消えゆく白の群像   作:来星馬玲

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第四十七章 虚無の意志

機人の項

 

 急ピッチで進められた機人たちの作業は功を奏した。まだ完全とは言い難いが、ブリシンガメンの首飾りの性能は虚無との戦いにおいて確かな戦果をあげているのだ。

 

 遠征に向かったトールが、その場に襲来していた【虚無】の神を撃退したとの報はただちに伝わり、敵の総大将に勝利したという事実は、機人たちの士気を大いに高めた。

 

 【虚無】の神を討伐するには至らなかったが、ソールの歌声と機械の力が合わされば恐れるに足らない――多くの者がそう信じて疑わなかった。トールの勝利は、ヴァルハランスたちの敗北で一度絶望していた者の心にまで、確かな光明をもたらしていたのである。

 

 しかし……。

 

(妙だな。腑に落ちない)

 

 歓声を上げる機械や獣たちとは裏腹に、ロキは訝しんでいた。

 

(確かに、今のトールの力は、ヘルの加護を受けていたヴァルハランスと比べても、勝るとも劣らない。スルト……レーヴァテインもまた、トールとの連携に特化させるようにチェーンアップしていた。そこに、ソールの歌声が加われば、あの時の【虚無】の神が相手であれば、十分勝機を見出せる)

 

 ブリシンガメンの首飾りの中枢のエンジンが微がうなりをあげる。傍らでは、腰を下ろして瞳を閉じたまま、ガラスの喉を休ませているソールと、ソールを労わる付き添いのマーニの姿があった。更に、そのすぐ横で休息をとっているベルダンディア。ウル・ディーネとスクルディアの姿は見当たらなかったが、その事情を、ロキは察していた。

 

(【虚無】の神。奴を倒せば、この戦いは僕たちの圧倒的有利になるはずだ。それに、セイ・ドリガン、ボルヴェルグたちの部隊が討伐に向かった白き虚竜も……)

 

 ブリシンガメンの首飾り奪還の際に敵の将を討ち取ったセイ・ドリガンは、トンビュールの複眼にとって発見された虚竜の巣へ向かっている。先の戦いにおいて、セイ・ドリガンは単独で白の虚竜を追い詰めた。結局、取り逃しはしたが、あのまま戦い続けていれば、虚竜を完全に滅ぼすことも出来たに違いない。

 

(歌姫の塔が失われて以降、僕たちは敗走を続けていたが……ブリシンガメンの首飾りの奪還を機に、一転して勝利を重ねている。確かに、それは喜ばしい事のようにも思える。……だけど)

 

 【虚無】の神の敗走は余りにも綺麗すぎた。それはトールも自覚しており、トールがロキたちへ送った通信内容でも決して警戒を怠らないようにと念を押していた。

 

 勿論、ロキも周囲の空間の変化には常に気を配っている。虚無の軍勢が出現する際の前兆は、過去のデータを元に分析すれば、それが些細なものであっても比較的容易に観測できた。あの盾竜の散発的な攻撃は見られたが、統率する者が居なければ左程脅威と呼べる程の存在ではない。

 

(うん……なんだ、あれ)

 

 ロキがいち早く察知したのは、異界の門。遠方に浮かんでいる、機械仕掛けの扉。機械たちが侵略者としてこの世界へ侵攻に利用した門と同様の物だ。

 

(門……何故……)

 

 

 疑念。門はこの世界に元から設置されている、異界との接点。閉じられている間は世界そのものの予め設定されたシステムによって、秘密のヴェールに隠されているが、それが開く際に、形を帯び、実体化する。

 

 それが表れたと言う事は、また新たな異界との接点が間もなく開くという事実を意味しているのだが……。

 

(僕の知っている門じゃない)

 

 ロキは、隣り合う世界との接点となる門の位置を、一通り分析して割り出していた。その全てを知り尽くしていると言えるほど自惚れてはいないという自覚はあったが、もしこの場にある門の位置を知らずにいたのなら、歌姫の逃走経路の確保とブリシンガメンの首飾りの奪還作戦を実行する際の事前調査で、致命的な見落としがあっても不思議じゃない程の観察不足であったと言われても仕様がない。

 

(そんなはずはない。これは……)

 

 ロキは【虚無】への勝利のための最善の手を選び続けてきたと自負していた。それが、徐々に開門していく異形を前にして、焦りに似た感情を抱き始めていた。

 

 

 

 哨戒に出ていた一羽の白鳥。風の止まった空を自由に飛び回る術を得た、鋼の翼。それが鋼の様に重い空気の層を斬りながら、一直線にブリシンガメンの首飾りへ向かって舞い戻ってきた。

 

