インフィニット・ストラトスJ~ジューダス・レクイエム~ 作:味薄紅茶
第一話
フューリー。
遥か昔からやってきた人類の創造主にして、その人類を滅ぼさんとする殺戮者。
彼らは、同族同士の戦いに敗走し、巨大な宇宙船に乗ってこの地球へやって来た。
この戦いは国と国が行うような規模ではない。
一つの惑星よりも更に大きい、星雲を巻き込む巨大な戦争であった。
戦いの始まりは、同族の些細な食い違いだ。
その食い違いが少しずつ連鎖するようになり、ある日を境にその連鎖は爆発するように星雲へ広がった。
連鎖は同族同士の血で血を洗う戦へと発展し、一つ、また一つと多くの惑星を滅ぼしていく。
そんな、滅び逝く中の一つが彼らだった。
多くの星に存在していた彼らも、今や自分たちを受け入れるものはただ一つの宇宙船のみ。
それでも戦争から敗走した頃は、まだ幾千、幾万、幾億と存在していた。
それが広大な宇宙を旅する間に、敵との遭遇や、原因不明のトラブル、果てには仲間同士であった彼らの内争いで数を減らしていく事となる。
結局、最後に残ったのは彼らの皇族が乗っていた一隻の船のみとなっていた。
あれほど存在していたフューリーも、今や124万人という僅かなものである。
地獄の蓋が、彼らの前に大きく開かれていた。
最早彼らに未来を生きる意思など存在していない。
敵と戦い倒されるならまだ、悔いが残ると言うもの。
何らかしら残れば、それを糧に次進むことも出来る。
だが倒される相手が信じていた仲間だったなら、彼らには悔いすらも残らない、残せない。
宇宙の闇の様に暗く、冷たい虚しさというものが、彼らの身体から、心から、生きるだけの力を根こそぎ奪っていったのだ。
宛てのない逃避行。
死人のように暗黒をさまようこと幾星霜、彼らは一つの惑星系を偶然発見する。
出来て間もない、生まれたばかりの星々を見て、一人の女性科学者は言う。
「私たちの、今は無き故郷を…。ここなら再建することが可能なのでは?」
そんなはずはない、誰もが諦めに満ちた表情で彼女の提案を否定する。
夢物語だと皆が否定するのも訳がある。
星に命を定着させるのは非常に難しいことだからだ。
以前のような、星雲ですら掌握できた力が今でも彼らに残っていれば、多少の無茶は難なく通せた。
だが、今の彼らにそのような力は存在しない。
望むべくも、ない。
出来るのはせいぜい生命誕生の切欠を作りだす程度だ。
そんなものを作り出してどうなる。
生み出されたばかりの命は脆弱だ。
彼らにしてみたら、ほんの僅かとしか思えない異変でも、簡単にそれは消え失せてしまう。
皆が無駄な望みは捨てろとその科学者に勧めた。
科学者も、彼らのそんな『優しさ』に素直に頷いたのだった。
依然自分たちに望みはない。
あるのは静かに滅びを享受するだけ。
そのはずだった。
『我らの、今は無き故郷を、ここなら再建することが可能なのではないのか?』
否定したはずの、あの科学者の言葉がどうしても己の頭から離れない。
諦めるよう伝えた科学者たちの誰もがそういった悩みを抱くようになったのだ。
否定したのは、自身たちだ。
否定された科学者は、自分たちのそんな優しい考えを受け入れたのに、どうしてそれを自分たちが今更悩まなければいけないのか。
答えは簡単だった。
その科学者の言葉には希望があったからだ。
ないはずの希望が、彼らの絶望に染まった頬を優しく撫でたように感じてしまったからだ。
それを求めることは危険だ。
科学者だけではなく、この船に生きる全ての民が、過去に何度もその希望を求めては、それが嘘で塗り固められた偽りであることを涙と共に経験している。
皆が求めた希望は、漏れなく彼らの心を壊す何かだったのだ。
限界である彼らに、もうそれに耐えることは出来ない。
おかしなことであったが、彼らは生きる為に、生きる希望を消すことにした。
一人、また一人と、この惑星系について調べ始める。
惑星系で安定した生命環境を作り出すことが出来る惑星はただ一つのみ。
様々な起因が重なることで生まれる、奇跡の体現ともいえるそんな惑星が、果たして本当に存在するのか?
