薄暮の中の竜たち   作:来星馬玲

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四 束の間の休息

 陣地を守っていた同胞の地竜たちがジュラの帰還を目にするなり、次々と歓声を上げた。ジュラの無事を確認しようとする地竜が我先にと飛び出し、ダイソウの指揮する部隊の凱旋に集まって来る。

 

 群がる同胞をダイソウが片腕で制し、押しとどめた。

 

「姫は長旅でお疲れだ。今はお休みになってもらわねば」

 

 ディラノスの片腕と称される強暴竜の言とあっては従わない訳にもいかず、名残惜しそうに持ち場へと戻っていく地竜たち。

 

 先の竜人との戦いで勝利した地竜たちの陣地は、活気に満ちていた。強い日差しの下、高まる熱気は勇猛な戦士たちの活力を引き出させ、その場で談笑する者たちの姿は、今後も竜人との戦争が続いていくことを、ひと時であるが忘れさせてくれた。

 

 手の込んだ人工物の多い竜人の住処とは対照的に、地竜たちの衣食住は自然のあるがままの姿といえた。

 

 これまでダイソウたちの一軍が歩んできた、乾燥した荒野とは違い、地竜が拠点としている地は羊歯植物の生い茂る大分湿った肥沃な土地であり、中央にある大きな水辺が地竜たちの渇きを癒している。

 

 昨今の戦では、竜人がこの世界とは明らかに異質な技術を駆使した兵器を使用しており、その影響で自然環境が破壊され、多くの地竜が住処を追われていた。

 

 ある者の目撃例によると、竜人は世界を繋ぐ門から流れ出る異界の物体を操り、生け捕りにした竜を改造して奴隷にしているという。以前、ジュラたちを襲った機竜もまた、そうして改造された翼竜のなれの果てらしい。

 

 地竜の同胞も竜人の所業で変貌した者がおり、その者も竜人の傀儡として使役されているらしいが、未だ情報が錯綜しており、確証はなかった。

 

 何れにしても、繰り返される竜人の侵略行為は地竜の怒りを買い続け、この戦争はどちらかが完全に滅びるまでは終わらないと、誰しもが思っていた。

 

 先導するダイソウにジュラが案内された先にあるのは、巨木を切り倒して作った住居であった。屋根は樹木の葉を重ねて作られており、内部には細かな草を敷き詰めて作った寝所も用意されていた。

 

 普通の地竜であれば、こういった住居は不要であったが、道化との混血であるジュラを気遣う地竜たちが率先してこの建物を造ったのである。手先の器用な者によって細部にも気を使った工夫が施されており、竜人の住処や中立者の集まる都の住居に比べれば大分無骨ではあるものの、随所には地竜たちのジュラに対する心遣いが見受けられた。

 

「では、姫。何かあった際は護衛の者にお申し付けください」

 

「うむ。ご苦労だった、ダイソウ」

 

 そう言うジュラに対して深々と首を垂れると、ダイソウは共に行軍してきた地竜の群れを引き連れて、その場を後にした。ジュラの寝所の前には、護衛を担う橙色の硬い皮膚を持った屈強な二体の地竜、フィスドラグーンたちが残された。

 

 ジュラは屋内に入るなり、それまでずっと抱いていたダーナをそっと足元に下ろし、自由にしてやった。解放されるなり、ジュラにすり寄って来るダーナ。ジュラはそんなダーナの頭を優しく撫でてやった。

 

「ダーナ。お腹が空いているの」

 

 ジュラが尋ねると、ダーナは「きゅろろ、きゅろろ」という鳴き声で応える。ジュラは懐から燻製肉を取り出すと、それを二つに千切って、片方をダーナに差し出した。ダーナは喜んでこれを咥え、咀嚼する。

 

 ジュラは残った半分の肉を自分の口に含み、ゆっくりと噛んだ。それから室内に備え付けられている桶に入っている水を柄杓ですくって飲み、大きな木の実を削って作った容器をダーナの前に置くと、そちらにも飲み水を注ぐ。

 

 肉を食べ終えたダーナは、ジュラから与えられた水を小さな口で飲み始めた。

 

(今がもっと続いていけばいいのに……)

 

 久しぶりの静寂に包まれ、ジュラの思考はここ数日の一連の出来事を思い返していた。

 

 先の戦闘で地竜は竜人に勝利したが、その際に払った犠牲も大きかった。最初にジュラを守っていた同胞たちもあの戦いで全滅してしまったのだ。

 

 結果としては戦いに勝ったが、実際の戦局は、数の上では有利な地竜が狡猾な竜人相手に終始翻弄されていたとも受け取れる。

 

