初めから、いずれ辿るだろう末路は分かっていた。
分かっていてなお、狂わなければ俺は俺である事さえできなかったのだろう。
「貴方には知り得ないことであろうけれど、私は英雄をこの地上に再び降ろすことができる。……そしてそれは私の計画のためには必要な事。――時が来れば貴方には分かるわ、恐斧王。貴方の妄執を貴方自身の手で破壊する舞台を私が整えましょう」
魔女の言葉の意味を半分も俺は理解が出来ていなかった。
毒光の後遺症はもはや全身に達していた。舌を動かそうとしても、身動きを取ろうとしても、思考しようとすることでさえも、筆舌に尽くしがたい苦痛を招く。
もはや俺が誰なのかさえ、俺は分からなくなっていた。
残ったモノは英雄に対する妄執のみ――それだけがただ、俺を生かし続けていた。
耐えられない、限界だ、殺してくれ。思考さえ許されないにもかかわらず、意識が継続する事さえ俺にはもう耐えられないのだから。
待てない、終末を迎えさせてくれ――俺の執着を誰か終わらせてくれ。
それはひどい矛盾であり、執着の終焉を願っていながら、その執着だけが俺を死なせてくれなかった。
病床に俺は繋がれている。いつ繋がれているかなど決して知り得はしない。
恐斧王――誰だそれは
エイリーク――誰だそれは。
オウカ、ウェルギリウス、素体に相応しいのは――誰だ、それは。
耳にかすかに聞こえる、医者どもの言葉など何も分からない。俺が誰なのかさえ、俺には分からなかった。
そして俺は、再び目を覚ます。
土星の龍――天霆の敵対者として。
あの男の輝きは確かに、英雄のソレだった。
……俺は、果たして何に執着していたのだろう。
英雄は確かに俺の国を奪った。
だが民をあの男は決していたずらに損なおうとはしなかった。
そして、俺の国の民らは確かにその命を繋げていた。
……クリストファー・ヴァルゼライドが認められなかったのではない。英雄に落ち度があったわけでもない。
民らの笑顔を永遠に俺の手に留めておきたかったための、醜い妄執だった。この世に永遠などありえないのだと理解していながら、俺は俺の治世の終焉を――そして英雄の治世に受け継がれることを受け容れられなかったのだ。
「……俺は終わった命だった。終わった者は、終わらなかった命を勝者に託すべきだった。……なんだ、それは敗者の道理だろう」
そうだ、勝者に己が臣民を託す。それは聞こえこそはいいが、言い訳の余地など微塵もなく敗者の理論だった。
その終わりを受け容れられなかったから俺は化外となったのだ。
そして木星天と言うあの男の言葉で俺は、俺の終焉を認めることができた。
民に慈悲を施すことは俺以外の何者かにできたとしても、その民を護り続けてきたことは決して消えぬ俺の足跡であり、英雄ではなく他ならぬ俺にしかできないことであった。
人一人で完結する永遠などありえない。継承されていく輝きこそ真に不滅なのだから。
光に還り地獄に落ちる刹那に、俺は生涯でただ一度初めて安息を迎えた。
「……認めよう、さらばだ英雄俺の負けだ。――もし死後があったならば、俺は地獄に行こう。あの母と子を殺した罪は、俺が贖わなければならないのだから」
/
「そう、木星天。勝ったんだ」
少しだけ、ため息をつく。
あぁ、どこまでも予想通りだと。
番狂わせがあったとすれば、皇国の空に上ったあの光は恐らく木星天のモノではないという事だろう。
聖教皇国の者、だろう。にわかには信じがたいし、そのためにどれだけの代償を支払ったのかは計り知れないがそれでも土星天を討ち破るという難行を成し遂げた者がいるという事実は確かにある。
彼は土星天と決着をつけ違ってたがっていたはずだ。それは完遂できたのかは、私には分からない。
『……好きに生きて好きに死ね、だがお前に誓おう。絶対なる死の排斥、楽園の建設――その願いは俺が叶えてやる』
