シャークペイントが施されたボールは、そのペイントのように、この場では獰猛な捕食者だった。コムサイに張り付いたボールは、ランディたちの生殺与奪の権利を完全に握っていた。ここで、コムサイをむざむざ見逃すほど、ボールのパイロットは甘くはない。
ボールに搭載された低反動キャノン砲の照準が、コムサイのコクピットに合わせられた。衝撃がコムサイを襲った。だが、それはボールの攻撃によるものでは無かった。一機のリック・ドムがボールにショルダータックルを食らわせた余波だ。
ボールは、そのままコムサイから引き離された。そして、リック・ドムのビッグバズを正面から受け止め、そのまま宇宙の藻屑と化した。
「大丈夫か!?アニキ、リンゼイ!!」
接触回線によって、モニターに映し出されたリック・ドムのパイロットはウィルだった。
「ウィル!?」
二人の歓声を受け、ウィルはニヤリと笑った。
「もう高度が100Kmを切る。ウィル、今から艦に戻るのは危険だ。後部ハッチを開けるから後ろに回れ。一緒に地球に降りよう」
「ああ、分かった」
ウィルはリック・ドムのスラスターを吹かし、コムサイの後部に回ろうとした。だが、ウィルの乗ったリック・ドムに、小口径火器を装備したボールから攻撃が加えられる。ウィルはコムサイを守るために、ジャイアント・バズで威嚇攻撃を加えた。
「よせ、構うなウィル!早くハッチに、もう時間がない!」
ランディがウィルに後部ハッチに入るよう促す。ウィルのリック・ドムは、後部ハッチへとコムサイ上を進むが、ボールはそれを許さなかった。ボールが母艦に戻るには高度が低すぎる。せめてもの意地で、ウィルのリック・ドムを墜とそうというのだろう。
ボールはリック・ドムの足元に発砲した。リック・ドムの後ろにはコムサイが有る。ボールにとっては悪あがきだ。リック・ドムが避けようとも、コムサイに命中すればよいのだ。低反動キャノン砲が、ボールの機体に掛かる負荷を無視して乱射される。
ドムとボールの両者はどちらも相手に致命的な一撃を与えることが出来なかった。ドムは、避けることを許されず、重装甲でもってなんとか機体を守っている状態だ。ボールは機体への負荷を無視し、低反動キャノン砲を連射する。
ドムは、重装甲で攻撃を受けながら、ジャイアント・バズを捨てボールに肉薄する。一撃がドムの足を破壊するも、ボールとの距離は至近だった。背中に背負ったヒートサーベルをドムは引き抜き、そのまま、ボール目掛けて振り下ろす。
低反動キャノン砲が叩き斬られ、余波でボールの特徴的な一つ目が割れる。
「ざまぁみろ!」
「とにかく急げウィル!」
ランディはウィルをせかした。この高度でちんたらしていては、断熱圧縮で機体が燃え尽きてしまう。沈黙したかに見えたボールの足が、ピクリと動いた。そして、そのままドムにのしかかる。地球の重力もあって、ドムはボールを振り払うことが出来なかった。
「放せ!この死にぞこない!うぉぉぉぉチクショオ!放せえぇぇぇ!!」
ウィルの悲痛な叫びが、コムサイの中に反響した。
ランディは我慢が出来なかった。この状況ではウィルが後部デッキに辿り着くのは絶望的だというのは誰の目にも明らかだ。それでも、ランディは諦めることが出来なかった。シートの固定ベルトのバックルを外す。そして、ランディは格納庫に足を向け、そこを少尉にたしなめられた。
「ダメです、准尉。僕たちまで危険に晒す気ですか?」
「黙れ、ダチを見殺しに出来るか!!」
「もう、間に合いません」
「七光りの分際で!!」
ランディは、少尉を椅子に固定するベルトをつかみ、拳を振り上げた。
「命令です。席に戻ってください、准尉」
少尉の目は真剣だった。だが、ランディにはその冷酷な目が気に食わなかった。振り上げた拳を振り下ろそうとした瞬間、ウィルからの通信が入った。
【少尉の言うとおりだアニキ。もう間に合わない】
「ウィル頑張れ!何とか振り切れ、ハッチまで数メートルだ!」
【駄目だよ……地球の重力に捕まった……もう、指一本動かせない……】
