音も光もない静謐な宇宙に、幾本かのスラスターの光跡が蛍のように浮かび上がる。暗礁宙域にほど近い宙域を二機のリックドムが飛んでいた。ザクとは違う、力強い推力と鈍重にも見えるフォルム。だが、乗り手が一流なのか、二機のリック・ドムは流れるように、宙を駆けていた。
二機の進行方向には、四隻のムサイ級巡洋艦からなる艦隊があった。ムサイからリック・ドムに向けて通信が入る。
「識別コードを求む」
「こちら、K1597、ランディ・メネンデス准尉だ。着艦許可を求む」
ランディの問いかけに対し、ムサイのハッチが解放され、誘導灯が灯る。艦隊の先頭にいる旗艦に誘導されるようだ。ランディと僚機のリック・ドムは、機体の各部位にあるスラスターを慎重に吹かしながらハッチへと侵入する。
数本の固定アームが、リック・ドムの腕やジャイアント・バズをハッチに繋ぎ留める。機体が静止したのを見て、整備兵が乗降用のステップを機体に掛けた。ランディはコクピットを開くと、機体を蹴り重力の弱い格納庫を移動した。
ノーマルスーツのヘルメットを外し、息を吐いた。格納庫には地上用のJ型に換装されているランディの愛機があった。ルウム戦役以来の相棒だ。
「俺はやっぱザクがいい」
この艦隊までの移動に使ったリック・ドムはパワーがある分、動きが大きくなりがちな機体だ。ランディにとって、乗りなれたザクは新型のリック・ドムよりも乗りやすい機体だった。
「アニキ!ランディのアニキ!」
自分を呼ぶ声がした。振り向くとそこには、ウィルがいた。黒人の男で、ランディと同じサイド3の6バンチ出身だ。ウィルは整備兵だが、MSの操縦も多少は出来る。ランディが、安心して機体を任せられる男だった。
二機のリック・ドムは地球降下にあたり機体が減るこの艦隊への補給機体である。ランディは補給機体を足代わりに使っただけだ。本来のランディの機体は、目の前でウィルが整備してくれたザクなのだ。
「オレのザクの整備は?」
「ああ、ばっちりだよ」
ルウム以来だが、ウィルはランディの注文を間違えるような男ではなかったようだ。J型に換装されMMPマシンガンを装備している。それから、ランディとウィルは思い出話に花を咲かせた。6バンチ出身の戦友は、この一年にも満たない戦争で殆どが帰らぬ人となってしまっている。
6バンチ出身者で五体満足な人間は、ランディとウィルくらいのものだった。ルウム戦役でサラミスとコロンブス級、合わせて三隻を沈めて以来、ランディは生き残るために多くの敵を手に掛けてきた。ウィルが、ランディをエースと持ち上げ褒めるが、ランディの内心は複雑だった。
「よせよ、昔の話だ。今じゃ、近々オデッサで始まると目されている地上戦の捨て駒だよ。暗礁宙域で遊んでいるなら弾除けになれってな!」
ランディの自虐にウィルは笑った。笑っているウィルに、小さな何かが投げつけられる。ウィルは、投げつけられた何かを手に取った。
「ウィスキー・ボンボン?」
ウィスキー・ボンボンを投げてくる知り合い。ウィルには心当たりがあった。ウィルが目をやるとそこにはノーマルスーツを着た女がいた。肩まで届く黒髪に、東洋人特有の童顔。日系人の血が混じった彼女は美女と呼ぶにふさわしい人物だった。
「二人で勝手に盛り上がらないでよ!バカ!!」
「リンゼイ。忘れてたわけじゃ……」
嫉妬の表情を浮かべるリンゼイをランディとウィルは必死になだめた。拗ねた口調でウィルにはギムレットを作らないと言い張っている。リンゼイは戦争後にはバーテンダーの仕事をしようと考えているのだ。そんなリンゼイの作るカクテルが不味いはずがない。
リンゼイを怒らせて、カクテルを作ってもらえなくなるのは、ウィルにとっては重要な問題だった。リンゼイの機嫌を取り持つウィルだったが、不意に、ランディとリンゼイに伝えることがあるのを思い出した。
「教官が、15分後にブリッジに来るようだってさ」
そう言い残すとウィルは、整備兵の群れの中に消えていった。
「教官か。懐かしい」
ランディとリンゼイの教官は、今はこの艦の艦長になっているようだ。エレベータに乗り、二人はブリッジに向かった。ブリッジの扉の向こうでは、オペレーターや幹部らが、せわしなく働いていた。そんな中、キャプテンシートに座った人物が、二人に目線を向ける。