 それまでグラン・ウォーデンの整備に当たっていた機人ガラールの眼光がその白鳥の様子を捉えると、危急の知らせに身構える。

 

 白鳥が笛を鳴らすような鳴き声を響かせるが、ガラールにはその意図がすぐには呑み込めない。周囲を浮遊していた動器たちも白鳥の声を聞いて身構え、微かな動揺も見られた。

 

「何だ、どうしたんだ」

 

 ガラールは白鳥にそう言うと、答えを求める様に周りの動器や、共に作業に従事していた機人たちを見回した。すぐに返答は得られないかと思われたが、一人の機人がガラールの傍にふわりと舞い降りる。

 

「その子が言っています……仲間を滅ぼした……唯一の希望であった方舟を沈めた……あの絶望が、舞い戻って来る、と」

 

「絶望だと……ミスト、それは確かなことか」

 

 一人の人魚型の機人……ミストはこくりと頷いた。見ると、ミストのすぐ足元には一匹の小柄な機獣が身を震わしている。

 

「ウリボーグも言っています。同胞に滅びと変容をもたらした、あの門が開く時と似ている……と」

 

「あの門……それは、我々がこの世界の侵略者出会った時に出入りしていた門のことではないのか」

 

 ガラールには事態がよく呑み込めず、その瞳の輝きは疑念に揺らいでいる。

 

「そうかもしれません。でも……」

 

 ミストはそう言いかけ、不意に違和感を感じ白鳥の飛んできた方向へ視線を凝らす。

 

「あれ……」

 

 ミストの声に困惑の色が表れている。ガラールもまた、不審げにミストの視線の先へ意識を向けた。

 

 異変。振動。空間の揺らぎ。それは門が開かれる時の事象であったが……その隙間から溢れ出る瘴気は、機械にとっても恐怖心を抱かせるに十分な代物だった。

 

「ミスト」

 

 名前を呼ばれ、後ろへ振り返ったミストの視界に飛び込んできたのは、クイーンの姿だった。

 

「姉さん……」

 

「すぐに迎撃準備に移らなければなりません。あなたなら獣達との意思疎通も速やかに行えるでしょう。……だから、急いでこのことを知らせて」

 

 ミストは一瞬、逡巡したが、怯えと怒りの入り混じった感情を堪えながらも決心を固めたウリボーグの唸り声に急かされ、すぐに決心する。

 

「はい、わかりました。……姉さん、どうかご無事で」

 

「ええ。あなたもね、ミスト」

 

 ミストとウリボーグが急いで味方へ異常事態を伝えるため、その場を後にする。

 

 暫しの間、クイーンはミストが飛び去った方を見ていたが、やがて、ガラールの方へ向き直る。

 

「翼神機グラン・ウォーデンは、まだ動けないのですか」

 

 クイーンの問いに対して、ガラールには僅かな沈黙があった。

 

「話しに聞いたところによると、この世界の獣との融合によって、翼神機は真に完成するとか……」

 

「今のままでも戦える。先に、セイ・ドリガン殿が敵の将を討ち取った際も、この翼神機の氷壁が敵の策を潰してくれたからな。ただ……まだ、然るべき魂を宿していない兵器では、その性能の半分も引き出すには至らない……か」

 

「それでは足りません。今、私たちの主力となっていたセイ・ドリガンとボルヴェルグは【虚無】の竜の討伐に向かっているのですよ。敵の規模が分からない以上……こちらも、持ちうる最高の戦力で迎撃しなければ」

 

「わかっています。しかし、この世界の住民にとっても、並大抵の覚悟では成し得ないことなのでしょう。今は、ただ信じるしか……」

 

「それはそうですが……でも……」

 

 クイーンは整備中の翼神機の姿を見上げる。神々しいくらいに整った巨躯は、あの要塞皇オーディーンと比較しても遜色ない出来栄えであった。今も、然るべき魂を宿すその時を待ち続けているようにも見える。

 

「…………」

 

 ただ、クイーンはある違和感を感じていた。翼神機の制御の要となっている冥機グングニル。それには【虚無】の影響が色濃く残っていたとされているが、現在はフレイアの魂の犠牲によって制御されているはずだった。

 

 だが……。

 

「変わっている。どうして……」

 

 遠方から発生している瘴気。それが、翼神機の内側から流れ出てくる歪な気の流れに呼応しているような……。

 

『兄弟』

 

(え……)

 

『目覚めよ、我が兄弟。今だ……今こそ……我々が為すべきことを思い出せ』

 

 驚いたクイーン。身を翻し、慌てて翼神機から距離をとる。

 

「な、なにが……」

 

 呻きを漏らすクイーンに、ガラールもまた驚愕の視線を翼神機に向けていた。翼神機の異変を感じ取った他の動器や機人たちも、急いで身構え、その後の動向に備える。

 