私は死のない世界を求めた。
それがかなわなければ、せめて自分の手の及ぶ世界の人々だけでも死んでほしくなかったというだけだった。
「ケネス? ねぇ、起きてよ。ケネス。どうして、答えてくれないの?」
私はかつての亡き友に――ケネス・ブライトにそう誓った。
私の家はとびぬけて裕福なわけではなかった。
医者の一家として生を受けた私は、生まれながらにして人の死と身近だった。
よく、医者であった父と母を私は手伝った。
患者と顔を合わせることはよくあった。その過程で患者の人達と仲良くなることもあれば、死に分かれる事もあった。
エオスライト家の優しい娘さん。博学で慈悲深い子。そんな風に私は言われてたと思う。
けれど、いつも私は人が死ぬときに言い知れぬ怒りを覚えていた。
また間に合わなかった――それはあるだろう。
私がもっと知識を着けられていれば――それもあるだろう。
けれど何よりも、私は死に対して憤激していた。
怒りの矛先を自覚したのは、私が一五の時だった。
死は当然の現象であり、そして人はだれしもが免れない。
それは当然の事であり、旧暦から今に残る医学書ではその機構は概ねほぼすべて解明されていた。
けれど、私はそんな当たり前を許せなかった。
ある人は残された家族への遺言を私に託して亡くなった。
ある人は私に手を握っていてほしいと言って亡くなった。
……ケネス。私の友人であった人は、最後にありがとう、と言って亡くなった。
私は、彼に何もできなかった。
そんな有様だった私に、彼はなぜありがとうと言ったのだろう。その答えが、今でも私には分からない。
無力な私には、そんなことを言われる資格なんてなかった。
この地上から死を消し去りたい、そんな底なしに馬鹿げた愚かな願いを抱えたジュリエット・エオスライトという人物は聖教皇国の医療部門を任されるほどにまで成長した。
その愚かさは、知識を得るための熱量に変換された。
寝る事さえ厭い、旧暦と新西暦の学術書を読みふけった。
聖教皇国始まって以来の天才だと、私の事を皆はそう呼んだ。
医学の発展のために、などという輝かしい目的意識など私は特に持っていなかった。死と病の根絶が私の目的だった。
そのために必要なモノは全て学んだ。けれど私はその願いを達成することはできなかった。
ほどなくして、ある地において私は従軍医として付いていくことになった。
その地は古都プラーガといい、当時私がそこに派遣されたのは激戦の予兆が考えられたためとされている。
そこで、私は地獄を見た。
多くの人々が犠牲になっていく。そこには悪も善もなかった。
傷を縫合し、血を拭って、やがては敵も味方も関係なく私は手当をし続けた。
どうか死なないでと祈るように何度も、何度も、血を拭った。
もはや気の触れた光景としか言いようがなかった。
人倫冒涜の極致たる機兵たち、審判者、邪竜――そして太陽神。
恐らく私にとって神々の黄昏と呼ぶに値する光景があったとしたら、あの時だったと思っている。
そして私は信じている。遍く死神を焔で焼き尽くした地平にこそ真に楽園は下りてくるのだと。
魔女は私の肩を叩く。貴女を求めていたのだと。
木星天は何も私の予想を裏切りはしなかった。結局アレはそうなる――いずれ、戦わなければならなくなる。
恐らく木星天は至高天にすら勝ち得るかもしれない。
常識として考えて、数値評価で言えば木星天は至高天には及ばない。けれどそれでも彼はきっと数値の地平を踏破する。
たとえ一時でも、監視も兼ねた彼の主治医であった私には分かる。
どれほどに絶望的な状況であろうと彼には根本的に諦めるという人間が標準的に搭載しているであろう選択肢が欠如している。
アレこそは諦めを知らない
こんなことで、楽園の創造を決して邪魔はさせない。
