では。
「五条君から聞いたんだけど、
今日も今日とて任務の日、仕事先に向かう車の中で話しかけて来た冥冥一級呪術師の言葉に、わたしは首を傾げた。
「一年に、特級呪物の器が入学したじゃないか。どうやら、君とは大分タイプが違う天然もののようだが」
「ん」
長い髪を三つ編みにして顔の前に垂らす独特な髪型の女術師に、わたしは文字を打ち込んだ携帯を見せた。
『虎杖悠仁?』
「そうだよ、その虎杖君だ。で、君から見て彼はどうなんだい?」
『人間をやっている』
わたしの答えに、冥冥は顎に手を添えて考える仕草をした。
「それは確かに君とは違うね。実は五条君に、虎杖君や禪院の子たちを一級呪術師に推薦してほしいと話を聞いてね。君から見て、彼らはどうなのかと思ったんだよ」
『……いくら積まれた?』
「さあ、何のことだい?君が他人に興味を持つのが珍しくて、聞いているだけなんだが」
会話の気配が不穏なことを悟ってから、車を運転する補助監督の伊地知潔高の肩が少しはねた。
呪術師の昇級は、推薦制だ。
一級呪術師に上がるためには、一級呪術師二名からの推薦が必要となる。
推薦されたあとは現役一級か一級並みの術師と共に任務に赴いて、そこで適性有りと判断されれば準一級へ昇格。
そこから一級相当の任務を単独でこなせれば、一級となれる。
呪術師の階級は、実質的に一級が最高位のようなものだ。
最上位は特級だが、あそこは次元が違い過ぎて努力や自力で至れる段階を超越している。
その一級術師に、五条悟が虎杖悠仁たちを至らせようとしているのは、特に驚くことではなかった。
というか禪院の真希のほうなど、明らかに四級以上の実力があるのに実家に阻まれ昇級できていないのだ。それが交流会では特級相手に時間稼ぎに成功したのだから、禪院もいよいよ邪魔をする
呪術師上層部にとって、五条悟の生徒たちが昇級することはこれ以上ないほどの牽制だ。面白そうな話だな、とわたしはひとつ頷いた。
己より下にいる者たちの運命を、いくらでも操作できると思い込んでいるような人間がひっくり返され翻弄されるのは、視ていて愉快になる。
首を傾けていると、冥冥はうっそりと微笑んだ。
「ちなみに、君も昇級査定対象だよ。交流会で特級呪霊を単独で相手にし、呪詛師を一人討伐したんだから、まず妥当なところだね」
『それは、わたしに話していいことか?』
「八咫君は誰かに漏らすタイプじゃないだろう。五条君は私の他に、東堂君を考えているようだったが彼も君とは知り合いだろう」
またあの頭パイナップルが出てくるのかと、先日会話したばかりの一級術師のツラを思い出した。
東堂はともかくとして、口の堅さにかけてわたしほど硬い者はそういないだろう。
言葉が話せないのだから、雑談の中でうっかり漏らすこともまずないし、基本的に己から話も始めない。
目の前にいるこの食えない冥冥とあの東堂に推薦されて一級になったとしたら、任務の難易度が上がるのだろうな、と思う。
死の淵に立てば術式への理解は格段に上がるというから、或いはそういうことも起きるのかもしれないと少し窓の外の空を見上げる。
冥冥のほうは、少し機嫌が良さそうに続けた。
「君が君の術式の理解を深めていけば、まだまだ面白いことができるようになりそうだからね。頑張ってくれ」
「……ん」
そんなことを宣う冥冥の術式は、カラスを操ることだ。
それだけの弱い術式にも思えるが、カラスと彼女は視界を共有でき、わたしが狙撃手をする際にとても便利な観測手となってくれる。索敵にかけては随一だ。
