シルヴァリオ・エンピレオ   作:ゆぐのーしす

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Q、エンピレオってどういう話なの?
A、オウカの傍迷惑な後継者が世界を壊しかけ、グレンファルトの(ある意味での)後継者が世界を救う話です。


恋する水銀 / Cielo di Mercurio

 再会できた、あの彼の顔を見た時に私は彼が私の運命だったのだと理解が分かった。

 

 永遠の淑女の演目が終わった後、舞台の裏で私はユダ様――私を舞姫として拾って下さった方にそう頭を下げた。

 そんな私の様子を怪訝に思ったのでしょう。ユダ様は、私の目を見つめている

 

「ごめんなさい、ユダ様。どうしても外せない用事があるのです。だから、このまま帰らせていただけますか?」

「珍しいな、エリス。……その様子だと何か尋常ではない様子に見える」

「どうしても逢いたい。逢わなければならない人がいるのです」

 その様子に、ユダ様は少し沈黙していた。無理もない、いきなりそんな事を言いだすなんてと思っているのだろう。

 

「……ダンテ――私の、探していた人が劇場にいたのです。多分、彼なのです。彼のはずなのです」

「なるほど。エリスの探している想い人、だったか」

「いいえ、想い人ではありません。けれど、逢わなければならない人なのです」

 「彼女」から、託された人。神なる地平でただ一人出会えた人なのだから。

 本当に、あの舞台で出会えたのは単なる偶然だった。本当は、人探しをしながら役者として過ごすつもりだった。

 けれど、思いがけずして逢えた。だから彼を見失いたくなかった。

 ユダ座に入って間もない頃に、ユダ様にそう伝えた事があった。ダンテを――夢の中で逢ったあの人の事を私は探していると。

 それを見て、あの時ユダ様は私の事を夢見がちな女だとあざ笑いはしなかった。今と同じように、朗らかに笑っていた。

 

「念願叶ったり、か。いいぞ、座長が許可する、逢いに行ってこい」

「ありがとうございます、恩に着ます。ユダ様っ」

 急いで着替えて、それから私は人目を忍びながら夜の街を走った。

 待って、行かないでと。

 

 彼は意外と用心深かった。時折立ち止まっては、周囲を流し目で見ながら去っていく。 

 きっとそういう経験があるのだろう。どう近づこうか、とても迷う。

 けれども役者をしていたころから、人がどういう所に目を向けるかは分かっていたつもりで。それを少し意識すればことのほか彼は気づかなかった。

 細い路地に入ったときはさすがにどうしようかと思ったけれど。

 

 彼の背中が見えた。けれどどう声をかけていいのか、少し迷った。

 迷っていると、家主と思しき女の人が現れた。とても黒い髪が素敵で、綺麗な人だった。彼は姉さんと言っているのだからきっと彼の姉なのだろう。

 

 そうしたら、つい私は身を隠す事を忘れてしまった。

 姉さんと呼ばれた人の目は私に移ってしまった。ああ、どうしようか。

 そうだ、涙を流してみせよう。きっと彼は困るに違いない、姉と呼ばれたこの人の同情を買うのも悪くはない。

 なんとなく、在りもしない事情を察してくれそうだ。ヒトの同情の誘い方は私は誰よりも心得ているつもだったから。

 

 試みは嵌り、私はキリガクレ――御姉様の屋敷の一員になれた。

 御姉様から零れ聞く、彼の話はとても興味深かった。彼の人間性が垣間見えた気がした。

 ロダン様の御姉様も、同じく私に優しくしてくれた。聞けば、彼女は家族がいないのだという。ほんの少しだけ親近感がわきそうだった。

 自分の家だと思っていいのだと、そう言われた時私は不意に演技ではない涙を流しそうになった。

 目頭が熱い、こんな感情を私は知らない。けれど、悟られるのはどことなく恥ずかしかった。私はここにいてもいいのだと認められたような気がして。

 

 不意に、御姉様はロダン様は返ってこないと言う。いつもは帰ってくるのにと。

 

 そう思った刹那――私の胸に、痛みが走る。

 

 ――私はとんだ愚か者だ。

 会えた、たったそれだけでよかったのに。エリスというつまらない女はそれだけで満たされているべきだったはずなのに。

 彼に償わなければならない、御姉様に償わなければならない。

 こんな、ふざけた因縁に彼を巻き込んでしまった。ほんの少しでも、ここにいていいのだと私は思ってしまった。

 ヒトとして在っていいのだと、私は思った。

 

 私は御姉様に謝して、屋敷を出る。

 ……本当は散歩なんて嘘。本当に本当なのは、どこにロダン様がいるかの心当たりがあるというだけ。

 

