ひげを剃る。やはり社畜の俺が女子高生を拾うのはまちがっている。   作:ステ

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第9話 雨の夜

 家の中では結構だらしないとこあるけれど。

 

『じゃ、行ってくるわ』

 

 黒いスーツ、水色のワイシャツ、青いネクタイ、それを着こなしている比企谷さんの背筋はピンと伸びている。家の中で心配になるくらいの猫背なのは、仕事でちゃんとキリッとしているからこその反動なのだろうか。

 

 彼が家を出て、急に静かになった気がする。

 元々、自分からはあまり話さない人だけど、こっちから話してて、気が楽で、楽しくて。まあ、たまによくわかんないことも言うけど、むしろそれがないと味気ないというか。

 

「……よし」

 

 小さく呟いて、玄関からリビングに戻って、私はまずテーブルの上にある食器を重ねていく。ご飯粒が1つも残っていない、そんなお茶碗に、なんだか頬が緩んじゃう。

 

 同じ家に、1週間以上滞在することは珍しくことではない。けれども、『いつか』が来ることは分かっている。いや、いつか出て行かなければならないのだと、ちゃんとわかっている。

 

 例えば、彼に恋人ができたときだ。

 

 でも。

 

 このぬるま湯が、気持ちいい。

 お皿がカチャカチャと鳴る音は、静かさを紛らせる。

 

 お礼とか感謝だとかを言ってくれることもあるし、言われなくてもなんだかわかる。彼の不器用な優しさは、ほんとあざとい。調子がくるうし、責任を取ってほしいくらいだ。

 

 お皿洗いも終わり、再び布団を床に敷いて寝転ぶ。

 

 電源を付けた携帯は、4月23日を表示しており、平日の終わりの金曜日だ。なんとかフライデーってわけでもないし、今日は飲み会があるって言ってたし、ともかくとして、比企谷さんの帰りは遅くなると言っていた。

 

 となると、夕食の献立を考える必要もない。

 今日は、1日暇ということになる。

 

「描こ……」

 

 『誰かのために』というわけではなく、『自分のために』

 比企谷さんを思い出しながら、アニメ風に、デフォルメっぽく。

 

 寝癖のアホ毛だとか、ぬぼーっとした目だとか、そういうとこが彼の特徴的なところで、私的にチャームポイントだ。男子に『かわいい』とか言うと、微妙な顔をされるんだけれどもね。

 

「はやく帰ってこないかなー」

 

 まだ、1時間も経っていないから、ウケる。

 

 昔も、他の男の家も、『1人でいる時間』のほうが、ずっと楽で、自由気ままに過ごせる時間だった。もしこんなお兄ちゃんがいたらなー、と小町さんが羨ましくなってきた。

 

 だから、比企谷さんに恋人ができた時には、出て行こう。

 私は、妹でもなんでもないから。

 

 

****

 

 黒塗りの高級車から、慎重に降りる。

 

「まったねー、比企谷くん」

「こちらこそ、どもです」

 

 葉山のやつに覆い被さるくらいに、身を乗り出して、こっちに手を振ってきた。そういう子どもっぽいところは相変わらずのようだが、わかっててやってそうなのが、雪ノ下家長女である。

 

「比企谷、今度またラーメンな!」

「わかってますよ」

 

 別れの言葉なのだが、また会う予定をこじつける。こういう男勝りなところが婚期が遅れた理由なのだろうが、ほんと平塚先生を貰ってくれる人がいてよかった。

 

 微笑んで、まるでお嬢様のように、軽く手を振っている雪ノ下のお嬢様に、軽く手を挙げておく。言葉を交わさなくとも『また会おう』という意味だ。すでに家に送られた由比ヶ浜も含めて、季節が廻ったとしても、関係は続いている。

 

 雪ノ下の、その奥にいる、若い運転手さんが会釈すると、車内の灯りが消えた。再び、雨の中を、その見るからに高級車が走っていく。雪ノ下姉妹に呼び出され、『お勤めご苦労様です』、と言いたいくらいだ。

 

 すでに22時で、いろははどう過ごしているだろうか。

 待っているのか、それとも寝ているのか。

 

 便利な電子ロックで鍵を開けて、家に入ると、電気は付いていない。

 またうなされているのかもしれないと、あまり物音を立てないようにして、リビングに向かう。

 

 布団は綺麗に畳まれていて、スーツケースも置いたままだ。

 

「靴……」

 

 急いで、もう一度、玄関に向かった。

 

 まず前提として、玄関からして電子ロックだから、そう簡単に不法侵入されることは考えられない。使い古したローファーがない。それに、俺が普段から使っている、黒い傘がない。

 

「あいつまさか……」

 

 もしかすると、入れ違いになるかもしれない。

 こういうときに、連絡手段がない。

 

 苛立ちを覚えてしまう。

 手段を用意していなかった俺に、非がある。

 

 

****

 

 雨で前が見えない。

 それに、やばい、電池が。

 

