五月編投稿し終えたらハーメルンにも園児続編投稿していきます。
五つ子の五女である中野五月は努力家で真面目な子だ。
何かと暴走しがちな姉達の貴重なストッパー役を担う貴重な存在である。年上を敬う貴重な常識人なのである…
十年前の幼稚園児の頃ですら、俺に対しては敬語を欠かさなかった。さりとて堅苦しい印象はなく、甘えん坊な様もあって可愛げがあった。
当時から母親を一番に慕って憧れを抱いていた。子供心ながら親の真似をしていたものだ。
上杉君。なんて呼び方はあの人から根付いた言葉だった。
母親が大好きで、甘えん坊で、食べ物には目がなく、優しい家族に愛されていた。
そんな純粋無垢な気持ちのまま、俺が知りえない十年を生きてきたのだろう。
その果てに待っていたのが、母の死という…十年も前に予期していた絶望だった。
母の死の向こう側。まだ小さい子供と約束した。
思い出を語れば数分で言葉尽きる。そんな希薄さと、絶望の淵に立たされても尚、五月は俺を覚えていた。
「俺が助ける」
幼子との約束の下、俺たちは再会した。
再び赤の他人から始まるこのプロローグは、何年、何十年も費やしてようやく物語が始まる。
いや、本来ならエピローグで終わり、再会した後の…恩師のいない縁は、もはや蛇足でしかなかったんだ。
互いの執念、利害の一致から関係を構築し、五つ子の心の傷を癒す猶予を得られればいい。それだけを望んでいた。
そのような浅い関係を、いの一番に壊しにきやがったのが五月だった。
甘えている。慕われている。求めてくれている。
母の教え子かつ思い出の兄との再会に泣き崩れた女子高生は、思いのほか傲慢だった。
人の気も知らないで、あの人にはなかった人懐っこい笑顔で接してくるから…俺は次第に絆されてしまった。
赤裸々に語ればあの鬼教師は娘にすら鉄拳を振るっていただろう。
将来を不安視する赤点制覇の教え子をオープンキャンパスに連れ回した日のことだ。
「うぅ…お腹が空きましたぁ
大学のランチ、量を少なくするんじゃありませんでした…
とても美味しかったですし、今更ながら後悔しています」
「周りの生徒が親御さんと大学受験を話し合っている横で飯に現抜かすなよ
新手の嫌がらせか」
「で、ですから気を遣って少食に留めたんじゃありませんかっ!
うぅ…お腹空きました…これからお家までが遠いです…」
「電車に乗って、あっちに着くのは21時前か」
「…」
「…
おい、どうした五月、とっとと帰ろうぜ」
「う、く
くぬっ…!」
「…何やってんだ…」
高校1年生を連れて大学のオープンキャンパスを見学し終えた後。俺と五月はその帰路についていた。
午前と午後、夕方と余すことなく大学を回れば日は沈み、家に帰れば一日が終わってしまう時間だ。
その時刻を察した五月が、道端で足を止めて財布を注視していた。睨んだからって金は増えないぞ。
「まだバイトしていないのに…今ここでお小遣いを使うべきでしょうか…
到底、自宅まで胃が持ちません…二乃のご飯が待っているのに我慢できそうになくて…」
「…空腹になる度に音を上げるようじゃあ、おまえに夜のバイトは無理だな」
「よ、夜のバイトって何ですか!?
いくらお金が必要だからと言って、そ、そんな如何わしいお店で働きたくありません…!
