ジェームズ・ガンドルフという男は、ロダンが第六軍団を去ったのちに後を追うように去っていった。
「……考えを変える気はない、か。すまなかったな、ガンドルフ。本来であれば俺も責をとってⅠ位の座を辞すべきなのだろうが」
「いや、いいさ。どのみち、俺はあいつをちゃんと育ててやれなかったしもともと体にはガタが来てたんでな」
「達者でな、リヒター。俺はまだ、もう少しだけ第六軍団でやらなきゃならんことがある」
剣を置き、ガンドルフはそう言ってリヒターの下を辞していった。
誰よりもロダンと間近で稽古をしていた故に、今でもなおもその手には時折イップスの兆候を生じている。
神天地事件の後にガンドルフは細々とだが、修理屋を営んでいる。
銃や機械式の時計――果ては物理式演算機など、様々な機器の修理を請け負っている。
元々、ガンドルフは騎士となる前はそれが本業であり、騎士になってからもしばしば仲間内での時計やその他の携行する物品の修理を担っていた。
ある種、彼の剣は手先の器用さにも起因するものではあり――そんな彼にもロダンに代わる新たな門弟というべき人物がいる。
ただしそれは修理屋としての門弟――ではない。
「よう、店主殿。そろそろ時間だろう、いつもの稽古を頼む」
「まったく、お前の
「俺には必要だよ、大問題だ。剣を握らない時がある事が耐えられない性質でな」
ガンドルフはそう呆れたように、閉店した後の店の奥にたたずむ一人の青年に声をかける。
「――ほら、いくぞ。
―――
聖教皇国機関学校――旧暦で言う所の大学というものに相当する高等教育機関を卒業した私は、当初からの目標だった聖教皇国の技術部門へと配属された。
アインシュタイン家はウェールズのごく一般的で、少し周りと比べると貧しい家庭だった。
父や母を少しでも支えたい一心で私は勉学に励み続けてきた。歩みは遅いかもしれないけれど、努力を欠かさなかった自負だけはある。
かけた時間と主席卒業の事績が私のプライドでもあった。
けれど、世の中には本物の天才というモノが居る。理由もなく、ある日突然閃光のように彼らは現れる。
ウェルギリウス・フィ―ゼは私にとってはそうした類の人種だった。
端正で、人間味というモノをあまり感じさせない冷たい顔つきだった人だ。
私と彼女は同じ頃に所属したいわゆる同期という奴だった。
星辰奏者を創り上げるための手術に関して、そのいくつかのノウハウは彼女が大きくかかわっているものの、その頭角を現したのは軍事帝国アドラーの技術流出より以前からだった。
星辰奏者を創り上げるための手術における星辰体照射時間や、人体曝露への危険性等をヴェルは予見していた。実際、彼女の考察と予言のいくつかは星辰化手術が実用段階に至る過程で証明されていった。
実際のところ彼女が星辰化手術の技術開発に携わっていたのは英雄崩御から数えて約一年程度だったが、それでも彼女の功績は非常に大きかった。
私にもプライドというものはあり、それは自分が知識を得るまでにかけた時間に起因するものが大きかった。それだけに私は彼女と所属が一緒になって早々にぐうの音も出ないほどに完敗した。
私のかけてきた時間の意味を一蹴するかのように、彼女は己が才を示していく。
卓越した見識と論理に裏付けられた議論は彼女の知性を証明し、第六感めいた閃きによって難題を乗り越えていく様はその天性の証明していた。けれどそれ以上に、彼女の根底にあるのは科学と数理への真摯さだった。客観的観測によって証明された不変をこそ彼女は愛していたのだろう。
彼女はあまり信心深い性質ではなかったが、それでもそれに代わり得る最高教義というべきものがあったとすればそれは間違いなく科学だったと思う。
……当然、往々にして一定の集団において突出した個性を持つ者は浮いてしまう。
