シルヴァリオ・エンピレオ   作:ゆぐのーしす

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大体、エンピレオの女性キャラはオフィーリアなりジュリエットなりエリスなり、文芸作品と演劇からとってます。


輝きに背を向けて / Romeo and Juliet

 エリスの鼓動と体温がこれほどに身近に感じる。

 エリスがこれほどに愛しく思える。月の光を集めた、女の子。

 あの子の残滓を彼女が継承している――それはあるのかもしれない。

 

「ロダン様、どうか教えてください。私が今貴方に抱くこの想いは、私の裡から出でたモノだと思いますか?」

「なんでそんな事を聞く。俺には今ここに居るエリスが総てだ」

「私は女優になりたい、ロダン様を護りたい。その想いは変わりません。けれど、それらは総て彼女から受け継がれたモノです。……私には、私の裡から溢れたモノがありません」

 今この瞬間も、創造主の設計図をなぞっているだけなのかもしれないと彼女は暗に言っているのだろう。

 ……話に聞く数少ない前例である冥狼も煌翼も、その自我はベクトルは違えど非常に強固なモノだった。

 あちらは極晃星に願った者に応じた造形を取っていることに対し、彼女はあの子があの子の未来の理想像が形となりその存在の基盤は俺が引き継いだ形となっている。

 自立活動する星辰光という在り方においては彼ら――あるいは神祖とエリスは同質だ。

 存在の基盤が極晃星にあるか、第二太陽にあるか、あるいは俺とあの子にあるかの違いはあるが、だからこそその基盤の違いがエリスの在り方に大きく影響を及ぼしているのだろう。 

 

「……別に、それはお前に限ったことじゃない。誰の模倣でもない真に自分を自分たらしめるモノは誰だって探している。人は誰だって前例や模倣から生き方を学ぶんだ」

「私は物語の綴り手ではありません。模倣ですらなく、綴り手たる銀月天の描いた登場人物が私なのです。紙の上の存在が意志を持つようなものであり、私は文字通り彼女の夢なのかもしれない」

 自分が自分であるという根拠を、彼女は求めている。

 けれど、そんなモノは言うまでもない。

 

「良い事を教えてやるエリス。お前が紙の上の登場人物を気取ろうと俺には読解力はある。俺がお前の読者になってやる、……だからそんな事を云わないでくれ」

「……なんですか、それは。ロダン様は屁理屈だけは本当に、驚嘆に値します」

「屁理屈と皮肉は詩人の必修科目だからな」

 困ったように、エリスは少しだけバカバカしいと笑っている。

 その顔を俺は見たかったと思う、暗い顔をしてほしくはない。

 

「お前があの子の模造品だと思っているのはお前が思っているだけのことだ。お前を定義する人間がお前しかいなくなればあの子の模造品がお前の答えになる。けどそうじゃないだろう、お前は確かに実体を持って人と関わって生きている。俺にとっては、間違いなくエリスはエリスという一個人だ」

「……」

「人は人と関わって生きて行く。他者との相対視の中で人は自分の立脚点を見出すんだ。自己評価は尊重するべきだけどそれが絶対じゃない、それと同じくらいエリスをエリスという個人として認めてくれている人間が居る事もまた忘れないでくれ」

 少しだけ、彼女は口を緩ませているけれどはたと気が付くとすぐに唇を固く結んだ。

 そう言う、弱みを見せようとしないところも可愛らしかった。

 

「だから今すぐに答えを出せなくてもいい、何年かかってもいい。エリスからも聞かせてくれ。お前にとって俺はどんな人間なのかを」

「えぇ、必ず」

 そっと彼女の腰を抱きとめる。唇が、触れ合う。

 ……こんなことは幼い頃の俺の初恋だったハル姉さんにだってしたことはない。

 

「御姉様も、意地の悪い宿題を出すのですね」

「……なんで、そこで姉さんの名前が出てくるんだ」

「いいえ、女同士(こちら)の話です」

 悪戯っぽく、そこはエリスは誤魔化す。

 姉さんはさてはエリスと俺を茶化していたんだろう。別にそれはいいけれど、やはり気になりはしてしまう。

 

「不純異性交遊は禁止、なんてたしかエリスを拾った時に姉さんに言われたな」

「御姉様は屋敷の中ではそのようにしなさいと言ったのみです。ロダン様、よくご覧ください。……私達は今どこに居ますか?」

 ……ああ、なるほどと思った。屁理屈だが道理は合っている。

 悪女め、女優めと思うと思うけれど、エリスは少しだけ頬を染めながら視線を逸らす。

 そういう仕草は反則だ。

 