本人の身体能力も高く、術式無しでも問題なく戦えるほどに冥冥は強い。身の丈ほどもある斧を軽々振り回すのだから、膂力は推して知るべしだ。
冥冥にしても、わたしは無駄口を叩かずひたすら目標を殲滅していく楽な仕事相手らしく、時々合同任務を持ってくる。
わたしが金に関心が薄く道理にも頓着しないために、多少冥冥が多く報酬を持って行こうと何も言わないというのも、大いにあるだろう。
冥冥一級呪術師は、とんでもなく金が好きなのだ。
使うのが好きというより、金という概念が好きだとしか思えないほどに。
初対面のときなど、わたしの未来予知術式で株価を予知できないかと真顔で尋ねてきたほどだ。そんな使い道を期待する人間がいると考えたこともなかったわたしには、冥冥の問いはかなりの衝撃だった。
人が死なないからそんなものは予知できないと返せば、金でヒトは生きるし死ぬよ、と真っ直ぐな瞳でこともなげに言うような人間である。
隣にいた弟の憂憂は、そんな姉に拍手を送っていたものだ。
この口ぶりからして、この人間はわたしの術式を金儲けに使うのをまだ諦めていなかったと見える。
確かに、向こう数ヶ月の株価を予知できれば儲けられるのかもしれないが、特級呪物の器を捕まえてそのようなこと頼む輩がいるとは。
冥冥を見ていると、そのうち人が金へ向けた感情から厄介な呪霊が生まれてきそうだと思える。或いは既に生まれているのか。
「ともかく、後輩共々君はこれから忙しくなるだろうね。早く一級に上がっておいで」
「……ん」
冥冥のその一言を待っていたかのように、補助監督の運転する車は止まる。
今回呪霊の発生が確認されたのは、地下の下水処理場施設。こんなところに、一体どのような負の感情が向けられて形を取ったのだろうかと、そう思いながらわたしは車から降りるのだった。
■■■
その日も、いつもと変わり映えしない一日になるはずだった。
普段と少し違っていたのは、その日のわたしが私服のセーターと細身のパンツに着替え、頭の角を隠すベージュのキャスケット帽を被っていたことくらい。
そんなふうに変装したわたしが高専の制服を脱いで単独で向かったのは、渋谷の街だった。
よりにもよってそこか、と思ったのは否めない。
わたしが視たあの大騒動の舞台は、渋谷の街であったからだ。尤も、夢は五条悟にしか提出していないのだから、ただの偶然だろう。
夢の中で、遠からず大量の人間が死ぬ渋谷は、今日も騒がしかった。
幸福そうに前を向いて、或いは不幸せそうに俯いて、たくさんの人間は歩いて行くし、その群れの中に低級の呪いが黒い染みのように混ざっている。
歩きながら、さり気なく呪力を纏わせた靴で踏みつけ手の甲で叩けば、ギ、と小さな悲鳴を残して蠅のような呪いは消えて行く。
こんな木っ端、消したところで何かが変わるわけもないのだが、視界でちらちらされるのは鬱陶しかった。
狙撃銃を構えたとき目の前に出て来られて仕損じたら、笑い話にもならないし。
何たらアベニューの側で適当に見つけた適当なベンチに座り、ぼうっと自販機で買ったココアを飲む。
温いし甘ったるいのに、一度飲むと何故か癖になった。バンホーテンのが特にいい。2月になったらバンホーテンのチョコでも買おうか。自分用に。
そうやってぷらぷら足を振りつつ、人の群れを見ていれば、ふと視界に、見知った長春色の頭が映る。雑踏の中を目立つ頭はひょこひょこと動いていた。
……何をやっているのだろう、虎杖悠仁。
左から右へ歩いて行く虎杖は、わたしの前をまったく気づかず通り過ぎようとして、通り過ぎる寸前で、冗談のようにこっちを向いた。
いやお前、何故そこで探しものを見つけたように笑う?
