なんという事はない、アレクシス・ロダンというどこにでもいる男の子供の頃の夢は物書きになる事だった。
この世のものではない物語を、よく亡き母は語り聞かせてくれた。大好きな作家は旧暦のシェイクスピアで母もそれをよく語り聞かせてくれた。
けれど語り聞かせてくれるその話は幾分母によってアレンジが加えられているのも知っていた。子供の俺には、悲劇はまだ早いと思っていたのだろう。
実際それは多分そうだった。そんな大好きだった母との死別は、俺の死生観を大きく揺るがしたと言える。
「アレクシスが書いたお話を、いつか私に聞かせてね」
そう、皺のある顔で母はよく俺に言って聞かせた事を覚えている。
小説家になりたくて中途半端に書きかけて、それでも未完成で、見せるのが恥ずかしくて「いつか、またいつか」と、先延ばしにし続けた結果がそれだった。
当時ガキだった俺の残した作品とも呼べないナニかは、結局母に一文節として内容を伝えることもなく終わった。
……あの時、勇気を出して母にちゃんと聞かせれやれたら俺の人生は何か変わっただろうか。
俺は、成長できただろうか。
今でもこうして、母の墓前に作品を備える。せめて、天国で俺の作品を見ていて欲しいと願うから。
―――
「まぁ、ロダン様は作家でいらしたのですね!」
「そうだな、鳴かず飛ばずで最近やっと、まともに売れる作品が出来た。ハル姉さんが言った通り三文作家だ」
いくつかの原稿に目を通しながら、驚いたように彼女は輝かせている。
慎みある淑女に見えて、どこか無邪気だ。彼女の正確は全く以って判然つかない。
「……念のためにお聞きしたいのですが、代表作は?」
「世間一般では、新説・神曲ということになってる。聖女の追放、狼の姉妹、なんかもそれなりの売れ行きだったと聞いてる」
「新説・神曲。……なるほど、私も読んだことはあります。それもまた偶然……いえ、必然でしょうか」
……彼女が言っているのは、作中の主人公と恋人の別離の話の事だろう。
必然、と言うべきだろう。夢の中の別離の経験を糧にして書きあげた作品だったから。夢の追体験じみた感覚に陥るからこそ、あの神天地事件に巻き込まれた人々には受けたのだと俺は想像している。
「……」
「何か、感想はないのか」
それから俺の作をもっと観たいと言って、しばらく黙りこくりながら俺の原稿を読んでいる。
速読家というほどではないが、その視線に宿る熱はこの紙の上に載ったインクから何かを読み取ろうとする意志を感じさせた。
熱心な学徒や聖書を読む教徒のようなまなざしで、原稿のインクの軌跡とその羅列を追っている。
読んでいる作は「狼の姉妹」。
ある王国に次代の王として生まれた双子の姉妹の対立の物語だ。姉のディートリンデと、妹のベルタの対立と国を巻き込んだ動乱、その果てに姉妹は共々死ぬ。
あらすじは概ねそんなところだ。
「……大体、ロダン様の作風は分かった気がします」
「ほう、言ってみろ」
こほん、とわざとらしくエリスは咳払いをして、俺へと視線を向ける。
「率直に言って。貴方は主役を愛しすぎていると思います」
「……主役を愛しすぎている?」
「はい、そのように言いましたが?」
……指摘は直球だが、しかし比喩は分かりにくい。それはどういう意味なのか、いまいちよくわからない。
それを察したのだろう、エリスは静かに語る。
「……妹を想いながらも王国の正統な後継者となるために彼女を討たなければならなかった。話の流れとしてはその結末に、命をどちらかが奪わなければ分かり合えなかった悲劇の姉妹としたかったのでしょう」
「そうだな。そういう描写にしたかった」
「その気持ちはよく分かります。その上で、ディートリンデとベルタ以外の登場人物にスポットがあまり強く当てられていません。そう、悪く言えば――」
