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それは呪いか、それとも罰か。
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ダーカーの巣窟とは、聞くだにおぞましい響きである。
十数年前はまだ都市伝説レベルの存在だったが、事実として稀に、アークスはそこへ迷い込んでしまうことがある。
あまりに濃密なダーカー因子が辺りを満たしているため、全身にフォトンを巡らせて防護出来るアークスとはいえ長居は危険だ。
そう、一般のアークスならば。
だから少年は反対していたのだ。いくら避ける事が出来ない任務だとしても、そこへ行く事を。
少年が相対しているのは、今回のターゲットだった。虚空機関の幹部である。
多くの事件で裏から糸を引き、決して表舞台へ姿を見せず暗躍し続けてきたフィクサー。かつて『巨躯戦争』を生き延びた抜剣遣いの達人にして、食人という奇癖を持つ異常者。
「あの空が見えるかね。かつてアークスシップだった物が、異様な重力によって塊を成している。ちょうど市街地のビル群を思わせるだろう?」
白髪を後ろへ流した長身痩躯の老人だが、貧相ではない。
上背と肩幅が大きく、暗にかつての戦闘力が健在であることを示していた。
白いベストに黒のシャツと、脚の長さを際立たせるスラックスもあって、ニウェウスの語り口は紳士然とした印象を与える。
小鳥が鳴く朝の散歩道で、見知った隣人に声をかける様な、穏やかで落ち着きのある声色だ。
「まるで世界が終わる際の空と、底冷えた地上が反転した様な情景だ。改めて見渡せば、中々……ロマンシティズムに溢れていると思わんかね」
ごく僅かな数しか居ない、彼を知る人々からは『アークス史上最悪の連続殺人鬼』もしくは──『共喰いニウェウス』と呼ばれている。
「ところで……私が晩餐に招待したのは『流星』と呼ばれる始末屋だけの筈だが。どうやら流星が飼い慣らしている仔羊まで、今宵の食卓に紛れ込んだらしい」
黒髪黒目の少年は、装飾のない白鞘から刀を──『
元より少年は、師である流星がこの場へ来る事に反対だった。
一般のアークスすら長居は危険とされるダーカーの巣窟なのに、流星は一般市民とほとんど差がない程度のフォトンしか有していないからだ。
少年はニウェウスの言葉に取り合わず、ただ腹を括った。
(師匠より先にこの男を討ち果たす。根拠は無いが予感はする。この男と師匠を絶対に会わせてはならないと)
ぐずぐずに乾いた血の塊を何度も踏み付けて、押し固めた様な地面が広がる赤黒い地平を、悠然と歩み寄ってくる老紳士。
白銀の切っ先を差し向けて、呼吸を測る。師匠に及ばないといえ、少年もまた既に幾度も死線を潜った一端以上の使い手だった。
言葉もなく、見出した空隙に一足一刀で踏み込む。
「歓迎しよう、血気ある若者よ」
しかし少年は「膨大な経験値の差」という壁に対して、少し、認識が甘すぎた。
「今宵の
音もなく背後を取られたと、考えるより先に振り向いたが、既に遅い。
振り向きざまに、両腕が置いていかれた。鈍い音をたて、指先から力を失った腕が左右それぞれ足元に落ちる。
右目までも深々と切り裂かれていたと判ったのは、更に数刻も遅れ、黒い地面に倒れ伏して後だった。
少年の絶叫と、老人の朗らかな笑い声が地獄に響く。
防ぐ手立てがない少年へと、ニウェウスの蹴りが重く深く突き刺さる。吹き飛びしとど転がった少年は、今のダメージと両腕がない事によって起き上がれない。
ニウェウスの左手に『
少年には、それを抜いた瞬間さえ見えなかった。
圧倒的な速度──ではない。完璧に呼吸を合わされたのである。
「さて……多少意地汚いが、少し味見しておこう……」
