熱砂が吹き荒れ、中空を黄土色に染めた。血と喧騒が渦巻く中、地竜たちは大地を駆けまわる。地竜と竜人の血を貪欲に吸い尽くした大地はそれでもなお飢え、生きた竜たちに踏みつけられながらも新しい犠牲者を待ち望んでいる。ジュラには、この広い大地に支えられている世界が非情に思えた。
ジュラの傍らには、周辺の地竜たちと比べると幾分か小ぶりではあるが、逞しく発達した筋肉に覆われた、この場にいる誰よりも強い信念と活力を内に秘めた父の姿があった。ジュラの父は、幼く無力なジュラを外敵から護るべく、周囲の部下たちに指示を出しながらも、片時もジュラから離れようとはしなかった。
ジュラの両手には、まだ生まれて間もないのであろう、小さなヨロイリザドンの子供が抱えられていた。ジュラはその爬獣を何度も力いっぱい抱きしめ、言い知れぬ恐怖を堪えていた。
地竜たちが誰と戦っているのか、ジュラには見当もつかない。竜人たちがこの地竜の陣地を襲撃したことで、一時はジュラの眼の前で地竜と竜人の戦いが繰り広げられたが、今はどうも様子が違ってきている。
先ほど、ジュラの父は自ら竜人たちの本隊に攻め込むと言い、ジュラを信頼できる腹心に預け、地竜と竜人が争う激戦区へ向かっていた筈だ。その父がどういうわけか、予想より遥かに早く帰って来た。竜人たちと戦った形跡もあまり見られない。ジュラの父の部下たちは尋常ではない何かが起こったことを悟り、激しくざわめいた。父はすぐに部下たちを静まらせた。
やがて、戦場の中を一体の見慣れない地竜が横切り、父の傍らまでやって来た。その地竜の背には一人の竜人が腰を掛けている。ジュラは怯えたが、父は事情を知っているらしく、その竜人を迎え入れた。周囲の地竜たちも何も言わない。
「ディライダロス、どうであった。奴らの動きは」
父が尋ねると、竜人は厳かに口を開く。
「分からぬ。だが、何らかの変化があったことは間違いない。少なくとも、情勢は思わしくない方向へと向かっている」
「何故もっと早く気がつかなかったのだ。このままでは我々地竜の一族も、お前たち竜人の一族も、共に滅びることになる……」
「我々は焦り過ぎていたのだ。そして、あれを危惧する者があまりにも少なすぎた。私やお前がどう足掻いたところで、こうなることは避けられなかっただろうさ」
「……だが、我々は黙って滅ぼされるわけにはいかぬ。この地上に生きるすべてのものには、それぞれの護るべきものがあるのだ。私は私が護るべき者の為、戦いぬこう」
「それが、お前の護るべき者かい」
ディライダロスはジュラの父の傍らで震えているジュラの方を見やった。ジュラの父は黙って頷く。ジュラはヨロイリザドンを抱えたまま父にしがみつき、竜人の眼から視線を逸らした。一瞬だけしか見なかったが、竜人はどこか悲しい眼をしていた。
「良いものを持ったな。それに比べて、私にはこいつだけだ」
ディライダロスは、自分が跨っている地竜の頭部から首にかけて軽くさすってやった。地竜は微かに唸るような声を出したが、竜人のされるままになっていた。
遠くの方から轟音が響いた。
地竜たちはこの世のものとは思えない存在が急速に近づいてきていることを本能的に感じ取り、かつてない恐怖におののいていた。
「皆の者、直ちに引き上げるぞ。これ以上ここにいては危険だ」
父が叫ぶ。その言葉を聞いた部下の一人が恐る恐る歩み寄り、尋ねた。
「このまま敵の竜人どもに背を向けて逃げ帰っても良いと言うのですか。何の戦果も上げずに逃げたとあらば、同胞たちに笑われましょう。いや、それどころか責任者であられるあなたや我々の命も危ういかと。ディラノスの逆鱗に触れる恐れも大いにあり得ます」
だが、父は言った。
「お前たちがそんなことを心配する必要はない。黙って私に任せておれば良いのだ。心配しなくとも、お前たちの命は保証する」
