無明の獣に孔穿つ   作:はたけのなすび

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感想、評価、ありがとうございました。

では。


3話

 わたしが体に収めた呪物は、『くだん』の木乃伊(ミイラ)である。

 『くだん』とは、女、或いは牝牛の腹から生まれた、牛頭人身か人頭牛身の化物。誕生してすぐに災いの予言を齎して死ぬ。それだけの不気味な妖怪だ。

 現代の呪術界的には、特級仮想怨霊に分類されるこの呪霊の最大の特徴は、受肉して生誕することだろう。

 つまり『くだん』は、生まれたときからその不気味な姿を、非術師の前にも晒す呪霊だ。生まれて予言をし、すぐさま死を迎えたその亡骸を木乃伊にしたのが、特級呪物『予言獣・くだん』である。

 木乃伊を人に飲ませ『くだん』の術式を扱う者が生まれれば、自在に予言を齎すことができるのではないかと、とある呪術師一族は考えた。

 考えたのか唆されたのかも定かでないが、とにかく彼らは苦心惨憺五百年を積んで、器をひとつ造った。

 

 だから器であるそのわたしには、『くだん』の術式が継がれている。完全な形にならなかったから、失敗扱いであるにせよ。

 

 わたしは術式によって人が大勢死ぬ光景を夢に視る。

 それがわたしの術式の使い方だ。

 普段扱う術式よりも遥かに遠い未来を視通すことができるが、わたしの意識がない時にしか発動できないために普段は使えないのだ。

 『くだん』と違って予知夢をしても死ぬことはないが、いつどこでどのように起こるかまでは視通せない。『くだん』ならば正確に言葉で予言できたらしいが、わたしにはできない。

 ただただ、大量の人間が死ぬ場面だけが夢に出るから、夢の内容をよくよく描き出して、分析するしかないのだ。

 数か月先の未来を視たこともあれば、七十年ほど前のひどい戦争の過去を視たこともある。

 時空が安定しない、面倒な夢だ。

 怨嗟の声は子守り唄にはならず、ただただ耳の奥のやわらかいところを引っ掻いて行くばかりなのだから。

 

 過去視にせよ未来視にせよ、共通しているのは、大量の人が死ぬ光景ということだ。

 

 その光景が過去か未来かは辛うじて感覚でわかるが、とにかくわたしの夢はいつもぐちゃぐちゃとしていて、赤くて黒い。

 人が、死への恐れという凄まじい負の感情を抱く場面をわたしの術式は勝手に掬い取って、わたしに見せつけるのだ。負の感情を糧にする呪力を用いているからこそ、そういう場面しか視られないのだろうが、本当因果な呪法である。

 未来に対し一切の希望を捨てよと囁かれているような気がするし、如何にして未来を視通しているのか、その仕組みもわたしには掴めていない。

 

 その当てずっぽうでいい加減な予知夢が、つい先だって紡ぎ出したのは、この東京で起きる地獄もかくやの光景だ。

 

 渋谷の街で、複数の呪霊が大勢人を殺している夢を視た。

 その中にはあの改造された人間たちも多く混ざっていたし、それらに呪術師たちが抗っている光景も視た。

 けれどそこには、五条悟だけがいなかった。特級呪霊と戦うならばいて当然の、最強の呪術師が。

 五条悟がもしいなくなれば、この国は最悪呪いに沈む。国の形が保てなくなる。

 

 わたしは無論、その夢のことを五条悟にも伝えた。それは、虎杖悠仁が発見されてしばらくしてからのことだ。

 だけれど、わたしが視るのは、実現がほぼ確定された災厄。覆す鍵を知っているわけではない。

 

 人間たちが語り継いだ神の物語に、故国の滅亡を予言し続けても信じてもらえず、結末を覆すこともできなかった女がいたが、予言能力というのは非力なものなのだと、遥か昔から教えられているような逸話だ。

 