とたた、と群れの中から器用に抜けた虎杖は、当然のようにわたしの前に立った。
「ラク先輩、こんちゃーっす!何してんの?」
「ん」
何もかにも、任務だった。
その旨書いてみせれば、虎杖はちょっと間考えたふうだった。
「……あのさ、迷惑じゃなかったら、その任務俺もついてっていい?」
「……」
好きにせえと、わたしはベンチの端に移って場所を開け、虎杖は開いた場所にすとんと座った。
こいつのみならず他人の思考回路が読めなくなるのは、結構よくある。予知能力があったところで、何もかもわかるわけじゃない。
にしても最近会話した東堂も冥冥もこいつ絡みのことを尋ねて来ていたところに、本人が登場したのだから、そういう巡り合わせのような気がして、帽子のつばを少し引っ張り下ろす。
未来予知式を持っておきながら、偶然に振り回されるなんてお笑い草だ。
どっちみち今日の虎杖は私服のズボンにパーカーで、頃合いが良いと自分を納得させる。だがこいつ思い返せば制服もパーカー付きに改造していたし、パーカー好きなのだろうか。
『呪詛師を探している。渋谷駅周辺で目撃情報が上がったから、見ていた』
『オッケー。どんな見た目?』
『身長百八十前後、年齢五十絡みの中肉中背の男。説明しづらい外見だから、わたしが見つける』
『そいつ見つけたら、どうすんの?』
『追う』
『わかった』
渋谷を抜けるバスを見ながら、スマホで話す。
傍から見れば、バス停近くのベンチに隣り合わせで座りながらスマホを弄る、今時の若者だろう。
交流会に現れたような、ひとごろしを
術式がわたしにそうさせているのか、直感に頼るような人探しをわたしがやれば、九分九厘で正解に行き当たる。だからこういう任務は、よく回される。
銀色の鰯の群れのように流れて行く人の群れを、座ったまま見やる。時計の針が二周、三周していく。
老いも若きも子どもも誰も彼もが、波に乗った木の葉のように流れて行って、その中に唐突にぽつんと、墨汁を垂らしたような染みが見えた。
『いた。1番バス停の看板左側』
虎杖は、軽く頷いた。
呪詛師は一見、普通の男だ。上背はあるが特徴はそれくらいで、毒気の無い顔をしている。
白い開襟シャツにジャケットと黒のズボンを合わせた身なりは、整えられて品がある。手首には金時計が光っており、まるきり普通か、やや裕福そうな中年男に見える。
それでも、あれが呪詛師だ。
呪詛師が視界の端に行ったところで、わたしは虎杖の腕を引いて立ち上がった。
目立たないよう気づかれぬよう、数メートル間を開けて歩く。人の波が切れ始める方向へ歩いてゆく姿を見失わないよう、術式を回し続けて辿り着いたのは、人の気配が薄れた裏路地。
路地に入る手前で、わたしは虎杖の手を離して指で合図した。裏に回れ、と。
虎杖は頷いて姿を消し、わたしは路地に足を踏み入れる。敢えて足音を立て、高めた呪力の気配を纏ったわたしに、さすがに気づいたのだろう。
路地を歩いていた男は、弾かれたように振り返った。
「呪術高専か!」
答える代わりに帽子を取って角を見せれば、相手が顔を引きつらせた。
「ッ、角付きか!くそが!」
半身をずらし構える現実の相手に被さって、術式を行使する未来の幻が見える。わたしの影に向かって、針を飛ばす姿だ。影を攻撃して、本体の動きを止める類の術式だろう。
帽子を相手の顔面目掛けて投げつつ、右斜め後ろに一歩跳び退り間合いを外す。と同時、わたしの手に召喚されたのは、二丁の拳銃。
呪力のみの弾が四発、男の額に命中した。
そのまま後方に気絶した男が倒れるが、同時にわたしの頭上のビルの窓が開き、ナイフを構えたもう一人の男がわたしの脳天を串刺しにせんと、跳び下りて来る。
