『神天地創造事件の特異後遺症患者についての追跡調査、及びウェルギリウス氏の調査についての報告』
神天地創造事件。通称、アースガルド事件の被害者達について検査を行った所、現状の全被検者の内ある一名に特異な傾向が確認された。(以下、当該被検者は甲と呼称)
甲は元第六軍団所属の人物であり、最終位階はⅢ位。
甲について血液検査並びに星辰体の感応についての検査を行った所、明らかに特異な傾向が認められた。
要因は不明で在るが、甲の星辰光に変質は見られない。
甲について、過去の経歴を遡って調査したが特殊な経歴はない。アースガルド事件による後遺症と判定するには不十分だがアースガルド事件そのものが類似例のない事象であることも鑑み、秘蹟庁は甲の極秘の追跡調査を行う事を決定した。
また、同時期に神祖の研究に関わっていたとされるウェルギリウス氏の失踪が確認されている。
ウェルギリウス氏は故、オウカ・鳳・アマツ氏の信任篤い研究者であったとされているが、他国への出国、自殺他殺、あらゆる可能性を含めて現在調査中である。
調査結果についてはおって報告する予定である。
―――
ユダ座の稽古場は粛々と、今日を終える。
ぞろぞろと稽古場から去っていく団員達を見つめていると後ろから突然がしっと肩を掴まれた。
「ユダ……」
「男の話の続きと行こうじゃないか。まったく、座長をのけ者にする気か?」
ユダはやはりなれなれしく俺と肩を組んでいる。
「失礼ですが、俺はエリスを送らなければなりません。……続きなら、ダグラスとどうぞ」
「硬いな、俺はお前も団員と認めている。新入りだからと遠慮するな。それに悲しい事にダグラスは急用でいない」
「たかだか付き人には身に余ります」
「俺は余ってないな、よそよそしいぞロダン」
距離感が近いのは嫌いではないが、やたらにスキンシップを好むのがユダという人間の癖だと思った
かと思えば、女性に対してそうしているようではないらしく。
野郎の友情を好む人間としては第六軍団の団長がそういう人種だったのは覚えている。
しかし――
「――それにエリスの事、知りたいんだろう」
そう、静かに耳打ちをユダにされた。
それは俺には無視が出来ない話であり、刹那のやり取りを知ってか知らずか、仕方ないですねロダン様、とエリスはかぶりをふるっている。
「いいですよ、ロダン様。殿方の交流もまた大事になさいませ」
「……分かった。ただ姉さんには上手く伝えてくれ。あの人は俺が遅れると不安がる人だから」
「承知いたしました。では、そのように」
しずしずとお辞儀をしながら、舞台の隅でエリスはロダンへと手を振っている。
すまない、と会釈するとその場を俺とユダは立ち去った。
稽古場から出れば、ユダに連れられ夜の街へ繰り出す。それから一角の酒場に入ると適当なテーブルに腰かけろと言われた。
「俺のおごりだ、飲めよロダン。遠慮はするなよ」
「それじゃあ、一番高いワインを頼む。……聞かせてくれ、エリスの事」
「お前とサシで飲む口実だが、もちろん約束は履行するさロダン」
卓の前で、一対一で向き合っている俺達の間に流れるのは微妙な空気だった。
まだ、俺はユダという男を知りかねている。
どういう思考をして、どういう趣向をしているのが、それが雲のようにつかめない男だったから
ただ一旦その思考は断ち切って今はこの並々とグラスに注がれた金の塊で喉を潤そうと思った。喉が他人の金が駆け抜ける感覚というのは、まぁ人の感性としては間違いなくハル姉さんに怒られるだろうが、とても甘美だった。
「で、エリスの事については大体は応えられると思うが、何が聞きたい」
「そうだな。……まず、エリスは星辰奏者なのは知っているか?」
「知っている。それは団員全員承知の上だ。経緯までは知らんさ、そこは当人に聞いてくれ。俺がスカウトする前には自分から言っていたよ」