「私は、ロダン様とどうなりたいというわけでもなかった。ただ、お傍で一緒に居たかった。――暖かく、優しく、手放しがたい。これが、誰かを想うという尊い感情なのですね」  

 彼女と肩を抱き寄せて、影を重ねる。

 衣擦れの音を立てながら青白い灯下だけを頼りに息遣いが響く。

 不慣れなのはお互い様だった。

 

 エリスは、俺の名前を口にしてくれる。

 そのたびに俺もエリスの名前を口にする。

 

 求めるように、確かめるように、そして繋ぎとめるように。

 

 

――― 

 

 

 ポースポロスがジュリエットに助けられてより、彼は剣を握っていなかった。

 傍らに丁寧に立てかけられた二刀は汚れ一つなく綺麗だった。ジュリエットがやったのかと、ポースポロスは内心で小さく謝す。

 

「ジュリエット。世話になった、達者にしてくれ」

「ならその物騒なモノは置いていって。それと世話になったと言うのはいいけど貴方は私が助けてから何回このやり取りしましたか? 病人は病人らしくおとなしくしていればいいでしょう」

 無理矢理体を起こして出ようとしては、その度にジュリエットは止めにかかる。

 確かに、彼は本気で彼女の下を出ようとした。実力行使に出れば確かに彼女を押し退ける事は出来ただろうが、それを是とは決してできなかった。

 

 討つべき対象は至高天の機神達だ。決して刃を向ける相手は無辜の民ではない。その怒りと同等の熱量で、彼はその一線を自分に課している。

 だが、他方で鉄血聖女を討とうとしたこともまた彼は自分の中で恥じている。

 魔星の中でも怒りという感情を糧とする存在である故に、例え大局的に見て必要な犠牲や不義であっても彼は看過が出来ない――必要悪という概念を彼は許容できない。

 

「……いい加減にしないと通報するけど異存は?」

「受け入れよう、そうする権利がお前にはある」

「前言撤回。通報したらしたで絶対実力行使に出る」

 ……杓子定規なのか真面目なのか判じかねるとばかりに呆れながらジュリエットは意思疎通を試みる。

 実際、確かにポースポロスは至極理性的に受け答えをすることはできる。

 だがその上で答えが変わらない頑迷さは光の属性を持つ者の宿痾なのだろう。経路と過程が変わるだけで、最終的なゴールが変わらない。

 

「お前も大概だ、ジュリエット。俺に差し伸べる手があるのなら、他の者を助けるべきだ」

「無理ですよ、ポースポロス。貴方は()()です。……その傷以上に、貴方という人の在り方が」 

 ジュリエットは、心底から心を痛めるようにそう言った。

 彼女には既視感があったのだから。

 

「貴方のような人を、私は大なり小なり何度か戦場で見たことが在ります。たった一つ目標を決めたらそのためには自分の命さえも燃料に数えてしまう人、立ち止まって振り返るという簡単な事が出来ない人――そして、怒れる者。教えてください、ポースポロス。何が貴方を憤激させ、何が貴方を歩ませるのですか」

「……超人大戦、か。無理もない」

 自分の愚かさを、嫌というほどポースポロスは自覚している。

 悪魔を生み出すための試金石にされた者達の事を想えばこそ、胸に灯る焔は不滅なのだから。

 

「……俺にはそれしかない。宿敵でも、好敵手でもない。討つべき悪魔がこの国には居る」

「その悪魔は誰の事? 教皇スメラギが亡くなる前も後も、カンタベリーはこれでも一応神の国と言われているんだけども」

「お前が知ることはない、――知る前に俺が討つ。それで総ては解決する」

 己諸共に至高天の階を絶滅させる事、それがポースポロスの望みだった。

 歴史の皮肉でもあったろう、聖戦の再演にこの手で幕を引くためにこそ彼は英雄の光を継いだのだから。

 そのように決めたなら、もう止まる事は出来ない。

 

「この世界には人を人と思わん者がいる。人を捨てた者もいれば、人でありながら人ではなくなった者もいる。俺は奴らを――そして何より俺自身を悪魔と呼ぶ」

 止まる事はなく、初めから結論は決まっている。怒りの行き先等初めから虚無に決まっている。

 故に己もまた悪魔なのだとポースポロスは定義する。

 

「……私は、ポースポロスの事情を知る人間。いつ貴方の事を口外するとも知れない。そんな私は殺した方がいいとは思わないの?」

「否。お前は悪魔などでは断じてない。目的達成に必要な犠牲でもない。故に俺にはお前を斬れん」

「でも、私ではなくても誰かを殺すんでしょう」

 物怖じをしないのはジュリエットの気質なのだろう。

 死と戦争を身近で見過ぎた人間なら、そうなっておかしくはないのだろうとポースポロスは彼女の目を見てそう思う。

 例え武器を握らずとも、彼女もまた戦い続けた人間なのだと目を閉じながらその在り方にポースポロスは敬意を抱く。

 

