このお話は、一部、クトゥルフ神話TRPGシナリオ「妖し欺瞞し斬るはまぼろし」のネタバレを含んでいます。
上記シナリオをプレイしていない方、これからプレイする予定の方、リプレイを見る予定のある方は、必ずブラウザバックをお願い致します。
ブラウザバックはお済みでしょうか? それでは、本編をどうぞ。
しとしとと雨の降る夜。この日、
大した用事ではなかったが、やけに遅くなってしまったと、五月雨は焦りつつ最寄り駅の改札を出た。時刻は夜10時。帰りが遅いとは伝えているが、さすがに遅すぎだ。娘のアキはどうしているだろうか。お腹と背中がくっつくよ! と騒いでいるだろうか。それとも、自分で料理を作り出して……よそう。この先は考えたくない。ともかく、急いで帰る必要がありそうだ。五月雨は傘を開き、小走りで自らの道場に帰ろうとして……駅前のベンチに座って雨に濡れる少女が視界に入った。
「あれは……翡翠か?」
美しい濡れ羽色の長髪に、透き通るように白い肌。夜の暗がりに光っているようにも見える、翡翠色の目。見間違えようはずもない。五月雨導久の一番弟子、
彼女は五月雨の弟子であるが、別に道場に住み込みという訳ではなく。彼女の通う塾はこの近辺にあるが、実家はここから三駅先である。別に今日、泊まりで稽古をつける予定もない。つまり、こんな時間に彼女がここにいるということは……彼女に、何かあったということだ。
雨に濡れる彼女に傘を差し出すべく、五月雨は踵を返して翡翠の許へ向かう。思い返せば、最初の出会いもこうだったな、と、過去に思いを馳せながら。
神楽坂家は名家である。父も母も、祖父も祖母も、叔父も叔母も兄も従兄弟も……皆、優秀な人間だ。
政治家、医者、弁護士、検事、警察官。先祖代々、神楽坂家に産まれた者は、こんな職業に就く。例外なく優秀。例外なくエリート。……ただ一人、翡翠だけを除いては。
決して賢くないわけではない。一般人に比べれば。だが足りない。勉強も、運動も、芸術も。優秀ではあるが、神楽坂の名を背負うには及ばない。それが、家族が下す彼女への評価。神楽坂家きっての凡才で、神楽坂家の面汚しである。
そんな環境下にあって、翡翠が家族から愛されていると感じることはなかった。表面上は優しい親が、裏では自分を蔑んでいると翡翠は知っていた。
だから彼女は努力した。自由な時間などほぼないくらいに勉強をした。暇さえあれば運動をした。遊ぶこともなく、友達を作ることもなく、趣味を持つこともなく……ただ優秀な人間になりたかった彼女は、ただ優秀になるためだけに努力を重ねた。その結果、彼女は「神楽坂の名を背負うに相応しい優秀な女」になり、自身の夢を叶えてしまったのだ。
優秀になりたかった翡翠に、その先のビジョンはない。凡才であった彼女は、優秀になった後に何をするかまで考えが至らなかった。それが、自らの限界。それを思い知ったとき、翡翠は何も手につかなくなった。
そうして、悩みに悩んでいた時に出会ったのだ。自分を神楽坂家の凡才ではなく、神楽坂翡翠本人として見てくれる人。敬愛する師匠、五月雨導久に。
「こんなところでどうした。傘も差さずに雨に打たれていたら、風邪を引くぞ」
いつかも聞いたその言葉に、翡翠ははっとして顔をあげる。そこにいたのは五月雨導久。翡翠の師匠である五月雨が、翡翠に傘を差し出していた。
「師匠……? どうしてここに」
「それはこっちの台詞だ。もう10時を過ぎているぞ。高校生はとっくに帰らなければならない時間だろう。……何かあったのか?」
五月雨は心配そうな顔で問う。しかし、その言葉を聞いて、翡翠はもう一度うつむいてしまった。思った通り、何かあるようだ。
五月雨は自分の服が濡れるのも構わず、翡翠から傘が外れないよう注意しながらその隣に座った。懐かしい。翡翠はそう思った。初めて五月雨と出会った時にも雨が降っていて、あの時は初対面だったのに、優しく傘を差し出してくれたのだ。
「……師匠。私、家に帰れません」
「また、なにか悩み事か? あの時と違って気が済むまでは付き合えないが、多少なら聞いてやれるぞ?」
「そう言うのではないんです。悩みとかではなく。……その、お恥ずかしい話ですけど……私、家出をして来たんです」
