ひげを剃る。やはり社畜の俺が女子高生を拾うのはまちがっている。 作:ステ
大学生活すら1人暮らしではなかったが、3年目ともなる自分の部屋にはすでに愛着がわいていた。いつだって、ボッチには固有空間が必要なのだ。
まあ、これから数日間、安寧が脅かされるわけなのだが、小町がお泊まりしに来たようなものだ。美少女とはいえ、そう簡単に年下に欲情するかっての。ガハハ
「驚きました。部屋、結構綺麗にしてるんですね」
「物が少ないからな。引っ越しの作業もめんどうだった」
鞄を部屋の隅に置き、すでに緩んだネクタイを完全に外す。
対して、彼女は、その綺麗に扱っている制服以外、荷物を持っていない。しかし、ゆるふわっとした亜麻色の髪も、その整った容姿も、定期的に手入れされたものだ。
「……また引っ越すのもめんどうだしな」
だが、問題は問題にして、初めて問題になる。
警察に行くという選択肢を彼女は選ばないらしい。
「それに、あれだ、汚す気も起こらない。俺は、綺麗なものは、綺麗なままにしておきたい派なんだ」
もし警察に行ったのなら、それは実家及び保護者へ連絡が行くことになる。望まない選択肢を強いることは、今のこの少女に耐えられるはずがない。
「……そういうとこですよ」
彼女はやや俯いて、キョロキョロとしながら、部屋の広さと高級さに少し圧倒されているようだ。
例えば、綺麗な公園にゴミを捨てることは周囲の目がとても気になる。というか、あとからあの姉妹に何を請求されるかたまったものではない。
「えっと、ここ、家賃いくらですか。ふつうに高級マンションでしょ」
「伝手があったんでな。安く借りられた」
男の部屋は『狭くて汚い』というデータもいくつかあったのだろう。もちろんこいつの経歴からして、偏ったデータではある。実際、代わりに実家の俺の部屋は倉庫と化しており、物は増えていく一方だ。
「せっかくお掃除してあげようかなって、思ったのに」
「ああ、そういう……」
相手の機嫌取りという意味もあるのだろうが、こいつ自身が心の底では申し訳ない気持ちもあるのかもしれない。どうやら責任感が強いようだし、こんなことをしている、俺としても助かる。
ほら、タダより高いものはないって言うしな。俺からすれば、タダほど良いものはない。専業主夫になりたかった人生でした。
「おにいさん、なんだかちゃんと大人って感じです」
「そりゃ、お前よりは大人だな」
彼女は唇を少し尖らせて、黒い革のソファにちょこんと座る。腰を落ち着けるには、別の意味であまり適した部屋とは言い難いらしい。
「マッ缶と午後ティー、どっちがいい?」
「なんでその2択……えっと、午後ティーで」
それに、『そういうこと』を狙っているかどうか、あらかじめ判断して、避けることができる。どれくらいの期間かは知らないが、見ず知らずの人に頼りながら、女子高生が1人で上手く生き延びてきただけはある。思ったより、家出のプロらしい。
安心して眠れる時間は、家主がいないタイミングだけってところか。
「テレビでも、ゲームでもやってな」
部屋の作りはともかく、俺が住んでいるだけはある。テレビから繋ぎっぱなしのコードはSwitchに接続されたままだ。高画質・大画面でやるゲームというのは、この年齢になったからこそ、時に徹夜までしてしまう。Blu-rayの録画リストも1人で扱うことができ、毎週放送なプリキュアを永久保存できる。
「えっと、ありがとうございます」
電源をつけた後、テレビのリモコンを手渡す。
俺は、リビングの奥に併設されている台所に向かい、辞書代わりの携帯を取り出した。紺色のブレザーに、灰色のチェックスカート、その服装は似ているが、総武でも海浜でもない。それに、校章がまず違う。
『旭川第六高等学校』、つまり北海道。
そして、ここは千葉。
思わず、再度検索をかけたくらいだ。
動揺を隠しながら、少し散らかっている冷蔵庫の中身を物色する。
「おまたせ、っと」
「……ありがとうございます、ほんと」
最初につけたニュースではなく、歌番組をじっと見つめている。目の前の机の上に、午後ティー500mLのペットボトルをそっと置いた。マッ缶をスコッと開け、キンキンに冷えたコーヒーを喉に流し込む。
