シルヴァリオ・エンピレオ   作:ゆぐのーしす

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ウェルギリウスの罪状が1個増えました。



星の断章 上 / Fragment of light

 空は蒼く、第二太陽は依然変わらず新西暦の王座で在り続ける。

 

「どう、初めての地上は」

「鬱陶しい色彩だ、あんなモノを神と崇める連中の気が知れん」

「仕方ないでしょう、ルシファー。彼らとて、成りたくてああ成ったわけではないのだけれど。」

「今物理法則と呼ばれている諸原理も千年前の化石が設計した絵図に過ぎん。可能性を制限する事で秩序を齎そうとすることは成程、治世を優先するなら最適解だろう。秩序とはすなわち我慢だとは、よく言ったものだ」

 ルシファーとウェルギリウスは、地上に出ていた。

 ルシファーにとっては初めての――ウェルギリウスにとっては神天地以来の地上だった。

 綺麗な海辺の地平線を、二人は眺めている。

 釣り人が居れば、カップルで寄り添いながら海を眺める者もいる。そうした者達を一瞥しつつ、地上の酸素の味を吟味しながらルシファーは言葉を紡ぐ。

 

「教えろ、ウェルギリウス。ヒトはなぜこの不出来な世界と物理法則を壊さずにいられる。なぜ己が不出来さに耐えられる」

「その不出来さがあるからこそ人と人とは寄り添い合い、時として極晃を描く。誰であれ、無制限に既存の秩序に挑めば当然軋轢は生まれるのよ。そもそもとして秩序は慣性を重んじるもの。お隣さんの例にあるように国家の構造改革などは最たる例ね、秩序の慣性に逆らえば急進的な変革には痛みや訣別といった形での摩擦を伴う」

「例えばそれは、烈奏のようにか?」

 不出来な秩序への挑戦者――明確に新西暦に対して挑戦状を突き付けた極晃奏者達の事を、ルシファーもウェルギリウスも覚えている。

 彼らもまた、神天地創造を契機として一度極晃を形をにしている者達なのだから。

 

「烈奏は破壊という形で、神奏は変革という形で新西暦に挑んだ。では私達は何を答えにして、どのような形で新西暦に挑めばいいかしら」

「無論、俺の可能性に耐えきれんこの世界を破り捨てるためにこそ俺は星を欲している。俺にとっては強くなるという事は――高機能化を果たすという事は命として生まれた以上は天上至上の命題だ。であるというのに可能性を試す前に世界が音を上げるようでは本末転倒もいい所だろう。……俺にとっては命として生まれ出でるという事は命としての完成を目指すという事に他ならん」

「なれば、答えは簡単ね。世界そのものが貴方の可能性に耐えられるようになればいい。そんな変革を可能とするのが極晃だもの」

 ルシファーは至って冷静に、神天地と同列の狂気を語る。

 すなわち、地球そのものを自分の性能評価の実験室にするという事と同義だ。

 同時にそれは命の答えたる極晃を通過地点としか見做していないという事でもあり、奇しくもそのアプローチは絶対神とある種近しいモノが在った。

 

「極晃など、俺にとっては俺に理想の環境を作るための道具に過ぎん。業腹だが、絶対神の神天地こそまさに理想の環境だったと言わざるを得んだろう」

「えぇ。平等な人類の変革、ボトムアップの究極系という意味においてはまさしくアレの以上の完成形は存在しないでしょうね。けれど貴方はソレを認めはしないのでしょう?」

「アプローチの問題だ。所詮神天地が成ろうと、物理法則の担い手が大和から絶対神に移っただけだ。絶対神の定義する環境下で俺の力を証明しようと、それは絶対神の秩序の下で得られた結果に過ぎん。……俺を――俺の性能を定義する者が俺とお前以外の何者かであってなるものか」

 共著にウェルギリウス以外の名は不要だと、自分の力を受け止められるだけの世界が欲しいのだとルシファーは言っている。その様に、ウェルギリウスは少しだけ苦笑を浮かべながら笑う。

