少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
それでは…
私は猫又である。名前は「クロ」と言う。
今は日も傾いて、
田舎の旅館『道草屋』は、いつもとはどこか違った雰囲気を纏っていた。
それもそのはず。今日の道草屋には珍しい客人がいるのだ。
珍しい、と言っても常連のお得意様なのだが、その利用内容がいつもと違らしい。これまでは一泊二日の宿泊が主であったのだが、今回はなんと二泊三日の連泊。
これには指名された芹殿も驚きを隠せない様子。予約の電話を取った時やお得意様が到着した時にも何度か確認していた程だ。
まぁ、お得意様も疲れているのだろう。
聞けば、何度か芹殿を指名しているようで、疲れを癒すことに関しては、ベテランの芹殿は適任と言えるのではないだろうか。
そんないつもとは少し違う道草屋の縁側を歩いていると、これまた不思議な光景を見つけてしまった。
私の視線の先。
そこには、廊下にしゃがんで客間の壁に耳を寄せているすずしろ殿。何やら息を潜めていると思えば、コツ…、コツ…と客室の壁を小突いているようだ。
…確か、この客間には例のお得意様がいるはずだが、イタズラか? いや、まさか。すずしろ殿に至ってそれはないだろう。
このまま通り過ぎようとも思いはしたが、私の足はその場から動いてくれない。
これはあれだ。知らぬ振りをすれば何か損をするような予感がして、その場から動けなくなるあの感覚。物音がすればどうしようもなく確認してしまいたくなるあの誘惑だ。
…
……
………
ここは一つ、ゆっくりと近づいてみることにしよう。お得意様が居る手前、客間に入ることはできないが、廊下であれば怒られまい。それに、鳴かねばそう問題も起きないだろう。
一歩、また一歩と近づけば、何やら話し声が聞こえてくる。
これは芹殿の声か。すずしろ殿はこの声に耳を澄ましていたようだ。
では、なぜ壁を小突いていたのだ?
不意にパチリ、と普段なら気にならない程度の小さな床鳴りが足元から一つ。
なのだが、すずしろ殿はよほど集中していたようで、肩がビクリと跳ねると、その拍子に壁に当たってゴトッと音を立ててしまった。
―――『…なんの音です?』
どうやら部屋の中まで音が響いてしまったようで、客間から聞こえる芹殿の声に少し焦った様子のすずしろ殿は、バッ!と振り返り、私と目が逢うと口元に人差し指を立てている。
私が頷いてその場に静かに座ると、すずしろ殿は静かに「ふー…」と息を吐く。
…何かの邪魔をしてしまったようだ。しかし、一体何をしているのだろう?
どうやら追い払われることもないようだし、丁度良い。このまま居らせてもらうとしよう。
少し間を置いて、再び客間から壁越しに芹殿の声がポツリ、ポツリと聞こえてくる。
―――『その人、どこか欠けておりませんでしたか?』
芹殿の声に間違いはないが、幾つか気になったことがある。
まず、お得意様との会話というよりも、何か語っているような口調。そして、少し低めの声はどこか不安を掻き立ててくるような印象を受ける。
―――『最後に出たって聞いたのは、5年くらい前…ですかね?』
―――『この辺りで昔っからたまに出るんですよ… 夕方ごろに道の先に立ってて、何かボソボソ呟いてて… 必ずどこか欠けていて…』
―――『顔が半分だったり、酷いときは腰から上が丸ごとなかったり… 言い伝えとかもなくて、なんだかよく分からないから、この辺りじゃ『ハンブン』って呼ばれてるんですけどねぇ…』
―――『取り殺されたとか、そういう話はないですから、大丈夫だとは思いますが… 追いかけられた、と言うのは…』
…これはあれだ、芹殿の十八番とも言える怪談ではないか?
たまに
と言うより、人によっては眠れなくなってしまう事もあるの思うのだか、疲れを取りに来ているであろうお得意様に怪談とは大丈夫なのだろうか…?