「くぁ~~」
金曜の仕事終わり、そして材木座の運搬作業、疲れた身体の全身に、甘さが行き渡る。
人生は苦いのだから、コーヒーくらいは甘くていい。梅雨時には生ぬるいMAXコーヒー、秋や冬にはあったか~いMAXコーヒー。
「それ、おいしいんですか……? カフェオレ?」
「マッ缶をカフェオレごときと同じにするな。このMAXコーヒーはな、千葉県で生まれたソウルドリンクなんだ」
俺の体は、きっとMAXコーヒーでできていた。
黄色に黒の文字という神デザインの缶を見せびらかす。
「は、はぁ……なるほど」
「数ある缶コーヒーの中でも頂点に君臨する甘さを持つコーヒー、むしろ、全てのジュースに幅を広げても、トップレべルに甘い。それでいてコーヒーである」
大学受験前は、春の嵐に震えながら、MAXコーヒーの空き缶でタワーを作ったものだ。そのタワーも、母ちゃんの手でいつのまにかリサイクルに出されて、世のため人のためになっていることだろう。
「あっ、そうだ。自己紹介まだしていませんでした、ね」
マッ缶の力説をことごとく躱され、両手を顔の前で合わせてそう告げる。しかし、その貼り付けた笑顔も、少しずつこちらの様子が芳しくないことに、冷や汗を流すような表情へと変わっていく。
「まあ、お前がいいんなら、いいんだが」
「はい、おにいさんになら、きっと大丈夫です」
実際、呼び名に困っていたのは確かだ。誰も構わず、不容易に本当の名前を教えるほど、この女子高生は下手なことはしない。はぐらかすことは別にいいのだが、俺は嘘をつかれて、それを受け入れるようなことは基本的にない。
それならむしろ、はぐらかされたままでいい。
「いろはって言います。ひらがなで、
名字は明かすことはなかった。単に名字を教えたくなかったのか、それとも俺に名前で呼ばせたいか、だろう。三日月形に歪められた唇は、どうやら後者であることを示しているらしい。
「比企谷だ」
「え、ひき……引きこもり? ヒッキー?」
思わず、顔がニヤけてしまった。もっと昔は名前いじりはあまり好きじゃなかったのだが、高校時代には毒されて、いつのまにかいい思い出になってしまっているらしい。
「ひきがや、だ」
「わかりました、おにいさん!」
まあ、別にそれでいいんだけどね。
これでも20年以上お兄ちゃんやってきたし。
だが、まだ川崎の弟のやつは、義弟とは認めないからな。お兄さん呼ぶなし。ガルルル
「どこに威嚇してるんですか」
「妹の敵」
窓の向こうに、かつて通っていた大学がギリギリ見える。川崎家がどこにあるかはいまだに知らないが、次女のけーちゃんが通っていた保育園のことを考えると、あの近くに住んでいるだろう。
「へぇー、妹さん、いるんですねー」
「まあな。目に入れても痛くないくらいかわいくて、よくできた妹だ。今は、大学生やってる」
その話には興味なさそうに、ソファから立ったいろはは、カーテンに隙間を作った。15階にあるこの部屋を気に入っている理由の1つを、いろははもう見つけてしまったらしい。
「きれい……」
短すぎるスカートからすらりと伸びている素足は、驚くほどに白く、そして細すぎるくらいだ。身長も高校時代の小町くらいで、つまり平均より少し低い。その華奢な身体で、一体どれくらいの距離と時間、家出をしてきたのだろう。まさに、行動力の化身と言える。
「いい街だろ、千葉」
「はい。来てよかったです」
居心地が良すぎて、大学も就職先も千葉を選んだ。
いろはが、休んでいく場所にはとっておきだと自負する。
「今までいろいろありました」
たとえそういった身の上話をすべてしたとしても、俺には聴くことしかできないだろう。
同情だとか、優しさだとか、叱るだとか、そんなことは俺にはできない。俺自身がそれを偽善として受け取るし、あの平塚先生だって頭を悩ませることが俺にできるわけがない。
教職の道からも、結局は途中で逸れてしまったしな。
「もう諦めようかなって思ってた時、おにいさんに会えました」
