パラダイスロスト   作:緑川蓮

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番外:イベントクロニクル
星座


 

 

 

 手で左目を覆うと、右目はほとんど見えない。

 

 

 すべての輪郭がなくなって、物体と光の混ざり合った空間が広がっている。まるで、絵の具を溶かした水中に似ていた。この両腕も、長く細かい作業を続けると少しだけ震えてくる。

 もっと便利な義眼や義肢に取り換えてはどうかとよく言われるけれど、あいにくそれは無理な話だった。この目と、この両腕が良い。この目と、この両腕以外に考えられない。自分が生きた痕跡を残そうとしなかった師匠の、数少ない忘れ形見のひとつだから。

 

 外はまだ暗い。部屋の端から淡いオブラートのような月明かりが差しており、2段ベッドの下の方からは微かな寝息が聞こえて来る。

 ホログラフ端末を起動して時刻を確かめると、まだ午前2時を回ったところだった。

 ……どうにも、妙な時間に起きてしまったらしい。

 

 下の段で寝ている、紅い瞳と黒いツノが特徴的な銀髪の少女……ルベルを起こさないように、音を立てずそっとベッドから降りた。

 ベッドの端にかけておいたパーカーを掴み、袖を通さずに羽織る。

 俺とルベル、ふたりが住むマイルームの窓は出来る限り広くしてある。狭くて暗い部屋は、ルベルにとって色々なコトを思い出させてしまうらしいからだ。

 大きく開けた景色からは、石造りのベランダと海岸と夜空が覗いている。

 控えめな音を立ててスーッと開いたドアから外へ出る。

 潮の匂いを乗せた夜風が鼻先から掠めていった。

 

 アークスシップの内部は、人工的に昼夜と自然と季節が再現されている。

 この海も、高度なVR技術を駆使して投影されたニセモノに過ぎない。

 

 それでも、空気の澄んでいる綺麗な夜だ。

 青白く輝く砂を散りばめたような紺碧の星空が、遠い水平線の果てとつながっていた。

 反響する潮騒、柔らかな風に揺られるベランダの花壇。

 穏やかなようで賑やかな、騒がしいようで静謐な世界。

 

 こういう夜は、どうしたって「昔」のコトを思いだす。

 ゆっくりと、強い輝きを放つ北西の星を指差した。……あれは1等星「ヴァーユ」、更に西の方できらめく星は同じく1等星「ヴァルナ」……――。

 

 

 

 

 

「――……そして反対側を向き、東にある最も大きな星は特等星『インドラ』。ナベリウスの森林エリアにおいて、ヴァーユ・ヴァルナ・インドラが同じ空で光るのはこの時期だけ。なのでこれらは『ナベリウス森林・第3季の三角形』とも言われる」

 

 師匠はいつも通り抑揚の目立たない声で、表情ひとつ変えずに解説する。

 相変わらず多趣味で、妙なコトまで知っているヒトだ。森林エリアに出現したダーク・ラグネの討伐を終えてから、俺と師匠はふたりで星を眺めていた。

 これは近頃、任務を終えてからの日課みたいなモノである。

 

「ヴァーユのすぐ近くに見える大きな星は、それぞれ2等星『ビーマ』と『ハヌマーン』。神話の世界でヴァーユは風を司る神とされており、その息子であるビーマとハヌマーンも共に優れた力を持つ英雄として称えられた」

「……今更だけど、よくそんな話まで知っていますね」

 

 正直なところ拾われた当初は、もっと機械的かつ合理的で、不必要な事には見向きもしない性格だと思っていた。無駄に語らず、無意味な挙動は省き、ただ与えられた任務を粛々とこなしていくだけの、無味乾燥な人間だと。

 実際にそれは間違っていなかった。他のメンバー達と居る時でも、師匠だけは滅多に口を開きも笑いもしない。

 ただ俺に何かを教えたりする時だけは饒舌だし、そこで意外と戦闘の他にも様々な知識を持った勉強家だというコトを知った。

 

「優秀な兵士ほど、豊富な教養を持っているモノだよ」

「いつも思うんですけれど、それって遠回しに自分が優秀だって言ってません?」

「優劣は相対的なモノで……つまり、少年が劣っているというだけじゃないかな」

 

 相変わらず嫌な性格で嫌な返し方をして来やがる。

 ただ記憶がないためなのか、実際に俺は「この世界」についての知識が他人よりも浅い。

 何か言い返してやるにしても、知識も実力も、いつまで経ってもこのヒトの背中に追いつける気がしないのは事実だった。

 

「……ところで、少年」

 

 いきなり呼ばれたので、何かと思って師匠の方を見る。師匠の視線は相変わらず星空を見上げており、その横顔に「何度見ても、男か女か分からないな」なんて感想を抱いた。

 

「少年は、自分の記憶を取り戻すつもりは無いのか?」

 

 投げかけられた質問に、思わず硬直する。……本当に、相手の心を見透かすのが上手いヒトだ。

 