……あまり、これだけでは身の上についてはよくわからないと言える。
けれど星辰奏者である事そのものは劇団員は全員受け入れている。
「……じゃあ、なんで雇った? 演技は上手いのは認めるが、理路整然とし過ぎている。今日の彼女の稽古ではっきりわかったよ。素人目からも、そうだな。言葉を選ばずに言わせてもらえるならアレは――」
「不気味だ、と。そう言うのだな。お前のその目は素人じゃない。俺が保障するよ審美の才がある。彼女に違和を感じ取ったのはダグラスと俺、そしてお前だけだ」
何に感心したのかは知らないが、ユダはそう俺に向かって笑う。
彼女の事を不謹慎にもそう言ってしまった以上怒られると思ったのだが、意外とそこは彼も共感しているようだった。
彼女の舞に何か寒々しさを感じる人間は、恐らく一定数いるだろう。総てが予定調和で、機械のように正確に総ての関節を動かし続ける。情動を介在させない、理論によって生まれているモノのようにおれは見えた。
「確かに突出して演技が上手い。それは俺が一番認めているとも。だがその上で彼女には
「……つまり、彼女にはそれがない、と」
「そうだな。表現者として身体的素因に依らないモノについて、彼女はあまりにも完成され過ぎている。取りこぼしたモノがない。それ故、ともすればよくできた精密な機械の動作を見ている気分になる。凡そ俺が言語化するとすればそんなところだが、こういう解答で満足できたか?」
精密な機械のよう――確かに俺の抱いた感想と、ユダの感想は同じだった。同時にダグラスも彼女のソレを見抜いていると、ユダは言っていた。軽薄そうなあの男は、ユダほどではないにせよひょっとしたら人を見る目もあるのかもしれないなと、俺も見方を改めた。
……酒で喉を潤して、ユダは俺に聞く。
だがしかし。
「いいや、なんで雇ったかについて答えてないだろう」
「あぁ、悪いな忘れていた。雇った経緯については、まぁ端的に言えば優秀だったからだ。ちょうど時期としては神天地創造事件のあたりだな。海辺で釣りを楽しんでいたら、偶然彼女がそこで一人で歌いながら踊っている姿を見た」
「……釣り、か。そりゃまたなんとも色気がない、潮と魚の匂いだろう」
彼女が海辺で歌って、躍っている姿を見たと言った。
そこに才能を見出して、スカウトしたという筋書きは納得は出来るが。
「その時、まさに女神を見た気分だった。月を写したような銀白の髪、女神のような面貌、卓越した舞。俺は確信した、――世界は彼女の反逆を望んでいるとね」
「……相も変わらず言い方が胡散臭いな。芸術への反逆、だったか? お宅のスローガンは」
「その体現者に成り得る者こそ、まさに彼女と俺は信じている。俺の目は生まれてこの方、曇ったことがないんだよ」
……芸術への反逆。そのワードに今の彼女は正直似合っていないだろう。
既存芸術の破壊者かと問われればむしろ逆だ。基礎を外さず、理路整然と詩と踊りを紡いでいく。そんな寒々しさが、彼女には同居していたから。
「そして彼女は時折口にしていたのだよ。ダンテ様、とね」
「……夢で呼んだらしい、俺とよく似た男の名前だったか」
「あの神天地創造事件のおりに彼女の夢に現れたらしい、ダンテという男をずっと彼女は追っていたらしい。……ここで俺はまたもや確信した、彼女が真に反逆者として脱皮するにはそのダンテなる男が必要だと」
何かこう、彼は自分の中で勝手に盛り上がっているのではなかろうかと思ってしまう。俺も作家としての悪癖でよくあるから分かってしまう。自分の中で話が勝手に出来上がっていってこれは傑作だ、と猛るあの恥ずべき感覚とよく似ている。
破壊者、脱皮、とか随分言い方が紛らわしい。言いたいことは概ねこういう事だろう、完全無欠に見える彼女が男を知った時表現者としてどのような変化を遂げるのか、と。
「で、俺がその彼女の言うダンテだと」