「最低限、小説としての体裁を整えるために登場させている。いわゆる肉料理の付け合わせの野菜と化している、そんなところか」
「そこまで言い切っていません。被害妄想が深すぎます」
言い切ってはいない、のならつまりそれと近しい事を想っているのだろう。書きたい登場人物へ意識が集中しすぎる事。
それは俺の悪い癖なのだと理解できているつもりだったが、今見返すとやはりその悪癖は治っていない自嘲してしまう。
「ちょうど、あの演目におけるお前みたいに、か」
「慧眼ですね、自分のことながら耳が痛い。……自己主張をし過ぎる事は必ずしもいい結果につながるわけではない事は理解しているつもりだったのですが」
……ちょうど、あの時彼女の演劇が証明しているようなものだ。
あの演目において、エリスはあまりにも突出しすぎていた。
結果どうなったかと言えば演目ではなくエリスが素晴らしい、という評判になってしまった。彼女の他の役者はどうやっても彼女の演技に比較されてしまった。
「ありがとう、エリス。お前から見た俺の作品の反省点はよくわかった」
「……? 一つだけだとは私は言っていないのですが?」
「……素面、か。多分そうだな」
不思議そうに、首をかしげるその所作と彼女の顔はほんの少しの冷たさと育ちの良さと無垢さが同居していた。
……ユダ座で役者をやっている人間。突如として新西暦に現れた女役者。
加えて俺の夢に出てきて、無言の笑顔で俺を脅迫して今ハル姉さんの家に転がり込んできた。
その上星辰奏者で。
「けれど、それでもなんとなく貴方という人が分かる気がします。……作風が概ね悲劇かそれに近い形なのは、都合よく幸せになる未来などないという現実主義的な負の悟りゆえでしょう」
「……知ったように言い切ってくれる」
「けれど、どのような話も最後には何かしら得るモノがあったと、そういう終わり方をするのは貴方が心のどこかで救いがあってしかるべきと思っているから、違いますか?」
俺の作品は、他者から見ればそういう風に映るのかと、少し新鮮な気分にはなった。
知ったような事を言うとは思うが、不快な気分ではない。貴重な読者の声という奴は何らかの形で生かしてやろうと思う。
「私個人としては、貴方様の作風は好きですよ?」
「そりゃどうも」
茶化しているという風でもなく、静かに彼女はそう言って柔らかな笑みを向ける。
心底から面白かったものを見たとでもいうように、原稿を笑顔で俺へと返してきた。
……だが、それはそれとして今更になって聞きたいことが増えてしまった。
「……一つ聞かせろ」
「聞きたいことは終わったと聞いてます」
「今一つ増やしたから聞いてくれ。……お前、金はあるのか。姉さんの話だと金の面倒見るのは俺らしいが」
「えぇ。むしろ面倒をみられる立場にあるのは貴方かと」
……有名で売り出し中の役者と、高々一作有名になった程度の作家とでは確かにまるで収入は勝負にならない。悔しい事に彼女の言う事はごもっともだ。
そして彼女自身悪気がないのだろうが、彼女は時折「何を言っているんだこの人は?」とでも言いたげに首をかしげて問いに問いで返す癖がある。
無垢で無意識の残酷さとも言えるだろうが、見た目の印象ほど完璧そうな人間ではない。どこか抜けている、と言った風が正しいだろうか。
「ふふっ、それとも私が養ってあげればいいでしょうか?」
「……いい性格、してるんだなエリス。いい所のお嬢様かと思ったが悪い意味で見直した」
「お褒めに与り恐悦至極です」
これはさすがに、悪気で返しただろう。
淑女と悪女と純朴、いずれとも定義のしがたい性質の人間だと俺は思う。
あるいは、いわゆる天才という存在はそういう性質を持っているのだろうか。