 その夢の続きを、またも視た。

 しかも今度は、こともあろうに虎杖悠仁が人を殺す夢だ。

 あいつが、十人や二十人で効かない大量の人間たちを、呪霊との戦いに巻き込んで、吹き飛ばして殺すのを、視た。

 炎を操る単眼の呪霊、剣を持つ巨大な呪霊らしい何かと宿儺が二度戦い、二度に渡って街を焦土に変えるのだ。

 尤も、虎杖悠仁が意思を持って人を殺すのでない。

 呪霊と戦うため術式を振るった結果、無造作に人が消し飛ぶのだ。が、いずれにせよ大量に人が死ぬのに変わりはない。

 

「それ、悠仁じゃなくて宿儺だと思うよ」

 

 夢を視た日の朝に報告すれば、五条悟は椅子に座ったまま珍しく真面目な口調で答え、わたしも頷いた。

 あのお人好しがやったとは、わたしとて思わない。

 第一、生得術式が無く身体能力と呪力のみで戦う虎杖には、大量虐殺の術がない。

 やるとすれば、虎杖の中の呪いの王、両面宿儺のほうだ。

 あんなに人を殺して、一体何が楽しいのやらわたしにはわからぬが、ともかく宿儺は屍の玉座に座する王であり、それが降臨したということは、宿儺の制御を虎杖が失ったということに他ならない。

 

「悠仁は確かに、肉体の制御権を宿儺には渡してない。だけど……うん、一度に大量の指を食べさせられたら、その制御は効かなくなるだろう。一時的だけど、主導権が宿儺に奪われる」

「……」

「そしてこの前の襲撃で、高専が保有していた宿儺の指は全て奪われた。もしあいつらが既に宿儺の指を何本か手に入れているとしたら、十本以上を手中にしてるのかもしれないね」

 

 しれないねじゃおへんわと、思わず口汚くなりかけた。

 

 だが、わかったことがある。

 高専が襲撃され指が奪われた後、わたしは虎杖の体を使った宿儺が人を殺す夢を視た。

 それはきっと、あの夢が現実となる確率が極めて高くなったからだ。

 宿儺の指を奪われたことが、虐殺の未来をほぼ確定したのだろう。

 

「ラクは引き続いて、夢を視たら僕に教えて。大丈夫、何とかするさ」

「……」

 

 それはどうだろうな、とわたしは首を傾げた。

 五条悟は最強であっても、万能ではない。人間だから、仕方のないことだ。

 人間は、死ぬときは死ぬ。

 わたしの視た未来の夢がこれまで外れたことはなく、死者の数を減らし結末を逸らすことはできても、大まかな流れを覆せたことはない。ないことには、できないのだ。

 去年の百鬼夜行も、そうだった。

 

「そんな顔しない。とにかく、ラクはまた夢を視たら僕に教えることと、遠いところばっかり視ないこと。わかった?」

「ん」

 

 頷いてみても、『くだん』の予知夢式にわたしの意志は介在しない。だからこその劣化品だ。

 五条悟の眼の色は、相も変わらず黒の目隠しによって覆い隠され、伺い知ることができなかった。

 あらゆる術式を暴く蒼穹の瞳ならば、わたしの持つ術式のことも読み解けるのだろうが、五条悟は何も言わない。言うべきことがないのか、言うべきでないと口をつぐんでいるのかは、定かではないが。

 何にしてもこいつは、わたしに対して人間染みた青春を求めるばかりだ。

 要らぬ気の回し方だと思うのだが、言ったところでこの天上天下に一人だけの最強が気分を変えるわけもない。

 諦めてわたしは肩をすくめ、代わりに五条の前にスマートフォンの画面を突き出した。

 

『そちらの要望はわかった。それなら、東堂葵の連絡先を教えろ』

「葵の?なんでまた」

『この前携帯を特級呪霊に壊されて、連絡先が根こそぎおじゃんだ。東京校の分は復元したが、東堂葵の分がない』

 