 屋敷の中庭で、私は祈るようにしゃがみこんだ。手を組んで、静かに祈りを捧げた。

 どうか私の星よ、彼を救ってほしいと。

 例え、彼を地獄に導くことになろうとも、私は彼を死なせたくなどなかったのだから。

 満ちる月光の残照と共に、すうと息を吸い私は彼へと告げた。

 

 

「超新星――地獄篇 嘆きの調べ、(Silverio)星に奏でるは銀月天(Inferno)

 

 

―――

 

 

「お待ちしていました。御姉様、ロダン様」

「エリスさん待っていてくれたの、嬉しいわ」

「お二人を待つならば一日中とて、疲れません」

 帰路の果て、屋敷につくとそこには直立でエリスが待っていた。

 育ちの良さを感じさせるようなしぐさで、柔らかに微笑みかける。演技はどこか無機質な機械のように思う一方で、感情は決して乏しくない。

 エリスと姉さんは一緒に並んで屋敷の中に入っていく。その刹那にエリスはどこか申し訳なさそうに横目でちらりと俺を見た。

 俺も、屋敷に上がっていく。それから姉さんは自室に戻り居間には俺とエリスだけが残された。

 どことなく、気まずい沈黙が流れる。でも、黙ったままではいられなかった。

 

「……エリス、単刀直入に聞こう。ファウスト、という名前の男を知っているか」

「ロダン様。聞きたいことは、既に聞き終えたはずです」

 エリスは言いたくはなさそうに、顔を背ける。

 欠けた月のように、その輪郭も表情も見えなくなってしまった。バカにしているというわけでもなく、そこに在るのは申し訳のなさだった。

 いっそあからさまな態度の変容だった。

 

「俺に言いたくはないんだな」

「どのようにとらえて頂いても構いません」

「どうして言いたくないんだ?」 

「ご想像にお任せ致します」

「演技か?」

「そう思うのなら、それでよろしいかと」

 打って変わって、そう言葉を短くして彼女はそう答える。まるで単純に反射しているような単調さで、これ以上話をする気はないと拒絶している。

 けれどぎゅっと自分自身の裾を握っているその手は、決して物言わぬ鏡のようではなかった。

 演技ではないのなら、彼女のそれは自分の不義を恥じているかのようだ。……反応を見るに、ファウストという人物の事をエリスは間違いなく知っている。誰ですか、と聞き返さなかったことからも明らかだろう。

 

「俺に聞かれるのが不快か、それとも俺自身が不快か? 或いは信用できないと?」

「……それは、違います。誓って、貴方に対して決してそのような事はありません」

「言ってくれないのなら分からない事もある」

 それは尋常ではない様子だった。ファウスト、という名前を出した瞬間から彼女はそういう反応をしている。

 エリスと男女の仲だったのか、あるいは星辰奏者としての因縁があるか等知り得はしないが、それでもここまであからさまな拒絶を示されては怪しいと言っているようなモノだろう。

 

 ……エリスに無理矢理聞きに行こうとはしたくはなかった。

 エリスに背を向けて、俺も自室に戻る事にした。したけれど、不意にその背に重さを感じた。ぎゅっと、震える手を背中に添えられて。

 いつもの膂力の影は何処にもない。

 

「……ロダン様。どうか夜、貴方のお部屋でお話をさせていただけますか」

「言いたくないなら、言わなくていいさ。それで辛くなるなら本末転倒だ」

「夜までお時間をください。私に打ち明ける猶予と勇気を、どうかください」

 ……打ち明けるのに必要なのは猶予と勇気なのだと、彼女は言う。

 それほどに、口を重くせざるを得ない事なのだろうと思う。

 

「……分かった。打ち明けたいと思えたら、俺の部屋の扉を叩いてくれ」

 

―――

 

 

「何か、あったのかしらロダン。それからエリスさん」

「……いいや、何も」

「御気になさらないでください、御姉様。少々怪談をしていただけです。それはもう、とてもロダン様は顔が真っ青でして」

 フォークとスプーンの運びは重かった。エリスとの間の気まずさがそのまま食事の手の重さになっているようでもあった。

 料理はとても美味しい。姉さんの腕に間違いはないと思っている。

 エリスはその見た目にたがわず、一口が小さく咀嚼も少し長い。所作もまるで幼い頃のハル姉さんを見ているような丁寧さだった。

 加えて背筋に油断がない。針のようにピンと伸ばしている。

 