「あっぶねぇ!」
だが、横合いから文字通り跳んで来た虎杖の膝蹴りが、ナイフの男の頬に空中で突き刺さって吹き飛ばした。錐揉み回転してアスファルトに叩きつけられた男は、白目を剥いて完璧に気絶。
男のナイフを拾い上げてから、よし、とわたしは頷いた。
「先輩!怪我ないか?」
くるっと宙で回転し、猫のように着地を決めた虎杖はすぐ駆け寄って来て、わたしが親指を立てればほっと頬を緩めた。
「二人目がいるって、わかってた?」
「ん」
わたしに、視えていないはずがない。
だからこそ上で待ち伏せる男の速度が、わたしでは反応がぎりぎりなのもわかっていた。多分、加速系の術式持ちなのだろう。
だが同時に、路地の反対に回らせた虎杖の跳び蹴りが間に合うことも測れていたから、何もしなかった。
「呪詛師って、この二人だけで終わり?」
「ん」
わたしの任務は、この二人組の呪詛師の捕縛または討伐だったからこれだけだ。
あとは高専に連絡して、回収班が来るのを待つだけ。真昼間の取り物としては、すんなり終われたほうだった。
呪詛の道具らしい針やナイフを剥ぎ取り、腰のポーチに入れていた呪力封じの手錠でとっとと拘束し、路地裏のゴミ箱の影に気絶した男二人を転がす。
拘束を終えて辺りを見渡せば、目くらましで投げた帽子は、残念ながらつばを切られていた。布がたっぷりしていて、結構気に入ってたのに。
拾い上げて手で払い頭に被り直したところで、虎杖と目が合う。
「ん?」
「や、手慣れてんなって。俺、邪魔になっとらん?」
「……ん」
こちとらお前の蹴りをアテにして未来図を描いたのだが、とわたしは腕を組んだ。
虎杖が来なければ、多分距離を取って狙撃していただろうし、その場合こいつらは死んでいた。
呪詛師は殺してもいいのだ。捕縛のほうが推奨されるが、あくまで推奨程度。無理なら殺しても咎められない。
呪術師に非ずんば人に非ずが呪術界上層部の総意のようなものだし、わたしも特に気にならない。
何にしても、後輩の介入のお陰で呼ぶのが死体回収班から、護送班になったのは確かだった。
『そっちは今日休みだろう。ここはもう大丈夫だから、遊んできたらどうだ?腹減ったろう』
『先輩はどうすんの?』
『回収班が来るまで待機。五分そこらすれば来る』
『じゃ俺も待ってる。その後、どっか遊びに行ける?』
は、と息を吐いていた。
誰と誰がだ。誰と誰が。
思わず、スマホの画面から顔を上げてしまう。割合真面目な顔の、虎杖と視線が合う。
『お前とわたしでか?』
『うん』
『報告書があるから今日は無理だ』
たちまち、ショボンヌと文字の入った犬のスタンプが来る。送った当人も、あからさまに眉が下がっていた。
気づけば、わたしの指は言葉を送っていた。
『明日なら空いている』
「マジで?」
『帽子を買いに行く必要がある。街には出る。お前、任務は?』
「ない!」
さっきの針持ち呪詛師の攻撃で、キャスケット帽はつばがぱっくり割れていた。まともな帽子がないと、わたしは角が目立って街に行けないのだ。
思わず声を出してしまったらしい虎杖は、またぽちぽちとメッセージを送って来た。
『ラク先輩って、普段どんなことして遊んでんの?東京長いんだよね。ザギンでシースーとかもうやった?』
『不忍池の洋食屋なら行った』
『しっぶっ』
『あんだと』
何故わたしは、すんなり他人と会う約束を結んだんだと我に返ったのは、補助監督の運転する護送車が来てからのことだった。
■■■
結局、キャスケット帽子は浅草雷門周辺の店で買い求めた。
用事が済んだのは昼下がりで、腹が減る。わたしはあんまんを買い、虎杖はメンチカツと肉まんを齧っていた。