 竜人は得体の知れない不気味な技術を駆使し始めた。金属の身体を持つ竜、呪術によって蘇った骨のような怪物、本来は地竜や竜人とは異なる勢力である筈の翼持つ者たちの戦線への投入――。

 

 地竜側も負けじと空を飛ぶ種族を味方につけたが、最近の戦いでは常に後手に回っている。このような調子で戦が長引けば地竜の方が劣勢に回るのでは――そこまで考え、ジュラは己の思考を振り払った。

 

 地竜の姫として祭り上げられているジュラは、味方に対しても、常に屹然とした態度で臨まなければならない。内心では戦争に対する恐怖心などを抱くこともあったが、それを表に出してはいけないと何度も自分に言い聞かせた。

 

 ジュラはアポロのことを考えた。今回の戦でジュラを敵の陣地から救ってくれた、竜人。

 

 ジュラは他の地竜のように、相手が竜人だからというだけで嫌悪感を覚える、ということは無かった。元々、他の地竜とは違う種族が混ざっているジュラだからであったとも言えるが、そんなジュラでも仲間の地竜から受け入れられ、慕われている実情もある。

 

 それに、かつてジュラの父親が互いに見知っていた、地竜の背に跨る竜人の姿。何者であるのかは知らないが、アポロとの出会いがきっかけで蘇った封印されていた記憶の中の、ディライダロス、という名をジュラは鮮明に思い出していた。

 

(父さまは口にしなかったけど……竜人全てが敵ではないと、伝えようともしていた……そんな気がする)

 

 だが、アポロの見せた非情さはジュラの心に深い闇をもたらした。ジュラは人懐っこい鳴き声で自分に甘えてくるダーナの頬をさする。

 

(わたしの護りたいもの……)

 

 ジュラの視界にいるダーナの顔が、ディライダロスの従えていた地竜の相貌と重なって見えた。

 

 

 

 帰還したダイソウによる戦果報告を聞いていたディラノスは、些か機嫌が悪そうであった。ダイソウは、一体何がディラノスの気に障っているのかと訝しんだが、表情には出さなかった。

 

「それで、全てか」

 

 ディラノスの重々しい言が木霊する。ダイソウは一瞬ドキリとしたが、恭しく話を続ける。

 

「いえ……実はもう一つ。アポロと名乗る竜人の件なのですが……」

 

 ダイソウがアポロという名前を口にした時、一瞬、ディラノスの眼が鋭い光を放った。

 

「竜人だと……」

 

 周囲にいるディラノス直属の側近衆たちがざわついた。ディラノスは短く「静まれ」と言って腹心たちを黙らせると、ダイソウに話を続けるよう、促した。

 

「アポロはドラグノ一族に雇われていた流れ者でした。しかし、他の竜人どもを裏切り、捕らえられた姫様を救い出し、我々の元へ送り届けてくれたのです。……抵抗する素振りすら見せない竜人を、そのまま殺す訳にもいかず、今は陣地の傍で見張りを付けて、留置しているのですが」

 

 ディラノスの腹心たちが殺気立った。竜人を生かしたまま陣地の傍まで連れてきたというダイソウに対する怒りを露わにする者もいた。

 

 ダイソウもまた、アポロの件を聞けばディラノスたちの怒りを買うことは予想していたが、ディラノス自身は大分落ち着き払っていた。

 

 暴双龍の異名が示す通り、ディラノスには二つの顔が存在するが、上の顔の両眼が思案気にダイソウのことを見つめていた。ダイソウは、己の心中を見透かされているような気がして、生きた心地がしなかった。

 

「そうか、ジュラを救ったのか。それでお前は恩人に危害を加えることもできない、と」

 

「はい……」

 

 ディラノスが首にある翼のようなヒレを広げると、その巨体がゆっくりと立ち上がった。尾を上げ、前足を踏み出す。

 

「あの……どちらへ」

 

 ダイソウが恐る恐る尋ねると、ディラノスはダイソウの方を一瞥し、答えた。

 

「知れたこと。われ自らその者に会って確かめる」

 

 側近の地竜の一人がディラノスの前に進み出て、進言する。

 

「ディラノス殿のお手を煩わせるほどのことではありませぬ。ここは、わたくしが」

 

 ディラノスは眼前の部下に向かって、剛腕に備えた鋭い爪を突き付けた。驚いた側近の地竜が思わず言葉を失う。

 

「邪魔をするな。アポロという者の件。興味があるのだ」

 

 ディラノスの発言が意外であったので、周囲にいる地竜たちが再びざわめいた。それらはディラノスの一睨みで静まり返ったが、誰もが内心燻ぶるものを隠し通すことはできなかった。

 