(申し訳……ありま……せん)

 

 その場にいる全員の脳裡に直接語り掛けてくる声。それは、悲痛に満ちている、一人の氷の姫君のものだった。

 

(【虚無】が……あの門から溢れてきて……冥機が……)

 

 冥機グングニル。それは、翼神機の性能を引き出すために活用されているが、本来は【虚無】の意志に憑りつかれた者たちの集合体とも呼ぶべき代物だった。一人の氷の姫君……フレイアの魂によって制御され、今はその能力を友軍の為に振るっていたのだが。

 

 

(あれは……【虚無】の意志。冥機と……同じ。……私たちだけでは……もう、持ちこたえ……られません……早く……翼神機の魂となるべき者たちを……)

 

 その直後。

 

 凄まじい熱量の波が迸り、ブリシンガメンの首飾りが浮かぶ空域一帯を襲った。動器たちが真っ先に吹き飛ばされ、全ての艦隊が悲鳴を上げている。ガラールは眼前のクイーンの腕を掴み、甲板に這いつくばるような姿勢になって、その場に全力で踏み止まった。

 

 クイーンが咄嗟に生じさせた防壁が機能しなければ、ガラールとクイーンも周りの動器のように遥か遠方にまで飛ばされていた事だろう。しかし、この場に残ったことが、二人にとって幸であったのか定かではない。

 

「まさか……冥機が」

 

 ふわり……と中空に舞う冥機グングニルの姿。黄土色に染まった装甲からは、得体の知れない漆黒のオーラが湧き出ており、深い深淵を覗いたガラールは思わずぞっとしていた。

 

『さあ、来るが良い。我が兄弟たちよ。歌姫はこの船に居る。奴さえ滅すれば、永遠の【虚無】は約束されよう』

 

 爆風が轟き、開きかけていた門が一気に開け放された。扉が崩壊し、数多の熱量が世界に侵入してくる。

 

「クオオオオォォォォォォォォォ」

 

 咆哮。そして、白き閃光が幾筋も放たれ……機械の艦隊のあちこちから煙が噴き出していた。

 

「くそ。虚竜だ。何故、奴がここにいるんだ」

 

 ガラールが悪態をつく。【虚無】の竜は、セイ・ドリガンたちが遠征に赴いて、遥か遠方で戦っているはずだったのだが。

 

 白き龍帝、空帝ル・シエル。その全身が今、ブリシンガメンのすぐ目の前にはっきりと顕現していた。生気のない瞳には。まるで鏡の様にブリシンガメンの首飾りの虚像がくっきりと浮かび上がっている。

 

『白の帝。奴は意識の全てを【虚無】に喰い尽くされた、いわば【虚無】の傀儡よ。故に、我と同じく、【虚無】の意志そのもの』

 

 再度の咆哮。その刹那、機械の艦隊全体に何層もの不可視の防壁が張られ、呼応するかのように歌姫ソールの声が響いてきた。

 

『今、我ら【虚無】の意志が結びつく。歌姫の守護は、その内側から崩されるのだ。【虚無】とは永久なる滅び。滅びとは、この世に残された唯一の救いの道。それを生あるものが思い通りにしようなどとは、余りにも浅はかで愚かな傲慢に過ぎない。我ら【虚無】こそが、この世界の望むべきものであると知れ』

 

 閃光。それは、存在が最期に示す、一瞬の煌き。直後、破壊された残滓は時間の止まった空へと投げ出され、無へと没していく。

 

「く……持ちこたえられぬ。皆の者、早く、迎撃せよ」

 

 ガラールは叫んだが、傍らのクイーンを覗いて、他の味方は皆吹き飛ばされてしまっていた。ガラールは覚悟を決め、己の漆黒の装甲の内側から剣と鈍器を取り出し、クイーンの前に仁王立ちとなって、二刀の武器を構えた。

 

「ガラール」

 

 クイーンの背後に感じながらも、ガラールはを微動だにしない。

 

「仲間を信じるしかあるまい。皆が、死力を尽くし、この眼前の敵と戦う……それ以外の選択肢はないのだ」

 

 ふと、ガラールはある者と視線が合ったのを感じた。【虚無】の竜ではない。その背にある、別の機械の姿……。

 

 だが、ガラールはすぐに意識を抑え、戦闘態勢に移る。

 

 途端、爆音と共に雪崩れ込んでくる盾竜の群れ。まるで、これまで近隣に身を隠していた敵の全てが、虚竜に呼応するかのように攻め込んできたようだった。

 

 状況は圧倒的に不利だった。それでも、ガラールの鋼の闘志は、揺るがなかった。

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