サクラ大戦3外伝 ~絶海より愛をこめて~ 作:ヤットキ 夕一
さて時間と所を戻し──フランスの巴里。
テアトル・シャノワールで、その支配人であるイザベル=ライラックは来客を迎えていた。
「──先日は、我が国の者が大変な御迷惑をおかけしたようで……本当に申し訳ありませんでした」
「まったくだよ。ウチの従業員にずいぶんとヒドいことをしてくれたそうじゃないか」
平身低頭で謝る相手に対し、イザベルは不機嫌さを隠そうともせずに言う。
というのも、先の錬金術を使ったエッフェル塔の事件の少し前に、英国の諜報部が巴里華撃団のことを綿密に調べようとする騒動があったのだ。
現在のところ“欧州防衛構想”から離脱中の英国は当然ながら華撃団構想からは表向き外れており、巴里華撃団の情報は入ってこない──ということになっている。
もっとも──今、イザベルの目の前にいるような華撃団派の英国人もいるので英国人が情報を持っていないわけではないのだ。
かといって敵対する反華撃団派のためにわざわざ情報をくれてやる義理も義務もない。彼らはそう考えて我関せずを貫いているのである。
一方で、英国で実権を握っている反華撃団派は巴里華撃団を警戒し──情報不足から強引な調査を強行するようなことになったのだ。
「……マダムにあっては大使館を通じて厳重なる抗議を、よろしく願います。彼らが息を吹き返さぬように、徹底的に」
頭を下げていた彼が、チラッと顔を上げて悪びれた様子もなく言う。
それにイザベルは呆れた顔になった。
「当然、させてもらうよ。けど、こっちとしてはアンタの方がやりやすいとは思っているけど……それも考え直さないといけないのかねぇ」
巴里華撃団と英国の反華撃団派を争わせ、英国の華撃団派が漁夫の利を得ようとしている図式にも、イザベルには思えるのだ。
「滅相もない!」
そんなイザベルの意図に気がつき、バッと顔を上げて、上体を起こす紳士。
「これでヤツらの力が衰えれば、あの一件で欧州防衛構想から離れた我が国が、やっと戻ることができるのですから」
「……だから、それが目的でアンタが敵対勢力を動かした、とアタシは疑っているんだよ、クレセント卿」
「まさか……私にそのような力などありませんよ」
イザベルにジト目を向けられながら、謙遜して「ハハハ……」と笑うクレセント卿。
「いいや、それくらい、アンタならやりかねないだろう? 元は有力貴族の次男坊なんだからね。人を動かすことは容易いんじゃないのかい?」
そこからクレセント家に婿養子に出たという経歴を知っているほどに、イザベルと彼はつながりを持っている。
「できない、とは申しませんが……無理する必要もないことです。あなた方の活躍のおかげで肩身の狭い思いをしていた我々、英国の華撃団派もやっと日の目を見ることができるのですから」
そう言って笑みを浮かべた彼は、「だいぶ焦っているようですからな、ヤツらも」と臥薪嘗胆の思いで耐えてきたこの数年を思い出して、会心の思いだった。
「まぁ、こっちとしては助かる話だけどねぇ。しかし天下のMI6様が、なんだってあんな雑な行動を。それもそれが原因かい?」
そう尋ねたのは、もちろん先の諜報活動──とてもスマートとは言えない、強引な方法で、メルやシーに拷問まがいのことまでやった──についてである。
──今更ながら、ここに至るまでの情勢と経緯を説明しよう。
まず、以前は英国も“欧州防衛構想”に加盟し、
だが、巴里での大規模霊障が予知され、その対策を第一にするべきだという流れが生まれはじめる。
結果としてそれが決め手になって、欧州華撃団構想の本部には欧州最初の華撃団・巴里華撃団が設立されることとなった。
これが3年ほど前の話だ。
それに対し、英国に於いて華撃団計画の中心だった有力貴族のトワイライト卿が反発した。
そこを反華撃団派に籠絡されてしまって変心し──帝国華撃団に入隊予定だった娘を敵対組織の工作員としたり、完全に反華撃団の立ち位置になってしまった。
