境界線の大猪   作:ネコジマネコスケ

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三話

 空を悠々と進んでいた巨体が、突如として地に落下した。

 イルガ―と呼ばれるトリオン兵の一種である。その巨躯は一公共建築物にも匹敵し、場面によっては極めて強固な装甲を有する厄介な代物である。

 しかして、墜落する個体に追従する人影はただ一つ。

 風に翻る黒髪に、子供と見紛う程の矮躯――白猪である。

 分厚いコート型の隊服に手甲と脚甲、更には厚手の毛皮帽までもを着用した姿は、トリガー内では珍しい類の厚着に見える。

 そしてその手に握られている得物は、服装にも増して特異な形状を持っていた。

 長柄武器(ポールウェポン)である。

 尺幅凡そ3メートル弱、通常の槍とは違い三種の穂先を持つそれは、トリオン体でなければ超重量武器に分類されるだろうことは確実であった。

 落ちた巨体の生み出した地響きの収まらぬうちに、彼女は無造作に柄にあたる部分を腕で叩き、軽々と片手で肩に担ぎ上げた。

 普通の弧月で地上のトリオン兵を叩き伏せた三輪は、その姿に一言呟いた。

 

斧槍(ハルバード)型弧月、よく使えるな……」

「――片鎌大鉈槍(かたがまおおなたやり)です」

 

 何でもかんでも横文字にするのはいけません、などと白猪は時代についていけない年寄り染みた言い掛かりをつけた。なお、歴史上片鎌大鉈槍などという面白武器は作られたことがない。

 他人には理解の及ばぬ拘りの様なものがものがあるらしかった。

 得てして、そういったものは他人にとっては本当にどうでもよいのであるが、当人は言わずにいられないものである。

 三輪も御多分に漏れずどっちでも同じじゃないかと言いたげであったが、表情には出さず成程とだけ返した。

 今回の襲撃、敵の数は然程でもなかった。A級二人が初動で対処にあたれば、なおのことである。

 しかし、その然程でもない数の敵ですら、一般市民にとっては如何なる地上の猛獣にも勝る脅威であることは明白であった。

 余計な言葉を発する前に、少年は次の敵に向かうことに決めた。

 残敵のうち一つは彼らに向かって直進を続け、残りの二つが近隣の小学校に向かっている。

 判断は速かった。

 

「俺が学校方面に」

「了解。片付け次第追います」

 

 歯切れの良い返事に、三輪は屋根瓦を蹴飛ばして加速した。

 これまでの経験からすれば、そう急ぐ必要のある距離ではなかった。

 ただ、前回の大規模侵攻が三輪の記憶にはまだ新しい。

 ――近界民はトリオン適性の高い人間を狙っている。

 加えて、個人のトリオン量はほぼ生来の素質によって決まる。

 ならば当然、狙う個体の成熟を待つ必要はない。むしろ未成熟な対象であればあるほど捕獲の難易度は低下する。

 新型ならば隊員を狙うこともあるだろうが、ルート・進行速度からして捕獲用(バムスター)を向かわせたと見るべきだろう。

 効率的だが、彼の心中は穏やかでなかった。

 三輪にとってバムスターなどどうとでもなる相手である。

 だが、繰り返すが一般市民、増して小学生が相手に出来るようなものでは断じてない。

 拉致される児童を守ろうとする人間がどれだけいるだろうか。

 死ぬ人間もいるだろう。

 慣れた防衛任務においても彼が攻撃性を失わないのは、復讐心のみによるものではないようだった。

 少年の背を押すのは、そういった種類の感情であった。

 

「さて。さて、さて……」

 

 駆けていく後輩の背を見送り、白猪は息を吐いた。

 脱力は戦いの基本である。

 肩に力が入れば動きは固くなる。

 動きが固くなれば、次は思考が硬直する。

 致命的だ。

 故に、最も根源的な所作から確認するのだ。

 なおも敵影は真正面の通りを直進している。このままでは、衝突に至ることは必然であろう。

 トリオン体は確かに生身に比べれば比較にもならない強度を持つが、重量・硬度共に劣る状況では、単なる衝突ですら致命傷になり得るのも確かな事実であった。

 

「ふっ」

 

 承知の上で、白猪は一切の仕込みもなく正面に向き直り、これもまた全力で駆け始めた。

 走力は獣のそれであった。

 靡く長髪は身体の通過した後を映すだけの直線と化している。

 仮に少女の前に徒人(ただびと)あらば、その異様を覚る前に跳ね飛ばされているだろう。

 胡麻粒ほどの大きさの敵目掛け、ただ走る。

 その様は正しく猪であった。

 しかし、である。

 如何に彼女が勇猛だとて、それで体の強度が上がるわけではない。

 人差し指程の大きさになり、白猪にもようやく敵が視認出来た。

 攻撃兵(モールモッド)であった。

 バムスターなどとは異なり、一定の攻撃性を有する種類である。

 装甲も前者とは比較にならず、重量も加えれば正面衝突には分がないことは明らかである。

 然れども、少女は止まらない。

 通常、槍を構えるというのは穂先を前に、体を敵勢に対し半身を切るような状態を言う。

 少女の構えは、それとは全く異なった。

 槍は高々と天を突く。石突と柄を掴むその腕を大上段に掲げ、一心不乱の突撃である。

 穂先は当然斧を前面に向けている。

 最も破壊力のある刀身を以て、最も威力の乗る直上より打ち下ろし、一撃にて敵を叩き潰すという意志の表出である。

 古来、白兵戦における槍の使用方法として、上からの打撃は存在する。 

 槍衾を作るといっても、突くばかりでは実は取り回しが悪い。突く限りは引かねばならぬが、密集形態においてそれだけの所作を許す空間が確保できるとは限らぬが故だ。

 何より上から叩き付けるという攻撃方法は、腕力と背筋力、重力引力加速力に遠心力、全物理的破壊力の収束が可能である。

 最高威力を最速最短で敵に叩き付けるという解であった。

 発想として槍術よりも()()()に近い――ある隊員はそう評した。

 