「はあ、家出か。なるほどなるほど……は? 家出?」
予想外の言葉に一瞬固まってしまう。というのも、翡翠は優等生そのものな少女であるから、彼女がそんなことをするなどというのは、五月雨には想像もつかなかったのである。
「あー……そう、か、そうか。……まあ、そういうこともあるだろう。…… よし」
最初こそ取り乱したが、五月雨はすぐに思考をまとめた。先ほども言った通り、翡翠は優等生そのものな少女だ。だからこそ、悩み、苦しんで生きていることも五月雨は知っていた。彼女の親のことも、多くは知らないが少しだけ知っているし、彼女が自らの親をどう思っているのかも知っている。何がきっかけかはわからないが、親との衝突があったのかもしれない。翡翠は今行くところがなくて困っているのだろう。……そんな時、自分は師匠として何が出来るのか。その答えはすぐに出た。というか、五月雨が彼女に出来ることなんて、今も昔もひとつしかない。
「翡翠、俺と一緒に道場に来い」
彼女に居場所を作ってやること。それが翡翠がもっとも求めていることで、唯一五月雨が翡翠にしてやれることだ。
五月雨の言葉を聞いて、翡翠はきょとんとしていたが、すぐに可笑しそうに吹き出した。
「はい。……ありがとうございます、師匠」
ふふふ、と控えめに言いながら、翡翠はそう言った。
「戻った。……すまない、遅くなって」
五月雨剣道場。五月雨導久が師範を努める剣道……というよりも、人を殺す技術に少し寄った、剣術を教える道場である。
そして、五月雨導久とその娘、
「おーーーーーーーとーーーーーーうーーーーーーさああああああああああん!!!!」
五月雨が帰宅と共に奥に声をかけると、ドタドタとものすごい音を立てながら、奥から誰かが現れた。
燃え上がるような
「遅いよ! 遅すぎるよ! お腹と背中がくっつくよ!? って言うかもうくっついてるよ!」
「いや、本当にすまない。それより……」
「それより!? 愛しい娘の腹ペコより優先することある!? ……って、あれ? ひーちゃん?」
ぎゃんぎゃんと騒ぎ立てていたアキだが、その視界に翡翠の姿を捉えると急に静かになる。こんな時間にここに翡翠がいるのは明確なイレギュラーなので、思考が止まったのだ。しかしそれも一瞬。すぐに満面の笑みになると、五月雨を押し退けて翡翠に抱きついた。
「ひーちゃん! ひーちゃんじゃん! え、なんでいるの? どうしたの? 家追い出された?」
「わぶ、ちょ、いきなり何……いやちょっと待って。私は家出……」
「ま、なんでもいいよ! いらっしゃい! 泊まるの? もしかしてひーちゃん今日お泊まり? ぃやったあお泊まりだぁ!」
「っ……いい加減に離れなさい、このバカ!」
このアキの暴走は、翡翠が自らに引っ付くアキを無理矢理ひっぺがすまで続いた。
「ふーん、そうなんだー。追い出されたんじゃなかったんだねー」
数時間後。風呂に入り、五月雨の作った遅めの夕食を食べた翡翠は、疲れていたからかすぐに眠ってしまった。翡翠が起きている間、ずっとアキは楽しそうに雑談を振っていたので、結局なぜ翡翠がここにいるのかを聞きそびれていた。なので、翡翠が寝静まった今、翡翠が家出をしてきたのだと言うことを、ようやく五月雨から聞いたのだった。
「家出かぁ……。あたしにはわかんないなぁ、家から出ていきたくなる気持ちなんて」
「そう言ってもらえると、俺としては嬉しい限りだ。……翡翠は、家庭環境や自分のことで悩んでいるからな。相談に乗ってやれば、あいつはいつもありがとうと言うが……俺には、あいつの本当の心の内はわからない。あいつの助けになれているのかも……」
「お父さんに相談に乗って貰えてるんだから、助けになってないわけないでしょ! そこ悩んじゃだめだよ、そういうところだよお父さん!」
「む……そうか。そうだといいんだが……」
「そうだよ、絶対! ……ねえ、お父さん?」
「なんだ?」
「ひーちゃんさ、稽古の休憩中もずっと単語帳見てたりするけど……普段、ひーちゃんが何してるか知ってる?」
アキにそう問われて、五月雨は顎に手を当ててしばし考える。翡翠と共に稽古を行い、彼女の相談に乗った日々を思い返したが……そう言えば、彼女のプライベートな部分の話はほとんど聞いていなかった。
