虚構推理のキャラクターが出ます。
では。
「私、岩永琴子と申します。よろしくお願いします」
年末年始の呪霊の繁忙期を切り抜けた呪術高専に、唐突可憐にそのお
仔猫の握りがついた赤色のステッキを持ち、ベレー帽を被り佇む深層の令嬢然とした愛らしい少女は、最初に出会ってしまった呪術師に向けてにっこりと微笑む。隣にいる無害そうな黒髪の青年は、合わせるように会釈をした。
「お伝えしたいことがありますので、五条悟という方に取り次いで頂けないでしょうか?アポイントを取ろうとしたのですが、番号などがわからず直接お伺いしました」
「……はい?」
幸か不幸か、その少女と邂逅した釘崎野薔薇は、それはもう固まった。
そして続く一言を聞いたときには、さらに凍りつくこととなる。
「私、八咫犖準一級呪術師の親戚、こちら桜川九郎の、恋人です」
「ちょっと待って今すぐあの馬鹿を呼び出すんで」
はい、と朗らかに答える岩永を前に、釘崎は能う限りの最速で担任の最強呪術師を電話で以て呼び出したのだった。
■■■
十月三十一日に起きた事件は、『渋谷事変』と名がつけられた。
多くの民間人が死に、呪術師にも死傷者が大量に出た呪術師界の歴史に残る悲惨な事件となった。
あの事変からこちら、明らかに呪霊の数は増え、凶悪化している。おまけにその事変後に起きた諸々で上層部の首がかなり無理やりに挿げ替えられ、色々と混乱が起きている。
その混乱の原因の一部を担っているのが、事変の中で人間から特級呪霊へ転化した釘崎野薔薇の先輩、八咫犖だ。
人間の状態から、自らの意志で『未来決定術式』という冗談のような能力を持つ特級呪霊『くだん』になるという、ジャミラ以上の変身を遂げた上、そのままあっさり行方を眩ませた元高専生だ。多分呪術高専の歴史の中でも、三本の指に入るとんでもないやり方でドロップアウトした先輩である。
人間であったころの犖は、喋らないし表情が動かなかったし、何より額から角が二本も生えていた。
パンダ先輩に次いだ人間離れした外見こそしていたが、話しかければ案外ちゃんと戦闘や報告書のアドバイスはくれたし、さっぱりと引きずらない性格だったので、釘崎としては付き合いやすい先輩だった。
だがとにかく、犖は自分のことを極端にまで喋らなかった。
釘崎の同級生の伏黒にもその傾向があるが、犖に至っては本当に人間の両親から生まれたのかと思えるほど、呪術高専に来る前の生活がまったく想像できなかったのだ。
多分、そこら辺の山の霧の中からふらっと生まれて霞を食って成長し、ふらっと人里に下りて来た、などと言われても信じてしまえそうな浮いた感じがあった。
だが、唐突に呪術高専東京校に現れたのは、八咫犖の親戚を名乗る青年だった。
あの先輩に、親戚とかいう人間ぽい血の繋がりがあったのかと、釘崎はまずそこのところで驚愕した。だが考えてみれば、いて当たり前なのだ。
呪術師の力は血によって受け継がれがちであり、血なまぐさい業界だが、親戚縁者がまるきり途絶えた術者の家系というのは案外少ない。
「僕の桜川家と犖さんの八咫家は元は同じ家でしたが、百年くらい前に別れたんです。一応桜川が本家、八咫が分家ということになっていますが、そんな格付けはあってないようなものです」
だから僕と犖さんは親戚ではありますが、血筋的には他人に近いですと、そう宣言した青年には、何となく犖の面影があって釘崎はすんなり信じられた。
黙っていればぼんやりしているようにしか見えないが、奇妙なまでに強靭な生命力を芯に持っている。そういう犖と似た空気を、桜川九郎という青年は纏っていた。
加えて、よく見れば癖なく整った顔立ちが似ていないこともない。
「正直、八咫犖さんの名前を出したときに拘束されることもこちらは予想していました。そのようなことにならずに、安心しています」
ただ、その青年が連れて来た隣にいる小柄な少女、こちらはまったくわからなかった。