 力を求めるルシファーにとって新西暦とはまさに九圏の淵(インフェルノ)氷と重力の牢獄(コキュートス)に等しいのだから。

 

「新西暦において、私は私の科学を証明したい。幼い頃に見た火の輝きの尊さ、科学の極致を私は開拓したい」

「お前の願いは俺の願いと並立し、お前の知性が俺の力となる。故に俺の高機能化によって包含的に達成されるだろう、ウェルギリウス。お前こそ、俺の唯一至高の共謀者だ」

 彼の力の証明は、ウェルギリウスの科学の証明でもある。

 ウェルギリウスは叡智を、ルシファーは力を欲したがために堕天と魔女の盟は成っている。 

 

「そのための至高天の階(エンピレオシリーズ)。技術検証による貴方へのデータのフィードバック――そして十の遊星天同士の殺し合いによる聖戦の果てに貴方を高め上げ極晃に導く事。それが私の絵図よ」

「……聖戦禁止期間(モラトリアム)という奴を設けたのは? やりたいというならすぐにでも聖戦に応じても俺は構わん。事実、特に木星天はソレを切に望んでいるだろう」

「単なる初期値では、どうしても得られない類の強さというモノがあるわ。護るべき概念を養う事、人間性を養う事を私は彼らに最初に求めた。極晃とて、その例外ではないもの」

 ……それが、彼らの聖戦。

 ルシファーを除く十の遊星天はその総てがルシファーの試作品に過ぎない。同時に、ルシファー含めて十の遊星天を殺し合わせる事によりルシファーに相応しい運命の宿敵達との激突の果てに己が出力を極限まで高め極晃に至る事。

 それがルシファーとウェルギリウスの目論見だった。

 同時に彼らは他の遊星天達の運用経過の観察――彼らの人間的成長を目論み意図して聖戦の禁止期間(モラトリアム)を設けていた。

 本格的な戦闘行為の禁止命令をウェルギリウスは造物主として彼らの絶対原則に入力(インプット)していた。

 

「銀想淑女と神聖詩人については、お前はどう考えている」

「あれだけは、本当に想定外よ。けれど銀月天を介しての星辰特性の解析ができた事は幸いだったわ。アレも私達と同じく一度神天地で極晃を描き、そして同時に原理はともかく伴侶の縁を神祖亡き治世に持ち帰る事に成功している」

「なるほど。であるからこそ目をつけたと。俺達と同じ経緯を辿ったのなら、逆説的に奴らに極晃を取り戻させる試みが成功すれば、俺達も同じアプローチで至れるという事だ。それがメインプランたる第四世代人造惑星の設計思想だったな。何より奴らが極晃を取り戻したのならば、それは俺にとって最高の試練になるというわけか」

 銀月天の代行者――銀想淑女についても彼女は糧として、聖戦に巻き込まんとしている。

 もとより、第四世代人造惑星のアプローチは彼らから得たものでもある。

 聖戦の過程で生じるであろう甚大な犠牲など、堕天と魔女は一顧だにさえしていない。文字通り、ウェルギリウスにとって総てはルシファーが天に昇るための薪に過ぎないのだから。 

 

 だからこそ、ウェルギリウスは少女のように憂う。彼の征く最果て――至高の天に至った時、彼の傍に己は存在するのだろうかと。

 

「ねぇ、ルシファー。愛しい暁の子。もし、貴方を私以上に理解し改良できる存在がいたとしたら、貴方は私よりその存在を選ぶかしら」

「――、」

 何をバカな、などとルシファーは即答できなかった。

 理論としてウェルギリウスを捨てる事は正しい決断であろうはずなのに、その思考実験の明瞭たる答えをルシファーは出力できなかったのだ。

 

「……無意味な前提だ。お前以上に俺を理解している人間がどこにいるというのなら答えてみろ」

「私の生涯に賭けて、そんな存在は居ないと断言してもいいわ」

「ならこの思考実験も終わりだ、前提条件が成立しない以上は導くべき解も存在しない」

 無意味な思考実験と切り捨てたその問いが持つ本当の価値をルシファーも――そして問うたウェルギリウスでさえも、理解などしていなかった。

 