そんなことを考えていると、芹殿の語りに変化があった。どうやら、場面が変わったようだ。
―――『その晩、私はなかなか寝付けませんでした。もともと私は霊など信じておらず、女将の話は「客人を楽しませるための作り話だろう」と思っているのですが…、目を瞑ると、俯いて歩く私を半分の顔がニヤニヤ見下ろしている妄想が拭えないのです』
―――『…と、小さくギ… ギ… 廊下の軋む音がします』
すると、芹殿の語りと合わせるようにして、息を潜めていたすずしろ殿が動き出し、わざと床板に体重を掛けるようにして足を踏み出せば、ギィ…ギシ…と床鳴りが響く。
これは上手い。語り手と効果音で、あたかも物語が現実に起こっているような臨場感を演出しているのか。
―――『女将さん、か。 女将さん…だよね?』
―――『開け放した窓から夕方に感じた、あのムワッとした、纏わり付くような空気が入り込んできました』
―――『コン、コン…』
今後は戸を叩く音。
すずしろ殿は客室の襖をノックし、ゆっくりと開けていく。
開いた襖の間から覗くと、客室の中には芹殿とこちらに背を向けたお得意様。
―――『後ろから、襖がズッ…と滑る音が聞こえ、小さく聞き覚えのあるボソボソ声が…』
―――『コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ、コッチミロ…』
段々と大きくなる芹殿の声に合わせて、すずしろ殿はゆっくりと忍びながら近づいていく。
とうとう客人の耳元まで来ると、静かに息を吸い…
―――『コッチミロ』
肩がビクリと震えるお得意様。
芹殿が語り掛けている反対側からの不意打ちとは、これまた面白い。しかし、どうやら怪談はここで終わったようで、すずしろ殿は種明かしとばかりにお得意様へと向き直っている。
それにしても二人掛かりの怪談とは考えたものだ。内容もそうだが、語り手と演出の息が合っていないとできない芸当だろう。
その点、何かと付き合いの多い芹殿とすずしろ殿は上手いこと連携が取れており、素晴らしかった。
そんな怪談に見入っていれば、いつの間にか日が暮れて、もうすぐ夜になる。しかし、このまま寝に行くのも何か味気がない。何かないものかと頭を捻れば、ある事を思い付いた。
◇◇◇
そうだ、と思い至って来るは母屋。
ここには、彼女達の休憩室も兼ねた十畳ほどの座敷があり、予想が正しければ彼女がいるはず。そして、その予想はズバリ的中する。
「あ、クロちゃん。お帰りなさい」
部屋の中央にある大きな座敷机でお茶を飲んでいるのはすずな殿。
今は営業中であるものの、今日の宿泊客はお得意様のみ。そのお得意様には二人が付いており、すずな殿は店番なのだろう。ちなみに、はこべら殿は今日はお休みである。
しかし、店番と言っても飛び入りの宿泊客は滅多に居らず、その実質は休憩中と言うわけだ。
座敷に足を踏み入れるや否や、すずな殿は小さな紅い座布団を側へ置いて、ポンポンと叩いて見せる。
人が座るにはやや小さいそれは、何を隠そう私専用の猫用座布団。ある時にすずな殿とすずしろ殿から送られた物で私の宝物の一つである。
促されるまま座布団へと腰を降ろせば、すずな殿は微笑みながらやさしい手つきで撫でてくれる。
交わす言葉がなくとも穏やかな時間が過ぎていく。
何とも落ち着く、いつも通りの日常。あぁ、なんと幸せなことか…
どのくらいそうしていただろう。
ガラッ…と座敷の障子が開かれると、すずしろ殿が入ってきた。
「あ、お疲れ様です」
「お疲れ様ー、何もなかった?」
「大丈夫でした。 …あれ?今日は芹さんと旦那様のお世話をするんじゃ?」
「いやー… ちょっと、ね?」
どこか歯切れの悪い様子。何かあったのだろうか?
すずな殿も首を傾げてはいるが、座敷に隣接する台所へ「お茶、淹れてきますね」と入っていった。
すずしろ殿は礼を言いつつ、座布団へ腰を下ろすと大きくため息を吐いていた。
怪談の手伝いにお得意様の世話にと少し疲れたのだろう。労いも兼ねて一鳴きすると、すずしろ殿はこちらへと視線を向けてくる。
「あ、クロちゃんも居たんだ。 もー、さっきは驚いたんだから…」
おっと、それに関してはすまなかった。どうも、気になってしまうと身体が動いてしまうのだ。猫の習性なのだろうか?
どこか恨めしそうに訴えかけてくるすずしろ殿に、丁度お茶を淹れてきたすずな殿が「何が驚いたんですか?」と問いかければ、待ってましたと言わんばかりにすずしろ殿はこれまでの経緯を語り始めた。
笑いもそこそこに話が盛り上がっていると、廊下からべぃん…、べぃん…、と弾く音が聞こえてくる。
この音は三味線か。
いつぞやの掘り出した三味線を直して芹殿が演奏しているのだろう。
それにしても芸達者なものだ。話ではつい最近まで使い方も分からないと口にしていたのに、しっかりと曲を成している。
―――『薄雲覗く
―――『交わす言葉に花が咲きゃ 闇も
さらに驚いたことに、弾き語りまで始めてしまったではないか。
しかし、聞いたことのない唄だ。見れば、すずな殿も首を傾げている。あまり知られていない唄なのか?
