インフィニット・ストラトスJ~ジューダス・レクイエム~   作:味薄紅茶

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第四話

男はディスプレイに映るゴーレムⅠから送信された映像を、椅子に深く腰掛けて両手を枕にしながら苛立たしく見ている。

先程から二体のISの大きさが少しも変わらないからだ。

「なぁんだよ、逃げてるだけじゃあねえか。せっかくお膳立てしてやったのに、これじゃあ意味がないぞ、おい!」

まさかこのまま時間稼ぎでもするつもりなのだろうかと男が考え、ならば否応がないようにしてやろうかと、危険な思考が彼の脳髄を登り始めた時だった。

「ん、ターゲットの動きに変化ありね。どうやら相手はこちらのISのことに気がついたようよ」

「お?何だよ、初めからそうしろってんだ。危うく無駄に人を殺す所だったじゃないか」

白式と甲龍が動きを止め、ゴーレムⅠに向き直る。

操縦者の表情も変わり、殺伐としたものを画面越しに感じさせる程だ。

「二機のISの駆動率の変動を確認、上昇しています。ゴーレムⅠが敵機からのロックオンを感知、来ます」

照準が自機に定められたことを知らせる警告音が研究所の一室に鳴り続ける。

「よしよし、えらいえらい流石いっくん。気づくのが早くて助かるよ~」

それを指を鳴らすことで束は止め、ディスプレイ上の白式を両手で捕まえるように前に掲げた。

「さあ見せて。貴方の本気を、貴方の零落白夜を」

彼女が浮かべる狂気の孕んだ顔を見た者は、幸いこの場にはいない。

そして、束の放つ何かに感応するかのように、白式は己の力を解き放った。

 

 

一夏に攻撃が当たらぬよう、敵の攻撃が他に向かわないようにと、鈴は目の前にいる黒いISと回避を捨てた撃ち合いをしていた。

敵が二度放ったビームを現在は打ち出さない。

お陰で敵の攻撃は彼女が両手で構える双天牙月で防げている。

黒いISの方も、鈴の速さに特化した攻撃のために防御らしいこともせずに反撃をしていた。

「くぅ~、こんの重さがぁ。一夏ぁ、まだなの!?」

敵の攻撃は何とか今は凌げてはいるが、ビームを青龍刀で弾く度に彼女の腕には痺れるような衝撃と痛みが走っている。

この状態が長く持たないのは一目瞭然であり、早急にこの黒いISを倒さなければ、いずれ彼女の方が先に撃ち負けることが確定していた。

そうならない為に、鈴は後ろの一夏に準備を急かす。

「悪い待たせた!零落白夜、発動!!」

一夏の身体が、白式が黄金の光を発し始める。

それは自身のISのエネルギーが恐ろしい速度を持って消費されている事を示しており、敵へ引導を渡す時が来た事を知らせる瞬間であった。

彼の携える雪片弐型のエネルギーブレードが、刀の鞘から抜き身を放つように延長する。

敵も味方もない、純粋な暴力がそこに顕現された。

一夏はそれを肩に担ぐように構える。

高い集中力がこの状況では必要だ。

あの時のような素早く、そして的確に動ける極めて高い集中力を発揮しなければこの戦いには勝てない。

(思い出せ、セシリアと戦った時のことを!)

彼はその状態で戦えた、セシリアとの終盤の試合を思い出し、余計な事を考えない、目的のみに思考を特化させるようにする。

下腹を膨らますように一夏は息を吸い、外からの情報を切るようにそのまま彼は目を瞑った。

明確に、緻密に相手の姿を頭に思い浮かべ、自分はこれからそれに何をするのか自問する。

(何をするんだ一夏。お前はこいつに一体何を……)

