再度閲覧して頂いた方はありがとうございます。
『三華月』と申します。
今回の作品は私の処女作でもあります。この原作はASMRの大御所ともいえるサークル様のもので、私は以前から大のファンでした。今回、作品に手を付ける機会が巡ってきた為、初めて筆を執った所存です。
至らぬ点も多々あるとは思いますが、少しでも皆様に楽しい、面白いと思って頂ければ幸いです。
それでは、よろしくお願い致します。
私は猫である。名前は「クロ」という。名前の通り黒猫である。
しかし、私は普通の猫ではない。近頃よく耳にする転生というものを経て、私はこの世に猫として生を受けたのだ。
覚えている限り、私はただの人間であった。仕事もしたし、家庭も持った。子供ももうけたし、孫の顔も見た。そして、寿命を全うした。
……はずだったのだが、気が付くと私は猫になっていた。それも尻尾の先が二股に分かれた、いわゆる「猫又」というものに。
———猫又。
日本の民間伝承や古典の怪談、随筆などにある猫の妖怪。山の中にいる獣とも、家猫が年老いて化けたものとも言われている。
この妖怪は人を食うらしいのだが、もちろん私はそんなことはしない。むしろ、私には妖怪のような摩訶不思議な力などはない。精々、思考が人間に偏っているぐらいのものだ。
第一、猫又かどうかも定かではない。単なる
寿命に関しても知る由もない。さすがに車に轢かれては死んでしまうとは思うが、猫は魂を九つ持つという。ましてや猫又に寿命はあるのかどうか。
もちろん死ぬのは怖い。しかし、猫又になったせいか、はたまた転生の影響か、どうにも感情の起伏が人のそれと少しズレているように感じる。
まぁ、一度は三途の川を渡ったであろう存在なのだ。先のことはその時に考えよう。
ところで、私は現在ある所の飼い猫となっている。
今日はこの場所とそこに住む住人たちを紹介していこう。
◇◇◇
ここはとある街外れの、少し奥まった場所に佇む日本家屋の旅館「道草屋」
利用すれば新鮮な山菜や旬のものを味わうことができ、耳かきや按摩なども体験することのできる一風変わった旅館である。
田舎にある関係上、バスの本数は少なく数時間に一本程度と交通の便は良いとは言えず、コンビニや自販機ですら近くにはない。都会慣れした現代人からすれば考えられない環境であろう。
しかし、ここに訪れる客は決して少なくない。
日々の疲れやストレス、孤独感を多く生じさせている現代社会にとって、ここはノスタルジックに浸ることのできる数少ない場所なのだろう。
さらに、ここの従業員である『彼女たち』と接することで癒され、励まされる者も多いことだろう。
これはそんな彼女たちの生活の一部である。
「道草屋」は旅館であるため、本来私のような猫や動物は飼ってはいけないはずだ。
話を聞けば、どうやら先代女将殿の代には捨て犬を拾ってきた当代女将殿がこっ酷く怒られたと語っていた。
ならば、何故私が飼われているのか。
それは
パタパタ、と襖の向こうから近づいてくる足音が耳に入る。噂をすればというものだ。
私は寝床から起き、伸びを一つ。すると襖がゆっくりと開かれる。
「クロさん、おはようございます。朝ですよ」
紅い行灯袴に黒襟の白い着物。髪は黒く、左右1対のおさげと腰辺りでまとめられた長い後ろ髪が特徴的な彼女は「道草屋」三番目、住み込み従業員。最年少で唯一の未成年、「すずな」殿である。
生まれがここよりもさらに田舎であるためか世間知らず極まれり。これが災いとなり、度々赤面することもあるが、純粋で心優しい女の子である。
そして、何を隠そう私の拾い主。飼い主第一号でもあらせられる。
私は転生当初、土地勘もなく猫というものにも慣れることもできずに野垂れ死ぬ手前であった。そこを拾い、当代女将殿に内緒で世話をしてくれたのが彼女なのだ。
結局、すぐに女将殿に見つかってしまったものの、誠意ある説得と泣き脅しを経て、その熱意に押された女将殿から客間へ入れないことを条件に母屋の一室で私を飼うことを了承して頂いたのだ。
それからというもの、毎朝は欠かさず私のところに足を運び、挨拶をしていくのだ。
なんて良い、礼儀正しい子なのだろうか。
猫であるが、まるで孫娘を見ているようで心温まる思いだ。
すずな殿は私の下の世話──ペットシーツや猫砂などの交換──を行った後、「ごはんですよ」と小鉢に入った
ここでは朝と夕方に餌が出される。
はじめは食べることに抵抗があったが、食べてしまえば存外悪くない。最近のモノは素材も良く、身体にも良い。第一、舌が猫に偏ったのか問題なく食べることができている。