―――

 

 ポースポロスは確かに鉄血聖女と神聖詩人を前にして、敗北を遂げた。

 己が致命傷を粉砕した筈が、それ以上の不条理を以て叩き返された形となって今に至っている。ふさがらぬ傷が、今もこうして彼の命数を削り続けている。

 気力と根性だけで歯を食いしばりながら意識を繋ぎとめているのは因果律に喧嘩を売っているとしか思えないほどに凄絶な光景だ。

 

「まだ、だ。このような所で俺は――」

 路地裏の壁に体を横たえながら、体を引きずる。聖女の一撃だけではない、二度目の特異点接続を試みた代償が心臓に刻まれている。閃奏の星を借り受けた代償の深さをも意味している光景だった。

 

 やがて、大地にその身が崩れ落ちる。

 気力も虚しく空を切るばかりだが、あるいはそれが本来正しい因果の在り方なのだろう。

 その最中。自我の寸断に至る刹那に、何者かの幻影を見た。

 

「――大丈夫ですか、そこの方?」

 品物を詰めた籠を持った一人の女が、ポースポロスへと駆け寄る。

 今手当てをしますから、死なないで。そんな声が聞こえてくる。

 

「大丈夫です、今手当てしますから。貴方は絶対に私が死なせません。だからどうか、無理をなさらないでください、名も知らぬ人」

 肩を担がれ、血で汚れるのをも厭わずに彼女はポースポロスを引きずっていく。

 息を切らせながら、彼女はポースポロスを運んでいく。

 暖かく、柔らかい背だとポースポロスは感じた。まだだ、絶対に死なせないと、そう繰り返しながら彼女は運んでいく。

 

 

 

 そうして連れられた場所は見知らぬ路地裏の家。

 そこで、ポースポロスは上着を脱がされ手当てをされていた。意識だけは食いつないでいるポースポロスにとっては、処置の痛みはノイズにさえならなかった。星の担い手としては完全なる人間の上位互換にあたる魔星にとって人間の手当てにいかほどの意味があるのかは疑問があった。

 同時に眼前の彼女への猜疑も浮かんでしまった。

 

「もう少しで処置は済みます、名も知らない人」

「……ポースポロス、でいい。名乗るほどの名など持ち合わせていない」

 白い頭巾をかぶりながら、彼女は時折汗をぬぐいポースポロスの傷口を拭いていく。

 ブリキの盥に満たされた水は傷口や体を拭った布を絞るたびに赤黒く汚れていく。小走りで彼女は盥の水を張り替えながら、手慣れた様子で手当てをしている

 

「礼は言いたい。だがなぜ、俺を助けた。俺の有様を観ていたはずだろう」

「簡単な事です。……そんなモノ()()()()()()()()()()()()からですよ。ポースポロス」

 軟膏をポースポロスの体表に薄く延ばしながら、彼女はそう答える。

 傷も血も、死体も見慣れているからと。

 

「そんな()()()()()話より、体をゆっくりとでいいですから起こして。私も支えますから」

 そう促されて、ポースポロスは抗えなかった。心底から、眼前の彼女は善意で自分を手当しているのだと思う。懸命なそのまっすぐな眼差しだからこそ、ポースポロスは拒めなかった。

 横たえている上体を起こしながら、今度は包帯を巻く。その手さばきには熟練の色が見て取れる。そして何より、彼女は凄惨な光景を見慣れていると言い放った。

 だとすれば自然と、眼前の彼女の来歴も絞られてくる。

 

「……従軍医、かそれに近しい経歴か。これだけの適切な処置を施せる者がただの市井であるはずはない」

「ご名答、と言っても元です。超人大戦(ギガントマキア)で色々と込み入った事情があって、御役御免となったわけです。今はこうして、しがない一市井を営んでいます。こうして貴方を助けたのも、半ば職業病のようなものです。こういう人を見るたびについ放っておけなくなる、私の悪い癖です」