ビスクドールのような愛らしい少女なのだが、呪術師としてそれなりな修羅場を潜った釘崎の勘が言っているのだ。こいつはただ者ではないと。というか恋人ってそれ声高々と自己紹介で言うことか。
ついでに言うなら、桜川九郎とも八咫犖とも彼女はまったく似ていない。
長身目隠し銀髪全身黒ずくめというどう考えても不審者な身なりの呪術師最強に顔色ひとつ変えずに相対している時点で、この岩永琴子と名乗った少女がそんじょそこらの者であるはずがないのだ。
「そんなことはしないよ。ところで、君たちはどこまで知っていてどうしてここへ?」
運良く都内の任務から爆速でとんぼ返りをした五条悟は、応接室に彼ら二人を招き入れていた。尚、居合わせているのはたまたま岩永と桜川に出くわした釘崎だけである。
伏黒と虎杖筆頭に他の先輩たちまでもが、それぞれ任務で現在は出張らっていた。一応虎杖と伏黒に連絡は入れたのだが、残念ながら今日中に戻って来るのは無理らしい。
それを見越したかのように現れた少女は、あくまで可憐だった。
その可憐さを絶やさぬまま、岩永琴子はとんでもないことをぶちかました。
「数日前にお会いした犖さんに、伝言を頼まれたからです。それからいくつかお伝えしたいことがあって」
ぴしり、と音立てて部屋の空気が凍った。
五条より先に釘崎は口を挟んでいた。
「会ったんですか、あの先輩に?」
「はい。奥多摩雑居ビルの屋上でバンホーテンココアを飲みながら呪霊を狩るくらいには、元気でしたよ。黒い角と白い瞳も艶々でした」
「ちょっと待って。バンホーテンココア?」
「ええ。甘いものが好きと仰っていましたよ。呪霊なので味覚はあれですが、人間のころの術式を使っていたときの癖をなぞっているとかで」
「あー、それはラクだね。甘党なのは変わってなかったか。……しかもバンホーテンかぁ」
目隠しに手を当て、五条が天井を仰ぐ。
渋谷の事変以後、呪術界は特級呪霊『くだん』を捜索しているのだが、これがまったく見つからない日々が続いている。事変が終わってひと月半ほど経ってから、虎杖が接触したそうだが、これまたあっさりと逃げられている。
だが少なくともあの日から、虎杖がふと思いつめたような眼をすることは少なくなったから、何かはあったのだろうと釘崎は思っている。
そのような渦中の人……もとい呪霊と、この少女と青年は出会ったという。
五条も気になるのか、長い指を考え込むように組んだ。
「どうやって会ったんだい?実を言えばさ、僕たち呪術師は全然見つけられてないんだよ。あっちが僕らに会おうとしない限りさ」
「それは案外簡単でした。犖さんが『くだん』の力で選んでいるのは『呪術師と会わない』未来です。ですから、非術師は
事も無げに。
事も無げに、岩永という少女は言い切った。
あまりのあっけない言い方に、釘崎も思わず口を挟んでいた。
「え、それだけですか?」
「ええ。それだけです。ですが犖さんも驚いていましたよ。彼女、非術師に知り合いがいなかったので、非術師が自分を探すという未来をまったく想定していなかったとか。ぶっちゃけ、選定もれですね。それでも、彼女の連れがやらかさなかったら、見つけられなかったでしょうが」
はぁ?という裏返った声が、釘崎と五条双方から出た。
珍しくぽかんと口を開けた五条は、額を押さえる。
「何、その究極のうっかりミスみたいなオチ」
「犖さんも同じことを言っていましたよ、五条悟さん。あなたは彼女の人間の先生だそうですが、やはり言動は似るようですね」
今度は岩永は食えない笑みを浮かべた。
「ということは、君が鍵になって探したのか」
「ええ、私はぎりぎり非術師です。見えはしますが、術式の類は持ち合わせていません。九郎先輩は」
「僕は、八咫と同じことをしていた桜川の人間です」
九郎という青年の一言に五条がすぐさま目隠しを外す。現れた青い瞳が剃刀のように細められた。
「君は術式を持ってる。だけど、『くだん』のものじゃないようだね」
「はい。僕や従姉も十二年ほど前に『くだん』を食べましたが、『くだん』由来の術式を発現したのは犖さんだけでした」