ディライダロスもそれに続けて言った。
「我々竜人も速やかに撤退し、お前たちを後ろから襲うなどというまねは決してしない。このたびの休戦は両軍の指揮官が合同で決めたことだ。仮にお前たちを襲おうとする竜人が現れたなら、私がそいつの首を刎ねる」
竜人の口から出た言葉を前にして、静まっていた地竜たちが再びざわめいた。ジュラの父はすぐさま騒ぐ部下たちを制止した。
「あるいはディラノスは私の責任を問おうとするであろうが……奴と一戦する必要はない。私一人がすべての罪を被ると言えば、ディラノスも納得するであろう」
その言葉を聞いていた地竜の一体がゆっくりと歩み出た。周囲の視線が一気にその地竜に集中する。
「お言葉ですが……あなたはもっと我々を頼りにするべきだと思います。ディラノスがあなたの命を奪うと言うのであれば、我々一同、命を賭してでもあなたと共に戦いぬく所存であります」
それを聞いた部下たちの間からどっと歓声が沸いたそして口々に同意の言葉を贈った。
「お前たちの忠義は嬉しいが……同胞と戦う事態は避けねばなるまい。仮にディラノスが私の命を狙ったとしても、だ。だが、私はおめおめと死ぬつもりはないぞ。私には……」
父はジュラの方を見た。ジュラは爬獣を抱きかかえたまま、父の顔を見上げた。ジュラはほんの一瞬であったが、父の瞳の奥にある固い信念を垣間見た気がした。
「私には生きてやり遂げねばならないことがあるのだからな。それはお前たちとて同じ筈」
雲行きが怪しくなってきた。つい先ほどまで、天は雲一つない蒼穹の輝きに満ちていた筈であるのだが、間もなく雷雨が起こる気配であった。
ディライダロスが言った。
「時間が無い。私はすぐ部下のもとへ戻り、部隊を撤収させる。お前たちも遅れを取るなよ」
ディライダロスは身を翻すと、一言「生き延びろよ」と言い残し、相棒の地竜を疾走させその場を立ち去った。
ジュラは走り去るディライダロスの後姿を、黙って見つめていた。
案の定、それまで戦場であった大地に激しい雷雨が降り注いだ。乾燥していた空気はすぐに圧倒的な量の水分で満たされ、大地は血を得られなかったかわりにこの大量の水で渇きを癒すこととなった。だが、間もなく待ち望んでいた血が得られるとは、この大地も予期していなかったことであろう。
ジュラは行軍の間、一言も口を聞いていない。父は行軍を続けながら豪雨を眺め、ジュラが喋らなくなった原因であるあの日の事件を脳裏に映し出していた。
あの時もこれとよく似た雷雨であった。記憶を辿る父はあの、この世のものとは思えないほど美しい心を持った道化の存在を思い浮かべる。悲劇の記憶はその追憶にすら魔の手を伸ばし、あの道化に襲いかかるその瞬間を何度も繰り返して見せつける。
父は顔を苦痛に歪めたまま、ふとジュラと視線を合わせると、ジュラの瞳が自分の心の底まで見通していたような気がした。いや、本当にジュラは自分が考えていることを何でもお見通しなのかもしれない。そう考え、ジュラを心配させている自分を恥じた。
最初にそれに気づいたのは誰であったか、ジュラは覚えていない。ただ、あちこちから異変に気がついた地竜たちの鳴き声が木霊し、すべてがあの悲劇へと収束していったことは分かる。
この広大に広がる平原に生えた年老いた樹の一つに閃光が落ちた。閃光を受けた樹は、その瞬間己の生命が尽きたことが信じられないとでも言うように炭化したままゆっくりと割れていき、やがてずしりと大地に横たわった。
空を真紅の稲妻が通り過ぎた。それと共に周囲へ向かって閃光が迸り、大地を突き刺した。地竜の間から悲鳴とも怒声ともつかない声が錯綜する。刹那の閃光が地に落ちる度に、大地に黒焦げの竜の亡骸が一つ、また一つと増えていった。地竜たちは怖れおののき、右往左往した。