 交流会の後半、わたしは呪力の枯渇と術式酷使の反動で眠りっぱなしだった。

 眠りから覚醒すれば京都校の面々は帰っていて、交流会も終わっていたのだ。

 わたしと携帯の画面の間で視線を往復させながら、五条悟は首を大きく横に倒した。

 

「……データのバックアップ、取ってなかったの?」

『虎杖悠仁と同じことを言うな。取っていなかったから聞いている』

「ちょっと、じゃあ何で僕に連絡先教えてって言わないのさ。聞かれてないよ」

『もう担任ではない人間のが必要か?』

「担任じゃなくても先生ですー!」

 

 かくて口を尖らせた五条悟に携帯はあっという間に奪い取られ、連絡先は増やされた。

 禪院真希や伏黒恵、虎杖悠仁や釘崎野薔薇の名前が並んだわたしの連絡一覧を見て口元を緩めている姿は、本当に何とも言えない。これが、呪詛師たちに死神のように恐れられている呪術師最強だと誰が思うのだろうか。

 

「いやぁ、トモダチ登録が増えていいじゃんいいじゃん。あ、ついでに秤とか憂太とかの連絡先も入れとくね。同期と後輩なんだからさ、仲良くしなよ~。ラクって何だかんだ後輩にはウケいいんだからさぁ」

「ん」

 

 それはいいから、いい加減東堂葵の話をしろと言うつもりで、五条悟が座っている椅子の足を蹴っ飛ばした。本体を蹴っても効かないのだから仕方ない。

 

「ラク、歌姫に似て来てんじゃないの。物に当たるヒスはモテないぞ?」

「……」

「ちょっとちょっと、わかったよ。わかったからそのチベスナ顔はやめときなって。葵の連絡先だよね。ゴメン、僕は知らないから歌姫に頼んどいてあげる。でもさ、何で葵?そんなに親しかったっけ。ぶっちゃけラクって京都と仲悪いでしょ。去年色々あったんだし」

 

 結局連絡先を知らないのか、とわたしは携帯を返してもらいながら目を細めた。

 適当に誤魔化してもいいが、下手なことを言えば根掘り葉掘りされるだろう。先に真実を言ったほうが、被害は少なく済みそうだった。

 

『高田ちゃん関連』

「は?」

『長身アイドル高田ちゃん関連でのみ連絡を取り合っている』

「……は?」

 

 スマートフォンの画面に打ち込んだ文字と、無表情のわたしの顔を三回見比べた後、五条悟はけたたましいワライカワセミとなった。

 そのまま椅子ごと引っ繰り返って、床に後頭部を打ち付けてしまえばいいのに。

 しかし呪術師最強がそんな間抜けを晒すわけもなく、五条悟は普通に腹を押さえて復活した。

 

「はー、ウケたウケた。そっか、好きなアイドルができてたなんて、ラクもなかなか人間謳歌してんじゃない?」

『お前の望んだことだろう』

「いやいやいや、君が望まなきゃ全部意味がないんだって話」

 

 とりあえず葵の連絡先は何とかしてあげるよ、と五条悟は楽し気に言った。

 特級呪物の器、特級被呪者、そしてまたもや特級呪物の器と、三年連続で常識外れの生徒を抱え込んでおきながら、どこまでも底を感じさせない人間だ。

 その瞳のように、果ての無い空と繋がっていそうな気がして来る。

 けれどもこいつは、人間だ。

 現に、交流会では五条ひとりを抑え込むための結界、帳が下ろされて特級呪霊による被害が出た。まったく覚えていないが、その侵入した特級呪霊によってわたしは死ぬような目に遭ったらしい。

