シルヴァリオ・エンピレオ   作:ゆぐのーしす

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金星天はまぁクラウディア曰く「顔で花屋やれそうだし私は勝手に恩義を感じてる」、ウェルギリウス曰く「社交性はいい」の当たりでほぼほぼ作中の存命キャラで候補は二名しかいなかったと思います。


各々の天国 上 / Pain

 彼女(ハル嬢)に出会ったのは、私がマシューに敗れてその数年後だった。

 

 当時、私は貴族階級として家を継いだ。家を守る事が使命であろうし、そこに疑義を差しはさむ事はなかった。

 だが、婚約に際しては私は父の用意した縁談を佳しとはできなかった。思えばそれが私にとっての遅れて訪れた反抗期であったのかもしれない。

 

 幼馴染、という奴が私にはいた。

 ナオ・キリガクレ、マシュー・ジットマン――当時、聖教皇国において外交官を生業としていた彼らだった。

 ナオはよどみのない受け答え、教養、気質。それら総てはおおむね男たちの羨望の的であったと私は思う。

 他方、マシューはあまり口数が多くはなく冗談の言い方を知らない男で、名の知れた血筋ではなかったが確かな仕事ぶりは皆から信頼されていた。身分制度の強固であった聖教皇国において、身分を超えて信頼関係を構築していたのはマシューのその仕事ぶり故であった。

 

 マシューもまた、あの頃は間違いなく私の友人であったと思う。

 ……ナオに、私の求婚が拒絶されるまでは。

 

 ナオは結局、マシューを選んだ。

 それでいいし、それがいい。正義感の強いあの男はきっとナオを幸せにするだろうと、私は強引に自分を納得させようとした。

 それでも、あの子に出会った時、私の中で何かが壊れた気がしたのだ。

 

「お母さん、このおじさんだぁれ?」

「おじさんは失礼でしょう、ハル。この人はイワト、私とお父さんの友達よ」

 ナオはその娘――ハル・キリガクレを連れていつも休みの日は出かける。

 ハル嬢は、そのころからナオとよく似た顔立ちをしていた。

 

 彼女は成長していけばいくほどに、ナオにその顔も立ち居振る舞いも似てくる――()()()()()

 そんな彼女を見れば見るほどに、私は自分が情けなく思えてきた。その顔を私に向けると思うほどに、彼女の存在もまた私が恋に敗れた事をその身で突き付けてくる存在だった。

 

 そんな彼女は、幼馴染のアレクシスという青年とよく笑顔で笑いあっていたのを覚えている。

 皮肉な因果と言うヤツで、その有様はまるでマシューとナオのやり取りを見ているかのようだった。

 

「ほら、出なさいロダン。いつまでも引きこもってるなんて不健康よ。今日は教会に行く日でしょ? ロダンのお母さまからもよろしく言われてるんだから」

「……母さんが差し金なのかよ、僕はあまり外に出たくないって言ってるだろう、本を読んでいたいんだ」

「そんなに()()()()のが嫌なんだ、ロダン。……ごめんなさい、貴方の事を考えてなくて」 

「あぁ、もう分かった行くよ。姉さんと行くのが嫌だって言ってるんじゃないよ、教会に行くのがあんまり進まないって言ってるだけだよ!」

 彼らのそのようなやりとりは、はたから見る分には非常にほほえましい光景であったと思う。

 ハル嬢はからかうように落ち込んだポーズをして、ロダンはそこに慌てているといったところだろう。

 どことなくこの少年はハル嬢に思慕を抱いているのだろう、ハル嬢に連れられて行くのがまんざらではないという態度だった。

 

 ……それからというもの、血をなぞるようにハル嬢はだんだんとナオに似てくるようになった。

 物心や教養も身に付き始め、私がイワトおじさまと呼ばれるようになった頃には明確にロダンを意識しているような態度をとるようになった。

 

 

 ナオと別の顔になるのなら、まだ私は妄執を抱きはしなかったのかもしれない。

 感情を文章にするなら、私は判然とまではしなくても間違いなくマシューとナオを恨んでいただろう。

 私の妻にならない道を選んだと言うのなら不幸せになってしまえばいいのにと、そう思っていた。

 

