境界線の大猪   作:ネコジマネコスケ

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四話

 諏訪洸太郎は後悔していた。

 事の始まりは数日前である。

 ランク戦も開始日から数日が経過し、一旦は落ち付きを見せた頃合いとなっていた。

 英気を養う為にも、後半戦を勝ち抜くためにも、一息つこうということで宴会を企画したのは彼自身であった。

 しかし実のところ懐事情に余裕がないのは否定が出来ない。

 何分、学生の身である。

 臨時収入として出来高払いの討伐報酬はあるものの、当番制なのでそこまで大きな収入源とは言い難い。

 狩り続けるだけで安定した収入になるような状況は、全くもって歓迎できない事態である。

 とにかく、金がないのだからどうにもならない。

 飯屋にでも、いやせっかくだし──と彼が廊下の隅で顎髭を擦っていたところに、悪魔の声が囁いたのである。

 

「おや、諏訪くん。髭の手入れは家でするものですよ」

「手入れしてたわけじゃねえよ。ちっと伸びただけだ」

「手入れしましょうよ。諏訪くんの無精ひげは……いえ」

「似合ってないんだろ。分かってるよ……久しぶりだな、蝸牛(かぎゅう)さんよ」

 

 彼が軽く手を上げると、白猪も同じように応えた。

 入隊時期が近いこともあり、年齢が近いこともあり、二人はそれなりに気の知れた仲だった。

 

「いえ、ある意味似合うかもしれませんね。ヤンキーみたいで」

「褒めてねえよな、それ」

「まあまあ。諏訪くんの髭はどうでもよいのですが、どうしたのですか? 廊下の片隅で健全な男子が一人で髭をじょりじょりと」

 

 なお、白猪当人は坊主にした後輩の頭を触らせてもらう程度には、たわし類似性の触感が好みである。

 学校の野球部が坊主強制でなかったことに落胆する人間など、そうはいるまい。

 ちなみに彼女の母校はボーダと提携している女子高なので、そんなものあってたまるかという話であった。

 そんな事情はいざ知らず、諏訪は話すだけ話してみるかと前述の宴会について教えた。

 

「──諏訪くん。宴会をするお金がないのなら、宴会をしなくてもよいのではないでしょうか」

「いや、する。何故なら俺が食って飲んで騒ぎたいからな!」

 

 隊員の慰労のために、などとは口が裂けても言えない諏訪である。

 言ったところで、金が天から降ってくるわけでもないので、そうする心算(つもり)もないのだろう。

 

「……単位は大丈夫なのですね?」

「おうよ」

「今になって必須単位を取り忘れていた、ということもありませんね? 太刀川くんにノートは貸してしまっているのです」

「ないって。ない。ないはず……」

 

 卒業どころか進級すら危うい男と並べられるのは、流石に彼も不本意らしい。

 不本意だが、ちょっとだけ自信がなくなったようだった。

 白猪は小さく頷いて、腰に手を当てた。

 

「全く……いいでしょう。場所と食事は(わたくし)が提供致します」

「お、いいのか!?」

「その前に、いつも言っているでしょう。年上にはきちんと敬語を使いなさい」

「うす」

「よろしい」

 

 料理のリクエストがあれば聞きましょうか、と彼女は微笑んだ。

 そんな言葉にありがたいと縋りついたのが、男の過ちであった。

 白猪隊の隊舎は、一見すると小洒落たバーラウンジのような内装をしている。

 ダイニングの裏には数々の酒類が並び、常に冷蔵庫には一定の食材が揃えてある。

 彼女の味覚は幾分か独特であるが(基本的に味が濃い)、本来レシピ通りに作ることは出来る。

 城戸に振る舞う時にも大人しく分量を守っておけばよいものを、残念な娘である。

 ともあれ、酒の隣にプロテインの大袋とシェイカーが並んでいるのは異様であるが、ボーダ内で安定して食事にありつける場所の一つであった。

 実際、それを目当てに稀に馴染の隊員が土産を手に出入りすることもある。味が濃いのも、つまみとしてはむしろ良いと言える。

 レシピ通りに作るよう念を押し、同時に諏訪は極めて重大な情報をすっかり忘れてしまっていた。

 それどころか、知り合いにも何人か声をかけておきますねという言葉に若干浮かれてもいた。

 男子である。

 こういう時に彼女が声をかけるというのなら、恐らく同性になるだろう。少しくらい期待に胸を膨らませるのも仕方がないことだ。

 ──結果、待っていたのは悪夢であった。

 