何か、只人には得られぬモノを得た代わり、只人でも当然持っているべきものが欠落した人間は得てして物語だけではない。
全人類の性質を全て足し合わせてそれを同数の分母で割って出来上がる人間を一般人と定義するならば、所謂天才と呼べる人間は看ている目線や価値基準が先天的にズレている場合は少なくない。
あの舞台と同じだ。頭上ではなく真横から灯りを照らしつけられれば、普段見えない部分が見えるようになる代わり、見えていて当然のはずの足元が見えなくなるという具合に。
「自覚はしているだろうが、お前は不気味な上に危険人物だ。一にも二にも、俺はそう思ってる。」
「……はい」
「だから今この場で概ねはっきりさせたい。お前は何のために俺に近づいた? 消去法で考えた場合、このカンタベリーで騎士じゃない星辰奏者というのは傭兵か他国の内偵の類だ」
彼女の正体や出自を考える上で、やれることとしたらまさに消去法で引き算していく形しかない。
第六軍団時代には、当時の団長の意向で散々にやらされたものだ。おかげで今でも癖のように、尾行がいないかを無意識に確認してしまう。
……尤も、その尾行をこの女は平然とすり抜けてきたのだが。
「近隣各国だとアドラー、あるいはアンタルヤ。尾行は見事だったが、だからこそこれが仕事だとすると最後まで貫徹しないのはアドラーの仕事にしてはあまりにも杜撰がすぎる。……最有力はアンタルヤで星辰奏者になった人間。お前の出自はそうだと俺は思ってる」
「人を見る目がありませんね、どれも不正解と言わざるを得ないです。……残念で残酷ですが、何一つ私の本質に掠ってすらいない」
「そうだな、旧暦の探偵モノの小説作家にはまったく程遠い」
手がかり零に等しい推理なんて当たるわけがない。
けれど、微妙な表情の変化は見て取れた。何一つ、本質に掠っていないと言った時の彼女の顔は、どこか寂しそうだった。
人間観察だけは、数少ない俺の趣味だったから。
現状何もわからない彼女に真実があるとすれば、その寂しそうな顔ぐらいだった。
「お前、家族はいるのか?」
「結構昔に縁は切れました。……彼らを置いていったのは、私だったから」
「……悪い、辛い事を聞いた。血縁と縁を切っただの切らないだのはいい思い出じゃないからな」
家族とは、もう縁がない事。……そう言った彼女の顔も、どこか寂しそうだった。
それはどういう意味なのだろうとは思いながらも同時に、推理出来ることもある。
先と今と併せて二つの問いで、彼女は自分の出自に触れられることを人より好ましく思っていない事がわかった。つまりは、人様に言いたくない出自であるという可能性だ。
……だが、それで人の傷を徒に検分する趣味など俺にはない。
「とにかく。さっさと自分の部屋に戻れエリス。お前が近くにいると思うだけで俺は生きた心地がしない」
「人をまるでおとぎ話の怪物のように形容するなんて、酷いですね」
「素であの馬鹿力なら冗談抜きでお前騎士になれるぞ。……そうだな、星辰光次第だが優秀な人材に困ってるらしい今なら多分Ⅴ位ぐらいにはなれる。一時期は第Ⅲ位だったんだから俺が保障する」
「……さすがに今のは頭にきました」
楚々とした淑女然とした笑顔は変わらず、その意味あいだけが大きく変わっていた。
俺の部屋を去り、扉を閉める直前の笑い顔は、正直若干形容しがたい恐怖を味わった気分だ。
……どこか超然としていた彼女が珍しく人間らしい反応をした、と思った瞬間だったがそれは本人の尊厳の為に口をつぐもうと誓った。
―――
……次の日の寝起きは、不思議と不快ではなかった。
あの離別の夢を見ることはない。しかしそれが少しだけ寂しかった。頭の痛みも、嫌な汗もない。
