パラダイスロスト   作:緑川蓮

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 時は、待たない。すべてを等しく、終わりへと運んでゆく。

 

 

 

 

 

 

『アラ、ルベルも起きたのねェ。丁度いいから下のカフェにも寄っていきなさいよォ。帰還祝いで代金はアタシ持ちにしてあげるからァ。って言うかアタシがこのビルのオーナーなんだけどねェ。アハハまあ良いから行ってらっしゃいな!』

 

 などとルベルは起き抜けからオカマに押し切られてしまった。ウィリディスは別に顔を出す場所があるとかで、ひとり手持ち無沙汰の彼女は言われた通り下階へ降りてドアノブに手をかける。

 扉は美容室と同じく木造りで、その上の方に猫を模したレリーフの飾りが吊り下げられていた。ちょうど尻尾の部分に銅褐色の大きめな鈴がついているので、扉を開くと、金具の転がる耳心地の良い音が響いた。

 

「ニャーン」

「にゃーん?」

 

 まず足元に目をやる。見上げて「ようこそ」或いは「よくぞ参ったなニンゲン」とばかりに威勢よく鳴く、キジトラ模様の丸々肥えている猫が居た。

 それからルベルを中心に、わらわら他の猫も群がってくる。ひい、ふう、みい……まあ大まかに数えて10匹よりは多いだろう。

 ルベルは考えるより先に目を輝かせた。ネームレスシップで猫と出会う機会なぞ皆無だったから実に数年ぶりのネコニウムである。その場で屈み込みモフモフに顔を埋め思い切り吸引するところだった。

 それより先に温度の無い、しかし耳覚えのある声が聞こえる。

 

「……ルベル?」

 

 声が聞こえた、左手のカウンターテーブル側に目を向ける。黒い髪の華奢な女性が居た。眼帯に覆われた顔の左側は、大きな火傷と切り傷の痕が生々しく残されている。

 

「アヴリス……」

 

 黒髪の女性、アヴリスはそれまで磨いていた、陶器のコーヒーカップを布巾と共に取り落とす。ルベルが二の句を継ぐよりも早く彼女に駆け寄り、腕を回し、まるで幼子が親へとしがみつく様に抱き着く。

 

「え、ちょ、貴女、急にどうしたの……!」

「分からない」

 

 ルベルの記憶に居るアヴリスからはあまりに掛け離れた行動だった。戸惑いつつ問うと、いつも通りの平坦なトーンでアヴリスが返す。

 

「分からない。けど、まだ少し。このままで」

 

 これも記憶通りの、たどたどしく口数少ない喋り。呆気に取られていたルベルもやがて目を瞑りながら微笑む。それから自身もまたアヴリスの背に腕を回し、ゆっくり優しく抱き締めた。

 

「……仕方ないわね。ただいま、アヴリス」

「おかえり、ルベル」

 

 猫達も見た事が無い店主の挙動に驚いているらしく、2人の周りを所在なさげにうろうろと歩き回るか、あるいは丸い目つきで遠巻きにじっと見守っている。

 アヴリスの気が済むまで、少しの間そのまま時間が流れた。

 

 

 

 

 

 

 地球に比べると、オラクルにおいて入院者用の病棟と部屋数は少ない。投薬治療も外科医療も、家庭の医学に置いてもレベルが桁違いなのである。まず入院を必要とする患者が少ない事に加え、平均的な入院期間も短いためだ。

 なので基本的に入院病棟は全て個室だが、ウィリディスが自動式のドアに招かれるまま入った先に居る男は、また別の理由によって特別な個室を割り当てられていた。

 

「来たか」

 

 男はウィリディスの記憶にあるよりも頬が痩せこけ、眼窩が落ち窪んでいた。元から色素が薄い紫苑色の髪も、より白髪の割合が多くなったようだ。

 ただ獣の様に鋭利な眼光は、変わらずウィリディスの方を射抜いている。

 

