サクラ大戦3外伝 ~絶海より愛をこめて~ 作:ヤットキ 夕一
日本からはるばるフランスの巴里までやってきた白繍なずなはやっとのこと、ターミナル駅へと到着し──全力疾走する羽目になっていた。
「な、んで! こんな! ことに! なるのよ~ッ!!」
全速力で走る彼女の前には、同じく全力で少年が走っている。
その彼に追いつかんと視力を振り絞るなずな。なぜなら──
「あたしの! 全財産! 持って行かれて! た・ま・る・か~ッ!!」
少年の手には財布が握られていた。
それは本来はなずなの懐にあったものであり、つい先ほど長い船旅からの列車旅も終わり、ホッと一息ついたところで少年とぶつかり──見事にスられたものである。
普通の人ならば、次に財布を使うまでは気が付かないようなあざやかな手並みだったが、なずなはその強い霊感によって第六感が働き、理屈をすっ飛ばして自分の危機──すなわち一文無しに陥ってしまうのを察知したのである。
「とはいえッ、こんなときッ、姉さんならッ、スられる前にッ、気が付くんでしょうけどね~ッ!!」
さすがといえばさすがの話なのだが、あいにく身近にもっと霊感の強い人がいたので、どうしてもそれと比べてしまうのである。
もしも事前に防げていたのなら、こんな苦労と不安を被ることもなかったのに、と恨みがましく思いつつ、なずなは追いかける。
すると──
「あの、全力で逃げてる少年が犯人?」
横から聞こえた声に、なずなは驚いて振り向いた。
見れば、なずなよりも明らかに年下の、子供と言っていいような体格の子がなずなと併走している。
その身軽そうな身のこなしをした少女は、ニコッと余裕の笑みを浮かべていた。
「うん、そうよ!!」
「わかった。任せておいて」
その小柄な子──髪の毛を左右でまとめたその子は、余裕の表情でさらにグンと速度を上げ、なずなを追い抜いて追跡し始めた。
この人混みの中を、身軽さを武器に、途中「ゴメンね」と言いながらすり抜け、場合によっては軽業士のように飛び跳ねて人を避けつつ、着実に距離を縮めていく。
「すご……」
なずなは足こそ止めなかったが、彼女の速さ──というよりも身軽さ──に呆気にとられた。
その気配に気が付いた少年が背後を振り返り「クソッ!」と悪態をついて、さらに足を速める。
そして、改めて少年が前を向いたその先に、一人の男性が立っているのに気がついた。
欧州についてから──むしろ日本を旅立ってから目にする割合が格段に減った、漆黒の髪がなによりも印象的だった。
年の頃はなずなよりも年下だろうか。
細身の体つきは屈強と言う表現とはほど遠く、スリの少年とぶつかったら、相手が小柄とはいえ勢いに負けて飛ばされてしまうんじゃないかと思えた。
「危ないッ!!」
なずなが思わず声を上げる。
速度が乗ったスリの少年が、彼を避けるのはタイミング的に不可能だと思ったからだ。
それは逃げる少年自身もそう判断したらしく、「どけ!!」と叫びながら腕っ節に任せて強引に弾き飛ばそうと襲いかかる。
そして──
「「「──えッ?」」」
次の瞬間、スリの少年は華麗に宙を舞っていた。
それを端で見ていた追跡者二人もまた呆気にとられていた。
襲いかかった少年の片手をとった彼は、鮮やかに少年の足を払って飛ばしたのである。
そして掴んだ手を中心にして回り、背中から地面に落ちる。
だが、地面に衝突する瞬間に全力で引っ張り上げ──衝突の衝撃を最小限に押さえ込んだ。
結果──少年は、狐につままれたような顔で、その青年に腕を捕まれた状態で、仰向けに地面に寝転がっていた。
そのあまりの鮮やかな手際に、なずなも、追いかけるのに協力してくれた少女もまた唖然としていた。
「──あの、ありがとうございました」
地面に叩きつけられた少年を制圧した彼に、どうにか追いついたなずなは頭を下げた。
振り向いた彼は、それに対して微笑を浮かべる。
「礼には及びません。困っている人がいたなら助けるのは当たり前のことですから」
答えた彼を近くで見て、なずなは気が付いた。
その髪の毛の色からてっきり日本人か、少なくともアジア系の人だと思ったのだが、その瞳が碧眼であるのを見て、認識を改める。
よく見れば、目鼻立ちも鼻が高かったりと、欧州系の特徴が目立った。