「いま、何時……」

 

 ああ、もう。

 最近、充電切れるのが早くなってたけど。

 充電器は家に置いてきちゃったし。

 

「かんぜんに、迷子……」

 

 いくらなんでも、バカをやった。

 

「はぁ……」

 

 見つけた公園で、ベンチに座り込んだ。濡れた感触がイヤだけど、仕方がない。ここで朝まで待って、見覚えのある場所を少しでも探すことにする。まあ、戻らないべきなのかもしれないけれど。

 

 傘を持ったまま、だから、寝転ぶこともできない。

 雨宿りにでも駅に移動するとしても、補導されちゃう。

 

 比企谷さんが言っていた焼肉店は、駅前くらいしかないと調べてわかっていた。そもそも、人通りの多い駅前で、比企谷さんを見つけるのは難しいことはわかっていた。

 

 でも、気になったのだから仕方ない。

 

 あの人付き合いが微妙そうな比企谷さんが、少し嬉しそうに、飲み会に行く、って言っていたから。比企谷さんと、比企谷さんと一緒にいる人を見て、帰る。それだけだ。

 

 良くも悪くも見つけることはできた。もう1人男の人がいたけど、綺麗な女の人たちに囲まれる、比企谷さんがいた。特に、白衣を着ていて目立っている人とは、これでもかっていうくらい楽しそうにスキンシップをしていたし。

 

 あんな人たちがいるなら、私を『女』として見るはずがない。

 そりゃあ、優良物件の比企谷さんを放っておくわけないだろう。

 

 私は、いつか比企谷さんが幸せになるためには、邪魔になるとわかった。あの人たちに踏み込むことができるわけないし、過ごした時間も圧倒的な差があるのだろう。もし人に優先順位を付けるとしたら、私は選ばれない。

 

 今まで、『私のために』終わらせてきた居候だけど、初めて『誰かのために』終わらせようとしている。袖で抑えた目に溢れている涙は、何が悲しいのか、自分でもよくわからない。比企谷さんに恩返しができるなら、嬉しいはずなのに。

 

 ほんと、きらい。

 

「家出?」

 

 なんだか、ぶっきらぼうに、声をかけられた。

 女性の声であることに、複雑な感情が芽生える。

 

「お姉さん、大丈夫ですか?」

 

 私は涙を拭う。

 

 たぶん、中学生くらいで、お下げの女の子が心配そうにしている。その隣には、スーツを着て、綺麗な長い黒髪をポニーテールにしている女性がいた。なんというか、女子から見てもかっこいい感じの美人さん。

 

「その、どこに帰ったらいいか、わかんなくて」

 

 言うことに迷って、出た言葉だ。

 半年以上前に出た家なのか、比企谷さんの家なのか、それともまた新しい居場所なのか。

 

「お姉さん、迷子なんですか?」

「うーん、そうかも」

 

 この歳になっても迷子って、中学生からすると笑い者だろうか。でも、目の前の女の子は、不安そうに、たぶんお姉さんの顔を見ただけだ。

 

「帰る場所があるんなら、良かった。1時間だけだよ」

 

 そんな不器用な優しさを、くれる人がまた現れた。

 隣にあるベンチに、姉妹揃って腰かける。

 

「……ありがとう、ございます」

「別に、仕事の範疇だから」

「けーかも大丈夫ですよ。塾の帰りなので」

 

 まるで、お姉さんの照れ隠しが比企谷さんみたいで、妹さんの優しさが小町さんみたいだ。

 

「あの、お仕事って?」

「これでも、教師やってるからね」

「高校の先生なの!」

 

 ああ、なるほど。

 確かに似合っている。

 

「うらやましいです、あなたみたいな人が先生で」

「私のできる範囲でしか、やってないけどね」

 

 その大人っぽい表情は、どこか達観している。

 

「してあげられないこともいっぱいあるよ。

 子どもたちの家のこととか、特にね」

 

「……でしょうね」

 

 昔の私がそうだった。

 

 なんだか、保護者のほうが上みたいになってるし。

 先生も、強くは言えない立場なのだろう。

 

「でも、今の保護者みたいな人は、信じられないくらい優しい、です」

「なのに、家出したの?」

 

『家族大好きです』って感じの妹さんは、少し表情を明るくして、だからこそ不思議そうに聞いてきた。

 

「無条件な優しさって、こわくないですか?」

 

 まだ、媚びる男子とか、冷やかす女子だとか、そっちのほうが上手く対処できる。

 

「ものすごく優しい人なんですけど、でも、優しい理由がわからなくて……。そんな人からも愛想尽かされちゃったら、なんかもう立ち直れなくなりそうで……」

 

 彼女でもないのに、家出した女子高生を泊めるって、そんなの善意だけでしてくれるはずはない。そして、もしも、彼が善意に溢れる人間だとして、彼が私を嫌いになったのなら、どれだけ私はダメなやつなのだろう。

 