「……エリスさん、とてもいい姿勢ね。ロダンに見習わせたいぐらい」

「姉さんの姿勢の方が綺麗だし俺が見習いたいのは姉さんの方だ」

「えぇ、私も御姉様を見習いとうございます」

 ……エリスに対して嫌がらせをしようとは思わなかったが、姉さんを贔屓にしたいと思う心はあった。

 それを納得されてはなんだか雰囲気が微妙になる。

 

「ロダン、冗談だけは上手いのよ。無職で三文詩人の癖に」

「いいえ。ロダン様は例え無職であっても、その詩文に月の如き淡くも優しき輝きを私は見ました。もし私がロダン様だけの演者であったのなら、きっと千年を超えて語り継がれる歌劇と成して見せましょう」

「だ、そうだけれど。ロダン?」

 しれっと無職であっても、と付け足したのは全く以って不要だと思う。

 大言壮語が様になっていると思わせるほどに、彼女はそう言い切って見せる。おだてるのが得意なのだなとは思う。けれど一方でエリスが少しだけ無理をして冗談を言っているようにも見えた。

 

「ロダン、頬が緩んでる」

「見間違いだよ姉さん」

「嘘を言う時、言葉が早くなる癖があるの、直したほうがいいと思うわ」

 ……ハル姉さんに指摘されて、グランドベル卿にまで早口を指摘されているのだから致命的だ。

 俺と言う人間は大概浮かれやすい。少しばかりプライドを満足させられると気が緩む。

 

「……それじゃあ、俺は上に上がるよ。今日も美味しかったよ姉さん」

「ありがとう、それじゃお休み」

 そう、姉さんに向けて俺は言った。かつかつと、階段を上っていく。エリスの視線は背中からでも理解できた。

 彼女は待っていて欲しいと言ってくれた。それはとても勇気が要る事なのだと言ってくれた。

 ファウストについて語る事、それが彼女にとってどのような意味を持つのかを俺は知り得はしない。

 今はただ、彼女の言葉を待ってやりたいと思う。

 

 

 

 

 部屋の中で腰を落ち着けて、エリスを待つ。

 八時を過ぎた。エリスはまだ戸を叩かない。

 十時を過ぎた。エリスはまだ戸を叩かない。

 

 十一時を過ぎた。十二時に――日が変わりかけるその刹那に俺の部屋の戸を叩く音が聞こえた。

 

「……ロダン様、失礼してよろしいですか」

「……入ってくれ」

 彼女は、そう言って戸を開けた。きぃ、と音を立てながら顔を伏せて彼女は俺にその瞳を向けた。

 改めて、俺は思う。彼女のその瞳は赤くて、紅玉のようで、とても綺麗だった。その瞳が今は憂いを帯びている。

 

「其処の椅子に座ってくれ」

「はい、感謝致します」

 深々頭を下げると彼女は俺の机の椅子に腰かける。

 彼女の口は未だに、真一文字に閉じている。けれど今こうして俺に言葉を喋ろうとしてくれている。

 

「……昼は急かして悪かった。落ち着いたら言ってくれ」

「ロダン様。私は、貴方に謝らなければならない事があります」

 エリスは目を伏せてそう言う。なぜ謝る事があるのだろうか。

 

「ファウスト、貴方が出会ったというその男は――私の敵です」

「敵、か。星辰奏者として、という意味合いか?」

「はい。ファウスト・キリングフィールド、彼と()()()()()()()()()()達。それが、私の敵です」

 意を決して、エリスはそう口を開く。

 彼女の言葉は、ある程度は想像していた通りだった。ファウストは恐らくエリスと何かしらの縁があった。同じくエリスと縁のある俺を襲撃したのも、別に俺自身をターゲットにしたわけではないのだろう。

 

「……きっと、貴方が私の事情にこれ以上踏み入れれば無関係ではいられなくなる。ファウストやファウストのような化け物と、貴方は関わり合いに成らなければならなくなる。私はそれだけは望んでいないのです

 忌々しくも、そう眦をゆがめながらエリスは言う。

 忌むべきものについて語るように、彼女はぽつりぽつりと話す。

 

「ファウスト――彼の属するある星辰奏者の集団の名を指して、至高天の階(エンピレオシリーズ)と言います。……そして私は故あってその集団と敵対しています」

「つまりはその縁に俺は巻き込まれたんだな」

「はい、……私がロダン様に明かせなかったのは、私の因縁に貴方と御姉様を巻き込むかもしれなかったからです。事実、ロダン様は殺されかけたでしょう」

 胸を縦一文字に裂かれた痛みを忘れてはいない。あんな化け物と関わり合いになるなど、御免こうむる。

 冗談じゃないと思った。けれど、そんな敵と、エリスは因縁を持っている。

 

