ルシファーはその変容に目を見張る。
月の純白を纏っていたはずのエリスの天衣は黒く染まる。その有様が死想冥月にあまりにも酷似していた事に驚愕さえ覚える。
加えて詩人すらもその闇に染め上げて、その肉体を再起させた。
だが、エリス同様にもはやその眼には正気は宿っていない。月の怪物としての新生――あるいは堕天を果たしたエリスを、ルシファーは美しいと笑う。
何かに操られるように、ロダンもエリスも足を踏み出し闇を纏って駆け抜ける。
同時にその闇は次第に黄金の楽園を蝕んでいく。輝きを否定するがごとく、黒化していく有様にルシファーは違和と既視を覚える。
天国篇 十天堕とす失楽の詩、神滅担うは至高天
AVERAGE: AA
発動値DRIVE: AAA
集束性:C
拡散性:AA
操縦性:A
付属性:C
維持性:D
干渉性:AAA
「なるほど、極晃の亜種――あるいは極晃への回帰過程の産物か。だがその特性もまた、前例がない」
彼女のソレは変貌する前と違い根本から星辰体の影響を排斥している挙動を有している。……星辰体熱量操縦能力の発展形とみるのが恐らくは正しい推測であり、星殺しという性質は間違いなく継承している。
自分の延長された手足であるはずの黄金の発動体は、神経を断たれたかのように星辰体との感応を失っていったのだから。
操り人形の如くロダンは意志の介在しない剣を振るう。研鑽の影はない、ただの力任せの一撃でありながらそれはルシファーの膂力を圧していた。
それを即座に受け流すと掌に極小の幾何学状の機構が円環を描きながら収斂させていく。
「
収斂していく機構は地上から失われたはずの核の災厄を顕現した。
光帯で編まれた円環の収縮と共に、聖庁が吹き飛ばすがごとき一撃を放とうとするがエリスも同じくその手を鏡合わせかの如く闇黒を収斂させ、黒い光体を創り上げる。
直後に解放される核の災禍は、一切として地上を焼くことなく消滅した。
炸裂していく光を闇を食らい、その閃光すら黒く染め上げて星を対消滅させる。
「……なるほど、その闇黒の性質はやはり反粒子に極めて近い――正気か淑女。貴様のソレは
エリスは先人の道を歩みながらもう同時にソレを超克していた。
反物質創造能力・感応型――神鉄を内包する発動体でもある己自身を反物質の発動体に変革し、地獄の闇を従えながらエリスは帰還する。
同時に、その詩人のその変貌にルシファーは目を向ける。その肉体はだんだんと物質としての輪郭を失い、構成成分がエリスと同様の闇黒――自立活動する星辰光に変貌しようとしている。
「第四世代人造惑星の影響か。詩人、貴様もまた、今人間としての殻を破るつもりか」
反物質で創造された神鉄は、地の底から響く冷たい負の輝きを放つ。
反物質の高位次元接触触媒との感応による星辰光発現は文字通り、前代未聞でありルシファーですらもその進化は未だ以って解析が不可能だった。
「ちっ、
瞬間に、エリスとロダンを取り囲むように、次々と電磁の鳥籠が組み上げられていく
小数点以下の速度で殺戮の炉心はパズルのように組み上げられ、詩人と淑女はその全身を捉えられる。
全天を覆う核炉心に直接放り込む――それさえも淑女は超えるとルシファーの思考回路は計算した。
さらに数秒後にはその予見通りに、エリスは闇の滲むその手で反応炉の内壁をずぶり抉り、ひしゃげさせた。
同時に闇の閃光と共に両断されて、淑女と詩人はさらなる飛翔を遂げる。
反物質と感応する事で得る星の異能。その性質のいくつかをルシファーは戦いながら予想する。
己の星辰光と彼女の星辰光の衝突は、ルシファーの星辰光を蝕むように輝きを闇の色に変えていく。
ルシファーのそれを正の星辰光とすればエリスのそれは負の星辰光だ。正の星辰光を負へと変えていき己の糧としていく。
つまりは、己の色に相手の星を塗り替え侵略する――その闇が骨髄に達すればルシファーでさえ機能停止は免れないと即断する。
超質量の極小天体を創造し、それを叩きつけようとすればエリスも同様に呼応するように、闇をぶつける。
