無明の獣に孔穿つ   作:はたけのなすび

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では。


5話

 

 

 ハロウィーンは、唯一わたしが煩わされない人間の祭りだ。

 どういうことかと言えば、彼の日にこの国の人間たちは揃って孔雀のように派手な仮装に身を包むからだ。

 最近は、雌の鴨のように地味な装いを敢えて行う仮装もあるらしいが、それでもまだほとんどの人間は常と違う派手な服装で身を飾って街に繰り出す。

 

 要するに、その仮装集団の中に紛れていたらわたしの角も目立たないという、ただそれだけのことなのだ。

 帽子を被って身を隠さずとも、そのまま歩いておれば何も言われずに済むし、何なら銃を出していてもよくできた玩具として見逃されてしまう。

 場合によっては呪霊すら、ただのおかしなバケモノの仮装だと流されるのかもしれない。勿論、人に襲いかからねばの話だが。

 この国の人間は、ハロウィーンの祭りの原型が何であったかなどさほど気にせず、ただ仮装して遊び戯ることができればそれで満足なのだ。祭りという理由がなければ己を解放できない辺りが、日の本の人間らしいと言うか、何と言うか。

 

 だがその仮装祭りのお陰で、わたしの視た予知夢の日付は特定できたのだ。

 

「先だって、八咫犖準一級呪術師の『予知夢式』が10月31日の渋谷にて呪霊による大規模テロの発生を予知しました。よって当日の渋谷において、渋谷近辺の閉鎖を要請します」

 

 鶴の一声ならぬ、五条の一声だ。

 彼言うところの『腐ったミカン』、つまり現呪術界のお偉方との会合で彼が言い放った一言は、たちまち喧々囂々と議論を呼んだ。

 今は準一級呪術師だが、わたしも元をただせば秘匿死刑が停止されているだけの特級呪物の器。

 そのような輩の言うことを信じて良いのか、そもそも信じられるのか、否『くだん(じゅう)』に攻撃性がないことは確認されているのだから云々と、五条の半歩後ろに控えて会議を傍観しているわたしの前で、とんでもなく喧しい議論が展開された。夏場、死体に集った蝿の音よりうるさい声だ。

 重大な予知夢だからと術者のわたしを無理やり召喚したというのに、彼らにわたしの言葉を聞く気はないのだ。

 

「失礼ながら、こと予知夢式に関して八咫が虚偽を述べることはあり得ません。その縛りに関しては、皆様承知と思いますが」

 

 五条の擁護が入っても、なかなか場は静まらない。

 結局のところ、渋谷近辺の完全封鎖ではなく仮装の祭り(ハロウィーン)の中止しか認められん、という顔の見えないご老人たちの見解を聞いたときは、わたしは完全に彼らを白い眼で見ていた。

 今日はいつもと異なり黒いスーツを着ているが、首に巻いたネクタイを急にきつく感じる。

 たかが街一つを閉ざせば人が死ぬのを減らせるというのに、やはりこいつらは信じない。

 年齢的に青二才である五条が気に食わない、呪物の器であるわたしへの嫌悪感が拭えない、そもそも予知夢式を信じていない、などなど理由は選り取り見取りでいくらでも思いつけたが、とにかく五条が望んでいたように、神無月の夜に渋谷から一般人を排することはできなくなってしまった。

 五条が忍耐力を総動員して粘っても駄目だった上、もしこれで何事も起きなければ『くだん獣』の死刑停止の処遇を改めるとまで条件を出してくる始末だ。

 何事かが起きれば五条悟の責任にして、何事も起きずとも『くだんの器』のせいにできる、ということらしい。

 

 お偉方との集まりの場を抜けた途端に、五条悟は盛大な舌打ちをかました。

 今日はいつもの目隠しではなく、丸窓のようなサングラスによって視線を遮っているため、澄み切った碧眼が常よりはよく見える。

 それなりに格調高く苔生した寺院の中を通り抜けながら、五条は空を仰いだ。

 

