では。
わたしが、次に虎杖悠仁とまともに顔を合わせたのは、東京と京都の交流戦当日であった。
去年任務で負った怪我の影響で、休学中のわたしは交流会には参加しない。
本来なら、呪術高専の姉妹校同士の交流会は二年と三年がメインのイベントなのだが、わたしが休学中、片方の三年は停学中であり、開いた穴を一年と二年で埋めることになったのだ。
後輩に交流会を丸投げしたんだから、悠仁の応援くらいはしに来なさいと五条に呼び出されたから、わたしは会場を訪れる羽目になった。お前折角の休みにマジでふざけるなという話だ。
死んでたと思ってた悠仁が出てきたら、きっとみんな驚くよ!との五条の言葉を虎杖は疑っていなかったが、横で聞いていたわたしと、居合わせた七海建人一級術師の目は死んだ。
嘘だろなんでコイツ、この馬鹿目隠しの言を疑わない。素直すぎて引く。
「ラク先輩、先輩の武器、全部銃なんだよね?」
「ん」
「そん中で、一番でかい銃って何?」
打ち合わせのため五条が、それから単に用事の終わった七海術師が去って、わたしも寮へ帰ろうとしたときに呼び止めてきたのは、虎杖であった。
すげなく首を振る。あまり手の内を晒すつもりはない。
だが、虎杖はなおも話しかけて来た。
「じゃあさ、先輩は京都校の人に会ったことある?どんなやつがいる?」
それならば答える。戦う相手を知っていて損はないからだ。
虎杖も察したのか、互いにスマホを見た。
『あそこにはゴリラがいる』
『待ってそれ、マジのゴリラ?』
『名前は東堂葵』
『それ人間じゃね?』
『当たり前だ』
『……。』
虎杖から返事が返るまで、ちょっと間があった。
『京都と東京って、そんなに違うん?』
『学長のタイプがまず違う。それに五条悟は、去年も秘匿死刑予定だった人間を自分の生徒にした。私、そいつ、お前に、他にも色々止めている。何度も処分の邪魔をされたから、保守派は五条悟が邪魔。五条悟も保守派が邪魔。今日来る京都校の学長は保守派の大物。特級呪物の器がちゃらけた登場すれば、キレる。五条悟はそれをわかってる。わかっていて、やる』
怒濤の長文に、虎杖は固まったらしい。
気にせず、最後の一言を入れた。
『だからお前は、交流会で暗殺に気をつける必要がある』
『話のオチそこなの!?超物騒じゃん!』
『今更』
いいツッコミだった。だが、物騒と呪術が切り離された試しなど、人世開闢以来なかろうに。
『でもさ、その理屈だとラク先輩は大丈夫なのか?交流会、参加しないんでしょ?』
『私の術式なら、大体の不意討ちは効かない』
『いや、先輩割と驚いてるときあるでしょ』
『最近驚いたことは、お前が解剖台から起き上がったときくらいだ。全裸』
『だからあれはゴメンってば!全裸って呼ぶのは勘弁して!』
『なら、もう呼ばない。ちゃんと交流会から生きて帰ってきたら、コーラなら奢る』
『押忍!』
またも、デフォルメされた虎のスタンプが送られる。喉の奥だけで笑って、あとは頑張れと締めくくり別れる。
生きて帰ったらなんて、フラグになるようなことを言わなければよかったと後悔するのは、この少し後のことだ。
■■■
そもそも京都校の人間のほとんどと、わたしは相性が悪い。
あちらからすれば、わたしは呪霊と大して変わらぬ呪物の器で、かつ、わたしは虎杖のように人間ができていないから交流関係をなかなかまともに築けない。
喋らない、表情変わらない、頭から角、呪物の器、と四拍子揃っていたら、大抵の人間は引く。術者非術者問わずだ。
東堂とかいう例外も京都校にいるが、あいつは人の話を聞いていないため、わたしが何を話していても気にせず、わたしも東堂にどう思われようが気にしないからこそ、そこそこな仲になっていると言える。
けれど結局、わたしは、わたしのことを知らない人間にどう思われようが、どうでもいい。
わたしはどう思われようが、殴られる前に殴り返すだけ。