食べ進めていくと何やら噛みなれない感触。何だ?と思い、小鉢を覗き込むと小さな煮干しが二つ折りで埋め隠してあった。
疑問に思い、すずな殿を伺うと小さく「どっきり大成功です」とはにかみ拳を握っていた。
「これはですね、芹さんからですよ。煮干しが残ったからクロさんにあげるって言ってました。後でお礼を言ってあげて下さいね」
どうやら当代女将殿こと「道草屋」の店主「芹」殿からの差し入れらしい。
彼女は先代女将殿が切り盛りしていた時代から若女将として「道草屋」に在籍しており、現在は代替わりをしてここを仕切ってしている。
長い金髪を狐の耳を模した特徴的な髪飾りでまとめ、スラリと伸びた長身は美を体現している。
すでに成人しており、よく酒を嗜んではいるがどうにも酔い癖が悪く、何度か絡まれたこともある。しかし、そんな茶目っ気のある彼女の性格は訪れる幾千の客人たちを癒している。
私を飼うことに当初は反対の立場を示していた彼女であるが、私の性格上あまり横着をせず、大人しいことがわかると最近では自由に出歩く許可も下りた。
流石に強く反対されていれば私もここを出ていく所存のだが「ま、まぁ、一匹ぐらいならいい、わよね!」と言って頂けたのでありがたい。
餌を食い終え毛繕いをしていると、見守っていたすずな殿は立ち上がり、部屋を出ていく。
襖を閉めず開けたままということは、私が部屋から出て行っても良いという合図だ。
私は水を舐め、一息ついてから部屋から廊下へと歩みを進める。
ここは従業員たちが生活する母屋。
板間の廊下の先からは彼女たちの声が聞こえる。
トントンとまな板を叩くリズミカルな音も響いていることから、どうやら朝食の準備中らしい。
生憎と私は台所へは入れない。
何故かって?
ここはあくまでも旅館なのだ。いくら今は宿泊客が居ないからと言って、客人に提供する食事も作っている衛生的な場所に私は入ることは許されないのだ。
今用意している食事も従業員向けのモノだろう。味噌汁の良い香りが鼻を擽る。猫である私には塩分が多く食べることができないが、なんとも懐かしい香りであることか。
そんな味噌汁の香りに後ろ髪を引かれつつ、私は台所とは逆、縁側へと向かう。
◇◇◇
今は六月。朝でも過ごしやすい気温となってきたが、そうなると現れる風物詩がある。
それは中庭に面した縁側に横たわっていた。
蚊帳に包まれた、癖のある白髪が特徴的なやや小柄な物体。「道草屋」二番目の住み込み従業員。だらしろ改め「すずしろ」殿である。
彼女はよく風呂上りなどに縁側に出没する。
寝転がるだけなら何も問題はないのだが、今日は蚊帳を引っ張り出して縁側で夜を越したようだ。まだ夜は肌寒いこの季節。よく風邪を引かないものだ。
しかし、このままでは芹殿に見つかってまた叱られてしまう。
仕方がない。ここは起こすとしよう。
爪で上手いこと蚊帳を持ち上げて中に潜り込む。
私の侵入に気づかずに眠るすずしろ殿の柔らかな頬を何度か前足で押してはみるが起きる気配はない。
心地よく眠っている所を申し訳ないが、そろそろ芹殿が来てしまう。ここは手段を選んでいてはいけない。
私はすずしろ殿の横へ回り込み、目の前に聳えるお腹に向けて飛び乗ると「ぐふっ!?」とうめき声が一つ。
何事かと戸惑うすずしろ殿に向けて一声鳴くとようやく腹の上に乗る私に気が付いたようだ。
「な、なーんだ、クロちゃんか。びっくりしたー」
びっくりした、ではない。早く起きるのだ。もうすぐ芹殿が来てしまうぞ。との意味も込めてもう一度鳴くと、ようやくすずしろ殿も何かを察したのか、もそもそと壁掛け時計を確認して飛び起きる。
「すずしろー、ごはん出来たわよー」
すると廊下の先から芹殿の声と足音が近づいてくる。
すずしろ殿の耳にも届いたのか、慌てて蚊帳を開けっ放しの部屋へ放り込むと障子をさっと閉め、髪と寝間着を整える。そして、縁側に戻り、横で見守っていた私を抱き上げて膝の間に座らせる。
その間、五秒も掛かっていない速業。流石である。
「すーずーしーろー、早く起きないと…あら?」
廊下の角から姿を現した割烹着姿の芹殿は、あたかも『寝起きに猫を構っていた風』のすずしろ殿をみて眼を丸くする。
「…珍しい組み合わせね。どしたの?」
「別に。クロが寄ってきたから構ってあげていただけです」
「そう…。怒らせて引っ掻かれない様にしなさいよ?あと、もう朝ご飯できてるから、早く着替えて食べちゃいなさい」
「はーい」
芹殿は「あー、忙し忙し」と言いながら台所へと戻っていく。
それを見届ける一匹と一人はどちらともなく溜め息をつく。
基本、すずしろ殿はしっかり者だ。よく気が利くし、だだくさをしない。しかし、どこか抜けている所があったり、寝相が悪かったりと見ていると面白い。