「確かに、君に角は生えてないしね。混ざりはしたが、それだけになったってことか。それも十分凄いけど」
「でも、術式が発現しないなら僕たちは失敗でした。一つ食べた時点で僕と従姉は適正無しと判断されたので、以後の試みが何かを僕たちは知りませんでした」
呪術師界隈の薄暗さがもろに現れている話だと、釘崎は顔をしかめた。最低二つの家が呪物の器を作ろうと画策し、その計画に年齢一桁の子どもたちを使っていた。
そこを切り抜け生き延びたのが、この桜川なる青年とその従姉、犖らしい。
もしかすれば、他にもそういう子どもたちがいたのかもしれない。釘崎の視線にはなんら反応せず、九郎は続けた。
「僕と従姉の術式は、端的に言えば肉体再生です。それが『くだん』を消化、無毒化したので、僕たちは人間です」
「なるほどね。ラクは呪物飲むまで呪霊も見えてなかったって言ってたけど、空だったほうが器として優秀になってしまったというところか。それにしても、肉体再生とはね」
「『くだん』の未来予知能力は、死に瀕して使用できる力と思われていました。だから、僕や従姉は自死することで『くだん』の能力を使えるようになるのではと期待されていたんです。結果的にそうはならず、『くだん』の器を造る試みの主導権は、桜川から八咫に移りましたが」
このしれっとした顔で淡々と話す様が、まさに犖との血縁関係を思い起こさせた。
「桜川の家の名前は僕も知ってるよ。なんせ渋谷の後高専に『くだん』の資料が送られて来たからね」
「それは僕です」
「当主以外閲覧不可能っぽい、チョー門外不出って感じのあの資料も?」
「岩永と僕で送りました。犖さんとはその試しの儀以来会っていませんが、忘れるわけには行かなかったので」
「『くだん』の能力を知らせておいたほうが、あなたがた呪術師は無闇に動かないと思いまして。桜川も八咫も隠蔽に汲々としていたので、少し私たちでお送りしました」
何せ相手は未来決定術式持ち。
その力を呪霊が持っていることは、人間にとって危険であることは間違いない。
有体に言って、パニックになった呪術師たちが五条悟が何か言わずとも全力で『くだん』討伐に動こうとすることはあり得たし、これからもあり得る。刺激しないのが最善であるというのが五条の判断だが、それに対する反対も少なくない。
人間であった犖を知っている乙骨憂太という二年の先輩も、呪霊となった犖が野にいることに難色を示していたほどだ。
彼は彼で、事故死した幼馴染みの少女が生前と似ても似つかない特級過呪怨霊となるところを見、制御不明な彼女と長年共にいたそうだ。その経験に裏打ちされた言葉なのだろう。
「で、ラクは君たちに伝言を渡したんだ」
「はい。最初は驚かれていましたが、すぐににこにこと嬉しそうでした。あのひと……敢えてひとと言いますが、予想外を好まれる性格のようですから、網を抜けられた私たちには友好的でしたよ。未来を視られるようになったから、退屈が大っ嫌いになったとかで」
「元気にはしてた?」
「脹相という方と組み、美々子、菜々子という双子さんを扱き使うくらいには。双子さん方は渋谷で犖さんに借りができてしまったそうで、その借りを担保に働かされていました。私見ですがあの借り、犖さんは多分一生チャラにする気がありませんね」
双子と聞いて、釘崎には思い当たることがあった。
渋谷で虎杖が宿儺に乗っ取られた瞬間があったそうだが、その原因になったのが双子の呪詛師の少女たちと炎の単眼呪霊が気絶していた虎杖に飲ませていた指だという。
あの馬鹿にやらかしてくれた呪詛師二人を、どうしたことか犖は顎で使うようになったらしい。
「その二人って、夏油傑の遺体使ってたヤツのとこにいた呪詛師じゃないんですか?」
「ええ。そのようですね。彼女らは夏油傑なるその人の遺体を取り返そうと目論んでいたとか。結果的に犖さんが遺体を回収して届けたから、そのことが恩になってしまったそうです。犖さんはそのようなつもりはまったくなかったそうですが、丁度いいからと呪霊退治に駆り出していましたね」