ニウェウスは斬り落とされた少年の左腕を拾い上げる。目を細めて、指先から断面までを一通り眺める。香りを確かめるように、鼻で息を深く吸う。
それから断片のカド、二の腕に噛み付き、肉を食い千切った。
咀嚼しながら満足気に何度も頷く。
「悪くない。その齢でよくぞフォトンと肉体を練り上げたものだ。野性味と歯ごたえがありつつ、しなやかな肉質と馴染んだフォトンの味が後を引く。そうだな……野菜と併せて煮込み、スープの具材にでもするのが良かろう」
激痛と苦痛に錯乱する意識の中で、少年は脊髄の中へムカデを差し込まれたような悪寒によって現実へと引き戻された。
あまりにも自然と、当たり前の様子でつらつらと、自分の肉体の感想を述べるものだから。
出遭った事の無い乖離感が、生理的、かつ強烈な嫌悪を呼び起こした。
「では
白髪の悪魔が、歩いてくる。
少年は恐怖で息を呑む。しかし叫び声を上げる事もままならない。
必死に立ち上がろうとするが、平静さと両腕と均衡を失った身体では滑稽に再び転がるばかり。
うずくまりながらニウェウスを見上げる。白い悪魔は、何の衒いもない、これから上等なご馳走にありつく老人の笑顔を浮かべている。
そして振り上げた
横合いから迅速に差す、翡翠色の閃光を。
歴戦の勘が、第六感がそうさせたのか。
ニウェウスが振り向かず咄嗟に防御態勢をとっていなければ、素っ首は赤黒い地面へ落ちていただろう。甲高い金属音が残響を引く。
黒いロングコートとマフラーを翻す影は、ニウェウスと少年の間に割って入った。
それは少年が幾度となく見て、追いかけてきた、自分より少し小柄で華奢なシルエットである。
「師匠……!」
少年が綻んだ顔で叫ぶも束の間、息を呑んで表情は凍り付く。
少年は初めて見た。師匠が肩で息をする姿を。その目尻から、口端から、色白い頬へと伝う赤い血を。少年の前で傷一つ負った事のない師匠が、これほど衰弱している様を。
流星は一般人と大差ない程度しかフォトンの才を持たない。
とはいえダーカーの巣窟に跋扈する、数多のダーカーに遅れを取りはしない。
つまりこの場に満たされたダーカー因子が、それほど流星に牙を剥いたという事である。
「師匠っ……逃げろ! 俺は置いて良いから、早く! 頼む! そのザマじゃ、幾らアンタだって共喰い相手には……!」
「黙って……いろ」
ぜいぜいと気管が鳴らす音の合間に、流星はやっとの様子で、温度のない声を紡ぐ。
立っている姿さえも頼りなくふらつき、風に吹かれれば倒れそうな有様で、悪魔を見据える。
対するニウェウスは、先程より一層、気色満面の笑みを強める。
「おお待ち侘びたとも。やっと御目に掛かられた。唯一創世器を持つ事が出来ず、そして例外的に『零』の番を与えられた始末屋。クリュー・ソプラソス殿!」
ニウェウスは、少年でさえ聞いたことのない、流星の本名を声高に叫ぶ。らしくもなく大げさに両手を広げて、来賓の入場を迎え入れるような所作だった。
それから不意に腰を反らし、鋭く短く放たれた一閃を紙一重で避け、流星と距離を取る。
「今の隙を捉え切れないかね。苦労して、この晩餐会場へ招いた甲斐があったというものだ」
愉悦を抑えきれない様子で、ニウェウスは押し殺したような嗤いを漏らす。
今のは少年の目でさえ追うことが出来る剣筋だった。なおさら少年は戦慄する。フォトンの才を持たず、その肉体と技量だけで君臨し続けてきたアークスが、目に見えて弱らされている。
少年は自らも両肩からの血溜まりに沈みながら、あまりの痛ましさに声を絞り出す。
「師匠ッ!」
「……私は、黙っていろと……言った筈だ……」
血の塊を吐き出しながら、クリューはニウェウスへと銘刀『
「そう邪険にしてやるな、クリュー殿。美しい師弟愛だ。気の利いた言葉でも掛ければどうかね」