「彼らは、見てわかる通り人間ではありません。……アレを指して通称、魔星と呼びます。ある種の自律型星辰体運用兵器――常人では考えられないほどの発動値も、感応深度も、アレがそもそも人間の規格ではないからです」

「……兵器、のような見た目には見えなかったが、つまり外見は本質というわけではないんだな。アレが兵器だと言うなら製造者や製造国があるはずだ。少なくとも相当なノウハウの蓄積が必要になるはずだ」

「出所はまるきり不明ですが、一度私は彼らに襲われた事があります。……そこから、今に至るまで因縁は続いています。エンピレオシリーズは、ファウストだけではないのです」

 彼女の説明は突拍子がない事を除けば、呑み込む事ができる。

 つまり、あのファウストという男は兵器であり、外面は人間で血を流しはしても、鋼で出来ている魔神なのだと彼女は言っているのだ。

 

「アレが兵器だというにしても、随分に感情があるように見える。実際、星辰光を使っているしな。……魔星ってなんだ、星を使えるマシーンなんて聞いた事がない」

「魔星の正体は……人間の死体です。ですから、星が使えるのは当たり前ですし、それを目標として製造されています。恐らく魔星という概念を知る人間はごく限られているでしょう、人倫冒涜の極限ともいうべき禁忌の技術ですから」

 ……人間の死体を材料に創り上げられた、禁忌のテクノロジー。

 その産物がファウストなのだという。エリスは至って、大真面目にそんな話をしている。普通なら創作物にありそうな話だと一蹴しそうになるが、星辰体運用兵器の実例は与太話を含めればいくつか挙げられる。

 なぜかカンタベリー産となっているらしい、アスクレピオスの大虐殺の二機の主犯格。

 それからかのクリストファー・ヴァルゼライドが相打ちとなったらしい、()()()()()()帝国首都で暴走したという未知の星辰体運用兵器だ。

 

「人の死体を原料に、特殊な鋼に鍛え直し骨格を鋼で再構成した、星辰多運用兵器の一つの完成形。それが彼らです。星辰奏者よりもより純粋に星を扱う基盤(プラットフォーム)としての優秀さを突き詰めた存在。それが彼らなのです」

「……まさか、グランドベル卿もそれを知っていたのか」

 不意に、グランドベル卿がファウストに向かって言ったある言葉を思い出す。……あの時、グランドベル卿はファウストを「人間ではない」と、言ったのだ。ファウストはそれを肯定いていた。

 その言葉の意味とファウストの性能が、エリスの言葉が決して与太話ではない事を証明している。

 

「この国の騎士団の中でも団長格や第一軍団――あるいは秘跡庁なら知っていてもおかしくはないはずです。表沙汰とはしないだけで、恐らく魔星の概念自体は彼らも知っているでしょう」

「……」

 グランドベル卿は、魔星という言葉を一切発しなかった。そのことからも意図して第一軍団は俺に話を伏せていたのだろうことは想像に難くない。

 グランドベル卿が明かせない、そう言った事はつまりこういう事だったのだろう。

 同時に頭の中で死体を鋼に加工し、人間大の大きさに成型する工程が嫌でも浮かぶ。ヒトの死体を切り刻み、好きに弄り回し挙句鋼の躯体に埋め込む。想像するだけでも少し気分が悪くなりそうだった。

 

「騎士団には頼れないのか」

「……前に私は、自分の出自を言えないと申し上げました。私の身元を明かす必要に迫られます、……それはできないのです」

 後ろめたい出自――例えば孤児。あるいは不貞の子。自分の出自さえ知る事ができないような環境で過ごしてきたということもあり得るだろう。

 それは触れられて楽しい話でもない。……問題は彼女が星辰奏者であるという事だ。普通、星辰奏者となるにはアドラーやこの国カンタベリーのように公的機関に属する過程で手術を受けるか、あるいはアンタルヤのように金を積んで手術を受けるか、という過程を経なければならない。

 アンタルヤのケースは考えにくい。金に困っていない彼女のような役者が星辰奏者になろうとする動機がないのだ。

 同時にカンタベリーもまた有り得ない。彼女のような人間が属していたのを見たことがない。

 かと言ってアドラーと考えると猶の事有り得ない。あの国はそもそも自国の星辰奏者の名簿をしっかり把握と管理をしているはずだ。彼女を密偵としてカンタベリーに送り込んだと仮定するなら芸術活動を許す意味がまるきり不明になる。

 論理立てて考えると、改めて彼女の出自が紛らわしい事は事実なのだと悟れた。

 

 