結果、多くの有力貴族が様子見だった中で有力貴族を失った英国の華撃団派は急速に失速する。
英国では反華撃団が主流となり、計画が進んでいた倫敦の華撃団計画は凍結されるどころか、フランスへの反発から欧州防衛構想からの離脱にまで発展してしまった。
その流れが変わったのは、日本において反華撃団であった京極慶吾率いる黒鬼会がクーデターを画策するも、帝国華撃団に鎮圧されるという一件からだった。
黒鬼会のスパイとして帝国華撃団に潜入したトワイライト卿の娘も戦いの最中に改心し、父親も説得されてそれに倣った。
さすがに以前のように代表でこそなくなったが、今では華撃団派に返り咲いて裏でこっそり支援をしているし、娘にいたっては元帝国華撃団という立場を利用して表立って動いてさえいる。
そんな動きの中で、巴里華撃団が大規模霊障に対して結果を出した。
そういう国際的な流れを受けて、英国内では主流を保ちつつも反華撃団派は徐々に劣勢になり、心情的に追い詰められ始めていた。
だからこそ、その流れに逆らうために彼らは乾坤一擲の思いで、巴里華撃団の機密を探ろうとしたのだが──結果はフランス側に大きな借りを作るという、大失策をしでかした。
こうなれば時勢はもはや覆せないだろう、というのはこの場の二人に共通する認識だった。
──そんなイザベルの言葉に、クレセント卿が苦笑する。
「でしょうな。しかし彼らをあまりイジメないでいただきたい。京極の失敗と巴里での成功。国内ならともかく海外にいてその流れを感じない無能な諜報員がいることに、私とて驚いているのですから」
そう言って彼はテーブルのティーカップを手に取った。
カップに口をつけ、香りを楽しみ喉を潤す。
「京極との繋がりを疑われないようにするだけで手一杯な政治家達に唆された者たちが、英国政府や王室、有力貴族に価値を示した上で、華撃団の評判を落とそうとしたのでしょうが……アレで動いたのは世界情勢の読めない無能か、もしくは失敗させるためにあえて手を貸したフリをした者たちです」
その醜態を思い出し、「失敗は既定路線ですよ」と肩をすくめる。
それをジロッと見ながらイザベルは重々しく口を開いた。
「状況は分かったけど面白くないね、正直な話……アタシらが一方的に迷惑をかけられた事実は変わらないし、その上にアンタ達が一方的に得をしたようにしか見えないんだけどねぇ」
「迷惑が掛かった件については本当に申し訳ないと思っております。伯爵夫人の可愛がっているお嬢さん方にひどい仕打ちをしてしまったのですから」
クレセント卿は、座りながら居住まいを正し「申し訳ありませんでした」と改めて頭を下げる。
それを不満げに見るイザベル。
「本人達に直接謝ってほしいものだね。とはいえ、あなたがやった犯人じゃあないのは百も承知だからね。頭を下げてもらっても大して意味がないし、そんなことまで背負わせたくはないよ。英国の華撃団派の顔であるあなたに、ね」
「それは助かります。とはいえ、私が下げることで丸く収まる頭ならいくらでも下げますよ。あなたとは
英国の華撃団派にとって、現時点で欧州唯一の華撃団であり、結果を出した巴里華撃団との繋がりは非常に大切だ。
それはクレセント卿のような欧州防衛構想に復帰して有事の際に巴里華撃団を派遣してもらうことを考える者はもちろん、本国で倫敦華撃団の設立に再始動を企む者たちにとっても同じである。
「我々はあなた方との関係をより良いものにしたいと思ってます。ゆえに……どうぞ、我が娘も馬車馬のようにこき使ってください」
クレセント卿は真面目な顔でイザベルをじっと見た。
それでイザベルは、思い出したように言う。
「ああ、そういえば密かに行かせた帝国華撃団での研修から帰って来たんだったねえ。成果はどうだい?」
「ええ、我が国の流儀だけでなく、日本式の諜報も身につけたようですから。お役に立てることは約束します。それと……」
「……それと?」