「ごめんね、ラク、疲れたろ。……そんで予想はしてたけど、やっぱムカつくねあいつら。ま、ハロウィーンの客を追い出せるだけでもマシだけど」

「……」

「しかもさ、あいつらの中に呪霊たちと通じてるやつがいるかもしれないんだよね。あーもうホント、歳食っても僕は絶対ああはなりたくないね」

「ん」

「昔話とかでさ、なーんでこいつら予言されてんのに間違ったことばっかりやって破滅するんだろうって思ってたけど、アイツら見てると本当にそう思う。それとも、人類史始まりしころからそういうもんなのかな」

 

 確かに、紀元の最初にまで遡れば、わたしのような未来予知や予言能力を持つ者は人間の中にもいただろう。呪霊の『くだん』とて一匹ではないのだ。

 だがきっと、彼らの忠告が正しく活かされたことはなかったと思う。若しくは、予知能力そのものに欠陥があったか。

 

『人間は、悲惨な未来を信じたくなかろう。人は未来に望みがあると信じて生きるものだから』

 

 先を歩く五条悟の前に携帯を出して画面を見せれば、長身を折るようにして覗き込んで来た。蒼い瞳を細めて、五条は軽くかぶりを振る。

 

「ラク、それは諦めだよ。信じたくなくても、僕たちは未来から目を逸らしちゃ駄目なんだからさ」

「……」

 

 呪術界の未来を変えるために教職を選び、仲間を育てようとしている男らしい返答だった。

 しかしこの男は、あの虐殺の夢の中で姿を視せていない。

 つまり、十月三十一日までに殺されているか、或いは行動不能になっていると考えられる。

 それは、五条悟本人にも予想できていることだ。

 

 こいつが戦闘不能になる未来はどうにも想像できないけれど、もしそうなれば、悲惨なことになる人間は多いだろう。

 日本の呪術界の未来が、完全にあの『腐ったミカン』たちの手に委ねられるのだから。

 なれば完全に呪術師高専の生徒たちの未来が閉ざされてしまうな、と首を傾けた。

 

 ざっと雑に予想しても、先日謀殺されて蘇ったばかりの虎杖はまず間違いなく死刑だろう。

 わたしは死刑か、または予言能力だけを吐き出す道具になる。伏黒恵は禪院家に引きずり込まれて、今は『若人から青春を奪ってはならない』という五条の信念で護られている学生たちも、任務に次々と就かされる。恐らく、危険度を鑑みない任務に。

 五条悟の息のかかった生徒だからという、それだけの理由で不必要な死の危険に晒される。

 呪術高専東京校の学長の夜蛾だとて、責任を取らされるだろう。

 

 それのみならず、五条悟がいるからこそ潜んでいる呪術師や呪霊たちも、続々と湧き出すはずだ。

 人間にとってつらい時代になることは、簡単に予想できた。

 あのご老人たちも、死にたくないならばさっさと五条に権力を渡して引き籠ればいいのに。

 どうせ二十年も経てばほとんどは墓の下だし、あいつらが束になってかかっても、単純な戦闘能力では五条に敵わないのだから。

 強いものに従うという野生の獣のルールを、霊長の頂点にも適応すればよいのではないか。生存のための最適解を選べば生きられるのに、どうしてそうしないのだか。

 それをわからないと思うのは、わたしが人間でないからか、それとも経験が浅いからなのか、どちらなのだろう。

 歩きながら、尚も五条は話しかけてきた。

 

「ていうかさ、ラクは未来、信じてないの?」

『私が何から生まれた呪霊か忘れたのか』

「ラクこそ、自分が呪霊じゃないってこと忘れてるでしょう」

『私は別に人間でもない』

 

 人間と呪霊が、混ざっている。

 呪霊の本能は壊れ、人間の心も壊れているから、わたしはどちらにもつかない。むしろ、つけない。

 つかないけれど、割合そこのところはどうでもいいのだ。

 とりあえず今は、意味もないのにやたらと人を殺して耳障りな悲鳴を奏でて屍を積み上げる、()()()の味方はしたくないというだけだ。人を殺しても、楽しくもなんともない。必要であればする、というだけだ。

 うるさい視線を感じて見上げれば、五条悟は黒いガラスの奥でにんまり目を細めていた。

 