ベッドから体を起こして姿見を見れば、そこには騎士のように真っ当な顔をしている男がいた。……その一点に関しては若干嫌な気分になる。
「……騎士、辞めたはずなんだがな」
あまり、考えないようにしようと思い部屋を出る。……その時に。
「おい、エリス。足音殺すな、からかうな」
「分かりますか、さすがに」
いつの間にいたかは知らなかったが、それでもなんとなくで分かる。そういう悪戯を考えつきそうだから。
「……というかなんだその恰好は。薄着が過ぎる、寝起きでもさすがに着るもの考えろ。体調を崩す」
「加えて、情欲をいたずらに煽ると」
「理解が早くて非常に助かる。俺もお前に比べればそれなりに年を食っているんだ」
……見れば、恐らくエリスの年頃としては一八かそこいらだろう。
抜群のプロポーションと玲瓏と言うべき面貌も相俟って年不相応に大人びた冷たさを醸し出している。だが、肌の張りを見るに成年ではない。
幼さと、大人らしさの境界に立つ罪深いその身をもう少し自覚してほしいとは思うが。
かつかつと、階段を下っていけばハル姉さんがいつものように既に朝の食事を作り終えていた。
……卓に載っているのは、二人――ではなく三人分の食事。言うまでもなく、エリスが増えたからだ。
「おはよう、二人とも」
「はい、御姉様。おはようございます」
相変わらず、礼儀よく頭を下げて椅子につくエリスに、姉さんは柔らかに笑みを浮かべながら食べましょう、と促す。
何時もはハル姉さんと俺の二人だったから。
「……エリス、昨日から思っていたがなんでハル姉さんに御姉様、なんだ」
「おかしなことを言いますね。ロダン様の実の姉なのだから御姉様、と御呼びすればよいでしょう。しかしそれなら御姉様はハル・ロダンとなるはず……いえ、それとも貴方様がアレクシス・キリガクレ?」
「いや、実の姉じゃない。子供の頃、いろいろあって俺が勝手に姉さんと呼んでるだけさ」
まぁ、とエリスは驚きハル姉さんはそうね、と相槌を打つ。……どう考えてもアレクシス・キリガクレは字面の語呂が悪すぎる。
これについては子供の頃の俺が最初ハル姉さんと出会った時に偉い家に失礼がないように、と恐縮に恐縮を重ねていた結果こうなったと言える。
明確な上下関係という奴も付いてきた結果こうなってる。
今も昔も、博学で所作も整っていて、美人で、俺のあこがれでもあった。そういう人に成りたい、と思わせるモノを姉さんは持っているだけに今の俺の有様については申し訳なく思えてしまう。
「親の付き合いの縁で、子供の頃ロダンは私にべったりだったの。それはもう、どこに出しても可愛らしかったのに今ではこうなってしまって」
「その話、是非詳しく聞かせていただけますか」
「食事中では口は休まらないし、口にモノを含んだまま喋るのははしたないからまたいずれ。時間があれば、ロダンの事はお話してあげるから」
……どうかお手柔らかにと切に願う。
いたずらっぽく唇に人差し指をあてる姉さんが楽しそうで何よりだった。俺が犠牲になって姉さんが笑ってくれるなら何よりなのだが、そこで目を輝かせるエリスに嫌な予感を禁じえない。
けれど一方、エリスが姉さんと楽しく談笑している所を見るのはそれはそれで気が落ち着く。
そんな油断があったのか、いきなり姉さんは話の矛先を俺に向けた。
「エリスさん。時に聞くけれど、ロダンについてはどう思っているの?」
「……ロダン様ですか。そうですね、私の立った演目で涙を流して、そして名前を呼んでくれたとても優しい方だと思っています」
「そう。……貴方から見たロダンは、そういう人なのね」
ふむふむと少し思案するように姉さんは考え込んでいる。
……エリスの言葉は、嘘は言っていないが大事な情報はまるきり意図的に抜いている。俺が抗議をしないからか、爪先を踏まれるという事はない。