「貴様もだ……共喰い。私は、けだものと交わす言葉を……持ち合わせて、いない」
ニウェウスもまた「やるせない」と言わんばかりの溜め息で首を横に振り、散華を握り直す。
「食前の歓談はお嫌いかね?」
シルバーグレーの眼差しと、エメラルドグリーンの眼光が交錯する。
「では
「……──さあ白刃にて語り合おう、なあ『流星』のクリュー!」
そして両者は示し合わせたかの如く、一足一刀に踏み込んだ間合いで互いの得物を振り被る。
総合力ならば、アークスでは六芒均衡の『一』かつ三英雄の一角たるレギアスが最強だ。
それでも少年の目に映ったのは、紛れもなくアークス最高峰に位置する者同士の激突であった。
ニウェウスの横薙ぎ一閃が爆ぜる。次いで踏込み袈裟斬り。逆袈裟。更に踏込み縦に振下ろし。切返しつつ振り上げ。切っ先を引いて間断無く突きを繰り出す。突いた姿勢から手首を返す。腕を引き更に袈裟懸けの一刀。
対するクリューは横薙ぎを鎬でズラす。次いで袈裟斬りを腰を反らし避け。逆袈裟は身を翻して遣り過ごし。振下ろしを半歩退いて凌ぎ。切返しは峰で弾いて軌道を逸らす。勢いで身を回しつつ刺突を躱す。
引いての袈裟懸けは踏み込んで置き去りにし──そのままニウェウスの背後へ回り込む。
クリューによる死角からの逆袈裟。振り切るより早く得物を逆手に握り直す。足払いを差込み。胴を横切る一刀。フォロースルーを待たず切り返し。振り込みながらナノトランサーによって得物を長剣に持ち替える。横薙ぎに振り抜いた瞬間またも得物を切替える。今度は銃剣。後方へ撃った勢いを利用して加速する剣戟。間髪入れずに引き金を一撃二撃三撃と連鎖させる。
ニウェウスは逆袈裟を半身で避ける。逆手の追撃を躱すも足払いによって体勢が崩れる。死に体を何とか無理やり後方へ引いて立て直す。長剣のリーチ外へ間一髪逃れる。しかし加速する銃剣の剣閃で更に後退を余儀なくされる。放たれた弾丸の一発目を避ける。二発目を散華で弾く。三発目は横腹を貫く。
白い悪魔が苦悶の呻きを上げた。
「大した……ものだ。それほど衰弱しながら、私の剣を凌ぐか……」
クリューのフォトンを扱う才は、一般市民のそれと同程度しか無い。それにも関わらず六芒の零として、始末屋として、流星の異名を以て君臨し続けてきた。
それは純粋に磨き上げられた身体能力と図抜けた戦闘センス、そして圧倒的な技量に由来する。
ニウェウスがこれまで培ってきた歴戦の経験値を持ってさえ、紙一重でクリューには及ばない。それは最早、今の一合で証明されたと言っていい。
「……ふ」
突如として白い悪魔が脱力し、構えていたクリューは何も言わず得物を握り直す。だらんと糸が切れた様に両腕を下げたニウェウスは、いきなり仰け反る。
老人の高らかな、けたたましい笑い声が、廃墟がそびえ立つ空へと響き渡る。
「素晴らしい。フォトンの才に恵まれなかったとは言え、いいや、だからこそか。全く以て素晴らしい。正に人間の極地たる、兵士の終極点たる肢体か。否さ……期待以上だ。これほど極上の食材は、後に先にも拝めまい!」
散華の切っ先が空を裂く。肉食獣が得物を前に舌舐めずりする様な挙動だった。ニウェウスが目を見開いて、空いた間合いを歩み出る。
クリューは応じない。あるいは応じる余裕すら無いのか、ただ口を真一文字に結んで、得物を再び大蛇顎に持ち替えて、居合の体勢を取る。
「これほど極上の食材を前にして、粗雑な調理は失礼に当たるというもの。下拵えの手順から……丁寧に組み立てて行かねばなるまいな……」
それはおそらく、一瞬にも満たない、ほんの僅かな間だったと思われる。
しかし傍で瀕死のまま転がっていた少年は確かに感じた。
獰猛な捕食者の視線が、こちらへ向けられる瞬間を。
昆虫が差し向ける様な、ひどく冷血で無機質な視線だった。