 相性がよかったから生き延びられたが、まかり間違えば死んでいたという。

 加えてわたしが倒れていた近辺には、呪詛師の射殺体の他に、補助監督だったと思しい異形の改造人間が心臓を撃ち抜かれて事切れていた。

 その補助監督を殺したのは、わたしだろう。

 わたしならば、助けられないと判断すれば速攻で引き金を引いて殺したろうし、そこに大して葛藤しなかったと思う。

 ただ、守ると決めて動いたのに失敗したことを苦く思っただけで、殺すべきものと化した人間への哀悼は持たなかったはずだ。

 

 それでも五条悟には、間に合わなかったことを謝罪された。

 生徒が護られているべき高専の中で、子どもに介錯をさせてしまったことを、人間の教師らしく悔いていたのだ。

 わたしは確かに未成年でかつ手弱女だが、それは外見(そとみ)の器の話であって、中身には当てはまらないのに、そういうところを人間は気にする。五条悟も、気にかける。

 もしあそこで生徒であるわたしが特級呪霊に殺されていたならば、五条悟は出し抜かれたことになる。

 結局事件の幕引きは五条悟の大技でもあったが、とにかく結論として、こいつは万能ではない人間であり、敵も馬鹿ではない。

 そこまでを考えて、予知夢の中に五条悟の姿を認められなかったことに、思っていたより己が衝撃を受けていることに気づいて、鼻を鳴らした。

 

『話はここまでにする。任務に行く』

「おっす。気を付けていってら~。悠仁たちによろしくしたげてね」

 

 からから笑う五条にそのまま軽く会釈をして、部屋を出る。

 この後にも、任務は入っているのだ。非術者から漏出する呪力が途切れることはなく、呪霊も底無しに生まれ来る。

 そこまでの力を生み出し続けることのできる人間とは、本当に興味が尽きないものだ。人間の想像力に、果てというものはないのかもしれない。

 

 何にしても、考え事に耽るのはここまでだ。

 

 スラックスのポケットに押し込んでいた帽子を目深に被り、高専の出口目指して走り出す。校内がだだっ広いため、ちんたら歩いていると下手すれば日が暮れるのだ。

 今回の任務は、補助監督がつかない単独である。

 前回の呪霊の襲撃で補助監督数名に被害が出たから、色々と穴埋めで大変らしい。一年ならともかく、三年なら単独任務へ行ってどうぞ、となっている。

 高専結界の外へ飛び出してバスと電車に乗れば、東京の街にはすぐに辿り着く。

 慣れた喧騒に身を任せて歩いて、裏路地へするりと入り込む。エアコンの室外機と、くすんだネオンで囲まれた看板を足場にして跳び上がり、屋上に辿り着く。

 

 今日の任務はごく単純。

 この屋上から見えるビルに存在が確認された、呪霊の討伐だ。

 体の中へ収めた呪具へ呼びかければ、わたしの手の中には狙撃銃が一瞬で顕現する。

 視線に敏感な呪霊に悟られることを避けるため、スコープをつけていない銃には、トカレフの名が与えられている。

 

 そういえば、京都校にいる家出してないほうの禪院のやつに、狙撃云々で絡まれたことがあったなと思いながら、屋上から十数メートル離れた隣のビルを銃身越しに覗く。

 そこには予想の通り、きゃらきゃらと遊び戯れ跳ね回る、三から二級の呪霊が複数体いた。

 蚯蚓のような色をした、蛙に似た呪霊が五体ほどいて、なんとも騒がしい。発生したばかりのようだが、放置しておけば人を喰らうだろう。

 生まれたての無邪気さのまま、人の手足を引きちぎって遊ぶのが呪いなのだから。

 寮内の掃除機の電源を入れるのと同じ感覚で、わたしは銃の引き金を引いた。

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 五条悟は、意外と早く京都校と渡りをつけてくれたらしい。