 

「堤くん、如何ですか?」

 

 ──白猪は甲斐甲斐しく酌をしているようにも見える。

 事実は、猪口が空になった瞬間ひっきりなし(ノータイム)の強制提供である。

 しかも、器を逃がしてなるものかとばかりに、彼女の小さな手がぎちりと堤の腕を離さない。

 景気よく彼が一献呷ると、いいですねえなどと嘯いて次なる一献を求める。

 堤はがばがばと冷水(ピッチャー)を追加することで、辛うじて体内に蓄積していく酒精を抑制しているようだった。

 白猪は、酷い絡み酒であった。

 

「笹森くん、炒飯は好きかしら」

 

 加古は諏訪隊アタッカー・笹森少年にそう声をかけた。

 優し気な声で彼女が差し出した皿には、湯気を上げる旨そうな炒飯が盛り付けてあった。

 作ったのは加古である。

 匂いは芳醇で、エビ・ネギ・タマゴなど、標準的な具材が入っているように見える。

 しかし、作ったのは加古である。

 彼女は後輩に向けるには模範的とも言える、親切で温かな笑みを浮かべている。

 それでも、しかし──どうあれその炒飯を作ったのは、加古なのである。

 ボーダーの男であれば、誰もが知っていた。

 彼女の作る炒飯は極めて前衛的であり、独特の味と風味を有し、余人の味覚には理解の外にあるのが常であった。

 ──笹森は炒飯が好きだった。

 厳密に言えば彼の大好物は焼き飯なのだが、両者には些細ながら決定的な差があるものの、それでも同じカテゴリに属する料理として好物の部類であると言えた。

 ()()()()()()()()()

 

「実は私、炒飯を作るのが趣味なの。好物って聞いたから張り切っちゃって」

 

 何しろ年上のお姉さんが張り切っちゃったのである。

 いたいけな青少年がその心遣い、無碍に扱うことが出来ようか。いや、ない。

 諏訪が口中で死ぬな・笹森・すまねえと繰り返す中、笹森は思い切って炒飯を口に運び、咀嚼し、呑み込んだ。

 

「あ、おいし……」

 

 言葉は半ばで意味を失い、途切れる。

 大体の場合、料理の失敗は一口目で案外イケると思わせておいて、二口目で大いに味覚を裏切るのである。

 善良な笹森少年から一口のうちに言語能力を奪い去った炒飯の威力が窺い知れよう。

 

「良かった! 自信作なのよ。たくさん食べてね」

「……はい。ありがとうございます」

 

 不運にも賞賛の言葉は加古の耳に届いていたようだ。

 更には、すかさず白猪が笹森の隣に席を移してしまった。何故被害を拡大させることにそうも一生懸命なのか、誰一人として答えは知らない。

 

「笹森くん。そうですよ、たくさん食べねば。男子たるもの」

「えっ、あ、あの」

 

 炒飯だからと言って火に油は注がなくてもよかろうに、そんなことを言って白猪が毛髪を摩り下ろさんばかりに頭を撫でつける。

 短髪の感触が割と好みのようだった。

 だが、そんな勢いで撫でられる笹森は堪ったものではない。

 彼はどこで身につけたのか、華麗に水を汲んできますねと言って魔空間から逃げ出した。

 

「おっと、俺もちょっと水貰うか」

 

 同じくどうにか抜け出した諏訪が、カウンターの裏で笹森の肩を引き寄せた。

 白猪が声をかけた人員は加古を含め2名いたのだが、残る一名は当てにならない。

 上司へのアタックが不発に終わったことを年下(オサノ)に慰められている沢村嬢の姿には、目元に水分を溜めずにはいられなかった。

 