「これうんまいね!マジうまい!」
「ん」
伏黒や釘崎へのお土産にするのだと人形焼きを買い込む虎杖の背中を、あんまん齧りながら眺める。
屋台から出てきた虎杖は、こちらを見下ろしてにっかり笑った。
「この辺、今度伏黒たちとも来たいなぁ。教えてくれてあんがと!」
「……ん」
「つーか先輩もよく食うね。たい焼き三個目にあんまん四個目だろ。あ、もしかして、五条先生みたく術式で頭回すから甘いもん食ってんの?」
「ん」
「そっかー」
虎杖はよく食い、よく喋った。
交流会の後、こいつ含めた一年三人は任務に赴き、伏黒や釘崎たちと特級相当の呪霊を祓ったという。着実に強くなっているのだ。
中身も多分、変わっている。砥がれ鋭くなり、呪術師らしくなったと言うべきなのだ。
『お前の用事はなんだ?』
わたしが尋ねたのは、雷門から御徒町の方へ抜け、不忍池へ辿り着いたときだ。
とうに花を落とした蓮池に浮かぶ弁天堂に目を輝かせていた虎杖は、わたしが見せたスマートフォンの画面に少し表情を凍らせた。
池を眺めるベンチに並んで座り、互いのスマートフォンを見る。
『聞きたいことがあるなら、聞けばどうだ?』
ぐ、と虎杖は喉が詰まったような音を出した。今更肉まんの皮が詰まったのだろうか。
『先輩が、呪物を飲んだときのことが聞きたいんだ。だけど聞いていい話かな、それって』
『人に吹聴しないなら』
『しない』
『わかった。何が知りたい?』
『あ、先に俺が言ったほうがいい?ラク先輩のその、領域に踏み込む話だろ』
『お前の事情は、頼んでもないのに勝手にしゃべくった五条から聞いてる。伏黒恵と、前の学校の先輩を助けようとして指を食ったんだろう』
人助けで呪物を飲んだ阿呆、と聞いたときには思ったものだ。
一拍置いてから、わたしは文字で話し始めた。
『
人の頭に牛の体の異形の干物は、七つに切り分けられていた。一度にすべて食えば人格を壊すかもしれないと、七年もかけたのだ。
結局、食い終えたその瞬間に八咫犖は決定的に崩壊したのだが、兆しは五歳の時点で出ていた。
恐ろしいならば、やめればよかったのだ。けれど、八咫犖という娘にとっては呪物を飲む恐怖よりも、親に見捨てられる恐怖が勝った。
彼女は呪物を体に収めて壊れ、その残骸からわたしが生まれた。
『八咫犖の魂や心は、十一歳の時点で壊れている。この私は、八咫犖と呪霊のくだんが混ざった魂だ。だから、人でも呪いでもない。私にも、私のことはよくわからない』
『魂が混ざるなんてこと、あんの?』
『あったから私が生まれた。何故生きていられるかはわからない。普通なら、私のような状態は死んでいるらしい』
わたしにとって八咫犖の記憶は、別人の物語だ。中身を知っていても、実感がない。
個人的には、愚かな子どもだと思う。
呪霊を見る能力すらろくになかったくせに、親に愛してほしくて、褒めてほしくて、呪物を飲むことで人を助けられると言う親を信じて、己の魂の輪郭を失った。
あれとわたしは、同じ体を使う地続きの他人だ。
あれの『死』を以て、わたしが生まれたのだから。
『お前と宿儺は根が別れているから、同じことにはならないだろう。一度に、大量の指を食べるようなことをしない限り、お前は体の主導権も握っているようだし』
「……そんなことしねぇよ」
『お前がせずとも、ツギハギの呪霊が宿儺の指を高専から奪った。集めた指を、お前に無理やり食わせる可能性はある』
高専から呪物が奪われた話は伏せられているのだが、勝手に話すことにした。話の成り行き上とはいえ、わたしに話した五条が悪い。
『私がくだんを食い終えたのに処刑されていないのは、くだんは宿儺ほど凶暴ではないし、私に無差別な攻撃性はないと判断されたからだ』
