シルヴァリオ・エンピレオ   作:ゆぐのーしす

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聖戦前夜 上 / Before Paradise

 私はルシファーを討てなかった。

 あの時抱いた冷たい心こそ、銀月の運命を担った者たちが抱いて来たモノなのだと改めて私は思う。

 そこにそれが存在している事が一秒として許せない。その構成要素の一片に至るまで滅ぼし尽くさなければならない。

 そうしたモノでこそ、本来月の星光は出来ていたのだろうから。

 

「エリスさんの容態は今のところは安定しているわね。貴方を構成のは物質と星辰光の中間――今は星に寄っている傾向はあるけれど、それでも躯体に綻びは見られない」

「私は元々、星によって生まれた存在です。……星を振るえば、星に在り方が寄るのは至極道理でしょう。まして、あの星は……」

「えぇ。アレは、恐らく出力だけに限って言うならば極晃にさえ限りなく肉薄していた。……けれど冥月や恋歌の例が証明している通り、自己干渉が極限まで進行した場合貴女はロダンさん諸共に肉の器を喪失していたかもれない」 

 死想冥月は文字通りの己が全霊を賭して絶対無敵の太陽神(ヘリオス)に挑んだという。彼女が本来辿るはずだった末路を鑑みると、私は少しだけ胸が締まる思いがした。

 ルシファーには一矢として報いれず、それどころか連座で私につながっているロダン様まで道連れにする。

 命を救ってくれた人の命を、私は奪ってしまう。このような在り方のどこが淑女だと言えるのだろう。

 

 

 そして光を以ってルシファーは覆し、己が裡に闇をも宿した。

 アレはそもそも、窮地を窮地だと思っていない。どこまでもその数値評価は己自身に対しても公正だ。自分が持ち得ていないモノがあったからこその窮地だと認め、その上で相手に学ぶ。

 だから根本的に彼にとって窮地は何ら恐れるものではない。むしろ喜々としてそれを超克し、打ち砕く事にこそ悦を得る感性なのだろう。窮地が窮地として機能していないのだ。

 

 理解できないし、したくもない。アレに対して思考を巡らせるという行為そのものが、私の中の憎悪を再起させてしまうから。

 

「ありがとうございます、オフィーリア様。これで私は戦えます。ルシファーは私が――いいえ、私達が討ちます」

「ウェルギリウスは、どうするつもりなの?」

「……、それは」

 ウェルギリウスはかつて、オフィーリア様の友人であったと聞いている。

 神祖によって魔道に堕ちて道を歪められたとも。

 

「……ごめんなさい。意地の悪い事を聞いたわ。恐らく、仮に生きて連れて帰ったとしても極刑は免れないでしょう」

「いいえ、オフィーリア様。ウェルギリウスは貴女の前に連れてきます。……その時、魔女ではなく()()()()、彼女を裁いてください。それが彼女にとっての救いとなるでしょう」

「……裁くのは私の管轄外ではあるのだけれど、善処はするわ」

 もう、人としての救いなど魔女は求めていないと水星天は言っていた。

 その数々の所業は情状の酌量はできないだろうし、私はもとより彼女に何ら同情するものはないが聖教皇国の法体系では恐らく彼女も、オフィーリア様も救うことはできない。

 

「……話を戻しましょう、エリスさん。体に何か、変調は? 特に発動体化機能については前例がない以上はあの星光の行使での影響が気になるわ」

「そうですね、試してみましょうか」

 言って、少しだけ目を閉じる。

 星辰体の往還経路は確認できている。私とロダン様の間にある繋がりはちゃんと自覚ができる。

 機能に問題はない。

 後は、私が発動体となるだけで――、けれどその瞬間に私の脳裏に浮かんだのは、黒い天衣を纏う私の姿だった。

 憎悪の黒。銀月の闇。十天の果てではなく九圏の深淵に詩人を導く、嘆きの輝き。

 または私は同じ事を繰り返してしまう――ロダン様を地獄に導いてしまうのではないか。

 

 ――怖い、そう思った時。私の躯体からは感応が途絶えていた。

 

「……エリスさん、どうしたの?」

「でき、ないのです」

 私の手は震えていた。

 ……機能にきっと問題はないと理解しているはずなのに、私は発動体になることができなかった。

 私の姿を私は初めて恐ろしいと思ってしまった。

 

「発動体に、今の私はなれないようなのです」

 

 

 

 ルシファー襲撃から暫くの後、第一軍団ではある事件が起こっていた。

 それは第一軍団第四位階、イワト・巌・アマツの昏睡事件だった。早朝、グランドベル卿が発見したという。

 意識不明の重体とされ、現在は治療を受けている最中だという。

 ……毒、或いは星によるものか病か。原因は一切として不明だ。遺書に類するモノも発見されていない以上は自殺とは考えられにくい、とされている。

 

 

 この事は聖教皇国に大きな衝撃を与えた。ウェルギリウスや至高天の階への対処について混迷を極めている最中に起こった事件であり、そちらとの関連を当然疑われた。

 