「……俺はエリス共々ファウストに狙われ続けるのか?」

「それはさせません。……絶対に、何があっても私が貴方と御姉様を傷つけさせません」

「つまり、狙われ続けるんだな。否定しなかったという事は」

 どことなく、予感していた事ではあった。そもそもあのファウストという男はハナから俺を知っていて、同時に俺を狙っていたような口ぶりだった。恐らくエリスと距離を物理的に放せば縁は切れて解決するという話ではないのだろう。

 ファウストはエリスと同じく、俺の事を神聖詩人(ダンテ)と呼んでいた。彼女が夢の中で出会ったという、俺によく似ていた人間を彼女はそう呼んでいた。

 彼女しか知り得ないはずの単語を、ファウストという生体兵器は口にしたのだから。

 

 

「貴方に黙っていた事――今も尚総ての真実を口にはできない事をお許しください、ロダン様。貴方に逢えた事が何より私は嬉しかったのに、だからこそ私は貴方から離れなければならなかったのに……!」

 その緋色の目に、涙が垂れている。自責、あるいは自分自身への怒りだろうか。

 ぽたぽたと、膝を濡らしている。零れる涙は留まるところを知らない。

 俺を自分の因縁に巻き込んでしまった事への負い目が彼女に涙を流させている事は、想像に難くない。

 彼女はただ一人で、きっとあの化け物と対峙し続けてきたのだろう。彼女の話を仮に十割信じたとしたならば、彼女は突然襲われた被害者の側だそんな化け物共に俺を巻き込んでしまった事を何よりも悔いているのだろう

 

「私は償うためなら、何でも致します。死んで償えというのなら、喜んで貴方に私の命を託します。女として償えというのなら存分に尽くします。だから――だから――私をこの家に、居させてください……!!」

 彼女は、そう言うと俺に迫り縋った。詫びるように、童女のように取り乱す。普段の彼女の姿は何処にもなかった。

 居場所を失いたくないと彼女は泣きじゃくっていた。

 その様子は尋常ではない。普段の落ち着き払った姿はまるでどこかに消え失せていた。

 

 

「エリス。まず落ち着いて聞いてくれ。……ハル姉さんの事をどう思っている」

「敬愛しています。居候の私にこの御屋敷を家だと思っていいと言って下さったことを決して忘れていません」

 彼女は泣きながらも、姉さんとの思い出を語る。その様子だと、本当に彼女は姉さんを慕っているようだった。姉さんは姉さんで、エリスとはすっかり打ち解けているようにも見えた。まるでそれは、本当の姉妹のように。

 

「じゃあ俺は?」

「まだ、答えが出せません。何も、貴方に対する感情を、私は定義できていないのです」

「……傷つくな、詩人に限らず芸術家は繊細なんだぞ」

 ……すこし傷ついた。ハル姉さんはそれだけ俺よりエリスと向き合ってきたという事なのでもある。

 俺は彼女を厄介者として扱ってきた事は確かだった。けれど、単に厄介者だというだけではなかった。少なくとも、姉さんもエリスについて喋る時は楽しそうにしていた。

 

「別に、俺も姉さんもエリスを追い出したいとは思っていない。今更迷惑かけてると思うなよ、初めて屋敷に転がり込んできた時点でエリスは俺に十分迷惑をかけている」

「……それは、その」

「だから、泣かないでくれ。気持ちに整理をつけたいから過ごしたいんだろう」

 俺に対しての気持ちに整理をつけたい、と彼女は言っていた。俺でなければならない理由を見つけてほしい、とユダは言っていた。

 何より、彼女は何処か目を離せない危うさがある。目を離してはならないという、予感がある。

 

「まだエリスは全部を言っていない事は分かる。ややこしい事情があるのも分かる。……言っていいと思える日を俺は待ってる事にする」

「永遠にその日が来ないとしてもですか?」

「エリスにとって、言わない事が一番なんだろう。俺はそれでもいい。顔を上げてくれ、美人が台無しだ。姉さんもエリスの涙は望んでいないはずだ」

 どうして、辛くなるのだろう。彼女のような変わった見た目の知り合いを俺は知らないが、それでもなぜか彼女が他人であるとは思えなかった。

 何か、彼女が言う通りに俺はエリスと縁があるのかもない。今でも、あの神天地創造事件での夢は覚えている。エリス――によく似た()()の手を、俺は結局あの時、掴む事がかなわなかったのだから。

 その償いをしているつもりになっているのかもしれない。こんなにも()()今のエリスを俺は放っておくことなどできなかったのだから。

 

「姉さんの屋敷は収容所じゃないし姉さんも俺も看守じゃない。だから、償うとか言わないでくれ」 

「……」

 エリスは、思案するように顔を背ける。俺に縋るその体からはもう震えは去っていた。

 俺を上目遣いで見上げるその緋色の目は、綺麗だった。けれど美女の涙は美しいかもしれないが、その(かな)しさは肯定されるべきではないと俺は思う。

 