「するはずがない。絶対にそんなことは起こり得ない…」
ぼそぼそと呟く男の機器を操る指は固い。
「早く終わらせて、いつもの世界に帰りましょう」
惑星のデータを見つめる女の眼は、砂のように乾いている。
「ええ。これで、終わり…」
最初に星の再生を唱えた女性科学者が、自身が招いたこの混乱に終止符を打つ為に、最後の星のデータを機器へ読み込ませた。
「……」
科学者たちの前に、平面化されたディスプレイが表示され、そこに膨大な記号が映し出される。
現れる記号は下から上に高速で流れるが、彼らは一人とてそれを見逃すようなことは無かった。
「あ」
誰が漏らしたか、人の声のようなものがその場に生まれる。
そして、それが呼び水の如く辺りをざわつかせた。
閉じているのか、開けているのかも定かでなかった科学者の眼が大きく開き、ディスプレイを凝視する。
「…嘘」
そう小さく声を出す女性科学者の前に、その奇跡は存在していた。
まだまだ岩石の塊としか言えなかった地球。
その星を彼らは見つけたのだ。
恒星からの距離、この惑星を取り囲む巨大ガス惑星の数。
どれをとっても、彼らが暮らしていくには理想と呼べる数値を機器が示している。
皆が喜びに湧きあがった。
死の瀬戸際で、フューリーは遂に希望を見つけ出した。
そして、まだ赤く燃える星であった地球を第二の故郷とするべく命の種を蒔き、彼らは長き眠りにつく。
こうしてフューリーは40億年という途方もない時間をかけて、地球を命溢れる星へと変貌させたのだった。
また、その長き時間は彼らが眠りについた母艦、ガウ=ラ・フューリアの姿をも変えさせる。
宇宙空間に漂う小さなチリが、少しづつ、少しづつ船に降り注いでいく。
最初は、薄く汚れる程度であったそれが、100年、1000年と経つにつれてその厚さを増していく。
地球という星に、人という新たな生命が生まれる頃には、彼らの母艦は白く輝く小さな球体となっていた。
人はそれを月と呼び、その衛星に様々な想いを重ねるようになる。
そんな想いを受けてか、月の中で遂にフューリーは永き眠りから覚める。
「なんと美しい…」
目覚めた彼らを待ち受けていたのは、赤く煌々と燃え盛っていた惑星ではなく、青に染まり多種多様の命が育まれていた地球だった。
この美しい星が自分たちの新たな故郷になる。
敗走で傷ついた彼らの心を強くさせ、再起の念を胸に宿させるまでにさせた。
だがこの惑星、調べてみるとどうも様子がおかしい。
「こんなこと、有り得るの……?」
この青き星に暮らす生命たちは、自分たちの知る生き物とはどれも違う形をしているが、どこか懐かしいと感じさせる程には、その姿は似通わせていた。
収斂進化という考えは彼らの中にも存在している。
環境に対し複数の生命が、どれも似たような形をとるという話で、海ならばひれを持ち、陸上ならば足を持つ、そういうものだ。
そんな生物たちを見て、フューリーたちは心を弾ませた。
また、この大きな大地を踏みしめ、自分たちの命を育ませることができると互いに喜びあった。
ある事実を知るまでは。
「人だ。私たちと同じ人がいる……」
この自分たちとよく似た生き物はなんなのだろうか。
姿形だけなら自分たちと瓜二つだ。
そこまでならまだ良い。
彼らが目に付いたのは、この生命が日夜行っていること。
都市を焼き、命を奪い、戦いに明け暮れる人々の姿だった。
フューリーの姿に酷似し、フューリー以上に猛々しいその在り様は、彼らの記憶から大戦の痛みを追憶させる。
新たな惑星に生まれた、このおぞましき生命をどうするか。
彼らはこの問題の解決に二つの派閥を生み出すことになる。
一つは、この星の新たな主となった彼らには干渉せずにいるべきという、穏健派と、