それでも呪物の器を消したい人間は八咫の当主夫妻筆頭に幾らかいるが、少なくとも秘匿死刑は免れている。
言葉の途切れ目に無遠慮に現れたのは、虎杖の頬に開いた口だった。
「畜生風情がほざくではないか。貴様の生誕は、即ち世に災いが降りかかる予兆だろう」
話を見ていたのかと、宿儺に目をやる。つまらぬ話だと、だんまりを決め込んでいると思っていたのに。案外暇なのか。
「戦に病、飢饉に天災と、どれだけの凶事を招いた?禍つ事を招く牛の眼が。小僧と同じく、その生き様を以て人間を殺────」
「黙れ」
気がついたら、手が出ていた。
乾いた音が虎杖の頬に炸裂し、わたしは平手を振り抜いたまま固まる。やってしまった。
瞬間、凄まじい痛みがこめかみから後頭部にかけて走り、思わず頭を押さえて膝の上に半身を折って伏せた。
「ラク先輩!?」
「ん」
虎杖が慌てたようにわたしの肩を揺するが、これは言葉を発したことによる頭痛で、宿儺に何かされたわけではない。
一言話した程度で、小さなマサカリに、脳味噌をザクザク切り刻まれるような痛みを味わうだけだ。
言葉を封じ呪力を高めるためとはいえ、こんなものを頭に仕込む八咫の宗家は永劫に苦しめよと、呪詛を思う。
『すまん。ビンタした』
「いや俺は平気。ラク先輩今、宿儺殴ろうとした?」
『だってうるさいから』
宿儺の口を叩こうとして、当然のように虎杖の頬を張ってしまったのだ。
わたしだって、逆鱗に触れられたら言葉も出る。話せるならば、話したいのだ。
『お前、前の任務で何かあったんだろう。そこにいた特級が、宿儺の指を持っていたと聞いたぞ』
『何かあって、私と話をしたくなったなら、それを話せ』
沈黙した後、訥々と、虎杖の指が文字を記していった。
指を虎杖が食い、両面宿儺が受肉を果たして以来、他の指が目覚めていたこと。
指として切り分けられた宿儺の魂が目覚め、共振し、呪霊を呼び、呪いを放ち、人が死ぬ原因となっているだろうこと。
それを、以前の任務で宿儺から知らされたこと。
そして、すべて伏黒恵と釘崎野薔薇には告げていないこと。
だから、同じように特級呪物を飲んだわたしの話を、ふと聞きたくなったのだろう。
虎杖が話し終える頃には、風が冷たくなっていた。
確かに宿儺が嘲笑ったように虎杖が生きている限り宿儺の残りの指は共振し、より強力になる。
その過程で、人は死ぬ。それは確かだ。
正しい死を人に与えるために呪術師になったという虎杖が生きる限り、宿儺の呪いで誰かが死ぬ。
己に体を明け渡さない虎杖を忌々しく思う呪いの王が、嗤うわけだ。お陰で身の程知らずにもビンタしてしまった。
次に会ったら、殺されそうな蛮行だった。久しぶりにやらかした。
『それでも俺は呪術師だから、呪いは祓う。宿儺の指も全部食う。だけどごめん、気づいたら先輩に話しかけちまってた』
『誰かに話をするくらいは、構わないだろう。私は、お前に何かをしてはやれないが』
『や、聞いてくれただけで十分ってか。十分すぎるよ』
真昼間、太陽の下で見せていた快活な笑顔ではない、薄暮のような笑みを虎杖は溢した。
人が死ぬこと、生きること、殺すこと、殺されることに、わたしは答えなど求めていないし、正しさがあると考えたこともない。
わたしは生きるために殺すし、いつか誰かに殺される。生死で単純に割り切った生命に虚しさはあれど、それでいいと思っている。
己が生きるために呪霊を祓って、呪詛師を殺すのみであり、顔も覚えない誰かに幸福な生や正しい死を施すためではない。
結果としてそうなっていても、それはただの副産物であり、逐一目など向けない。