殴られてから殴るのでなく、殴られるより先に殴るのだ。
未来予知などという化体な術式があるのだから、こんなときにこそ活用せねばならない。
だから今日も、仮に京都校の誰かが殴ってこようとすれば殴り返す所存だった。
今頃、後輩全員で京都校とドンパチやっているのだろうかと、高専内をぶらつきながら思う。
京都校の学長様が来ているならば、あちらは虎杖を殺そうとするだろうし、ついでにこちらにも何か差し向けてくるかもしれない。
東京校は一年と三年に特級呪物の器が一人ずつ、二年に特級呪術師と突然変異呪骸がいる、なかなかな闇鍋校だ。
一方の京都校は、家出していないほうの禪院の宗家がいたり、加茂家の嫡男がいたりと、呪術界的には”正統派”寄りである。学長からして保守派なのだから、さもありなん。
だからあそこの生徒は多分、虎杖を殺そうとしてくるだろう。
でも多分、虎杖は殺されない。当人が強くなったし、一年には伏黒恵がいる。
頑張れ後輩と頭の中で呟きつつ、ひょい、と屋根の上に飛び上がる。五条悟からは観戦においでよと言われたものの、誰が京都の皺首の隣に行きたいのだろうか。
屋根の上に胡坐をかいて、手元に召喚したのは使い慣れてしまった、狙撃銃。
わたしの武器は銃型の呪具で、人具融合型という珍しい形をしている。
普段は体の中にしまうか、最も呪力をくわない二丁拳銃の形にして、腰に吊っている。わたしが呪詛師にでも落ちれば、暗殺し放題となる極めて隠密性の高い便利な武器だ。
だけれども、時折こうして呼び出して、わたしの呪力と手に『馴染ませる』工程が必要なのだ。
元々、人間の呪力と呪物の呪力が混ざって成ったわたしの呪力は、気持ち悪いというか斑模様と言うか、とにかくクセが強い、らしい。
宿主のわたしにはその自覚はカケラもなくて、六眼持ちのどこぞの最強の見立てだ。
そのせいで、人間よりも反転術式の利きが悪いという最悪なデメリットを抱えているし、呪具にも普段から呪力を馴染ませる必要がある。肝心なときにジャムられては、堪ったものではない。
別に屋根に上る必要はないのだが、見晴らしがいい高いところは好きなのだ。
手の中の銃にだけ意識を集中させていれば、種々を頭から追い払える。
そういえば、虎杖悠仁が私の手持ちの武器の中で、最大火力のを見たいと言っていたが、誰が虎杖に対戦車ライフルのことを教えたのだろう。
伏黒や真希にも、ほとんど見せたことはないのに。
五条悟であろうなと、わたしはまた息を吐いた。
あの野郎は、わたしに情操教育を施そうとしている。
人並みの心とか感情とかが、魂がツギハギのわたしには、足りてないらしいから、あいつは青春を通してそれをわたしに会得してほしいのだ。常識のないやつに言われたくない。
だけど、同級生の秤とわたしは結局そりが合わなかった。わたしが大怪我して寝込んだり、秤が停学になったり、色々運もなかったにせよ。
そのためわたしの情緒は雑魚のままらしくて、だから五条悟は今度は虎杖で試しているのだ。
同じ特級呪物の器が、それなりに元気にしぶとく呪術師をやれている様子を虎杖に見せて、遠回しに元気づけようとしている企みもあるのだろうけれど。
だけど交流会が終わったら、わたしは虎杖に関わるつもりはなかった。
性根捻じくれ屋なわたしと、人としての正しさを規範にしている虎杖とは、根っこが違う。
己の核にある、信念とか想いとかそういうものをぶつけ合ったら、多分、わたしとあいつは殺し合いになる気がした。
虎杖は死んでほしい相手ではないし、わたしもくだらないことで生命を賭けたくないから、そんなのは願い下げだ。
あいつも同級生と再会したら、偏屈で仏頂面で、頭から角を生やした変な先輩のことなぞ、すぐ忘れるだろう。
人死にを出さずに交流会よさっさと終われ、と願いを込めて、高専内を見下ろしたときだった。