「うんうん、思春期だよね」

『こんなけったいな思春期がいて堪るか。そういうのは虎杖に言え』

「何でそこで悠仁?やっぱりかわいい後輩になった?」

『オマエ、うざいぞ』

「まさに思春期の女子高生みたいな返事だよね~、それ」

 

 けらけらと一頻り笑ってから、五条はサングラスを外していつもの黒の目隠しを嵌めた。

 

「あー、頭使ったから疲れたぁ。ラク、パフェ奢るから食べて帰ろ」

『いえ、お構いなく』

「急に丁寧になるのウケるんだけど。まあ、若いのは遠慮せずに奢られなさい。大丈夫だから、さ」

『いやほんとうにおかまいなく』 

 

 遠慮しているのではなく、甘党の五条悟の食べっぷりを見ているだけで腹一杯になるから本気で要らないのだ。漢字変換が追いつかないくらいには。

 だが、人を待たずにさっさと先を歩く現代最強は既に話を聞いちゃおらず、わたしはため息をひとつ落としてその後を追いかけた。

 

 交流会が行われるより前の話である。

 あのときのことを思い出せば、いつも思う。大丈夫というその言葉を、わたし自身が心の底から信じられるならまだよかったのだが、と。

 

 

 

 

 

 

■■■

 

 

 

 

 

 

 崩壊の夢に現実が追いつくのは、あっという間だった。 

 十月最後の夜、渋谷駅を中心に突如帳が下り、非術師たちが閉じ込められた。

 ハロウィーンを閉ざしたから常より人は少ないはずだが、それでもこの国の首都である。相当な人間が、帳内に幽閉されてしまった。

 

 外れたほうが良かったかもしれないわたしの夢は、こうして現実のものとして始まったのだ。

 

 渋谷駅周辺に閉じ込められた彼らは口々に帳を叩いて「五条悟を連れてこい」と喚き、その要求を飲む形で五条悟が単独で渋谷駅に入った。

 その渋谷の周辺に、呪術高専の生徒のみならず、七海や冥冥、日下部たちの一級術師、特別一級術師たる禪院家当主までもが展開された。ある意味での総力戦だ。

 尤も、五条以外の戦力は待機の命令が出た。

 上の決定により、被害を抑えるためだからとまずは五条悟単騎での渋谷の平定を目指すらしい。五条がしくじったと判断されれば、わたしたちも投入される運びとなるのだ。

 

「五条先生のバックアップってことなんだよね、俺たちは」

「そうだね。だが、これだけの帳を下ろせるということは、相手には相当結界術に長けた者がいる。だからこそ、私たちまで招集されたんだろう」

 

 虎杖とわたしの前で淡々と述べるのは、先日も任務を共にした冥冥である。今回は弟の憂憂も伴っての参戦であり、本気の度合いが伺えた。

 

「私と憂憂、虎杖君で一班を組むことになっている。八咫君はここでのブリーフィングを終えた後、渋谷駅周辺へ単独で移動して狙撃手に徹するようにとのことだが、大丈夫かい?」

「ん」

「あれ、ラク先輩は入らんの?」

「彼女の能力なら、狙撃手に徹させたほうがいいんだよ。今回は私の鳥たちは回せないし補助監督も方々で立ち回っているから、一人での狙撃になるだろうけど。階級的に問題はないだろう」

「ん」

 

 無論特に問題はない、と親指を立てて冥冥に答える。

 一方の虎杖は、目を丸くしていた。

 

「へー……先輩ってホントにガチで狙撃手だったんだ」

「そうですよ。知らなかったのですか?」

 

 憂憂の一言に、虎杖は頭をかいた。

 

「や、俺前まで訓練でラク先輩によく投げられてたから、狙撃してるイメージあんまなかったんだわ。この前呪詛師と戦ったときも、普通に近づいて拳銃使ってたし」

「ほう」

「ん」

 

 興味深げに冥冥が頷いたが、それは、交流会前までの話だ。

 あのころならともかく、東堂と戦い、特級と戦って経験を積んだ虎杖に、殴る蹴る投げるで勝てる自信はさすがにない。術式の関係上、ひたすら逃げ回ることはできるにしても。

 