バイト決まってないからって、連れて行ったりしませんよね…!?」
「いや、放課後から21時までのバイトな
おまえにそんな仕事させたら俺が爺さんに殺されるし、先生にも顔向けできねえよ」
「…
何か将来の身になるお仕事があればと模索しているのですが
…決めあぐねてしまっています、すみません」
空腹に脱力したり、羞恥混じりに憤慨したり、汗を滲ませて苦悶したり、泣きそうな程慌てたりと、五月は表情をコロコロと変える。
見ていてほんと飽きないな、こいつ。
休日に教職の延長紛いな時間を過ごしているのだが…お陰で全く苦に感じない。
「夕食、寄ってくか?」
「…えっと…
上杉君が…良かったら…
その…お会計とか…」
「なら決まりだな
代わりと言ったらアレなんだが…二乃にはおまえから侘びを入れてくれ
おまえを連れ回して外食する度に、毎回小言言われたくねえ
あいつは手料理を無碍にされると、口では文句言わないが寂しがる
その点謝っておけ」
「…あの、一応なのですが…
私、毎回帰った後に残さず食べ切ってるんですよ、二乃のご飯
ちゃんと二乃にお礼も謝罪も伝えてます」
「…
それでも毎回お小言貰うんだけど、俺
てっきり、おまえに言いたい文句のとばっちりが飛んできてるもんだと」
「…別の理由…いえ
すみません、どうか二乃には上杉君からお伝え下さい」
「ちっ この末っ子が、ほとほと甘やかされてやがる」
「上杉君はもう少し二乃に心を開いてあげるべきです」
結局電話をかけた後、二乃には「また五月と~!?」と散々罵られ、来週の休日に買い物に付き合うことになってしまった。
冷めた料理にラップを被せて、二乃は溜め息をついているだろう。なぜ未婚の俺が外食に気まずい感情を抱かねばならんのだか。
約束を取り付けた後、三玖が通話中に割り込んだらしく手早く切り上げることができた。あっちでは恒例の姉妹喧嘩が勃発している。
「ご所望は?」
「…どこでも
上杉君についていきます…」
俺の奢りで夕飯を一緒することになり、五月はもじもじと罪悪感に駆られながらも俺の横について歩いていた。
安くてお腹一杯食べれるお店。そうなると女性が好む場所よりかは…必然と男性客が多い店に絞られるわけで。
訪れたのは昭和の匂いが残った中華屋。テーブルの一席に向かい合って座り、五月はおずおずとメニューを眺める。
「…」
「…」
「…じゅるり…」
「決まったか」
「…か、カニ…チャーハン」
「蟹か」
「蟹…です、ちょっと高いです…
餡の、ピリ辛の…」
「ふーん…」
五月は厚かましく指を差して教えることはなかったが、目線は蟹炒飯に釘付けだった。
他に並ぶ品よりやや値が高い注文に、タダ飯を食らう女は萎縮していた。
元より母子家庭で六人家族だった貧乏学生。贅沢など一切できなかった五月は…最近甘え方を知ってしまった。
俺との食事では、多少の贅沢を許される。社会人の財布に頼れる今は、めったに食べない蟹が気になるようだ。
亡き恩師の愛娘には、母が成せなかった幸福を全て満たしてもらいたい。だからこの場においても、五月の希望を叶えたくはあった。
しかし、愛情とは反比例して金銭は湯水の如く消えていってしまう。贅沢は貧乏人には危ういものだ。
俺は、貧乏性ゆえに少々節約に思考を巡らせた。自分の注文は安価なものとする。
長話する程の時間はなく、注文すれば五分も経たずに食事がテーブルに並んだ。
中華の定番、柔らかく光沢を見せる卵の上に、甘くも辛い餡かけが乗った炒飯。その頂上には赤い蟹の肉が。
五月はレンゲを手に取ったまま硬直している。いや、目を輝かせて震えていた。
「はぁぁぁ…あ…っ」