ぐギィ、と微かな、かそけき断末魔が聞こえた。聞こえてしまった。
即座に銃を消し、屋根を蹴る。地面に飛び降りる。
死の気配がした方へ、地を蹴り走った。
二、三棟建物を走り越して、その先でわたしは見つけた。
地面に倒れる頭が肥大化した異形の骸。その隣に伏している黒いスーツの人間。
そしてその頭に今しも手を置こうとしている、人型の何かを。
召喚したのは狙撃銃。スコープのないそれを構えて、引き金を引いた。
弾が、人型呪霊の手首を吹き飛ばす。
既にわたしは、術式を発動していた。
数瞬後、呪霊がこちらを見る。
見ると同時に腕を変形。横殴りの一撃で、胴を薙ぎに来る。当たればわたしは、胴体上下で泣き別れ。
発砲する余裕、無し。
よって選択したのは、前転しての横薙ぎの回避。
それでも躱しきれずに、刃が服を掠めてぱくりと裂けた。それも、そこに入れてあった携帯ごと。ただし、肉は斬られていない。
回避したその勢いで、狙撃銃を二丁拳銃へ変更。両方、撃った。
弾丸二発は呪霊の額に当たる。相手は倒れない。ボコリと皮膚が動いて、めりこんだ弾が吐き出された。
にんまり。呪霊の口が裂けるように伸びて、嗤った。
「そんなもの、俺には効かないんだよ」
知っている。もう視た。
拳銃を消すや、羽織っていたコートを投げる。視界を覆う呪力を纏った黒衣に呪霊の動きが寸の間止まる。
その一瞬で、やつの足元に倒れていた黒いスーツの人間に跳びつき、その体を担いで跳ぶ。
この人間、つまり補助監督に戦闘能力はない。よって邪魔者。
毬のように補助監督を放り投げ、手元へ呼んだのは短機関銃。
早くもコートをずたずたに裂いた呪霊に、ありったけの弾丸を浴びせた。
灰色がかった縫い跡だらけの皮膚に、次々穴が開く。
グラグラと体が揺れて、不気味な踊りを踊るよう。それでも、こいつは殺せない。───そう視えた。
果たして弾幕から、呪霊は何事もなかったように歩み出る。
「だから効かないんだって。じゃ、今度は俺の番ね」
ぞわりと膨れ上がるのは、禍々しく莫大な呪力。
わたしに声があったなら、五条悟あの野郎と、喉も裂けよと吠えていた。
それに天元。天元の結界はどうした。高専結界の要は何やってる。特級呪霊が、結界を抜けているではないか。
気づけば、人型呪霊の体が目の前にあった。
二重にずれた視界の中、未来の幻の呪霊の腕が伸びる。伸びてわたしの頭に触れる。
だけどわたしは、それでは死なない。死なない未来が視えた。
守るべきは表ではなく、内側だ。呪力を回し覆うのは体でなく、魂。
魂を呪力で覆い切った瞬間、現実の時間が未来に追いつく。呪霊の手のひらが、私の頭に触れた。
ばちん、と心臓のあたりで何かが弾ける。
ごふ、と赤黒い液体を吐いて、それだけで
「あれ?」
果たして、わたしに触れた呪霊は一瞬だけ硬直した。顔に、素直な戸惑いが浮かんでいる。
当然だろう。異形になるはずだった術師の体が、変形していないのだから。
頭を握り潰される前に、渾身の力で呪霊の腹を蹴り飛ばす。
筋力に呪力を上乗せした一撃で呪霊の体がたたらを踏んで下がり、互いの体の間に空間が広がる。
その隙間に、わたしは最後の銃を召喚した。口の端から、血が細く流れる。
現れたのは全長二メートル、重量ニ十キロの鉄塊。
人が生身で戦車と戦うため造られた黒塗りの銃、PTRS1941。
本来伏せ撃ちで撃つべき、身の丈より長大な銃を立って構え、蹴り飛ばされ両脚が地から離れた呪霊の腹目がけて、発射した。
だがどうせ、これも効かない。殺せない未来が、視えた。
並みの呪詛師ならば粉微塵、人語を介さないレベルの特級ならば致命傷にはなる実弾と呪力の上乗せの一撃でも、こいつは何故か殺せない。それでも、吹き飛ばして距離は取れる。
腹、胴、頭、腹、腰と五発撃ち切るまで引き金を引き銃を放り捨て、わたしは走った。
