境界線の大猪   作:ネコジマネコスケ

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一話

 少女は不動の姿勢を崩さぬまま、目前の男を確りと見据えていた。

 墨で塗りつぶしたような瞳孔ではあったが、一種の圧力を二回り以上背丈の高い男に向けている。

 敵意、とは考え難い。熱はあるが、それはむしろ憧憬の念と見て取れた。

 男、城戸政宗は重苦しい顔で──平時からそんな調子ではあるのだが──口を開いた。

 

「報告は以上か」

 

 端的な言葉であった。

 片や少女はそのようなぞんざいとも取れる口調に、眉一つ顰めずに首肯で答えた。

 彼女は城戸という男が不要の遣り取りを嫌う性質があることを、十分に承知しているようだった。少なくとも、今の彼の嗜好を外すつもりはないといった態度である。

 場所はボーダー本部指令室、城戸のオフィスであった。とうに日は暮れており、若い娘と中年男性が一対一で同室するには些か危うい時間帯でもあった。

 だが、部屋の構えが、そういった無用の思惑を拒絶しているような有様であった。

 無機質とも揶揄出来よう殺風景な部屋である。

 面白みのあるものは、一体探して見つけ出すことが出来るだろうか。

 ともあれ、室内にいる者を包み隠さないという意味では、部屋の主の心根を正直に現わしているとも取れるだろう。

 少女、少なくともそう見える娘は、堅苦しい城戸のスーツ姿とは対照的な今様の服装をしていた。

 清楚なブラウスに、シンプルなフレアスカートという、服だけを見れば場慣れしない大学一年生のようである。

 もっとも、年の程は中学生か、下手をすればそれよりも下と見える背格好であった。

 

「パトロンが増えたことは喜ばしい。唐沢にも報告してくることだ」

「はい」

 

 言葉は短く、しかし少女の全身からは溢れんばかりの感情が漏れ出しているようだった。

 例えるのであれば人懐こい子犬の、初めて芸をうまくできた時のような、総体で尻尾を振っているかの如くである。

 見ようによれば、父親に褒美を強請る娘とも見える。

 城戸は小さく息を吐き、よくやった、とだけ口にした。

 喜色満面に少女が礼を返すと、城戸も若干肩の力を抜いた様子で椅子に深く腰掛け、彼女にもソファを勧めた。

 

「では先にコーヒーを淹れましょう。ブラックでよろしいですね」

「ああ」

「……やっぱり疲労回復のため砂糖を一つ」

 

 聞いた意味はあるのか、と城戸はため息をついたが、別段気にした風ではなかった。

 間柄としては部下ではあるが、同室を許す程度には信頼しているらしい。

 勝手知ったるとばかりにコーヒーメーカーを弄り始めた少女を余所眼に、彼は応接卓の上に置かれた包みに目を留めた。

 平たい、角ばった袋である。厚みとしてはハードカバー2冊分といったところだろうか。ぴったりとした平面から察するに、少なくとも箱に詰められた何かであるということは推測できる。

 城戸の立場を慮れば物騒な物体という物理的に恐ろしい想像も出来ただろうが、彼は穏やかに眺めていた。

 

「今度は何を観るつもりだ」

「『雨に唄えば』と『ゴッドファーザー』全巻と、まあ色々です。『雨に唄えば』は何度か観ているのですが……」

「ああ、確かに何度見てもよい作品だ」

 

 全くその通りです、と彼女はフィルターを丁寧に折りつつ頷く。

 

「しかし、ゴッドファーザーか。名作だが、今の映画に慣れているのであれば鑑賞するだけでも骨が折れるだろうな」

(わたくし)は最近の映画には疎いのです」

「古い映画にも詳しくはないだろう」

「そのうち詳しくなりますよ」

 

 少女の俄仕込みの映画知識では、城戸の趣味とする領域には未だ届いていないようである。

 彼女の強がりに、城戸は微笑みもせず、無造作に包みの中を覗いた。

 