「えっと……どうかしましたか?」
無言でジッと見られていることに、違和感と気まずさを感じた彼が戸惑った様子でそう言ったので、なずなは我に返った。
「あ! スミマセン。なんでもないです! ただ髪の毛が……」
「髪、ですか?」
それで彼はギクッとなり、ぎこちない笑みを浮かべる。
「ああ、珍しいでしょうね。ここまで黒いのは……」
「ううん、その逆。懐かしいと思って」
「懐かしい?」
なずなの言葉に、彼は訝しがるように首を傾げる。
「あたしの国では普通で、よく見かけるもの。むしろこっちに来るまでの間の方が戸惑ったわ。茶色や赤みが強かったり、挙げ句の果てには綺麗な金色だったり……」
茶色がかっているのは自分もそうなので、そこまでの違和感はなかったが、とにかく真っ黒率が低い。
金髪に至っては元々、日本人には無い髪色だ。
もちろん、初めて見るわけではない。故郷はさておき、帝都では見かけなくもない。
そもそも帝国華撃団には数人いる。補欠を務めていた花組にはマリアとアイリスが綺麗な金髪だったし、姉がいたので接する機会が多かった夢組幹部にも、カーシャという金髪の女性がいた。
しかし、あくまでごく少数派。その割合が高くなることには違和感しかなかったのである。
「その綺麗な黒髪は、素敵だと思って」
「素敵……ですか?」
そんななずなの言葉に、彼は衝撃を受けた様子だった。そして半信半疑な表情も浮かべていた。
それに気が付くことなく、なずなは苦笑気味に微笑む。
「あたしの髪は茶色がかってるから、ちょっとあこがれでもあったの。烏の濡れ羽色──黒くて艶やかな髪は本当に綺麗だと思うわ」
そんな言葉を聞いて、彼は放心したようになずなをジッと見つめる。
(え? あれ……あたし、なにか変なこと言ったかしら?)
無言で見つめられ、今度はなずなが戸惑う番だった。
そこへ──
「……はあっ……はあっ……やっと、追いつきました…………」
赤い修道服を着た、長い髪の女性が疲れ切った様子でたどり着いた。
見れば、先ほど一緒に追いかけてくれた子の連れのようで、彼女の下へと近寄っていく。
「遅いよ、エリカ」
「そんなこと、ありませんよ……コクリコが、速すぎるだけです…………」
エリカと呼ばれた修道服の女性が、息を整えながらそれに答える。
あらためて彼女と一緒にいるその小さな小柄な人影をを見て気が付いたが、髪を頭の両脇で縛っている髪型や体格、声からしてどうやら女の子だったらしい。
「それで、捕まえられたんですか? 泥棒さん……」
「うん。そこの人が捕まえてくれたんだ。すごかったんだよ。バッと投げて──」
身振り手振りを交えて、少女は連れに説明する。
それを訊いた修道服の人も「へぇ! そうだったんですね──」と同じように興奮し始めていた。
そんな彼女たちに、なずなは近づく。
「あの、ありがとうございました。御迷惑をおかけしてしまって……」
「迷惑だなんて、そんなことないよ。困ったときはお互い様だし、それに──お金がなくなったら困っちゃうでしょ? 旅の人みたいだし……」
なずなを見て、さっきコクリコと呼ばれていた小柄な彼女は人好きのする笑みを浮かべた。
「は、はい。それはもう……本当に助かりました」
なずながあらためてお礼を言って頭を下げる。
すると──
「なるほどねぇ……ところで、そこのアンタ。捕まえたそのガキをどうするつもりだい?」
場の空気に水を差すように、近くまでやってきていた、眼鏡をかけた鋭い目つきの女性が言った。
彼女を見て、修道服の女性が「ああ、ロベリアさん。もう、遅いですよ……」と言っているところを見ると、どうやら彼女も連れらしい。
「え? ……あたし、ですか?」
射抜くような視線を向けられ、なずなは思わず息をのむ。
「他に誰がいるってんだ? そうだよ、アンタだよ。財布を盗まれたのはアンタだろう? そのガキ、警察に突き出すのかい?」
「あ……」
日本にいたころでさえ、窃盗の被害にあったという経験はない。そんな初めてのことに、なずなは戸惑うしかなかった。
「別にそれを責めようって気はさらさら無いよ。アタシだって自分の財布を盗ろうとしたヤツにはキツいお仕置きをするさ。このアタシの財布を二度とねらうことがないようにね」
鋭い目の女性は愉快そうに言いながら、捕まったままの少年を睥睨した。