 こうして例え非力であろうと自分を止めようとして、咎めようとしている。その在り方こそ誰かにとっての真の光であるべきなのだろうと思う。

 

「私はポースポロスを悪魔にしたくない」

「俺は既に悪魔だ。お前に手を施される価値等ない」

「それは私が決める事。黙って聞いてれば貴方は自分を責めてばかり、誰かに自分の事を聞いたことはあるの? というか貴方友達いるの、そんな石頭じゃ答えは見えてるけど」

 ……彼女の言葉にポースポロスは耳が痛いとばかりに苦笑いを少しだけ浮かべる。

 

「……そうだな、俺には友と呼べる者は居ない。居るのは悪魔だけだ」

「じゃあ、私が友達になってあげる。ポースポロス」

 何を突拍子もない事を言う、とポースポロスは呆気にとられる。

 彼女は指を突き付けて、大真面目にそう宣言して見せる。

 木星天の宿痾に対峙して見せると言っているのだから、呆気にとられる事に無理はない。

 

「俺が恐ろしくはないのか」

「一番浅くても大体十五ミリも肉を抉られて死にかけてるくせに気合と根性で生きながらえてる人なんて誰だって恐ろしくないはずがないでしょ。少しは常識を語りなさい常識を」

「正論だな、反論の余地がない」

 微塵も恐れる様子はない風なジュリエットの在り様に、内心ではポースポロスはそちらも常識を少しは言えと思う。

 物理的な強さに怖じず正しい事を正しいと言える強さを彼女は持っている。

 

「だから、私が貴方の友達になってあげるの。――貴方の病を絶対に治して見せるから」

「そちらが主題か、ジュリエット」

「友達になる事も、貴方の病を治すことも、喋った順序が違うだけでどっちも主題」

 ……

 

「もう一度だけ聞く。俺が恐ろしくはないのか、ジュリエット」

「貴方の言動は一貫してる。悪意があるわけでも、秩序や人の善性を試みようとしているわけでもない。むしろ逆で、善性に基づく行為に対しては貴方は上手く拒めない。報復の動機は恐らくは義憤――怒りだけ」

「――」

「……と訳知り顔で言ったけど、旧暦の心理学をかじった程度で分析できる範囲ではそうだと結論づけるしかないというだけ。貴方の問答からあなたの心理的傾向を類推できること、その呆けた顔を見て大体答えに近い所を言い当てられたなと推測する事ぐらいしかできない。でも貴方は悪意で人を害そうとする人じゃない」

 体だけではなく心理学についても彼女は長じていた、ポースポロスの性質についての概ねの部分は彼女は言い当てていたと言えるからだ。

 であるからこそ、ポースポロスは少しだけ怪訝に思う。どうしてこうまでして自分に付き合うのかと。

 

「……なら聡明なお前には分かるだろうジュリエット。お前が考えている通り俺は重症だ、諦め方も、諦めるという行為も俺は知らん」

「私も、実は同じ。一度治すと決めたら諦める事を知らないの。……おかげで精神を病んで薬だけがお友達になって、超人大戦で従軍医を辞めることになったけれど」

「死に対する極度の潔癖症――いや、無理もない。あの大戦は文献や記録で追う限りでは相応に酷いモノだったと云われている」

 人の病と死に対し彼女ほど真摯であった人物は希だ。彼女の指が指し示す先には向精神薬に類する薬が入っている瓶があった。

 少しだけ、陽の光から顔を背けてポースポロスは目を閉じる。

 

「……好きにすると良い。お前の気が済むまで俺はお前に付き合おう」

 

 

―――

 

 

「……ポースポロス、少しだけ散歩をしない? いつまでも引きこもっているのも退屈でしょうに」

「気遣いは無用だ、俺の顔はカンタベリーに限らず何かと都合が悪い」

「大丈夫、服を用意してあげるから。フードを被れば案外とそうそうバレはしないし」

 そう、急かされるように彼女に服を着せられポースポロスは体を起こす。

 フードの深いコートを半ば無理矢理着せられると、ポースポロスは彼女に連れられ部屋を出る。

 

「……人見知りの振りをして。とにかく誰とも目を合わせないで。名前を聞かれたら適当にケネス・ブライトとでも答えて」

「気遣いは要らんと言っているがケネス・ブライトか。分かった」

 ポースポロスの長身は少し目立つが、彼女は何も気にしていない様子だった。

 とは言え彼女の気遣いを無碍にすることもまた等しく彼には出来ない。

 