「…」
安い女だな、こいつ。バイトしたら飲食店巡回してそうだ。
贅沢と言ったが所詮は小さな中華屋の蟹。五月と同じく苦学生だった俺でも、その貧乏臭さに苦笑してしまう。
五月は食す前にスマホで写真を一枚、アングルや食器の配置を見極めて手早く撮った。忙しい子だな、おい。
「はむっ…んぅうう…!」
「…」
一口食べて悶えている。アホ毛を揺らして、顔がにやけている。周りの客が五月のその表情に当てられて、メニューを取り出し始める。
五月に付き合っていると俺のラーメンの麺が延びてしまう。はふはふっと一心不乱に食べる五月を見習って俺も食事に集中した。
お互いに注文した品は一品なので、そう時間を要さずに食べ終えてしまった。
あれだけ幸せそうに食べていた五月は談笑の前にスマホを取り出して、せっせと文字を打ち込んでいた。
「食い終わったら終わったで忙しい奴だな
あいつらからメールでも着たか」
「いえ、先程撮った写真をSNSに」
「SNSやってるのか、おまえ」
「はい、ネットで全国の美味しいお店や食べ物を探しているうちに
気づけば私も発信する側になっていました
…こんなもので良いでしょう、お食事に招いていただきながら不躾ですみません」
「…気になる」
「…え」
「それ、ここ最近始めたんじゃないだろ?」
「はい、と言っても上杉君と再会する前までは…二乃のご飯ばかり投稿していました
でも二乃の手調理はどれも美味しくて、フォロワーの方々にも大好評です」
向かいに座っていた五月は俺の隣に移り、プライベートが詰まったスマホを難なく俺に見せてきた。
「M・A・Y」か…何かうちの学校の生徒が口にしていた記憶が…流石に別人か。
貧乏一家の娘の冴えない趣味だ、精々身内ぐらいしか繋がりは……あ?
救世主レビュワー? フォロワー数…55万?
…俺が今まで見てきた生徒の中で桁が違う。何やってんだこいつ、そこまで人が見てるのなら本でもブログでもやれ。
その1万分の1でもいいからテストに分けろ。と、ひとまず凄まじい数値はスルーして画像に目を通していくと。
「あ"…ッ!?
ちょ、ちょっと返してください!」
「…あ?
おい、さっきの」
「………」
「…白状しろ」
「お、怒ってます…?」
見覚えるのある画像がスライドされては剛速球で通り過ぎた。つい先週俺も目にしたものだった。
横目で現行犯を睨むと五月は立ち上がって逃亡しかけたので、そのスマホを没収した。
さっきの画像は二乃の料理ではない、俺が自宅で作ったものだ。五月が俺の家を訪ねてきた日に。
「義兄のご飯…って
おい五月、ネットという大海に個人情報を公開する恐ろしさを教えてやろうか
毎年高校生相手にやってんだぜ、セミナー」
「け、結構ですっ 十年振りに再会した思い出のお兄ちゃんとしか書いてません
…ゆ、許して下さい」
「…」
「えっとですね…そんな悪いお話ではありませんよ?
ほ、ほらっ、最近は二乃のご飯シリーズより好評で
段々と女子受けを意識していることに、成長味を感じるとほっこり感が――」
「おまえ出禁、口コミのアカも消せ
このツイートも削除な」
「え!? ちょ、ま…ああああああっ!!?
本当に消したのですか? な、何てことするんですか!?」
「著作権を持つ俺の怒りに触れるからだ」
「そ、そんな…い、いつかちゃんと言うつもりだったんです
…う…ひぐ…ふぇ…
思い出のお兄さんに会えて、良かったねって…沢山の励ましのお言葉貰えたのに
辛い時見返してたんです…なのに全部消えちゃったなんて…あんまりです…」
「…冗談、消してねーよ
悪かったから泣いてくれるな、頼むから」