「……諏訪さん、まずいですよこれは。いや、炒飯がということじゃなくて」

「分かってるよ……! 畜生、蝸牛さんの絡み癖忘れてたぜ」

「初めてお会いしましたが、めっちゃ撫でられましたよ。しかし凄い力でしたけど、あれは……」

「サイドエフェクトだ。強化筋力ってな、まあ単なる馬鹿力なんだがよ」

 

 副作用とは、トリオンによって引き起こされる超常的な身体機能である。

 人間本来の身体機能の延長に過ぎないという意味では、この上なく分かりやすい。

 だが、この場においてそれがどれほど役立つだとか、どんな使い道があるといった話は比較的重要ではない。

 笹森は最も重大な事実を口にした。

 

「そんな人が酒乱って……」

「……よく気付いたな。小さなヒグマがいると思え」

「諏訪さん、諏訪さん。堤さんがヒグマに噛まれてます」

「くそ、やられたか……いいか、日佐人。お前も数年のうちにこういう場面に何度も遭遇することになる」

 

 白猪にヘッドロックを決められる堤をカウンター越しに眺めながらも、笹森は神妙に頷いた。

 

「酒飲んだ奴に道理なんざ通じねえ。無茶苦茶だ。相手が女ときたら、ふんじばるわけにもいかねえ。だからな、そう言う時はだ」

「はい……」

 

 諏訪は勢いよくビールを一本煽り、続いて二本目を開けて、サムズアップした。

 

「まさか、諏訪さん」

「自分も酔っぱらっちまえばいいんだ。どうせ次の日にはどいつもこいつも死んだみてえな顔して目が覚めるからな!」

「駄目だこれ!」

「ま、流石にそれは冗談だけどな」

 

 ビールなんざケースで飲んでやる、と諏訪は酒臭い息を細く吐いた。

 そう言うと、彼はこの場における問題を指折り数え始めた。

 一つ、暴走する白猪を止めること。

 二つ、加古の炒飯を平らげること。

 三つ、沢村の愚痴を巧く宥めること。

 四つ──

 

「──いや多いわ! 問題しかねぇよ!?」

「いやいや、諏訪くん。まだまだ飲み足りませんよね」

 

 見れば、カウンターの上に寝そべるように、白猪が二人を見下ろしていた。

 その上から、同じような顔で加古もにまにまと獲物を観察する目で、犠牲者(ふたり)を捉えている。

 べたべたとしたその笑みは、とても分別ある大人の女性が浮かべるそれとは言えなかった。

 笹森は、きっとチェシャ猫というのは現実に居ればこういう笑顔をするのだろうと思った。

 

「男の子が二人で裏でこそこそと……いやらしい」

「か、加古さん? な、何もないんですよ」

「その動揺、男子たるものいけませんよ。いつでも泰然自若として質実剛健でなくては」

「あんたは男子たるものって言いたいだけだろ……っ!!」

 

 男子のツッコみが追い付かない――諏訪が助けを求めた先に、堤がいた。

 堤はカウンターチェアに腰を掛け、落ち着いて猪口を傾けている。

 

「お、おい! ピンチだ。何でお前落ち着いて――」

「諏訪さん」

 

 彼は熱い息を一つ吐いた。

 堤の手はやおらに自身の頬を撫で、覚悟を決めたかのように大きく息を吸った。

 そうして、漢は自らの心を偽ることなく曝け出した。

 

「――()()()()()()()()()()!!」

「負けてんじゃねえか!!」

 

 諏訪渾身のツッコみであった。

 そんなことで動じる女共でもないのだが。

 

「ああ、諏訪くん。また男の子同士で」

「だーッ! もういい、飲み比べで白黒つけてやる!!」

「ふ、私たちに一人で挑もうというのね。いい度胸じゃないッ」

「なんで当然のように二対一なんだよ!!」

 

 もう、ぐだぐだであった。 

 とはいえ、しかし。

 若者の宴会などは、このような体たらくになるのも自然と言えよう。

 彼らは大いに飲み騒ぎ、途中で年少の二人は離脱した(愛想を尽かした)が、おおむね盛り上がって宴会はお開きになった。

 翌日、全く与り知らぬ事情で白猪と沢村は同じ寝床で目覚めることになったのだが、そこは割愛させていただこう。

 

 

 

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