 ダイソウとて、ディラノスの言っていることは予想外であった。ディラノスの性格であれば、今すぐアポロを見せしめのために処刑するように言ってきても不思議ではなく、下手をすれば、ディラノスの右腕として信頼を勝ち得たダイソウですら、処罰の対象になっていたのかもしれないのだ。

 

 その場にいる誰もが、圧倒的な気迫を放ちながら悠然と歩みを進めるディラノスに対してそれ以上声をかけることもできず、黙って見送った。

 

 

 

 ジュラは住居の中で物足りなさそうにしているダーナを連れて、屋外に出ていた。護衛を心配させるわけにはいかなかったので、住居から遠く離れることはしなかったが、ジュラの手を離れたダーナは、嬉しそうにジュラの傍を駆け回っていた。

 

 ジュラもまた、緑の香る新鮮な空気を大きく吸い込んで、身体にたまっていた疲労感を癒していた。

 

 ここ最近はかつての戦場での行軍が続いており、血と腐臭の入り混じった臭いを嫌というほど嗅いできた。それがこうやって安心できる地に帰ってこれたことで、身も心も洗われるようであった。

 

 護衛のフィスドラグーンたちは、緑の合間を嬉しそうに駆け回る爬獣の姿と戯れるジュラを眺めながら、彼女がこうして無事に陣地内にいる喜びをかみしめていた。ダイソウによって指名されたこの地竜たちは、ジュラに対する特に深い忠義を持った戦士であり、ダイソウも安心して敬愛する姫君の警護を任せることができたのだ。

 

 ふいに、重々しい気配を感じ取ったジュラが動きを止めた。ダーナがジュラの元に駆け寄ると、心配そうに彼女の顔を覗き込む。

 

「ディラノス」

 

 ジュラは思わずその名を口にしていた。見ると、陣地内を一人で横切っていく、ディラノスの巨体が視界に映った。ジュラには、ディラノスの向かう先の予想はついていた。

 

「あっちは、アポロのいる方……」

 

 身を乗り出してディラノスに近づこうとするジュラ。しかし、護衛のフィスドラグーンたちが彼女を押しとどめる。

 

「姫。まだ十分にはお休みになられていないでしょう。遠くへ行くのはお控えください」

 

「でも……」

 

「……姫。迂闊なことをすれば、あなた様とて、ディラノス殿の怒りを買うかもしれません。我々は皆、あなたを失いたくはない……」

 

「…………」

 

 ジュラはフィスドラグーンの言葉を聞いて、ダイソウがジュラに護衛をつけたより深い意味を悟った。

 

 ジュラは地竜の中でも高い地位にあると言えたが、それはジュラの亡き父を慕っていた者たちや、影の大御所たるガンディノスの存在があるからこそ。元々ジュラの父とは折り合いの悪かったディラノスは、そのことを快くは思っていない。

 

(アポロ……あやつ、ディラノスに)

 

 ジュラの脳裏に、ディラノスによって処刑されたかつての父の忠臣たちの生き様がよぎる。あの時、ジュラはディラノスの暴挙を止めたかったのだが、下手に手を出せばジュラの身にも危険が及ぶとして、忠臣らはジュラの関与を拒否し、進んで犠牲になっていったのだ。

 

(あの時と同じだ……)

 

 おそらくディラノスは、自らの手でアポロを始末するつもりなのだろう。ジュラはそう思い、敵の竜人や戦犯を犯した同胞の地竜を処刑する時に見せる、ディラノスの残忍で狡猾な態度が頭から離れなかった。

 

「姫。何が起ころうと、ディラノスには決して手をお出しにならないよう……」

 

「……わかっておる。心配は無用じゃ」

 

 ジュラはそう言うと、ダーナを安心させようと、その爬獣の頭部をさすってやった。ダーナは嬉しそうに「きゅろろろ」と鳴いて応えてくれた。

 

(そうだ、アポロはダーナを見捨てて逃げようとした……今更あいつがどうなろうと、知ったことではない……)

 

 そう思い込もうとするジュラであったが、内心、沸き起こって来るアポロの身を危惧する思いを無視することはできなかった。

 

 自然と、陣内全体に殺気めいた空気が流れている風に感じられる。今という平穏な時間もそう長くは続くまい。

 

 事実、その頃の竜人たちの動きはより活発になっており、次なる戦いで敵対する地竜を根絶やしにしようという思惑が現実のものになろうとしていた。

 

 この場にいる地竜たちはその動向を知る由もなかったが、間近に迫った新たな戦争の到来を本能的に感じ取っている者も少なくなかった。

 

 間もなく、赤き世界をより深い血で染める戦いが始まろうとしていた――。

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