わたしが生きているだけで苦しむであろう、八咫夫婦の顔がちらと過る。
彼らには当然の報いだが、宿儺の指の呪いで死ぬる人間は違うだろう。
だから宿儺が嗤い、虎杖は瞳に虚空を映す。
呪術師に悔いのない死はないという、誰かの言葉を思い出した。
『お前も私も、呪術師だ。そして、他の何者にもなれない。今更だがな』
呪物の器がこの道から降りるときは、死ぬときのみだ。
呪いを宿した人間がそれでも人間に留まりたいのであれば、走り続けるしかない。前へ、前へと。
わたしは、自分を人間と思ったことはないけれど、虎杖は違うのだろう。
『血肉となったものは吐き出せないし、背負った荷も下ろせない。できるのは、分かち合ってくれる人間を増やすことだけだろう』
『それは』
『他人のも少し背負って、お互いに持って、歩けばいい。預けず、足を止めずに。お前、腕力あるんだからそれくらいできる』
こいつは己の一番の重荷を決して人には明け渡さないだろうし、行くとなれば地獄へはひとりで行くだろう。道連れにするならば、両面宿儺だけだ。
それでも誰かがいれば、伏黒や野薔薇や、ぎりぎりで五条がいれば、その旅路が明るくはなろう。
行きつく先が地獄でも、そこへ至る道中を明かりで照らしてはならない決まりは、存在しないから。
虎杖悠仁が本当に一人になって地獄に行くそのときにも、誰かと共にいられた記憶は灯火にはなる。
人間は、他人の中に見つける己と、生きていくものだから。
しかしわたしがあれこれと言ったところで、決めるのも、歩くのも虎杖だ。
わたしにはわたしの、虎杖には虎杖の道があって、多分それは交わっていないし寄り添ってもいない。
虎杖の指が動いたのは、だいぶ後になってからだった。
『腕力の問題なんかな、それ』
『さあな』
『意外と適当じゃん』
『今更気づいたか』
『だけど、ありがと』
指が一度、止まった。
『ありがとな、ラク先輩。いっつも、俺にさ、色んな事教えてくれて』
それを書いた虎杖の顔を、わたしは見なかった。
見ないまま、喋る。
『言われるほど何か教えた覚えがない』
『いやいやいや、いやいやいやいやいやいや、呪術のこととか細かいこととか、あと何か他にも色々教えてくれてっしめっちゃ感謝してるからね俺!?』
『((^0_0^))』
『どういう気持ちの顔それ!?』
『適当に選んだ』
『雑い!先輩ちょくちょく雑いよ!』
『そしてお前はうるさいな。文字だけでうるさいとはどういうことだ?』
『(; ・`д・´)』
『お前も顔文字使ってるじゃないか。なんだそれは』
『今の俺の気持ち』
『読めん』
『読んでよ!?』
プツン、とスマートフォンの画面を切ってベンチから立ち上がる。日が落ちれば、池を渡る風はたちまち冷たくなる。
ここに居続けては、風邪をひく。互いに人より多少頑丈な呪物の器だとしても、寒いのは嫌だろう。
「ん」
「わかった。帰ろっか」
高専の方角へ顎をしゃくれば、虎杖はぴょんとベンチから弾みをつけて飛び降りた。
既に十月半ば。鶴瓶落としの秋の空には薄紫の闇が忍び寄って行った。
「結構遅くなっちまったなー。先輩、飯食って帰らね?話聞いてくれたし、奢るよ」
「んー」
「高専の食堂がいいって?あ、それなら、コンビニ寄っていい?ちょっと買い足したいもんあるから」
寄り道でも何でも構わないと頷いて、わたしは帰路へ足を向けたのだった。
心が人間でない主人公のズレを感じ取って頂ければ、幸いです。
また、交流会で主人公が殺害した呪詛師は重面春太です。『幸運を放出する』術者は、未来視によって可能性を潰せる主人公には相性のよい敵だったと思います…。
ちなみに主人公の身長は、角を抜いた状態で165センチあるかなしです。