「思った以上にベッドも点滴も似合わないッスね、社長」

「元社長、だ。まあ好きに呼べば良い」

「本名で呼ばれるのは嫌がってた癖に」

 

 対ダーカー用兵装の開発を担う、アークス御用達の大企業がある。それが目の前の男であり、ウィリディスは彼がその代表取締役を辞任したと聞いても俄には信じられなかった。

 身にダークファルスを宿しながら、それを自前の精神力だけで調伏し、果てには自身の力として従えてた男である。戦闘能力に留まらず常人を逸脱したバイタリティと、宿したダークファルスに由来する「生きて活動する事そのもの」への執念を駆使し、誇張抜きで休み無く常に社長職に邁進していたハズだ。

 

「不眠不休が祟って盲腸でも罹りましたか。それとも何だっけ、しばらく前に地球で流行ったっていうアレ、確かコロ……」

「知らん訳ではあるまい。私のタイムリミットが近付いているだけだ」

 

 平時よりも薄っぺらな軽い口調と声色で茶化そうとするウィリディスを、元社長の言葉が遮る。ウィリディスは深い溜め息をついて、ベッドの横合いに備え付けられている簡素な円柱状の椅子に腰掛ける。

 それから視線を、窓際側でカージュの隣に立っていた女性へ向ける。つい先日も見た顔である。これからウィリディスが所属する部隊の総隊長である、ルディアだ。

 

「しかし戻るなり呼び付けられたと思ったら、なぜ総隊長殿もここに?」

「なぜって……あれ話してなかったっけ。カージュは私の旦那だよ」

 

 ウィリディスが真顔で口を半開きにしたまま、実にたっぷり5秒の静寂が流れた。

 

「いや総隊長殿マジで冗談のセンス無」

「事実だ」

 

 ウィリディスが鼻で笑う様な失笑のまま硬直し、今度はめいっぱい10秒の静寂が流れた。

 

「ちょっと待ってくれ今リアクションと言葉を探してる……」

 

 頭を抱えたウィリディスが辛うじて言葉を絞り出す。ルディアが本当だもんねー、と言いたげにニッコリとカージュへ笑いかけるが、カージュは不愉快そうに鼻をひとつ鳴らすだけだった。

 

「えっ……それってどういう……ちょ、マジで……?」

「その下りは数年前に散々やった。いい加減飽きている。さっさと本題に移るぞ」

「しかも結構前だな!?」

 

 ウィリディスは釈然としないまま、しかしこれを掘り下げたら明日の朝まで掛かる気がしたので、崩した姿勢を立て直して椅子の上で脚と腕を組む。

 用件が見えない。元々ウィリディスが率いていた()()()と、カージュが社長を務めていた企業、即ちダーカーズフォールコーポレーション(DFCo.)は繋がりがあった。しかし空挺団は離散して久しい。また団長と代表取締役という立場を抜きにしての、ウィリディス個人とカージュ個人としてはあまり接点が無いハズだった。

 

「それで、どういった用向きでわざわざ呼び出したんで?」

「用件は2つだ。まず1つ目にイルミナス機構が完成を見た……随分前になるがな」

 

 これも今となっては懐かしい単語だ、とウィリディスは目を細めた。かつてウィリディスがまだ空挺団の長として、カージュが社長として責務を全うしていた時の話である。

 DFCo.が着手していた新製品の試験運用役として、ウィリディスが選ばれていたのだ。

 同社が誇る数々の先進的兵器(イカれウエポン)による耐久テストを難なく突破した先、ウィリディスを待っていたのは社長であるカージュとの一騎討ち。耐久テスト(という名の実質レイドバトル)はDFCo.社員らの間では今でも語り草らしいが、ひとまずそれは別の話。

 

「フォトン伝導率を向上し、着用者の戦闘力を向上する試みは成功した」

「特にA.J.I.Sもお世話になってる子は多いんだよ」

「はあ、おめでとうございます」

 