街灯に照らされたその瞳を見て、思わず立ち止まってしまったほどだ。俺には小町と母ちゃんと、ついでに父ちゃんがいたけれど、いろはには恐らくそういう人は少なかったのだろう。
何週間も家出した女子高生を捜しているかどうか。
「こんなに良くしてもらって、わたし、なにをすればいいんですか?」
「言っただろ、これはボランティアだ」
これでも、奉仕部部員だったんだ。
それにしても、責任おばけかよ。
「その、ひきがやさん、ならいいかなって、思っちゃってるんですよ?」
「……それは気の迷いだ」
襟を止めている大きめの赤いリボンに手をかけようとしたいろはに、少し強く言う。
今は誰にも縋ることができなくて、唯一頼れるかもしれないやつに依存しようとしているだけだ。そんなものは欺瞞だし、こいつもそんな選択肢を、本心から望んでいないはずだ。
「そういうことは、ちゃんと好きな人ができたらしろ。今度誘ったら、妖怪イキオクレのところに送ってやるからな」
「先輩って結構、乙女思考なんですね」
責任取らされそうなのが怖いだけだ。
さて、いろはのお悩みをどう解決するか、だんだんと道筋が見えてきた。大人への憧れというよりは、1人で生きられるように、はやく自立したがっている。家庭環境のこともありそうだが、背伸びしたい気持ちが人一倍に強い。
だが、今の彼女は、手札が少なすぎる。地位もお金も交友関係も、期待できるものではない。
「味噌汁、作れるか?」
「はい、人並みにはできますけど……」
木炭製造をしていたあの由比ヶ浜も、料理の腕はずいぶんと成長している。というか、料理の腕が重要ではなく、家事から社会復帰を目指してもらおうと思う。家事代行サービスのような職だってあるし、なんなら専業主婦志望だっていい。
「昔は妹に任せっきりだった。久しぶりに、誰かの作った朝ごはんが食べたい」
「はぁ、なるほど……そういうことでしたら、ぜひ腕をふるいます!」
どうやら、やる気満々になってくれたようだ。もしかしたら、居候の宿代は、元々家事代行で済ませていたのかもしれない。だが、いろはがずっと留まることを選ばなかったのは、その度に、なにかしらトラブルが起こったから。
小町という妹がいる兄なのだと証明できたことは、良かったと思う。ずっと仲の良い兄妹でいようね。大学終わったらまたみんなで暮らしてもいいんだよ。お嫁にいかれると、俺と父ちゃんは立ち直れないよ。
「俺は自分の部屋で早めに寝るから、あとは好きにしてくれ。冷蔵庫の中身も何食べても構わん。あと、そこに妹の着替えとか、毛布とかがあるはずだ」
『お兄ちゃんは触るな』と張り紙のある、タンスを指で示す。小町の、いわゆるお泊まりセットというやつだ。千葉随一に仲が良いが、さすがに異性としての距離はある。
「あと、このリビングは鍵かけれるから、起きるまで閉じておいていい、くらいか。……質問は?」
「いや、えっと、その、至れり尽くせりだなって」
いろはがどういう家出生活を送ってきたかは分からないが、どの家でも恐らく初日は、警戒心から満足に眠れたものでもないのだろう。ていうか、見知らぬ異性かつ年上相手に、無防備でいるほど、こいつはバカじゃない。
今でも初対面の女性社員に小さな悲鳴をあげられることも多い俺だが、女子には優しくするよう小町に躾けられている。
「最高の妹をもつ、お兄ちゃんだからな」
「うわ、シスコン」
去り際の決め台詞だったんだが、返ってきたのは超引き気味な声だった。
しばらくの間、理性が削られる共同生活になりそうだ。
「その、なんだ、おやすみ」
「はい、おやすみなさいです。その、ありがとう、ございました...」
できるだけ気丈に振る舞っていたようだが、さすがに限界らしい。分かるだなんて、思い上がる気はないが、腰を落ち着ける場所が手に入ったのだ。安心という感情は、人一倍強いだろう。
さて、バカなことをやっているのは、こんな生活をしてきたいろはなのか、それとも、この選択肢は正しいと思っている俺なのか。
手に持ったままのマッ缶を、一気に飲み干した。やっぱり、人生というのは苦すぎる。俺はわるくないし、もちろんいろはだってわるくないのに、社会が悪とする。