「いや……プライベートの話は聞かないな。相談の中にその類いの話が混ざっていたことは絶無だ。……友人のこと、趣味のこと、俺は何一つ聞いていない」
「げ、ほんと? ……ねー、ひーちゃん、ちゃんと遊んでんのかなー?」
「どう……だろうか……」
二人して腕組みをして、俯く。先に顔を上げたのはアキだ。ニヤリと意味ありげな笑みを浮かべたその顔には、『良いことを思い付きました!』とハッキリと書いてあるように見えた。
「お父さん、明日一日ひーちゃん借りるね?」
その言葉の意味をいまいち飲み込めぬ五月雨は、眉間にシワを寄せたまま首をかしげるのだった。
翌朝。白いご飯に味噌汁、焼き魚、漬け物と卵焼きと言った、オーソドックスな朝食を食べ終わったアキは、同じく朝食を済ませ、勉強のために五月雨の書斎を借りる許可を取ろうと立ち上がった翡翠の肩をガッチリと掴んだ。
「……なんのつもり? 私はこれから勉強をするのだけど」
冷ややかな声。諸事情あり、翡翠はアキのことを好ましく思っていなかった。しかし、アキはそんな翡翠の態度に物怖じすることなく、笑顔で言う。
「残念ながら……今日、ひーちゃんは勉強をすることはできません。なぜなら! 今日は! あたしに一日付き合ってもらうからです!」
「は? 何を勝手に決めているのかしら。私にそんなことをしている暇は……って、ちょっと、いい加減肩を離して……い、痛い痛い、こういうときに限って力が強い! ちょっと師匠! 助けてください!」
普段の稽古でつばぜり合いなどに持ち込んだときなどは翡翠が力押しで勝てるのに、なぜこう言うときは無駄に力が強いのか。アキの手を振り払うことが出来ずに五月雨に助けを求めるが、しかし。五月雨から返ってきたのは、翡翠にとって予想外の一言だった。
「二人で出掛けるのか? お前たち二人が共に稽古をするようになってから、そういうことはなかったな。たまにはいいんじゃないか? 楽しんでくるといい」
五月雨曰く。この時の、目を見開きあんぐりと口を開けた翡翠が漂わせていた絶望感は、あの夢の中でゴグ=フールと遭遇した時以上だったとか。
師匠に売られた。今の翡翠の頭には、それ以外の単語が浮かばない。五月雨としてはちょっと遊ぶのを許可したに過ぎないし、そもそも稽古もないのだから遊ぶのに許可も要らないだろう? という軽い感じだったのだが、翡翠にとっては信頼する師匠からの裏切りに感じられたようである。正直、大袈裟すぎるような気もするが。
「もう、ひーちゃん! あたしのことずーっと無視するじゃん! 着いたよ!?」
道場からずっと下を向いて歩いていた翡翠は、アキに声をかけられてようやく、はっとしたように前を向いた。その瞳の中に飛び込んできたのは……ゲームセンターである。
「……ここ、ゲームセンター? 不良の溜まり場じゃない。こんなところに私を連れ込んで、どうするつもり?」
「認識が古いよ!? 平成じゃないんだから、もう不良なんて居ないってば!」
冷たい目でズレたことを言う翡翠に、アキは思わず突っ込んでしまった。流石にゲームセンター観が古すぎる。今時ゲーセンに溜まる不良なんてドラマにだって居ないのである。
「じゃあ、何が溜まってるのよ?」
「いや、まず溜まり場って思い込みをやめようよ! ゲーセンにいるのは、親子連れとかー、普通の中高生とかー、ダサい服着たお兄さんとか、アニメのキャラのTシャツ着たお兄さんとか、不潔でタバコ吸ってるおじさんとかだよ!」
「それは不良よりよっぽど嫌だわ……」
「とにかく、入ろう入ろう! ね? 楽しいから! ね?」
「わ、ちょ、危な、急に押さないで! ちょっと、アキ!?」
いつも強引なアキであるが、今日は輪をかけて強引である。一体何を考えているのか。私は、魔の巣窟ゲームセンターでどうなってしまうのか。まったく、不安の尽きない翡翠であった。
「それで。何でいきなり……プリクラ? なわけ?」
翡翠、ゲームセンター初体験。その記念すべき一回目のゲームは、どうやらプリクラになったらしい。
「なんでって、ゲーセン一発目っていったら大抵プリクラってそーばが決まってるからじゃん?」
「初耳なのだけど。っていうか何、これどうするの?」
「まあまあ、操作はあたしに任せてよー」