「私は、……エリス・ルナハイムはこの家にいてもいいのですか?」

「姉さんが喜ぶ。……俺の書く話をエリスは好きだと言ってくれた。俺には積極的にエリスを追い出す理由がない」

 エリスという人間について、分からないことだらけだが分かり始めた事もまた同じくあった。 

 演劇が好きで、育ちがよさそうで、けれど少し天然で。人の質問に質問で返す癖があれば、時折悪戯っぽさを見せる。

 そんなエリスという人間を、俺はもう少しだけ知りたいと思う。知らないままではいたくはない。

 

「ありがとう、ございます。その御心に応えて――ロダン様にせめてあと一つ。私の中の真実を明かしたいと思います。だから、少しこうしていてください」

「……? 分かった」

 彼女は祈るように胸のあたりで手を組んだ。それから、居間の天井を見上げ俺の胸に手を添えて囁くように言葉を紡ぐ。

 

 

「創生せよ、天に描いた遊星を――我らは彼岸の流れ星」

 直後――彼女の体は淡い月光の輝きを帯びる。とても柔らかな、銀色の光。

 星辰体もその感応を深めながら、同時に穏やかに凪いでいる。間違いなく、その出力は常軌を逸しているはずなのに、感じる波動はまるで逆だ。ファウストやグランドベル卿のような苛烈さとは対極に位置している。

 ファウストのソレを壊れた蛇口、ないしは瀑布と表現するならば、エリスのソレは静謐に凪ぐ無限に続く湖畔だ。

 深い、眠りを誘うような柔らかさ。冷たいわけでも、熱いわけでもない。ちょうどよい、心地よいと感じる。

 彼女の星――その一端が垣間見えた。

 

 

AVERAGE: B

発動値DRIVE: AAA

集束性:E

拡散性:A

操縦性:A

付属性:C

維持性:E

干渉性:AAA

 

 

 

「これが、貴方を照らす(護る)私の月光(ほし)です。手弱女と思われるのも、あまり私は好みません」

 出力。その一点で問うならばファウストに並んでいる。

 騎士団でこれに比肩し得る存在は恐らく相当数限られる――どころか、彼女が人間である事を疑いたくなる。ファウスト同様に、ヒトの器で扱い切れる星では到底有り得ない。

 であるというのに彼女はそれを扱いこなしている。……訳あり、どころか得体の知れなさはますます増している。

 数値上の強さだけでは測れない何某かを、その星に感じる。けれどそのまた直後に星は解かれた。

 星辰体もまた、静かに励起を鎮めていく。

 

 

 

「――エリス。お前も、ひょっとして魔星って奴なのか?」

()()()とは言えるでしょう。ですが私は死人でなければ鋼でもありません、そのことだけは真実です。……他言無用でお願いします、ロダン様」

 彼女の中の真実の一端を、彼女は今こうして俺に見せた。きっと彼女を信用してもよいという事なのだろう。

 俺を護ると、姉さんを護るとエリスは言った。それに足る実力を持っているのだと暗に今示して見せたのだ。

 

「……自分で言ったからな。言っていいと思うまで待つ」

「いつか打ち明ける事が出来るように、善処致します」

 エリスは恥じ入るように、背を向ける。けれど今のエリスは取り乱した様子はまるでない。

 ……心が落ち着いたようで何よりだった。

 

 

「今日はもう遅い、寝よう。女優に夜更かしは佳くない」

「はい。……では、また明日。おやすみなさい、ロダン様」

「あぁ、おやすみなさい、エリス」

 エリスの心が晴れてくれたのなら、俺はそれでよいと思う。

 俺の部屋を出るその前に、彼女はふと俺に顔を向ける。とてもやわらかで、それまでの彼女が見せた事のなかった笑顔だった。

 綺麗で、幸せそうで。その笑顔を、記憶にとどめておきたいと思えた。

 

 

「明日からまた、私の付き人をお願いいたしますね、ロダン様」

 

 

―――

 

 朝、支度を済ませるとエリスと並んで屋敷を後にする。姉さんはしきりに俺を気遣うように、気を付けてくれと言ってくれている。

 それほどに姉さんを心配させてしまったという事でもあるのだから、言い訳の仕様などない。

 

 エリスの付き人としては、これで二日目になる。

 一日目がユダと別れたあの有様だったのだから。

 