逞しそうな先輩の現状報告に、釘崎は目を細めた。
犖は呪霊へ転化する前、虎杖の体を乗っ取った宿儺によって殺されかけたという。
死にかけたために術式がもう一段階新たな領域へ進み、結果として犖は呪霊になった。
宿儺によって殺されかけたということは、虎杖の体が殺しかけたということだ。
虎杖は随分、そのことを気にしていたというか、気に病んでいた。
自分が敵に負けたために、何かとよくしてくれていた先輩がそんなことになれば無理もないが、当の先輩は予想以上に強かにやっているらしい。
「とりあえず現在の彼女は、渋谷事変の黒幕とやらが仕込んでいた呪霊呪物の回収及び処理をして津々浦々を旅していました。多分きっと恐らく非術師を殺しはしないので、放置しろと仰っていましたよ」
「うーん、放置云々以前にまずみつからないんだよね。特に僕、この眼を警戒されてるようだし」
「それは勿論。他の術師にならともかく、五条悟の綺麗で煩いお空の眼に捕捉されるのは、絶対に嫌と言っていました」
術式を見抜き解き明かす眼と未来を見抜き選ぶ眼は、正直釘崎にとってはどっちもどっちで意味不明な領域にある。
高次概念同士が殴り合いしているようなものなのだが、六眼をぼろくそに言われた上絶対に嫌とまで言われた五条悟は遠い眼になっていた。
「私たちがこちらに伺ったのは、まさにそのこの国に仕込まれている呪霊呪物絡みです。今現在は犖さんが能力で停止させているために活性化はしていないそうですが、抑えているのも面倒なのでもうちょっと呪術師が頑張ってくれないと困る、とのことでした」
「……やっぱり、一部呪霊の妙な不活性化の原因はラクか。はー……参ったねホント。ますます祓うわけにはいかなくなる。あの子、そんなに勤勉な質だったっけ?」
「彼女はこう言ってましたよ。これらを放っておくとつまらない未来絵図になりそうだからと、呪いが蔓延って人間が押し込まれ、うじうじと嘆く未来は、とっても面白くないんだそうです」
「面白くない、ねぇ」
「それと、わたしは先輩だからと言っていました。どこかの先生がわたしは先輩だとそう言っていたから、これくらいやってやるのだとか」
犖の矜持というか信念はそこに行ったのか、と釘崎は目を細めた。
そのどこかの先生というのは、間違いなくこの目の前で酸っぱいものとしょっぱいものと甘いものを重ね食いしたような顔をしている五条悟のことだろう。
ぽん、と岩永はここで愛らしく手を打った。
「とまあ、ここまでは私が勝手にお伝えしている犖さんの現状報告でして」
「ここまで喋ったの、前座なんですか?」
「はい。犖さんからの直接の伝言は、ひとつだけです。伏黒恵の姉をもう一度隅から隅まで六眼を用いて見直せ、と。見やすくなるよう弄ったから、あとはそちらでどうにかやれ、と」
「伏黒のお姉さん?なんでその人が出てくるんですか」
「詳しいことは何も。犖さんたちがやると手っ取り早く因果因子ごと潰してしまうので、呪術師側で繊細穏便に解決しろとのことでしたね」
投げっぱなしジャーマンキメたかのような、雑な伝言である。
が、人間のときも繊細緻密な射撃の腕があるくせに、手間と感じれば、無表情で対戦車ライフルを取り出し、地面ごと呪霊を抉り取る癖があった先輩だ。
対応の振れ幅に差があるのも、当然だろう。
「……わかった。至急やっとくってラクに言えるんなら言っといて」
「ああ、すみません。私たちも犖さんとの接触を切られてしまったんです。今は非術師も警戒されているようなので、また行方不明なのです。でも、高専に用事があるときは、まず私たちに連絡をすると仰っていましたよ」
というわけで五条悟さん、是非私と連絡先を交換しましょう、とスマートフォンをさっと取りだす岩永琴子には、不思議な風格と貫禄があったのだった。
■■■
岩永琴子と桜川九郎が高専に来た目的の二つ目は、『届け物』をすることだった。
その届け物の中身は、なんと釘崎にもひと目でヤバいとわかる呪いの品々である。