 そう思うと私の中のハル嬢の表情は曇っていく気がした。……あるいは、私の中でのハル嬢とナオの区別もあいまいになってきたのだろう。

 ハル嬢とナオは違う。そのいずれにも否はないと分かっている。けれど、私が恋に敗れた象徴こそがまさにハル・キリガクレだった。

 

 彼らが不幸せになる事を心の片隅で私は願って、願って――それはある日唐突に成就を迎えることになった。

 彼らは仕事でアンタルヤへと出かけると言っていた。その往路で彼らは船上から足を踏み外し、亡くなったという知らせが舞い込んできた。

 

 私にとってはそれは驚きの出来事だった。

 友であった彼らの死は聖教皇国の誇る才能の喪失として、悲しまれそして惜しまれた。誰からも彼らは愛されていたという証拠でもあり、それゆえにハル嬢の悲嘆はあまりにも深かった。

 人として立ち直れるのかを危ぶむほどに、彼女は衰弱しきっていた。

 

 無理も無い、病や自然死であったならまだ納得は出来ただろうがそれでも彼女にはあまりにも辛きに過ぎた。

 彼女は両親の死を知ってから引きこもるようになり、あの青年とは立場が逆転した。

 それからいかなる経緯をたどったかは私には計れないが、彼女は立ち直った。

 

 

 ……しかし、私は彼らの死をどう思っていたのだろう。悲しみはある、友として花は手向けた。だがその報を知った時、私がまず感じたモノは()()()()()()()()()だった。

 

 自分の妄執とも言うべき二人はどういう経緯であれこの世を去った。自分の中の執着はやっと終わったのだと、そう安堵した自分自身に私は愕然とした。

 ()()()()()()()()()()()()()()()ではないのかと。

 

 だが――私の妄執は終わらなかった。

 ハル嬢が――マシューとナオの二人の残した象徴がいたのだから。

 

 

「初めまして、イワト卿。私の名前は――」

 そして私は魔女と出会った。

 

「貴方に、私の協力者になってほしいの。貴方の望むモノを、私はあなたに与えられるのだから。

 聞いてはならないその言葉の全てを聞き届けた。

 ナオとマシューの死の真実。そのすべてを知った時、私は落胆した。

 

 彼らの死は、神祖の治世には必要な事であったという。

 その下手人が誰かは結局、魔女自身の口からは明かされぬまま。

 マシューではなく。私を選んでいればこのような末路を辿るはずはなかった。

 

 私は魔女と契約し内通者である事を約した。聖戦の後に、ハル嬢を貰い受ける事を条件に。

 私にとっての、妄執の象徴を。

 

 

 

 そして私は私の過ちを思い知る。

 魔女は、彼女を人として私へと渡す事など考えていなかったのだと。

 

 聖教皇国の地下深くに眠るソレを――ハル・キリガクレであったモノ。

 両腕を鎖で繋がれ、胸に光を放ちながら彼女は叫喚していた。瞳は禍々しい赤に輝き、ナオ譲りの美しかった黒い髪は()()()()に染まっていた。

 

 彼女の膝元には、唾液と吐瀉物の混じった血が広がっていた。

 ……その星の気配に、彼女が何をされたのか理解が及んだ。彼女の胸にあるモノが神鉄であることなど、わざわざ見るまでもなかった。

 

 

「ハル嬢――今助けに!!」

「――今更、何をするつもりだ、イワト・巌・アマツ」

 駆けようとした私の肩を掴んだのは、ルシファーだった。

 魔女の生み出した、輝きを冠する人造惑星。怜悧な目で彼は私を征していた。

 その腕の力から私は逃れられない。暗黒天体のように、その眼は誰も彼をもくぎ付けにする。

 その美貌も、眼光も何もかも、彼を構成する要素の最小単位に至るまでが彼という存在の異質さを示唆していた。

 

 

「……ルシファー、これはウェルギリウスの試みか?」

「俺と、ウェルギリウスの試みだ」

「――」

 ルシファーはそう一切として斟酌などせず応える。

 その様に怒りの気炎を上げようとして――しかし私はその先の言葉を口にできなかった。その言葉を述べる資格はないと理解していたのだから。

 

「この女を貰い受けたい、というお前の要請は承諾した。だが人間として引き渡す、とは俺達は一度として同意していない。今更になって聖教皇国に背いた身で貴様は善性や倫理道徳を俺に説くつもりか?」