「少なくとも、彼女はそう言ってはばからないな。……概ね、今日いきなり付き人にするとでも言われたのだろう。筋書きは概ね分かるぞ」
「……はぁ。まぁ有益な話だったよありがとう」
……一つ、ここで分かってきたことがある。
彼女は、夢に出てきた姿に酷似した男は実在すると確信して、そのダンテという奴を追っているのだという事だ。
普通、それはいくら夢見がちな乙女でも現実的にやりだす事とは思えない。
天才ゆえに少し独特な感性、というのならそれは別に否定できないが、それでも少し荒唐無稽が過ぎる。……あるいは本当に素で実はメルヘン極まった頭をしている、とか。
だが、彼女はそんな風には見えなかった。集中しすぎて周りが見えなくなる、といった風ではない。至っていつも冷静で、正気だ。そういう判断をしそうな人間には見えない。
「大方、彼女について何かしらの苦労はしたのではないかな。例えばそう、爪先を踏まれるとか」
「したな。ものすごい力で踏まれて脅迫されて、腕まで極められて家に転がり込まれた」
「それは災難だな、ご愁傷様だ。これでも彼女、荒事が実は得意でね。強盗や少し厄介なファンについてはよくそれはもう返り討ちにしていた。……それが癖になるファンもいるらしいがね。俺も以前に余計な事を言って爪先を踏みつぶされた事がある」
……荒事に長じているのは他ならぬ俺が体感している。
恐らく騎士としてもやっていけるのではと思えるほどに。
「ともかく、君を見つけたと聞いたとき俺はついに来たるべき日が来たと感じた。まさに芸術の落日に他ならぬと」
「そんな兆し、エリスには微塵も見えない」
「まだ、ちゃんとお前と縁を結んでいないからだろう、ロダン。……私からの過ぎたお願いだと自覚しているが、どうか聞いてほしい。……不信感はあるだろうがあの子を、大切にしてやってほしい。これはあの子が繭を破って欲しい、という理由ではない。純粋に、あの子の事が俺は心配だからだ」
ロダンは言うと、両手で俺の両肩をがしっと掴んでそう言った。
グラスの容積から見て、酔うほど飲んでないのは明らかで。
……それは心からの嘆願と信じてもよさそうだと思った。
「あの子は、正直俺も計りかねている。間違いなく、美しい。姿だけではなく、その在り方も何もかも、総てが。だからこそ、もし彼女が変わる時。その隣にいるのはお前で在って欲しいと思っているんだよ、ロダン」
「親面か?」
「それに似ているな。……彼女が君を選んだのは、何かの意図がある。彼女もまた、決して無意味な事はしない人間なのだと俺は思っている」
……それは、俺も思っている。
俺を尾行してきたのなら、明確に俺単体をターゲットにしている。しかし彼女は俺やハル姉さんに積極的に危害を加えようとしているそぶりもない。
彼女のやろうとしていることは理解が出来ない。理解が出来ない上でしかし、その動機には俺が大きく関与しているのも薄々と理解は出来ている。
果たして、彼女は本当に俺と無関係に人間だったのか。
あの夢はただの偶然だったのか。未だそれらは靄がかって見えない。
「ならアンタが一緒に居るべきだろう。俺はあいにくとそういう器じゃない」
「俺こそそういう星のめぐりあわせではないんだよ。彼女は俺の運命ではない、――お前じゃなきゃ、ダメなんだよダンテ。彼女がお前を見つめる目と、お前以外を見つめる目を、よく見てみるんだ。彼女は、初めてお前を見た時心底から嬉しそうな顔をしていたんだよ」
嬉しそうにほころばせる彼女の顔が、今の俺には想像できない。
けれど、何を想って彼女はその時頬をほころばせたのだろう。何が彼女の頬をほころばせたのだろう。
独りでいたとき、彼女は何を想って寂しそうな目をしていたのか。……その孤独を、一体だれが知るというのか。