密かにすずな殿は縁側で力尽きているすずしろ殿を見つけると、傍らにかまぼこ板で作った『だらしろさんち』の表札を立てていたりもする。それを見つけたすずしろ殿もそこはかとなく嬉しそうにしていることも知っている。
なんとも面白い。
さて、すずしろ殿もそろそろ支度をする頃だ。
撫でられるのも満更ではないが、ずっとこうしている訳にもいかないだろう。
私はすずしろ殿の膝から降り、縁側を歩いていく。
頭、背中、尻尾と撫で流されながらすずしろ殿から離れていくと、背後から小さく「ありがとね」との声が耳に届く。
私は振り返ることなく一つ鳴き、歩みを進めていく。
◇◇◇
縁側を抜けると中庭が見え、私は縁側から飛び降りる。
今日は晴天。多少湿度は感じるが風もあり過ごしやすく、良い洗濯日和だ。
ここは日当たりが良いため、布団を干したり、洗濯物を乾かしたりと重宝している。
私にとってもここは居心地がよい。日はよく差し、風通りも良い。暑くなれば縁側の下や軒下に隠れ、暑さを凌いでいる。
時折、外から私のように軒下へ涼みに来る野良猫もいるが、私と目が合うと一目散に逃げて行ってしまう。
どうやら猫達にとっては私は格上の存在らしく、この道草屋近辺は私の縄張りとなっているらしい。
らしい、というのも私は猫語を完全に分かるわけではない。大まかなニュアンスは感じとれても、詳細には理解できないからである。
まぁ、私に縄張り意識はあまりないのだが、道草屋へ迷惑が掛からなければそれでいい。
私は日課の
すると、母屋から朱色の作務衣に着替えたすずな殿が大きな籠を抱えて中庭へ出てきた。時間的にも洗濯物を干すのだろう。
近寄って一声かけるとすずな殿は私の存在に気が付き、「だめです」と私を手で制する。
「クロさん、今はだめですよ。これは、お客さんのシーツなんですから、汚してはいけません」
なるほど、いつもより大きな籠は宿泊客用の洗濯物であったか。これは邪魔してはいけないな。
私はすずな殿から離れ、庭石を伝って敷地と道を隔てる木塀へと上り、腰を下ろす。
それを見届けるとすずな殿は頷き、洗濯物を干しに掛かる。
小さな身体でよく働くものだ。
布団のシーツや掛布団のカバーともなれば、一人用であってもそれなりに大きい。
すずな殿も何度か干してはいるはずだが、どうにも手こずっている。思えば、今日のように一人とは珍しい。大抵は二人一組で干しているのだが…
すると、すずな殿の背後に忍び寄る人影がひとつ。
長いサラサラの茶髪に目尻がわずかに下がった泣き黒子が印象的なおっとりとした雰囲気の女性。「道草屋」の一番目、最古参の従業員「はこべら」殿である。
彼女は他二人の従業員と異なり、住み込みではなく自宅から通って勤務している。しかし、仕事が長引いた場合や気が向いた際にはここへ泊っていくなど、自由を体現しているような方でもある。
そして、彼女は以前からすずな殿を虎視眈々と狙っているのだ。
何かにつけ、純真無垢なすずな殿にあれこれと吹き込み、混乱し赤面する姿を目にしては愉悦の表情を浮かべている悪しき者でもある。
忍び寄るはこべら殿も朱色の作務衣を着ていることから、どうやら今日は二人が組であるようだ。
何と恐ろしいことを…
案の定というべきか、ようやくシーツを干し終えたすずな殿の背後から耳孔に向けて吐息を一つ。
突然の刺激に「ふわっ!?」と小さく悲鳴を上げるすずな殿。そして、すずな殿の反応に微笑むはこべら殿はなんと幸せそうなことか。
「ふふ、背中がお留守ですよ」
「は、はこべらさん!びっくりしたじゃないですか!」
「いえ、あまりにも一生懸命でしたので、少しは気を抜いてさし上げようと」
「そ、それは、ありがたいんですが…もっと別のやり方はないんですか?」
「別の?」
「はい。別の」
「そうですねー。んー、では、こういうのはどうでしょう……」
手招きをしてコショコショと小声で呟く仕草をするはこべら殿。何を言っているのか聞き取れず、何の警戒心もなく耳を寄せるすずな殿。
すずな殿、あなたって人は…
再び小さな悲鳴が上がり、駆け回る二人を見下ろしながら私はあくびを一つ。
何気ない日常であり、何とも平和なひと時。
私は今、黒猫で、猫又で、ここ「道草屋」で生きている。
一体、これからどんなことが起きるのやら。
叶うなら、これからも彼女らと共に同じひと時を過ごしたいものだ。
ちなみに、はこべら殿のちょっかいにより、洗濯物を干し終える時間がいつもの倍以上掛かってしまったことは言うまでもないだろう。
ここまで読んで頂き、誠にありがとうございました。