彼女はその知性と天性の代償なのか、あまり人づきあいというモノが上手くなかった。一定以上、知性の水準が違えば会話は成立しないと良く言われるが彼女の場合は特にそれが顕著だった。
彼女と対等な議論ができる人間は、彼女が在籍して半年もすればほぼ居なくなっていた。
嫌味を言うわけでも、罵倒するわけでもなく、淡々と彼女は実績と在り方によってのみ知能の優劣を明らかにしていく。
それゆえに彼女も孤立を深めていくし、孤立を悟ると彼女は話の水準を自分以外に露骨に合わせるようになった。
余計な軋轢を生むのも賢い選択ではないと思っていたのだろうけれど、それがまた彼女以外の人間をみじめにさせる要因にもなった。
けれど、私はそんな彼女を知りたいと思った。
何をして生きてきたら、そんな風になれるのか。どうしたらそんな風な天才になれるのかと。
私が成りたい研究者の人物像は、何の苦労も顔に出すことなく御伽噺の探偵がごとくに颯爽と難題を解明する――まさにウェルギリウスのような人だったから。
いつも彼女は一人で食事を取る。そんな折に私は彼女を尋ねてみた。
「ウェルギリウス、少しお昼の休憩時間いいかしら?」
「……ええ、と貴女は」
「フルネームは長いからオフィーリアでいいわよ」
彼女は人の名前をあまり覚えてない。
そのせいもあり人名が主語になるような会話は自然と周囲の方からしなくなっていった。
彼女が口を開くのは議論の時か職務上必要と判断した時のみだ。
しかし同時に彼女の才能と実績故に周囲は遠慮と配慮をするようになった――結果、ヴェルは一度としてそのように要求した事が無いにも関わらず自分に環境を従わせることに成功していた。
環境に合わせるのではなく、環境が自分に合わせるべきという、そんな彼女の在り方は一種私には羨ましく映った。
「……それで、御用は何かしら。ミス・オフィーリア、朝の議論の続きなら歓迎するわ、場所を移しましょう」
「いえ、そんな堅苦しいものではないわ。貴女の事を同門の仲間として知りたいと思ったの」
「なら、他を当たるといいと思う。私がどういう人間かぐらい、貴女なら分かっているでしょう」
興味が無い、という風ではなかった。
けれど、その行為はあまり意味がないと彼女は言っているようだった。
「他の人の事は大体覚えてるわよ。でも、貴女だけは今の今まで全く知らなかったもの」
「そう、なら手を煩わせるには及ばないわ。私の経歴についてはあとで論文用紙一頁分にまとめてオフィーリアに渡すけれど」
「……貴女、それで良く機関学校を卒業できたわね」
「たしか貴女はウェールズの方だったからしら。私はスコットランドよ」
彼女は研究の事以外に興味を示めさなかった。
……恐らくは同じように、彼女はそういう在り方を続けた末に機関学校を卒業してきたんだろう。
「私の事を知りたいのなら好きにすれば聞けばいいと思うけど。けれど人のプライベートに立ち入る以上タダ、というのはあまりフェアではないわ」
「……つまり?」
「最低限、私と議論できる水準になったら考えてもいいわ。……ここも退屈な場所よ、機関学校と何も変わらない」
……彼女の言葉は、少しだけ寂しそうだった。
それは天才ゆえの孤独なのだろう。演算機のように透徹としていた彼女の、数少ない人間らしい表情だった。
「……受けて立つわ、ウェルギリウス。元から、私は貴女に追い付きたいと思っていたもの」
「そう。なら、努力するといいわ。私は何時でも待っているから」
彼女は、特に興味もなくそのように言う。
心底から、私に何の期待もしていないのだろう。私も他の研究員と同じだと彼女のその目は算定している。
……そんな彼女の様に私も少しだけ腹が立った。
というよりも、プライドという奴を刺激されたのだろう。憧れの相手にこうまで無機質に返されたら、何が何でも振り向かせたくなるのが私の気質というモノなのだろう。