「ああそうです御姉様、本日はロダン様をお借りしてもよろしいですか?」
「結構よ。夕刻までに返却してくれるなら、荷物持ちでもやらせればいいと思う。ロダンも普段は書斎に引きこもってばかりなんだから、たまには運動しなさい」
姉さんの中での俺の人権は果たしてどうなっているんだろう、と思いそうになるが不義理をしているのは実際のところ俺の方に割合は大きい。
エリスに借り物される、と言う事はどこかに連れていかれるのだろう。まるきり俺の意志は無視だ。
姉さんはエリスの事をどうも無害で年頃の女性だとでも思っているらしいが、俺にとっては全くそうではない。
精々、厄介なことにならなければいいのだが。
食事が終われば服を着替えるといいエリスは上へあがった。
……そうして、その場に残っているのは俺とハル姉さんだけだった。
「……ねぇ、ロダン」
「なんだハル姉さん」
「エリスさんの事、実際の所はどう思ってるの?」
そう、襟首をつかまれるような質問を背に投げかけられた。
「私はなんとなく分かるわよ、何年姉さんって呼ばれ続けてると思ってるの。……多分、人には言えない事情があってエリスさんを拾ったんでしょう」
「そうだな、それであってる」
「……私にも言えない事情?」
そんな聞き方をされては、俺は辛い。
ここで応えないのは姉さんを信じていない事になるし、姉さんの言葉に応じたいのは事実だ。
それを理解しているからこそ姉さんもそう言う風に聞いている。家族であるはずの私に言えないのかと、……そういう卑怯な聞き方を俺はさせてしまっている。
「いつかは言いたい。……でもごめん、今ははっきりとは言えない」
「……そう。じゃあ、仕方ないかな。その時が来たら、エリスさんの事をちゃんと教えてね」
本当に、ごめんなさいと心の中でハル姉さんに謝る。
それから少し遅れて、上の階からエリスが静かに足音を立てながら降りてくる。
薄い青色が綺麗な服装で、実に女優らしいセンスに富んでいる服装だった。
「では、御姉様。約束通りロダン様を借ります」
「エリスさんも、気をつけて。ロダンもちゃんとエリスさんを護るのよ、元騎士様なんだから」
「エリス。お前は一体俺をどこに連れていくつもりだ」
「行ってからのお楽しみ、です」
いたずらっぽく言う分には、表面上かわいらしさは取り繕えていても
この女の腕力を考えるとまるでシャレになっていない。実は傭兵であり、何等かの目的があって集団で囲まれてあることない事される、という線もあり得ると読んでいたのだが。
「……エリス。俺は屠殺場に向かうのか?」
「貴方はどのような場所を想像なさっていたのですか」
「傭兵団の薄暗いアジトか、人目の薄い街の裏の一角」
「ある意味、似ていると思います」
逃げるなど、努々お考えなきように。そんな言葉が聞こえてきそうだった。
ある意味似ているとはなんだろう。街中を往き、次第に薄暗い込み入った路地へと入ると、人気のない建物の中に案内されていく。
きぃ、と開く扉の奥には、数人の男女たちがいた。そしてその先陣に。
「――ユダ様、お連れ致しました。彼が私の神聖詩人です」
「……ご苦労、
……どこの貴族なのかは知らないが、金髪で黒い装束の美丈夫がいた。
ややくせ毛ではあるが美しい毛並みと、中世的で凛とした面貌に高い背。それは彼女の演じたあの演目で目にした役者の一人に他ならなかった。年は読めないが、声色からは間違いなく男だと理解ができる。
言い方がいちいち芝居がかっているのか、それとも役作りという奴の為の自己暗示なのかはよくわからない。
彼女が目立ち過ぎたせいで、若干印象は薄れているがそれでも他者を呑んでしまいそうな独特なオーラを感じる。