やや肥満気味の体形に、優しそうな瞳。トレードマークの口ひげは、紛れもなく二人の教官だった。ランディとリンゼイは、敬礼をし、着任の挨拶をした。教官は、ランディの顔をじっと見た。
「ずいぶん男前になったな。元気そうじゃないか、ランディ」
「教官に散々、戦場での逃げ方を叩き込まれたおかげですよ」
ランディは、額の傷跡をさすった。この傷跡は、目の前の優しそうな男に、ちなむものだったりする。ランディのちょっとした意趣返しを、艦長は、にこやかに笑って流した。それから、艦長による今回の任務の説明が始まった。
この艦隊が請け負った任務は、コムサイを用いて、中央ヨーロッパに降下するものだった。降下後は第5MS旅団に合流し、オデッサ防衛の支援にあたるという命令だ。大局的に見れば、地上へのコムサイによるMSの補給は付け焼き刃でしかない。
HLVによる支援の方が、コムサイによるものよりも効率はいい。だが、宙域の状況が非武装の輸送船による輸送を許さなかったのだ。そんな艦長の内心は、目の前の二人には悟られていないようだった。
「と、まあ……表向きはここまでだ」
この作戦に参加するはずの、ゴードン・レノックス少尉の姿はここにはなかった。艦長は、あえて少尉をこの場に呼び出さなかったのだ。
「なぜ、少尉を同席させず、キミたち2人を先に呼んだと思う?」
艦長の問いに、ランディは頭を抑えた。裏指令があることを察したのだ。艦長がランディに告げたのは、少尉が特権階級出身のエリートであること。そして、彼を前線に送らないために、コムサイのトラブルを装い、戦局の安定しているユーラシアへコムサイを降下させることだった。
「その箱入りを地球に降ろさなければ済む話でしょう?」
ランディの問いに艦長は困った顔をした。
「本人が、前線での戦闘を熱望しているのだよ」
艦長から伝えられた言葉に、ランディは苛立ちを隠せなかった。周囲がお坊ちゃんの御守りのために、艦長にわざわざ念を押したらしい。
「まぁ、貸しを作っておいて悪い相手じゃないぞ」
――――弟さんのためにもな
艦長が最後に言った言葉は、ランディの胸をえぐった。
ブリッジから少尉の部屋に移動するまでに、ランディは、自分を納得させられなかった。そんな様子のランディを見て、リンゼイは声を掛けた。
「いいじゃない、ランディ。地球に降りられるし、私たちに危ない命令が下ることもない楽な仕事よ」
子守をさせられるのに、それに対して騒ぎもしないリンゼイ。ランディはその様子が不審だった。
「お前、子守だって知ってたな!」
リンゼイは、くすっと笑った。彼女は、彼女が戦後に運営するバーの開業資金の援助を取り付けたらしい。夢見心地で笑うリンゼイ。ランディは、リンゼイのしたたかさに笑うことしか出来なかった。
艦長から、教えられた少尉の部屋は個室だった。狭いムサイの中で個室を与えられるというのは相当な待遇だ。ランディは、内心舌打ちをした。ドアをノックして敬礼と身分を告げ、入室許可を求める。中からは「散らかっているけれど、どうそ」という返事が返ってきた。
少尉が、内側からドアを開くと、与圧の差で何かが廊下に飛び出した。眼前に飛んできたそれをランディは受け止める。ハードカバーの単行本だった。本の表紙には『Helmuth Karl Bernhard von Moltke』と書かれていた。
ドイツ軍人モルトケの伝記だ。だが、ランディは旧世紀の人物に明るくは無い。ランディにとっては本が顔目掛けて飛んできただけのことである。ランディの少尉への心証は悪化した。何冊もの本が宙に浮かぶ中、少尉は二人に挨拶をした。
くすんだ癖のあるブロンドに、澄んだ相貌は、この若者が戦場擦れしていないことを、ランディに明確に伝えた。部屋に敷き詰められた絨毯、インテリア代わりに飾られた植物と骨格標本。それらは、少尉の箱入り具合を明確に証明していた。
艦隊は地球に近づきつつあった。ムサイの格納庫からコムサイへと、三機のJ型ザクが搬入されていく。ランディとリンゼイ、それから少尉のものだ。格納庫を見下ろせるラウンジで、ランディとリンゼイ、それからウィルはくつろいでいた。出撃前に三人が会うのはこれで最後だろう。
