯であった。

 

 

 

 神機レーヴァテインと合流した巨神機トールは、遊撃隊として奔放し、各地に出現している虚無の軍勢を相手に、猛威を振るった。トールに率いられているのは複数の神機ミョルニールや、選りすぐりの機人たち。その機人の中には、フィアラルの姿もあった。

 

 フィアラルが遊撃隊の一員として出撃している一方、長年の相棒のガラールはトールが守護していた都市に残り、情報戦に従事していた。遊撃隊にとって、拠点のガラールたちから送られてくる情報は命綱と呼べるものであり、敵との不利な戦闘を回避しつつ、敵軍に対してより効果的な打撃を与え続けていた。

 

 遊撃隊の主な目的は虚無の軍勢の戦力を切り崩すことの他に、各地で孤立している獣たちの救援も兼ねていた。特に、未だ機械たちとの共闘関係に気づかずに戦い続けている猛者も少なくなく、そういった者たちを味方につけることで戦力を増強しつつ、この世界の住民とのわだかまりを着実に解消することが最優先事項と言えた。

 

 トールの部隊とは別に、地上を駆ける獣たちによって構成されている第二の遊撃部隊と呼べる者たちもいた。その部隊の中心を担っているのが鎧装獣キマイロンであり、その腹心として鎧装獣オオヅチや、生き残りのグリプドンの姿もあった。獣の他にも、本部やトールの部隊との連絡を取り合うことを主な任務とする動器たちが同行していた。

 

 生き残りの獣たちを発見した場合、まずはキマイロンの部隊が率先して交渉を試みるが、虚無の軍勢との交戦中により急を要する場合、飛行能力を持ち、機動力にも長けている巨神機トールの部隊が先に外敵を撃退する。これにガラールたちの協力によって張り巡らされた情報網が加わり、連携が展開されていた。

 

 今、巨神機トールは神機レーヴァテインと並んで飛び立ち、次なる目的地へと急いでいた。

 

 ガラールから送られてきた情報によると、これまで観測されたことのない膨大な熱量が辺境の雪原地帯に出現したという。本来なら、正面からぶつかるのは危険な相手として避けねばならなかったが、近隣の地域には今もなおゲリラ戦を展開して抵抗し続けている獣たちがいることも確認されており、居てもたってもいられなくなったトールは現地へ直行した。

 

 トールは、かつて自分が戦ってきたこの世界の獣たちを救うことこそが自分の使命であると自負していた。ロキに言われたからではない。己が打ち倒した、岩と化した像たちの魂の叫びを聞いたことが、トールの信念の源であった。

 

 金属のような光沢と重い質量を伴った氷雪が、飛行するトールとレーヴァテインの全身を打ち付ける。それでも二体の装甲に傷をつけることは無かったが、これから救うべき獣たちもこれに身をさらされているのだと思うと、心に刺し入るものがあった。

 

 かつては鋼人スルトとしてこの世界の住民を相手に戦っていたレーヴァテインも、トールと行動を共にしているうちに、獣たちに対する情愛に似た感情を持つに至っていた。

 

 今にして思えば、何故自分たちと同じ感情を持っている生命たちを踏みにじり、その者たちの生きる社会を滅ぼそうとしていたのか。考えるだけでもかつての戦いが恐ろしいものに感じられる。

 

 そして、現在交戦中の虚無の軍勢。

 

 お互いに理解し合えないという点ではかつての機械と獣の戦と似ているが、連中の本質が真に【虚無】なのだとしたら、この戦いはもはや避けては通れるものではない。

 

 これまでの戦いで、虚無の軍勢の大部分を構成する虚無の騎士と盾竜の詳細が分析され続けてきたが、かの者たちの内面を知ることはできなかった。

 

 それは獣たちとの交戦では疎かにされていたことであり、その際の教訓を活かしてのことであるが、敢えて判別できたことを上げるならば、連中には感情というものが一切見受けられない、というものであった。

 

 以前、レーヴァテインも対峙したことのある虚神や神将とは対話も可能であったが、どうやら虚無の軍勢は完全な傀儡と化している兵力で以てこの世界を攻めているらしい。だとするならば、一切、交渉などの通じる相手ではないことになる。