一つは、彼らを根絶やしにし、計画当初通りにこの星を自らのものとするという過激派だ。
最初は半々であったこの派閥は、人類の異常とも言える戦闘科学の発展も相まって、次第に過激派のみのものとなっていった。
人類滅亡を成就させるために、フューリーはこの世界に暗躍するようになる。
そのせいで世界の各地で多くの血が流れ、多くの悲劇が生まれた。
だが、それは長くは続かなかった。
地球の人々が手を取り合い、一丸となってフューリーに対抗し始めたのだ。
思いがけない人類の反抗に、フューリーは瞬く間に窮地に追い込まれる。
人類だけを滅ぼすつもりが、いつの間にか自分たちが逆に滅ぼされそうになった彼らは、最後の手段を取ることにした。
月の中心部に位置するガウ=ラ・フューリアを再起動させることにしたのだ。
ガウ=ラ・フューリアを起動させる際、船から生じたエネルギーは全体を包み込むように走る仕組みになっている。
巨大な身体を一挙に目覚めさせる為だ。
その船体を包み込むエネルギーは非常に強力で、月の地殻を引き裂き、宇宙空間へ放出させることすら可能だ。
その為、引き裂かれた地殻はエネルギーの放出に乗るように四方に飛散していくことになり、その一部は地球に降り注ぐことになる。
地球の生命の大絶滅を起こした原因とされるのが、一つの巨大隕石の落下だ。
大きさは約10㎞程度。
比べるまでもなく、降り注がれる月の地殻の方が巨大で、数も一つだけではなく数百個となるだろう。
例え地球への襲来を防ぐために地殻を破壊しても、細かくなるだけで、むしろ地球の被害が拡大するだけだ。
つまり、どう足掻いてもこのままいけば、人類は、地球の生命は死滅することになるのだ。
フューリーが生き残る為の非常な決断だった。
だが、その決断が実際に実行されることは無かった。
人類の危機を人類側に伝える存在がフューリー側にいたからだ。
その者の名は、シャナ=ミア・エテルナ・フューラ。
フューリーで生き残った唯一の皇族の皇女で、先の大戦を知らない新しい世代のフューリーである。
フューリーの皇帝は大戦で崩御しており、フューリーを導くものは誰一人いないままであった。
そんな彼らに、新たに導く者として必要とされ、保存してあった受精卵から誕生させられたのが彼女だ。
生まれてすぐの年若い彼女が、すぐに先達を導けるわけもなく、暫くの間はフューリーの軍団を指揮する者が彼女の代理を行っていた。
そこから時が進み、フューリーと人類が戦争をすることに発展していき、穏健派であり、未だ指揮の全権を得ていないながらも王としての働きを見せ始めたシャナの懸命な制止にも関わらず、遂に戦争が勃発する。
地球人の闘争心に、まるで飲み込まれるように暴走を始めるフューリーの軍。
地球を生命を滅ぼすことで再び、彼らは再起を望むようであったが、そんな軍の行動の行き着く先が、自らの首を絞める自殺行為でしかないことをシャナは確信していた。
フューリーは限界だったのだ。
今回が正真正銘、最後のチャンスなのだ。
自分たちにもう二度目というのは存在しない。
今が全てだった。
今日まで繋いだ火を消さぬよう、彼女は危険な賭けに出た。
人類側にフューリーの軍が行おうとしている事を伝え、同胞の暴走を止めてくれるよう求めたのだ。
彼女はその賭けに勝ち、人類をフューリーの母艦内に招き入れ、ガウ=ラ・フューリアの起動を阻止することに成功したのだ。
こうして世界は人類の黄昏から脱することになり、事無きを得たように見えた。
だが軍が見せた暴走は安々と止まるものではなかった。
その暴走は、遂にはフューリーにも牙を向けることとなる。