「まず、そもそも貴方何処の出身?」

「聖教皇国だ」

「大嘘。言葉の訛りはアドラー」

 ジュリエットは呆れたように即断するがポースポロスは決して嘘は述べてはいない。

 そのルーツは確かにアドラーに在るものの、製造されたのはカンタベリーだ。言語の訛りは恐らく素体に引き摺られた結果だろう。

 

「そのどこかの英雄の肖像画を連想させる紛らわしい顔は?」

「元々俺はそういう顔で生まれてきた、顔を訝られるのは慣れている」 

「……そうね。整形の痕とかなかったし」

 実際の所はポースポロスの顔は意図的に創造主が似せて創った、という意味合いでは偶然ではない。

 接続機能をより確固たるものとするために記号上の特徴としても、属性としても本家本元の英雄に限りなく近づけることを目標として設計されている。

 

「外に出るのは良い。だが俺は何をすればいい、ジュリエット」

「うーん、リハビリ? それからちょっと図書館につきあって」

 まるで病人か何かのように扱われている事に、しかし彼はむしろ理解を示していた。

 彼女の観察眼は確かに星辰体の過剰感応症状を正しく見抜いていたのだから。図書館――彼女は読書が趣味なのだろうかと推測する。

 

「旧暦大和の象徴的建造物、と云われているヤツだったか」

「それは国会議事堂。私が言ってるのは旧名、国立国会図書館よ。日本国での出版物の多くがここに所蔵されていると言われている」

「……」

 国立国会図書館――改めカンタベリー聖教皇国聖庁大書院。

 大破壊による同時に失われたとされる多くの文芸作品や論文が所蔵されている。

 

 かつて神祖と呼ばれた者達の手で少ないながらも資料は保存されており、劣化著しいモノは写本として継承されている。

 この手の旧日本の資料の修繕・保全作業に従事する雇用の創出は神祖の功績であると言えるだろう。

 聖教皇国の出版物もまたここに所蔵されており、同時に文芸作品の出版も担っている一大施設である。

 聖教皇国国民であればだれでも利用のできる場所であり、制度としては旧日本の図書館のそれを継承している。

 

 フードを深くかぶり、視線をかわすようにポースポロスは俯きながらジュリエットと入館する。

 

「ジュリエット、なぜ俺を此処に連れてきた?」

「剣ではなく本に楽しみを見出しては、と思ったけど」

「俺は剣も流血も楽しんだことはない」

 流血を彼は決して好みはしていない。

 むしろ秩序と平和の必要性そのものは理解しているし聖教皇国に仇を成すつもりも、アドラーに利するつもりもなかった。

 

「本は好き?」

「特別嗜んだことはないが嫌ってはいない」

「ならよかった。思ったより、乱暴な人じゃなくてよかった」

 ジュリエットはそんな風に安心したとポースポロスに言う。

 書架にある本に目を細めながら、ポースポロスは眺めている。

 

「借りる本、迷っているの?」

「書に特別親しんだことはないと言ったはずだ。俺よりはジュリエットが長じているのだろう」

「じゃあこれはどう?」

 指先で本の背を追いながら、ジュリエットは指先で二冊を選んだ。

 一冊目のタイトルは「新暦版 ロミオとジュリエット」。旧暦の劇作家、ウィリアムシェイクスピアの著作の一つであるとされている。

 二冊目は「新暦版 モンテ・クリスト伯」、アレクサンドル・デュマの著作である。

 

「お前の名前と同じか」

「気分よ気分。それに、この本を新西暦向けに翻訳した人はとても腕がいい事で実は有名よ。旧暦と新暦だと言語体系も異なる分、この手の翻訳家って旧暦文章の繊細なニュアンスを新暦の言語に訳すセンスが必要な技術職でもあるの」

「……神聖詩人」

 本に書かれている翻訳を担当した人物の名に、思わずポースポロスは目を細める。

 A・ロダン。かつて自分が剣を交えた相手でもあった。あまり売れない作家であったことは覚えているが、翻訳に長じるのは初めてポースポロスは知った。

 旧暦と新西暦の歴史は地続きではあるが言語体系は大きく変化しているのその繊細な差異を捉え翻訳できるという職業は成程、文化の側面から見て重宝されるだろう。

 何より文学作品を通じて旧暦の事情を垣間見ることもできるだろう。

 

 

 それから銀月の天に選ばれた男の行く末に少しだけ考えを馳せる。

 彼は吟遊詩人(オルフェウス)とは違う。同じように、己もまた英雄(ゼウス)とは違う。

 