「静まれ。この場にいても的にされるだけだ。急いで南東にある谷間へ向かう。」
父がそう言っても地竜たちは耳をかさない。言い知れぬ不安を覚え、父は傍らのジュラから離れ、慌てふためく部下たちを叱咤した。それでも騒ぎは収まらず、業を煮やしていると、重臣の一人が側に走り寄ってきて言った。
「何やら、この稲妻とも違う大変なことが起こっているのです。私の部下たちも私の言うことを全く聞こうともしません」
「何だと……」
父は絶句した。
ジュラはその存在に気づき、声を張り上げようとしたが、思うように声を出すことはかなわず、仕方なしに父の側へ走り寄ると急きたてるようにその頑丈な皮膚を掴んだ。
父はジュラの方を向くと、娘が何かを指差していることに気がつき、そちらを見やった。
「まさか……。あの時と同じ……」
天を駆ける真紅の稲妻ばかりに気を取られていたが、まさしく地上にもそれと酷似した脅威がある。それは目にも留まらない早さで地を駆け、その後に大地の竜たちの屍を築いていった。
「くっ」
父はジュラを腹心に預けると、その地上の稲妻に向かって地を走った。
地上の稲妻は一体の勇猛な地竜が向かってくることに気がつくと、すぐに応戦した。
何かが弾かれる音がし、中空を人の身の丈はあろうかというほどの大剣が舞った。
「やはり貴様か、アーケオルニ」
そこには紅い鎧を纏った人物が立っていた。その人物は持っていた大剣を手放したことで、眼前の地竜と戦う術を失い、黙って立ち尽くしていた。
「お前は、まだ懲りていないのだな。もはや情けはかけぬ。今、この場で引導を渡してくれよう」
父が無言で立っているアーケオルニに向かって剛腕を振り上げたその刹那、真紅の矢が空から落ち、父の腕を貫いた。
「ぐっ。こ……これは」
ジュラの父が怯むのを見ると、アーケオルニは瞬時に背後へと跳躍し、大地に突き刺さったままになっている己の大剣を引き抜いた。
「アーケオルニよ、危ないところであったな」
天から降りてくるもう一つの真紅の人影。それは、胡坐をかいたままの姿勢で宙に浮いており、アーケオルニのすぐ側の空中でぴたりと制止した。全身を真紅の鎧で覆った四本腕の竜人の姿。その手には、自分の背丈ほどもある漆黒の弓が握られていた。
「アーケオルニ……、何故そやつらに加担する。お前の姉の仇ではないか」
アーケオルニは大剣を構えると、稲妻の如く突進した。斬撃と強靭な爪がぶつかり合う音が響いた。アーケオルニの大剣によってジュラの父の固い皮膚が何度も斬り裂かれたが、アーケオルニの方も鎧を引き裂かれ、傷ついていく。
やがて、地竜の剛腕がアーケオルニを弾き飛ばし、アーケオルニは地に叩きつけられた。四本腕の竜人は宙に浮いたまま黙って観戦していたが、アーケオルニが倒されたのを見ると、「ほう」と感心したような声をもらした。
「許せ……アーケオルニにはこの場で永遠の眠りについてもらうしかない……ジュラの為に」
それはその場に居合わせた誰に対する言葉でもなかった。
「アーケオルニ、覚悟せよ」
地竜の腕が振り上げられる。その時、四本腕の竜人が言った。
「あれが例の娘」
四本の腕で構えられる漆黒の弓。閃光が一点に集中することで真紅の矢が出現し、狙いが定められる。
ジュラの父は驚き、その矢が向けられた先を凝視する。自分の腹心である地竜を振り解き、駆け寄ってくる最愛の娘の姿が……。
その刹那、アーケオルニが素早く起き上ると、大剣を突き出して跳びかかった。強靭な皮膚を突き破り内臓を貫く鈍い音。
アーケオルニが大剣を引き抜くと、胴体を貫かれた地竜はどうと倒れた。ジュラが駆けつけた時には、既に父親は虫の息であった。
「あ……あ……」
ジュラが呻いた。
「……あばよ」
アーケオルニが初めて口を聞くと、大剣を一閃させる。
「ジュラ……」