「違う、ここまで私は成すつもりは……!!」

「ここまでするつもりではなかった、か。いい言葉だ。人間の文学作品においてはしばしば見受けられる表現だな。では聞くが貴様の定義す(考え)るここまで、とは()()()()の事だ。少なくとも、ハル・キリガクレに苦痛を与えるという点に関してはその範疇のはずだが?」

 ここまでするつもりはなかった――それは、どこまでの事を指していただろう。

 私は、ハル嬢を貰い受けて。そしてどうするつもりだっただろう。

 

 ナオの代わり。それはあるだろう、否定はできない。

 ……だが何よりも――彼女を奪う事で私を選ばなかったナオと、ナオを奪ったマシューへと復讐を果たしたかったからではないのか。

 彼女を奪い、彼女を穢し、その尊厳を滅茶苦茶にする事こそが私の目的であった。

 

 だが今、こうして彼女は苦しんでいる。私の妄執であったはずのそれは苦しみ、魔星にされようとしている。

 その様を目の当たりにして私は果たして人間らしく憤激し、彼らを批判する権利があるだろうか。

 例え心の片隅であっても友の不幸を願った私に、ハル嬢の苦しみを慮る権利があるだろうか。 

 

「俺と魔女が憎いというなら翻意は構わん。むしろ俺達に肉薄できるというのなら歓迎しよう。尤も――瞬で八つ裂きにするだけだが」

 きちきち、と音を立てながらルシファーの背には輝く翼が生じていた。鋭い刃となった羽が、私の首元に突きつけられうっすらと血が流れていた。

 脅しなどではない、本気でルシファーはやるつもりだ。ウェルギリウスと彼の所業を鑑みればそれは言うまでもない事であるし、何よりその眼が嘘偽りなく私を射抜いていた。

 もはや、足が地面に氷漬けにされたかのように、そこから動けなくなっていた。

 

「俺達の計画に貴様はもう不要だ、じきに聖戦は始まるがそこの女だけは聖戦の後も生かして貴様にくれてやろう。そしてこれが俺がお前に与える最大限の寛容だ、選ぶがいい。今すぐここから地上へ失せるか、俺達の実験台になるか――」

 

 

 

―――

 

 

 俺は――ユダ・モンテスは芸術が好きだ。描く事が、歌う事が――踊ることが。

 芸術に魂を売ってもいいとさえ俺は思っている。

 そう在ったからこそ、俺は役者となる道を選んだ。

 劇団を立ち上げ、志を同じくする者たちを集め、ユダ座は中堅の劇団として名が通ることになる。

 後に主演の座をエリスに取って代わられることになるジュリアは、俺の劇団の最初期のメンバーだった。

 

 だが、俺の作風は初めは物珍しさや自評評論家連中の気を引き人気はそれなりに得られたが、時が過ぎれば反応も鈍くなってくる。

 端的に述べて、俺の作風は飽きられていた。

 そのころから俺はスランプに陥っていたとも言っていい。

 

 その折り、何度目かの公演を終えた俺へ一人の客が現れた。

 年は俺と同じか少し若い程度の女性だった。

 常に薄い笑いを浮かべている、銀灰色の長髪の女性であったことは覚えている。……その笑みからは何を考えているのかが読めなかった。

 職業柄、表情の使い方と言ったものは俺は心得ているが、眼前のこの女の作り笑いはどこかいびつだった。

 

「――ユダ座長。私は貴方の芸術活動の助けになれるかと存じます」

 率直にいって、今まで遭ってきた人間の中で少し雰囲気が異なる人物だった。貼り付けたような一切変わらない作り笑いは、恐らく何かの目的があってそうしているのではない。

 表情は読めないが、作り笑いは致命的なまでにこの女は下手だった。この笑顔以外、笑顔の作り方というものを知らなかったのだろうかと思う。

 はじめは、その女はパトロン志望かと思っていた。

 だが、そうではなかった。聖戦、魔星、或いは神天地。そんな突拍子もない話を次々とその女は語りその最後にこう持ち掛けた。

 

「貴方の生み出す芸術は間違いなく素晴らしい。けれどそれをさらに追及するには人間という器の性能限界はあまりにも低すぎる。――無論タダではとは言わないけれど人の身を捨て、()()()()となる気はないかしら?」