「ひぐ…ぐすっ…死ぬかと思いました…」
「おまえ…泣いたって勝手に投稿したことを怒っていないわけじゃねーからな」
「ず、ずびばぜんでした…ぐすっ…
上杉君が褒められてると思ったら、なかなかやめられず…」
「おまえは俺のお袋か、もはや俺の成長日記だろ…」
無許可でネタにした報復を受けて、大泣きした五月は黒いハンカチで涙を拭く。大いに反省しろ。
五月の言った通り、画像の投稿の返信には3桁分のコメントが届いている。妬みや冷やかしもあれば、温かい言葉を頂けていた。
大好きな兄とか恥ずかしいこと書かれているから、その文面には目を逸らしておく。女子受けを考えているという指摘が図星だったわけではない。
…後、やたら通知の量が凄い。さっきから立て続けに。今日の夕食の蟹チャーハンの投稿が原因だろう。流石は蟹。
ふと、一つの返信に目が止まった。その内容に苦笑し、半べそかく五月に画面を見せた。
「うちのお兄様独り占めしてないで、とっとと早く帰ってきなさい」
その文面に涙で顔を赤くしていた五月が、涙を引っ込めて視線を逸らした。やっぱりあいつ怒ってるんじゃん。電話でなくSNS上で攻めてきたぞ。
俺のことをからかって、お兄様やおじ様なんてふざけた呼び方をする五つ子は一人だけ。次女はご立腹されている。
しかし二乃の馬鹿が、M・A・Yと俺が相席していると暴露したせいで、ツイートに食いつく輩が出始めた。一方でいつものことだと差して気に留めない五月だった。
コメント欄が一層荒れていく。実姉VS義兄だとか、新たなシリーズだとか…もうおなか一杯で五月にスマホを返した。
こいつら…女子高生しているというか…これまで面倒見てきた生徒と同じく遊び慣れているというか…もはや何も言うまい。
五月の口コミサイトのレビュー投稿はともかく、SNSでの人気は覚えておいたほうが良いだろう。何が楽しいのかはサッパリだが。
教師と教え子、はたまた親と子は年代が違うこともあり、近しい仲であってもお互いの価値観や趣向を理解し切れないだろう。
無用な詮索は不和を招き、管理されている窮屈さから苛立ちを生む。仲の良さに気を抜いて一定のラインを越えてはならない。
その安全圏を刻んだラインを鼻歌混じりに飛び越えてきたド平日の夜の話だ。
「悪い、遅くなった」
「お、おかえりなさい、上杉君
お邪魔しています」
仕事を終えて帰ると独り身の家のはずが、テーブルに腰かけて勉学に励む恩師の娘が待っていた。
本日はお互い学校へ赴く平日。高校教師として働く昼間に、他校の教え子からメールが届いたのだ。
勉強を教えてくれないか、と五月から懇願され…残業で夜遅くなると返しても食い下がられ…今に至る。
真面目な女の子であるが、女子高生が夜に男の家を訪れることに何の不安要素を抱いていないことに呆れてしまう。
「勉強、教えるのは飯食ってからでいいか?
おまえは夕飯食べたのか?」
「い、いえ…まだ何も」
「…
まあ、適当に作るから食べていけよ」
「ありがとうございます」
「作ってやらねえと餓死しかねないしな」
「その前に帰らせていただきます」
「おまえ何しに来たんだよ」
来客に夕食を振舞うことに慣れつつある。特にこの食いしん坊の末っ子相手には。
教師としての一日を終えて、疲れて帰宅した後の厄介事にげんなりしてしまうのだが、妙に気持ちは高揚してしまう。
俺がスーツの上着を脱ぐと、五月はハンガーを手にして背後に回ってきた。
「あ、スーツ、ハンガーにかけますよ
背中向けてください」
「すまん」
「水筒、洗っちゃいますから鞄から出していいですか?」
「ああ」
「今日も暑かったですし、先にシャワー浴びますか?
