新学期。冬はとうに終わり、桜が舞う季節。
3年生は先月に卒業。2年生は受験に挑む最後の一年を過ごし、1年生は最も高校生時代を謳歌できる時代へ踏み出す。
その初日、新たな高校生活を思い思いに迎える生徒がまず第一に始めるのは…始業式。
恒例行事。もはや校長の長話を聞かされるだけの拷問の時間。体育館の冷たい床に座らされるか、延々と立たされるか…椅子がないと辛いのである。
「ふぁ…ねむ…
二乃、寄りかかって寝てていい?」
「嫌よ、私だって眠いんだから…
あーあ、なんかあっという間に1年終わっちゃったわ」
「一花も二乃も私語は慎んで…」
「皆、2年生になっても変わらないねー」
「あはは、お陰でこの1年
学校で私たちの名前を言い当てる方はいらっしゃらなかったですね」
五つ子たちは揃って高校2年に進級した。
進級すら危うい成績だったが風太郎の家庭教師紛いな努力の甲斐あって、無事に難なく新学期を迎えることができた。
当社比で難関とされていた試験をクリアできたことに、マイペースに始業式を過ごす五人だった。
「二乃は彼氏作るの?」
「いきなり何よ…まあ、林間学校までにはいたらいいわね
キャンプファイヤーって曰く付きらしいし、ママも信憑性あるって言ってたもの、狙うっきゃないわね」
「キャンプファイヤー…?
というか恋人なら一花、告白されてるんだから今年はありそう 一番モテるし」
「知ってたんだ…んー 他にやりたいことあるからねー
四葉はどう? やっぱ部活優先? カッコいい先輩とかいないの?」
「わ、私に振ってこないでよ…
い、五月は? 中学じゃ全くそんな素振りなかったけど、高校は違うかな?」
「…こんな公衆の面前で何の話をしてるんですか…
ちゃんと校長先生のお話を聞いてください」
「相変わらず真面目ちゃんだね、五月ちゃんは」
五つ子として校内で有名な五人に、何かと生徒からの注目が集まる。
壇上に上がっている校長もとうに気づいているだろう。
遠目でもしっかりと見つめ、学校の長は続ける。
「…ここにいる3年生の皆さんは既にご存知でしょうが
当校に長く勤められていた先生が一人、去年に亡くなってしまいました」
校長が話すトーンが変わり、故人に触れた言葉に体育館はしんと静まった。
五つ子もまた同じく。この高校の教師として勤めていた母親の話題となっては、その一言一句聞き逃さないよう目を向けた。
「…彼女はとても利発で、多くの生徒から慕われる掛けがえのない人でした
私はあれほどに、長年に渡り生徒から愛され慕われた先生を見たことがなかった
俗な言い方をすれば、ファンクラブさえできていたくらいで…彼女を見守ろうとしてくれた生徒もいらっしゃった
…真面目で、生徒思いに溢れた優しい先生でした
2年生、1年生の皆さん
私たちは大きな失敗を犯してしまいました
去年だけに留まらず、数年に渡り抱えていた問題でした
教師一人、守り切れず、そんな私たちが貴方たち生徒を教え導く
もし彼女なら、その気高いプライドが許さなかったでしょう
より生徒の為に、生徒一人一人の為に在れる教師になろうと努力を怠らない
私たちが知る先生は、そんな人でした
…守れなかったことへ
先生を慕う方々、そしてそのご家族の方々へ
心より、お詫びしたい」
校長が触れる教師の話に、五つ子とは違う方向から嗚咽を零す声が漏れた。
それは3年生のほうから。あるいは同僚となる教師のほうから。
その娘にあたる五つ子を、時折同級生の彼らは見やっては口を閉ざす。
校長の話は…腫れ物に触れたことで、五つ子に向ける憐憫の感情を再燃させるものだった。
新たな門出の日に、亡き母に触れてくれて嬉しいような、そうでもないような。
五つ子は…特に一花と二乃はその思いを強く抱いた。
「私たち教師一同は皆さんを学びの道へ赴くその将来を支える
私たちは貴方たち一人一人見ています
…皆さんもまた、私たちを見定めている
悩み困った時には頼ってくれるよう、我々は精一杯努めて参ります
皆さんが望むより良い高校生生活、その青春が送れますように
…これにて、私からのお話は終わりとします」
失敗を。人の死をなかったことにはしない。
保守的なやり口であれど、校長先生からは…事態の改善に努める意気込みを生徒に伝えた。
それはむしろ、恩師が残した娘に対するメッセージか。
直接は伝えられなかったことで、他人事として聞き入れてしまった娘たちは苦笑いするだけで。
気まずく見咎められているような空気から、居心地悪そうにしていた。
…話を終えたはずの校長先生はまだ壇上に立ったままだった。
「これより、今月より新しく着任された先生方を紹介します」
司会の進行が再開し、ほんの少し空気が変わった。
人が亡くなった職場によく人が来たものだと、後に社会人となる学生にとって貧乏くじのそれだと思うだろうか。
何にせよ、壇上から程遠い位置にある五つ子にとっては大して興味が向かないものだった。
一人一人、教師が壇上に上がっていく。
女性教師が一人。若くて美人なこともあり、壇上前の3年生の男子からは歓声が上がった。
続いて男性教師。爽やかな雰囲気を醸し出す好青年といった印象。今度は女生徒から声が上がり始める。
さらに男性教師が一人。オールバックに上げた髪がどことなく強面な風貌を晒している。しかしそわそわと落ち着かない印象があった
4人目はジャージを着た女性教師。体育を担当するのだろう。高身長ですらっとした体型はモデルか選手のそれか。当然男子生徒に好印象だった。
そして最後に。
「…ん?」
「…何、四葉
前に寄られると狭いよ」
「ま、ま…待って、遠目で分かりづらいけど…あれって」
「どうしたんですか四葉、そんなに慌てて」
一人の男性教師が上がる。やや冷めた印象から畏怖のイメージが強く、誰一人声を上げることなく壇上に上がる様を見届けていた。
計5人の先生が新しく着任した。
壇上に上がり切ったことで、五つ子からもその新しく…母親の代わりとなってやってきた教師たちを一望できた。
その視線は一人の教師に向けられる。
「…ずるいなぁ、ほんとに」
「そういうこと…そりゃあ、忙しくなるわけよね」
「…っ…2年生から、一緒なんだね」
「…ッ!