「なろう、聞いた限りだと面白そうだ」

 俺は即答した。

 その有様に、逆に面食らったのは眼前のこの女だった。その作り笑いも、一瞬だけ剥げていた。その一瞬だけは、彼女という人間がどのような存在であるのかが垣間見えた気がした。

 

「ん? どうした、何を驚いている。俺はそれでいいといったぞ?」

「……――いいえ。私はタダではない、と言ったのだけれどそれでもいいのかしら」

「あぁ。俺は芸術に魂を既に売っている男だ。今更売ろうにも売り物が無い身でな、このぐらい体験としてもこのぐらい天外なほうがいいインスピレーションになる」

 洒落をあまり解する人間ではなかったか、その女は少しだけ逡巡する。

 

 ……もとより俺は芸術が好きだった。人ならぬ身となる事で芸術の最果てを求められるのならば、それは俺にとって本望だった。

 何より、この体験が俺の作風の停滞を打破する契機となると思ったからだった。

 今ならはっきりと分かるが、俺の中の天秤は若干()()()()()()()()のだろう。

 

 

 何ら現状に不満があったわけでもなければ、追い詰められているわけでもない。ただ、芸術を極めたいと思って出たのが魔星となる決断だった。

 退屈より、刺激を求める人間は当然この世界には一定数いるものであるし俺もその性質を多分に持つ人間だった。

 だが文明の成熟している社会において尚命を賭してまで刺激を求める人間はむしろ異常者だし、そんな決断を()()()()下せること自体が俺が人として――芸術家として致命的に思考の支点がズレている証左なのだろう。

 

 魔星の製造法も人工的なものから自然・偶発的発生まであるらしいが、俺の場合はベースは飽くまでも生身の人間として鋼を埋め込むという形だったらしい。

 本家本元はそれこそ一度完全に人として機能停止した肉体を用いるらしいし、俺はソレでいいと言ったが魔女にも何等かの目的があったのだろう。第一世代のアプローチをとる事を佳しとはしなかった。

 

 

 数年の命を擲って手に入れた人ならざる肉体は、俺の期待以上に応えていた。

 肉体に疲労が生じない。

 指先に至るまで神経が新しく張り巡らされたかのように、思考に行動が追従する。意識はどこまでも明瞭で、肉の器の不如意を嘆きたくなるほどに冴えていった。

 

 素晴らしい、これが人ならざる肉体が生み出せる芸術か。

 文字通り、俺は生まれ変わった心地だった――例えその代償にいずれ堕天と相対しなければならないとしても。

 

 筆も、踊りも、何もかもが冴えの抑えを知らない。このころの俺の作風は下手に気取らない、正統派の脚本だったと思う。

 このころの俺は間違いなく芸術家としての絶頂期であった。

 

 役者はいいが脚本が人を選びすぎる、中堅どころの劇団。そんな評価も払拭された、ユダ座はその地位を押し上げた。

 生まれ変わった一座、等と記事に書かれたこともあった。確かに今にして思えば、自称評論家の連中のその言葉は表面的な意味においては期せずして真実を突いていただろう。

 

 だが――恐らくは誰もが。そして俺も無意識には気づいていたのだろう。

 劇団の誰もを突き放し、俺のみが突出した舞台。十人に聞けば十人が、俺以外の演者の名前をすぐに挙げられない。

 

 俺が別人のようだと、ある日ジンはそう言った。ダグラスもまた、直言こそは控えていたが違和感は感じ取っていたのだろう。

 ジンは俺が劇団を立ち上げてから暫くして俺が直々にスカウトした男だった。

 本来であれば彼は荒々しくも繊細な剣舞を持ち味とする役者であったが、属する劇団との芸風の乖離に悩み燻っていたところを俺がスカウトした人物でもあった。

 その芸の裏に仕込まれた数々の技巧の繊細さ、それを観客に悟らせない腕前は見る者が見れば凡庸な役者ではない事は一目瞭然であったろう。加えて思わぬ副産物だったが彼は金勘定も非常に得意だった。

 ユダ座に移籍して早々にジンが頭を抱えたのはユダ座の家計簿だった事は言うまでもない。

 

 そのような付き合いもあり俺達は一種悪友とも呼べる仲ではあった。

 だが、俺が求める道は書いて字の如く、求道のそれだったろう。そこには志を共にする者などいない。

 