ジュラの父はジュラに何かを言おうとしたが、言い終わらないうちに首を切断された。首は宙を高く舞い、離れた地面にどさりと落ちた。斬られたところからおびただしい量の血液が噴き出す。
「よくやった、アーケオルニ」
四本腕の竜人は構えていた弓を下ろして言った。
アーケオルニは、地竜の亡骸の前で立ちすくんでいるジュラの前に立ち、大剣を振り上げた。ジュラはそれに気づくと、きっとアーケオルニを睨み上げる。
「よくも……よくも……父上を」
ジュラは思わずそう言葉を紡いでいた。それを見たアーケオルニは大剣を振り上げたまま動きを止め、やがて口を開いた。
「お前は……あの美しかった俺の姉の生き写しだ。荒れる心を静めさせる碧緑の瞳、真紅の髪、小麦色の肌……どれもこれも姉の物だった……」
アーケオルニの双眼かかっと見開かれる。
「だからこそ、おれは許せないのだ。その角、その額のコア、紛れも無く薄汚い竜の物だ。俺に狩られる為に存在している畜生どもの物ではないか。よくも汚してくれたものよ」
アーケオルニが大剣を持った腕に力を込めた。
「永久にこの世界から消してやるぞ」
ジュラはアーケオルニを激しい憎悪の瞳で睨む。
「黙れ。父上の仇、覚悟しろ」
ジュラはアーケオルニに対してがむしゃらに殴りかかった。虚を突かれたアーケオルニは後方に倒れた。ジュラが爪を突き出し、アーケオルニの喉元を狙って跳びかかる。アーケオルニは足を突き上げ、ジュラを蹴り飛ばした。
腹を蹴られたジュラは地面にうつ伏せに倒れた。アーケオルニはすぐさま立ち上がり、ジュラに切っ先を向ける。ジュラは黙ってアーケオルニを睨み続けた。
暫しの間、両者は黙って睨み合っていた。痺れを切らしたのか、アーケオルニの背後の宙に浮いていた四本腕の竜人が言った。
「何をしているのだ」
アーケオルニは口をわなわなとふるわせ、ジュラを凝視したまま言った。
「う……うう……み、見るな。姉上の眼で俺を見るな」
アーケオルニの全身が震える。
「アーケオルニ、早く止めをさせ。まだまだお前にはやってもらわねばならないことがあるのだ。……なんなら我がやろうか」
竜人はそう言うと弓矢を構え、切っ先をジュラの方へ向けた。それを見たアーケオルニが瞬時に飛び上がり、大剣を突き出した。大剣は鈍い音を立てて竜人の胴を貫いた。突き破られた鎧が砕け、竜人の青白い肌があらわになった。
しかし、竜人は自分の体を貫いている刃を落ち着き払った眼差しで眺めながら言った。
「……何のまねだ」
「お前は俺に指図した。それだけで、俺に斬られたとしても仕方あるまい」
「このおれを恐れぬとはな。小娘一匹に怯える臆病者といささか失望していたところだったが……やはりおれの見込んだ男に違いないわ」
異形の竜人は、素早くアーケオルニを突き倒すと、自ら剣を引き抜き、アーケオルニの足元に放り投げた。
「一旦退かねばならなくなったな。まあ、元々、我が帝は未だこの世界に順応しきれていない。今回の目的も既に達成されているしな」
竜人の体がそのままの姿勢で宙に昇っていく。
「アーケオルニ、生きていればまた会おう」
すると、天地を揺るがす雷鳴と共に真紅の巨大な龍が飛来した。竜人が龍の背に乗ると、龍は刹那の閃光の如く飛び去った。それと共に、先ほどまでの雷雨が嘘のように治まっていき、再び見渡す限りの蒼穹が現出した。
アーケオルニは黙くしたまま大剣を携えると、歩き出した。周囲には生き残った地竜たちがいたが、襲いかかれば返り討ちになることを悟っているからか、手を出そうとはしない。
「アーケオルニ。おのれ、どこへ行く。逃げるのか」
ジュラが叫んだがアーケオルニはそれを無視し、ジュラに背を向けたまま足早に立ち去っていく。
「儂はこの恨み決して忘れぬぞ。アーケオルニ、いつの日か、必ず儂がお前を殺してやる」
ジュラはアーケオルニの姿が見えなくなっても、その方角を睨み続けていた。