 ナベリウスの遺跡で、目を覚ましたあの日。俺にはそれ以前の記憶が無い。

 各種の検査を経て俺はどうやら十代後半、具体的には16歳から18歳くらいだろうという事、そして「オラクル以外の『どこか』から来た」らしいコト、その世界でも何かと戦っていたのではないかという事だけが明らかになった。

 つまり生まれてから15年以上は、未だに謎のまま。

 

 気にならないのかと言われれば、気になる。自分はどこから来た何者で、何があって、あるいは何のためにここまで流れ着いたのか。

 俺は本来、何を為すべきで、何と戦うべきだったのか。

 でも、同時に――……。

 

「……今は、このままでも良いかなって思うんです」

 

 もし本気で記憶を取り戻すつもりだったなら、俺は研究機関に身を置くなりして、徹底的に自分を調べて貰うのが良いだろう。

 しかし師匠に拾われ、先輩のメンバー達に囲まれ、戦いに明け暮れるこの日々も決して充実していないワケじゃない。師匠と一緒に星々を眺める、この時も嫌いなワケじゃない。

 本人には絶対言ってやらないけれど。

 

 それに記憶を失くす前の俺が何かと戦っていて、もしオラクルへも「何か」と戦うために来たのだとしたら……いずれにせよ、戦い続ければいつか対峙する時が来るだろう。

 だから、今はこれで充分だった。

 

「今は出来るコトに集中する、それだけです」

 

 ただ師匠の背中へ追い付いて、肩を並べて戦う──今は、それを目指すだけで良い。

 師匠は何も言わず、少しの間こちらを横目で見つめた後、目を閉じて立ち上がる。

 

「なあ、少年」

 

 そして、ようやく口を開いた。

 

「──もし私がいなくなったら、その時はどうする?」

 

 もしいなくなったら……とはどういう意味だろうか。

 質問の意図が上手く呑み込めず、少しだけ思案した。

 

「探します、一人前のアークスになって」

 

 どこか任務で遠くへ行くのかもしれない、そう思って率直に返す。

 師匠はしばらく俺を、翡翠色の双眸でまっすぐ見下ろしていたが、やがてひとつ鼻で笑うと踵を返した。

 

「ちょ、何で今笑ったんですか」

「まだ半人前も良いところのひよっこが、大口をたたくものじゃないよ」

「やっぱアンタすっげ性格悪い! だいたい師匠と他の先輩がおかしいだけで、俺だって同年代に比べれば……!」

 

 慌てて立ち上がり、星空の下、師匠の後をついていく。

 まだこの時は、本当の意味で師匠が「遠くへ行ってしまう」なんて考えてもいなかった。

 

 

 

 

「……ん、ウィリディス……?」

 

 少し間延びした声が聞こえて、我に返る。振り向くと、ルベルが寝ぼけ眼を擦りながらベランダへ出て来ていた。

 起こしてしまっただろうかと思い咄嗟に謝ると、どうやら違うらしい。

 

「ううん、勝手に変な時間に起きただけ」

 

 お前もなのね。

 見れば下着にカッターシャツを着ただけの姿だ。

 何でコイツはこんな寒そうな格好で寝ているんだろう。ひとまず羽織っていたパーカーをかけてやると、彼女は「ありがと」と小さく返事をした。

 それから少し何かを思案したルベルは黙って俺の隣へ並び立つと、星を指差し始める。

 

「……アレが1等星『ヴァーユ』、もう少し西側に見える星は『ヴァルナ』……これに特等星の『インドラ』を加えた3つの星が『森林の第3季三角形』……合ってる?」

 

 いきなりの事だったので、少しだけ目を丸くしてルベルを見た。俺の本棚にある図鑑でも暇潰しに読んでいたのだろうか、自分で調べてみたのだろうか。

 

「何よ……前にウィリディスが教えたんじゃない」

 

 そうだっけか。そんなコトがあったような気もするし、なかったような気もする。

 

「無口・無表情・無愛想・無味乾燥な性格かと思っていたら、思いのほか多趣味で妙なコトまで知っているのよね、アナタって」

 

 思わず吹き出した。ルベルは隣で「何いきなり笑っているのよ」と驚いていたが、コレは無理もないだろう。

 ひょっとして共に肩を並べて戦いたい、なんて思われていたりするのだろうか。

 今度は俺が1等星のヴァーユを指差す。

 

「……ヴァーユの近くに見える大きな星は、それぞれ2等星の『ビーマ』と『ハヌマーン』だ」

「へえ、あの星にも名前があるのね……」

 

 その日はしばらくの間、ふたりで星を眺めていた。

 反響する潮騒、柔らかな風に揺られるベランダの花壇。

 遠い水平線と繋がる夜空、ルベルと俺の声。

 ──穏やかなようで賑やかな、騒がしいようで静謐な世界。

 師匠もこんな気持ちで、俺に星を語っていたのだろうかと思いながら。

 

 

 

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