時間にしては2秒も経たない間、一夏は何度も何度も己に問う。

彼は昔剣道を習っていた。

そこそこの成績を出せた彼は、至って普通の子供らしく慢心する。

ある日、そんな彼を姉は道場に呼びつけ、そこで彼女の剣道を教えた。

それは、竹刀ではなく、刃も潰していない真剣の刀を使ったものだった。

初めて人を切るだけの物体を持った一夏は、それがただの鋼よりも重く感じられた。

竹刀に打たれる痛みを知る一夏は、この刃がどのような結果を相手にもたらすのかを鮮明に思い描く。

ほんの少しの力で、肌は裂け、血が吹き出る。

力を込めれば、筋を断ち、骨を砕く。

命を、己のエゴで消す。

これから歩むであろう未来を、自分の手で壊し、刈り取る。

その重みが腕に沁み付いていくような気がして、一夏は構えた刀を思わず下げてしまう。

怯える一夏に、姉はそれが武器だと教えた。

その重みが命を消す。

それを振るう時が来た時は、己にその刃を振るうように覚悟しろ、と語る姉はとても悲しげで、泣いているように彼には見えた。

(そう、俺はあれを……)

そして、ついに彼の中でその問いが、答えへと反転する。

彼の頭に、真剣を持たされた時に姉から教えられた一つの技が閃いた。

(…斬るっ!)

身体に溜まった空気を一気に吐き出し、彼は目を見開いた。

「鈴、俺は上からあいつを!お前は!」

「あい、よぉおおおお!」

鈴の双天牙月が、巨大なブーメランように黒いISへ舞い襲う。

その光景を一夏は眼下に置き去るように敵の真上に飛び、急降下した。

「はぁあああああ、…っ!?」

「うそ!?」

敵ISが鈴の攻撃を防ぐ間に、自分が切り伏せるというのが一夏の当初の計画だった。

少しでも動きが止まれば、そこが彼らの勝機になる。

そのはずが、敵は至極単純な作戦で、一夏の作戦を打ち破った。

抜刀するかのように構えた黒いISが、その姿勢を持って右腕を双天牙月へ振り抜く。

まるで虫を払うように青龍刀を弾き飛ばすと、そのままの勢いで頭上にいた一夏へとその大きな腕を定めたのだ。

(このままじゃ攻撃される!)

回避は出来ない。

既に一夏のISはスピードに乗ってしまっている。

いくら慣性を無視したような動きが出来るISといっても、あくまでそう見えるだけで、機体にはしっかりと慣性が働いている。

半ばやけくそのように一夏が前に進む覚悟を固めようとした時、鈴の雄叫びが彼の耳に届いた。

「やらせるかぁああああ!」

鈴が弾き飛ばされた双天牙月を空中で確保し、黒いISへ突撃をかけたのだ。

両手で武器を回転、更に彼女自身も回転させ、重みと切れ味を増す青龍刀。

それを、一夏へ右腕が向けられることで空けられた敵の脇腹に叩きこむ。

この見事な機転と技を持って鈴は一夏の危機を救おうとしていた。

そして、その攻撃は大きな音を上げ、見事敵へと命中する。

「良し、入った!」

が、それは命中しただけであり、黒いISは特にダメージを負っている様子を見受けられなかった。

「そん、うぎっ、…ぇ!」

鈴は、そんな例えようのない声を口から漏らしながら、敵の掲げた右腕により頭から叩き潰される。

「鈴…」

アリーナが一瞬震える程の力を以って地面に沈められた鈴を見て一夏は絶句する。

既に上半身の殆どが地面下となっており、攻撃を受けた彼女はピクリともしない。

ISの持つ絶対防御の知識がある一夏でも、その有様は十二分に彼女の死を匂わせるものだった。

「鈴ぅうううう!!!」

一夏は彼女の名を叫ぶ。

だがその声にも鈴は反応せず、彼の悲痛な叫びに顔をこちらに向けて反応したのは、たった今彼女を潰した黒いISだけ。

(違う、お前じゃない。俺が欲しいのはあいつの声なんだ)