皇帝機と言われる、皇族にしか搭乗を許されていない巨大ロボット、ズィー・ガディンに乗った軍の指揮者、グ=ランドン・ゴーツ。
彼は母艦内での人類との激しい戦いの末、敗北しようとしていた。
今までフューリーを絶やさぬように全霊を懸けて努めて来た自身が地球の人類に討たれようとしている。
その現実に我を忘れた彼は、敗れる間際にフューリーにとって禁忌とも言える行動を取った。
ズィー・ガディンに、彼は母艦のエネルギーを集約させたのだ。
「何故だ…、何故、我らは滅ぶ…!憎い!憎いぞおおっ!栄え、営み、生きる!全ての種族の存在がぁぁぁっ!」
彼の怨嗟の声と巨大な母艦の力を一身に受けた機体は、身体を異形のものへと変える。
人型であった機体は、腕と足を分離して巨大な爪に変化させ、頭部と胴体のみとなった身体は、腰と胸と頭に分かれるように延長する。
その姿を例えるなら正に龍。
滅びの声を叫ぶ一体のドラゴンが、人類の前に現れたのだった。
その在りように、シャナは金切り声を上げた。
「いやぁああああああああああ!!グ=ランドン、貴方は自分のしていることの意味を知っているのですか!このままでは同胞の命が、全ての未来が消えてしまう!!」
あの機体が行ってる事の意味を知る彼女は異様なまでに取り乱した。
彼の者の行いは、フューリーの命を吸い上げることと同じだったからだ。
フューリーが月で目覚めた日、その時全ての民が覚醒した訳ではない。
少数の者たちだけが先に覚醒して、全ての問題が解決してから残りの者たちを目覚めさせることになっている。
彼らはステイシスベットと呼ばれる『時』を止める機械で眠っており、ガウ=ラ・フューリアのエネルギーの多くはその機械に割り振られていた。
その機械と共に眠る彼らは心身共に機械と深く繋がっており、母艦からの全エネルギーを一点に集める行為は彼らにも多大な影響を及ぼす。
総代騎士と呼ばれる、フューリーを守護する者が、今まさに同胞の首を刎ねようとしていた。
「誰か!誰でも良い、あの者を、グ=ランドンを止めてぇえええ!!」
彼女の願いを聞き、人々は攻撃を彼に集中させた。
何もかもが掻き消えてしまう、そんな激しい力のせめぎ合いの末、遂にに龍が叫び声を上げながら地に崩れ墜ちる。
人類はフューリーの暴走を止めることが出来たのだ。
これで終われば、物語としては大体円であったが、現実はそうもいかない。
エネルギーの集中は収まったものの、一時とは言えガウ=ラ・フューリアのコアとなったズィー・ガディンを破壊した結果、集まりつつあった莫大なエネルギーが、今度は母艦の推進部へと進み暴走を始めようとしていた。
白を基調とした、尊大さをも感じる支柱が巨大な空間に連なっている。
支柱には、青く光る細かな線が走っており、光はゆっくりと脈動している。
その様はまるで、何かを吸い上げているかのようにも見えた。
その柱の間を、二機の巨大なロボットが疾走する。
「時間がない、中枢部についたらすぐに行う。良いな?」
「ああ、この感じがまずいってこと位、今の俺なら分かるさ。…それにしてもこの光、この煌めきの様は。不謹慎だけど、不思議と綺麗に思える。これは一体?」
「美しくも感じるのも無理はありません。この光はまさに我らの同胞の命の光でもあるのですから」
一つは夜の闇を表すような騎士風の機体、もう一方はその闇夜を照らす月の光のような蒼い騎士風の機体。
機体が万全であれば、それは見る者全てに荘厳さと強大さを感じさせることができていただろう。
だが今は両方とも、機体の一部が破損、もしくは欠如させており、飛ぶ姿もどこか危うい。
それもそのはず、今しがたこの二機は暴走したズィー・ガディンとの死闘を演じだばかりだからだ。