見れば、少年は恨みがましい目でなずなを見ている。
「金がないから盗んだ。そんなところだろう? コイツだって金がなけりゃあ生きては行けないだろうからねぇ。そんなところに、間抜けな東洋人が無防備に立っていたんじゃあ、鴨がネギを背負っているようなものじゃあないか」
「……ロベリアさん、この人が盗まれるところ見ていたんですか?」
「いや、見てなんてないさ。だが想像はつく。コイツの必死な目と、平和ボケしたようなそっちの目を見たらね」
「へ、平和ボケ……」
目つきの鋭い女性に言われ、思うところがないわけではないなずなだったが、さすがに纏う空気がおっかなくて、文句の一つも言えるような相手ではなかった。
だが、それで少し冷静になった。
(もしも、この子を警察に渡せば……)
法の裁きを受けさせることになるだろう。
スリという財布一つを窃盗することは、軽微な犯罪かもしれない。
でもそれは、彼の一生には大きな傷となって残ることになる。
──可哀想という哀れむ思いがある。
──自業自得だろうと怒る気持ちもある。
──そしてなにより、彼の人生という重いものを持ったことに対する恐れがある。
相変わらず強気に睨みつけてくる少年。先ほどのロベリアと呼ばれていた女性の言った「生きるため」という言葉に、大義名分を得たような様子も見受けられる。
だがその瞳の奥に、なずなは怯えの色を見た。
(やっぱり、怖いわよね……)
当然だろう。自分の人生を他人に預けているのだから。
なずなは、それで決意できた。
「……警察には引き渡しません。大丈夫です」
「「え?」」
少年と、彼を押さえていた青年から驚いた声が漏れた。
二人ともなずなを思わず見つめる。
それに彼女は一つ頷いて答えた。
「財布もこうして手元に戻ってきたことですし、そこのキミは……もう二度と、こんなことしちゃダメだからね」
そう言って笑顔を向ける。
それに耐えかねたように、少年は「フン」とそっぽを向いた。
「あ! もう……そんな反応して! ねぇ、そこのあなた、本当にいいの? それで」
「はい。幸いなことに戻ってきたわけですし、この子がこれに懲りてもう二度とやらなければ、それで構いません」
反抗的な少年の様子に、ボーイッシュな少女が心配そうに訊いてきたので、それにハッキリと頷いた。
すると、それを見て修道女が感激したように、手を組んで天を仰いだ。
「ああ、素晴らしいですね!! 罪を憎んで人を憎まず、ということですよ! なんと心が広くて慈愛にあふれた人なんでしょう!!」
それから彼女はなずなを振り返ると、その手をギュッと掴む。
「あなた、お名前は?」
「え? あたしですか? あたしは白繍 なずなといいますが……」
「なずなさんですね。突然ですが、祈らせてください。あなたに幸せが訪れますように……」
修道女のマイペースさに一同が呆気にとられていると──
「あ!」
押さえる力が弱まってしまったのか、少年が強引に拘束をぬけだし、そのまま走って逃げ出した。
押さえていた彼が、素早く立ち上がると追いかけようとするが、少年はすでに全力疾走で逃げ始めていた。
彼と、そしてコクリコという少女が意を決して追いかけようとするが──
「お二人とも、ありがとうございます。でも大丈夫ですから」
なずながそれを止めた。
再び彼を追いかけて捕まえるのはかなり手間だろう。そこまで手を煩わせるのは申し訳ない。
それになずな自身、彼を許すと言った手前もある。
追いかけてこない気配を察したのか、逃げ去る少年は大声を張り上げる。
「ありがとう、なんて言わねーからな!」
捨て台詞を残し、彼は駅の喧噪の中へと去っていった。
「チクショウ……金さえあれば、盗みなんてやらねえのに。何者にも負けねえくらいに力を……金も必要だけど、それを掴むための力が、誰にも負けないような力が欲しい…………」
少年は人混みの中を抜けつつ、涙をにじませながら必死で走った。
【よもやま話】
今回の第1話の主役、なずながやっと巴里に到着です。
到着早々にひどい目に遭っていますが、そういうのに巻き込まれやすい家系なんですかね。
……読み返してみたら、前作での初登場シーンでもなずなは息を切らせて全力疾走で追いかけてました。(姉を)