放り投げた補助監督を引きずり出して担ぎ、即座に反転。選択したのは、逃走だった。
あんな化物と、荷物を庇って戦えない。
肺が痛くなる速度で一キロほど走って、ようやく足を止められた。
成人男性一人担いでここまで走ればさすがに息が上がって、膝をつく。
まずいことに、あの呪霊の初撃で、わたしは携帯を壊されていた。あそこで刃が携帯を切ったら、わたしの体は斬られないと踏んで、あえて盾にした。
だが端末がないと、五条悟にも誰にも連絡を取れない。昏倒したまま目覚める気配のない補助監督の端末は、当然ながらロックがかかっていた。
あの特級呪霊の侵入には、まだ誰も気づいていなかろう。
気持ちの悪いあの術式を防げるのは、きっと、私か虎杖か、パンダか五条悟だけ。私以外全員、交流会にかかりきりだ。
わたしに声があったなら、くそったれふざけるなと罵倒の一つ二つでも叫んでいるところだった。
とにかく五条悟に、一刻も早くことを知らせねばならないと、そう膝を叩いて立ち上がって、空を見上げたその瞬間だ。
空から呪霊が襲い来る、幻が視えた。
来るのは上、投下されるのは改造された人間どもと、呪霊本体。
わたしが咄嗟にできたことは、狙撃銃を上空に向けて構え撃つことだけ。
鳥のような形となった呪霊が吐き出し投げ落とそうとしていた改造人間の何体かが、その弾丸で貫かれる。
この世に生まれ落ちたとき人間であった者どもは、断末魔も上げられずに熟しすぎた柿のように落ちて、潰れた。
「おかしいなぁ。完璧に見えてないと思ったのに」
「……」
だか、呪霊本体に弾は掠りもしない。
ツギハギの皮膚を持つ青年姿の呪霊は、軽々と降り立って小首を傾げた。
解剖室に並んだ異形と、死体袋から香る残穢の記憶が蘇る。
あれをやったのは、虎杖悠仁の友を殺したのは、こいつだ。
「君、さっきから眼が変だよね。俺を見てるようで見てない。視線がずれてるんだ。それが術式?」
「……」
「お喋りするタイプじゃないのか。ざーんねん。んー、だけど自分の魂きちんと呪力で守ったあたり、一級術師ぐらいかな?」
準一級だ馬鹿野郎と内心呟いて、ライフルを短機関銃へ変更し、構える。
こちらが武器を変えても、子どもが棒切れを持ち替えた程度にしか、認識していないのだろう。呪霊は、ひどく口数が多かった。
「魂も面白い。俺の肌みたいにツギハギだし、頭のその角は本物だろ?……そっか、だから俺の術式の効きも悪かったんだ。もう歪んでるんだね、君」
「……」
「その格好、高専の学生だろ?虎杖悠仁とは親しいかい?」
無造作に短機関銃の引き金を引いて、すべての質問への返答とした。それを浴びても、呪霊はケタケタと嗤うのみ。
嗚呼畜生、と目を細める。
死んでなかったらコーラ奢ってやると、わたしは虎杖に言った。冗談半分で。だけどこれでは、わたしが先に、死にそうだ。
嗚呼困ったな。まだあんまり死にたくはないのにな。だけど生き残る道が視えないなと、ため息を吐く。
されど死ぬときに死ぬのが、呪術師である。
だからわたしは、いっそう強く銃を握りしめた。
■■■
枕元を誰かの気配が行ったり来たりするから、起きることにした。
瞼と頭がかなり重い。珍しく夢を見ないまま深いところで眠れていたのにと、ちょっと残念になる。
残念残念、と心の中で呟いているともう心地よい眠気はどこかに行っていた。
重い頭を押さえ身を起こしてみて、あれ、と呟きそうになる。
わたしは、寮の部屋で眠って起き上がったはずだ。なのにここは、高専の医務室。
首を捻っていると、ベッドの周りにかけられていたカーテンが勢いよく開かれた。
「起きたか、八咫。お前は昨日、呪詛師の射殺体から約五十メートル離れた場で気絶し、倒れているところを発見された。記憶はあるか?」
目元のほくろと隈が特徴的な校医、家入硝子に見下ろされながらわたしは固まった。
誰が、何の死体の側にいたと?