直後ニウェウスの足元が爆ぜる。爆発的な脚力とフォトンによる強化で、白い悪魔が踏み込んで来る。他ならぬ少年の方へと真っ直ぐに。
「これは庇う事が出来るか、クリュー・ソプラソスよ!」
少年は動くことが出来ない。
しかしクリューは、ニウェウスよりも速く、少年の前に立ち塞がった。
大蛇顎を腰元で納刀した居合の体勢、血みどろの顔で不敵に笑んだまま、白い悪魔に相対する。
「……読んでいたよ、
片や、肉食獣が獲物を仕留めんとする際の、凶暴な嗤いを浮かべていた。
片や、狩人が獲物に照準を合わせ、引き金に力を込める際の怜悧な嗤いを浮かべていた。
誰も預かり知らぬ世界の果てで、アークスシップにて暗躍を続けた2人は決着を迎える。
「──フォトンアーツ『
「フォトンアーツ……『
二条の閃光が交差する。
それぞれの移動を伴う居合術が放たれ、数秒程の静寂が流れた。少年もまた固唾をのんだまま、呼吸すら忘れている。
「練り上げた戦闘の才と、培った研鑽による……全く新たな独自のフォトンアーツか……見事だ」
先に静寂を破ったのは、ニウェウスの静かな声色であった。低く絞り出された声に温度は無く、その心中を窺い知ることは出来ない。
ただ──
ニウェウスはふたたびうめき声を上げ、散華を掴んでいない片手で、顔面を強く抑える。
その隙を逃さず、クリューが素早く鋭く蹴りを放つ。おそらく狙っていたのであろう、蹴りを放った方向が絶妙だった。吹き飛ばされよろめくニウェウスは、ダーカーの巣窟でそこかしこに口を開ける、暗い断崖の間へと足を踏み外す。そのまま声を上げることも無く、白い悪魔は奈落の闇へと吸い込まれていった。
クリューは覚束ない足取りながらも、少年の元へ歩み寄る。少年は両腕を失っているため、左肩で抱えるように抱き上げる。
「師匠……師匠!」
少年は嗚咽を繰り返しながら、クリューを何度も呼ぶ。クリューはその声に応えず、自分達が乗ってきたキャンプシップの方向へと、不確かな足取りで歩き出す。
クリューが少年に返事をしなかったのは無理もない。
──ニウェウスによってその喉元を深々と裂かれ、声を出す機能はおろか、呼吸する事さえままならなかったからだ。
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キャンプシップへ入り込むなりクリューは倒れ込み、それに伴って少年も床へ転がった。
すぐに血溜まりが広がる。少年は這いずりながらクリューへ視線を向ける。クリューはキャンプシップの壁に背を預け、もはや息も絶え絶えの様相だった。
「師匠、早くトリメイトかハーフドールか……スケープドールを!」
少年は掠れる声で必死に叫ぶ。
クリューは呆れた様に微笑むばかりで、言葉は相変わらず発さない。
本当のところ少年も分かっていた。クリューはフォトンの適性を持たない。即ちアークスに支給される回復ツールを幾ら用いたところで、効果は為さないのだ。
それらは使用者のフォトンに働きかけ、爆発的に再生力を増進させるものであるから。
少年は強く歯噛みする。脳内は激しく焦燥の血が駆け巡っており、しかし背筋は絶えずに氷水を注ぎ込まれている様な、目まぐるしさが止まらない。
少年が絶対だと信じて疑わなかった師匠の、こんな姿、今だって現実感がない。
一方のクリューは、少年にかまわずホログラムの情報端末を展開し、幾つかの操作をしていた。
かと思えば展開していたウインドウを1つだけ残して閉じ、少年を弱々しい指先で手招きする。
少年は必死で這いずりながらクリューへ寄る。
クリューは少年を抱きしめながら、少年の前で一度も使ったことが無いテクニックを、このとき初めて遣った。
何も特別な事はなく、ただ止血を促すためのレスタだった。