 

 前方に、五角形の結界によって守護された砦が見えてきた。まだ自分たちが侵略者であった頃、千年雪の尖塔を発見した偵察機マグニとは別に行動していた部隊が発見した経緯のある、氷の姫君たちの拠点。既に打ち捨てられていたため、調査を打ち切り、放置していた場所であるのだが――。

 

「来たぞ。この反応……奴らだ」

 

 後方で随行しているフィアラルが叫んだ。それと同時に、砦の付近の上空で大きな次元の歪みが生じた。

 

「凄まじい熱量だな。我々を軽く凌駕している」

 

 レーヴァテインが武者震いをしているかのように、流動体となっている全身を震わせた。

 

「ああ。だが、やらねばなるまい」

 

 トールが決意を露わに、己の内に秘めていた熱量を高めていった。

 

「……そうだな」

 

 トールに呼応し、レーヴァテインは自らを剣へと変形させ、トールの腕と一体化した。

 

「総員戦闘態勢。それから別動隊のキマイロン殿にも連絡を。住民の救助は彼らに任せ、我々は五角形の砦の防衛を優先し、敵を迎え撃つ」

 

 出現する虚無の軍勢を前に、合戦の火ぶたが切られようとしていた。

 

 

 

 先に帰還した獣たちとは入れ替わりに歩哨に出ていた獣が大急ぎで戻ってきた。何事かと駆け付けたビアンコたちであったが、すぐに状況を理解した。

 

 上空の空間が大きくねじれ、そこから異質な波動が伝わってくる。その波動が己という存在の一番深くに入り込み、内から存在を否定されるかのような衝動にかられた獣たちの嗚咽にも似た鳴き声が木霊する。

 

「静まれ。取り乱したりすれば、奴らの思うつぼだ」

 

 駆けだすビアンコ。慌てた獣の一体が、呼び止める。

 

「ビアンコ殿。どうされるおつもりで」

 

「知れたこと。侵略者どもから与えられたこの機械の力で……奴らを迎え撃つ」

 

「し、しかし……」

 

「お前たちも感じただろう、これまでとは比べ物にならない程の連中の力を。歌声のないこの砦では持ちこたえることなど不可能だ……私が時間を稼いでいる間、お前たちは同胞たちを引き連れ、遠くへ避難するんだ」

 

 歪みに耐え切れなくなった空間が割け、そこから巨大な影が蠢きながら実体化していく。その影から直接放たれた放たれた衝撃波が砦の結界を構成する発光する球体の一つに当たった。球体は一瞬で砕け散り、結界が急速に薄れていった。

 

 衝撃波によって引き起こされた振動は砦全体を襲い、獣たちを包んでいた加護が急速に失われていくのを、誰しもが理解していった。

 

「急げよ……。私は、行く」

 

 意を決したビアンコは結界の外へと飛び出し、背後から聞こえてくる同胞の声を振り切り、次元の歪みの下方へと駆けた。

 

 上空には銀色の両翼を広げる、獅子とも狼ともつかない巨躯の機神獣が姿を現していた。

 

「今度は我らの同胞に酷似した怪物か……。しかし、敵であることに変わりはない」

 

 ビアンコは背中に備えられた二つの銃を異形の怪物に向けると、熱線を発射した。放たれた熱の帯は巨大な機神獣を正確に狙い撃ったが、機神獣の前に出現した透き通った氷壁によってかき消されてしまった。

 

(ほう。我が傀儡から逃げ続けてきた臆病者しかいないのかと思えば、真っ向から挑んでくる者がいるとはな)

 

「なんだと。貴様は……」

 

 脳裏に直接伝わってくる意思に、ビアンコが驚愕する。

 

(その勇気は褒めてやろう。だが、その無謀は哀れんでやろう。……さあ、勇敢にして愚かな戦士よ、【虚無】へ還るのだ)

 

 機神獣は両翼を羽ばたかせると、地上へと舞い降りた。剛腕な四肢によって大地が踏みしめられると、地上を破壊の波動が伝わり、凍り付いた地面が音を立てて崩れていった。

 

「うぬ」

 

