境界線の大猪   作:ネコジマネコスケ

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二話

 三輪くん、と少年に声が掛かったのは、丁度時刻が正午にかかろうかという頃だった。

 ボーダ本部近くの何の変哲もない路地であったが、土曜日故に、普段は学業で本部に詰めていない学生隊員も多く見られる。

 最寄りの食堂の手前で昼飯を何にしようかと考えていた三輪は、その声に足を止めた。

 

「──白猪(しらい)さん」

「ええ、久しぶりですね。三輪くん」

 

 小さく手を振るのは、成人女性としては非常に小柄な白猪であった。ただでさえ小さいというのに、身振りまで小さいのでは全く視認性に乏しい行動であったが、三輪は気に留める様子もなく口角を僅かに上げた。

 他の隊員、特定支部の者などが見れば驚くだろう光景である。

 

「米屋くんは一緒じゃないんですね」

「別に、同じ隊だからっていつも一緒に行動するわけじゃないですよ」

「確かに。全くその通りです」

 

 一人で隊を回している様な人が神妙に頷くので、三輪はおかしくなったのか小さく吹き出した。

 何せ、この女の隊は結成以降まともに隊員が居着いた試しがなかった。結局残った隊長当人以外は手の空いているオペレーターから名前を借りて、名目上部隊として成立させているのである。

 チームプレイができないわけではないが、彼も白猪の欠点には覚えがあり過ぎたので、この言いようには苦笑する他ないのであった。

 入りましょう、と彼女が言うので、三輪も小さな背に続く形で食欲を誘う空気の中に踏み込んだ。

 中は数人ボーダ隊員が座っているだけで、適度に空席が残っていた。元々隊員をターゲットとした店舗だったのか、一般客はほぼ見られない。

 

「奢りますよ。好きなものを頼みなさい」

「え、悪いですよ」

「後輩の前で見栄を張りたいのです。気にしないで下さい」

 

 言いつつ、白猪は食券機に惜しげもなく最高級紙幣を突っ込んだ。

 そして三輪が返答をする前に、ぽちぽちと主食級の料理ばかりを選んでいく。

 目の前で乾いた音で食券が排出されるのを見て、

 

「相変わらずですね」

 

 と、三輪は口の片端を上げた。

 自らの先輩にあたる、この娘とはそれなりに長い付き合いのようだ。

 それぞれの背景(バックグラウンド)に共通点でもあるのだろう。傍目には妹くらいの女子に食事を奢らせているようにしか見えないが、彼にそれを気にした様子はなかった。

 或いは、兄を困らせようと妹がいたずらをしているようにも映ったが、それを当人たちに伝える者もなかった。

 

「これでも少しはダイエットしているのですが……」

 

 ダイエットというものがラーメンに白飯大盛に餃子を5人前と天津飯やら麻婆豆腐といった、炭水化物だの脂肪分だの塩分だの体に悪い(痩せるという目的の上では)あれこれを嫌というほど摂取する行いであるとは、終ぞ三輪の常識にはない解釈である

 恐らく全人類のうち九割九分九厘の常識も同様だろう。

 七つの大罪にも数えられる暴食を以て、節制を語るなど片腹痛いにも程がある話であった。量からして常人であれば片腹どころか内臓破裂を起こすだろうが。

 

「前から不思議に思っていたんですが、その体のどこに詰め込まれているんですか」

「胃の中ですよ。腹筋で頑張って圧縮するのです」

 

 出来てたまるか。

 そう言いたげな三輪を背に、彼女はまあ頑張ってというのは嘘ですが──と意味のないフォローを入れた。

 

「ところで三輪くんはどうしますか? ああ、別に(わたくし)は中華縛りで頼んでいるわけではありませんよ。好きなもの注文なさい」

 

 白猪は柔らかく言いながらも、更にもう一枚の最高級紙幣を機械に呑み込ませた。

 それを見た三輪の顔が僅かに引き攣った。額から一筋の水滴が滑り落ちていった。冷や汗である。

 確かに、彼女の凄まじい注文(オーダー)で残金は二桁まで擦り減らされていた。紙幣の追加は必須と言えるだろう。

 しかし、彼は理解していた。

 その金額分注文するだろうと白猪が考えていることを。

 

「いや、こうしてみると結構メニュー多いですね」

「そうですねぇ、たぶん昔よりも増えていますね。あ、三輪くん少しいいですか? デザートを忘れていました」

 