一夏と鈴は小学五年生からの付き合いがある。

小さい頃は彼女の両親が経営する食堂でよく食事をしていた。

それが、両親の離婚が原因で、彼女は中学二年生の時中国へ帰ることとなり、一夏とは疎遠となっていた。

その彼女が彼の通うIS学園に転校して来たのだ。

久しぶりの再会に、彼女はまるで自分は何も変わっていないと言わんばかりに、別れた頃と変わらない人懐っこい笑顔と、男勝りな快活な物言いを一夏に見せた。

二人の関係は何も変わってなどいなかったと知った時、彼は堪え様のない嬉しさで口角が上げたものだ。

その彼女が、今敵の固く握りしめられた拳の下にいる。

黒いISは、踏みにじる様に腕を回転させた。

パキパキ、ゴリリと、ーーー嫌な音が一夏に届く。

鈴のISが命の消失を示すかのように霧散した。

「っぁーーー」

自分の身体が大きく震えたのが解った。

彼は鈴のあの笑顔をもう一度見たかった。

でもそれはあの黒いISのせいで出来ない。

彼は鈴の声が聞きたかった。

ーでもそれはあの敵のせいで出来ない。

冷たい重みが、己を包み込む。

そう一夏が考え、感じた時、彼の身体に炸裂するような明確な殺意が生まれた。

「退けぇ!そこぅおおおあああああああ!!!!」

一個の修羅となってこちらに突進してくる一夏に、黒いISが左腕で振り上げ迎撃する。

「邪魔ぁああああああ!!」

自分に迫りくる巨大な腕を一夏は紙一重で躱し、それに光刃を走らせる。

一夏は鈴の側に着地すると、そのまま右腕に切りかかった。

その場から飛び下がる黒いIS。

その姿に腕は二本も無く、右腕のみとなっていた。

「鈴っ、鈴ぅう!」

地面から鈴を掘り起こし、一夏は再び彼女に声をかけるが、やはり反応を示さない。

彼女の顔はまだ原型を保っていたが、土で顔が汚れていた為、顔の気色はひどく不鮮明だ。

堪らず一夏は彼女の胸に耳を当てた。

そうして聞こえて来た音が、自分の張り裂けそうな心臓の鼓動なのか、それとも彼女のものなのかを、暫く一夏は判別出来ずにいた。

きっかり十秒かけてから、漸く彼はこの音が、鈴の胸の奥から聞こえてくるものだと理解する。

鈴の無事を知り、一夏は思わず彼女を抱きしめた。

「……、ここで待っててくれ」

安堵から生まれた抱擁をそこそこに、一夏は鈴はその場に横たえ、雪片弐型を構えた身体を敵へと向ける。

彼女の無事を喜ぶ暇すら今の彼には無い。

一夏の発動した零落白夜は未だに白式のエネルギーを貪っており、先の二回の斬撃で既にそれを枯渇させようとしている。

彼に残されたチャンスは一度きり。

一夏は構えを変える。

刃を振り下ろし攻撃する上段の構えから、敵への攻撃を一点に集中させる突きの構えへと雪片弐型を移す。

己が持つ最速の一撃を持って敵を倒すのが一夏に残された最後の手段だ。

イグニッション・ブースト。

その圧倒的加速を加えた神速の突きを彼は敢行しようとしていた。

イグニッション・ブーストはその速さを体現させる為に、多くのエネルギーが必要とされる。

最大速度まで必要なスラスター出力を、一気に放出させているだけだからだ。

悪燃費と悪燃費を組み合わせた、正に最悪の技は言うまでもなく最悪の燃費性能を誇る。

今の白式のエネルギー事情でそれを行えば、敵に辿りつく前にガス欠を起こしかねない。

(でも…)

白式の後方スラスターが一度エネルギーを放出し、それを再度吸収し始める。

「今は、これしかぁああ!!」

一夏は迷いなく姉から教わったイグニッション・ブーストを、発動させた。

一本の光る矢が黒いISへ向かう。

迫りくる矢に、初めから反応しないように敵には動きがない。

そのまま白刃が敵を貫いた。

「……、………え?」

確かな手答えに、喜ぶのも束の間、深々と雪片弐型が刺さった敵の身体に、一夏はすぐに違和感を覚えた。

(こいつの身体、いつからこんなにでかくなった?)

敵のISは腕だけが異常に大きいだけであり、他の部位はあくまで標準的だったはずだ。

なのに彼の目の前にある身体は、自身の身体の倍は太い。

彼が狙ったのは、各部位の中継点である身体の中心、胸部だ。

そこを貫くことで、敵を機能停止にまで陥らせようと考えていた。

視野狭窄を起こしていた一夏が、視界を広げると、そこには驚愕の事実が待っていた。

(そんなっ…!)