 彼女が包帯を巻き終える直前に、彼女は手を止めた。

 

「お前は俺の素性を勘繰りはしないのか」

「私が聞けばいいのは、貴方の傷の事ですか。それとも――()()()()()()()()()()()()()その顔の事ですか?」

 凄絶な意志力を宿した青の瞳。金の髪。その面貌、身体的特徴が一体何に似ているのかと言えば、それは言うまでも無くて。

 

「元々、そういう顔で生まれてきたのでな。勘繰るほどの事情などない」

「顔に事情はなくとも、流血には事情があるんでしょう? それも――そんな恐ろしいモノを引っ提げておきながらなんて」

 ポースポロスの傍らには彼が振るっていた二刀が鞘に納められておかれている。

 

「……別に多くは問う気はないですよ。目の前で人が死なれるよりは万倍マシですから」

「仮に俺が他国の刺客だと言ってもか」

「刺客であることと、刺客だと宣誓するのとでは意味合いが違いますよ。真実そうであるならば宣誓などしませんし私を殺すと思います」

 流血を見慣れていると言い放っただけはあり物怖じしている様子はない。

 窓から照らされる太陽の光は、程よく彼女の金髪を明るく照らす。優しいその顔を前にして、ポースポロスは何もできなかった。

 ……元々、ポースポロスは元々そういう設計だ。

 怒りの執行者――不義に対する怒りこそが彼の原初の衝動だ。加えて感情の抑制にリミッターというものが彼にはない。

 だからこそ彼は善意というモノを上手く断れない。

 

「貴方がどのような宿業を背負っていようと、私には関係のない事です。助けられたはずの命が目の前で死なれる事の方が私は嫌なのです」

「……例えそれが咎有るものだとしても、か?」

「只人であれば救いが必要でしょうし、咎人であれば然るべき裁きが必要でしょう。罪業の裁定と清算もないままに死ぬ魂ほど罪深いモノもそうないでしょうに」

 咎人である、というのならそれはポースポロス自身が最も己を塵屑の咎人と断じている。

 感情の抑制を創造主によって意図的に彼は外されている。だからこそ彼は特に彼は自分の定義するところにおける不義を見過ごせず暴走を遂げてしまう――マリアンナの時の如く。

 

「ジュリエット・エオスライトと申します。エオス、ないしはジュリエット、と呼んでください。」

「……ジュリエット。感謝している、嘘じゃない。だが明日にはここを出ていく。世話になった」

「死にかけだった人が何を言っているんですか、少なくとも傷の完治も鑑みて一週間は安静にしてください。気力と気概は万能薬ではありません、むしろ痛みを誤魔化して事態の把握を遅らせて取返しのつかない事になります。恐らく症状を見る限りでは星辰体との過剰感応による中毒症状が衰弱の主原因でしょう、この手の症例は超人大戦や神天地事件で良く見ていましたから」

 慧眼というべきか、相当に彼女はやり手だと実感する。

 彼女の見立ては確かに当たっていた。ポースポロスの内燃機関は閃奏との接続により深刻な損傷を受けている。……本来であれば閃奏は容易に接続を許すような特異点では断じてない。

 故に道理を捻じ曲げて眷属となったその代償も甚大であるのだが、そのような事をジュリエットも知る由は無かろうとポースポロスは目を閉じる。

 

 

「おやすみなさい、ポースポロス」

 

 

 それは、久方ぶりの安息だった。額を撫でるジュリエットの体温が、陽光のように柔らかで眠りへといざなった。

 目を閉じて、己が内の鋼と対話する。

 そこに在るのは赫奕たる輝きを湛える太陽と、その輝きを写した黄金の海だった。

 ポースポロスは空を仰ぎながらそこに佇んでいる。

 

 

 

 

「――終末の落暉(ポースポロス)、光の後継者よ」

 太陽は、ポースポロスへ問う。

 

「今一度問おう。閃奏()を担い、お前は何を為したい」

「無論。堕天を討ち、その最果てに俺自身を焼き尽くすのみ」

 よどみなく、ポースポロスは天に向かって宣誓する。それが俺の答えだと。

 