暗黒天体のように、ルシファーの人造天体は削り取られ一遍残らず闇へと変換させられる。
エリスの纏う闇は負の星辰光という前例のない異能体系そのものだ。
物質と反物質、粒子と反粒子の関係を投影されたかの如く正の星辰光と負の星辰光は鏡合わせの性質であり、同時に未解明な側面も多々ある。
「灼けつき爆ぜろ――
「黒に堕ちなさい――
光翼の羽ばたきと共に幾条もの光の羽が降り注ぐ。
飛翔する羽毛は、そのすべてが十字をかたどった杭へと変貌し地上へとその質量を叩き込む。
エリスもまたその背に星で編まれた闇の翼を現出させ、同様に負の星辰光で編まれた数千もの黒き光条を放ち迎撃する。
そのうちの数条の闇の閃光がルシファーの脇腹を貫くと、その闇が星諸共に骨肉を蝕んでいく。
「がぁ……!! まだ、だ。まだ終わらん――」
その様を見て即断するとルシファーは闇に冒された己の臓肉をその手で抉り捨て去り、次の瞬間には核創造を以て己の肉体の欠損を補填した。
無限の創造性は代替臓器の創造にすら到達したが、尚もエリスはその瞳に憎悪を宿しルシファーに立ち向かう
だが代替臓器の創造のみならず数体の精密創造によってルシファーは数体の躯体を複製し、攻撃陣形を整え星を構える。
複製された躯体と共に構えられるのは、縮退と膨張を繰り返す光の意志力。ルシファーの手より生み出されたのは――放射性物質。臨界寸前まで高め練られた核分裂反応は、生命の生存圏を剥奪しながらエリスとロダンというたった二人にぶつけられた。
その出力差はもはや十数倍に達していた。核熱の炎は己の色を譲らぬとばかりに単純な出力差でエリスの星を圧していく。
エリスの天衣は焦がされながらもなお、その呪詛は留まるところを知らない。ルシファーの意志力が覚醒すればするほどに、エリスもまたその憎悪を増幅させていく悪循環に陥っていた。
憎悪による覚醒もルシファーは意に介してなどいない。それどころか喜々たる高揚すら滲ませながら星をふるう。
――当然と言えば当然で、ルシファーにとって試練とは己を成長させるための薪でしかないのだから。
その一撃を辛うじて相殺しきり聖庁崩壊を防ぎ、エリスはさらに飛翔し続ける。
闇を纏いながら、ルシファーのその喉元に手をかけんとばかりに呪詛の嘆きを散らしながら正気の喪失した眼で睨む。
己のあらゆる星を以てしても、エリスの闇は戯画のように塗りつぶしていく。
出力が意味を成さないそのイレギュラーを前にして、ルシファーは飽くまでも冷静だった。闇を――敗北を目前にして、そしてまたしても堕天は再起する。
「……学んだぞ、淑女。お前の闇を」
眼光に灯るは意志力の焔。再起動し組み上げられていく数式が、前人未到の領域へと到達するための解を導き出していく。
その右腕は光を灯しながら、同時に左腕に
「そして掴んだぞ、
その一念の喝破と共に、エリスの眼前に爆圧が生じる。それと同時にエリスはロダンともどもに地表に叩きつけられる。
解れかけた黒の天衣と流血が、エリスの消耗を代弁していた。それでもなお、再起を果たそうとエリスは立ち上がろうとする。
エリスの手にした闇の正体が発動体の反物質化によるモノであるとするならば、ルシファーの手にした闇もまた同様の答え――即ち
もとより、原理としてルシファーの権能は物質創造に他ならない。故にその創造性の極限として反物質に辿り着くのも何ら不自然な事ではなかった。
エリスの肉薄の刹那に行ったのは、何の工夫もない物質と反物質の対消滅だった。エネルギーを質量に変換する御業は、しかし単純が故に圧倒的だった。
光と闇を、ルシファーはその両手に携えながらエリスを睥睨する。
命を賭した覚醒でさえ、ルシファーは糧として飛翔する。
敗亡の淵からの飛翔を以て、ルシファーはついに己が裡に
反物質を手にしたことだけにはもはやとどまらない。反物質創造の御業に到達したという事は同時にエリスの領域を手にしたという事をも意味する。
エリスの起こした逆襲劇は逆算されて、その原理が自分に牙を向いた。
「返すぞ、淑女」
ルシファーの翼の色に反物質の黒が混じると同時にルシファーは、エリスと同じ闇黒を生み出す。