「……失礼。改めて自己紹介させて頂こうか若人よ。俺の名はユダ、至らぬ身ながら我がこのユダ座の座長を務めている男だ」
「座長? ユダ? ……エリス。説明しろ、その義務がお前にはあるはずだ」
俺に恭しく一礼するそのユダという男はどうやら劇団の座長だったらしい。
大仰し過ぎるその芝居がかった言い方といい、とても輝かしい自信に満ち溢れている人間なのだという事はよくわかるが、なぜ彼女がこの男に俺を合わせようとしたのかはまるきり不明だ。
このユダという男以外は全員、俺をまるで奇異なものか初対面の人間を見る様な戸惑いの色を隠していない
「ご無礼、お許しください。ロダン様。貴方様を我らが座長に会わせたかったのです」
「然り、他ならぬ彼女の客人だ。俺がそう望んだ故に」
「ですから、警戒なさらないでくださいロダン様」
数年来の友人を見る様な慣れ慣れしさがうかがえるようなユダ。
名前も劇団の名も、この神の地で名乗るそれとしては罰当たりにさえ思えるが――だが、ユダ座は己らをなんと定義しているかを考えるとそれは納得だった。
そうこう思っていると、ユダという男はまるで品定めをするように俺をじっくりと眺めまわしている。
「……何か?」
「いや、エリスが見定めた男がどの程度のものかと見ていた。エリスたっての望みでな、どうにもお前を稽古場に連れて行きたいと昨日の電信で頼み込んできた。劇団員一同、その男の顔を見てやりたかったというだけさ」
「エリス。……ちょっとそこに直れ。何を考え――」
……何を言っているんだろうと思ったが、エリスは至って大真面目に「はい、その通りです」と答えている。
ますます、劇団員からの視線が怖くなる。
「アレクシス・ロダン様。聞けば元騎士様とのことで、私のボディガード兼荷物持ちを今日から務めてくださる方です」
「……そういう事です。本日より、エリス様の付き人を務めさせていただきます、アレクシス・ロダンと申します。よろしくお願いします」
形式ばった返事は慣れている。
……ここで変な事を言おうものなら、エリスにまた爪先を踏まれかねない事はよくわかっていたから。
微妙に他団員達は納得をしていないようだったが、それをどこ吹く風でオーケィ、とユダは空気を仕切りなおす。
「まぁそういうわけだ。エリスは名も顔も売れているからな、万が一という事もあってはいけない。さぁ、今日も稽古と行こうか」
―――
エリスの付き人、とは言ったもののまさか稽古場の中まで連行されるとは想定していなかった。
概ね、彼女の荷物持ちで在ったり、あるいはエリスを眺めていたり、と言ったところだ。
いやそもそも、これは給与という奴は出るのかが怪しい気もするが。
稽古場ではエリスの演技の調整をしている。演目は「孤独のアンナと竜になったジークフリート」で主演はもちろんと言うべきかエリスだ。
銀髪がキャラと似合わないと判断されたのか、赤毛の鬘をつけているのが少し笑いそうになってしまう。
主人公はジークフリートの伴侶アンナ。
村を脅かす悪竜ファヴニルをジークフリートが殺し、その血を浴びて英雄となるがやがて人々からは新たな恐怖の対象と畏怖されるようになる。畏怖を集めるその過程でやがてジークフリートは彼自身が竜となり、自分が殺したファヴニルはどのようにして生まれたのかを悟る。
竜は妻の手で自分の命を終える事を求めて、妻アンナは泣きながらその剣をかつて夫であったソレの胸に突き入れる。
竜を殺したその剣で己の胸も突きアンナは自害した。竜とその伴侶の血がしみ込んだ跡地には真っ赤な彼岸花が咲いていた、という話だ。
……筋書きとしては、救いのない悲劇である。
特定個人を持ち上げ、英雄になったらそれを邪悪だと指を差し排斥する。そういう人間のサガを描きたいのだという悪趣味さが見て取れる。