 白猪は杏仁豆腐の食券を3枚購入すると、手で後輩に次を譲った。

 ダイエットはどこに行った、とツッコみたい三輪であった。

 だが、そんなことよりもこの局面をうまく乗り越えることが重要であった。

 ひとまず相手にショックを与えたくないと思うくらいには仲が良いらしい。三輪という男はそこまで愛嬌のある方ではないが、そういった気配りが全く出来ないというわけではなかった。

 故にこそ、判断に困る少年である

 この場を乗り越える勇気ある選択は、何食わぬ顔で自分の適量を注文するといったものだった。

 しかし残念ながら彼は、そこまで肝の太い男ではなかった。文字通りに。

 別案としての男気ある選択は、白猪の常識に従った量を注文するというものだが、当然命の危機がある。

 仮病というもの悪くないが、本気で心配されるので別の意味で胃が痛くなる。

 彼は試験前日に一夜漬けをするつもりで寝落ちしてしまった学生のような気分で、食券機の前で硬直した。

 

「おや、三輪くんどうしました?」

「いえ、決めました」

 

 悩んだ末に彼が選んだのは、チャーシュー麺大盛+炒飯大盛というセットだった。

 それなりに動く男子というのは、同席した人間よりも食べる量が少ないと何故か負けた気分になることがある。

 三輪はそういった手合いではないが、食べ盛りの十代の青少年がかっこつけて頼むには平均的な量を選択した自信はあるようだった。

 

「良かった。では行きましょうか」

 

 白猪は予想外にも何も言わず、彼から食券を預かり大きめのテーブルに進んでいった。

 肩の力を抜いた三輪だったが、彼女の「遠慮しないでいいのに」という言葉に少しだけ気を重くした。

 店の大将はあまりの数の注文に対し、さして反応を示さずに迅速に卓上を皿で埋め尽くすことに決めたようだった。

 一通りの献立がそろったところで、白猪は口を開いた。

 

「そういえば、この間の防衛戦で特級戦功をいただいたと聞きましたよ」

「運が良かっただけですよ。風刃もありましたから」

「だとしても、貴方が戦った結果ですよ。頑張りましたね」

 

 年上の女性がそう言って柔和な笑みを浮かべるので、三輪は少し気恥しくなって頬を掻いた。

 そして自然な動作でいつの間にか空いていた一皿から目を逸らした。

 

「白猪さんは、確か別任務で市外でしたか」

「成果はありましたよ。出資者が増えました」

「特級戦功ですね」

「ええ。唐沢さんからボーナス増額を約束されました。とはいえ戦いたかったのですが……城戸さんのご命令は最優先です」

 

 端から知ったところで彼女が間に合うはずはなかった。

 連絡がなかったこともあり、遅刻以前に現場にすら居合わせなかったのだから、どうにもならないだろう。

 ──果たしてこの女性(ひと)があの黒トリガーを相手にすればどのように立ち回っただろうか。

 三輪は益体もないことを考え、数秒で心中からその思考を振り払った。

 実戦にもしこうだったなら、という概念はない。

 だからこそ日々訓練を行い、その選択肢を増やして対応の幅を広げている。

 その上で出た犠牲に対し、仮定を用いて結果を否定することに意味などない。

 

「通信室のことは?」

「ええ、手を合わせてきました」

 

 もちろん数で見れば大金星もいいところでしたが、と彼女は言葉を濁し、それ以上補足をすることはなかった。

 

「──それよりも、風刃です。どんな感じでしたか? 私は適性がないので使用感が気になるのですが」

「やっぱり扱いが難しいですよ。常に先読みして()()()いかないと」

「先読み……そういうのは私は苦手ですね。本当に苦手です。何だか料理まで苦みが出てきた気分です」

「迅にやられてましたね、そういえば」

 

 白猪は一応最初期からのアタッカーA級隊員である。

 つまり風刃稼働時の個人戦で迅と当たっている。

 口振りからするに、相当な苦戦を強いられた(ボコボコにされた)のであろう。

 彼のサイドエフェクトは私と相性が悪過ぎるのです、とは本人の弁である。

 いつの間にやら半分以上の皿を片付けていた白猪は、小さな溜息をついた。

 なお、三輪はまだラーメンを半分も食べ切っていない。

 

「正面から打ち合わないの、白猪さん苦手ですよね」

「三輪くんまでそういうことを……事実ではありますが」

「射撃系も組むのはどうですか?」

 

 旧知故の気軽な提案である。

 食事の時まで戦術の会話になるのは、ある意味ボーダー隊員であるが故の悪癖になるのだろうか。

 