 違和感の答えは単純な事で、周囲と合わせる事を俺は辞めていた。

 芸術とは俺であり俺が芸術である、などという独尊。言葉にせずとも、無言の軋轢は生じていた。

 

 認めたくはないが殉ずる対象が科学か芸術かの違いを除けばある種、俺は魔女と似ていたのだろう。

 

 

 ほどなくして俺は、座長の権限で劇団の活動を休止することにした。

 

 動機はなんということもない。自分探し、と言った。

 

 ふざけているのか――などとは言われなかった。ただそれを告知した瞬間にジンには無言で一発殴られ、ジュリアには平手打ちをされた。

 人を捨てている以上は別に特別物理痛みは感じなかったが、それでも俺の胸だけは無感動である事を許さなかった。いわゆる、これが心に響くと言うヤツなのだろう。

 

「お前の事が俺は前から気に食わなかった。……だがな、俺が気に食わなかったのは優等生(いま)のお前じゃねぇ、スカした面して芸術の反逆者だのけったいなお題目を掲げて毎回毎回劇団の帳簿を火の車にするお前なんだよ。……分かったらさっさと荷物まとめて出て行け」

「あぁ。……済まなかった、ジン。そして皆。一か月ほどだが、劇団を開ける事になる。できれば俺が戻ってくるころには、俺の席がなくなるぐらい皆が上達してる事を祈る」

 そうして、俺は劇団の皆と一度別れ、それからしばらく自分探しの旅というヤツをすることにした。

 期限は一か月と初めから定めていたが、どこにいくという宛てもなかった。

 

 列車や船で西へ東へと、縦横に足を運んだ。

 草木の生えない凍土の国。

 闇鍋宗教を国教に据えている移民と原住民の国。

 はたまた、かつては中華と呼ばれた龍の名を冠する国。

 

 それからまた聖教皇国へ戻り、時には釣りに興じながら歌を演劇のフレーズを口ずさむ。

 

 

 そんなある日、俺は地上の月を目にした

 ある日は太陽に照らされながら、またある日は月に照らされながら、その彼女は海辺で踊り歌っていた。

 俺は初めて、真に美しいと思うモノを見た。

 

 

 月のようにソレは美しく。そして彼女こそが魔女と堕天の語るところによる銀月天のうつしみである事は理解ができた。

 

 俺などというまがい物には到底たどり着けない、彼女の立ち居振る舞い。

 夜しか存在を許されない月のように儚くありながら、同時に太陽のようにただそこに無為自然に在るだけで周囲を従えるような不思議な雰囲気。生まれながらにして天然の役者。

 

 彼女の在り様に俺は完敗し、そして同時に乾杯した。

 確かに道理だっただろう。俺は芸術の神となるために肉を擲ったが、彼女は違う。

 俺のようなまがい物とは違い、そもそも神になる必要さえもない。

 

 彼女は生まれながらにして神に祝福されている。歌声が美しい、その踊りが上手い。だが、何よりその無垢さが気に入った。

 

 魔女の実験台、などという話は聞いているがそんなモノはどうでもよかった。

 魔星かどうかなど俺にはどうでもいい話だった。粗削りだが、間違いなく才能はある。

 

 彼女のそれは、まるで声の届かない誰かに見せたいようだった。

 

「気にしないでくれ、俺はただの通りすがりだ。いい舞だが、どこで学んだのか教えてくれないか」

「私の歌を、踊りを見せたい人がいます。私は彼女に教わり、継ぎました」

「それはいい事だ。……きっと、その彼女もまた君が舞台に立つ事を望んでいるだろう」

 

 だからこそ教えたくなった。その歌声を、踊りを魅せる舞台がこの世界にはある。君の舞台を待っている人間達がいるのだと。

 そして護りたくなった。堕天と魔女の企みごときで摘んでいい願いではない。

 かつて俺は俺こそが芸術であると思いあがっていた。だが彼女が芸術と言うのなら、彼女のために聖戦に殉ずるというのもまた芸術の殉教者めいていて悪くはない、とも思えた。

 

 

「――あぁ、名前は知らないし君の顔には別段そそらないが、その才能に俺は惚れた。是非とも俺の劇団で一緒に働いてくれないか?」

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