ウィルからの通信は次第にノイズが増していった。機体が燃え、部品が墜ちているのだろう。ガリガリという音も通信に乗っている。
「馬鹿野郎!諦めてんじゃねーよ!!家族は!おふくろさんはどうすんだよ!」
【俺にもう家族はいないよ】
雑音交じりのウィルの言葉に、ランディは言葉を失った。
【お袋も】
【親父も……】
【工場の爆発で】
【でも……オレは幸せだよ。いつ死ぬか分からない世の中で仲間のために……死ねる】
【戦争は長くない。アニキは弟のために……生き残って】
ランディは格納庫に続くドアを殴った。そして、自分の無力を呪った。ウィルからの通信は、だんだんとノイズに塗れていった。最後に残った甲高い音はLOSTを知らせるものだった。
コムサイから、リック・ドムが引きはがされ上空で小さな爆発が起きる。コムサイは、光の尾を引きながら、青空を、雲海を突き抜けていった。
柔らかそうなススキの野原にアキアカネが群れを成して飛んでいる。夕空の赤とアキアカネの鮮やかな紅と、一面のススキの金色。その中に、モスグリーンの何かが埋まっていた。紛れもなくそれは、コムサイだった。
ゴードン・レノックス少尉は目を覚ますと、自分の身体に掛かる重さを知覚した。首を振り辺りを見回す。コムサイの中だ。重みを感じる手を握ったり開く。宇宙とは違う重力のある場所だ。
「コレが、重力の井戸の底……」
ゴードン以外のクルーはどうしたのだろうか。操縦席には誰の姿もない。リンゼイが、目を覚ましたゴードンに気付き、声を掛けた。手には、端末を持っている。リンゼイが言うには、先の戦闘で機体が遥か東に流されたそうだ。救難信号も発信しているという。
「ザクは、准尉がコムサイから搬出しています。手持ちの情報では、ここは連邦との混戦地帯です」
「ここは一体?」
「北緯35,2616、東経138,4840。“ニホン”という場所です」
ゴードンは、コムサイから降りた。眼前には、夕日に照らされた黄金色のススキと、聳え立つ富士山があった。アキアカネが飛び交い、ザクは夕日を浴びている。
「ニホン……」
ゴードンは小さく呟いた。息は白く。夜はそこまで迫っていた。
搬出された三機のザクとコムサイが並んでいる。一機は、ザクバズーカを装備し、一機はMMPマシンガンを装備している。そして、三機のうち、一際特徴的なのがリンゼイのザクだ。頭部はE型のものに乾燥され、マゼラ砲を改造した巨大なスナイパーライフルを装備している。
「ビーム砲ではないのは、軌道を隠すためですか?」
「流石、少尉。よくおわかりです」
E型の頭部を装着し、スナイパーライフルを装備したこのザクの精密射程限界距離は15㎞を越えると、リンゼイは自慢げに語った。発砲は電子制御式のみならず、レバー式でも出来ると嬉しそうに話す。幾度となく戦場を潜り抜けてきた彼女の相棒だ。
「では、これからの方針を話し合いましょう」
ゴードンの提案に二人は同意した。ランディは、ゴードンに嫌味を言ったが、決定的な決裂を招くほどのものでは無かった。この話し合いで決まったのは、ザクと物資をコムサイから離れた場所に隠すということだった。
コムサイから離れ、十分に隠蔽された場所に三人はいた。晩秋に近く、冷え込みは厳しい。しかし、その寒さのせいか、虫はいなかった。バーテンダーの正装に着替えたリンゼイが、机の上に道具を並べる。
氷が乗った四つのカクテルグラス。ジンとライムと砂糖。リンゼイは十分に冷えたグラスから氷を除けた。それから、シェイカーにジン、ライム、砂糖が加えられた。シェイカーが上下に振られる。洗練された美しい動きだった。それから、四つのグラスにシェイカーの中身が注がれる。
「軍曹はなぜ、軍人になったんですか?」
「私ですか?別に、明確な理由はありません。しいて言うなら、祖父から教えられた射撃の影響ですかね。ちなみにカクテルもです……引き金を引いて奪った命は、美味い酒でちゃんと弔わなきゃいけないって」
若干の沈黙が二人の間に訪れる。
「少尉こそ、なぜ軍人になったんです?」