「先輩、気をつけてね」

「ん」

 

 お前もな、と手を軽く振る。

 そうやって中途で虎杖や冥冥と別れて、わたしが配置されたのは渋谷駅を見下ろせるビルの屋上だ。狙撃銃を手元へ召喚し、いつでも始められるように構えて、待つ。

 

 だが一向に帳は上がらず、状況は動かなかった。

 どうしたのかと周辺に待機したわたしたち呪術師が訝しみ始めたところで、渋谷駅の周りに突如として改造人間が溢れ、一般人を襲い始めたのだ。

 

 奇妙に落ちついたまま、わたしは彼らの脳天に銃弾を撃ち込む。

 スーツを着た女を食おうとしている薄紫の六つ足の化物、金髪男の腕に噛みつく寸前の餓鬼のように腹の膨れた異形のもの。そんな彼らを、次々殺していく。

 改造人間たちに対し、非術者たちは羊の群れのように逃げ回るばかりだ。

 あれらは元々人間だから、視る力のない非術師たちの眼にも映ってしまう。想像を絶するような化物を前にして、悲鳴を上げて動ける人間はまだマシだ。

 腰が抜けたように動けなくなっている者、立って固まって何もできない者。皆、良い餌である。

 わたしにできることは、ひたすらに予知して撃つだけだ。それでもどうしても、すべての人間は助けられない。他の術師も立ち回っているが、如何せん数が多すぎた。

 

 だから、だからこの街ごと人の流れを絶てばよかったのだ。

 次々と、塵が払われるように人が死んでいくこの街に訪れてすらいない呪術界の上層部たち。その御簾越しの、ぼんやりした影の姿を思い出した。彼らはこの後どうするのだろう、とも。

 

 わたしたち呪術師側にとって、最悪の知らせが齎されたのは交戦を始めてどれだけ経った頃だろうか。

 

「五条先生がぁ、封印されたんだけどーーーー!」 

 

 夜の闇を突き抜けて響き渡ったのは、虎杖悠仁の声である。

 狙撃銃につけていた頬を思わず離し、声のした方を見る。どこかの屋上から声を張り上げて叫んだらしい虎杖本人の姿は、ビルに隠れて見えなかった。

 

 あいつが知らせたのは、五条悟の封印。

 殺害でなく封印ならばまだマシだと、咄嗟に思った。

 絶望的であっても、死んでないならばまだ何とかなる。あの人間最強をどう封印したのかは見当もつかなかったが、全能でない以上何かで付け入られたのだろう。

 あれだけ言っていたくせに、よくもやられやがったなあの大馬鹿野郎と思う反面、やはりという思いもあった。

 

 予知が、大きくずれたことはない。

 

 どれだけ惨くとも、どれだけ酷くとも、嘘だと思いたくとも、わたしの視たものは現実になって来た。

 『くだん』の術式が視せるのは起こるべくして起こる未来だからと、ある意味でわたしはやけに落ち着いていて、諦めてもいた。

 不気味なくらいに。

 

 スコープをつけていない狙撃銃を構え、機械のように改造人間を殺して殺して、殺して殺す。

 五条悟を救おうとする呪術師たちが渋谷駅へ入れるように、ただ殺す。

 そうやって、何体も何体も何人も何人も屍を重ねて行って、ふ、と手を止めた。

 わたしが殺した改造人間の死体の山と、夢の映像が重なる。

 虎杖の体を使った宿儺が、もう程なくこの街で人々を殺す夢。経緯はわからずまだ起きてもいないけれど、このままでは起きるだろう未来だ。

 建物ごと人間が消し飛ばされた更地の縁に立つ、あの後輩の姿を思い浮かべた。

 

 ぐるり、と頭の中で何かが回る。

 走馬灯のようにぐるりぐるりと、記憶の蓋が緩んで過去が飛び出す。

 ほんの数カ月を過ごした少年の笑った顔が、くっきりと見えていた。

 

 未来は、変えられない。

 わたしはずっとそう思って生きて来た。

 だからこの先に待つのは、何の輝きもない未来だ。

 