困惑する翡翠をよそに、慣れた手つきで筐体を操作するアキ。筐体から流れる、『カメラを見てね!』という音声に、翡翠はいよいよもって慌て始めた。
「え、え、え、何? カメラ? カメラはどこに?」
「あー、ひーちゃんひーちゃんカメラあそこ! ほらあっち向いて! ほい!」
「それじゃあっち向いてほいになっちゃうじゃないの! あそこ? あそこなのね? カメラを向いて……」
「ひーちゃん表情が固い! それじゃ証明写真だよ! 笑って! ニコッて!」
「わ、笑う? ニコッて? ……こうかしら!」
「怖い! ひきつってるよひーちゃん! それあたしの幻の首を落とした時の顔じゃん、何を斬るつもりなの!? あー、あー、プリクラ終わっちゃうからぁ!」
……結局、二人でちゃんと撮れたのは最後の何枚かだけだった。それでもアキはホクホク顔で写真をデコレーションしていた。それを見ていた翡翠は、ハートとかやめてくれないかしら、とうんざりした顔だったが。
「プリクラ……手強かったわね……」
「プリクラに手強いもなにもないんだけどなぁ……あ、ひーちゃん! 次あれやろうよ! あれ!」
「あれ? ……え、あれ?」
次にアキが指を指したのは、筐体搭乗型のシューティングホラーゲームだった。巷ではノーコンティニューでクリアさせる気が一切ない地獄の初見殺しと噂されているあれである。
「え? ひーちゃんホラーだめ? あんなに幻を切り刻んで楽しんでたのに?」
「……私、ホラーってやつに触れたことが無いものだから……っていうかあなた、ちょくちょくあの夢の時のこと話題に出すのやめなさい。落とすわよ」
「怖いよ!? 何を!? ……まあそれはおいといて、あれ見た目は怖いけど乗っちゃえばそうでもないから! 行こ行こ!」
「あ、ちょっと! ……私、本当にあれに乗らなきゃいけないの……?」
さて。乗ってすぐは結構ビクビクしていた翡翠であったが、アキの言う通り一度ゲームに入り込んでしまえばそうでもなかったようで、すぐにゲームを楽しみ始めた。
「え、何これ? 一つのサイトを二人で撃たなきゃいけないの!?」
「そうだよ! バッチリ息合わせてね、ひーちゃん!」
大型ボス戦。この手のゲームではお決まりの、協力してサイトを攻撃するシーン。筐体の左にはアキが、右には翡翠が座っている。判断力とコンビネーションが試されるこのシーンで、アキが狙ったのは、翡翠側の協力サイト。対して翡翠が狙ったのは、アキ側の協力サイト。二つの照準が綺麗に交差し、二人は見事にバラバラのサイトを狙う。
「ちょ、ひーちゃん!? そっち狙うの!?」
「息を合わせないとダメなんでしょ!? ああもう、仕方がない!」
慌てたアキが自分側の協力サイトを狙うのと同時に、翡翠も照準を自分側の協力サイトに動かす。再び二つの照準が綺麗に交差し、またしても別のサイトを狙う結果となった。……ある意味、息ぴったりである。
「ああもう、埒が明かない! 先に真ん中を狙うわよ!」
「わかった!」
今度は二人で真ん中にある協力サイトを狙うことにしたようだ。……したようだが、真ん中の協力サイトは上と下の二つあり、今度は翡翠が上を、アキが下を狙う形になって……。
「アキ! あなたねぇ!」
「もー! ひーちゃん!」
結局、協力サイトを一つも壊すことが出来ずに、大型ボスの攻撃で二人の体力は尽きてしまった。
「シューティング……手強かったわね……」
「ひーちゃん? それ毎回言うつもりなの?」
ホラーシューティングを終えて、次に二人が目をつけたのは太鼓を模したリズムゲームだ。人気のゲームのために並んでいる人も多かったが、もうそろそろ二人の番になる。
「これは……バチでこの太鼓を叩くの?」
「そうだよ! ドンの時に真ん中で、カッの時に縁を叩くの!」
「へぇ……ねえ、アキ。これ、縁を叩いても反応しないわ?」
「え? あれ、ほんとだなんで? あ、時間が……」
「曲決まっちゃったけど……え、え、もう始まるの?」
「やば! でもやるしかない! ひーちゃん頑張れ! あたしの方は縁も反応するから! あ、スコア対決ね!」
「え、それはずるくないかしら!? あちょっと、やっぱり反応しない!?」