「ちなみにお前のスマートフォンは、ぱっくり二つに割れてお陀仏だ。よかったな、お前自身がお陀仏にならずに済んで」
「……ん」
「その顔を見るに、覚えてないな。まあ、予想出来ていたことだ。あとは後輩にでも説明してもらえ。すまないが怪我人が続出していてね。私も仮眠に入るところなんだ」
お休み、と高専の生命線である女医は、ふらっと去って行った。
よくわからないが、わたしは呪詛師をひとり殺したらしかった。けれど呪詛師だから、咎めもないと思う。多分。
何か、どこか、違和感があった。
誰かに話を聞くに行くべきなのかと、枕元に畳まれて置かれていた制服をふと広げた瞬間、わたしは固まった。
「……?」
それはもう、ものの見事にずたずただったのだ。
上着の左袖は引きちぎられたようになく、背中はシャツまでもがぱっくりどころかざっくり切られている。
黒一色の生地だから目立たぬが、血が染みて布が固まり、生臭かった。スラックスも、右太腿の生地がざくざく切り裂かれてただの襤褸布と化していた。
これはもう、着られない。
「……」
この時点で、嫌な予感は最高峰である。
致命に達する出血でごわごわになった制服など、何かあったに決まっている。
着せてもらえていた白いトレーナーに黒のスラックスのまま、廊下へ出る。
出た、まさにそのところで。
「ラク先輩!!」
頭に響く大声をあげて走ってくる虎杖悠仁と普通の速度で歩く伏黒恵、それに見知らぬ少女と、二年の三人がいる。
何なのだろうあいつら、とわたしはその場で足を止めた。
■■■
「だから、高専は交流会の最中に襲撃されたんですよ。特級呪霊と呪詛師の集団に。交流会のほうに出た特級は虎杖と東堂が退けたんですが、高専の忌庫を狙ってもう一体が侵入してた。ラク先輩は運悪く、マジで運悪く、そいつと鉢合わせて戦いになったんです」
「元々その呪霊の狙いは、忌庫の呪物の強奪だったらしいぜ。で、ラク先輩がねばったからとどめ刺すのはやめて、忌庫に向かった。あんたは弱ってたところを呪霊と組んだ呪詛師に襲われたんだろうってのが、あの馬鹿目隠しの見立てだ」
「敷地のあちこちにラクの残穢があったし、弾痕が残りまくってたからなぁ。相当めちゃくちゃに立ち回ったんだろ。それでも呪詛師は返り討ちにしたみたいだけどな」
「高菜」
上から順に、伏黒恵、禪院真希、パンダ、狗巻棘が教えてくれたことである。情報が、とんでもなく多かった。
東京校生に捕まって話をすり合わせてみれば、わたしは、昨日まる一日の記憶をすっぱり失っていた。
日付が一日、ずれていたのである。
その欠けた一日に随分派手なことが起きて、今高専内は後始末と交流会に追われているらしい。
わたしは運悪く、高専内で特級呪霊と交戦して呪詛師に背中から刺され、しかし呪詛師は返り討ちにして生き延びたという。
己がしぶと過ぎて、笑えた。記憶にないけれど。
ちなみにここは、寮のわたしの部屋だ。七人も入った上にガタイのいいのやらパンダやらが混ざっているせいで、狭い。
「伏黒、この人めっちゃポカンとしてるんだけど、大丈夫なの?」
「……術式の副作用だ。この人の頭ん中には、条件満たしたときだけ発動する、反転術式のトリガーが入ってる。一日分の記憶を対価に、致命傷でも何でも治すんだ」
「しゃけ」
「要はラク先輩は、自分で自爆スイッチ押して自爆ったら、HPが全回復すんだよ。ま、MPの呪力もカラになるから、タイミング外すとヤバいみたいだけどな」
「状況的に、死んだふりして呪詛師を一端やり過ごして後ろから狙撃したんだろって話だ。まあお前かなりやられてたみたいだから、捕縛する余裕もなく撃ち殺したって話だぜ」
おやおや、そうなんだ。物騒だなぁ。
自爆して死んだように見せかけておいて後ろから撃つなんて、強かなやつもいたもんだなぁ、とわたしは遠い眼になった。
自分の行いを聞いているのに、全く知らぬ物語を聞いているようだった。
