全てが見えるはずの世界で   作:アルセナ

1 / 7
ワートリにどっぷりハマってしまったので書いていきます。


プロローグ

 一色(いっしき)綾斗(あやと)が優秀な隊員になる可能性に、界境防衛機関『ボーダー』の上層部は数年前から気付いていた。

 

 綾斗が中学二年生のとき、たまたま計測することになったトリオン量はボーダー隊員達の平均値を大幅に上回っており、学業においても三門市内の進学校への合格は確実視されるくらいの優等生だった。性格は品行方正とまでは言わずとも、真面目で、いつも温和そうな笑みを浮かべている。容姿もそれなりに整っていると自ら考えるほどには端正で、トレードマークは本当に見えているのかと思うほどの糸目。

 

 さらに、過去のによる大規模侵攻の際に両親を失っており、近界民への対抗心を持ち合わせているであろう点も好都合だと考えられていた。

 

 当然、地元の有望株をボーダー本部が見逃すはずもなく、中学生のときから綾斗のもとには幾度となくスカウトが派遣されている。しかし、綾斗はそれを丁重かつ明確に拒否していた。

 

 別に戦うことに抵抗があるわけでも、隊員としての活動を嫌ったわけでもない。むしろ、出来ることならば自らの手で友人や街を守りたいとすら思っていた。

 

 ただ、綾斗には夢があった。それは、亡き両親と誓い合った夢でもある。

 

 綾斗の父はプロサッカー選手だった。といっても日本代表になるような有名選手だったわけではない。下部リーグで数年間レギュラーとして活躍したものの、有望な若手選手にポジションを奪われるとそれ以降試合に出場することはなく30歳でひっそりと引退した選手だ。

 

 引退会見で「自分のプレーで何人もの人が笑顔になってくれた。それだけで悔いはない」そう言い切った父は、幼い綾斗にとってヒーローであり、いつか父のように観衆の前でサッカーをして多くの人を笑顔にしたいと思うのは自然なことだった。そして、いつも優しかった母はその夢をずっと応援してくれていた。

 

 近界民による大規模侵攻が始まったとき、一色家は12歳になった綾斗の誕生日を祝うために三門市の市街地へ外食に出かけていた。突如として空が暗く染まり、深い闇のような球体が至るところに浮かび上がったかと思うと姿を見せたのは、これまで見たこともないような異形の怪物達。後にトリオン兵と呼称されるそれらは、次々とその不気味な目に入るものを破壊していく。

 

 両親が綾斗の手を引き店の外へ駆け出そうとしたとき、怯えて立ち竦む少女が綾斗の視界に映った。綾斗は繋いでいた手を振りほどき少女のもとに駆け寄り、両親が自分にしたのと同じように手を引いて逃げようとした。だが、行手を阻むように二人の前に怪物が立ち塞がる。その刃が瞬時に二人を切り裂こうとしたとき、横から衝撃に受け綾斗と少女は押し飛ばされた。綾斗の両親が身を挺して二人を庇ったのだ。両親はその刃によって呆気なく帰らぬ人となっていた。

 

 その直後、刀のような武器を持った男が突然現れ怪物を両断したことで綾斗の命は救われる。もう少し早く来てくれていたら、綾斗がそう思ったと同時に男は頭を下げ一言、「済まない」と言った。あまりにも簡潔な言葉。だが、それは小学生の綾斗にも分かるほどはっきりとした悔恨を含んでおり、命の恩人でもある男を綾斗はそれ以上に責めようとは思わなかった。

 

 近界民襲来の混乱から落ち着きを取り戻しつつあった三門市で綾斗を待っていたのは、一人で暮らすには広すぎる山間の一軒家と、もう誰も家には帰ってこないという孤独感、そして、両親との思い出が詰まった白黒の球体だけだった。家族を思い返す度に綾斗の目からは涙が溢れた。

 

 まだ小学生だった綾斗には過酷過ぎる現実。塞ぎ込むのも無理はない、そう考えた近所の人たちや友達は出来る限りの手助けをしてくれた。特に、お隣さんでもあった一家は身寄りのない綾斗のことを家族の一員のように暖かく見守ってくれており、その関係は今でも続いている。

 