反物質発動体による感応という原理の模倣によって生まれた闇黒の輝線が、今度は意趣返しのように地上に降り注ぐ。
エリスもそれに対応するように地獄の瘴気を生じさせるが――しかしこれは単純に躯体の差が如実に現れた。
互いに符号が同じなら、後はどちらが勝るかは絶対値での対決となるだけだ。ルシファーの出力の乗せられた闇はいともたやすくエリスのそれを圧して再び下した。
「……ぅ、あぁぁぁ!!!」
エリスは、何度も何度も、打ちのめされても立ち上がる。
憎悪を動力にして、幾度となく。もう、失われてしまった人への慟哭を叫びながら。
―――
……俺が目を覚ましたのは、月を写した湖だった。
冥界のような静寂の中、空に見えるのは青白い月だけだ。そこには誰も居はしない。
歩を進めれば、ちゃぷちゃぷと水の音だけが聞こえてくる。
ファウストに襲われた後、或いはあの子の事についてエリスは俺に語り掛ける時の世界である事は何となく察しはついた。少なくともここはあの世という奴ではないし、エリスも俺も経緯はともあれ死んではいない事は明白だ。
推測にはなるが、過去のエリスはあの子の内界に居たという。
恐らくは今の俺も過去のエリスのように、エリスの内界に居るのだろう。
この世界の主であるはずのエリスは、今はどこにも居ない。
「エリス、どこだ。お前は今どこにいる」
声はただ反響するばかりだ。寒々しい月明かりだけが、闇を照らしている。
空を見上げても何もなく、エリスは居ない。
ふと、その湖面を見る。そこには一筋の銀色の光が見えた。
俺がよく知っている、銀色の光。反射的にそこに手を伸ばしたその瞬間にずぶりと、俺の手は引きずり込まれるように湖面に沈んだ。
水ではなく、それは泥のような粘土のある質感だった。エリスの内面と捉えるにはあまりにもこの光景は乖離がありすぎる。
であるにもかかわらず呼吸はできる。窒息の気配もないし、粘性の物体が口に入ってるような感覚もない。不思議な感覚だったが、同時に空に浮かぶ月からの体は離れていった。
光指さない湖の底に、天から堕ちるように俺は墜落していく。
少しずつ、あの銀色の光に手が近づいていく。けれど手を伸ばそうとするとまた遠くへと遠ざかっていく。
理由は明白だった、その光の中におぼろげながらも確かにエリスの輪郭があったのだから。
光の中で確かにエリスは居た。太陽に浮かぶ黒点のように、銀色の光を放ちながら黒い天衣を纏っている。
「エリス――聞こえるか、俺だ!! ロダンだ!!! 聞こえているなら返事をしてくれ!!」
「ダメです、ロダン様。……私は、そちらにはいけません」
拒絶するように、エリスは俺から離れていく。
どこまでも、はてもなく、光のささない湖の底を目指してエリスは俺を振り返る事さえもなく進む。
「……大体分かる、復讐や逆襲――そうした衝動こそ本来は月の魔星の力を引き出すのに最も適している。そしてエリスは初めて本気でだれかを憎んだからこそそうなったんだろう」
「……こんな姿を、私は貴方に見せたくありませんでした。憎悪に染まる、私の姿を」
……銀月の系譜は、エリスの記憶を介して俺は知っている。
俺はエリスの純粋さを佳いと思っている。そしてそれ故に皮肉にも、エリスは今まで兵器として完成しなかったのだという事も想像に難くはなかった。
純化された負の情熱というモノを今まで、エリスは一度として持ったことはなかったのだから。
「あの子は、私に人間であることを与えてくれた。私に、ずっと付き合い続けてくれました。クラウディアは、貴方の事を私に託してくださった。そんな私が今、貴方を巻き込んでしまったのです」
エリスはそれほどに、銀月天の事を慮っていたのだろう。
復讐せずにはいられない。その心は、つらいほどに分かる。
「地獄の底まで引きずり落としたくて、一秒でさえソレらが存在する事が許せない。例え総身を引き裂かれても、ソレを構成する要素全てをこの地上から消し去ってしまいたい――それが、今の私の胸にある感情なのです、ロダン様。どうしようもなく、私はウェルギリウスとルシファーの破滅を願っています。そんな私の姿を、貴方に見せたくなかった」
