薔薇の皇女殿下の物語   作:kuraisu

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未来の薔薇園より

 ゴールデンバウム王朝の時代が終わり、ローエングラム王朝の時代が到来して半世紀以上の時が経過していたが、ゴールデンバウム時代の宮廷、新無憂宮は、大部分が歴史博物館として改装されたものの、すべてがそうなったというわけではなかった。

 

 政務や接待の場となっていた東苑(一般に新無憂宮とだけ言うとこちらをイメージする者が多い)、広大な狩猟場のある北苑はすべて一般に解放されたが、皇帝一家の生活の場であった南苑、寵姫が住み後宮として扱われていた西苑の一部は、今もなお宮内省の管理下にあって、ローエングラム王朝の離宮としての役割を果たしていたのである。

 

 このことは博物館に対する魅力を多少なりとも向上させる効果があった。なにせ、来館していたら現役の皇族を見かける可能性が多少なりともあるのだから、皇室崇敬の念を持つ者は展示資料に多少の興味がある程度でも来館するのである。

 

 そんな新無憂宮の西苑の温室に、百年近い歴史を刻んでいる薔薇園はある。かつて宮廷の者達はもとより、民衆からも忌まわしさをもって認識されていたという曰く付きの薔薇園であるのだが、現在ではそのイメージは大きく変わっている。

 

「アグネス!」

 

 その声を聞いて、薔薇の世話をしていた金髪の可憐な令嬢は、それを一時中断して声の主人を確認すると、笑みを浮かべて駆け寄った。

 

「お兄様! お久しぶりでございます! どうしてこちらに?」

「こっちにきて近習にお前の居場所を問うたら、この薔薇園にいると聞いてな。おまえは本当に薔薇が好きなんだなぁ」

「そうではなくて、オーディンに来られた理由を聞いているのです。皇太子のお兄様が、お忍びでこちらに来られるなんて、何事です?」

 

 そう言って可愛らしく首を傾げた妹を見て、皇太子は笑った。相変わらず聡いことだと思ったのである。

 

「こちらの方面軍の視察が主な用事なんだが、近くだから久しぶりに妹に会いに行ったという建前で、おまえに話しておきたいことがあったのだ」

「なんでしょう?」

「最近、新領土のほうがなにかと騒がしいので、軍務省が念のために来年度予算の軍事費を増額してくれとか言いだしてな。そしたら財務省が『どっから予算を持ってくるつもりだ』と激怒したんだ」

「はあ、それで?」

「……どこの予算を削減するかという話が変な方向に転んで新帝都では新無憂宮に使う金を減らそうという方向になってしまった。宮内省が抵抗しているが、情勢は結構厳しい。もしそんなことになればこの歴史博物館として運営も困難なものとなるだろうし、おまえの好きなこの薔薇園も維持が難しくなる」

「まあ!」

 

 整った眉を歪めて、アグネスは怒気をあらわにした。

 

「ここの歴史的価値を理解しないだけでも腹立たしいのに、この薔薇園まで潰すですって!? まったく無骨な軍人たちはなにを考えているのかしら! それを掣肘できないどころか、言い負かされてる政府の連中も頼りないこと! まったく、今の政府の連中は腑抜けや腰抜け、もしくは愚か者の類しかいないのかしら!!」

「怒るのはもっともだけどさ。もうちょい言葉を選ぼうよ」

「十分に選んでいますわ! オーディンの多くの人から敬愛されている私と同じ名の人がはじめたこの薔薇園まで潰そうというのですもの! 私に対する宣戦布告と受け取りました!」

「……【オーディンの守護聖人】か」

 

 皇太子は何気なく呟いた。それは妹と同じ“アグネス”の名を持つ百年ほど前の歴史上の人物であり、ここの薔薇園は彼女の望みにより設置されたのが、はじまりであると伝わっている。

 

 ゴールデンバウム朝銀河帝国第三五代皇帝オトフリート五世の末娘として生まれたアグネス・フォン・ゴールデンバウム。彼女に対する歴史的評価は、ゴールデンバウムの時代とローエングラムの時代では大きく異なる。

 

 たいそうな美少女に育っていたアグネスは、父帝からいたく気に入られていたが、酷く傲慢で冷酷な性格の所有者で、幼き頃より自分の気に入らない存在を片端から父帝に言いつけ、躊躇もなく抹殺していった。