 ――敵性体に肉薄。

 直後、振り上げられる鎌状の足部を目視。

 攻撃と判別するも、()()()()()()()()()()()()()()()

 防御は不要。骨を断たれるよりも早く、敵の命を絶てば支障なし。

 思考も不要。動きは体が覚えている。

 故に不止(とまらず)不惑(まどわず)、裂帛の気勢と共に打ち下ろす。

 

「――ぜぇいッ!」

 

 装甲など無きに等しかった。

 モールモッドの身体を抵抗なく突き抜けた穂先は、勢いのままに地面に叩き付けられ、爆撃に近い破壊音を轟かせる。

 その余波のみでアスファルト舗装は砕け散り、夥しい破片が周囲の建造物を破壊していく。

 それを火薬も用いない刀剣による攻撃と判ずる者がどれだけ居ようか。

 爆心地近くのブロック塀は悉く崩壊し、民家の窓ガラスが砕け散り、電信柱が根元から傾いている。

 少なくとも携行兵器ならば対戦車誘導弾(ジャベリン)クラスでなくては、このような有様にはならない。

 白猪は引き抜いた槍を軽く叩き、真っ二つになったトリオン兵を見上げて、又も息を吐いた。

 彼らが別行動をとってから、ほんの二分も経っていなかった。

 

「次……は、三輪くんの方でしたか」

 

 彼女は一足飛びに屋根の上に駆け上がると、方角を確認してからグラスホッパーを起動した。

 若干もたついているところを見るに、本人としては扱いが苦手な部類に入るらしいが、移動に便利という理由で組み込んでいるようだ。

 

「三輪くん、聞こえますか」

 

 時々転びそうになりながらも通信を呼びかけると、返答は別人からあった。

 

「――こちら月見です。隊長が出動しているのでオペレーションを受け持ちましたが、白猪隊員ですか?」

「なんと。月見ちゃんですか? ええ、こちら白猪です。三輪くんの方は如何ですか? もう終わっているかもしれませんが」

「はい。さして問題もなく討伐出来たと報告がありましたが……あの、一ついいですか?」

「ええ、何でしょう。出来れば早めに三輪くんと合流したいのですが……」

「レーダーの反応では敵が消滅すると同時に近隣の建物が壊れたようですが、何かありましたか?」

 

 白猪は思いっきり民家の屋根瓦を踏み抜いた。

 ぱきんと瓦を割りながら、彼女は咳払いを執拗に繰り返した。

 

「し、白猪さん? 大丈夫ですか?」

「ごほん。ごほんごほん……失礼しました。卑劣な近界民の罠が」

「成程、そうですか。先日の襲撃のことも顧みれば、相手が罠トリガーを保有していても不思議はないですね」

「え、ええ。全く姑息なことです」

「……あの」

 

 不格好にグラスホッパーの連発で飛び跳ねながらも、額に大量の汗を流していた。冷え冷えである。

 トリオン体ではあるが、やたらと生理反応が表に出る娘であった。

 月見は通信室で少し面白くなりながらも、助け舟を出そうとしたのか気遣うような口調で言った。

 

「勢いあまって建物が壊れてしまうことは時々ありますから」

 

 人死にが出たというならば話は別だが、あくまでも出現したのは避難地区である。

 三輪が急いでいたのは敵の侵攻ルートが問題だったのであって、単に建築物が壊れただけであればまだマシな部類と言えよう。

 無論、愛着のある家が理不尽に破壊されること自体住人にとっては悲劇に違いないが、深刻さという意味では幾らか安堵の余地はある。

 隊員のことを思えばこそ月見も気にするなとまでは言わないが、必死に隠すほどのことでもない。

 というか、旋空弧月などを使えば当たり前のように壊れる。

 トリオン兵一体にどれだけ気張っていると思われることはあろうが、古参の隊員ならば、それこそ今更という話ではある。

 それでもばつが悪そうに白猪は言った。

 

「……久々に戻ったのでつい」

「ああ、ついついはしゃいで壊しちゃったことが気になっているのね」

「オブラートを要求します」

「襲撃への怒りに力加減を誤ったということですね、白猪隊員」

「そういうことです」

 

 実のところ、白猪の胸中にはその他の幾つかの懸念も眠っていた。

 勿論、家主に対する謝意もある。

 或いは、この失態が城戸に知られたらといった身勝手な恐怖心、比較的現場の隊員としては年長なのにはしゃいでやらかしたことへの羞恥心の方が勝っているのかもしれない。

 そんな仕様もない通信(ガールズトーク)に、野郎が一人割り込んだ。

 

「言い辛いんですが、白猪さん。聞こえてます」

 

 三輪であった。

 彼は持ち前の最大限の良心を用い、討伐が終わったことを付け加えた。

 僅かな沈黙。

 最初に口を開いたのは、月見であった。

 

「――作戦終了ね。お疲れさま、三輪くん」

「あの、月見ちゃん? 後でパフェを奢るのでこのことは内密に……」

「これ記録取ってますよ」

 

 またも、三輪であった。

 面倒でお節介焼のどんくさいちびの年長者は、すっかり萎れた声で尋ねた。

 

「泣いていいでしょうか」

 

 どうぞ、と三輪と月見の声が揃った。

 年下の前でかっこつけたかった白猪は、後で少し泣いた。

 

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