 ビアンコは素早い身のこなしで崩壊していく氷塊を足場にしながら飛び回り、相手を翻弄するかのように背後へと回った。機神獣の赤い輝きを帯びた眼光がビアンコの後を追い、滅びの光が放たれる。

 

「うぐ……」

 

 寸でのところで直撃を回避したビアンコであったが、光がビアンコの身体をかすめ、胴体を大きくえぐり取られた。

 

 かつての獣であった頃のビアンコであれば、この一撃が致命傷となっていたであろう。だが、侵略者のもたらしたナノウィルスによって変化した機獣の身体は、まだビアンコの戦意を失わせないだけの熱量を全身に送っている。

 

 ビアンコは重傷を負いながらも、まだ残っている己の痛覚をこらえながら、機神獣を睨んだ。隙あらば飛びかかろうという構えであるが、眼前の異質な怪物の気配を探り取ることは到底かなわず、攻め込む機会をうかがい知ることはできない。

 

(新手も来たか。こうも続々と猛者が集うとはな……好都合だ)

 

 機神獣の言葉が何を意味しているのか、即座には呑み込めなかったビアンコであったが、間もなく遠方から急接近してくるもう一つの巨大な影の存在を察した。

 

「あれは……侵略者だと。ぐ、おのれ、この上敵の増援が来るなどと」

 

 ビアンコが見たのは飛行する巨神機トールの姿であった。巨神機トールは己と一体化した流動体の猛る剣を振り上げると、大きく一閃させた。

 

 熱風が空を割き、氷雪を吹き飛ばしながら接近する。ビアンコは何とか踏ん張っていたが、気を抜けば巻き込まれそうな勢いであった。

 

 機神獣が大きく飛翔した。その場に残されたビアンコは何事かと上空を見上げる。巨神機の放った熱風を回避した機神獣が、そのまま突進してきた巨神機とぶつかり合い、壮絶な格闘戦を繰り広げていた。

 

「なん……だと。奴らが争っているのというのか」

 

 茫然となって上空の激戦を見つめるビアンコ。ふと、遠方より、何者かが近づいてくる気配を感じた。ビアンコがそちらを見やると、疾走する一体の獣の姿が映った。

 

 

 

 虚神との交戦は、トールとしても初の体験であった。敵はまるで値踏みでもしているかのように、トールの装甲の至ることを強靭な爪と尾で斬りつけた。その度に、砕け散ったトールの装甲が風に呑まれ、宙へと飛散していく。

 

「ぐ……おのれ。このトールを弄ぶとは」

 

 トールは激しい怒りの衝動にかられ、手にしているレーヴァテインに力を込めると、機神獣の胴体を突き刺そうとした。刃は軽々とかわされ、むなしく空を切った。

 

「トール殿。冷静になってくれ。奴は歌声と氷の魔女ヘルの力を得たヴァルハランスでも勝てなかった相手だ。不用意に近づけば、こちらがやられる」

 

 レーヴァテインの声が木霊する。

 

「……ああ、すまぬ」

 

 そう言うトールであったが、機神獣の動きはまるで捉えようがなく、その後も相手の攻撃を受け続け、翻弄されていた。

 

(現状の機械どもの最高戦力とも呼べるトール。それがこの程度か。……ならば、早々に終わらせるとしよう)

 

 機神獣が一気に高空へと飛び立った。あまりの速度に、トールでも追いつけない。

 

(消えろ)

 

 機神獣が赤い光を雨のようにまき散らした。赤い光はトールの硬い装甲を次々と貫通し、その浮力を奪う。飛行できなくなったトールはそのまま墜落していった。

 

 光は尚も降り注ぎ、五角形の砦にも命中した。弱まっていた砦の結界は立ちどころに消失し、建物全体が轟音を上げ、崩れていく。

 

(く……砦が。この世界の同胞たちが……)

 

 トールの思考が眼前の惨事に狂わされていく。トールはかつてない恐怖を味わわされていた。

 

(これが恐怖。この私が……このような感情を覚えるとは) 

 

 眼前の敵にはまるで歯が立たず、護ろうと誓ったものは容易く壊されていく。トールは途方もない無力感に襲われていた。

 

 

 

 