 

 さらに彼女は上昇志向と虚栄心も強く、あらゆる学問を貪欲に学びたがった。そうして得た知識を根拠として、女だてらに官職を求め、政府においては内閣特別顧問、軍においては上級大将にまでなったという。当時としては異例にもほどがあることである。

 

 だが、その過程で彼女は多くの人間を破滅させていた。しかも割合としては平民や下級貴族が圧倒的ではあったが、門閥貴族をも父帝の力を借りて少なからず破滅させており、身分を問わず当時の人間から恐れられた。彼女に深く関われば身の安全が危ういと誰もが思ったのだ。

 

 いつしか【魔女】【血塗れ】【黒薔薇の冷血姫】【滅びの皇女】などの忌名で呼ばれるようにいなり、アグネスの不興を買わぬように戦々恐々としたというが、そんな彼女の最後は呆気ないものだった。父帝オトフリート五世が崩御したのと前後して体調を崩し、そのまま回復することなく、二〇代半ばにしてこの世を去ったのである。

 

 あまりに呆気ない【魔女】の終幕は、様々な憶測を生んだ。彼女を庇護していたオトフリート五世がいなくなったので、ただの邪魔者と宮廷から認識されて処分された。皇帝に即位した兄であるフリードリヒ四世が妹を恐れ、その抹殺をはかったなどである。もっとも、フリードリヒ四世による暗殺説については、当の皇帝が妹の薔薇園を非常に大切にしていたので、宮廷ではあまり信じられてなかったそうだが……。

 

 以上が、ゴールデンバウム朝時代のアグネス・フォン・ゴールデンバウムという人物の評価であったが、ローエングラム朝の時代となり、ゴールデンバウム朝時代の暗部が公開されるようになると、その評価は一変した。

 

 国家機密に指定されていた資料になにか新しい記述があったわけではない。フリードリヒ四世の腹心であったグリンメスハウゼン子爵家の最期の当主の私的な日記が公開され、そこにアグネスに関する記述があったこと。そして初代皇帝ラインハルトの姉であるアンネローゼが、フリードリヒ四世から妹アグネスに関する話を聞かされていたのである。

 

 それによると本当のアグネスは傲慢で冷酷な存在でも、虚栄心と向上心の強い人間でもなかった。ただ普通の少女であった。いや、それどころか、非常に心優しく、国と民の安寧を願う少女であったというのである。

 

 にもかかわらず、父帝オトフリート五世より異常な愛を向けられ、アグネスが少しでも怒ったり泣いたりするたびにオトフリート五世は怒り狂い、その原因の対象を娘のために「排除」するようになったのである。

 

 それを自覚したアグネスは自分のせいで他人を破滅させたくないと自分の感情を殺し、父帝の望むように成長する人形へと変化していった。それが傍目からは冷酷で傲慢なように見えたというだけのこと。

 

 そしてオトフリート五世が崩御して、アグネスはその生き地獄から解放されたのだが、彼女の精神はもはや自由に耐えられなかった。彼女は自分と父のために死んでいった者達に対する罪悪感の炎に焼かれ、生きる意欲が失われてしまっていて、まるで父を追うかのように衰弱死したのである。

 

 この事実が公表されると、帝国臣民の中から老人たちから恐る恐る「当時、アグネス殿下にかばわれたことがあった」という証言もいくらか出てきて、アグネス・フォン・ゴールデンバウムに対する再評価が行われるようになり、今では【オーディンの守護聖人】などと、生前とは真逆の異名がつけられるに至った。

 

 オトフリート五世はゴールデンバウム朝の歴代皇帝の中では、「名君」に属するだけの治績をあげているだけに、「絶対権力の危険性」を教えるための教材として現在のローエングラム朝の世では広く知られた話となっている。

 

「お兄様、どうかなさいましたか」

 

 “歴史上のアグネス”から“妹のアグネス”へと皇太子は意識を戻した。

 

「いやな、【オーディンの守護聖人】の話を聞くと、どうも思うところがあってだな。彼女が優しい人間であったとしても、彼女のために多くの人間が死んだことは変わらぬではないか。皇族として、国を率いる者として、無責任ではないかと感じるのだ」