タオルでしたらこちらに」
「…じゃあ、そうするわ」
「あ、あと勝手に洗濯物回収して、アイロンかけてしまいました」
「…五月、客人なんだから寛いでいていいんだぞ」
「いいえ、このくらいは
本来、上杉君が家事に費やす時間を私の勉学に割いて頂いているのですから」
「…」
「…あと…今日のお夕飯は何を作ってくれるんですか?」
「その一言でプラマイゼロになった」
「ふふ、失敗してしまいました」
再会してまだ3月余り。年齢差のある間合いでも、多少慣れてきた言葉の交わし方がある。
甲斐甲斐しくも甘えられていることがむず痒い。五月の厚意に甘えて先にシャワーを浴びる事にする。
入浴後は私服に着替えて、台所で夕食作りに取り掛かった。
ふと気になって、視線を向けると五月はテーブルにて教科書を広げていた。視線は全く別方向へ向けて。
「…」
「どうした、五月
まだできないぞ」
「す、すみませんっ!」
五月はこちらに向けていた目を慌てて下げた。
しかし、俯いた首の角度は再び上がり、またもや脇目を向けて観察されてしまう。
「…だから何だよ、勉強しに来たんじゃないのか」
「うぅ…すみません
つい気になってしまって」
「今は二学期期末の試験勉強中だろ
おまえ、わざわざ2時間かけて飯を集りにきたのか
ちゃんと作ってやるから心置きなく勉強してろ」
「く、食い意地で手を止めてたわけじゃありません!」
俺の指摘に遺憾を示して五月はノートをたたんでしまった。怒らせて勉強中止になってしまった。
女子高生の機嫌とはとかく分かりづらいもの。その上あの恩師の娘は恐らく…反抗期などほぼほぼ無かっただろう。
どこでどのような発言で怒らせてしまうか分からないもので、閉じたノートの乾いた音に、風太郎も手を止めて五月を見やる。
「…昔から、好きだったんです」
「…は?」
「変な意味ではありませんからね
お母さんや二乃が…その
台所に立って、私たちの為にご飯を作ってくれる姿が」
「あ、ああ…」
五月の発言に俺も心当たりがある。妹のらいはの夕飯を作る後姿は小さくも頼もしい、家庭を包み込む包容力のようなものを感じた。
母親を慕う五月なら尚更、あの人が家事に励む姿はこの上なく安心するものだったのだろうな。
「ご飯の匂いとか、音とか…
目はノートに向かってても私は一人じゃないって教えてくれるんです
…安心しませんか…?
しますよねっ 良い家庭の証って感じがして」
「言いたいことは分からなくもないが
観察されると手元が狂う、こっち見るな、しっしっ」
「そ、そんな邪険にしなくてもいいでしょうっ
…十年前のお兄ちゃんがご飯作ってくれるなんて…感慨深くもなります」
「…」
たかが一年面倒を看てやっただけなのに、五つ子は十年振りという単語を大切にしている。
十年前の、俺がいた一年が一番幸せで、母親は幸せそうに笑っていたと教えてくれた。
この手の話題になると言葉が詰まってしまう。俺は五月から目を逸らして夕食作りに専念した。
「…女子受けはしないこと上等で作ってみた」
「す、ステーキ…!
しかも2枚乗せ…!?
上杉君、いつの間にブルジョワになったのですか…!?」
「寄贈品でな、カタログから一人3品選ぶよう職場から強制されているんだ…とっとと廃れてほしい習わしだぜ
だが今年はタダで貰えてな、せっかくだしお高いステーキを選んでみた
おまえが喜ぶと思ってな、存分に感謝して食えよ、あっはっは!」
「無料になったことを機にお高い物を選んだんですか…だ、大丈夫なのでしょうか…職場での印象とか」
「いや…今年で最後になるからな…
そんなことはどうでもいい、冷める前に食べちまえ」
「…はっ フォークが簡単に刺さります…!
その上溢れた肉汁がソースに輝きを乗せてお皿に滴ってます…
はぁああ…っ
テレビでしか見たことなかった一品…極上の喜びです
…じゅるり」
「好評のようだな」
「女の子はお肉には抗えません…
で、では…いざ…いただきますっ」
特選やら和牛だとか、金のかかるステータスを秘めた肉をナイフで切り、五月は恐る恐る口に運んだ。
普段食べる市販の肉とは違うらしい。五月は食べるや否や目を見開いてアホ毛を揺らした。
「お、おいひぃ…んふふ…んっー!