「……グランドベル卿。イワト卿は何があったんだ」

「私にも、判じかねます。ただ今は一刻も早く回復を祈るばかりです」

 床室に伏せるイワトは、いまだに目を開けない。

 別に深い付き合いというわけではないが、知らない仲というわけでもなかった。

 傍らのグランドベル卿も、複雑な表情をしている。……少なくとも俺よりはずっと顔を合わせる機会そのものはあったはずだ。グランドベル卿も心を痛めていることだろう。

 

「……普通に考えれば星辰奏者の生理機能は常人を遥かに凌ぐ。私は医学には疎いですが、それでも人間という種の性質を鑑みた場合、服毒によるものとは考えにくい。星辰奏者を陥れるのならば星、と考える方が自然でしょう」

「イワト卿は個人的に誰かと交友していたという話は?」

「私にも当てはまることですが、イワト卿は往々にして自身の事を語りたがりません。それこそ、ロダンの幼馴染の事ぐらいしか」

 ……確かにそれこそ、ハル姉さんの親と知り合いだった、というぐらいしか知らない。

 何かの手がかりがあるわけでもなし。かと言ってそれだけに集中していられるような事態では決してない。

 至高天の階。それらを無視することはできない以上はどうしても今はイワトの容態が快方に向かう事を祈るしかない。

 

「行きましょう、ロダン。心苦しいですが、それでも今は今の課題に対して全霊を尽くすのみです。何よりエリスが待っているのでしょう、貴方は」

「そうだな、今はそちらを急ごう。ルシファーの企みも気にはなるからな」

 イワトの眠っている床室を後にした後、俺たちはオフィーリア副長官の装甲監獄を訪れた。

 

 青白い灯火が薄暗く照らす研究室の中で、オフィーリア副長官は何かの鋼の椅子に座っているエリスと実験をしているようだった。

 

「ロダン様、マリアンナ様、おはようございます」

「あぁ。おはようエリス。体の具合は?」

 エリスはルシファーとの闘いで深刻な損耗を負った。

 加えてエリスは在り方としてはかつて冥狼と呼ばれた魔星と等しく、前例に極めて乏しい。治療の手段が未知数なのだ。

 それについて、歯切れ悪そうにエリスは口ごもった。何か不安な事があるのだろうか。

 オフィーリア副長官はフォローするように、言葉をはさんだ。

 

「まず、エリスさんについてだけど……単刀直入に言うけれど、今のエリスさんはロダンさんの発動体となる機能が支障をきたしているの。つまりはロダンさんはエリスさんを介して星が振るえない、ということよ」

 その言葉に、俺は一瞬だけ言葉の理解が遅れた。

 それはつまり、エリスを介しての――魔星としての星を使えないという事だ。

 少しだけ眩暈がする。エリスとの繋がりが断たれたかのような、そんな感覚にさえ陥りそうになる。

 

「エリス。……それは、本当なのか?」

「本当です、ロダン様。今この瞬間とて、ロダン様が星を求めていることは伝わっていても、私は貴方の発動体と成れない。私の体は誰よりも私が知っています、機能を喪失など決してしていません。……けれどなろうとしても、私の神核が応えないのです」

「……いや、エリスが気に病むことじゃない。エリスの生態を恨むことはないって言っただろう」

 ルシファーとの対決の影響はあるだろう。少なくとも契機とはなっているはずだ。

 そしてはっきりとしている事実がある。俺は、エリスの星を使う事が出来ない――つまりは普通の星辰奏者の規格となってしまったという事だ。

 

「……ロダン様。本当に、申し訳ありません」

「いいんだ、エリス。今は原因は分からなくたっていい、それでも俺はずっとエリスに助けられ続けたのは事実だ。お前はそれだけでも十二分に俺を救ってくれているんだから」

 ただ、項垂れるエリス。声の震えから察するに泣きそうになっているのだろう。

 ……理解はしている。エリスの導きがあったからこそ俺は木星天や火星天から生きて帰ってこられた。

 良くも悪くも、俺の実力というモノはエリスに大きく依拠しているところが大きい。

 

「俺は、至高天の階には勝てない。そういうことになるのか」

「単純な数値評価だけで下すなら、その通りですロダン。貴方はエリスが居なければ、規格としては通常の――私と何も変わらない星辰奏者です。」

「……グランドベル卿は、俺に聖戦から降りろと、多分そう暗に言ってくれているんだな」

「受け取り方は自由です」

 自覚はしていた。エリスと共にいたからこその万能感は否定のしようのない事実だったからだ。

 それをはがされれば残るのは、只人の狡猾なる詩人(ロッドファーヴニル)だ。そうなってやっと、自分の実力の欠如を思い知らされる。

 対して同じ星辰奏者であってもグランドベル卿は踏んできた場数も質も違う。劣勢である事――その時ある中で最も困難な決断を選び続けてきた故に。

 

「……この後の事は、グランドベル卿。貴女に任せても?」

「えぇ、オフィーリア副長官」

 グランドベル卿は副長官に謝すと、俺についてくるように促した。

 俺が背を翻せば、エリスは少しだけ身を乗り出す。

 