 周囲の人々の助けもあり、綾斗は再び夢に向かって歩き始めた。夢は自分のものだけじゃない。友達や応援してくれる人、そして両親のためにも必ず叶えてみせる。その思いを胸に綾斗は努力を重ねた。

 

 幸いなことに、綾斗はサッカーの才能には恵まれており、中学生の入学と同時にプロクラブの下部組織に合格して、将来を嘱望される存在として注目を浴びる。綾斗はその期待に応えるように選手として成長していった。

 

 このままプロになれば夢が叶う。それに、自分を支えてくれた人達に恩返しも出来るはずだ。そういった気持ちを抱えて、綾斗は中学卒業と同時に三門市から旅立った。綾斗の下に舞い込んだ地方のチームからのプロ契約のオファー。ご丁寧に通信制の高校に通うかどうかの選択肢もある。不満のないそのオファーに合意することで、綾斗は夢への一歩を踏み出した。

 

 だが、夢への道はそこで絶たれることになる。

 

 シーズンが始まる前の練習試合。そこで綾斗は相手選手からの悪質なタックルに見舞われた。天才と持て囃されている若手に対しての嫉妬じみた行為。本来ならばあり得ないタイミングでの卑劣な反則を綾斗は躱すことが出来なかった。その瞬間、頭の中に響いたのは何かが砕けるような音と何かが千切れるような音。

 

 診断結果は右足関節脱臼骨折及び靱帯断裂。選手生命の危ぶまれる大怪我。しかし、応援してくれた三門市の人達のためにもここで諦めるわけにはいかないという一心で、綾斗は懸命なリハビリに励み始めた。

 

 だが、どれほど努力をしても足首の状態が元には戻らない。少し踏み込んだだけで痛みが走り、抜けるような感覚が消えず、走ることはおろか歩くことすらままならない。サッカー選手として活躍するどころか日常生活も満足に送れない状況に綾斗は絶望した。

 

 そして数ヶ月ののち、綾斗は自らチームを退団することを決める。年齢を考えると異例の決断であったが、それも仕方ないと思えるほどに綾斗の右足はサッカー選手としては使い物にならなかった。

 

 これまで追い続けてきた夢を突如として失って、綾斗は自分が夢を追うような生き方しかしてこなかったことを悟った。しかし、現実はどうあがいても変わることはなく、宙ぶらりんの気持ちを抱えたまま綾斗は三門市へと戻ってきた。誰もいない家は相変わらず閑散としていたが、隣人や友人達が綾斗の帰りを聞きつけて家を訪ねてきたことで少しの間賑やかな日々が続いた。

 

 数日ののち、綾斗は高校へと通い始めた。世間体を考えたわけではないが、なんとなくそうした方が都合が良いと思い、三門市内の進学校へ編入することを決めていたのだ。

 

 松葉杖をつきながら現れた転校生を、新しいクラスメイト達は拍手と好奇の目を持って出迎えた。先生から座席を指示され、大人しくそこへ座る。窓際の一番後ろの角の席だ。分からないことがあったら隣の綾辻に聞いてくれ、と指示される。綾辻と呼ばれた女子生徒が「よろしくね」と声をかけてきたので、綾斗も「よろしく」と返事をした。

 

 その日、綾斗はクラスメイトからの質問に答えていた。どこから来たの?その足どうした?元々三門の人だよね?その目開いてるの?眼鏡かけない?前にローカルニュースで見たことある。ここに編入ってことは頭良いんだ?等々、転校生に対しての興味は一日中尽きなかった。

 

 放課後になって、クラスメイト達が部活や塾へ向かうと途端に教室は静かになった。特に予定のない綾斗は夕陽の差し込む窓からぼんやりと校庭を眺めていた。校庭では多くの生徒が部活動に汗を流している。思い通りに動かない右足首を見て、綾斗はため息をついた。

 

 そのとき、一人の女子生徒が教室に戻ってきた。隣の席の綾辻だった。彼女は何か意を決したように綾斗の方へと近づいてくる。その雰囲気に思わず綾斗も固唾を飲み、彼女の言葉を待った。

 

 そして、彼女が口を開く。

 

「ねぇ、一色くん。ボーダーの活動に興味ないかな?」

 

 それはこれまで幾度となく断ってきたボーダーへのスカウトだった。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。