だが事実、昨日一日の記憶は消えていて、わたしはその空白の間に人を殺した。
だから昨日のわたしは、ある意味本当に一度死んだのだろう。そのわたしは忘却され、今のわたしには残らず消えた。
『何人死んだ?』
壊れたスマホの代わりに、スケッチブックにペンで書けば、全員顔が僅かに曇る。
特級呪霊に襲撃され、犠牲者が出ないのはあり得なかった。
「二級術師二人と、補助監督が二人。それに忌庫番が二人って話です」
「おかか」
伏黒と狗巻の答えに目を丸くする。それで済んだのが、意外だった。
しかも、交流会は明日再開するらしい。野球勝負で。
『やきゅう?』
「そ、野球よ。野球。東北のマーくんと言われた私の腕が鳴るわ」
『個人戦いずこ』
「悟の気まぐれ」
『あいわかった』
五条悟により、一日目団体戦、二日目個人戦という交流会のセオリーはぶち壊されたらしい。
一年生の中で初見の釘崎野薔薇という女子は、それでも楽しげだった。
『お前には自己紹介してないか。三年、八咫犖。ラクでいい』
「ども、私は釘崎野薔薇。一年の紅一点です。先輩はあれでしょ?虎杖が死んでる間に世話になったっていう三年」
うむと頷いてから、事ここに至るまで、静かな野郎が一人いることに、いい加減わたしも気づかされた。
『お前、いつの間に無口キャラになった?』
「そーよ。虎杖、あんた、この人がツギハギの特級と戦って派手に怪我したって聞いて、血相変えてたじゃない」
「……いや先輩が、思ってたより元気そうだから、ちょっと力抜けたっつーか」
この部屋に入って来てから、静かだった虎杖悠仁はそう言って眉を少し下げた。こっちもこっちで、京都の東堂と組んで特級呪霊を正面から退けたらしい。
腕力ゴリラ同士、気が合ったのだろう。
「ホント、ラク先輩は命があってよかったな。特級だろ?しかも触られるだけで魂に干渉されてアウトっつーバケモン」
「しゃけしゃけ」
『魂を知覚して呪力で護ればいけると思う』
「いけません。魂の知覚ってのがまず何なんですか。ラク先輩や虎杖は、自分の体の中に別の魂抱えてるからできんでしょうけど」
しかめっ面の伏黒の言葉に、虎杖が虚を突かれたような顔になった。
「ラク先輩が無事だったのって、俺と同じで呪物の器だったから?」
『だろうな。でないと特級相手に私が生き残れるわけがない。準一だぞ。多分、勝つのは早々諦めて逃げ回りに徹したんだろ』
「しゃけしゃけ」
わたしと同級術師の狗巻が、同意するように頷いた。
『ようは相性ゲーだ。覚えてないが』
それでも、一日分のわたしは死んだことを、記憶の欠落が証明していた。
虎杖が、小さく手を上げる。
「……本当に、先輩は昨日の記憶飛んじゃってんの?」
『飛んだ。カラだ』
「そ、っか。うん、先輩が無事なら、それでよかったよ」
と言いつつも、含みがありげな虎杖である。
昨日の記憶はなくなっていても、それまでの記憶は消えていない。
だから昨日のわたしは、こいつに何かしたのだろう。
『私は、お前に何か約束でもしたか?交流会で勝てば何か奢るとか、そういうのを』
「……ラク先輩、やっぱ読心術できんじゃね?」
『だから、わたしの術式は未来予知だ。角でつくぞ』
呪物を食べてから、わたしの額には黒い角が二本肉を突き破って生えている。刺さると結構痛いはず。
虎杖は、頬をかいて言った。
「頭突きは勘弁してよ。先輩さ、今日の交流会で俺が暗殺されなかったら、コーラ奢ってくれるって言ってたんだ」
「あんたの命の値段安っ。てか、京都のこと、ラク先輩見破ってたの?」
「ラクは去年交流会で京都行ったときに手痛い目に遭ったって話だからな。見破ってたというか、知ってたんだろ」
『暗殺と不意討ちは京都あるある』
「なんですかその嫌なあるあるは」
「高菜ァ……」
全員が全員、ばらばらなことを言う。
わたし、野薔薇、真希の女子三人がベッドに座り、男子は床やら椅子に適当に座っている状態だ。