それで、彼女の初対面は終わった。
それからというもの、私は彼女の執筆した論文――果ては彼女の卒業した機関学校での彼女の卒業論文まで取り寄せて目を通した。
彼女が私の遥か先を行っているというのなら、彼女の遺して来たモノを精査しなければならない。
彼女が如何なる手法と数式を用いてきたか、彼女はどのような側面から事象事物を見ているのか、それを彼女の論文の中から知りたかった。
学生時代の論文でさえ彼女は機関学校で扱う範囲ではない定理や計算手法を彼女は用いていた。あるいは、彼女が自分で導出した新たな定理もその妥当性を証明した上で自身の論文に用いていた。
……啓示を受けて書いたのかと思うほどに、それは難解に過ぎた。職務の傍らで何度旧暦の学術書を開いたかなどまるで記憶がない。
そのたびに私は彼女との距離を感じる。私は彼女のようになりたいと思ったけれど、それは人間としての彼女だ。
彼女の事を知ろうとすれば知ろうとするほどに、彼女の事がわからなくなっていく。もし彼女が
論文や彼女自身を見て私は痛感した。彼女はきっと、人と同じモノの見え方をしていない。
彼女にとっては森羅万象全てが数理であり、理論と数式を以って換算する対象でしかないのだろう。
あらゆる事物が現象としてしか恐らく捉えられない――故にその現象の原理を解き明かすことに彼女は異様に長けている。
「……驚いた。冗談で言ったつもりだったのに、まさか本気でやるだなんて」
「貴女がやってみろと言ったのでしょうに、ウェルギリウス」
私の努力という奴はある程度一定の形で実を結んだのだろう。ウェルギリウスの議論についていけるようになってきたころには、彼女は少しだけ驚いた顔をしてそう言ったのだ。
……彼女の話を理解できるようになれば、彼女の見ている世界も分かるものかとは思ったけどそんなことはなかった。
むしろ感じた者は卓越した智、それ故の孤独だった。
深淵を覗く時、深淵もまたお前を覗いている――とは誰の言葉だっただろう。
理解が難易極まる彼女の論文に広大な荒野を一人往く旅人、そんな姿を幻視する。
彼女が何を求めて智の果てを目指しているのかが私には分からなかったし、今にして思えば彼女自身もそれはわかっていなかったのかもしれない。
「見直したわ、オフィーリア。私と同じ水準で議論をしようとしてくれたのは貴女で初めてよ」
「……やっとこれで貴女は私を見てくれたのね、ずいぶん苦労したわ」
「――
ウェルギリウスは、やっと私の眼を見てくれた。
彼女の眼には興味の色がほんの少し見え、少しだけ唇の右端は笑っているようだった。
「その薄い隈の浮かんだ顔を見ればわかるわよ。大方、過去の私の論文でも眺めていたのでしょう、あるいは、その参考文献や学術書かしら」
「……生憎と、時間をかけることしか能がない女なのよ。どこかの誰かさんのように脊髄反射で理論を考える天才とは違う」
「努力できることも気力も才能の一つ。私は貴女みたいに知識を得ることに多大なエネルギーを必要としなかった人種だから、私にはそういう
……それは、褒められているのだろうか。嫌味なのだろうか。
彼女はあまり他者を罵倒する事もこき下ろすこともなく、それを悦とする感性からは程遠い。だから素直に賛辞として受け取っていいのだろう。あとは私の捉え方ひとつの問題だ。
「……貴女の見どころ、できる事ならもっと見せて。ええと、貴女の名前は……」
「オフィーリア、よ。ハムレットのオフィーリア。天才のくせにもう忘れたの?」
「ありがとう、オフィーリア。それなりに、今の貴女には期待してるから」
期待している。
それは機関学校にいたころに良くかけられていた言葉だった。けれど、彼女に言われると私はたとえようもなくうれしく感じてしまう。