「……どうかお前も、彼女に選ばれたその意味を、お前じゃなきゃダメな理由を探してほしい。それが座長たる俺のささやかな願いだよ」
一番俺が聞きたかった事を、座長は投げやりにそう答えた。
なぜ、彼女にとっては俺でなければだめだったのだろうか。そんなものは俺が聞きたいぐらいだったのに。
「でだ。いい値段の酒を飲んで、エリスの事を話してやったんだ。というわけで、ロダンは何をすればいいか分かるよな。あんたの事も俺は知りたいんだよ、あんたがエリスの事を知りたがるように」
「……それで駄賃になるんだったらいいよ」
「じゃあ、遠慮なく聞くか」
ユダは、グラスを傾けながら意地悪そうに言う。
……この手の輩が俺に聞きたがる事なんて、たった一つだろう。
ある意味では、俺はとんでもない事を今までの半生においてやらかしているのだから。
「第六軍団のⅢまで上り詰めたロダン様は、どうして騎士を辞めて物書きになったんだ? そのまま働いてれば今頃遊んで暮らせただろうに」
……そう、心底から不思議そうにユダは聞く。
俺が騎士を辞めた理由。
俺が物書きを始めた理由。
それは、少し時を遡らなければならない。俺がまだ騎士をやっていたころ、当時の団長の代理として街の見回りをしていた時の事だ。
……限りある命の使い方を、俺は
―――
俺が昔、第六軍団に勤めていたころの事だ。
当時の街の見回りで、俺は慣れないながらも当時の部下たちを引き連れながら町の人々に手を振るアイドルのような存在。
そうしているだけで、それなりの給与は得られるし身分は安泰だった。……そこに居心地の良さを感じながら、胸の中で何かを未練がましく燻らせている男。それがアレクシス・ロダンという男だった。
手を振って、笑いを返して、粛々と街を歩きながら。けれどもそうしているうちは、皮肉にも俺は自分の星を意識しなくてもよかった。あんな星を使いたいなどと、誰が思うものかと。
……街を歩きながら、カンタベリーの大医療院の近くを何くわぬ顔で俺は横切る。
いつものように薄ら笑いをしながら、窓から覗く患者たちに手を振って。
けれど、そんな折に俺の前に飛び出してきた女の子がいた。
「――おわっ」
「きゃっ」
少女をかわそうとして、みっともなく俺はそこでコケてしまった。
それを窓から見ていた他の患者たちははははと明るく笑っていた。そんな彼らを見て、俺の笑顔の空虚さを思い知らされた気分になった。
彼らは心から楽しそうに、俺の有様を笑っているのだから。それが少し複雑で。
でも、彼らの笑顔はあの時の俺にはどこかまぶしく思えた。俺なんかとは違う、心の底から楽しそうにしている。
女の子は、病衣を着ていた。きっと外出の許可が出たのだろう。付き添いの医師も思わず彼女の肩を抱きながらごめんなさい、と謝っていた。
……年は概ね一五歳かそのぐらいだ。まだまだ若い、未来がありそうな、そんな女の子だと記憶している。
「立てるかい、お嬢さん」
「……ごめんなさい、騎士様。私、上手く体を動かせないの」
地面についている彼女の手と足には、力がまるで籠っていなかった。それは恐らくそういう病気なのだろう。彼女は力なく笑っていた。なんとなく、彼女は生きる事を諦めている目なのだと俺は思った。
かつて亡くなった母と、よく似た目をしていたから。
「すみません、騎士様。この子と少し、話をしてあげられませんか?」
医師は、そう俺に頭を下げてきた。
……まるで神父に頼むかのような真摯さでお願いしますと。騎士の高潔なる務めという奴を果たさなければならない、という意識が先行した俺は仕方がない、とそれに付き合うことにした。
当時の部下には、見回りは少し予定を遅らせると伝えて。医師に伴われながら、その女の子は院の中庭のベンチに座った。
その手は、力なくだらりと下がっていて。それが俺には直視ができなかった。
医師はその後はそのまま俺達を中庭に残して、院へ戻っていった。その女の子は、終始無言で無表情で。