 音を立てて崩れていく砦。ビアンコは愕然となった。一瞬の間の後、我に返ったビアンコは急いで破壊された砦の方へ疾走した。

 

「誰か。誰かいるか」

 

 廃墟と化した砦の跡に、ビアンコの声が虚しく響く。一帯は今もなお滅びの波動に満ちており、この場にいてはビアンコの身体も分解されかねなかった。

 

「ビアンコ殿。ここは危険だ。急いで退避しなければ……」

 

 そう声をかけたのは、鎧装獣キマイロンであった。つい先刻、キマイロンは上空の巨神機が友軍であることをビアンコに伝え、共に虚無の軍勢と戦う同志となって欲しいと交渉を試みていた。その矢先に、虚神の放った滅びの光が砦を貫き、破壊したのだ。

 

「し、しかし。ここには仲間たちが」

 

 言いかけたビアンコは、傍らに転がっていた獣の亡骸を見て、言葉を失った。その獣はほとんど原型を留めてはおらず、見ている傍で黒く変色し、ぼろぼろと崩れていった。

 

「このままではあなたも【虚無】に呑まれる。ビアンコ殿、早く戻ってくれ」

 

 キマイロンの声を聞き、ビアンコは黙ってうなずくと、徐々に形を失っていく瓦礫の山から退いた。

 

「あれがキマイロン殿の言う【虚無】の神の力なのか……。失った、何もかも。それも、一瞬で……」

 

 今まで護ってきたものが刹那の閃光ですべて消えた。ビアンコの虚脱感は、キマイロンにとっても痛いほどよくわかった。キマイロンもまた、多くの仲間と、故郷である鋼葉の樹林を失ったのだから。

 

「私も……【虚無】の神の実物と対峙するのは初めてだが……機械たちの話によると、奴は、歌姫が立てこもっていた千年雪の尖塔も【虚無】で呑み込んだそうだ」

 

「あの塔も。すると、砦を選ぼうが、塔を選ぼうが結果は同じだったということか……」

 

 ビアンコの相貌が、みるみるうちに絶望に染まっていく。

 

「……だが、歌姫は機械の船に乗り込んで、生き延びた。我々には、まだ希望が残っているのだ」

 

 キマイロンがビアンコに言い聞かせたが、ビアンコの内を占める暗い感情を払拭することは叶わなかった。

 

「機械……かつてそうなるべきでは無かった侵略者の手の内に歌姫が居る。……もし、これが侵略者の術中だとしたら」

 

「ビアンコ殿。先も話したが、彼らはもう侵略者ではない。今では共にこの世界のために戦う同志なのだ」

 

「…………」

 

 ビアンコは未だに機械と姫君たちが手を組んだという話を信じ切れていなかった。つい最近までは同胞の命を奪ってきた機械たち。それが今では仲間になったなどと言われても、すぐに納得できる筈もない。

 

 それでも、キマイロンはビアンコに機械と協力し、分かり合う道を選んで欲しかった。

 

 キマイロンの脳裏に、最期まで機械との共存を拒み、【虚無】に呑まれる道を選んだエンペラドールの姿が浮かぶ。あのような悲劇もまた、繰り返してはいけないのだ――キマイロンは心の中で己に言い聞かせる。

 

「……すまない、すぐに、信じることはできない。考える時間をくれ」

 

「わかった、ビアンコ殿。だが、今はまず安全な場所まで避難することが先決だ。間もなく、私と行動を共にしている同志たちも駆け付ける。急いで合流し、一旦退こう」

 

 ビアンコは黙って頷いた。

 

 

 

 重傷を負ったトールの姿と、救うべき獣たちの全滅を目の当たりにし、後から追いついてきたトールの指揮下にある機人や神機たちの誰もが、決定的な敗北を悟った。

 

 しかし、事態は思わぬ展開を見せる。

 

 再度、虚神から滅びの光が放たれようとした刹那、彼方から、歌声が響いてきたのだ。

 

 声はその場に居合わせた機械と獣すべてを護る盾となり、虚神の光を弾き返した。さらに、傷つき、倒れていたトールに活力が注ぎ込まれる。

 

 トールは立ち上がった。その手には、膨大な熱量を迸らせるレーヴァテインがしっかりと握られている。

 

