#1 祈り
1月19日日曜日、とあるライブ会場の楽屋内。そのアイドルは髪をセットされながら、スタイリストと会話をしていた。
「ライブも残り1週間、ラストスパートだねがるるちゃん!」
「ですね〜! あ、よこさんだ。ちょっと電話出ますね」
アイドルはスマホの通話ボタンを押すと、画面の向こう側にいる事務所のスタッフに向かって「もしもしー?」と明るく話しかける。
『もしもしルル?』
「よこさんお疲れさまです!」
『君の私物、ようやく全部まとめ終わったよ。今個人倉庫に向かってるとこ』
通話音からは車のウィンカーを出す音が聞こえる。向こうの話し声は普段通りだが、カッチカッチという小気味良いリズムが微妙に苛立ちを表すような音にも聞こえて、"ルル"と呼ばれたアイドルはつとめて明るく振る舞った。
「わー、ありがとうございますー! 急に無理言ってごめんなさい」
『本当だよ。アレのせいっていう気持ちは分からないでもないけど、普通3日じゃ終わらないからね』
「へへ、よこさんならイケると思ったので。
でも本当助かりましたー!」
『まったく……けど、本当に倉庫で良いの? 明日も使えば大きい家具もまとめて引越し先に運べるけど』
「
軽い調子だが意味深な言い方をしたルルに、スタッフは何かを感じ取る。
『……明日なんかあるの』
「……多分ですけどね。
とりあえず服と電子機器と食材あたりだけでOKです。ぶっちゃけ引越し先まだ決まってないので」
『は? それ初耳なんだけど。
帰って来た時どうす……いやそもそも倉庫使う意味ある?』
「ありますよ。28日はホテル予約したので大丈夫です!
あ、あとよこさん、倉庫行った後は長居しないで帰るか、泊まるにしても
『何それ怖いんだけど。
いやルルの勘は怖いくらい当たるからなあ……今日は終わったら直帰コースだわ。そろそろ倉庫着くから切るよ』
スタッフとの通話後、ルルはにっこり笑ったままスマホをテーブルに置くと、勘じゃないけどね、と心の中で呟いた。
『我々は今まさに「戦力」を求めている』
『「責任」とか言われるまでもない。当たり前のことです』
「うわー、どの局もこの会見だ。当たり前かあ……」
TVのチャンネルを変えながら驚くと、彼女はルームサービスの和朝食に手をつけた。
1週間ほど前から、TVやネットなどの各メディアはこの話題で持ち切りだった。
ここ三門市には、約4年半前に設立された、
設立の少し前に、市は突如異世界から現れた侵略者により、1,200人以上の死者と400人以上の行方不明者を出すという、大規模な被害を受けた。その一大事件は第一次
会見というのは、昨日行われたボーダーによる防衛戦の結果報告のことである。先週の1月20日月曜日、三門市は二度目の大規模侵攻にあったからだ。
「みんなに聞いたら詳しいことわかるかな……」
ルルは朝食を食べ終えると、ホテルをチェックアウトして学校へと向かった。
三門市の中でも特に校則がゆるいと言われる市立第一高校には、様々な髪色の生徒が通っている。茶色・オレンジ・金、もっと細かく言うと、ベージュ系にアッシュやグレーなどを混ぜ合わせた髪色の生徒たちが校内を占めていた。
中でもルルは、その生徒ら以上に極めて派手な髪をしている。
毛先に向かって濃い青のグラデーションを彩った水色の髪に、前髪の毛先だけはピンク。肩先まで伸びたゆるふわツインテールを揺らしながら、彼女は教室の扉を開けた。
「あ〜、がるるちゃんあけおめ〜」
「
がるる、というのはルルの愛称で、本業でも使用しているものである。
柚宇ちゃん、と呼ばれた女子生徒——
二人が両手を重ねて小さな花を散らすようにしてにこにこし合う中、側に座る別の女子生徒がつっこみを入れる。
「あけおめって……もう1月終わるじゃない」
「あっ、
ルルが挨拶すると、その生徒——今
「だって、がるるちゃんに会うの1ヶ月? ぶりくらいだよね?」
「去年の終業式以来だから、そうだね」