「……いいや、俺もエリスと同じだよ。ウェルギリウスも、ルシファーも、決して許せはしない。それだけはエリスと同じはずだ」
「だからこそ、私は貴方を連れてはいけない。銀想でも、死想ですらもなくなった私には、貴方を導く資格はありません。……私が真に魔星に近づくたびに、ロダン様も私に引きずられてその在り方は近づいていきます」
……第四世代人造惑星、という奴の弊害だろう。エリスの星辰光に俺の星辰光は完全に取り込まれている。
衝動においても星においても、完全にエリスのそれが俺を上回った結果がこれだ。元から俺の星はエリスに引きずられて変質している側面はあるが、それでも今のこの状況は明らかだった。
エリスの在り方に、俺の星も、俺という存在も引きずられていく――つまりそれは。
「ロダン様を、私は遅かれ早かれ変えてしまいます。今、この時でさえロダン様は星になろうとしています」
「……つまり遅かれ早かれ、俺はエリスと同じ自律活動する星辰光になる、という事か」
「ご賢察の通りです。そして現に今、貴方の体組成の幾分かが星辰光に置き換わっている。その結果として私の内界に星辰光という形で貴方は引き寄せられたのです」
……エリスと同類になる、その言葉の意味は俺には分かりはしない。けれど一つ明確に分かることがあるとすれば、完全に俺の体が星辰光に置き換わった時、俺は人間であることを失うのだろうという事だ。
人の摂理から逸脱していること。エリスはその生まれの孤独を一番よく知っているからこそ、俺にその在り方を押し付けてしまう事に罪悪感を覚えているのだろう。
「私は、ロダン様から人間である事を奪うでしょう。私の憎悪がやまない限り、それは止まりません。……ロダン様、私をどうか許さないでください。私は、貴方と出会わなければよかった。貴方から人間である事を奪ってしまうぐらいなら……!」
エリスは詫びるように、嗚咽を漏らしながらそう言った。
目尻を滑る涙がエリスの心中を代弁していた。
太陽ではなく、月の近づいた結果がコレなのかと思うと皮肉な話だと思う。
「ロダン様は、私と同じ存在になる。そうしてマリアンナ様や御姉様も、誰も彼もを置き去りにしてしまう。貴方は人として、生きられなくなるでしょう。……謝って、取り返しがつく話ではありません」
「……」
やがて、暗い湖の底にエリスと俺は降り立った。肌にまとわりつく感触は泥そのものなのに、息はできるという感覚のちぐはぐさにはなれない。どうにも、現実との違和を感じてしまう。
いまだにエリスは、背を向けている。
「ロダン様は、どうか眠っていてください。次に現実で目を覚ました時には、ルシファーは滅び、全ては終わります」
「……ふざけるなエリス。ここまで俺を好き放題に引っ張りまわして、そして最後には放置か。これがお前の考える誰かを導くという事か?」
「私が憎いのなら、如何なる定めも受け入れます。ロダン様の好きなようになさってください」
……違う、と口をついて言葉が出た。エリスの肩はすこしだけびくりと動いた。
エリスが憎いわけでは決してない。エリスが俺を人間ではない何かに変えてしまう事を糾弾しているわけでもない。
腹が立つのは、まるで今生の別れのように言うからだ。
「……いいかエリス。白状すれば、俺はエリスを恨んではいないと言えばウソになる」
「だったら――!」
エリスはそう叫んで、初めて俺へと振り返った。
罪悪感に耐えられないとでも言いたげに眉をゆがめて俺へと視線を向けている。今のエリスにとって、むしろ俺に許されることが何より辛い事なのだろうから。
「エリス。俺がエリスの何を恨んでいるのか、分かっているのか?」
「……貴方をこのような争いに巻き込んで、そして今人間であることを奪おうとしているから、でしょう」
……
確かにそれは客観的にみれば恨みに値する事実かもしれないが、俺が実際に恨んでいるかどうかとは別の話だ。
「よく思い出せエリス。お前は一番最初に姉さんと対面した時俺に何をした?」