「……そうかもしれませんね。百年前のアグネスは、弱かったですから」

「弱いことが言い訳になるとも思えんが。父帝オトフリート五世に一矢報いたとかいうのならまだしも、崩御まで唯々諾々と現状を受け入れていただけとなるとなぁ」

「ではお兄様、お兄様は物心つくかつかないかの頃からそういう状況におかれても、父に反抗できるのですか?」

 

 妹が目を細めたのを見て、あ、やばいと皇太子は思った。妹がこういう表情をするときは、なにかしら琴線に触れて、激しく反論してくる前触れだと経験則から知っていたのである。

 

「あくまで仮定の話ですが、もしお父様が突然急変され、オトフリート五世のような独善的な愛を私に注いできたら、もちろん反発しますよ。家族団欒の場で飛び蹴りをしかけ、そのまま殴り殺すなりして、お父様の暴挙を終わらせますわ」

「お、おう」

 

 想像以上に過激な解決策を述べる妹に、皇太子は圧倒された。自分たちの父親って、この国の皇帝なんだぞ。

 

「ですが、それは今そうなった場合の話です。もし幼子からそのような状況に置かれていたら、百年前の彼女ように、帝国の民を慈しめるものでしょうか。『どうして自分だけが』『自分に憎悪の目線を注いでくる民衆を殺戮して、どうしていけないのか』と他の人間を妬み恨み、積極的に害するようにならないかというと、私には自信がありません」

「……俺にはよくわからん感覚だ」

「お兄様は強くて正しいですものね。だから、このような弱者の感傷に疎くなるのは仕方ないことなのかもしれませんが、そういうものなのだと理解してはいてください。お兄様は、お父様の跡を継いで、いずれ皇帝陛下になられるのですから、弱者の心も考慮できなくてはダメでしょう」

「父上からもよく言われてるから、理解しようとはしているのだが……」

「ならいっそのこと、それをフォローできる腹心でも抱えた方が手っ取り早いかもしれませんね。いや、お兄様の鈍感さを思うと、そちらの方が堅実で確実かもしれません」

「おまえな……」

「弱いこと自体は罪ではないのです。もし百年前のアグネスに罪があるとしたら、権力者たる地位にあったということ。ですが、それはゴールデンバウムの時代においては当然のことでしたし、嫌だからといって辞めれるような環境でもなかったでしょう。だから弱い存在でありながらも、国と民を想う心を最後まで持っていた彼女に、多くの帝国臣民は儚い美しさと、悲しさと、感謝を覚えるのでしょう」

 

 それでも【オーディンの守護聖人】というのはいささか持ち上げすぎだと、私も思わなくもないですがと言ってアグネスは微笑んだ。そこまで言い切ると話が大きく脱線してしまっていることを思い出した。そうだ、政府のアホどもの愚挙をどうにかしなきゃいけないのだった。

 

「そんなアグネス・フォン・ゴールデンバウムの記録しかり、この新無憂宮の博物館には、ゴールデンバウム王朝時代の教訓がたくさんあって、ローエングラム王朝の警鐘となるものであるのに! 政府の連中の方針を改めさせるための方策を考えないといけませんわ。さしあたり、オーディンの有力者を集めて会合を開いて、それから――」

「おまえ、あいかわらず忙しないな。多少はおとなしくできんのか。薔薇のように可憐な容姿が台無しだぞ」

 

 皇太子である自分の妹であるのだから、無用な心配だとは思っているが、そろそろ成人するというのに、この落ち着きのなさでは嫁ぎ遅れを危惧してしまうし、そうでなくても妹が嫁ぎ先に多大なる迷惑をかけ、夫婦関係を崩壊させやしないかと兄としては心配せざるをえない。

 

 だが、そんな兄の思いやりから出た言葉によって、自分の思索を邪魔されたアグネスは非常に苛立ち、額に青筋を浮かべて、怒鳴った。

 

「薔薇に棘があるのは当たり前ではありませんかッ!」

 

 そう憤激しつつ、アグネスは思う。

 

 ごく当たり前な感情の発露。それすら百年前のアグネスはできなかったのだ。それだけでも私は幸福なものだと思うし、そんな環境であっても優しさを忘れなかった百年前のアグネスは本当に凄かったと思う。そんな人と同じ名前であることは、ちょっとだけ誇らしいことなのかもしれない。

 




アグネス・フォン・ローエングラムのアイディアは酒を飲むな
ストーリーの担当はクライス
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