犖はそれらを雑に集めて一纏めに封印して、高専に届けておいてと岩永たちに渡したらしい。スポーツバッグ二個に分けて押し込まれていた品物に、さすがに五条も目を点にしていた。
「なーんだこれ……何を凍結したらこういう封印式になるんだろ……。あ、そっか。未来決定の応用か。可能性を凍結してるんだな。なーるほど、概念干渉の一個の極点だねこりゃ」
とまあ、六眼でまじまじと観察するほどの術式で縛られているらしい呪いの品々は、五条がどこぞへ持って行った。
残った釘崎は、岩永と九郎を送っといてとさらりと担任に言われ、こうして小柄な少女と無害そうな青年の二人組と共に、高専内を歩いているところである。
特級呪霊の血縁上の関係者とその恋人ともなれば、今後色々と面倒なことになりそうなのだが、それは百も承知なのだろう。
そも、岩永琴子の生家たる岩永とは、五条が反応するような
こうなると、呪術師側は非常に手が出しづらくなる上、五条はどう考えても岩永や九郎を利用する気がなく、彼らを害そうとする者とは敵対するだろう。
だからこうして、釘崎は当たり前に二人を先導し、ステッキをつきながらの岩永に当たり前のように質問されるのだ。
「質問なのですが、犖さんはどのような先輩でしたか?」
「……普通の良い先輩でしたよ。報告書の書き方とか、参考になること教えてもらってましたし」
「そうですか。……その先輩がいなくなって、寂しいと思います?」
「まぁちょっとは。でも死んだわけじゃないですからね」
普通に死ぬより千倍は厄介な、術師の呪霊化現象、しかも特級呪霊への転化というある意味での大惨事を引き起こしたことに目を瞑るなら、犖は悔いのないやり方を選んだと言えるし、それはそれで悪くない人としての終わりではなかったのではと思っている。
虎杖や伏黒や、五条の話を聞いて、釘崎はそう結論付けたのだ。
つまりそれは、釘崎野薔薇がわざわざ幾人かの人間に、先輩の最後を聞いて回ったということ。
話を聞き合わせるという苦労を踏んでまで、己の中で何かを納得させたいと行動するくらいには、あの変わり者の角の先輩に、思い入れだってあった。
できるなら、呪霊などにならずにまた訓練に付き合ってほしかった。
無表情のまま、肩だけを震わせて笑う先輩の狙撃を掻い潜って、一発訓練で出し抜きたかった。
だが犖は己で選んで、ここを離れて行った。
方法はともかくとして、己で選択し目的を果たした犖のその意志の力を、釘崎野薔薇は好いている。
無論、結果的に命がけで庇われる形になった虎杖や五条、呪霊へ転じる様を直視することになった伏黒には違った想いがあるだろう。
だからこれは、釘崎が出した釘崎だけの答えだ。答え合わせも擦り合わせも、いらない。
とはいえ本当に、方法は大概にひどいだろとは思う。
何なんだ、未来決定術式って。ふざけているのかそれは。あんた未来予知じゃないのかよと。
しかも自分の生命一つをかけて領域を開けば、国一つ呪えるとは凶悪に過ぎる。代償が、安すぎやしないか。
だがそれだけ、『未来』という概念へ人々が向ける負の感情が強いということなのだろう。『死』すらも突き詰めれば、万人に訪れる未来の姿とも言える。
そこから、未来そのものを歪める能力を持つ呪いが生まれたのだ。そんな呪いを人に受肉させようとした犖の生家は、呪術師の釘崎をして正気を疑う。
高専の門が見えた辺りで、岩永がちらりと釘崎を見上げた。
「ちなみにですが、野薔薇さんは未来の呪霊たる『くだん』を祓除する手段を考えていますか?」
「一応は。でもまず、見つけられなきゃどうしようもないって話ですよ」
呪いは呪いで、呪術師は呪術師。
もしも今の犖を形成する何かが崩れ、本来の『くだん』の性質を剥き出しに己の生命を対価に人の世を呪う獣となれば、祓うのが当然だ。
虎杖の中の宿儺など、敢えて『くだん』にこの世を呪わせ、余興にしようと企んでいる節すらある。
だから、いざ『くだん』の祓除をするとなれば釘崎は決して躊躇わないし、躊躇ってはならない。