「その、全く当たる気がしません」

追尾弾(ハウンド)ならホーミングしますよ」

「それをどう戦略に活かすかという部分が厳しいでしょう。私の場合は現状の構成(レイアウト)を長く使い過ぎています。今更変えるのは厳しいですね」

「まあ確かに、下手に射撃こなすよりも他の人の援護を受けた方がいいか」

 

 バランスよく何でもこなせるというのは、理想ではある。

 しかし、大抵の場合それは器用貧乏に終わるものだ。

 それよりは一点に特化した人員を複数用意し、個々の長所を生かしつつ短所をカバーし合う、もしくは短所を長所で塗りつぶすといった方向性が求められる。

 アタッカーに求められるのは、無論のこと近距離戦闘(クローズコンバット)におけるアドバンテージである。

 その長所を捨てるべきではないだろう。

 白猪が追加の注文を勧めるのをやんわりと断り、三輪は頷いた。

 

「でしたら、やっぱり……隊員を増やすとか」

「やはりそうですよね。三輪くんはどうですか?」

「またの機会にお願いします」

 

 誰も好んでハズレ籤は引くまい。

 

「三輪くんの正直者! いいですよ、もう。C級の子たちを勧誘します」

「禁止されてますよね」

 

 色々とやらかし過ぎた弊害である。

 弊害というか、ほぼ自業自得の産物である。

 じっとりとした三輪の視線に、白猪は気まずげに目を逸らした。

 

「私としては初歩的な訓練を行っていただけなのです。ただ、不思議と皆さん辞めていくので……」

「素振りから入るのは良いと思いますよ。でも量がちょっと」

「そうですか? とりあえず1000本くらいはいけると思うのですが」

「10分の1くらいから始めてください」

 

 何せ、この女はトリオン体ではない生身で訓練させようとするのだ。

 三輪は付き合い故に、その結果として何人もの新参者がボーダーを去っていくところを見てしまっていた。

 勧誘魔のくせに育成能力が皆無というのが最悪なのである。

 期待と不安に胸を膨らませた青少年が、外面だけなら良家のお嬢様といった先輩に、しかもA級部隊に勧誘されるのだ。

 自身に才能がある、出世の見込みがあると勘違いするのは無理もない。

 そして実際に待ち受けているのは、筋トレ素振り地獄である。走り込みもおまけについてくる。

 何より、そんな滅茶苦茶な訓練を当たり前のような顔をして見た目小学生の隊長がこなしていくのだ。

 ──やめたくもなるだろう、それは。

 三輪もその点には呆れる外がないようだった。

 

「仕方がないですね。次の隊員が入った時には気を付けましょう」

「入る見込みがあるんですか」

「ないですが! もう、いつから三輪くんはそんなに意地悪になったのですか」

 

 実のところ、三輪も小さな先輩弄りが割と楽しいのであった。

 怒りましたからね、と彼女は三輪の方に餃子を一皿寄越した。

 

「あの──」

「昔は遠慮などしなかったでしょう。ほら、食べないと背が伸びませんよ」

「もう伸びる年頃じゃないですよ」

「男子は20を過ぎても伸びるのです。それに、三輪くんは線が細すぎます。男子たるもの木崎くんくらいが丁度よいのです」

 

 この場において、筋肉フェチに偶に会う親戚のおばさんの様な気遣いが合わさると、少年にとっては非常に厄介な事態になるという驚愕の事実が判明した。

 胃のことを考えなければいける。

 三輪の判断は一種の自己犠牲にも近い献身であった。

 しかし、当人も出来る限り避けたいのか、素早く自分の端末の電話帳を開いていた。援軍を呼ぶつもりだろうか。

 彼が見栄と思いやりを天秤にかけ、携帯端末の画面から顔を上げたその時であった。

 とっくの昔に聞き飽きた、けたたましいアラームが彼らの耳朶を叩いた。

 

「おや」

近界民(ネイバー)……!」

 

 彼らがすぐさまレーダーパネルを開くと、出現場所は比較的近い地点であった。

 寸分の間隙もなく、椅子を蹴倒さんばかりの勢いで三輪が立ち上がる。

 

「白猪さん、出てきます」

「何を言うのです。当然、私も出ますよ」

 

 同じく席を立っていた白猪は、既にトリガー体への換装を終えていた。

 先刻までとは打って変わり、爛々と輝かんばかりの眼光を放っている。

 総体に漲る意志は、戦意ですらなく、極めて明確な殺意であった。

 

「あんなもの、さっさと殺してしまうべきしょう?」

「──ええ、行きましょうか」

 

 そうして勢いよく店を飛び出していった二人の姿は、背格好は全く合わないというのに、奇妙なほどに似通ったものであった。

 

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