テレビで何度も見てきた、肉厚で肉汁がこんなに凄いステーキを口にできる日が来るなんて…
お値段はともかく、二乃は作りたがらないんです…もう感無量です…」
「テストも近いからな、最近根を詰めてばかりだったし
これで英気を養ってくれ」
「う"っ…は、はいっ…」
天国に登っていく五月の顔が真っ青に急降下した。
テストとは学生にとって地獄でしかないらしい。俺には到底理解し難いものだ。ステーキ台無しである。
俺も食卓に着くが、仕事帰りで食欲は無く、自分の分の肉を半分に切って五月の皿に乗せておいた。
豪華な食事を堪能し、後片付けなどを済ませてから五月の勉強を見てやった。
俺の勤め先とは違う高校に通う五つ子たちは、こういった場面でないと勉強を見てやれない。
先生の教え子たちに…先生らしいことができない。
そんな口にはできない不満を…五月は満たしてくれていた。
正直…今の時間がとても楽しくて、五月の真剣な表情に見入ってしまう。
半ば家庭教師のような立場になって、五月が抱える難問を解いていく。有意義であるほど時間はあっという間で、もう22時を過ぎる頃。
「終電はまだ先だが、もう遅い
そろそろ帰りな、駅まで送っていくからよ」
「…」
「…」
時計の針を見て風太郎は立ち上がり、バイクの鍵や携帯などを手にする…が、しかし。
五月は教材をしまうことなく、こちらを見つめて唇を閉ざしたまま。
…またかよ。俺は溜め息と共に一度腰を下ろした。
察した俺に五月はしどろもどろになりながら、お決まりのお願いを始めた。
「その…結果を出すにはまだ足りていないんです
電車はまだありますが…もうこんな時間ですし」
「…」
「…泊まっても…いいですか?」
うちに泊まりたい。五月はそう懇願し頭を下げていく。
女子高生が社会人の男…しかも教職に就く男の家にそう安々と泊まってくれるな。色々と心配になってくるぞお兄さん。
「また姉4人には内緒で、か
今度はどんなホラを吹いて凌ぐつもりだ」
「前と同じく、らいはお姉ちゃんの家に泊まると言えば問題ありません
お姉ちゃんも話を合わせてくれますから
…ダメでしょうか?」
「…ったく、夜更けに追い出すのも気が引ける
俺も帰りが遅かったしな、せっかく来てもらって悪かった」
「う、上杉君のせいにするつもりは…」
「まあ、狙ってやってるあたり、すげえ腹立つけどな」
「な、何をおっしゃるんですかっ!?
狙ってなんて、言いがかりですよ上杉君!
それでは私が率先して上杉君のお家に泊まり込もうと――」
「ほー? たかが2、3時間の勉強にしては随分と手荷物が多いじゃねえか
中身見せてみろ、教材以外に何が入ってやがるんだ」
「なっ!? ちょ、ちょっと待ってください!
や、やっ 上杉君、やめてよぉ!」
「洗面用具に、化粧品の類に、明日の学校の教科書だろ…はい確定
着替えに………おい――」
「待って! わかりました! わかったから!
最初から泊まるつもりだったの! 遅くなれば上杉君断らないと思ってました!