 ─────本当に、そうなのだろうか。

 

 ざり、と胸の奥が削れる音がした。

 

 強張った指を引き金から一度離して、わたしは空を見上げた。

 帳に包まれた空は闇一色で、何も見えない。

 わたしの見たいものはいつも見えなくて、見たくないものばかりがよく視える。

 それが嫌ならば、己で見たいものを掴みに行くしかない。

 銃把をきつく握りしめてから、わたしは闇から目を逸らした。狙撃銃を消して、屋上のコンクリートを蹴って柵を飛び越えて宙に身を投げ出す。看板を次々足場にして衝撃を殺し、地面に降り立った。

 呪術師の誰かに声をかけられたが、誰かと確かめることもせずに走り出した。

 向かう先は渋谷駅。虎杖が向かったであろう方角だった。

 行く手を阻む改造人間を撃ち殺しながら、走る。

 

 走りながら、考えた。

 どうしてわたしは走っているのだろう。虎杖悠仁を、探そうとしているのだろう。

 あいつに、人殺しをさせたくないからだろうか。

 もう何人も殺めているわたしが、大して痛痒を感じず引き金を引けるわたしが、そんなことで走るのだろうか。

 

 わからないままに、ただ走る。

 死の気配と血の臭いに満ちた、駅の中を。焦燥感に駆られながら、せきたてられるようにして。

 こんなに必死になったことは、生まれて来てから初めてだった。

 人探しは、得意だから。己でも理解しないまま縁を探すことが、わたしにはできるから。

 

 そうやって見つけたとき、わたしは叫んでいた。

 頭を抉る痛みを、忘れるほどに絶叫していた。

 

「虎杖!」

 

 今しも、額づく黒髪の少女へ術式を向け放とうとしていた虎杖がこちらを見る。

 その顔には、腕には、あいつにまったく似合わない入れ墨のような刻印が、黒々と刻まれていた。

 にんまりと、虎杖がおよそ浮かべない笑みをそいつが浮かべる。

 知っているはずの体から放たれる恐怖と呪力の圧に、潰されそうになった。呼吸が浅く、荒くなり。全身の肌が粟立つ。

 今すぐ逃げろと、目の前のこの人の形をした暴威から隠れろと、本能が吠えている。

 

 それでもわたしは、ここから動きたくなかった。

 

「貴様か、予言の獣。小僧を探しに来たのか?」

 

 今しも殺そうとしていた少女から視線を外し、宿儺が、虎杖の体を使った両面宿儺が嗤っていた。

 恐怖で狭まる視界を気力をかき集めて広げ辺りを伺えば、ここには見知らぬ少女が二人に、数ヶ月前五条を襲ったというひとつ目の呪霊が一体いた。頭の上が、火山のような形になっている。

 その三名ともが、膝をついていた。宿儺に許しでも請うように。

 宿儺が、片手を微かに持ち上げる。

 

「獣畜生となれば、礼儀もわからぬのか」

「ッ!!」

 

 咄嗟に召喚し盾にした黒銃が、賽子切りにされ一瞬にして砕けた。

 重量二十キロの鉄塊を盾として呼ばなければ、わたしは一寸刻みにされていただろう。

 宿儺の足元に這いつくばる少女二人は、完全に気を呑まれたのか、動けずに震えているばかりだった。

 単眼の特級呪霊もまた、身動きできていない。こちらを見て、寸の間忌々し気に顔を歪めてはいたものの。

 この呪霊は、容易にわたしを殺せるだろう。それだけの呪力を感じた。その特級呪霊ですら、両面宿儺の前では膝を折るしかないのだ。

 そんな暴威の王を前に、わたしは既に飛び出てしまった。

 後悔する暇もない。賽子を投げたのはわたしだ。

 ただ、宿儺から目を逸らして気をやってしまうのを堪えるだけで精一杯であった。

 

「ほう、今のを避けるか。未来視とは小癪な技を用いるな。本来の術式はどうした、くだん獣」

「……ない」

「何?」

「使えない。わたしは、獣ではない」

 