 ビルでの呪霊討伐が終わる頃に、わたしの携帯電話には東堂葵からの連絡が来ていた。

 東堂葵は、一言で言えば京都校のクレバーなゴリラだ。

 筋骨隆々な見た目に違わず、凄まじい膂力と耐久力の持ち主で、術式無しで一級呪霊を祓い、非術師の家系でありながら一級術師になっている。

 術式もこれまた汎用性の高いもので、とにかく優秀な術師である。性格に難ありなため京都校面子からは嫌われているが、それでもその強さを認めざるを得ないらしい。

 高専へ帰る電車の中でトークアプリを開いてみれば、そんな東堂からのメッセージが来ていた。

 

『ブラザーと親しかったのか?』

 

 前置きもクソもない一言である。

 毎度変わらんやつだが、まず以てブラザーとは誰だか教えろ言う話だった。

 

『ブラザーとは誰だ』

 

 たまたまあちらもアプリを開いていたのか、すぐに既読マークがついて返信が来る。

 

『そっちの後輩にいるだろう。虎杖悠仁が』

 

 いやあいつかよ。

 親しくなったのは何となく聞いたが、あの長春色頭とこいつが兄弟(ブラザー)になっていたとは思いつかなかった。

 

『二ヶ月ほど、五条悟に言われて訓練を見た。呪術及び呪術界の基礎知識、呪力を用いた体術のさわり程度だ』

『合点が行った。オマエ、ブラザーに黒閃を教えただろう』

『言いはした。できたところは見ていない』

 

 0.000001内の誤差で打撃と呪力が衝突した際に、爆発的な力が発生する空間の歪みの名前が、黒閃である。名前の由来はそのまま、衝突した呪力が漆黒に染まるからだ。

 狙って出せるものではないが、一度経験すれば格段に呪力の核心に近づける妙技であり、その威力は通常の2.5乗。

 殴る蹴るが主体の東堂や、ほとんどそれしかできない虎杖にとって、黒閃はまさに必殺技であろう。

 銃器主体とはいえ、わたしも以前に五条悟が『黒閃出すまで帰れま10(テン)』という頭のおかしいことを言い出したために、経験はしていた。

 

 だが、それにしても。

 

『何故虎杖がお前のブラザーだ?生き別れの兄弟か?』

『いや違う。違うが虎杖と俺は謂わば魂の兄弟だ。だからこそのブラザーだ』

『女の好みでも一致したか?』

『よくわかったな!!さすがは同士だ!!!』

『エクスクラメーションマークを増やすな』

 

 東堂とわたしは、以前同じ任務に就いた。そのとき上手く援護が嵌ったことに加え、わたしが高田ちゃんの新曲を欠かさず聞くために、東堂はわたしに普通に話しかけて来る。

 呪物の器と後ろ指指されないだけ対応が楽なのだが、同士扱いはやめてくれないだろうか。真剣に。

 だが、虎杖を捕まえてブラザーと宣う東堂の絵面はおかしすぎて、携帯を弄りながら肩を震わせて笑ってしまう。

 無表情で、痙攣するように無言で笑うわたしを見て、両隣に立つ女子学生とリーマンが引いたが、構っていられなかった。

 

『ちなみにブラザーの女の好みは、タッパとケツのでかい女だ。……残念だったな』

『知っている。ジェニファー何某がどうと言っていた』

 

 虎杖と好みが同じということは、東堂の好みも同じく身の丈と尻のでかい女ということになるのだろう。

 こいつの性癖はどうでもいいのだが、ものの見事に性癖が熱を上げているアイドルに当てはまっているのだから、わかりやすくて笑えた。

 

 そもそも、わたしに高田ちゃんを教えたのもこいつなのだが。

 

『次の東京の個握には行くのか?』

『基本、行かん。新曲が聞けてCDを入手できればいい』

 