しばらくすると、ようやく落ち着きを取り戻した地竜たちがジュラの側へ集まってきた。心配そうにジュラの顔色を窺う。
ジュラは我に返ったかのように、周囲の地竜たちを見回し、無事だった者は傷ついた仲間に手を貸して、力尽きた仲間たちも故郷で弔うため、運び出すよう言った。
突然人が変わったかのように地竜をまとめるジュラを見て、地竜たちは、ジュラがまぎれもなくあの主君の娘であることを思い、ジュラに死んだジュラの父の面影を見た。その場の誰もがジュラの言葉に従い、一行は程なくして行軍を再開した。
ただ、父の腹心だった地竜たちはジュラを護衛している途中、ジュラの頬を大粒の涙が幾度も伝うのを見逃さなかった。
(そうだ、あの竜人……声といい、容姿といい、アポロにそっくりだ。どうして気づかなかったのだろう。まるで誰かが、記憶の一部を封印していたかのような……)
ジュラを救った地竜の一行は森で休息をとっていた。聞くところによると、ダイソウたちはジュラの捜索の為に、休まずに戦場の跡を駆け巡り、竜人の残党との衝突もあったためかなり疲弊していたのである。
ジュラは父の骨で造った形見を持ちあげて、じっと見た。傍らにいるダーナがジュラの持っている骨の鈍器を見やる。
(いや、あの記憶を封印していたのはわたし自身だ。そうでもしないと、わたしは父と母の跡を継いで地竜たちの姫として振る舞うなど、できなかった。ただ、アーケオルニが父の仇、ということは記憶に焼きつけていた。……それが今になって急に思い出されるとは)
ジュラは巡回していた見張りが、それまで眠っていた仲間と交代するところを黙って眺めた。
(アポロだ……奴の存在があの記憶の中にいた竜人を呼びさましたのだ。あるいはあれがアポロだったのだろうか。いや……)
ジュラは自分の頬に大きく固い羊歯の葉が当たるのを感じた。ジュラはその羊歯の葉を手で軽くさすり、むせ返るほどの草の匂いを嗅いだ。
ジュラにはアポロとアーケオルニの背後にいた竜人が別人である気がしてならなかった。確かに、アポロにあの竜人が身につけていた真紅の鎧を重ねれば、容姿はそっくりであるが、どこか、面影に決定的に違う何かを感じる。
(でも、アポロとあの竜人はおそらく何らかの関連性がある。そんな気がする。アポロ……やはり、あれには気を許せぬ)
ジュラが物音に気づいて振り返ると、そこから草木を掻き分けてダイソウが現れた。ダーナが微かに呻く。
「姫、そろそろ出発致しますが……宜しいでしょうか」
ダイソウは少し申し訳なさそうに言った。
「ああ、構わぬ。一刻も早く戻らねばならないからの」
ダイソウが同胞たちを呼び集める。ジュラもダイソウと共に出発の準備を始めた。
「ダイソウ……そういえば、アポロはどこにおる」
ジュラが何気なく尋ねた。
「後方で見張りをつけて休息をとらせています。大人しくしていますよ、今のところは、ですが」
「そうか」
ダイソウはそれで話が終わったと悟り、顔を前方に向けたが、急に思い出したかのようにジュラの方へ振り返った。
「姫……。あの竜人、どうにもえたいが知れません。用心するにこしたことはありませんぞ。くれぐれも今後軽々しく竜人などと関わることの無きよう、お願い申し上げます」
「……分かっておる、ダイソウ。心配をかけたな」
「いえ、お気になさらず。ただ、あの竜人に恩義があるというのが本当のことであっても、あれも所詮は竜人であることはお忘れ無きよう。ささ、皆がまっております、参りましょう」
(所詮は竜人、か)
ジュラの脳裏を、父と対等に話していた一人の敵将の姿が過った。そして、あの日、竜人たちとの戦いの途中で逃げ去った責任を取らせる為に、父の重臣であった同胞たちを処刑したディラノスとその部下たち。