だから鞄開けないでください! 見ないでくださいぃ!」
手を伸ばす五月を片手で抑えていたら半べそかかれてしまった。仕方なく漁った鞄を返しておく。
こういった流れが最近多い。以前は偶然の産物であったはずが、今では工作されてしまっている。嫌な甘え方である。
年上の男に虐められて泣いた女子高生は、泊まりが確定したことでシャワーを浴びに行った。存外逞しいヤツだ。
風呂上がりで、なぜか寝巻きは持ってこなかった五月は、いつものようにジャージを着ていた。妹が泊まる用に用意したものである。
もはやそのジャージ、妹の匂いよりも五月の匂いが付いてしまっている。俺の物とは別に洗濯するレベルまである。
お互い神妙な空気に言葉数が減ったが、俺と五月は勉強を再開した。五月が満足するまで。
「あ…ふぅ…」
「…そろそろ寝るか」
「もう少しできます」
「明日、朝早いだろ
これ以上夜更かしするのなら、駅までバイクで送ってやらねえぞ」
「は、はい…」
「布団敷いておくから、明日の準備しておけ」
「は、はーい…」
流石は末っ子。よく姉から世話を焼かれているだけあって、兄代わりの言葉に素直に従ってくれた。
0時を過ぎた頃には俺はベッドに、五月は来客用の布団に横になって就寝となった。
五月が泊まる事はまだ片手で数えられる程度だが、五月の寝顔なら数え切れないくらい見てきた。
耳を澄ませば、まだ五月が眠れていないことが分かるくらいにはな。
「五月」
「は、はい…何でしょう」
「おまえにも考えがあっての行為なんだろうが
…一人で男の家に泊まり込むのは監護者として勧められない」
「…」
「次に故意にやったのなら、おまえにはうちの合鍵を預けないし
この家で勉強を看ることも禁止する」
「…」
五月は中野零奈という…風太郎にとって人生を導いてくれた恩人の娘だ。間違っても傷つけはしない。
だが、相手はそんなもの知りえないはずだ。気持ちとはどう見繕っても一方通行だ。
楽観視して男に近寄った結果…望まぬ行為に至った。そんな教え子を何人か知っている。笑い話で語る顔の裏面には後悔の涙が滲んでいた。
俺が教師であっても、もう済んだ話とあっては…教え子の昔話を聞いたところで特別言いたいことなんてなかった。
だが、五月や四葉…三玖、二乃…一花。そして先生が…そのような失敗を犯してしまったとしたら…泣いていたら。
正直、どうにかなってしまいそうだ。だから忠告せざるをえなかった。
そんな男の身勝手な抑制に、五月は起き上がって…俺を見返した。
「…でも」
「…?」
「上杉君なら、間違っても…自ら私に不埒なことをするつもりはないでしょう?」
「馬鹿かおまえ、いつか男に泣かされるぞ
男女のもつれの相談なんて絶対に聞いてやらねえからな」
「ほ、ほらっ 今! 凄い冷めた目で見てくるじゃないですか!? 可能性皆無ですよね!?」
人の気も知らないで好き勝手言いやがる。再会してまだ半年も経っていないのに信頼度が高すぎる。
………五月に何か言いたくなって、ベッドから起き上がる。
目を逸らしたくなったが、やめた。
「…」
「…
う、上杉君?」
寝床の上で、五月と向かい合う。
暗い部屋の中、常夜灯の微かな明かりだけでも、ゆったりしたジャージの上から五月の体つきが見て取れる。
服一着、?ぎ取ってしまえば肌が露になる。抵抗しても男の暴力に為す術ない。
五月の赤い髪は…黒みがかっている。
俺が見つめることに、五月は落ち着きを失いその身を布団で隠した。その仕草に俺もようやく視線を逸らした。
「…おまえは…
特におまえは
「え?」
「母親に似すぎだ…」
「…」
「…馬鹿げてる
次はないからな、覚えておけ」
母親に憧れ、その道筋を辿ろうとする子に…明確に拒絶を突きつける。
あの鬼教師の堅苦しい雰囲気は欠片もないというのに…その容姿と口調、俺を見透かしたあの目が苦手だ。
背を向けて寝る俺に、五月はしばし黙ったまま…少しして彼女も寝床に寝転がった。
母親に似ていたら何だったのか。どうなってしまうのか。五月には知らないままでいてほしい。
ただ…五月には知られているだろう。
一度は別の男と結ばれ、抱かれ、子を授かった女を慕う男子高校生が…まともな恋愛観を抱いているものか。
俺にとって劣情とは、どす黒く女を縛り付けるものだった。
俺一人を見て、俺だけを求めさせる。そんな醜いもの、五つ子に知られたくない。
「…上杉君」
「…」
「…おやすみなさい」
「ああ…おやすみ」
内心葛藤する男に、五月は優しい声音で律儀な気持ちを言葉で示す。
相手の悩み、苦悩など分かりはしない。例えどんなに近くにいても。
だから、俺の言葉に五月がどれほど傷つき、怖がったのか…気づけなかった。
泣き喚く幼い子供のように誰かを求めて、その夜に五月は悪夢に魘された。