どう話を切り出せばいいのか分からなかった。
「……えぇと。俺で佳ければ、何か相談に乗ろうか」
「貴方が相談に乗れば、私は健常者になれますか?」
……何もかもに絶望したその声色で、彼女は俺に問いかける。
相談に乗れば体がよくなるなど、そんなわけはない。騎士は人々に希望を与えるためにいるわけではあるものの、だからこそ無責任な言葉は言えなかった。
悔しい事に、物書きを夢見ていながら当時の俺には言葉を選べるほどの語彙力はなかった。
「それは難しい。俺は医者じゃないからね、人間何処の世にも適任ってものがある」
「その貴方が適任と呼ぶ人達が、私の体に匙を投げたんです。……私の余命、あと半年だそうですよ」
「……済まないな、君には酷な事を言った」
いずれ来たる死を前にしては、そんな感情はもう無意味で無駄なエネルギー消費なのだという虚無の悟りだ。死の運命は、あまりにも悲しすぎる悟りを少女に与えた。
それが、俺には辛かった。見ず知らずの他人であったとしても、他の騎士たちや医者はこういう人間に何人も、何人も目をそらさずに向き合い続けたのだろうと改めて尊敬の念が沸く。
普通なら、見ている人間も心を痛めずにはいられない。同時にどれだけ胸を痛めても、その痛みは患者を救うことなどない。
「……医師様も、余計な事をするんですよ。私に気を使ったんでしょうね、どうせいずれ死ぬなら御高名な騎士様とお話させてやりたいって具合に」
「俺も大概、高名じゃないし大した人間じゃない。……今は騎士をやっているが、物書きになるのが夢だったんだ」
「ふぅん、変な人」
心底から、少女はどうでもよさそうにそう言った。
少女に身の上話をしたとしても仕方ない事だったのに。
「騎士様は、どうして物書きにならなかったの?」
「……騎士にならざるをなかったからね。家族の夢とか、期待とか。そういうものを背負ってると思えば、どうしても筆を折らざるを得なかった。と言っても、そもそも筆を握ってすらいなかったというオチはつくけどな」
少女は、無垢なまでに俺を抉る質問をしてくる。
仕方のない事だとは思う。
「……まだ、この先ずっと生きられるのに。それなのに諦めてるの?」
「――」
今にして思えば、少女はこの時は健康体の俺を羨ましく、腹立たしく思っていたのだろう。
その怒りを察してやれなかった事を、後悔している。
「私、女優になる事が夢だったの」
「いい夢だ、俺なんかよりずっといい」
「でも、もう半年で死ぬんだって。……それなのに、騎士様は余命がいくらでもあるのに、諦めてるの?」
――そう、彼女に言われて俺は横顔を殴られた気分だった。
余命という形ではっきりと夢がかなわない事を示されている少女。余命などいくらでもありながら、夢を諦めた俺。それが、いかに残酷な事であるか。俺には分かっていなかった。
表現者になりたくて、それでも手を動かせなくなって最後は死に至る。そんな運命が約束された人間になんと俺は薄情であったのだろうと。
「私、段々体が動かなくなって、感覚もなくなっていくんだって。そういう頭の病気だって、聞いたの」
「……」
「神様って、残酷で無能だよね騎士様。私一人を救えないんだから」
皮肉るように、彼女は言う。
どうして私はこうなってしまったんだろうと、空を仰ぐ。
きっと、恨みたかっただろう。自分にそんな運命を押し付けた都合のいい存在がいたとしたら、そんな存在を恨みたくもなる。
……俺が彼女の立場にあったのなら、その空の蒼さをきっと憎悪していたはずだろう。
「そうだな、君にそんな運命を押し付ける存在が神様なら、いていい存在じゃない。それは悪魔というんだよ」
「……つまらないわ、騎士様なら不機嫌になると思ったのに」