目前には、力瘤を作るようにこちらに指し向けられた、黒く巨大な右腕が存在していた。

一夏の刃は敵の胸部装甲の一部に食い込む所で動きを止めている。

黒いISは最小の動きを以って、一夏の神速の踏み込みから来る一撃を見事に防いでいたのだ。

それは、全命を賭けたこの勝負に、彼が敗れたことを意味していた。

「-----あ」

拮抗していた鍔迫り合いが、雪片弐型のブレードエネルギーの消失により終わりを告げ、支えを無くした一夏は、そのまま地面にしゃがみ込んでしまう。

自分の攻撃が終わった。終わってしまった。

心臓が凍るように痛み、その痛みが一夏を慄かせる。

「あ、ああっ、あ」

断続的な声が彼から漏れた。

己のターンは閉じられた。なら次は敵のターンが開かれるのが順序というものだ。

そして、今の彼には、その生真面目な順序を壊すだけの力は存在しない。

恐怖に駆られ、一夏は眼前の敵を即座に見上げると、血のような赤い目が、彼を見定めるかのようにしっかりと見つめていた。

「………」

一夏は、もう声すらも、震えすらも止まってしまったのを自覚して、自分は死んでしまうのだと納得した。

本来なら最後の命綱である絶対防御用のエネルギーは、どれ程ISを酷使しようと消費されることはない。

だが今の白式にはそのエネルギーすらない。

一夏が、敵まで零落白夜とイグニッション・ブーストを使用できたのは、彼がそのエネルギーまで攻撃に割いていたお陰だ。

シールドエネルギーのあった鈴ですらあの有様だった。

ならシールドと絶対防御のない彼が、これから敵が放つであろう攻撃を受けたなら、誇張抜きにして肉片となってしまうだろう。

そんな場面に陥った彼は、高めに高めた集中力を容易く手放した。

(…ああ、畜生)

黒いISが弓引くように右腕を振りかぶり、スクリューさせた拳を一夏の顔面に進める。

その、酷くゆっくりとした映像に彼は悪態をついた。

これは、緊急時の脳が見せると世間で実しやかに噂される、時間が引き延ばされた映像ではない。

ISの機能が彼にそう見せているだけだ。

ハイパーセンサーという機能は、ISの戦闘にとても重要なものである。

この機能が人間へ三次元的な空間、及び自らの身体状況を緻密に教えてくれる為、常人では操縦不可能なISの高速機動から、戦闘までを可能とさせているのだ。

ISを操縦する者は、そのハイパーセンサーのお陰で、圧倒的な思考速度を有するようになる。

この通常では決して味わえない特異な感覚を、一夏は詰み将棋みたいだと考えていた。

加速された思考は景色をスローモーションのように知覚させる。

その世界では、ISの撃つ銃弾すらもしっかりと視認出来て、弾の発射を見た後でから回避することも可能である。

それでも、IS同士の戦いで、被弾するのが多いのかというと、相手もただ考えもなしに銃弾を撃っているわけではないからだ。

いくら思考が加速されているとは言え、機体性能までは加速されている訳ではない。

つまり、相手の回避速度以上のタイミングで放たれた攻撃は、しっかりと当てることが出来るのだ。

ISの操る者の腕次第で、いくらでも攻撃を加えることが可能なのである。

そしてそのタイミングが今であり、将棋で言う所の詰みであった。

散漫となった集中力が、一夏に迫りくる拳から視線を外させ、辺りを彷徨わせる。

彼は、空を見上げた。

最後位はこんな奴を見て終わるのではなくて、綺麗なものを見て終わりたかったのだ。

空はまるで、冬の寒空のようにどこまでも澄み切った蒼をしていた。

それを見た一夏はおかしな安堵を感じる。

(綺麗だなあ……、…ん?)