彼が堕天を討つと言うのなら、私は全霊を賭して彼を殺そう。
彼の宿痾を私は治したかった事、それもまた私の偽らざる想いだ。それを成せなかったのが今だから、せめてそのけじめは私がつけよう。
天動する
/
「……ん? なんだ、ロダンとエリスか」
「なんだ、じゃないだろ馬鹿座長」
「ご挨拶だな、もう少しこう。傷病者にかける言葉は選べないのかお前達は」
息絶え絶えの様子で、胸に傷を負った状態でユダは自分の稽古場に横たわっていた。
俺達がユダ座に来る頃には、ユダは血まみれの状態で舞台に突っ伏していた。
死にかけではあったが、確かに火星天の言う通り急所は避けられていたようだった。
……急げば間に合う奴がいる、とだけ火星天は言っていた。そして今ここには半死半生のユダがいる。にわかに信じがたい気分になるが、その筋書きに概ねは察しがついた
「……ユダ。火星天、という男は知っているか?」
「あぁ、知っている。つい先刻、襲われたからな」
「――つまり、お前は至高天の階か?」
「今となっては隠す意味も無いだろうが、そういうことになる。……隠して済まなかったな」
……当面の手当として有効かはさておき、いったんは止血させユダを横にさせた。
実際火星天がユダを襲うとしたら、ユダが魔星である事ぐらいしか行動に合理性が見いだせない。恐らく火星天は無軌道に意味もなく死人を量産するような人物ではないだろう。
こんな身近に魔星がいたのだと、ある種俺自身最も面喰ってはいるのだが。
「……火星天め。恐らく、俺に手加減したんだろう。……エリス、ロダン。何か聞きたいこともあるだろう。その概ね総てに大体俺は答えられる」
「……」
最初に、口火を切ったのはエリスだった。
「ユダ様、貴方は私を騙していたのですか? ……ご自身が魔星である事を隠し、私が魔星であること知らないふりをして」
「お前の素性を知っていながら匿った。その一点においては俺はお前を騙していたと言えるだろう。……知っていたさ、お前の事については、堕天と魔女が喋っていたからな」
「……では、なぜ私を素性を知っていながら匿ったのですか?」
「……」
言っていいモノか、悪いモノかと考えるように、少しだけユダは逡巡していた。
「……エリス。初めて俺と出会った事は覚えているだろう。あの時、お前はその舞を見せたい人がいると言っていた」
「……はい」
「恩着せがましい言い方になるが、お前の願いを俺は叶えてやりたかった。お前がどういう過去を背負っていようが堕天と魔女はお前に安息を許さないだろう。……お前の踊りと歌が俺は好きだった、だから俺はお前に投資したくなった。芸術の徒として、そう思ったからそうしただけだ」
……真摯に座長として自分に接してきた過去を、エリスは嘘だと思わなかった。
何より思いつきで時折どこの客層に受けるのかわからない脚本を書いて赤字を作ったりする享楽的なこの座長が、特に何か裏を考えていそうな人だとはエリスは思えなかったから。
「ロダン。お前にも、騙していて悪かった。本当はエリスが魔星である事も知っていたが、お前には敢えて言わなかった」
「……婉曲な表現、ないしは真実の暗喩だったという事にしてやるよ座長。何はともあれ、お前はエリスをずっと陰ながら助けてきたんだろう。だったら至高天の階だからと言って俺が戦う理由もない」
「……ありがとう、二人とも」
「おい、座長。何勝手に一人で満足して目を閉じようとしてるんだ。止血は終わったろう、あの世に行くにはまだ早すぎるぞ」
ぺちんと、ユダの頬を軽くたたきながら、不服混じりに言う。
実際、死ぬわけではなかったもののユダは意識が一瞬飛びかけていたのは事実だろう。
「……分かった、分かったからせかすなロダン」
「多くは聞かない、詳しいところはその手の専門家に任せればいい。……どういう経緯で魔星になったかなんて、それこそあまり愉快な話じゃないだろう」