 彼女がいるのに、妹でもなんでもない異性の居候を作ったままだなんて、あの責任感が強い比企谷さんは、苦しむに決まっている。

 

「こういうとき、あいつらなら、どうするんだろうね」

 

 お姉さんは、そう呟いた。

 

「根っからの優しいやつらは結構いる。そういうやつに限って、不器用、ド天然、孤高、あと女王様気質、だったりするんだけどね」

 

 この2人や比企谷さんを入れて、7人。

 なんだ、結構いるものらしい。

 

「それに、優しすぎるのもいいけど、『待たないで、こっちから行く』くらいの気概じゃないと。何もしないまま、望むものが手に入らないやつもいる」

 

 手のひらに顎を置くように、背を丸めて、そう呟いた。

 

「ま、動いたところで変わらないものもあるみたいだけど」

「じゃあ、がんばっても、意味ないんじゃないですか」

 

 思わず、語気が強くなってしまう。

 

 自分にいら立つ。

 半年間がんばってきたけど、無駄かもしれないと。

 

「徒労に終わるかもね。まあ、それでも何かは残ったんじゃない?」

 

 その言葉は、一体、誰に向けられたのだろうか。

 この女性は、どんな素敵な人と会えたのだろう。

 

「その人のこと、その、好きだったんですか?」

「……べつに」

 

 わかりやすいなぁ。

 

「え~、ほんとにござるか~?」

「ほんと~?」

「けーちゃんまで……」

 

 けーちゃんというらしい妹さんが、お姉さんの向こうからニコニコと顔を覗かせた。こうやって、静かな空の下で、外で過ごすことは多いけれど、久しぶりに誰かといられる。根っからの優しい人みたいだし、選択肢として、『この人たちに付いていけば』なんて考えてしまう。

 

「お姉さんは、好きなの? えーと、家族? 彼氏さん?」

「好き、ではあるかな」

 

 嫌いではないのは確か。

 ならば、その反対で、好きでいいのか。

 

「お姉さんの言う、すごく優しい人なら、悩んでること、ちゃんと聞いてくれると思います」

「まあ、たぶんね」

 

 警戒心は結構強いみたいだけど、過保護すぎると思うくらいには優しい。でも、そうか、あれだけ過保護になってくれているのは、少なからず、信用だとか、信頼だとか、してくれているのだろう。

 

 どれだけ、心配をかけてしまっているか。

 怒るんじゃなくて、ちゃんと叱ってくれそうだ。

 

「お姉さんも、信じてみようよ」

「うん、がんばってみる。だから、その……」

 

 その後、お姉さんの携帯を借りて、だいたいの方角を確認する。元々、あちこちをうろつくことは、そう珍しいことではない。方向音痴って、実際には会ったことないけど、いるのだろうか。

 

 お姉さんたちは送ってくれるみたいだったけど、そこまでお世話になるわけにもいかない。

 どうにか、補導されないように、家に、帰らないと。

 

「またね」

「気を付けなよ」

「ありがとうございました。それでは」

 

 近所迷惑にならないよう、声を抑えて、2人と別れる。雨は相変わらずだけど、ここが千葉で、4月末で、温かくなってきたから助かった。冬になる前に、関東に入っておいてよかったと、過去の私を褒めたいくらいだ。

 

 

 いい人たちだった。

 千葉に住んでいる時に、また会えるかもしれない。

 

 

 その時は、またお礼を言おう。

 そして。

 

「いろは、か……?」

 

 びしょ濡れで、スーツのままで。

 

「いや、その、ごめんなさい」

 

 言うことに困って、傘を差し出す。

 まさか探しにくるほど、感情的な行動をするなんて。

 

「まあ、なんだ、無事でよかった。わるかったな」

「どうして、謝るんですか」

 

 私から受け取った傘で、私と一緒に入る。

 相合傘なんて、初めてだ。

 

「こういうときに、連絡手段を用意していなかったこと、だな。時計や辞書にも便利だしな」

「それがその、持ってるんです、携帯」

 

 言った。

 言ってしまった。

 

「その、勝手に、Wi-Fiとか使って、充電とかも」

 

 常に持っているスマホを見せる。

 取り上げられないって、信用してる。

 

「いや、まあ、それはいいけどな。ていうか、そうか、ネットに繋がってないのか……」

 

 怒ることはなく、呟くようにそう告げるだけだ。

 ほんとう、どんなワガママも聞いてくれそう。

 

「それは追々だな。ひとまず帰るか」

「なんですか、ほんとう……」

 

 ほんとう、好きになってしまいそうだ。

 

 これはあくまで自分より、こっちに傘を向けてくるせいだけど。

 比企谷さんの隣に近づいて歩く。

 

「明日、休みの日ですよね」

「たぶんな」

 

 雨に濡れた匂いに、焼肉の匂いが混じっていて、明日は高いお肉でも食べさせてもらおうかなって思って。

 

 ワガママを言ってみようかなって。

 そう思った。

 

 

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