「ならばお前は怒りは何のために在る」

「……俺の裡に眠る、戦士たちの尊厳の為にのみ」

 ポースポロスが閃奏に接続を果たした理由は、ポースポロスの設計者の頭脳だけではなかった。

 光の属性を持つ、閃奏へと接続を許された魔星。

 その真実を知るからこそ閃奏はポースポロスとの接続を許した。……例え、それが黒幕の想定通りであったとしても。

 

「……お前の祖国の戦士たち、機甲巨人化創星録(フルメタルギガース)の肉片と鋼――それが俺の素体となった達だ」

 神祖滅殺の過程で討たれた機甲巨人化創星録の戦士たち数十名余りの脳漿と肉片、強烈なる光の思惟がしみ込んだ鋼――それがポースポロスの素体だ。

 彼らは祖国アドラーに縁を持つ者達であり、同時に第三世代魔星の完成形たる限界突破の試作機とも言える存在だ。であるからこそ、不完全ながらもポースポロスはその機構を継承している。

 

「俺が彼らとは別個に独立した自我を確立しているのは、一個人ではなく肉片となった者たちの総体である事が起因しているのだろうよ。……故に俺は許せん、彼らの骨肉を弄び己が野望の薪とくべる堕天と魔女は必ず討つと決めている。それらの創造物も、俺がそうであるようにこの世界に在っていいモノではない」

「――」

 同調する無言の怒りもまた、増幅する太陽の輝きが代弁していた。

 祖国の英雄たちの亡骸を弄ばれたという怒り、許してはならない悪がこの地上に存在するという事実こそが、ポースポロスと閃奏を繋ぐ接点であった。

 そして怪物とはもとより怒りを糧とする故に、怒りという感情は両者が共鳴する唯一の感情で在った。

 

「この国には悪魔がいる。許してはならぬ、解してはならぬ、愛すべからざる者がいる。――奴らに弄ばれた者達がいる。それが俺が剣を執る唯一の理由だ」

 観る者総てを焼き尽くすような放射能光(ガンマレイ)の如き輝きを孕む太陽を前にして、ポースポロスは欠片も臆しはしなかった。

 彼もまた同じく、光の属性を持つ者である故に。

 かくして、太陽は告げる。

 

「木星の天霆よ。お前が真にお前の運命を見出した時、また相見えよう」

 

 

 

 

 

 目を開ければ、傍らにはジュリエットがいた。空はもう夕暮れの色を呈していた。

 同時にことりと傍らに食事を乗せた盆が卓に置かれている。

 

「過ぎた施しだ、ジュリエット。謝しはするが俺には要らん」

「何を言うのですか。病人は黙っていてください、それにもう私は私と貴方の分を作ってしまいました。今更二人分食べろとでも?」

 相も変わらず臆さない物言いに、ポースポロスはやはり強く出られない。

 仕方あるまいと、卓に載せられた食事を取る事にした。

 

「お前はこうして、傷つく者達を癒してきたのか。叫喚も痛みも、その死とも向き合い続けてきたのか」 

「そうですね。何度も何度も、看取ってきました。その中には私の友人もいました。……結局、それに耐えきれなかったから私は従軍医を辞めました」

 彼女の言葉は少しだけ陰りが在った。

 まだ風体はまだこれほどに若い。耐えきれなかったのは彼女が弱かったからではなく、誰よりも真摯に死へと向き合い続けたが故だろうとポースポロスは思う。

 誰かに死んでほしくないという想いも、その技量も偽りは決してない。

 一点の闇もない聖性は、鉄血聖女を連想させる。形は違えど聖女という普遍的なイメージの体現者であろうと思う。

 

「今も尚お前の手を欲する者は居るはずだろう」

「救いを求める手は無数にあれど、私の手は二本しかありません。握れなかった手を、握らない事を選んだ手を私は覚えています。今でも私の心残りです」

「……酷な事を聞いた。忘れてくれ」

 出された食事を咀嚼しながら、ポースポロスはそう自省する。

 晴れやかな彼女の顔を陰らされるのは心苦しかったという事もある。

 