「『ローマの休日』までか」

「いいではありませんか。ヘップバーンは綺麗ですし、あの雰囲気が好きなのです」

「最後のシーンはどう見る」

「別れるからよいのです。鶴の恩返しと同じです」

「それは同意する。比較対象が童話なのはお前の趣味だろうが──」

 

 城戸は珍しくも他人を弄るようなことを口にして、少女の運んできたカップを受け取った。

 軽く口をつけ、無言で眉間の皴を深くした。

 

「──何故コーヒーメーカーを使って不味く淹れられる?」

「そうですか? 美味しいではありませんか」

 

 味覚というのは個々人によって基準が異なるものだ。

 例えば好きな味があり、料理があり、食材がある。それと同じように、苦手な味と苦手な料理というものがあるのだ。

 少女にはその理解が幾分足りていないように見える。

 それを本人が自覚しているのかどうかはともかくとして、周囲の人間が相応の苦労を強いられていることは想像に難くない。

 今回の犠牲者は城戸であった。とはいえ、彼女が料理を振る舞う相手がどれだけいるものか知る由はない。

 間違いなく、些細ではあれその相手にとっては不幸の一言だろうが、ある意味少女からの手料理というだけで収支はプラスに傾くのかもしれない。

 そんな中少女が映画の鑑賞に城戸を誘ったが、彼は一言で断った。

 

「つれませんね」

「もう何度も見た。一人で集中してみるといい」

 

 そもそもどこで観ようというのか。

 まさか、この指令室で映画観賞会を開こうというわけでもあるまい。

 せめて鑑賞の共にもう少しマシなコーヒーでもあれば城戸も一考はしたのだろうが、そのようなことを口にすれば味がマシになるまで味覚が崩壊しかねない飲料を提供され続けることが目に見えているので、彼はあえて口数少なく断ったようだ。

 どんな種類にせよ、音痴というのは得てして他人の反応から自らの至らざる部分を自覚するものだが、我が強く他人を気に留めない者ほど素晴らしい腕前をむやみやたらと振いたがるもの。

 そして自覚が薄く、最悪少女のように他人の反応を大袈裟なリアクションとしか受け取らないものなのである。

 少女は駄目押しにもう一度提案することは諦めたようで、小さな身体をソファに深く埋めた。

 

「なら、城戸さんのおすすめを教えてください。次に何を観るか決めるので」

 

 無論、少女の思惑はその映画の先にある。

 ある意味、というか色々と露骨にも程があるのだが、城戸という男は眉一つ動かすことなく答えた。

 

「『太陽を盗んだ──」

「──爆発されたいのですか?」

 

 名作ではありますが、と彼女は口を尖らせた。

 

「……『八つ墓村』」

「む、ミステリですか」

「ホラーとの相子だ。横溝正史くらいは読んだことがあるだろう」

「ありません。怖いのは苦手です」

「そうか」

 

 お前が聞いたのだろうにと返したいだろうが、彼はやはりそこまでは言わなかった。

 元より、目前の少女の好みは分かりやすく派手なものか、ロマンスのある作品である。

 彼も理解しているが、好みとしては全くベクトルが異なるので、紹介する作品にも困るのは当然だった。

 

「『プリティ・ウーマン』を見てみろ」

「面白いのですか」

「ベタだが」

「いいですね。王道ならば安心して見れます」

 

 次はそちらを見てみます、と彼女は納得したように頷いた。

 そして、何事もなかったように、

 

「──ところで近界民が入隊したという噂は本当ですか?」

 

 と、口にした。

 城戸はその情報源を尋ねることはしなかった。

 少女なりに人脈を持っていることだろうし、それを追求するつもりはないのだろう。

 しかし今度は答えが返るまでに数呼吸の間が空いた。

 呼気が、明確に肺腑を冷やしているという感覚が生じていた。

 今や和やかだった空間の裏に、刺さるほどに尖らせた意志が蔓延してしまっている。

 少女の両の瞳が、まさかその様なことはしていないだろうと念を押しているかのように、べったりとこびりつくような視線を男に投げかけていた。

 対して、城戸に驚愕の色はなかった。それどころか、予想通りの遣り取りであるとも思われるほどに抵抗なく首を縦に振った。

 