「エリス、俺がいない間は何か劇団は何かあったのか」

「いいえ、変わったことなど何もありません。強いて挙げるなら、私の傍にロダン様がいなかった事でしょうか」

「……天然の女優だな、そういう部分があるとは思ってはいたけど、むしろだからこそなのか」

 臆面なくそんな台詞を言ってのけるのはある種の才能だ。

 本質的に恐らく彼女はある種、純粋なのだろう。行動が芝居がかっていない、優雅な立ち居振る舞いがまるで自然体のようで、大言壮語も小難しい言葉も彼女が言えば様になる。そうしたモノを彼女は纏っている。

 

「チンピラやガラの悪い役や軍人は、さすがに似合わないか」

「娼婦の役を演じた事はあります。意図したイメージとは違うが、妖艶で底知れない女の怖さと欲望がにじみ出ている、とユダ様は評していました」

「……そうだな、エリスはそもそもからして物理的に怖い」

「お褒めに与り大変光栄です。……ロダン様はそれほど私と腕を組みたかったのですね、遠慮など不要でしょうに」

 少し背筋に冷たいモノを感じた。エリスの笑顔が恐ろしい。

 腕を折られるのだけはさすがに御免だ、執筆が出来なくなる。

 

「それは困る。腕を折られなくても、エリスに奪われた腕じゃ話を書けない」

「ロダン様の物語を目にすることができなくなるのは、私にとっての損失です。控えましょう」

 くすくすと、エリスはそう笑う。

 その細身のどこにそんな力があるんだと思うほどの力を彼女は持っているが、あるいはだからこそなのだろうか。

 星辰奏者の体は、純粋に常人と比べてはるかに疲労しにくく強靭だ。芸術においてはそれは反復練習、体幹の強さという点で長所となる。人間、古来から体は資本だとよく言ったものだ。体が強くて損をすることはない。

 

「ユダ様は昨日、貴方の事を心配していました。どうか、お会いした際にはお声がけをするのがよろしいかと」

「心に留めておくよ」

 高い酒を戴いたしなと、内心で付け加える。

 

 やがて、稽古場につくとそこにはユダが待っていた。

 相も変わらずボクシングかよと思うほど距離感が近い。エリスも会釈すると、稽古場に入っていく。

 

「待っていたぞ、ロダン。災難だったな、あの夜確かお前は夜道でひき逃げにあったのだとか。幸いにも星辰奏者ゆえに軽傷で済んだと」

「ああ。騎士を辞めてからは体を動かす機会がなくてな。現役ならあのぐらいかわせたんだが」

 やはり事故、ということになっているのだろう。ファウストの事などエリスと俺以外、誰も知りもしない。

 グランドベル卿の事も、話に挙がりさえしていないのだから、あの夜の事はそれほどに秘匿の順位が高いのだと悟る。

 

「……ロダン、お前に少し面白い話をしてやろうと思う」

「嫌な予感しかしないぞユダ」

「まぁそう言うな、そこの席に座れ」

 ひょいと、ユダは指を刺す。

 いつもは稽古の監督役をするユダが座っている席だった。俺もそこに腰かけると、ユダはふう、と周囲をきょろきょろ見回してからまだ俺に向き直る。

 

「エリスはいないな。よしちょうどいい」

「エリスに見つかったらどうなるか、俺は一番よく分かってるつもりなんだがな。それで?」

 ユダは口を開く。

 エリスに関する話、それもエリスの目の前ではできないというあたり、相応に事情が込み入っていそうな話ではある。

 そう言えばたしかユダもエリスに爪先をよく踏まれたという話を以前にしていたなと思い出す。無理もない、目を憚る理由も分かるというものだ。

 

「実はな、お前が事故に巻き込まれた日。エリスの演技はミスを連発していたんだよ。それもどうにも他の事で頭がいっぱい、と言った具合にな」

「……有り得ないな、普段のエリスからは想像がつかない」

「だろう? どうにも焦っているように見えたし、実際普段ならしないだろうミスを続けていた。……察するに、焦っていたんだよエリスは」

 ……エリスは変わったことはなかったと言っていた。それは多分強がりだったのだろうか。

 ユダは話を先に進める。ここから本題なのだと仕切りなおして。

 

「一度彼女の稽古は中断して頭を冷やせとアドバイスはした。……その時、彼女はたった一言お前の名前を口にしたんだ。ロダン様、と」

 エリスは、俺の名前を口にした。

 普段から何度も、何度も、彼女は俺の名前を呼んでいる。だからこそ、憔悴と焦燥の果てに彼女が俺の名前を口から零したその意味を考えろとユダは言っている。

 俺が呑気に寝ている最中、エリスは何を想っていたのだろう。時折見せる、寂しさを滲ませた横顔の意味も俺は知ろうとしなかったのに。……そんな俺をエリスは慮っていた。

 