「なあ、リンゼイ。頼むからギムレット作ってくれよ!うまい酒でも飲まなきゃやってられない」
合成ウィスキーを飲みながら、ランディはリンゼイに頼む。だが、リンゼイはそれをすげなく断った。なんでも、無重力だと混ざりが悪いらしい。プロ志向のリンゼイらしい言い分だ。落ち込んだランディを見て、ウィルが笑った。
「家族は元気か、ウィル?」
「ん……ああ。サイド3で元気にやってるよ」
ウィルの言葉は歯切れが悪かった。少し、妙だとランディは思ったが、笑顔で昨日もお袋に電話したと言われると、その違和感は消え去った。
「また食べたいな、お手製のミートパイ」
ランディがそう言うと、ラウンジに整備兵が入ってきた。ウィルに用事があるようだ。ウィルはランディに手を振ると、整備に戻っていった。合成ウィスキーをちまちま煽っていると、格納庫に少尉の姿が見えた。ランディのザクを熱心に見ている。不審に思ったランディは、格納庫に降りた。
「少尉。私のザクに何か?」
「機体に撃墜マークが見当たらないなぁと」
「人を殺した証なんて、入れる必要を感じないんでね」
「少尉のルウムでの活躍は、報告書で見ています」
「たまたまです。大したことじゃない」
少尉は、振り返るとランディに「僕が上官だったら、あと一隻は墜とせました」と言った。ランディは、少尉の態度が不快だった。
「少尉のような方には本国に椅子が用意されているはずです。わざわざ現場で血や泥にまみれることもないでしょう」
「僕の性には合いませんよ。椅子を温めるために軍人になったわけじゃないんです。戦地に居ずに兵士に死にに行けなんて言えません」
キレイごとを抜かす少尉に、ランディの胸中は荒ぶっていた。
「少尉はずいぶん自信家のようだ」
「はい、そうですね」
ランディの戦場に荒んだ瞳と、少尉の理想に燃える瞳が交差した。硬直した時間を終わらせたのは、けたたましく鳴り響くアラームだった。ランディがセットしたタイマーによるものだ。
「少尉には期待してますよ。では、準備が有るのでこれで……」
「ランディ准尉。今回の任務、根回しをしたのは父ですが、あなたたちを指定したのは僕です。失望はさせません」
少尉を見返したランディの目は、冷淡なものだった。
【目標宙域に到達】
【ミノフスキー粒子、戦闘濃度で散布】
【五分後に降下作戦開始、姿勢を固定してください】
三人を乗せたコムサイに、ブリッジからのアナウンスが入る。
「コムサイ。サブエンジン点火」
「母艦より離脱」
ランディとリンゼイは、グラスコクピットに映し出される数値から、目を離さずにお互いの役割を果たしていた。四隻のムサイ級の艦首部分からコムサイが分離し始める。青いスラスター炎が、漆黒の宇宙を流星のように照らした。
ランディたちの乗ったコムサイが、ムサイから完全に分離しようとした時だった。甲高いアラート音が、コムサイの中に轟いた。その直後、重い衝撃が三人を襲った。リンゼイが悲鳴をあげる。ムサイから分離することは出来た。だが、このまま地球に無事に降りられるわけではなさそうだ。
艦隊に敵が攻撃を仕掛けているのだ。コムサイのコクピットに識別出来た敵機体が表示された。ボールだ。作業用機械に砲やミサイルポッドを備え付けた粗雑なMS未満の存在である。デブリに隠れていたのだろう。艦隊は奇襲を受け、ダメージを負った。だが、ボールは艦隊護衛のMSには性能面で劣る。
ランディがMSに乗っていれば、ボールを大した相手だとは思わなかっただろう。だが、コムサイでは事情が違う。ランディはコムサイの自衛火器で宙を飛び交うボールに攻撃を行う。しかし、所詮は自衛火器だ。火力は完全に不足していた。
「エンジンの出力が全然上がらない!!最初の攻撃で電気系統がイカれたみたい!」
リンゼイが、操縦桿を苛立ちを込めて殴る。
「ザクで撃ち墜としてやる!」
「駄目!装備も機体も陸戦仕様なのよ!溺れている間にやられるわ!」
「わかってるよ!でも、このまま黙ってやられろって言うのか!?」
ランディには現状をどうすることもできなかった。船体にズズゥンと、大きな衝撃が走った。コクピットガラスの向こうには、巨大な目玉があった。シャークペイントが施されたボールだ。コクピット内の空気が、完全に凍り付いた。