少年の頬に、熱いものが流れる。嗚咽は伴わず、ただ雨のように涙は伝う。
それから耳元でクリューは最後の力を振り絞って、しかし穏やかに言葉を紡いだ。それはあまりにも掠れていたが、少年には強く焼き付いて──そして今でも、それは色褪せていない。
「……生……き、ろ……少年……」
少年は師匠の体温が失せていく瞬間を実感していた。それでもいのちの光が離れていく現象を、引き戻す事は出来なかった。
無力な自分への怨嗟も、突如として訪れた別離への疑問も、ありとあらゆる理不尽な感情を受け止めきれない。受け止めきれないまま、ただ泣いた。
キャンプシップの硬質な床と壁の冷たさは、それを慰めることなどしなかった。
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懐かしい夢を見たものだと思う。
実に数年ぶりの自室で目覚めたからだろうか。いや紛れもなく原因は分かっている。カージュがあんな事を話すものだから、それに触発されたのだろう。
寝起きの気だるさを身体に感じながら、深い溜め息をついてベッドから出る。隣で静かに寝息を立てているルベルは起こさないよう、そろりと這い出る。
一面の窓から海岸(を投影した巨大なホログラム)が一望できる自室はあらかたの掃除を施したのみで、内装はネームレスシップへ逃走する前と代わり映えしない。数年ぶりだからか酷い懐古感に襲われている。
しかしそれ以上に、ぐちゃぐちゃに掻き乱された感情が胸元を席巻している。
模造された潮風に吹かれながら、ベランダへと出る。地球産のライターで、今ではもう物珍しい紙巻きタバコの先端に火を灯す。深く息を吸い込んで、溜め息と共に紫煙を吐き出す。
こんな事を思い出してしまう日に限って、皮肉なのか、空はどこまでも青々と突き抜けている。
いっそ残酷にすら感じられるほどの清々しい朝だった。
あの後、少年は師匠が遺した「空の戸籍」……即ち「ウィリディス・フルフィウス」という戸籍によって名を得た。
そして遺体から両腕と右目を移植し、血もにじむリハビリの末、半年後から改めてアークス研修生として席を並べることになったのだ。
傍らで次代の『流星』として、クリューが遺した仕事を引き継ぎながら。
「随分とうなされていたけれど……嫌な夢でも見たのかしら」
我に返って後ろを向けば、ルベルが薄着にカーディガンを羽織り立っていた。右手と左手にそれぞれ自身とウィリディスのマグカップを持ったままで。
ウィリディスは小さく「サンキュ」と言いながら、湯気の立つマグカップを受け取る。ルベルのコーヒーにはミルクと砂糖が多めに入れてあるようだが、ウィリディスのコーヒーはストレートのブラックである。
いつか「なぜコーヒーを甘くせず飲めるのか」と、ルベルに心底から不思議そうな目で問われたこともあったなと思い出す。
彼女もまた、師匠がやり遺した仕事の一環で救出した少女だ。
「何でもねえよ。少し昔の夢をな」
それを聞いたルベルは、深く追求しないで、何も言わずウィリディスの隣へ肩を並べた。
互いに控えめな音を立てながらコーヒーを啜る。
今は、ただ純粋に彼女を護りたいと思っている。それはもう仕事としてではなかった。
「なあ、ルベル」
「なあに、ウィリディス」
久しぶりにオラクルへ戻ってくることが出来たからだろうか。ウィリディスの耳に、ルベルの声色が普段より幾分か柔らかく聞こえた。
「……この後、デートするか」
ルベルは目を丸くした。
ウィリディスは言い出した傍から何となくバツが悪い気分になって、ルベルから目を背ける。
彼女はそんな心の内も見通したのだろうか。すぐに柔らかな笑いを漏らし、もう一度コーヒーを嚥下してから、ガーネットを思わせる瞳で見上げながら返事した。
「勿論、良いわよ。素敵なエスコートを期待するわ」