 

「それで、そろそろ聞かせてもらえませんか。貴方がどうして流血していたのかを」

「許せとは言わん。断じて話せん」

 端的な拒絶が帰ってくる。困った、という風にジュリエットは頭に手を当てるジェスチャーをする。

 

 ……ポースポロスの目的はすなわちすべての至高天の階の抹殺だ。

 だがそうするにもすぐに行動に移せない理由が木星天にはあった。聖戦禁止期間を抜きにしても、彼は火星天と至高天、水星天と銀月天はともかくとして彼はそれ以外の至高天の階の顔を知らないのだから。

 ただ存在してはいる、あるいは聖戦開幕までに創造されると、創造造物主たる魔女から聞かされているだけだ。

 

「――上等だとも。望みと在らば聖戦の果て、総て諸共焼き捨ててくれる」

 病床で、その拳を割れんほどに握りしめる。

 自分の裡に眠る戦士たちの尊厳の為にも、堕天と魔女は討たなければならない。

 

 そんな彼の姿を、ただジュリエットは痛ましく眺めるだけだった。

 戦う事しか、前に進む事しかできない光の怪物。

 己自身ですら知り得はしない怒りの行く末を案じながら。

 

―――

 

 エリスさんの躯体解析から一夜明け、私――オフィーリアは装甲監獄の自室で目を覚ます。

 エリスさんについての星辰波長の解析から、エリスさんとロダンさんの相互作用についていくつかの推論を立てながら不眠不休で考え続けた。

 襟元を正しながら、白衣を羽織り髪を整えると机の傍らに立てかけていた写真に視線をやる。

 ……かつて、ウェルギリウスと一緒に研究部門に居た時に取った写真だ。尊敬していた友人だった。

 彼女はきっとそうは思っていないだろうけれど、それでも私にとってはその知性は誰よりも尊敬に値した存在だった。

 

「ヴェル。今貴女は何処で、何をしているの? どうして、私には何も言ってくれなかったの?」

 もう、彼女はオウカ長官――神祖オウカに師事して以来、顔を合わせていなかった。そして、神天地事件から夜が明ければ、彼女は行方不明となっていた。

 写真に写る彼女は当たり前に、何も答えてはくれなかった。

 

 ……今でも、彼女を案じ続けている。友人として。

 

「それでもそろそろ、行かないと――」

 過度に感傷的になるのは、佳くない。昔から私は一度悩み出せば止まらない悪癖がある。

 今日はどうしても外せない用事があるのだから。

 ……隣国アドラーのさる特使との会談において秘蹟省のトップとして出席する役目があった。議題は無論、銀想淑女と木星天という男についての事だ。

 何せ今、アドラー上層部では新種の人造惑星と木星天と銀想淑女の話題で持ち切りであるというのだから。

 

 装甲監獄を後にすれば、大聖庁の更なる中枢、会談の議場へと私は向かう。

 

 本来であればその場にシュウ様も同席したいと言って聞かなかったというが、しかし折悪くアンタルヤとの外交に絡む話で出席が出来ず私だけの出席となったという事だ。

 ……隣国のアドラーのさる特使を語る時、シュウ様は珍しくいつもの知的な態度はどこかへ吹き飛び何処か逸ったような口の回り方をするとリナ様から辟易と呆れの混じった声色で聞いた記憶がある。

 

 広大な敷地をただ一人、私は渡り歩きそして議場の扉に手をかける。

 

 ぎこ、と音を立てながら扉が開かれると、そこには一人の大男ともう一人、眼鏡をかけた女性がいた。

 ……シュウ様の話によればたしかその会談に招かれている一人はシズル・潮・アマツ。

 だとすれば、残る一人のこの巌のような筋骨の大男は――

 

 

「御噂はかねがね、アンタが後任の副長官って奴かい。初めましてと言えばいいかね。――第九北部征伐部隊・魔弓人馬、ジェイス・ザ・オーバードライブ、よろしく頼む」

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