「……御姉様の同情を買おうと泣いて見せ、貴方の足を踏みました」
「じゃあ、ユダ座に俺を初めて連れて行こうとしたとき、俺に何をした?」
「御姉様に無理を言って、ロダン様を付き人にしました」
……そこまで分かっているのなら、答えは明らかだろう。だが未だにエリスは何を聴いているんだろうこの人は、と言わんばかりにぽかんとした表情をしている。
そういう部分は機微に疎いのだなとは思うけれど、かわいらしいとは思う。
「それらは全部、お前が
「それとこれとでは話が違うでしょう!? ロダン様は人ではなくなる、私と繋がってしまったばかりに……! それをどうして、ロダン様は許容できるというのですか!?」
エリスは叫びながら、俺を睨んでいる。
どうしてそんな風に、平静でいられるのかと聞いているのだろうけれど。
「……木星天と戦った時も、火星天に襲われた時も――私が貴方に真実を明かした時も、貴方はその状況に順応していた。そして今人間ではなくなるその瀬戸際でさえ、貴方はそうして平静でいられる。……おかしいです、ロダン様。どうしてですか。どうして――どうして私を責めないのですか!?」
どうして責めないのか。どうしてこの状況に順応しているのか。
正直、それは俺も驚いている。日常から非日常に転落したのは火星天との邂逅の時だった。グランドベル卿が護ってくれたからあまり動揺していないのかもしれない。
けれど、恐らく神天地に降り立ったこと以上に頓狂な事態はないと無意識に知っていた――エリスが傍に居たからこそ俺はあまり動揺していなかったのだろう。
「仮初とはいえ極晃という高みにエリスと共に至ったことを、多分記憶は忘れても体が覚えているんだろう。その時の万能感と心強さがあるから、多分今までの事態を飲み込めてきたんだと思う」
「そんなこと、聞いているわけじゃっ……!」
「……ならエリス、最後に一つだけでいいから答えてくれ。お前がユダ座に入ったのは、
一体何を聞きたいのかと、怪訝に思いながらエリスはこくりと、頷く。
その答えが、俺には嬉しかった。
その答えが、俺にとっての何よりの解答なのだから。
「なら、よかった。――俺がエリスを恨まないのも、許すのも、どれだけひどい目を見ても一緒に居たいと思うのも、俺がエリスの
「……なんですか、それは。心配したのがバカバカしくなってきました」
初めて、呆れ交じりではあるけれど彼女は笑ってくれた。
……それでいいと思う。何より、憎悪も闇も、彼女には似合っていないから。
「あの子は、真実を知れば純粋故にエリスがこうなってしまう事を知っていたから、エリスに普通に生きていてほしいと願ったんだろう」
「けれど私はロダン様を置き去りにして、憎悪に力を求めた。――ロダン様を巻き込んでしまった」
「……復讐も、逆襲も、俺はもろ手を挙げて賛同はできない。けれどウェルギリウスとルシファーを俺達は討たないとならないんだ。……それが人であった頃のあの子への弔いにならなくても、俺達はその過去に決着をつける必要がある」
ウェルギリウスという人物を俺達は知らなければならない。知った上で、審判の場で裁かれなければならない。
けれど過去に決着をつける、裁くなどというのも所詮は耳障りのいい言葉への言い換えで、復讐に賛同できないという言葉も半分は嘘だ。けれど、決着をつけなければ進むことのできない未来もある。
「エリスは純粋で、何色に染まる無色のキャンバスだ。だから何色のドレスだってエリスは似合うし着こなせる。……けれども、それでもエリスには
「演じるからこそ纏える色もあれば、演じては纏えない色もあるのでしょう。今の私は、闇の黒だけしかありません。それでも、私は貴方の旅路を照らせますか――もう一度貴方の淑女になる資格は、ありますか?」
エリスは恥じ入るように、そう俺に語り掛ける。
そんなもの、元から必要はない。一人で背負うのが難しいなら俺も一緒に居たい。
「……なりたいもなにも、最初からなってる。資格なんて必要あるかそんなもの。俺にも、エリスの運命を担わせてくれ。何より、エリスの導く先なら地獄でも悪くはないしエリスの同類になるのも、存外悪い気分じゃなさそうだ」