それから、私は彼女の手を取って、握手した。
ぽかんとした表情をしていたウェルギリウスだったけれど、そんなことはお構いなしだった。
「これからよろしくね。ウェルギリウス。いつか貴女に並んで見せるから、その時までもう少しだけ私を認めないでおいて頂戴。私は貴女と違って凡人だから自惚れやすいの」
―――
ウェルギリウスが、神祖オウカに師事したのは神天地崩壊の二年前だった。
神祖滅殺は成り、その後処理に聖教皇国は裏も表もなく駆り出された。
神天地に巻き込まれた全国民の後遺症の検査、それから神祖たちの所業の隠蔽。
何から何まで、聖教皇国の総力戦の様相を呈していた。
シュウ様とリナ様は端的に言えば神祖の側の人物ではあったものの、だからこそという側面はあったのだろう。崩壊寸前の聖教皇国を取りまとめるにおいて彼らの尽力は必要不可欠であった。
私は神祖オウカの後釜として、長官となる事をシュウ様からは伝えられたけれどそれの言葉には容易には頷けなかった。
……それは恐らく、ウェルギリウスが神祖オウカへ師事していったことへの嫉妬だと自覚している。
ウェルギリウスと離れ離れになった要因にもなった人物と同じ肩書を名乗るのは、あまり気が進まなかった。
結果、シュウ様とひと悶着はあったものの妥協案として副長官とさせてほしい、と言う形で決着はついた。
そのウェルギリウスは、神天地が崩壊して以来行方不明となっていて、私は彼女の安否をいつも気にし続けていた。
聖教皇国の復興はリチャード卿率いる第一軍団が主軸となり、海を隔てた隣国アンタルヤのリベラーティの手も借りつつ元の姿を取り戻していった。
私には復興に並行し神祖たちの遺した研究資料の解析という仕事もあった。
大破壊から、聖教皇国の今に至るまで科学を司っていた神祖オウカの遺した資料は膨大なものにわたる。
その中には、ウェルギリウスの遺した論文も当然あった。神祖オウカよりも先に、私は彼女のそれを見ることにした。
ウェルギリウス、彼女の遺した論文には私は当然興味があった――けれど、その学徒のような期待は無惨に打ち砕かれることとなる。
……倫理観というモノが根本から欠如しているとしか思えない、非人道的な試みの数々がそこには羅列されていた。
至って冷静な、何の感情を交えることもない文章が、ウェルギリウスの所業を示唆していた。
肉と鋼を縫合による、半人半機の魔星創造の試み。
過剰な星辰体照射による星辰奏者の疑似蘇生。
……果ては
挙げていけば、きりがない。
読めば読むほどに気分が悪くなっていく。
夥しく量の、悍ましい試みの数々に、私はウェルギリウスの正気を疑った。恐らくこれだけの量をこなしたことから、神祖オウカに脅されてやったわけではなく自主的なものだろう。
……私は、彼女を理解していた気になっていただけではなかったのかと思いさえしてきた。
確かに彼女は特に動物実験においては倫理観が少し欠如している側面はあった。けれど、それでもこのような実験の数々を平然と行うような人間だったのか。
あるいは、私は「そんなはずはない」と思っていただけなのかもしれない。
彼女の論文に散見されるのは、魔星創造への試みだった。
……そして、ある一つの不出来な。
正体不明の魔星が闊歩しているというこの聖教皇国の現状において、シズル氏の慧眼は間違いなく全ての黒幕の輪郭を捉えていた。
『人が秩序や倫理に挑む時――それは例え挑んででも成し遂げたい望みがある時よ。そうしたモノが木星天や銀月天と言われる存在の創造主にはある――あるいは、それしかないと私は考えているわ。魔星の本来の製造方法は本来、死体を材料とすることだから』