 そして己には宿敵であれ最愛であれ、傍らには誰もいない。故に彼らとは道が交わる事は無かろうととりとめのない思考を打ち切った。

 銀月の天も至高の天も、この手で堕とすと決めている。一度決めたら、諦めるという決断は彼には有り得なかった。  

 

「……おーい、ポースポロスさーん?」

「すまない。考え事をしていた。待たせたか」

「心ここに在らず、といったところだけど?」

 ジュリエットに急かされ、背を押される。時折体を気遣うようなそぶりを見せながら、圧迫しすぎないように背を支えている。

 人体の構造をよく理解した上で彼女はそうしている。どういう風に支点と力点を受け持てば痛みを感じさせないようにできるかがたったそれだけの彼女の行為からも想像できる。

 

 彼女が抱える本は旧暦の医学書であり、なるほどとポースポロスは理解をした。

 

「……お前は良い医者に成れる。抱えた本の数々からもそれは明白だろう」

「医者になっていい事なんか、私にはなかった」

 彼女の声は少しだけ陰りを帯びる。抱えた本の古ぼけた包装が彼女の内心を代弁するように軋む。

 一文字に結ばれた彼女の唇は誤魔化すように微笑むだけで何も語らなかった。

  

 卓につけば、朝日に照らされながら彼女は医学書を開いていた。人体の構造や臓器の簡易な図が、モノトーンで描かれている。

 彼女は懐から紙を出せば、そこにさらさらとペンで書き写している。

 勉強熱心なのだろう。丁寧に書き連ねられた乱れの無い筆跡も彼女の気質を示していた。

 

 それから、少しだけロミオとジュリエットをポースポロスは開く。少しずつページをめくる。

 

 ……あまり、世辞にも明るい話であるとは言えず少しだけ目をひそめる。

 モンタギューの家に生を受けたロミオは、キャピュレットの娘たるジュリエットに恋をする。

 彼らはやがて結婚を果たすが、その幸せにも陰りがさす。

 

 ジュリエットと同じ血筋の男と諍いを起こしロミオは彼を殺してしまい、それが原因となりロミオとジュリエットは家ごと道を分かたれジュリエットは別の男と結婚をさせられそうになるという。

 

「暗い話だな。救いが無さすぎる」

「そういう作風の作家で、そういう話が当時の人々には受けたというだけ」

 ロミオとジュリエットの結婚を取り持った修道僧の一計によって、仮死薬によって死を偽装しジュリエットは望まぬ結婚を避けようとする。

 不幸な行き違いによってロミオはその一計を知り得ることもなく、仮死したジュリエットを前にして絶望したロミオは死を選択する。

 その後目覚めたジュリエットもまた、死したロミオを前にして本当の死を選ぶ。

 

 ……名前は同じでも、眼前のジュリエットとはまるで似つかないなと、少しだけ目を閉じる。

 

「ジュリエットは暗い話が好きなのか」

「名前が一緒だから選んだだけ。私の名前の由来も、ロミオとジュリエットだって母さんは言ってたかな」  

 手当された家で見た時と同じく、太陽に照らされる彼女の顔は美しかった。

 

 妙な人間関係が構成されてしまったと、少しだけ思う。

 

 最終的には自分が取る道は何も変わらない。彼女の施した優しさも、この束の間の穏やかな日々も結局は振りほどく――自分の手で無為にしてしまう。

 

「ロミオ、なぜお前はロミオなのか――ロミオの秘密を知ったジュリエットの言葉か。……真実を明かさん俺へのあてつけでこの本を選んだか」

「ロミオと自分を重ねているの? 案外と面白いところあるのね、ポースポロス」

「……俺を非難する道理がお前にはある、すまない」

 正真正銘の聖戦の再演、それを無傷で成せるなどとはうぬぼれていない。まして生きてそれを成し遂げようなどとは毛頭考えていない。

 やれるかやれないかなどという議論は既に通り過ぎている。決めたからこそ征く、それ以外の選択肢を彼は持ち得なかった――今はまだ。

 

 

 そして彼らは知り得はしない。その書架に陰に蛇は潜んでいるという事も。

 無精髭を生やした伸び放題の髪をした一人の男は、彼らを遠目から盗み見るように眺めていた。

 蛇のように目を鋭く向けながら、その唇の端を愉悦と喜悦に歪める。それは数年来の宿敵にようやく出会えたような歓喜に打ち震えていた。

 

 

 

 

「――見つけたぞ英雄(ヴァルゼライド)。今度こそ俺は俺の総てをお前から取り戻してくれる」

 

 

 

 

 

 

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