 再びの不可視の斬撃を、半身をずらして躱した。それでも血が飛ぶ。

 殺意が乗っていないことは視えていた。それでも下手に動けばみじん切りにされていただろう。

 肩の肉と右耳を削がれたが、生命と比べれば安い代償だ。

 

「言いよるな。所詮贄となる以外能の無い、災いの獣風情が。……そうか、だからこそ小僧を探して自らやって来たわけか。笑わせるな」

 

 愉快そうに宿儺は嗤う。虎杖の体を使って。

 似合わない、とそう思った。

 人の血が、虎杖悠仁には似合わない。人を蹂躙し愉しむその顔も、似合わない。

 罪人の刺青のように全身を這い回る呪印も、すべて似合わない。わたしの頭に生えた、牛の黒角と同じだ。 

 気持ち悪いのだ。たとえようもなく。

 ケヒッ、と宿儺がひび割れるように声を上げた。

  

「人の身を得て歪んだな、貴様。これは愉快だ!それほど小僧を気に留めるとはな!」

 

 違う、とかぶりを振った。そのような優しい、人間じみた想いだけで、このような場まで来られるものか。

 わたしにも、自らを動かす衝動は理解できない。

 ただ、腹が立っていた。

 体を取られて、良いようにされて、負けて、お前は一体何をしているのだと無性に腹が立った。誰かと言えば、虎杖悠仁に対して。

 虎杖悠仁への怒りが、両面宿儺への恐怖をほんの僅かに上回っていて、だから、ここで立っていられた。

 

「その体、虎杖悠仁へ返せ。両面宿儺」

「貴様っ……!」

 

 ひとつ目呪霊がこちらへ何かの術を飛ばそうとしてか、半身を動かす。

 だが刹那の後、その体は吹き飛んでいた。

 天井に穴が開き、呪霊の体が飛ばされる。宿儺によって無造作に、外へと蹴り飛ばされたのだ。真横にいた存在が単なる身体能力で物理的にこの場から叩き出されたことに、少女二人がヒッと怯えた声を漏らす。

 今更だがこいつら、一体全体どうしてここにいるのだろう。気配からして呪力は持っているようだが、高専関係者で見ていない。となると、呪詛師か。

 けれどその疑問を考えるゆとりもなく、次の瞬間には、わたしは宿儺に首を掴まれていた。

 正確に言えば、首元へ手を添えられていた。爪までが虎杖と違って長く伸び、黒い。両面宿儺は、全身が禍々しいのだ。

 この手でいつでも、縊られるだろう。

 

「聞こえんなぁ、貴様、今何と世迷言をほざいた?」

「体を、虎杖へ返せと言った」

 

 頭を走る激痛を、ねじ伏せる。呪力を高めるために言葉封じをかけたならば、今こそ縛った呪力を使うべきだった。

 虎杖のためにわたしが生命を張る理由など、ひとつも思いつかなかったのだが。

 宿儺は愉快そうに、事もあろうに頷いた。

 

「そうか。ならばこうしよう。これから俺が成す二つのことに貴様が声一つ上げず、膝もつかなければ、その場で小僧に体を返してやるし、俺は今宵表に出ぬ」

「本当か?」

「縛りを設ける。ただし、貴様が術式を使い、防ぐことを禁ずる」

「……何故お前が、虎杖へ体を返す? そいつが邪魔、だろう」

「くだらんことを囀るな。貴様が選ぶべきは二つに一つだ。尤も、頷かねばこの首を引き千切るだけだがな」

 

 目線よりわずか上にある、両面宿儺の顔を見上げた。

 虎杖悠仁の瞳でない血のような赤が、そこにある。

 おい聞こえるか、と瞳の奥にいるだろう虎杖に呼びかけた。

 多分、わたしは死ぬぞ、と。

 それが嫌ならば、とっとと戻って来い、と。

 一度軽く目を瞑って、頷いたその瞬間だ。

 

 ばつん、と右腕が付け根から落ちて。

 どすん、と鈍い音を聞く。

 気づけば、宿儺の腕がわたしの胸の中心を貫いていた。

 ぐちゅりという音と共に一気に引き抜かれた手の中には、どくどくと脈打つ赤いものが握られていた。

 わたしの心臓が、熟した柿のように潰される。顔に、体に、肉と血管の残骸が飛び散った。

 