ふと思いついて、ベッドの横の棚を開け、出した財布をぽんと真希に投げる。
「ん?」
『おごる。外の自販機で、全員好きな飲み物買って来い。交流会一日目おつかれだ』
「いやこの中で一番お疲れなの先輩じゃないんですか。飲み物は貰いますけど」
『私は何も覚えてない。何もなかったのと同じだ。制服一式とスマホのおしゃかは腹立つが』
「確かに先輩の場合スマホは特に困るよなぁ。データのバックアップ大丈夫?」
『バックアップ?』
「あこれ駄目なやつだ。じゃ、また連絡先交換しようぜ」
『おkまる』
「またそれかよ!」
ぶはっ、と虎杖がようやく声を上げて笑った。
伏黒恵が驚いたように目を開き、すぐに安心したように口の端をちょっと持ち上げる。釘崎野薔薇も、同じように小さく笑った。
その隣で、よくわからんOKサインを出しているパンダはさらっと無視する。
財布を持った真希を先頭にどやどやと六人を部屋から出して、わたしはひとりでベッドの上に寝転がった。
喉は乾いていないし、人が大勢いるのは苦手だ。
それに、一度反転術式を使ったせいだろう。やけに頭が重かった。
わたしの頭の中の反転術式は、伏黒恵の言う通り一日分の記憶を対価に、体の損傷を治すのだ。
ちなみに発動の条件は、自分で自分に致命傷を与えること。そうまで追い込まれなければ反転術式を使えないのだから、わたしには多分才能がない。
死んでから蘇る様は、見ていた者によれば巻き戻しに近いらしい。
五条悟によって禁術認定もされた、八咫の相伝、人体改造術式のひとつだ。
特級呪物を取り込む苦しみに錯乱して、器が自害することないよう、呪具を作るように子どもの頭に刻んだのは八咫の家で、そのおかげでわたしは生き延びられたようだった。
殺そうとしてきた人間をわたしはあべこべに殺め、そいつの顔も名前も何もかも忘れた。
────寂しくないことが、先輩の正しい終わり方、ってこと?
ベッドのシーツに頬をくっつけていると、虎杖のそんな言葉を思い出す。
わたしが思う正しい死が、虎杖悠仁が言ったように『寂しくない死』だとしたら、わたしは殺した呪詛師に、正しくない死を与えたことになる。
だって、わたしが何も覚えてないからだ。
顔も声も、形も、殺意も、引き金を引いた感触も、殺害の感覚すらもわたしにはなくて、周りの人間たちから聞いた『昨日のわたし』の行いをなぞるだけ。それは、記録であって記憶ではない。
自分を殺した相手に死に様を覚えてもらえないのは、とても寂しいことだろう。
誰かの記憶に人として残ることができず、記号としてのみ残った人間は、とても哀れだ。
でもわたしには、己の殺人行為を悔いたり嘆いたりする気は欠片も起きない。仮に殺したことを覚えていたとしても、今と同じように微睡めるだろう。
虎杖悠仁と言葉を交わして、『正しい死』という言葉を記憶に刻んでいなければ、こんなふうに思うことさえもなかった。
仰向けになって、天井に手を伸ばした。
わたしが生きているのを見たら力が抜けたと、安心したように笑った少年。
何も覚えていなければ、何もなかったのと同じだと言ったわたしを見て、僅かに顔を曇らせた少年。
そして己の手の届く人に、『正しい死』を迎えてほしいと願う少年。
ぱたりと、伸ばしていた手が落ちた。
うん、やっぱり、わたしはあいつが。
─────嫌いだな。
確信すると同時に、ぱたりと伸ばしていた手が落ちて、わたしは、そのまま眠気に負ける。
次に目覚めたとき外はもう暗くて、枕元には六本のココア缶とわたしの財布が置かれていた。それに『おやすみなさい』と書かれたメモが一枚。
メモを引き出しに、財布を棚に、ココアを冷蔵庫にしまって、それで、もう一度眠ろうとベッドの上で目を閉じる。
交流会からしばらくして、わたしは凄まじき夢を見た。
虎杖悠仁の姿をした、虎杖悠仁でない誰かが、人間を嗤いながら塵を払うように殺める、そんな夢だった。