機体の限界はとうの昔に来ている。
それでもこうして悲鳴を上げる機体に鞭打ち、走らせているのは、全て『彼ら』の仲間を救うためだ。
「……統夜、お前はよい戦友を持ったな」
「ああ、みんな大事な仲間だ。何も出来なかった俺をいつも助けてくれた」
黒色の機体が蒼色の、紫雲統夜という男が乗る機体へ語りかける。
この場所へ来る際、この二機が、エネルギーの暴走を食い止めるべく、帰還が叶わない場所へ向かうことを知った仲間は、彼を必死に引きとめていた。
そんな姿を思い出したのだろう。
その声はどこか、眩しいもの見るかのようなものを秘めている。
「汝、戦友の真義に背くことなかれ」
「…」
「それが、フューリア聖騎士団の誓約の一つだ。しかし、…私はっ!」
「…アル=ヴァン」
統夜は今にも泣き出しそうな声を出す彼に、沈痛な面持ちで答える。
「…君の父上を殺めたのは私だ!彼は、私の戦友であり、私の偉大なる師でもあった!エ=セルダ殿は…」
「アル=ヴァン!」
彼の痛烈極まりない懺悔に、統夜の機体に同乗するシャナが堪らず会話を遮る。
アル=ヴァン・ランクスという男を良く知る彼女は、彼の今まで苦しみがどれ程のものか、痛い程に分かっていた。
それを、統夜は穏やかな声で答える。
「気づいてたよ。なんとなくだけど」
「すまぬ。本当に、私は許されぬことをした」
「でも今はこんな話は止めよう。貴方も、分かるはずだろう?」
「…ああ、そうだったな」
統夜も、シャナ=ミア同様に、彼が本当にそんなことをしたくなかったことを理解していたのだ。
紫雲統夜の父親は、フューリーの英雄であった。
フューリア聖騎士団、正騎士という隊長格を務めていたエ=セルダ・シューンはアル=ヴァン・ランクスにとって、神のように崇める存在だ。
彼がいなければ、今のガウ=ラ・フューリアはありえない。
度重なる戦の危機を、彼は一人で救ってきたのだ。
「シャナ=ミア様、今日はエ=セルダ様が四度目のガウ=ラ・フューリアの危機を救った話をしましょう。そう、あれは…」
「もう、お従兄様は本当にエ=セルダ様が好きなのですね」
「あの時の私は…、むっ、この話はお嫌いですか?」
長身の男、アル=ヴァンは自身の短く切られた黒い後髪を申し訳なさそうに抑えながら目の前の少女に尋ねる。
少女は従兄のそんな姿を見て、長い水色の髪を愉快そうに揺らしながら話す。
「クスクス、いいえ、とても楽しそうにお話しになられるのでそう言っただけです。そういうお顔のお従兄様のあまり見ませんのでシャナはとても嬉しいです」
「そう、ですか。いやはや、お恥ずかしい」
なんとも恥ずかしそうに少女の従兄は畏まった。
たまに時間が取れて、アル=ヴァンがシャナ=ミアに会いに来ると、彼は決まって自身の師匠がどれほど優れた人であるか、いかに素晴らしいお方なのかを、両手を使って表すように、そして嬉しそうに幼い頃のシャナに言い聞かせていた。
そんな従兄の話は、親しい者が少ない彼女にとっての数少ない、心休まるひと時であった。
アル=ヴァンが執務に戻る為に、彼女の部屋から退室すると、それと入れ違うようにある男が入って来る。
それはシャナ=ミアが何度も従兄から教えられた人物であった。
「エ=セルダ殿!」
「おお、殿下。お久しゅうございます。またお美しくなられましたな」
突然のフューリーの大英雄の出現に驚くシャナ=ミアに彼は人を引き付ける笑みを浮かべた。
「まあ、エ=セルダ様は口がお上手ですのね。そうだ、聞きになって。アル=ヴァンお従兄様ったら、たまにお会いになるといつも貴方の事ばかりなんですよ。私はお従兄様とお話出来るので構いませんが、もう少し別の話を聞きたいものです」