『魔星を創造出来得るだけの卓越した頭脳を持ち、倫理観に乏しく、今も尚かつ行方の知れない人物――それらに当てはまる人物、貴女には見当はつくかしら。オフィーリア副長官』
かつて、愛に狂い数々の非道に進んで手を染めた者だからこそ、通ずるモノはあったのかもしれない。
彼女の条件に当てはまりえるのは、ウェルギリウスしかいない。
彼女の才能を誰よりも信じているからこそ、私はそうだと結論付けざるを得なかった。
彼女の倫理観を誰よりも信じたかったからこそ、私はその疑惑を否定しなければならなかったのに。
「……これが、私が彼女を重要参考人と考える理由よ」
副長官の話には、確かにそれなりに道理は通っていた。
自分にとっては「かつてそういう名前の天才的な研究者がいた」という程度の話でしかウェルギリウス氏の事は知らない。
横目で見るとエリスも疑問符しか浮かんでいないような顔だった。知る人は知るだろうが、しかし概ねその名の認知度は高いとは言えない。
「副長官。確かウェルギリウス博士は今はレディ・アクトレイテの捜索中では?」
「えぇ。ところが箸にも棒にも引っかからない。この国にいるのか――いるとして、生きているのかどうかさえも私たちはいまだにわかっていない」
グランドベル卿の疑問に対し、副長官はそう答える。
「すべては疑惑の域をすぎない。けれど彼女の失踪に関連するかどうかを抜きにしても、私は彼女を探す意味はあると考えている」
「……実際に試作とはいえ魔星を完成させている実績があるから、か」
「加えて、飽くまでこれは可能性の一つだけれど――」
副長官はそう言うと、ゆっくりと俺たちを指さした。
「……もし、何等かの手段で神天地から何かしらの記憶や知識を持ち帰ってきて、それが魔星製造に生かされているとしたらと? 現に木星天の完成度は半端ではなかったもの」
「ご名答。……現に貴方達はあの神天地での記憶を持ち帰っている。星辰人奏者と星辰神奏者によって生み出された
「至高天の階のいくつかは恐らく彼女の独力で創造されたが、神天地事件以後に生まれたモノに関してはそれが生かされているということか」
……荒唐無稽で、証拠もない。副長官の想像の上での話に過ぎない。
当の副長官自身、これは推測に過ぎないから忘れなさいと言っている。
「私から伝えたいことはそんなところよ。恐らくは貴方達にも無関係ではない話だろうから、こうして集まってもらったの」
「……副長官、そのウェルギリウス氏がエリスの創造主を創ったのか?」
「重ねて言うけれど、推測に過ぎないわ。それでも彼女はいまだ公的には行方不明者とされている。事の真偽はともかくかつてはアメノクラトの調整を担当し、曲がりなりにも魔星を製造に成功しているという時点で疑惑としては充分よ」
感情を抑えるような早口で副長官はそう見解を述べる。
かつての自分の友人を疑わなければならない、そういう苦悩もあったのかもしれない。隠し切れない痛切の色が彼女に顔からはうかがえる。
「彼女が自分で持ち去ったかは知らないけれど、残された論文にある魔星製造の試みは一体だけよ。それから彼女はどうも、もう一体魔星を製造しようと考えていたみたいね。干渉性特化型の人造惑星――とだけしか書いていないわ。……気分の悪くなる話だけれど、魔星製造のための素体をいくつかはリストアップしていたみたい」
「――待って、くださいオフィーリア様」
エリスはそこで副長官の話を遮り声を挙げた。
エリスの問いたいことは、俺も分かる。わずかにエリスの眉間は歪んでいた。
「オフィーリア様。今から私がお聞きする事に答えてください、そのようにすれば貴女の疑問は解決し、至高天の階をめぐる全ての謎は解明されるでしょう」
……その干渉性特化型の人造惑星の成果物がもしあの女の子――銀月天であったとしたならば、至高天の階を名乗る魔星達の黒幕は明らかとなるだろう。