「こ、これは……」

 

 レーヴァテインは己の内から漲って来る力に驚いた。

 

(ロキは言っていた……俺の内には、ヘルの魔力の残滓だけでなく、ヴァルハランスの魂も宿っている、と)

 

 レーヴァテインは共に戦ったヴァルハランスの魂の波動を思い出していた。そして、その波動と一体化し、【虚無】の神と戦った、あの時の感覚を。

 

「トール殿。勝機はあるぞ。歌姫の加護がついていれば、あるいは」

 

「……ああ」

 

 トールも初めて歌姫の加護を受けたことで、レーヴァテインの言っていることが決して希望的観測などでは無いと理解していた。先ほどまで【虚無】の神との実力の差を見せつけられて戦慄していた己の感情が嘘のようであり、今なら【虚無】の神とも対等に渡り合える――トールはそう直感した。

 

「トール殿、我らもお供いたします」

 

 神機ミョルニールたちがトールを護るように周囲を浮遊する。

 

「……うむ」

 

 トールは左手で一体のミョルニールを掴み、握りしめた。掴まれたミョルニールは変形し、大帝の雷としての役目を体現する。

 

 右手には神機レーヴァテイン、左手には神機ミョルニール。武器を構えたトールが蘇った浮遊能力で以て飛翔し、機神獣を目掛けて突っ込んでいった。

 

 トールの後ろから、護衛のミョルニールや機人たちが次々と飛び立つ。皆、歌姫の加護を受け、【虚無】との戦いに勝機を見出していた。

 

 襲い掛かるトールを、機神獣が真正面から迎え撃つ。さらに、機神獣の背後から複数の盾竜イージ・オニスが飛び出し、トールの周囲にいる者たちに奇襲を仕掛けた。

 

「皆の者。取り巻きは任せた。私は、こいつを」

 

 トールは一直線に機神獣へと接近し、レーヴァテインを一閃させた。それを回避する機神獣。透かさず、変形したミョルニールにありったけの熱量を込め、投げつけるトール。ミョルニールは機神獣の胴体に直撃し、ブーメランのように回転しながらトールの手元に戻ってきた。

 

(歌声が加わっただけでこれほどのものになるとはな……)

 

 機神獣の双眼が、トールを見抜く。

 

(それだけではない……歌声に呼応し、散っていった多くの魂が集約している)

 

 そのことに気づいたのは機神獣だけではない。周囲で戦うトールの同胞たちもまた、トールに宿る多くの魂の残像を見た。

 

「こ、これは……ヴァルハランス殿」

 

 フィアラルが呟いた。

 

 フィアラルは鎧神機ヴァルハランスとの直接の面識はなかったが、後方で新兵器の開発に従事する者の一人として、後にヴァルハランスとなる者へ贈られる筈だった武装の身体を見知っていた。

 

「まるで……現実に戦場で戦うあの者の姿を目の当たりにしているようだ」

 

 ヴァルハランスの魂はレーヴァテインに宿り、トールへと受け継がれた。その場にいる誰もが、そう確信した。

 

 猛威を振るうトールを前に、押され出す白き神。ヴァルハランスの素早さとトールの力強さが合わさり、歌姫の加護が強まったことで、その力は【虚無】の神を上回る勢いであった。

 

「ここで、終わりにしてやるぞ、【虚無】の神よ」

 

 勢いづいたトールが機神獣へと連撃を浴びせ、その装甲と翼を傷つけていく。

 

 しかし、劣勢に回ったかに思われた機神獣は、トールに向かって哄笑を浴びせる。

 

(大したものだな、歌声の力というものは。改めてよくわかったわ、お前たちの頼りの命綱というものが、な)

 

 機神獣の後方に大きな次元の歪みが生じる。【虚無】の神は逃げようとしている――そう直感したトールは急いで追い打ちをかけようとした。

 

(ひと時の勝利に酔いしれるが良い)

 

「貴様」

 

 トールが全力を込めたレーヴァテインとミョルニールで機神獣に突きかかったが、横から飛び出してきた盾竜の群れによって阻まれてしまう。

 

(……間もなく、世界が終わる)

 

 機神獣はそう言い残すと、歪みの中に入り込み、跡形もなく消え去った。

 