「御冗談を。私が地獄に導くのは、ルシファーとウェルギリウスだけです」
エリスは洒落になっていない冗談を言いながら、少しだけ歩み寄る。
初心で純粋な真白色。その天衣はもう黒を帯びてなどいなかった。
「逆襲の闇も、境界の海も、希望の光も俺達には縁遠い話だよ。なら、そうだな。俺達は至高の
「……天国? これから私達は冥府に旅立つという事ですか? それとも太陽に近づきすぎて翼を焼かれて死ぬということですか?」
「どっちでもないよ、エリス」
水底から見える水面が――水面の景色がぴしりと音を立てて罅が入る。
その罅は、景色全体に広がって、そして砕けて消えて俺達は月の空に坐す、元の地平に戻った。音が無く、静やかな世界。そこでエリスは、少しだけ驚いた顔をしていた。
エリスと一緒に見たい景色は、俺達の旅路の終着にある。神曲の果て、地獄も煉獄も天国も最後は
「別に神話や御伽噺の天国なんて要らない。エリスや姉さんと一緒に見る景色が、一緒に暮らす日々が、俺にとっての天国だ。だからもう、
―――
ぴしり、と音を立てて、突如としてエリスの黒の天衣は罅が入る。
その次の瞬間には、卵の殻のように砕けて月の白を取り戻し、その闇黒の星を喪失した。失われていく闇黒の残滓はエリスが闇から還ってきた事をも意味していた。
その瞳の緋色は、もう血涙の赤を連想などさせはしなかった。
「……、何だ。理解ができん。なぜだ詩人、なぜだ淑女。手にする直前であったはずの頂を――極晃を、なぜおまえたちは擲った」
ルシファーは振り上げた槍の矛先を失ったがごとく、そのまま制止する。誰に止められたわけでもなく、しかし明確に初めて、いら立ちと侮蔑を込めて二人を目にした。
「なぜ、お前達は手にした逆襲劇を捨てた。ソレがあればこそ、俺に抗し得たはずだ。……お前達は、生命としての一つの極点に至ろうとしていた。なぜそれを捨てられる?」
「……エリスが黒に染まっても、それを看過できる人間ではなかったというだけだ。心も黒に委ね復讐を成就させる力を得る事を、俺は生命としての高みに上ったとは思わない」
エリスの体を抱き留めながら、ロダンはそうゆっくりと語る。
ロダンの星に還りかけていた肉体もまた、肉を取り戻していた。
「詩人。お前という全存在の事績はおおむね俺は把握している。そしてお前とて、かつては力を求めていただろう。己が剣を磨き上げる事に対するお前の感情――と定義できるものは今の俺と相違はないはずだ。自分の不可能域が狭まっていくことに対する高揚、次を目指す原動力。それは俺とお前の相似点と認めてもいいはずだ」
「そうだな。上っ面だけは最悪なぐらいその通りだよ、認めてもいいさ。お前は熱心で勤勉で――その熱量のすべてが己が成長へと向けられている。決してそれそのものは否定されるべきじゃないし、俺もそうだった。……だからこそよくわかるよ、お前は相対する人間の強さしか学んでいないだろう」
「その人間を構成する余分な要素をすべて切り落とした時、初めてその真価は明らかとなる。試練はその人間の余分を排除し結果、本質だけが生じる。本質以外は些末であり誤差、不純物だ。……俺もまた、俺に対してそうあるように――試練を課すよう努めている」
ルシファーの言葉に一切の淀みはない。
核、或いは真髄、本質以外は要らないと言っている。……この男が見ているのは人間ではなく、その人間を構成する数値だけだ。
「……理解なんかかけらも示したくないが、価値観の違いがある上で言わせてもらう」
「私達の
絆に覚醒、愛や好敵手、そうした関係をただの数字で計量し評価する感性も知性も、俺は理解を示したくはない。
ルシファーの眼は、裁定するように俺達を眼に収めている。だが、その眼の奥にはいらだちを代弁するかのような揺らぎが見えた。
「気に食わん、気に入らん。なぜ、頂を捨てたお前達が遥か高みに至っているように見える。気の持ちようという奴こそ総てだと? ……ああ、不愉快だ。不愉快だが、その理由が俺には解釈できん。――得るべき教訓は得た、もう死ね」