「ついてきてください、ロダン。今後の事を、少しだけ」

「待ってください、マリアンナ様。私も――」

「エリス。これはロダン自身に関わる話です。ですからどうか今だけは、抑えてください。貴女が力を取り戻さなければ、ロダンも安心はできないでしょう」

 俯きがちに、エリスはその言葉に従った。

 治療と機能の復旧に専念しろ、ということでもあるのだろう。

 少しだけエリスにそんな顔をさせるのが心苦しかった。

 

「ロダン様」

「なんだ、エリス?」

「……、いいえ、なんでもありません。いってらっしゃいませ」

 

 

 

 それから監獄を後にして俺はグランドベル卿と並んで歩く。

 

「……して、俺に用とは?」

「ロダン。単刀直入に聞きますが、貴方はエリスの加護を失って尚、至高天の階と戦いたいですか?」

「……それは」

 戦いたい、と口で言うだけなら簡単だった。

 グランドベル卿はそれを聞いているのではない。戦える手段があるのかと、方法論を問うているのだろう。

 それは厳然な事実だった。戦いたいという心だけで勝てるのならばハナから発動体も星も必要ではないからだ。

 

「戦いたい、と言うのなら。私は貴方に一つ、道を示すことができるでしょう」

「……それは?」

 グランドベル卿と共に訪れたそこは、練兵場だった。そこに、グランドベル卿の示した答えというヤツは有った。

 練兵場の真中にリヒターはいた。

 そしてその傍らに突き刺さっていたのはかつて――俺がまだ第六軍団にいたころに握っていた剣だった

 

 

「……選定の剣、か。俺はアーサー王じゃないんだぞ」

「貴方にとってはまさしく魔剣(グラム)に等しいでしょう。その剣故に、貴方は騎士を辞したのですから」 

 俺には手を離して久しいかつての発動体が、禍々しい魔剣のように見えた。

 栄光も破滅も、等しく担い手に齎す。そんな剣。

 脚本としてなら上出来だ、あまりにも皮肉が過ぎる。確かにそうだ、俺が星辰奏者として戦うにはそれしか道はあり得なかった。

 

「……意外と、握る感慨はないものだな。あれだけ俺はこの剣を握り続けていたのに」

「持っておけ、ロダン。今はそうでなくとも、護身用でなくとも、お前にはきっと必要なものだ。……お前は未だに、慚愧に囚われている」

 慚愧など、感じなかったことはない。

 ただ強くなりたいと思ったから剣を振るった。

 目に見える、物理的な強さだけを求めて、その人の心を知ることはなかった。

 強さだけをただ求めるルシファーは俺にその心の共感を求めていた。

 

 ……確かに、俺はルシファーと似ているのかもしれない。

 強くなればハル姉さんは俺を認めてくれると思った。俺の騎士姿が似合ってくれると言ってくれた事を俺は今でも忘れていない。けれど、急ぎ過ぎたあまりがあの結果だ。決して星の特性としてそうなったのだ、などと言い訳できるわけもない。

 

 強さを奪う剣とルシファーの在り方に、果たして何の違いはあるのか。

 ない――今はまだ。

 

 目を逸らし続けてきた応報が訪れたというだけだ。だから、俺はかつての友であったこの剣に残した慚愧を拭い去らなければならないのだろう。

 たとえそれが、過去を抉る行為であったとしても。

 

「ありがとう、リヒター。グランドベル卿。その恩義に報いるためにも、俺は今だけは騎士に還ろうと思う」

 

 

―――

 

 誰もが、予感はしていた。

 聖戦の刻は近いと。

 

「ウェルギリウス。術後の経過に違和は?」

「貴方の施術が優れていたのでしょう。体幹から末梢に至るまで、不如意は一切としてないわ」

 ウェルギリウスは薄暗い地下で、そう語る。

 纏っている病衣の胸からは、決して小さくはない血痕が滲んでいた。

 

 ルシファーの手による施術によって彼女は生きながらにして魔星――原動天となった。

 至高天に寄り添う第九の天として魔女は新生を果たした。

 

「俺たちは今第四世代人造惑星である以上、お前と俺の間に優劣はない、あとは至高天の階との聖戦を以って出力を高め上げ、極晃に至るだけだ」

「えぇ、けれどその前に私はやっておかないといけないことがあるの」

「……なるほど。それは、お前の知己というあの女の事か」

「聖教皇国に残した人間性と訣別しなければ、私は至高の天には至れない」

 オフィーリア。

 オウカでもなく、また神祖でもない。人であった頃の魔女をただ一人だけ友と言ってくれた人物だった。

 

「間違いなく、オフィーリアは私にとっての外付けの人間性だった。だから待っていて、オフィーリア(私の人間性)。貴女を殺さなければ、私は真の新生を得られないだろうから」

 確かに、その時ウェルギリウスの唇は演技ではなく笑っていた。

 その様をルシファーは見逃しはしなかった。

 

 見逃さなかったうえで、その微笑の意味を問いはしなかった。それを問う事こそ、人間の概念で言う「無粋」に類するモノであると解釈していたからだった。

 

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