「それは駄目ですなあ。不器用な奴のことだ。どうせ俺の戦話位しか殿下とうまく話せないのでしょう。奴には剣ばかりではなく、女の扱いというものを教えるべきでございました」
「まあ、女だなんて…、エ=セルダ様、不躾ですよ?」
いたずら小僧のように無邪気に笑う彼に、彼女は少し頬を赤くしながら注意する。
エ=セルダはシャナ=ミアの前ではいつもこんな調子であった。
騎士団の前に立つ彼は、誰もが英雄と感じ入る風格を醸し出すというのに、彼女と会う時のエ=セルダはどこか軽い存在になる。
勿論、彼のこの態度はわざとである。
シャナ=ミアの前に立つ者は、誰もが彼女に対し王女の前に立つように振舞う。
それは当然であることだが、それは生まれてまだ十年も生きてない子供には辛いものである。
それを解消する為に、彼はたまにこのような下世話なことを言ったりする。
本来なら、同世代の子供が知らず知らずするような生の会話をすることで、彼は彼女に揺らぎを生み出そうとしていた。
エ=セルダは、シャナ=ミアが機械の上ではなく、人の上に立てるようにしているのだ。
彼が弟子に慕われる由縁はこういう所にもある。
昔からエ=セルダは、人に足りない物を見抜くことに長けており、見つけてはうまい具合に補い成長させていった。
そういった彼の思惑を、幼くから帝王学という人心掌握術を学んでいるシャナ=ミアは知っていた。
知っているからこそ、彼の無礼な物言いにも笑って済ませたし、彼女自身こういう話は、固い話しかない普段の生活を忘れさせるもので大好きだった。
「これは御無礼を。お詫びに此度の潜入調査で向かった地球の話でも如何でしょうか」
「地球!?本当ですか、是非に!」
「では、お話しましょう。日本という島国の話です、そこで私は…」
彼の話す内容は、従兄と違っていつも刺激的で、この日話されたものはいつにも増して楽しいものであった。
故に、シャナ=ミアはいつもエ=セルダが来ないかと待つ程、堪らなく彼のことが好きで、よく懐いていた。
その彼がある日、騎士団を抜け、極秘兵器と地球から攫ってきた実験体を持ち去り、地球側へと寝返る。
その報を知った二人は、辛くは感じたが驚きはしなかった。
エ=セルダは、人類に対するフューリー穏健派の重鎮であり、過激派の重鎮であった騎士団の総代騎士、グ=ランドン・ゴーツとよく衝突していたからだ。
騎士団に渦巻く過激派の波に、最早止める術なしと考えたエ=セルダは、遂に騎士団を裏切るという行動を起こしたのだった。
その結果、アル=ヴァンに彼の討伐任務が下る。
エ=セルダと特に親しくあり、エ=セルダの次に騎士としての力を持っていた彼に、その命が与えられるのは自明であった。
騎士団へ忠誠の証を示す。
彼は栄えある騎士団を愛していた。
そんな騎士団へ忠誠を示すのは造作もないことだ。
だが、それを示す手段がアル=ヴァンを悩ませる。
自分がエ=セルダを殺す。
騎士団と同様に愛し、敬う師を、共に戦場を駆け巡った友を、自らが切り伏せる。
悩まなずにはいられなかった。
だが、悩めば悩む程に、騎士団の彼への信頼は崩れて行く。
もし、ここで断ることになれば、自分は騎士団を追われ、次は自身同様に彼と親しかった自分の従妹へ何らかの責が飛ぶというのは想像に容易い。
己だけならまだしも、まだ幼いシャナ=ミアにまでそのような思いを彼はして欲しくなかった。
「エ=セルダ様、私は、私はッ!」
握りしめる拳から血が滲ませながら、アル=ヴァンは断腸の思いでエ=セルダと相見えることを決断する。
「お従兄様…」
アル=ヴァンが心配になり様子を見に来たシャナ=ミアは、彼の震える背中をただ眺めることしか出来なかった。