旧暦であったジークフリートの竜退治の話の再解釈・再構築と言ったところだろう。
シーンは、アンナが竜退治に赴くジークフリートを見送るところだ。
貞淑に、貴方の帰りを待っていますとジークフリート役のユダへと語り掛けるエリスの姿は、良く出来たお嫁さんだと思う。
改めて思うが、稽古の時もまるでエリスには妥協というモノがない。背筋から爪先まで、緩ませるべきところは緩ませ、伸ばすべきところは伸ばしている。
演劇に詳しくない俺でも、彼女の成している事が分かるのだから、劇団員からしてみれば猶の事だろう。
そう思っていると、突然後ろから首もとに腕を回す奴がいた。
「なぁなぁ、えーっと。エリスの付き人さん」
「……ロダン、でいい。あんたは?」
「じゃあロダン! 俺はダグラスって呼んでくれ」
……団員の一人、ダグラスという人物らしい。ユダとは別の意味合いでなれなれしくて若干俺は引いているが。
「ロダン、アンタってたしか昔騎士団にいなかったっけ? 街の見回りしてるとこ見た事あるんだよ。たしか第六だったか第七」
「……よく覚えてるな、そんな昔の事」
「いやいやいや、なんか聞いた事あると思ったんだよ。ロダンって名前。そんな騎士様が辞めた後にまっさかエリスの付き人なんてなぁ」
……半ば脅されたも同然の形だし、俺は発動体は騎士団に返却して去っている。
悪気の無い、清冽で人好きのする笑顔をする奴だと思う。ユダやエリスのような陰や超然とした雰囲気がない、底抜けに明るい奴で清涼剤のような男だなと感じる。
「ダグラス。あんたに聞きたいんだが、エリスってどういう奴なんだ?」
「……え? ロダンがそれ聞く? てっきり、エリスがロダンの事を知ってたからご指名したんだと思ってたんだけど」
「指名はされた、今日いきなりな」
まるで意味が分からない、と言う顔をしているダグラスだが実際事実としてそうなのだ。
詳細をバラすとどうなるかが恐ろしいし余計な騒動を招きたくないから事の詳細は省くとして、それでも出会って二日なのは事実だ。
「……わぉ。マジで? ひょっとして一目惚れって奴?」
「色々経緯は込み入ってるが、それは見当違いだとだけ言っておくよ。浮いた話じゃない」
「いやいや、気になるでしょ、誰だって。だってあの大女優の卵エリスが直々に選んだ付き人だぜ?」
しかも男のな、と付け足して。
実際、ほかの団員達が俺を見る目は奇異や好奇心が未だに交じっている。未来の大女優の付き人、という立ち位置はそんなに大変なものなのかと思わんでもない。
「……まぁでも話戻すと、そうだね。エリスがどういう奴なんだ、だったっけ」
「そうだな」
「んー、ユダさんがこいつは大物になる、とか言って拾ってきたよくわかんない子だった。初めて見たときは、顔は綺麗だと思ったんだけど人形っぽくて、何考えてるかわかんなくて、ちょっと不気味だったのは覚えてる」
「それ、未来の大女優様に言う言葉じゃないだろう」
人形っぽくて不気味。随分直言するが、一方で確かに彼女の特徴は捉えていると言えた。
俺がエリスに抱いた感想も概ねそんなところだったからだ。概ね、彼女は人に対して態度を大きく変えるような性質ではない事は分かった。
「多分いい所の出なんだとは思うんだよ。慇懃無礼な時はあるけど凄く礼儀は正しいし、天才だし、しかもそれを鼻にかけるようなところもないし。けど、自分の事をあまり喋ろうとしない。ミステリアスで、クール。それさえ計算済みの演技やキャラづくりかもしれないけど」
「……いや、俺も大体同じ感想だ」
「んでもって、ユダさんもユダさんだ。大体あの人が目をつけた人ってのはハズレがないことで有名でね。エリスもその口だったけど。でもさすがにアレは格が違いすぎるよ」