 主に、頭の角をどうこう言われるのが面倒なのだ。

 イベントで角を見た警備員やスタッフは、大概先の尖ったアクセサリーは外して下さいと言うが、生憎わたしの角は頭骨の一部である。

 角が生える病だと誤魔化すこともできるが、口を利けないわたしには、その誤魔化しも面倒になる。

 最初に東堂に引きずられるようにして行った握手会では、『カッコいい角だね!』という高田ちゃんの一言でどうにかなったし、その対応が好きになったからわたしは今でも彼女の曲を聞いているのだが、毎回そうはならない。

 だからいつもCDを買うだけでいいのだが、頭パイナップルはそれを忘れていたらしい。

 友達が極端に少ないところに、虎杖(ブラザー)ができたせいで、浮かれているのかもしれなかった。

 高田ちゃんのリアタイがどうの録画がどうのこうのという長文メッセージを丸ごと飛ばして、わたしの言葉を書いた。

 

『お前、もし虎杖が死にそうな程困れば、京都にいても駆けつけるか?』

 

 濁流に小石を投げ入れるようなものかと思ったのだが、意外や東堂の高田ちゃん怪文書は一度止まる。

 

『どういう意味だ?』

『そのままだ。兄弟呼ばわりするからには、それくらいの義理人情はあるんだろう?』

 

 正直、女の好みは一致しただけで東堂が虎杖に入れ込むのは驚天動地だ。

 が、元々人間の心の転じ方はわたしには実感が伴わない場所にある。

 東堂葵が一度入れ込んだ相手には真摯に向き合う反面、それ以外の人間に対しては横暴横柄であることがわかっていれば、それで十分だった。

 一分、二分、と東堂は沈黙する。どう応えるのかと目を細めたところで、ポンッ、とメッセージがスクリーンにポップアップされた。

 

『オマエがブラザーを、いや人間を案じるとは、頭でも打ったのか?』

『よしわかったお前はあてにせんこの筋肉達磨』

 

 携帯を閉じて、腰のポーチに押し込む。

 久しぶりに大爆笑したせいで、頬の筋肉が攣りそうだった。

 頬を片手で揉みながら顔を上げれば、横に流れて行く車窓に映る風景は、既に茜色を通り越して群青色に沈んでいる。その群青に、人口の明かりがクラゲのようにぽつぽつと浮いていた。

 その明かり一つ一つには人が生きていて、そう遠くない未来に、この東京という騒がしい街には屍が積み上がり、闇が降りる。

 

 呪術師としては、それを食い止めなければならないのだろう。己の生命と、引き換えにしても。

 その行いにそこまでの意義を感じていなくとも、仕事とはそういうものだから、割り切ってやる。

 呪術師になった以上、泣き言を言うつもりはないのだ。生きられるまでは生きて、手放すときに手放すのが、わたしの生命だ。

 その、人間にしては突き抜けた虚しさは常にわたしの内側にあって、それは多分人間と呪霊が混ざった生き物であるがゆえだろう。

 

 呪霊のように本能のまま人を殺して楽しもうとする衝動は壊れ、人間のように他人と繋がりを求める心は持ち合わせていない。

 混ざり合うはずがない二つを抱えた魂は代わりのように虚無を生んで、わたしはそれを抱えて生きている。

 

 肉を突き破って生えている額の角は、実にわかりやすい異形の証だと思う。

 いっそパンダのように呪骸として生まれ、完璧に人間でないと割り切れば楽な生き方ができると思うのだが、八咫犖の欠片がわたしに割り切ることを許さない。

 第一そこで割り切ってしまうとわたしは恐らく呪霊側に心が傾いて、非術師を大量に殺すことに何らの躊躇いも感じなくなるだろう。

 それはそれで、極端に過ぎる。人の死にざまなど、眠る度に夢の中で見せつけられているのだ。現実の世界において同じ光景を自力で展開するなど、面倒でやってられない。

 