 あ、という空気が口から洩れた。音は、聞こえなかった。

 

 折れそうになる脚に力を入れる。せり上がって来た血をすべて飲んで、呪力でずたずたになった血管を覆う。

 たちまちのうちに掠れ始めた視界の中で、禍つ星のように光る赤い瞳だけが見えた。

 

 それだけしか見えなくて、それだけでも、見えている。

 

 まだわたしは、生きていた。

 腕を千切られ心臓を貫かれて、それでも即死に至らないのが、呪物に適合した器である。頑丈に造り上げてくれた八咫の家に、初めて感謝する。

 渾身の力を込めて、こうべを持ち上げた。

 踏みつけられ首うなだれた、花の茎のようになるのは、真っ平だった。死ぬとしても、こいつを睨みつけて死んでやる。

 口からはごぽごぽと血が垂れて、肺に血が入るごろごろという音が体の中から聞こえた。

 痛みという感覚すら消し飛んだ死に体を、宿儺はとびきりの凶悪な笑みで見下ろしていた。その手には、黒い袖に包まれた腕を持ち、弄んでいる。

 粘土の人形のように千切られた、わたしの腕だった。

 

「ほう、耐えたか。俺と同じ、特級に分類されるだけのことはあったと見える」

「……しばり、を守、れ。すく、な」

「煩い獣だ。そのまま、真価を発揮せず藻掻き死ぬがよい」

 

 宿儺が眠りにつくように眼を閉じる。すぅ、とその体から刻印が消えて行く。まるで、嘘のように。

 ふらりと後ろへぐらついた虎杖の制服の襟を、咄嗟に掴む。ずしりと重い。年下のくせに。

 宿儺が弄んでいたわたしの腕が、互いの足元に広がる血溜まりに落ちる。ぱしゃん、という軽い水音が、地下の空間に響いた。

 赤色が消えた瞳に、焦点が戻る。

 ようやっと返ってきたと、目を細めた。

 

「あ、……え?」

 

 虎杖悠仁の茶色の瞳に、わたしの姿が映っていた。

 胸の真ん中に風穴を開けられ右腕がまるごと落とされた、どう見ても死体寸前の、角の生えた少女だ。

 我ながらひどい有り様過ぎて、笑える。口角を吊り上げたら、端から鉄臭いものが垂れた。間抜けな面だ。

 徒らに己の生命を賭けるなんて、ああ、ほんとうに救いようのない馬鹿。

 この散々な状態でまだわたしが死なぬのは、体が頑丈であり、元が呪霊に近く、さらに言霊縛りで溜められていた呪力を開放したからだろう。

 まだ夢の中にいるような瞳をしている虎杖の襟首を引き寄せ、顔を正面から見た。

 まどろみたくとも、わたしたちに夢を見ている時間は、ないのだ。

 

 難しいことは、言えない。体に力がない。

 何故、生命を賭けてしまったかもわからない。

 必死で走って、飛び込んで、わたしは何をしたかったのだろう。

 宿儺にも、嘲笑われるわけだ。殺されなかったのは最大の謎だったが、謎を解く時間も残っていないだろう。

 だから、言えることはひとつだけだった。

 虎杖の耳元に、口を近づけて声を出す。囁くような音しか、もう言えなかった。

 

「おかえ、り。いたどり、ゆ、じ」

 

 言い終えた途端に、ぷつんと電源を切るように辺りが暗く、遠くなる。虎杖の襟を掴んでいた手が、力を失くしずるりと血で滑る。

 くずおれるように床へ膝をつく寸前、誰かに胴を支えられる。しかし、それが誰かを確かめる術もないまま、意識は闇に消えた。

 

 

 

 

 




主人公は、肝心要の偽夏油の姿は予知できていません。

人間としてのイメージモデルは、『イーリアス』のカッサンドラがメタメタにやさぐれた姿です。
カッサンドラ・オルタみたいな感じで。

次話は22:30に投稿されます。
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