太鼓の○人の縁が反応しない……それは人気の台によくあることで、かなり強く叩かないと反応しなくなっているだけの場合が多いが、翡翠にそれを知る手段は無く。結局翡翠はノルマクリア失敗となり、アキに完敗を喫したのだった。
「太鼓の○人……手強かったわね……」
「ねえ、あたしもうそれ突っ込まないよ?」
そんなこんなで太鼓の○人を終えた翡翠たち。今度は、アキの要望により、クレーンゲームを見て回っていた。何かよさげなぬいぐるみを見つけたらゲットしてしまおうと言う算段である。
「あ、ひーちゃーん、これ取りた~い」
「えーっと、これ、カモメ? カモメのぬいぐるみって欲しい人居るの……?」
「ここに居るよ!」
「ここに居たわ……。えーっと、このレバーでクレーンを動かして、取り出し口まで運べばいいのよね?」
「そうそう! ……ねえ、ひーちゃんさ」
「なにかしら?」
「初めて何かをやるのって、もしかして苦手?」
「うっ……」
図星による動揺が翡翠の体に現れ、クレーンがあらぬ方向に移動する。
「そ、そそそそんなこと……」
「だってさ、ひーちゃん勉強すっごく出来るしさ、稽古の時だってすごく丁寧に型をなぞるじゃん? なのにゲームは失敗ばっかりだなーって」
「……はぁ。そうよ、悪い?」
翡翠は開き直ってそう言う。クレーンの動きにも、先程の動揺は見られない。
「一つのことにバカみたいに時間をかけて、繰り返しやって、慣れていかないと私は何もまともに出来ない。……先生や同級生はやれ天才だ、やれエリートだ、流石神楽坂家の人間だ、なんて言うけれど……そんなの、全部張りぼて。表面だけ取り繕って、水面下で必死にバタ足してるのを隠してるだけなのよ」
「へー、可愛いね!」
「馬鹿にしてるの?」
「全然! 愛してる!」
「……どうだか」
翡翠が丁寧に動かしたクレーンは、カモメのぬいぐるみをガッチリとキャッチした。アームの力が弱まることもなく、ぬいぐるみは取り出し口に吸い込まれるように入っていった。なんと翡翠は一発でぬいぐるみをゲットすることが出来たのだ。
なんでもないようにカモメを取り出した翡翠は、それをアキに押し付けると、そのまま出口に向かって歩き始めた。
「帰るわ。無駄なことに時間を使いすぎてしまったから」
「……なんだよぅ、クレーンゲーム、上手いじゃん……。あ、あ! ちょっと、ちょっと待ってひーちゃん!」
アキは少しだけ呆然としていたが、すぐに気を取り直すと翡翠を追いかけた。今まさにゲーセンを出ようとしていた翡翠の、その左腕をつかむ。
「なにかしら」
「あと一ヶ所! 行きたいところがあるの。帰る前に、それだけ付き合って!」
「あなたと過ごす時間なんて、私にとってなんの価値もないから。ごめんなさい」
「あるよ! 価値、あるから! だから!」
「……今日は朝から何よ!」
翡翠がアキの手を振り払い、アキに向かい合う。アキを睨みつけるその顔は、まるであの夢の時のような憎しみに彩られていて。アキは少し怯んでしまう。
「私が、価値が無いって言っている! 私が使う時間に価値があるかどうかは、私が決める! お前に指図されることじゃない!」
「……なんだよ。あたしと過ごすこの後の時間の価値なんて、まだ体験してないんだからわかるはずないじゃん!」
「わかるわよ! だって、あなたと過ごしたこのゲームセンターでの時間は……!」
「価値がなかった? あんなに、ひーちゃんあんなに楽しそうにしてたのに? 本当に、価値がなかったの? ひーちゃんに、とって……」
「そうよ! そう……! 私にとって、価値、なんて……」
翡翠が押し黙る。先程まであんなに騒がしかったゲームセンター内が、やけに静かに感じる。……先に静寂を破ったのは、アキだった。
「ねえ、翡翠ちゃん。一生のお願い。あと少しだけ、付き合ってくれないかな。その時間が、本当に翡翠ちゃんにとって価値の無いものだったら、もう二度と遊びには誘わないから、だから……お願い」
アキが翡翠に頭を下げる。今までに無いほど真面目なアキの態度に、翡翠は少し動揺していた。……そして、翡翠が選んだのは。
「……一ヶ所だけ。それ以上は、付き合わないから」
「……うん! ありがとう!」
翡翠とアキ。二人の初めてのお出掛けは、あともう少しだけ、続くようである。