イザベルが首を傾げると、クレセント卿は彼女に顔を近づける。
内密の話と察した彼女も耳を近づけると──
「……信頼の証に、一人、当家の者を雇っていただけませんか?」
そんな彼の提案に、イザベルは露骨に眉をひそめた。
「人質ってわけかい? なんだか穏やかじゃあないね」
ただでさえ普段から「油断なら無い男」と評価している相手の、突飛な提案である。
易々と受けるのに危険を感じるのは当然のことだろう。
まして、“家の者”を差し出してくるのだから。
「今の話の流れだと、アンタのところの娘のことじゃないんだろう?」
「ええ。アイツはもう雇っていただいているようなものですから。引き続きお願いします」
「それについてはありがたく受け取るとするけど……」
クレセント家は密偵の家系である。
だからこそ英国人でありながら、長年の因縁を持つフランスという国に拠点を構えており、諜報活動を行っている。
先の英国諜報部の失態を嘲笑していたのは、ライバルが失敗したからでもあるのだ。
「それとは別の者で、彼は当家の密偵ですらありません」
「おや、それは意外だねぇ。それに彼ってことは男かい?」
軽く驚いた様子のイザベル。
そんな彼女に対しクレセント卿は周囲を気にしつつ再度近寄ると、小声で説明を始めた。
それが終わって卿が離れると──イザベルは難しい顔で大きくため息を付いた。
「なるほどねえ……そして呆れるよ、まったく」
明らかに責めるようなイザベルの目に、クレセント卿は悪びれもせずに笑顔を浮かべる。
「厄介事をこっちに押し付けただけじゃないのかい?」
「とんでもない。あなたの辣腕なら、我が国相手の強力な切り札になりうるでしょう?」
「母国を売ろうってのかい? いいや……そうじゃなくて自分一人で火薬を抱え込むのがイヤで、アタシを巻き込もうとしているようにしか見えないよ」
「本国の有力貴族の御曹司を、伯爵夫人の所で働かせて欲しい、というだけじゃないですか」
「そんな単純な話じゃないだろ? イヤな臭いがプンプンするよ」
苦笑で誤魔化そうとするクレセント卿に、顔をしかめながら言うイザベル。
彼の依頼は、確かにかなり厄介なものだった。
だが、メリットももちろんある。そうでなければこのクレセント卿なら、わざわざイザベルに事情を説明せずに、素性を隠しながら雇用させていただろう。
メリットの一つは、まずはこの目の前の男に恩を売ることができる、ということだ。
「高貴であらせられる貴族様の御曹司にありがちな高慢さはなく、礼儀正しいいい子ですよ。飲み込みがよかったのでこちらにきてから車の運転を仕込みました。私の運転手をさせようと思ったのですが……我が国の者に会わせるわけにもいかないので行き先が限られてしまうのに気がつきまして」
そう言ってクレセント卿は苦笑する。
「なるほど。じゃあ、護衛兼運転手でもやらせてみるとしようかね。もちろん……」
イザベルは言葉を切って、ジロリとクレセント卿を見る。
「……アンタの紹介の、素性がよくわからない者、としてね」
彼女の言葉に、クレセント卿は笑顔で頭を下げた。
【よもやま話】
今回、書いた英国内の動きですが、あくまでオリジナル設定です。
このころのイギリスの動きで、公式で明確になっているのはOVA「ル・ヌーヴォー・巴里」で描かれた、
欧州防衛構想に加盟しておらず、巴里華撃団の情報を持っていない
程度です。(私が調べた限りですが)
「ゆめまぼろしのごとくなり」シリーズでは、書いた当時にまだOVAを見ていなかったので、英国も欧州の華撃団計画に積極的に参加していたことにしてしまっていました。
ですので今回、「いざこざがあって欧州防衛構想から離脱し、華撃団派が非主流になった。現在復権を画策中」という設定にしました。
なお、英国の反華撃団派が強引な策に出たのは、「ゆめまぼろしのごとくなり2」終了後に英国に帰ったカーシャが、水面下で華撃団設立の計画を着々と進めていて追い詰められたのも原因の一つです。