「信心の浅い俺が星辰奏者になれるんだから、そりゃ神様なんているわけないさ。いればこんな不信心者に星を認めてはくれない。保障するよ、無神論者が騎士になれるんだから神様なんているわけがない」
「……そう。騎士様は無神論者なのに騎士様なの?」
珍しく、少女はむくれた顔をする。
神様とやらをバカにされれば騎士も不機嫌になると思ったのだろうか。そのひねくれ具合には、俺は少し親近感がわいた。
信心の浅い人間というのは別に俺に限った話でもない。むしろ豪槌磊落や審神聖女のような人間こそ本来ならこの少女のカウンセリングをするべきなのだろうと思える。
けれどだからこそ、無神論者の俺だからこそ果たせる役目も、きっとあるのかもしれないと思った。
「お嬢さん、俺は医者じゃないからどうしてやることもできない。体が治らないなら祈祷なんてされたところで耳が鬱陶しいだけだろうしな。俺も正直大和がどうだのこうだの、救って下さるとかいう話は眠くなるんだよ」
「……騎士様、本当にどうして騎士になれたのか不思議」
「騎士になりたくてなったわけじゃないし、聖書なんて興味が無さ過ぎて一文字も読んだことはないさ。適性があったからなっただけでね。……内緒だぞお嬢さん、聞かれたら俺は首が飛びかねない。明日の収入がパーだ」
大分、罰当たりな事を言っている自覚はある。
けれど、俺も正直になって言った方がきっと少女と腹を割って話せると思った。
胸ではなく首を指先で切るようなジェスチャーに、女の子はやっと少し笑った。
「やっぱ、おかしいよ騎士様。こんな人、見たことないや」
「そうだろう、俺も俺みたいな騎士がいたら幻滅するよ。……ありがとう、お嬢さん。教えられたのは俺の方だよ」
「……え?」
少女は、呆気にとられたようなきょとんとした顔をして、俺を見ている。
「……俺、騎士辞めるよ。夢は今、決まった。俺の残りの命は俺の夢に使いたい」
「ちょっと。どういう、つもりなの。騎士様」
どういうつもりも、何もない。
元から、騎士なんてガラじゃなかった。聖書なんかよりシェイクスピアが好きだったし、自分の星も反吐が出るぐらい大嫌いだった。
けれども、ただなんとなく騎士の肩書で居れば金は入ってくる。そんな居心地の良さに溺れている身で、今の彼女を前にして騎士として――何より人として生きていると俺は言えなかった。
自分の夢を胸に燻らせながら、それを一生抱えて生きていくことを俺は誰に誇ると言えるのだろう。
「……見ててくれよお嬢さん、明日に成ったら騎士から売れない物書きへ転落する男をザマぁないと指さして笑うといい。きっと笑顔になれるさ」
「ふふ、あはは。何それ、何考えてるのかまるでわかんない」
騎士になって、いい事があったとすれば金だろうか
思えばその女の子は初めて笑ったと思う。
それからも看護婦に請われしばしば俺はその女の子と暇を見つけてはよく遭うようになった。
皮肉だが、暇な騎士であったが故にカウンセリングの機会に恵まれてはしまっていた。
医者に請われることもなく俺は自分の足で彼女の病室に足を運ぶようになることに、そこまで時間は要さなかった。
「そうだな、笑ってやればいい。こんなバカな男がお嬢さんのカウンセリングをしたんだって思い出してくれれば、俺は嬉しい」
「そうだね、本当にバカだと思う。なんか勝手に自分で納得して、突然満足したように騎士辞めるとか言い出して。……こんなバカな人、忘れられるわけないじゃない」
それは騎士になって俺が初めて出来た、嘘偽りない笑いだった。
後悔はない。何も、何も、思い残すことはない。
かつて母に贈れなかった話の続きを、俺は書き上げようと思えた。騎士になったことに――そして辞める事も何も後悔はない。
「……送ろう、お嬢さん。騎士としての最後の日の務めだからな」
「えぇ。ありがとう、バカな騎士様」
「そして、いつか君の事を――俺に大事な事を教えてくれた女の子の事を綴ろうと思う」