「そうだな、それと少なくとも聖戦が終るまでは放っておいてくれると助かる。どこにも行きはしないさ、俺には護らなければならない場所がある。……すべてが終れば、出頭しよう」
……ユダがどんな想いで、劇団を立ち上げたのかは俺は思えばあまり知らなかった。
けれど、この稽古場は恐らく彼にとっての神域だったのだろう。
そこは当然、エリスも立つ。だから暗に、エリスの居場所を護りたいと、そう言っているようにも聞こえた。
/
一日にして灰に還った聖庁の正門。
今現状で残されているのは手負いの状態のリヒター。
それから水星天。エリスとロダン。
ルシファーとの決戦で崩落した聖庁の装甲監獄は、今は寒々しくその孔の底を覗かせているのみだ。
対魔星の方針について主導してきたのは、主にオフィーリアと第一軍団によるモノが大きい。
それゆえに今は情報も指揮も錯綜している有様だった。
「……酷いものですね、ロダン様。一日にしてこのようになるなど」
「まったくだ。最悪にもほどがある」
これだけの激戦があったにもかかわらず、公的な施設における被害が奇跡的に聖庁に終始している。
それは僥倖だというほかが無い。
事態の推移は一刻の予断さえ許しはしない。
だがざり、と正門から音が聞こえてくる。首を回せば、そこには――グランドベル卿と、グランドベル卿に肩を貸しながら歩く木星天がいた。
「……久しいな、詩人と淑女。そして水星天」
「木星天……」
グランドベル卿の傍らに木星天が居る事。その理由は分かっていない。
けれど恐らく、木星天は決してグランドベル卿と相争っていたわけではないのだろうとは察しはついた。
「私を殺しにでも来ましたか、木星天」
「水星天、貴様もまた必ず殺す。だが今ではない」
「いまではなくとも、いつか殺すのなら変わらないでしょうに」
刺々しく水星天もまた、木星天に糾す。
至高天ほどではないにしろ、水星天の中では最優先で警戒する対象でもあった。
だが今は少なくとも一触即発というわけではない点においては水星天とエリスは安堵していたという。
「……木星天、グランドベル卿とお前は何をしていた」
「至高天の階、その一柱を倒した。……聖女は己の全てを対価にして土星天を討った。今はまだ、目を覚ません。……診てやるといい」
言って木星天は腰に差した二刀を地面に突き刺し、それからマリアンナを担ぎロダンへと引き渡した。
すぅすぅと寝息を立てている彼女の姿は、これまで見たことが無いほどに安らかだった。
そうして、木星天は聖庁を去ろうとする。
「どこへ行くつもりだ、木星天」
「……至高天を討つ、それで総ては決着する」
「……その体で、何が出来る。――お前達風に言うなら、お前の体は既に耐用限界に限りなく近づいている」
たとえ痛苦をその顔に映していなくても、木星天はの肉体は土星天との決戦においてその毒光の後遺症を残している。
「俺が休む刹那に悪魔はこの地上を何の裁きを受けることもなく闊歩する」
「……お前には、お前の無茶を止める誰かはいないのかよ」
「――いたとして、それで止まるようなら俺は俺の礎となった者達に悪魔の打倒を誓いはしない」
少しだけ、木星天は逡巡した。
心当たりは一人だけいたが、すぐに掻き消えた。
彼の燃料とは即ち怒りであり、彼という存在を代弁するモノもまた怒りだった。
その怒りの最大にして唯一の矛先は至高天に他ならなかった。
「打倒するのはいいとして、ルシファーの消息の手掛かりがないだろう」
「……否、あるとも」
木星天はそう、返した。
そこで、エリスの傍らの水星天もまた、なるほどと相槌を打つ。
木星天の言葉が理解できる自分自身のが癪だとでも言いたげな態度だ。
「――聖教皇国地下第二五六区画。魔女の居城にして工房です」