「……エリスに、言わなきゃいけない言葉がある」 

「稽古が終わった後でいいから、伝えてやれ。きっとエリスはそれを喜ぶだろう」

 ユダは話は終わりだと席を立った。あとに残るのは数人の役者と、俺だけだった。

 通しの練習が始まる。

 

 演目は「ジークフリート異譚」。以前の名前よりタイトルが随分と短くなっている、ユダの趣味だろうか。

 筋書きはさほど変わっていないようではある。 

 

 英雄ジークフリート役のユダは、とても様になっている。

 エリス扮するジークフリートの恋人アンナは赤毛の鬘をつけている。普段の彼女とはまた違った印象だが、やはり変わらず美しいと思う。

 時折、彼女は俺をちらりと見る。そのたびに恥じ入るようにまた視線を戻す。

 体の運び方はやはり精彩を欠かない、けれど、違う点もある。目の動かし方と息遣いは明確に異なっていた。

 視線の軌跡は有機的で、ジークフリートを慮るアンナとしてのエリスの息は切なそうに漏れている。

 エリスの演技に感じていた違和は、幾分かなくなっている。

 

 それにユダや他の役者も気づいたのだろう、特にユダは目を見開いている。

 

「ジークフリート、貴方を愛しています。例え竜に成ろうとも、その心臓だけは貴方のままなのだから」

 物語のラスト。

 ユダに胸に剣を振り下ろしたするアンナの涙と嘆きで、通しの練習は終わった。

 

 ユダはむくりと背を起こすと「以前にも増して本当に殺されるかと思った」などと軽い冗談を飛ばしている。

 相も変わらず、練習とは思えないほどにエリスの演技は真に迫っていた。ハンカチで演技の涙を拭きとると、エリスはユダからの指摘やアドバイスをこくこくと頷きながら呑み込んでいる。

 ……当たり前だが、演技の涙は決して尾を引くものではない。彼女は顔は既に涙の痕跡はなかった。

 

 彼女と目が合うその時、俺は不意に赤面してしまった。彼女のほんのり上気する肌が、とてもなまめかしく見えてしまったから。

 

 

 団員達へのユダの指導はしばらく続いた。

 自らも演者でありながら的確に他の団員へ指摘をしているその視野の広さは驚く。男優であり、脚本家で、スカウトマンで、座長でと、一人で様々な役をこなしている彼だからこそなのだろう。

 それだけの激務をこなせるのは一重に芸術への愛故だろう。劇団に自分の名前を付けている事からも明らかだ。

 元々のエリス自身の気質もあるのだろうが卓越した才を持つエリスですらも、人としてユダに従っている。

 

 そんな折、ダグラスが少し小走りで稽古場に出向いてきた。

 少し、息を切らしているのか興奮しているように見える。怪訝な様子に、ユダはダグラスに声をかける。

 

「どうしたダグラス。随分に焦っているようだが、来客か?」

「えぇ、何でもエリスの妹さん、とおっしゃる方で」

「……妹? エリスに妹がいたのか?」

 おや、とユダはきょとんとした顔をしながらも反芻するようにつぶやく。

 ……そう、ダグラスが言った瞬間に俺は猛烈な違和感を感じた。

 エリスは、家族がいないと言っていた。

 エリスの顔を眺めると、エリスの顔もやはり困惑しているようだった。

 

「ユダ様、ダグラス様。私に妹はいません。何かの間違いでは?」

「……たまにいる、厄介なファンという奴かもしれないぞダグラス」

 エリスの口からも、妹はいないと示された。ユダは、そんな風に推測を立てている。

 だが。

 

「それが、その。その方はラプンツェル、と言えば姉様には通じる、と言っていました」

 ダグラスは、そう言うと後ろからその来客者を連れてくる。

 

 

「――」

 エリスは、その姿を見るまでもなく、ラプンツェル、という単語を聞いた瞬間に顔面蒼白になっていた。

 血の気が引いたような、真っ青な顔になっている。 

 ラプンツェル、と名乗るその来客は――エリスの前に姿を現した。

 エリスの両腕はだらりと脱力し、目は驚愕で見開いていた。

 

 エリスに非常によく似た銀の髪。腰まで届くほどに長い髪が特徴的な女性だった。

 雰囲気がどこか、エリスと似ている。まっすぐ、エリスを見つめて――あるいはエリス以外の誰も見ていないかのような熱視線を向けている。

 優雅に一礼して、ラプンツェルはうっすらと笑みを湛えてエリスに挨拶をする。

 

 

 

「ご機嫌麗しゅうございます。このラプンツェル、貴方とお会いできる日を楽しみにしていました。――エリス()()()

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