国近の言葉にルルはうんうんと頷いて返事する。結花はそういえばそうだったわ、とおかっぱに切り揃えた黒髪を揺らした。
「ライブで全国回ってたのよね」
「そう! 『雑賀冬の陣〜出るのはアルバムか三段撃ちか? え? 三段撃ちは物理的に不可能? そんなことよりがるるといっしょにあけおめめしましょ☆ らいぶ』だよ」
「長い」
アイドル特有のポーズをあれこれきめながら言うルルに、結花は簡潔につっこむ。
「ライブおつ〜」
「おつあり〜」
ふにゃ、と笑う国近と一緒の顔を見せた後、ルルはでも、と二人を見つめる。
「二人、っていうか、みんなの方がおつだったでしょ?」
昨日の記者会見、今朝も見たよ、と加えると、国近と結花は一瞬顔を見合わせた。
「最初の時の8倍だったんだよね、近界民の数。すごいね」
「うん。ゆうてわたしたちはオペだし、戦闘員のみんな程じゃないけどね」
「そうね」
ルルが「オペ?」と首をかしげていると、3人の会話を軽く聞いていた男子生徒——
「お? 俺の話か?」
「ちがうよ」
女子たちのハモり声に、当真は「冷てーな」と傷ついたような顔をして、両手を頭の後ろで組む。
「じゃあ当真くんは戦闘員なの?」
「おーよ。俺はこれな」
当真は
「オペはじゃあ、戦闘しないIGLみたいな? CoDみあるね」
「でもあるけど、画面越しで支援してくからTPS目線だね」
「それで複数管理してくってこと?」
「当真くんは狙撃手だけど、近接メインの人たちが多いから、そこに無双とか狩りゲー要素も足す感じかな〜」
「展開早い近接加わるとか、それめちゃくちゃ忙しくない?」
「慣れれば
「オペレーターえぐいの……戦う人たちもだけど、ボーダーってすごいんだね」
「ふっふっふ」
国近とルルが会話する間、結花と当真は「何の話?」「ゲームに例えてんな」と話している。
ルルは再び3人に向き直ると話題を戻した。
「しかもこれから近界民の世界に行くんでしょ? 準備とか試験とかもあって、もっと忙しくなりそうだね」
そうだろうなと3人が頷くのを見て、ルルは空を見上げるように遠くを見つめる。
「あっちの世界ってどうなってるのかな……やっぱり大っきい近界民がたくさんいるのかな?」
「さあ、私も知らないわ」
「そうなの? 誰も知らないの?」
ルルは国近と当真にも目線を送ったが、二人とも黙って首を横に振るだけだ。彼女はそっかあ、と半ば残念そうな顔をした。
「会見でも言ってたろ? 無人機の試験は成功したっつって。知ってんのは上層部とかぐらいじゃねーの」
「そうだったっけ……てっきりもうみんな行ったことあるのかと思ってた」
そう言ってルルはにこりとする。ほんの一瞬だけ間があった後、当真が再び口を開いて話題を変えた。
「つーかおまえ、やけに聞きたがんな。今まで興味なかったくせに」
「そんなことないよ。でも先週からずっと話題だったし、昨日ので更に注目浴びたでしょ。聞くタイミングも良いかなって」
「まさか入隊すんのか?」
えっ、と驚いた顔を結花と国近に向けられ、ルルは両頬に手を当てながら少し恥ずかしそうにした。
「んん〜興味はあるけど……特に大きな目的もないのに入隊するのって良くないかなあって」
「いやあるだろ」
きょとんとしたルルに当真は続ける。
「被害は少なかろうがボーダー内に死者が出てんだ。でけえ目的でもなきゃまず志願しねーだろ。この時期に興味だけで入るとか相当アホなんじゃねーの?」
「当真くん言うねえ〜。さすがサイドバックリーゼント」
「それ関係あるか国近?」
呼ばれた彼女がやんわりと頷く横で、「私ほめられている……!?」「喜ぶところじゃないでしょ」と、ルルは結花につつかれた。
「まあ、興味が遠征にあるならそれも立派な目的かもな」
「遠征自体には興味ないよ」
ルルはにこやかながらも強めに彼へ返事した後、肩をすくめた。
「お仕事できなくなっちゃうしね。
だがこのムーブにのっからない手はないと思うのもまた事実——」
「がるるちゃんて強欲だよね」
「せめて貪欲と言って」
国近とじゃれあうルルを見ながら、結花が顎に手を当てる。