ユダ、というあの芝居がかった言い回しを好む男もまた、さん付けされているあたり相当に団員からは慕われているらしい。概ね、聞き耳を立てられる範囲内においてユダに関する話題でネガティブなものは聞いたことがない。
実際、芸術への反逆というテーマを掲げているのはユダだ。そのユダがユダ座と名前を付けていて、それに集う人間が一定数いたからこそユダ座は中堅層に位地しているのだと理解できる。
……ところで、こんな稽古場の隅で油を売る余裕があるんだろうか、この男はと思わなくもない。
「ふむ、何を面白い話をしているのかね、ダグラス。それからロダン」
「――す、すみませんユダさん!!」
「俺は責めてなどいない……雑談は感心しないがダグラス、しかし気になる気分も分かるというモノだ。舞台に立つというわけではないにせよ、エリスの付き人ならユダ座の一員に等しいと俺は認めている」
気品溢れる所作で、顔に薔薇でも咲きそうな笑顔を振りまきながらユダは笑う。
恐縮していたダグラスも、すぐに委縮を解いてははと笑う。……威厳はあるのに、距離感は近い。不思議な男だなと思う。
加えて演技に関しても、エリスを除けばユダ座で一番うまいのは彼だろう。座長を張るだけのことはあるという事だろう。
脚本についても、中々に彼流の皮肉に満ちている。俺好みな皮肉だ。
「男同士の世間話だ。稽古が終わったら俺も混ぜてくれよダグラス。今やりたいのは山々だが、次の場面の練習を観なければならない」
「んじゃ、その時にでよけりゃ。ロダンもいいよな?」
なんか知らんうちに勝手に同意したことにされた。
……それから、劇の稽古の風景を眺めながら、ふとちらりと舞台隅に一人佇むエリスへと視線を向ける。
何処か、寂寞感と憂いを感じさせるその顔を、俺は不謹慎にも美しいと思った。
―――けれど、そんな美しさを佳いと認めてはいけない気がした。
―――
昔、人は天に届く塔を創ろうとした。
天へ、蒼穹へ。果て無き宇宙へ。ただその極点を目指して塔を建築したという。
神ならざる身にて天に至る行為は傲慢とされ、結果塔は雷に討たれ破壊に至ったという。
言語も大地も引き裂かれ、人種や国という概念が生まれたという。
ならば。なればこそ、私はこう問わねばならない。
その「傲慢」とはどのように定義されるのか。
人の身で神の領域に至ろうとしたことが傲慢であるというのなら、神の領域に既に至っている存在が傲慢ではないのだとなぜ言い切れるのだろう。
人の「傲慢」を定義する行為こそまさしく彼らの嫌う傲慢そのものではないのかと。
私にとってのバベルの塔は、火だった。
昔から、火が好きだった。ろうそくであれ、焚火であれ、その美しさに私は目を奪われた。
火種さえあれば、どこまでも際限なく、天井知らずに天に延びていく炎が、私の目に焼き付く原初の科学だった。
それを美しいと思った。
美しいと思って、火を増やして、くべて――最後には家族に怒られて火は消された。
酷く怒られて、ぶたれて――私はなぜ怒られているのかが理解できなかった。
貴方達にはこの美しさが理解できないのかと、一種奇怪な人間にさえ映った。
美しいモノをどうして彼らは私から奪うのだろうと、子供心にそう思った事さえあった。
そう言う意味では私の少女時代というモノは、まるきり欠落していたと言える。可愛らしい服や美しい化粧を施すことに魅力を感じるのが世間一般の女性像だというのなら、私はそれを大きく逸脱していた。
数字が、科学が好きだった。現象が好きだった。学術や研究を愛していた。
私はある日、一人の
私はある日、一人の
そして、私は一人の神を創り上げた。
暁の御子という名のバベルの塔。
私の傲慢を証明する最高傑作。大和を撃ち落とす、