 ウィリディスはひらひらと手を振りながら、気のない返事をする。自身が関わっていたのは既に数年前で、しかも完成する前にアークスから亡命したので、今となっては知らん話というのが本音だった。

 

「ただし完成形のプロトタイプは未だお蔵入りだ。それを貴様にくれてやる」

「そりゃまた一体、どういう風の吹き回しで」

「あのスーツは貴様にしか扱えん。着れば分かる。後で本社に寄って受け取れ」

 

 淡々と言い放つカージュに対して、ウィリディスは首を傾げる他ない。頭を捻っている間にも、カージュは無視して次の句を継いだ。

 

「2つ目の用件だ。恐らく通信越しに言っても受け入れんだろうから、こうして直に呼んだ」

「アンタにしちゃあ随分と勿体振りますね。結婚報告(さっきの)聞いた後じゃ何を言われても驚かないし、さっさと頼みますよ」

 

 しかしウィリディスはカージュの言葉に凍りついたのだった。

 それは彼にとって遥か昔に完結した物語のハズだし、また有り得てはならない事だからだ。

 そしてウィリディス・フルフィウスという個人の全てを揺るがす言葉でもあった。

 

 

 

貴様の師――『流星』が、生きているかも知れない

 

 

 

 病室の静寂を裂いて椅子が転がる物々しい音。ウィリディスがカージュの襟首を掴み、おおよそ見せぬ形相でカージュを睨み付けていた。カージュは眉すら動かさずウィリディスの眼光に応じ、片腕で咄嗟に立ち上がったルディアを制している。

 

「随分とタチの悪い冗談言う様になったじゃねェか。耄碌したか、あァ?」

「不愉快だ、手を退けろ。斬り落としてやっても良いが、続きを話すぞ」

 

 ウィリディスとて分かっている。カージュはそんな冗談を言わない。分かっていても認める訳にいかないのだ。なぜならウィリディスの師は5年以上前に没した。そして当時まだ()()()()()()だった男はウィリディス・フルフィウスを名乗り、奪われた右目と両腕を師の遺体から移植して、流星の渾名を継ぐに至ったのだ。

 ――師よりも死ぬべきは自分だった、という自己嫌悪と後悔を抱いたままで。

 師の鼓動が止まる瞬間に寄り添っていた。零れ落ちる鬱陶しい涙と、口の中で滲む鉄の味を一度たりとも忘れた事は無い。荼毘に付す師の亡骸と揺れる焔に、断じてかの『共食い』を斬り捨てると誓った日を、一度たりとも思い出さなかった事は無い。

 

「我が社の情報セキュリティは知っているな。その最深部およびA.J.I.Sデータバンク中枢へのアクセスログから確認した」

「そんなの、物証が無いなら……まだ、何も」

「ハッキングの手段はフォトンによる介入だね。そして僅かに残された生体輝紋(フォトンパターン)は、生前の流星さんと一致していた……らしいよ。私も司令からの受け売りだし、流星さんと面識は無いけどさ」

 

 ルディアがカージュの代わりに補足するが、そもそも彼女が流星との面識がある訳も無い。

 その素性と姿を知るのは、たった数人のアークスだけである。

 諜報と暗殺の達人にして先代六芒均衡の零、あるいは()()()()()()()()唯一の六芒均衡だ。任務の際すら姿を見せず、ただ星が瞬く様な一閃と、事切れるターゲットのみが現場に残されるという伝説のアサシン。故に誰かが、そのアークスを「流星」と呼び始めた。

 

「バカを言うな、あの師匠が仕事で自分の痕跡を残す訳が()ェだろうが!」

「まだ未確定だと言っている。師が絡んだ途端に平静を失う姿は褒められたものじゃないな。流星が見れば失望に尽きるぞ!」

 

だったら! 俺に! そんな曖昧な話を聞かせるな!