 わたしにも、わたしが何であるかはわかっていないのだ。

 この体を生んだ人間は化け物と呼び、五条悟は生徒と呼び、虎杖たちは先輩と呼び、東堂は同士と呼ぶ。

 別に己の正体に確たる答えが欲しいとは思わないし、他人に定義される必要もない。

 そのようなものがなくとも生きていけるし、他人に用意された答えで満足できるわけもない。

 

 ポーン、と唐突に鳴り響いた電子音で顔を上げる。見れば、電車はわたしが降りるべき駅に止まっていた。

 人をかきわけてホームに降り立てば、秋の気配のする風が吹きつけて来て、首を縮めた。

 高専の方角へ向かうバスに乗り換えて座席に座り、また外を見る。少し遠くなった東京の明かりは、まだ見えていた。

 

 ガラス細工のようなあれを壊さないために最も手っ取り早い最適の方法は、虎杖悠仁を殺すことなのだろう。

 不意にその考えが浮かんで、は、と息を吐いた。ガラスが吐いた息で白く濁る。

 そうすれば少なくとも、宿儺によって死ぬ人間は出ない。というか、わたしが見た予知の夢を五条悟が素直に上へ提出すれば、上はどうでもこうでも虎杖を殺せと騒ぐだろう。

 『くだん』の予言術式は、彼らにとっても本物なのだ。

 完全に特級呪物『くだん』の木乃伊を身に取り込んだわたしの死刑が差し止めにされた理由には、予言を利用したい人間の思惑も多分に絡んでいる。

 

 だから五条悟は、きっと、予知夢を握り潰す。

 無論ある程度は上へ見せるのだろうが、少なくとも宿儺の部分は省く気がした。

 わたしもそれを予想していて、敢えて五条悟にだけすべて渡しているから、仮にこれで予知夢通りに宿儺によって大量に人が死んだ場合、わたしは五条と同罪になるだろう。

 

 正しい人間であればあるほど、子ども一人の生命と数多の生命を天秤にかけた場合、後者を選んで前者を消すはずだ。

 それが、人間たちの崇め奉る正しさだと思う。犠牲を少なくし、多数を守るのだから間違いはない。

 

 しかし、かつてそうやって正しさに押し潰された子どもを、わたしは知っていて同じ正しさで以て虎杖を殺せば、心底軽蔑している八咫の家の者たちと同列になる。

 詰まる所はやりたくなかった。正しくても、やりたくないのだからやらないのだ。

 は、とまた吐いた息で窓ガラスが息で曇る。ふと思いついて、指でぐるぐると渦巻きを描いてみた。

 こんなふうな何かを、夢の中で視た気がしたのだ。

 が、既に輪郭は掴みそこなっていて思い出せなくなっていた。

 産毛が逆立つような禍々しいものだった気がするのだが、わたしの予知夢はすべての未来を網羅しているわけではないし、望むものを望むまま視るような術式ではない。

 これが完全な『くだん』であったならば、もう少し融通が利いたかもしれないのだが、真正の『くだん』は予言してすぐ死ぬ呪霊だから、どの道無理な相談だ。

 

 バスの揺れに身を任せていると、瞼が次第に重くなって来る。

 だがこれで眠れば、またわたしは何がしかの予知夢を視るのだろう。人間が負の感情を爆発させるような、そんな凄惨なものを。

 眠って堪るかと、わたしは自分のこめかみを指で弾いて舌をきつめに噛んだ。

 じんわりと舌の上に辛い血の味が広がって、眠気は霧散する。

 

 閉じた瞼の裏に、何も映らなければいい。

 人の死や悲鳴が映らない、安らかな闇だけをいつか視たい。

 揺蕩うように微睡みながら、意識が無へと還って行くような眠りを味わってみたい。

 

 その願いが叶うことはきっとないのだと、誰よりわたし自身がよくわかっていた。

 

 




pixivのと比べて、大幅な加筆修正をかけています。主に主人公の心情などに関して。

人間に近いけれど、人間じゃない何者かの心を書いてみたかったんです。能う限り丁寧に。

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