「ってことはルル、あんた本当にボーダーに入隊するつもり?」
「どうしようかな……もう少しボーダーさんからお話聞かないと決められないな」
「話?」
「あ、まだ言ってなかったね。
わたし、今日ボーダーの人にお呼ばれされてるの」
ルルの予想外の言葉に3人は目を見開く。
「お呼ばれって……まさかスカウト⁉︎」
「だったらカッコよかったんだけどなー。
実は先週の近界民侵攻で借りてた部屋がなくなっちゃったんだよね」
「えっ⁉︎」
「でもボーダーが補償してくれるからって、管理会社さん通じて連絡もらったんだ。
すごいね、昨日帰って来た時に見に行ったら更地になってて笑っちゃった」
「笑いごとじゃないわよ……」
あはは、とのんきに笑うルルに、結花は反応に困ったような顔を見せた。
「隊員は本部内にある部屋をもらえるって聞いたから、ボーダーってどんなところかなーと思って」
だから色々質問したのだとルルが話す間に、朝のHRの始まりを告げるチャイムが校内に鳴り響く。
彼女がまたお昼にね、と手を振って自分の席へ向かうのを眺めながら、当真が二人にしか聞こえない程度の声で呟いた。
「あいつん
「
「はっちゃけたっていうレベルじゃないでしょ」
「そーいや国近おまえ、急に無口になったな」
「わたしは隠しごととか苦手なの〜〜。今ちゃんは上手く逃げちゃうし〜〜」
「事実を言ったまでよ。近界民の世界のこと、私は本当に知らないもの——
放課後。
背後で沈んでいく夕日に照らされ、細く長く伸びた自身の影を見つめながら、ルルは一人歩いていた。
高校から見て東北東に位置するボーダー本部基地。ルルがそこに向かうのは数年ぶりなのだが、地理に苦手のある彼女でもまず迷うことはない。基地は三門市のランドマークとも言えるほどに、巨大な施設を有しているからだ。
「……うーん、上の人の話を聞く前にみんなの話が聞きたかったけど……」
ルルは鼻歌を歌いながら学校でのことを思い返す。
そのため彼女は始めびっくりしていた。だが、彼らと話してる内に段々と理解した。あれは死を軽視しているのではなく、割り切っているのだということを。ノリは部活っぽいが、三門市で起きる小規模戦争を一手に引き受けているのだから、当然といえば当然だ。
みんなに合わせた私も大概だけど。と、ルルは自分よりも大きく真っ黒な影を自嘲気味に見下ろした。
「やっぱりクラスメイト程度じゃ、
そういう常に死と隣り合わせの軍事的な民間組織のことだ。昨日の会見はさわり、というか嘘も混じった事実で構成されていて、一般企業以上に公に言えない機密事項なんてきっと山ほどあるのだろう。たとえばボーダー隊員による
事実確認はさすがに無理でも、彼らから見たボーダーの内部事情とかならいけるのでは、とルルは考えていたが、この際仕方ないと今は思う。
入隊するかどうかは別にしても、ビジネス的には今が一番おいしいボーダーとの接触なのだから、大事にアピールしなければ。
私、やっぱり強欲なのかな。と、ルルは開き直ったようにすっと顔を上げる。そして住宅地の中に鎮座する建物を見据えた。
おもちゃのブロックのような、長方形の高層ビル。上層階にしかない小さな窓が並んでいる様は、市を展望するためというより監視の意味合いが強くみえる。中にたくさんの秘密を隠しているかのような分厚そうな外壁には、でかでかと描かれた立方体のシンボルマークの中心に、BORDERの字がデザインされている。
周りから浮きまくって異様な存在感を放つそれは、近未来的な軍事要塞を思わせた。
「風の音が少し 怖いけれど
僕は大丈夫 そっちはどうだろう
届けたい声が 届かない距離に
横たわる無数の想いが 橋となるまで」
歌うルルの脳裏には、かつて同じクラスで、ボーダーに所属していた一人の少女が浮かんでいた。その顔は寂しそうでもあり、どこか愉しげでもあった。
「ほんとはもう二度と関わらないつもりでいたけど、ちょっとくらいならいいよね?
——
祈り/amazarashi