 

 カージュの胸倉を掴んだまま叫んで、ウィリディスは彼を乱暴に突き放し、両手で自身の表情を覆い隠す。ルディアがカージュの身を案じて寄り添い、しかし2人はむしろ憔悴しきったウィリディスに意識を向けている。

 ウィリディスは混乱が錯綜する脳内の端で、ひとり自分だけが此処へ呼び出された理由を悟る。こんな姿とてもルベルに見せられたものではない。

 通信越しに伝えられたとて、信じられはしなかっただろう。

 

「そんな……そんなの、手放しに喜べるかよッ……!」

「或いは、流星の存在を知る誰かの偽装かも知れない。とは言っても……それ自体が困難だから、現状は何も言えないんだけれどね……」

 

 ルディアの言葉は慰めにもならない。堰を切ったように、ウィリディスの突き付けられた混沌が荒々しい語勢で溢れ出していく。

 

「数年ぶりに帰ってきた! そこで見せつけられたモノが、アンタの……カージュっていう男の、こんなに弱りきった姿で! あまつさえ……」

 

 言葉尻は萎んでいく。振り払った指先が、感情の遣り場をなくしたように握り締められる。

 ウィリディスはその先の言葉を紡ぐより早くに踵を返した。今までの彼を目の当たりにしてきたワケでもないルディアは、かけるべき言葉が見つからない。カージュは憂うでも憐れむでもなく、ただウィリディスの背中を見据える。

 病室を出る寸前で、ウィリディスは立ち止まる。

 

 ──師匠が生きていたとして、俺はどうするんだ──。

 

 その強烈な疑問を抱えたまま、敢えて言葉を絞り出す。

 

「いや、師匠の真相は、今はひとまず良い。俺は俺のすべき事を、最期まで全うしたいだけだ」

 

 肩越しにウィリディスの『師匠から譲り受けた目』ではない黒い瞳が、病床に伏すかつての狼を見やる。

 

「ただ正直に言って、アンタの弱りきった姿は、見たくは無かった……」

「若造が大層な口を利く。やるべき事があるなら戦って来い」

 

 いつか鎬を削り、肩を並べて戦いすらした程の強者。そしてウィリディスが一人の男として尊敬すらした一人の戦士。紫紺の瞳が射抜く鋭さだけが、何も変わっていなかった。

 ウィリディスは答えを出せない。この苛立ちが、あまりに唐突な話を突き付けられたせいなのか、この男が弱りきった姿を見てしまったせいなのか。

 あるいは、その上で彼が憧れた『強さ』を煌めかせる眼光が、理解できないのか羨ましいのか。

 

「……これ以降、面会には来ない。葬儀にもだ。アンタと俺の仲はそういうモンだろう」

「珍しく聡明だな。此方の要件は済んだ、さっさと行け」

「ああ、じゃあな」

 

 そして病室の無機質なドアは閉まる。

 事実、これがカージュとウィリディスの今生の別れだった。

 残された病室でルディアは、声なき問いかけと共にカージュを見やる。カージュは冷たく、ただひとつ鼻を鳴らすだけだった。

 手元に愛用のタバコがあれば、いつもどおりに火を点けていただろう。

 

「余計な気配りは不愉快だ。それに私が聞きたい事は聞けた」

「聞きたい事って……?」

 

 カージュは、彼にしては珍しく、ひとつだけ嘘を吐いていた。

 それはある暗殺者が生きていた頃に交わしていた『盟約』であり、カージュ自身が事切れる前に終わらせなければならない、仕事のひとつでもあった。

 

「今のウィリディス・フルフィウスならば……『流星』と出逢うに相応しい」

 

 これもまた珍しく、カージュは自嘲気味な、乾いた笑いをひとつ。

 

「しかし、ああも良い様に言われてはな。全く──……」

 

 病室のカーテンを一陣の緩やかな風が揺らした。

 そしてカージュの口許は、だからこそ似つかわしくない『嗤い』へと変貌する。

 

……ルディア。早急に伝えていた通り準備を始めろ。これも予定通りだが、若造に舐められたままというのは寝覚めが悪い

 

 

 

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