力の入らない少女のその手を取って、俺は最後にその子の病室に送った。
その女の子の前に傅いて。その力の籠らない君の手足にこそ、俺は生きる事の意味を教えられたのだと自分勝手に解釈して感謝して満足して。
「――うん、いつか。待ってる。その本を楽しみにしてる、騎士様」
……いつか、その空の蒼さを愛せるようになってほしい。俺が彼女に願うとすればそういうところだっただろう。
そして俺は病室を後にした。
その廊下で、あの少女の肩を支えていた医師に俺は謝された。
ありがとう、あの子が初めて笑ってくれたと、そう泣いて謝された。
俺に騎士として出来た最初で最後の仕事が彼女を笑わせる事だったと、そう思えたのだ。
―――
「これで売れないごく潰しの物書きが一人出来上がった。本にすれば概ね大体一〇〇頁もあれば事足りる内容だな」
「……いや、悪い。騎士様にまさかそんな過去があったとは夢とも露とも思わなかった。浅慮を許してくれロダン」
……別に、特別隠し立てる様な話でもない。
世間様から見れば、お高い位階の騎士が身の程知らずにも一人前の物書きになる事を目指して野に下った、というだけの少しばかり珍しい程度の話だから。
それにこの話自体はハル姉さんにも話したことのあるものでもある。
「……その女の子はどうなったんだ?」
「亡くなったよ。……ちょうど、医者の診断通り約半年後に」
クラウディア――あの女の子の病は、まだ治療法の解明が成されていない未知の脳症だったという。
悲しい事に今も尚、その脳症の治療法は解明されていないという。
「……改めて敬意を表するよ。お前はまさしく騎士の鑑だ、誰かを笑顔にして見せた鑑だとも。己が不本意なる平穏に反逆を唱え、少女の絶望に一抹とは言え反逆して見せたのだから」
「いい事を教えてやる。よくできた騎士は反逆しないし突然辞めて周囲を困らせたりもしない。ガラハッド卿やリチャード卿を見てみろ、俺なんかよりも現在進行形でちゃんと騎士をやり通してる。ああいう方々をこそ人は見習うべきなんだ」
俺を見本にしたら、出来上がるのは聖書の一文節も唱えられない不良騎士だけだ。
……思うのだが、ユダの中での反逆とはどういうニュアンスなのだろう。
そろそろ、いい時間になったという事もありユダは「お開きだ」と締めくくり、俺達は店を出た。ユダは手を振って、さらば友よと、明後日の方向へと去っていった。
思えば、久々に人とよく話したと思った。物書きになってから、めっきり外界と縁はなくなったから。
それから、俺は一人で帰路につこうと考えた。
……隣にはエリスはいない。そう思うだけで、気が楽になる。なっているべきはずだ。
爪先を踏まれる事も、腕を折られる心配もない。だというのになぜ俺は寂しく思っているのだと振り返る。
傍に彼女がいる事が当然だったように思っている、その理由が分からないから。
「……姉さんと、うまくやってくれるといいんだけどなエリス」
彼女の表情が変わった時。そうユダが言う瞬間がいくつか俺には心当たりがあった。
俺の原稿を見た時、姉さんから俺の昔話をいつかしてあげる、と言った時。その時には彼女はとても嬉しそうに目を輝かせていた。
思えば、エリスが全ての切っ掛けになっていた、そんな気はする。
俺の周囲は随分に様相が変わってしまった。
エリスに、聞きたいことは山とある。けれど。
街を外れ、そこから人気のない路地に出る。
少し冷たい夜風が肌を撫でる。
「……おい、俺の後ろのアンタ。尾行が下手にもほどがあるだろう」
そう、背後に向かって問いかける。
……ユダと別れてから、ずっと感じてきたその足音を俺はずっと聞き続けていた。
ずっと、今この場に至るまで。
それから、後ろを振り向く。
「――よぉ。アンタが
目の前にいたのは、赤毛で無精髭の男だった。
その男は、アダマンタイト製の大剣を構えていた。