しかし現在ですら、呪術師たちでは犖を見つけられない。これでは、いざというときどうすればよいのやら。
そう思いつつ答えれば、岩永がくすりと頬を緩めていた。
「野薔薇さん、少し耳を貸してください。あなたにだけ伝える、犖さんからの伝言です」」
背伸びをする岩永の背の高さに合わせて屈めば、小さな少女は澄んだ声で囁いた。
────わたしを撃ち抜く鍵は、腕。
────だけど、今のあなたでは届かない。
─────それでもいつか、届かせてみせて。
「以上です。さてこの謎が、解けますか?」
岩永と九郎は門を背にして、静かに佇んでいる。
問いの答えを了解しているようにも、釘崎の答えを待ち望んでいるようにも見えた。
腕、という一言に釘崎の頭の中で何かが灯る。
「あ」
呟いた釘崎に、岩永は微笑みかけた。ベレー帽を直し、ぺこりと丁寧に会釈をする。九郎も静かに頭を下げた。
「見送りはここまでで結構です。下に車を呼びましたので」
「……ありがとうございました」
不思議な恋人たちは、そうして静かに去って行った。
だがどうも、彼らはまた訪れるような気がしてならない。単なる勘だが、呪術師の勘なのだから馬鹿にもできない。
「腕……腕、ね」
門の前で仁王立ちのまま腕を組み、釘崎は呟いた。
腕と聞かされ思い出すのは、渋谷で残った唯一の犖の体。宿儺が千切り取って捨てた、右腕だ。
呪霊となった呪術師の体の一部である。当然のように高専に回収され、厳重に保管されている。
腕を通して『くだん』を追跡、呪詛を送るのは不可能と判断され、かと言って破壊すれば完全に繋がりを断つことになるために、呪物さながらに封印された代物だ。
釘崎は、その現物を見ていない。
見ていないが、犖の伝言を受け取るならば、その腕におそらく、釘崎の術式は有効なのだ。
釘崎野薔薇の術式は、芻霊呪法。
形代に呪力で攻撃を加えれば、本体にダメージを通せる。
形代となるのはそれこそ、相手の体の一部や呪力が籠もる断片。だが呪霊となった人間の腕は────わからない。
犖の言葉を信じるならば、今のままの釘崎では大した攻撃とはなり得ない。
だが、犖は撃ち抜けると言ったのだ。それが意味するところは。
「そうよ。あなたの術式には、可能性がある。可能性の話だけれど、ね」
どこからともなく響いた言葉に身構えたのは、呪術師としての本能だ。
気づけば目の前の門の瓦屋根の上に、人影が一つ、足を振りながら腰掛けていた。
狩衣と高専の制服が合わさったかのような黒衣に黒の角と角膜、白い瞳孔を持つ異形の少女は、ことりと首を傾げた。
「こんにちは。あまり変わっていないわね、釘崎野薔薇」
「……先輩は、だいぶ変わりましたよね。派っ手なイメチェンしちゃってまあ」
武器たる金槌と釘を構えたのは、呪いを前にした反射だった。
ぷらぷらと足を振って灰色の瓦の上に座っているのは、まぎれもない呪霊。ただその顔形は、完璧にかつての面影を留めていた。
数ヶ月前まで共に歩いて門をくぐった先輩と同じ顔で、その少女はあくまで軽快な口調を崩さない。
「これをイメチェンと呼ぶなんて、釘崎野薔薇は釘崎野薔薇ね。虎杖悠仁にはなんだか戸惑いがあったけれど」
「そりゃ、あいつにはあるでしょうよ」
ふうん、なんて鼻を鳴らしている辺り、相変わらずこの先輩は妙なところで人間味と情への理解が薄そうだった。
東京中の呪物呪霊をわざわざ自らの力を消費してまで封じるなんて、面倒なことをしているくせに、なんで腹が立つほど簡単なことはわからないのだろう。
「で、このタイミングで現れたってことはさっきの二人のことを見てたんですか」
「概ねはそんなところ。後は、天元の結界を今でもすり抜けられるか試しにね。連れている兄馬鹿が、試せ試せとしつこいから」
「ってことは」
「わたしなら、天元の結界をすり抜けられるようね。すり抜けられる未来を選んでいるから、当然なのだけれど」
クソガバ結界じゃねーかと、内心で罵った。交流会のときと言い今と言い、何のための天元様なのやら。