「これって、何の曲なんですか?」
「地元の唄だよ。すずなちゃん聞いたことなかったっけ?」
「初めて聞きました」
「よく祭りとかで流れてるんだよ。まぁ、歌詞は芹さんの振り付けだけど… そっか、すずなちゃんはまだ行ったことなかったもんね」
なるほど。通りで聞いたことのない唄だったわけだ。すずな殿も納得したのか、聞こえてくる唄に耳を傾けている。
―――『吹かし者ににゃ灯りやせん 灯りやせん』
―――『
…終わったようだ。
どこか懐かしさを感じる良い唄だった。これを弾き語るにはかなり練習したのだろう。しかし、どうやら芹殿の演奏はこれで終わりではないようで…
―――『狐に親子がまた明日 夕焼け小焼けに手を振った』
―――『お宿は小さな軒の下 明日も笑っていますように』
「あ、この唄は知ってます。よく芹さんが歌っているヤツです」
「正解!これは芹さんの十八番みたいなのだからね」
「なんだか、聞いてると落ち着きますね」
確かに。
唄の音色と言い、語りの調子と言い、なんとも穏やかな気持ちとなる。まるで子守歌のようだ。疲れているであろうお得意様も、これで少しは心安らぐに違いない。
―――『狐の親子はまた明日 夕焼け小焼けに手を振った』
―――『お里の野山も狐色 明日も笑っていますよに』
…聞いているとなんだか眠くなってきた。
しかし、寝るにはまだ早い時間だな。このまま座敷(ここ)でゆっくりするとしよう。
そのまま、うつらと舟を漕いでいれば、廊下から足音が一つ。
勢いよく障子が開いて現れたるは、頬を膨らました芹殿だ。そのまま座敷へ入り、すずしろ殿の頭に拳骨を「セッ!」と振り下ろす。
「たっ!?」
「なんで途中で出ていくのよもーっ!」
「えぇ…、だって二人いても狭いだけですし…」
どうやらすずしろ殿はあの怪談の後に客間から退室したようだ。
まぁ、確かに四畳半の客間に三人は狭いように感じる。それに、今回指名を受けていたのは芹殿であり、すずしろ殿は言ってしまえば『お手伝い』だ。的を得ている。
しかし、芹殿も単に退室したことに怒っているのではないようで…
「あー…、一人で死ぬほど緊張した。テンポも間違えるし、トチるし、もうやだ。すずしろが出てったせい」
「呼び止めればよかったじゃないですか」
「…それはそれで二人っきり嫌がってるみたいじゃないもぉー…」
そう言って机に突っ伏す芹殿。
どうやら慣れない三味線をお得意様相手に一人で弾き語るのが心寂しかったようだ。なんとも乙女らしくて、自然と頬が緩んでしまいそうになる。
当のすずしろ殿も呆れたような、それでいてどこか納得のいった表情をしている。大方、私と同じようなことを思っているのではないだろうか。
すると、芹殿が「そういえば…」と何かを思い出したかのように声を上げる。
「さっきのあれ、アドリブなんてちょっと驚いたじゃない。やるなら言っといてもらわないと」
「…?あれって、何のことですか?」
「ほら、あれよあれ。怪談の途中でガタンって音がしたやつ。面白くて良かったけど、いきなりだと私もびっくりするじゃない」
「あぁ、それなら―――」
…おっと、何やらこれは雲行きが怪しくなってきたぞ?
咄嗟に明後日の方に目を逸らしはしたものの、すずしろ殿の方から湿度の籠った熱い視線を感じる。
無言の圧力を背中に感じる中、すずな殿はクスクスと笑いを堪えており、芹殿は訳が分からないといった様子で「えっ? なになに、どしたの?」と見回すばかり。
さて、そろそろ良い時間だ。私は
彼女たちと目を合わせないまま、ゆっくりと座布団から腰を上げれば、私に集まる彼女たちの視線。謝罪を込めた一鳴きを合図にバッと私は駆ける。
座敷机の下を潜り抜け、勢いそのまま廊下へ、そして自室へと風の様に駆けて行く。置き去りにした座敷からすずな殿の笑い声と私を呼ぶすずしろ殿の声が夜の館内に響くのであった。
ここまで読んで頂き、誠に有難うございます。
次回も気長に待って頂ければ幸いです。
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