 トールは破壊されて墜落していく盾竜の残骸には目もくれず、【虚無】の神が消えた空間を睨みつけていた。

 

 トールは疑念を覚えていた。あまりにもあっけない、【虚無】の神の撤退。もしかすると、何か別の目的があったのだろうか。

 

 その時トールが感じた疑念の答えが出るのは、それから間もないことであった。

 

 

 

 南の戦士と呼ばれていた、岩と化した像たち。トールによって破壊された彼らの残骸は、今もなお凍り付いた荒野の風にさらされていた。

 

 その残骸の中で立ち上がる、一つの獣の姿があった。全身機械と化した、緑色の像。その像は、南の戦士の一員であった。

 

 他の者たちは、侵略者のもたらしたナノウィルスによって岩のような身体になってしまった一方で、その者は環境の変化に適応しきれずに、他の戦士から守られながらも苦しみ続けていた。

 

 その後、過去のトールとの戦いで巻き添えを喰らい、力尽きた筈であった。しかし、今、再び満ちた活力を伴い、自分の足で大地に立つほどにまでなったのだ。

 

 機獣と化した像は理解していた。彼方から響いてくる歌声が自分に生きる為の力を、魂をわけ与えてくれたのだ、と。

 

 像は重い足取りで一歩一歩、前へと踏み出す。その足が大地を踏みしめるたびに、地の底から同胞の魂が沸き上がり、己と一体化していく――像はそう実感していた。

 

 共に戦った仲間はすべて失った。それでもまだ、戦わなくてはならない。だが、この歌声に応え、この世界の命を存続させる為ならば、それも厭わない。

 

 像は悲壮な決意を胸に、歌声に導かれるようにして、己の故郷を後にした。




関連カード

●機人フィアラル
機人。

冒頭の一文はこのカードのフレーバーテキスト。
自分の小説では、「鎧神機ヴァルハランス」の魂を受け継いだ「神機レーヴァテイン」と一体化している「巨神機トール」に、フィアラルたちが「踊る鎧神」の姿を垣間見た、という設定。

●ビアンコ・ティーガー
機獣。
フレーバーテキストは白の章第12節。
おそらく歌姫のことを指していると思われる「ガラスの女神」が砕け散り、勇者が命を落とし、多くの者たちも「虚空の渦」に呑まれた。
それら「大きな代償」によって、「虚無の神」は滅び、「この世界だけは救われた」と書かれている。
おそらく、虚神との戦いの最終局面で活躍した機獣であると思われる。

●ガドファント
機獣。
歌をなくした姫にすべてを捧げ、己の命が声に宿ると信じて戦い抜いた。
「蠢く咆哮を彩る悲痛」とあり、この悲痛は「白銀の守護者リン」のフレーバーテキストにある「ガラスが砕け散るような音が歌姫の喉から聞こえた」に関連するのかもしれない。

自分の小説では、同じ像型スピリットの「エレファンタイト」と同じ種族であったという設定。
「エレファンタイト」は侵略者のもたらしたナノウィルスによって岩のような身体になってしまったものと思われる。
その一方で、ガドファントは他の獣と同じように機獣へと変貌したという解釈。



●五角形の砦
名所千選162。
本来歌姫たちの都であった「永久凍土の王都」から住民が退避する際、ここか「千年雪の尖塔」で迷ったとある。
結局は「千年雪の尖塔」が歌姫の拠点となった為、こちらは放置されていた。
名称が「五稜郭」と似ていることに加えて、パラレル版のイラストでは「氷の覇王ミブロック・バラガン」が共に描かれており、覇王編との関連性もあるかもしれない。

本章では、かつて「妖機妃ソール」と「氷の魔女ヘル」の両勢力が争った際、氷姫たちの拠点の一つであったという設定。
「六花の司書長サーガ」が砦の管理を担っていたが、氷姫たちが「千年雪の尖塔」へ退避することが決まってから、サーガ自身も同胞を率いて塔へと移動した。
その後、侵略者や虚無の軍勢との戦いの中、落ち延びてきた「ビアンコ・ティーガー」を始めとする獣たちがこの場に立てこもっていたという展開。
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