呪霊へ転じた先輩はと言えば、反対側に首を傾げていた。
「今は後輩がいたから声をかけただけで、前みたいに泥棒しに来たわけじゃないわ。五条悟も、あと五分で来るようだし。その前にさっさと消えるつもり」
「先輩、特級呪霊なんでしょ?それでも怖いんですか?」
「当然。虚式を凌げる未来は、わたしの手では引き寄せられないもの。それに、あの六眼で術式を視られたくはないから。第一、今のわたしが術式は凶悪でも、人間のときより少し多いだけの雑魚呪力なのはわかるでしょう?」
「……」
渋谷事変で、ツギハギの呪霊にしてやられた顔の傷痕に軽く触れ、釘崎はさらりと己の怯懦を認めた犖を見上げた。
「先輩、私や真希さんや七海さんたちの怪我に、何かしました?」
「うん?」
「惚けないで下さい。家入さんが言ってましたよ。奇跡みたいな確率が幾つか引き寄せられたから、治せた怪我があるって。あれ、先輩じゃないんですか?」
白と黒の少女は、淡く微笑んだ、それがつまりは、答えである。
「少し試したの。わたしの術式はどこまで融通の利くものなのかって、ね」
「試し打ちで人の運命弄ったんですか」
「もうしないわ。あれ、最悪の感触だったから。何と言えばいいのかしら。自分を手放してしまいそうな、
赤い舌をちろりと出して犖は肩をすくめ、釘崎は金槌を引いた。
「……五条
気楽に振られていた犖の足が、止まる。
それは、本当のことだ。
五条悟はあれ以来、時折無言で考え込むことが増えたように思う。
聞けば、元々生家で処分されかかっていた犖を引き抜いて東京へ荷物のように持って来たのは、五条悟だった。人間の生活とやらを教えていたことも、あったらしい。
釘崎の知らない何かの情が、二人の間には
果たして、角の少女は事も無げに応じた。
「ああ、うん。五条悟がそうなるだろうなと思ってはいたわよ。思っていたけど、でも、それは乗り越えてもらうしかないじゃない。生徒って、いつかは先生から離れて卒業するものだし、先輩は後輩より先に卒業するものでしょう?」
「私たちが卒業するのは呪術高専ですよ。人間じゃないでしょ。ってまあ、あの渋谷で間に合えなかった私の言えたことじゃないですけど」
にこり、と犖は微笑む。人間であったころは決してなかった、感情の乗った表情だった。
「その悔いがあるなら、もっと凄い術師になればいいわ。いつか『くだん』を、殺せるくらいに」
犖は、くるりと後ろへ仰け反る。瓦屋根の上からあっという間にその姿は消え、釘崎が門の外へ走り出たときには、呪力の気配すら断ち切られていた。
「逃げ足一番かよ!」
言うだけ言って、またしても手品のように消え去って行った。しかも最後の一言は何なんだ。殺されてもいいと言うのか、呪術師に。
「……」
あり得るなと、釘崎は思った。
自分の呪いの奴隷になりたくないと、犖は言ったのだ。
呪霊になって何を今更という話だが、犖には確かに人であったころがある。
呪いとも人とも、何ともつかない形と心のまま呪術師を生き、その魂を以って呪霊となった。
どちらでもあってどちらでもない、狭間にしかない『自分』を、犖は手放したくないのだ。
自分でありたい、自分を捨てたくないという衝動と願いは釘崎にも理解できて、それが崩れ去るならば殺してほしい、と思う心もわからないではなかった。
「死ぬっほど不器用ね、ラク先輩。いいわ、その言葉受け取ってやるわよ。絶対、忘れてやらないから」
気配が既に絶えた森に向けて金槌を突きつけ、宣言する。聞こえていてもいなくても、正解でも誤りでもどちらでもよかった。これは、自分が自分に誓うことなのだから。
聞こえるはずがない鈴を振るような笑い声が、木々の間をすり抜け木霊して、響いていく気がした。
五条悟が駆けつけて来たのは、それから程なくのことだった。
番外編は以上です。虚構推理より、主人公ペアです。
1年2年3年の女子トリオは、そこそこ仲が良かった。
そして梃子でも五条には会わない主人公。
ありがとうございました。
最後に─────虚構推理アニメ二期万歳!!!