エリスの声は震えていた。
「その魔星の素体候補の中に、クラウディア・ハーシェルという人物は存在しましたか?」
「……それは、誰かしら」
「今までロダン様だけには明かした事のある名――私の創造主の本当の名です。銀月天を創造する礎にされた、一人の女の子です」
彼女は、数枚の手元の資料を手繰り視線を少し這わせるものの、数刻の後に視線の移動は止まった。
……嘘だろう、というかぶりふるいながらオフィーリア副長官は天を仰ぐ。
あるいは心のどこかでは真実には薄々辿り着いてはいた上で、自分の推理が間違っていて欲しかったのかもしれない。
「――いたのですね、オフィーリア様」
「……ヴェル。私は、それでも貴女の事を信じたかったわ」
エリスの問いの答えになどまるでなっていないが、それでも態度は雄弁だった。
けれど至高天の階にまつわるすべての謎は――あの子を魔星に変えてしまった人間は、明らかとなった。
エリスもこくりと、無言でうなずく。
――ウェルギリウスと俺たちは対峙しなければならないのだと、そう強く思った。
副長官の沈黙は、何よりもその苦悩を代弁していた。
「……エリスさんと、ロダンさんは収容室に戻っていいわ。グランドベル卿とランスロット卿は申し訳ないけれど、少し残ってもらえるかしら」
「えぇ、問題ありません」
「グランドベル卿に同じく、俺も異存はない」
リヒターとグランドベル卿は首肯する。
それから俺たちは背を向けて、収容室に戻ることにした。
……その最中、背中から声が投げられた。
「……ありがとう、エリスさん。貴女のおかげで私達は全てを知ることができた。副長官として、貴女に礼を言うわ」
―――
俺たちは、ゆっくりと収容室へと戻っていく。
もう、陽がくれかけている。
聖庁の中庭をエリスと二人歩く
「ウェルギリウス、か」
「えぇ。あの子を魔星に変えた――恐らくは全ての黒幕でしょう」
……ウェルギリウス・フィ―ゼ。
オフィーリア副長官の話から伝え聞く限りの彼女は、どうにも人間味というものが感じられなかった。
透徹とした演算機――俺と会うよりさらに昔のエリスの様とよく似ているようにも感じられた。
あの子を魔星に変えたことへの怒りはある。けれど、それはウェルギリウスが見つかってから論ずるべきであり、法に従って裁かれるべきだと思う。
「だとすれば、因果なものだ。神曲の絵図をなぞっているにもほどがある、ウェルギリウスという名前もその最たるものだろう」
「神曲において、詩人は地獄の門から煉獄の頂まで
「そして、月の天のその先を淑女に導かれ至高の天に至る――か」
……俺にとっての
なら、
それは初めに騎士姿が似合うと言ってくれたハル姉さんであり、騎士としての俺の面倒を見てくれたリヒターやガンドルフ卿であり、グランドベル卿であり――俺が詩人となる決断をさせてくれたあの子だ。
「……俺は生きているのなら、もう一度あの子に会いたい。会って、ありがとうと伝えたい」
「私も同じです、ロダン様。いつか、必ず見つけましょう」
決意を新たに、エリスとぎゅっと手をつなぐ。聖庁の夜は、少しだけ寒い。
帰路を辿るその過程で一人、見慣れない人物が視界に入った。
その人物は本を片手に、俺たちへと視線を向けて歩いてくる。
目測ではおおよそ身長は一八〇程度。長身で、金色の髪が眩しい端正な顔つきの男だった。
片手に持っているのは――「新説・神曲」。
装いこそは技術部門の白衣だが聖庁で働く人物に、そんな目立つ身なりの男を見たことはない。
あるいは俺が知らないだけかもしれないが、その人物は俺と目が合うと謙虚に頭を下げた。
「失礼、俺は聖庁で働いているルシウスという者だ。俺はこの本のファンでな、――人違いであれば申し訳ないとは思うが、著者のロダンという人物はお前の事で相違ないか?」