「僕は、怖くなったんです……この独立戦争が始まって、たった十か月で人類の半数が亡くなりました。だから、僕が軍人になることで、この戦争を一日でも早く終結させることが出来たら……」
「立派な志だ。ですが、覚えておいてください。あなたの命令で、一番最初に犠牲になるのは我々下っ端だということを」
ランディとゴードンは静かに睨み合った。睨み合う二人に、リンゼイがカクテルを渡した。
「いがみ合う前に、ウィルのために献杯してあげてください」
ランディと、ゴードンは黙った。そして、三人はグラスを宙に向け献杯を行った。
「ギムレットはウィルが一番好きなカクテルだったんです。彼は旧世紀の作家レイモンド・チャンドラーのファンだったから……」
リンゼイがそう呟く。三人はそれぞれの思いでグラスを眺めていた。
「このギムレットって私たちみたいですね。このカクテルのベースに使っているジンは少尉と同じゴードン。少尉はジンですね。ライムは私で、甘ちゃんのランディはシュガー。さしずめ、ギムレット小隊ってところですね」
リンゼイの言葉に、二人は微妙な顔をした。ランディは甘ちゃんと言われたことに顔をしかめ、ゴードンは何を言えばいいか分からなかった。そんな時間は、突然の警報で中断された。モニター端末に熱源反応が確認されたのだ。
コムサイに向かう熱源反応だ。コムサイに取り付けられたカメラから転送された映像には一機の
「待て、様子がおかしい。ザクが識別信号すら出さない。しかも単独で接近してくるなんて……」
「それは、通信機器の故障じゃ……」
「隊とはぐれたのか?」
「或いは……」
ランディとゴードンの懸念は的中した。ザクはおもむろにマシンガンを構えると、コムサイに向けて発砲した。マシンガンによる攻撃は、コムサイの燃料庫を的確に貫いた。燃料は空気に触れ揮発し、爆発を起こした。コムサイから、巨大な火柱が上がる。
「クソ、鹵獲されたザクか!リンゼイ、奴を狙撃できるか?」
「ダメよ。相手の数が分からないのに、攻撃をするなんて危険だわ。敵は、コムサイから私たちが小隊以下の規模だって知っているわ」
「山を背にしたルートで撤退しましょう。敵場が分からない以上ここにとどまるのは危険です」
ゴードンの指示に従い、ギムレット小隊はこの場所から移動を始める。夜闇に紛れ、三機のザクは当てもなく動き出した。草原を歩くうちに夜は明けようとしていた。
「あのザク、リペイントされていなかったな……」
「どうしたのランディ?あのザクのことが気になるの?」
「ああ。リペイントされていなかった理由が気になる」
「それは、私たちジオンを仲間と思わせる陽動よ。いかにも連邦がやりそうな手だわ」
「だとしたら、俺は見逃すことは出来ないな。今回は運良く引っかからなかったが、次の友軍がどうかは分からない」
ランディは、あの鹵獲されたザクを破壊しに向かうようだった。慌てて、リンゼイが止めに入る。
「私たちの指令を忘れたの?少尉も止めてください」
「少尉。今度は止めても無駄ですよ」
「ええ。止めません。僕も行きます」
ゴードンは地球への降下の時とは違い、ランディを引き留めなかった。リンゼイはゴードンのそんな様子に慌てた。
「少尉!?どうして乗り気なんですか!?」
「僕も気になっていたんです。こちらが、小隊以下だと分かっているなら、相手は数で抑え込めばいい。それに僕なら、突然現れた敵から目的を聞くために、相手を捕虜にします。相手には、僕たちを騙し討ちにする理由が有ったんです」
ゴードンの冷静沈着な判断に、リンゼイは反論を持てなかった。
「そうですけど……」
「それに、相手の情報を知らないと、僕たちは常に後手に回ることになる。情報が必要なんです。軍曹は後方から援護をお願いします」
そういい残して、二人は敵が存在するであろう地点へと向かっていった。残されたリンゼイは渋々、二人の援護をすることになった。ゴードンを前線に送らず、後方の安全地帯に送るという任務は、コムサイが制御不能に陥った時から、破綻し始めているようだった。
「もー。戦わないんじゃなかったの?」そう呟いて、リンゼイは溜息を吐いた。