そもそも、道化との混血とはいえ誇り高い地の竜の一族ならばそろそろジュラに戦場の風を経験させねばならないと言ったのはディラノスであり、ディラノスは、ジュラを大切にするジュラの父が、その愛情のあまり判断を誤るその時を待ち望んでいたのではないか。ディラノスの部下の中には当時はまだ未熟であったダイソウもいたが、彼だけがジュラに対して謝罪の意を示した。
元々、ダイソウがディラノスの下で鍛錬を怠らず、様々な危険な任務にも進んで赴き戦果を上げ続けたのは、ジュラを護る為であった。
敵前逃亡の汚名を着せられた者の娘であるジュラと、ジュラを祭り上げる多くの同胞をディラノスは快く思っていなかったが、ジュラの父の友人であるガンディノスという影の大御所がジュラを護るよう地竜全員に指示を出しており、ディラノスでさえ無視するわけにもいかず、業を煮やしていた。
それでも、ディラノスはジュラを始末するか追いだすかする機会を狙っていたのである。
ダイソウは主君であるディラノスを一族最強の誇り高い戦士として尊敬していたが、ジュラに対してそれよりも強い感情を持っていた。
ジュラは知らなかったが、ダイソウはやがてディラノスの跡を継いだ暁には、ジュラを生涯の伴侶とし、共に一族を繁栄させていくという野望を胸に秘めていた。
恐竜たちの一行は森を抜け出し、南東にある縄張りへ移動を再開した。
「オルザン、せっかく捕まえた敵の姫を取り逃すとはな」
一人の年老いた竜人が眼の前に跪いているドラグノに向かって言った。そのドラグノは、ジュラを捕らえたあのドラグノ一族の小隊を指揮していた隊長であった。
「申し訳ありません。はぐれ者などを信用してしまった私の失態です。如何なる罰も甘んじて受ける覚悟はできております」
オルザンは這いつくばると、頭を地面に押しつけながら詫びた。
「オルザン、面を上げい」
年老いた竜人が言った。オルザンは「はい」と小さく声を出すと、それに従った。
「手柄を逃したことは悪い。だが、お前には撤退する同胞たちのしんがりの役目を果たし、被害を最小限に留めたという功績がある。今回のことは大目に見よう」
「あ、有り難きお言葉」
オルザンが言った。
年老いた竜人は白く濁った双眼を光らせて言う。
「さて、オルザン、お前をここに呼んだのは他でもない、お前に新しい任務を与える為だ」
「任務、と申されますと……」
「うむ、このたび我が部下である生え抜きの祈祷師たちが、地の底で眠る古竜との交信を開始したこと、存じておるな」
「存じております」
「喜べ。我々はあの伝説の龍皇ジークフリードと、それと双璧を為す焔竜魔人マ・グーの復活に成功した。既に龍皇との交渉は終わり、わが軍に協力すると申しておる。マ・グーの方はまだ目覚めたばかりで何とも言えぬが、共に眼覚めた、マ・グーの右腕と称される焔竜翼人マ・ドーの了承は得ておる。心配はいらぬだろう」
「ジークフリードの……それにマ・グーとは……」
「お前にはジークフリードを配した一軍を指揮してもらいたい。そこにいる者と共にな……」
オルザンがはっとなって後ろを振り返ると、そこには……竜騎将ディライダロスの姿があった。
「ディライダロス……しかし、彼は」
「言うな、オルザン。確かにディライダロスは過去に雌雄を決する戦を放棄したという汚名がある。だが、あれとて理由があってのこと。それに今の我々にはこの男が必要なのだ。大将はお前だ、ディライダロスを副将としてつける。そうでないと皆が納得しないからな」
「……了解致しました」
オルザンはそう言ったが、ディライダロスを心から信用する気にはなれなかった。敵である地竜を相棒としている竜人。腕はたつが、その行動には解せないことが多すぎる。
オルザンの後ろにいるディライダロスは、無言で佇んでいた。闇夜を篝火が照らす中、ディライダロスの眼に映った炎が妖しく煌めいた。