「利用価値はある」

「危険です」

「承知の上だ」

「再考は」

「ない。決定事項だ」

 

 少女は首を振り、危険ですと繰り返す。

 

「近々の遠征にも……ああ、そういうことですか」

「それもある」

 

 水先案内人に使おうというのなら、確かに利用価値はあると言えよう。少なくとも、細々とした考えに全く至らないというほどの愚昧ではないらしかった。

 城戸は不味そうにカップの中の液体を喉の奥に流し込んだ。

 

「間違っても手は出すな」

「規則ですからね。承知しております」

 

 規則でなければ、どうするつもりなのだろう。

 少女に聞けば答えは返ってくるだろうが、穏便なものでないのは確かだろう。

 凡そ、彼女の口ぶりから隣人への愛は感じられなかった。

 ボーダーという組織の成り立ちを、ひとまず現体制のことを顧みれば無理もない反応ではある。

 次に視線を投げかけたのは城戸の方であった。無機質に、少女の頬のあたりを見つめているように見える。

 そういって隠れて抜け駆けしかねない、とでも言いたげな視線であった。

 

「──分かりました。分かっています。物分かりは良い方なのです」

「それはない」

 

 城戸、即答であった。

 流石に少女も凹んだようで、ただでさえ小さなその体が更に縮こまった。

 

「分はわきまえています」

「ならばいい」

「しかし、城戸さんは私のことを何だと思っているのですか。猪ではないのですから」

「……ああ」

 

 あきれた口調で嘯く娘に、彼は何も言わなかった。

 彼女は肩を竦め、ふと思い出したように手提げかばんから長方形の包みを取り出した。

 よく駅で見るような、何の変哲もない菓子箱であった。

 

「そういえば忘れていました。ご家族とどうぞ。お土産です」

「菓子か。いただこう」

「人気らしいですよ。試食した限りでは緑茶の方が合いそうでしたが」

「茶くらいは飲む」

 

 渡すだけ渡して少女は満足したのか、壁掛け時計に目をやり、ソファから立ち上がった。

 もう夜も随分と更けてしまっている。

 長居するには遠慮される、というよりも、そろそろ本格的に体裁が悪い時間帯に差し掛かりつつあった。

 猪娘も家に帰る時間帯ということだろう。彼女はさっと荷物をまとめると、城戸に向き直った。

 

「それでは、お暇致します。城戸司令」

「ああ。指示は追って伝える。暫く大人しくしていろ」

「了解。明日からは通常任務に移ります」

 

 別れの挨拶はさっぱりとしたもので、少女が小さな足音を立てて去っていくのを確認してから、城戸は深々と嘆息した。

 その姿はこれまでの遣り取りはまだ始まりに過ぎないことを知っているかの如く、悲壮感に溢れてすらいた。

 彼は気を取り直す為にも、コーヒーメーカーのフィルターを一旦全廃棄し(目を疑うような量の粉が入っていた)、瞑目する。

 何せ彼の把握している限りでも、技術部出禁、新人隊員への接触と勧誘行為は非推奨という有様なのである。

 手元に置いているのは管理の側面が強いことは自明であった。

 あれほどに釘を刺しておいてなお安心はできない。

 相変わらずの鉄面皮ではあったが、疑うべくもなく彼の面には疲労の色が見て取れた。

 

「……白猪(しらい)め」

 

 少女の名は白猪蝸牛(しらい かぎゅう)。極度の近界民(ネイバー)嫌いの、古参のボーダー隊員であった。

 それ自体は悪くはないが──と。

 ()()()()()()()コーヒーを一口含み、城戸はよく効く胃薬を通販で注文した。

 

 

 

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