自分が死んでしまえば、この空はもう二度と見れないということに少し寂しさを感じた彼は、忘れぬようにと上をじっと見上げる。

自分の瞳が、空の中の異質な物体を捉えたことに気がついた一夏は、それに注目する。

(なんだ、あれ)

黒いISの何倍もある巨大な腕を突き出すように大きなそれはこちらに堕ちてくる。

全身から緑の粒子が吹き上がっており、よく見ると人型のロボットのようにも見える。

まるで棘を想わせるぎらついた身体を、優しく包み込んだような蒼色がとても印象的で、それが蒼い空から緑の粒子と共に堕ちて来るのは、実にアバンギャルドな美しさを醸し出していた。

それが、今にも殴りかかろうとする黒いISを優しく潰していき、地面へ衝突した。

(あ…)

彼の身体を包みこむような痛みと衝撃が襲ったのはそのすぐ後だ。

一夏は呆気ないほど簡単に意識を失った。

 

 

研究所は異様な熱気に包まれていた。

「何だこれ!?これが白式なのかよ!本気の零落白夜!!すげえ、絶対防御が0.1秒もかからずに断ち切られている。うははっ!」

「あの少年、中々の太刀筋をしている。確かこの国では居合、でしたかしら?ふふ、血が騒ぎますわね」

この研究所の中では割とまともな方であった姉弟が、一夏の見せた刹那の一撃に興奮し、各々を思いの丈をぶちまけている。

まともに見えただけで、しっかりと彼らもこんな所に集まってしまうような変人であった。

「ゴーレムⅠ、左腕切断により作戦効率30%減少。作戦を続行させますか」

冷静に作戦進行を尋ねる銀髪の女性に、束は顔を横に振る。

「ん~ん。これでもうお終いかな。もういっくんも限界っぽいし。後は適当に防御して撤退。いっくんには眠ってもらうようにしてね」

「了解。送信します」

研究所からの指示がゴーレムⅠに届くのと同時に、白式が飛び出す。

上空から見ても、その速さは圧倒的だ。

ただ、その攻撃をどこまでも隙のない動きでゴーレムⅠは止めていた。

映像フレームの一か所だけが、途切れてしまったかと感じさせる程の動きのキレだった。

これでは一夏には攻撃が防がれたことすらも気づけはしまい。

現にディスプレイの中にいる一夏は、渾身の一撃が決まったことを喜ぶように笑みを浮かべている。

それが、本当の事実を目の当たりにすることで、その顔を面白い程に青ざめさせた。

その場に座り込む一夏を見て、束はディスプレイにひらひらと別れの挨拶のように右手を振った。

「バイバイ、いっくん」

作戦完了。

少々最初はもたついたが、今回の作戦も成功した。

皆が少しだけ気を緩めようとした時、束のある言葉で場の雰囲気ががらりと変わる。

「さ~て、………………何?」

「え?どうしましたチー…うぉ!?」

束の発した感情を全て削ぎ落としたと錯覚させるような声に、垂れ目の男が思わ彼女に振り向く。

彼の目に飛び込んだのは、声から感じられたように、顔からの表情を消しきった束の姿だった。

いつも微笑んでいるような優しげな目が、人形の水晶体の目を植えつけられたかのように瞳なり、そのままじっとディスプレイを食い入り見つめる彼女に、男は思わず声を上げる。

束は自分自身でも、この己の変わりように困惑していた。

(気持ち悪い……?私が、こんなのを感じるの?)

胸が泡付き、指先が冷たくなる。

決して病気などからくる症状ではない。

実際、胸にも指にも異常は見当たらない。

ただ、彼女の脳がそう錯覚させているだけだ。

『何かが来る』

そんな予感が彼女の頭の中に警報を鳴らす。

自分の気分を害する何かが、あの場で起きようとしている。

そして、その時が来るのはもう目と鼻の先。

そう感じた束は、すぐに部下へ指示を出した。

「ここを任せる。私はIS学園へ向かう。皆はそのままモニタリングして情報を逐一私に伝えなさい」

「ハ、ハイ!」

その言葉を彼らに残し、束は慌ただしく部屋から走り去った。

出ていく彼女に、何が起きたのかと、状況の説明を求める者はいない。

皆は束に言われるままカメラから送られてくる映像を監視する。

今の所、ディスプレイ上では異変を感知出来ない。

相変わらず何が起きたのか、起きようとしているのかを理解することは、ここにいる者には不可能だった。

それでも、たった一つだけの事実がこの部屋には起きていたのは、誰もが理解していた。

あの束が焦っていた。

何故なら、現在が過去類を見ない程の緊急事態で、それを知らせるに十分過ぎる程の結果がこの場に起きていたのだから。

息すら危ぶまれる針の莚の中のような、そんな空気がこの部屋を満たした。

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