鬱陶しそうに、心底から理解のできないモノを見るかのようにルシファーは眉間に皺を寄せると光の槍を振り上げる。
俺達の消耗は深刻で、星は使えない。
傷口がふさがりかけた胸を抱えながらも、エリスに肩を支えられてルシファーを睨む。あと数刻で、恐らく俺達は微塵も残さず消滅を迎えるだろう。
「さらばだ、神聖詩人。銀想淑女」
光の槍が振り下ろされるその刹那に、聞いた事のある声が、聞こえた。
水銀のようにねばつく、エリスとよく似た声が。
「――それは、
――
「……水星天。どうして貴女が」
「話はあとでしょう御姉様。言いたい事はいくつかあると存じますが、今は首の皮を繋げることが先決です」
俺達の眼前に立っていたのは――水星天だった。
何層にも展開された水銀の盾は一枚、また一枚と砕かれていく。
そのたびに補填されていく水銀の盾は、光の槍を凌ぎ切れはしなかったが、その軌道を逸らし直撃を避けた。
光が粒子となって飛散し、視界が晴れた先には、水星天の背があった。
……なぜ、いま水星天が俺達を救ったのか。なぜ同じ至高天の階である水星天がルシファーと対峙しているのか、その理由が俺には分からない。
分からないがただ一つ言えることは今この状況では水星天は俺達の味方であり、すがるべき対象であるということだけだ。
「……水星天。お前が、まさか淑女と詩人に与するとはな」
「当たり前でしょう、堕天。御姉様を頂くのは私と決めています。貴方では、断じてありません」
三日月のように曲がった唇はそのままに、しかし明確にその語調には敵意があった。
……水星天の言葉を言葉の通りに理解するならば、私より先に姉を奪うな、という意図なのだろうか。
「詩人も淑女も、番外の魔星だ。故に聖戦の役者ではない以上、聖戦までに殺すも生かすも、俺の一存だ」
「役者であるはずの木星天と土星天の激突――
「木星天だけは特別だ。アレに
何の話を、しているのかはわからない。
けれど水星天もまたエリス同様に、反吐が出るという態度でルシファーと相対している。ともすればエリス以上に嫌悪の色を隠していないようにさえ見えた。
「……御姉様もまた、銀月の系譜を継ぐ者であり銀月天のうつしみ。であるなら、聖戦においてその全存在は銀月天と同等である事は明白でしょう」
「なるほど。認めよう、お前の言う事にも理がある、水星天。……認めるのは業腹だが、俺の星は貴様を相手取るには《手間》だ」
ルシファーは、そう言うと俺達に背を向ける。
流し目で一瞥しながら、背の六枚羽をきちきちと犇めかせ、その躯体を繭のように包み込んだ。
「詩人、淑女。貴様らにもまた資格があると認めた。故にこの場を生きながらえることを俺は許そう、願わくばお前達もまた俺の宿敵となる事を祈っている」
光の繭となったルシファーは、その直後に俺達の視界から喪失し――その星の気配も感じられなくなった。
後に残るのは、俺とエリス、そして水星天のみ。
エリスもまた、少しだけ驚愕したような顔をしながら水星天を見つめている。
けれど水星天は、ニコリとやはり感情の見えない顔で笑ってエリスに微笑みかける。
「ご機嫌麗しゅう、御姉様。約束通りに、御姉様を迎えに上がりました。……私は、詩人の味方ではありませんが、御姉様の味方です」
天国篇 十天堕とす失楽の詩、神滅担うは至高天
AVERAGE: AA
発動値DRIVE: AAA
集束性:C
拡散性:AA
操縦性:A
付属性:C
維持性:D
干渉性:AAA
反物質創造能力・感応型。
神鉄ごと自己を反物質化させて星辰体と感応するきわめて特異な原理によって発現する星辰光。
通常の原理で発現する星辰光をその出力の多寡を物ともせずに戯画のように塗りつぶし消滅させる。
反粒子のそれと性質は極めて酷似する。
しかし他方で暴走状態に近い発動形態であり人智を逸した権能の代償として、自己の過剰干渉による特異点化、またその経路を介してのロダンの肉体の変質といった弊害を招く危険性を持つ。
冥王とはまた異なる、地獄の法理。奈落の神威は氷と重力の地獄を顕現する。