――上杉さぁーーーんっ!!!」
司会の言葉を遮って、四葉が大声で呼んだ。
五つ子は一同の注目を浴びて、その呼び名が新任の教師に向けたものだと知って…視線が移る。
「呼ばれてるよ、風太郎」
「あの子達が中野先生の娘さん達だね
随分と慕われているようじゃないか…ね?」
「ほんと顔そっくりだな…名前覚えられる気しねえわ俺…」
「関係ないよ、私たちは一人の教員として勤めるだけ
例え中野先生の娘が相手でも」
「平等ねー なんか先生に見定められてるみたいで落ち着かないな
じゃ、新任組の代表は風太郎で決定ってことで」
四葉の声から教師達からも所々声が上がる。校長もまた苦笑いをして。
そのマイクが指名された教師へ手渡される。
渋々と、そして保護者として迷惑をかけた子に代わって頭を下げて、彼は生徒たちの前へ立つ。
一人の教師として。多くの生徒の前で堂々と毅然とした姿を一目見て、五月は天を仰いだ。
「お母さん
やっぱり…私は」
憧れてるんです。
真っ直ぐに、優しく、誠実に在ってくれる。
あの人のように求められる人間に。
見ていますか。天を仰いで問う。
五月は涙を隠して笑う。教え子の姿を、空から母が見てくれていることを祈って。
どうか優しい世界で、貴方の願いが叶うことを願っています。
憧れた恩師と似た姿。
上杉風太郎もまた困ったように笑って、娘の思い出話に耳を澄ませていた。
「十年…と一年ですね、そんな昔
お母さんは上杉君の先生で、同じ学校で再会したのですね
…ねえ、お母さん
今はね、私たちの先生が上杉君なんだよ
お母さんが先生として頑張り続けたから、こうして出逢えたんだよ」
8月14日。夏の日差しは墓石を照らし、枯れた空気が肌に纏わりつく。
中野家之墓。墓石に刻まれた名が、これまでに語った物語が全て…どこか空しく感じさせてしまう。
墓石に備えた花を撫でて、恩師の愛娘は母への報告を終えた。
少しして、五月は手を合わせた。
…隣に立つ風太郎もまた、少女の祈りに合わせて黙祷を捧げる。
色とりどりの花の香りと焼香が時間の経過を教えてくれた。随分と長話になってしまったな。
蝉の鳴き声は続く。命ある限り懸命に生きる、そう定められ、その使命に従って。
生きとし生ける者。故人を慮っても過去には囚われず、前を向いて歩くのが健全。
されど…こうして年に一度くらい、亡き人へ思いを馳せていたい。
「また来月…来ますね お母さん」
「…」
「その時はね、私の相談に乗ってくださいね
上杉先生に相談する前にね、お母さんに聞きたいの」
「俺は二の次か」
「ふふ、これは譲れません
上杉君も先輩を立てないと」
「俺が奉るまでもなく、あの人の偉業が残り続けて手を焼いてるくらいだ
どうせ俺たちの後に、教え子共が墓参りに来るぜ」
「人気者ですね」
長いこと夏の日差しを浴びていた。故人の前で汗をかくのも風情がない。
五月は黒いハンカチで額の汗を拭った。
母親が見たら尋ねずにいられないだろう。五月にしては珍しい色合いだと。
また語る思い出が増えてしまいそうで、報告を終えたら去るに限る。
五月は後腐れなく立ち上がり、最後に笑いかけて踵を返した。
「…そういうものか」
今ようやく風太郎は気づいた。
勇也もよく妻に向けていた。あの写真へ向けて、ふっと笑うんだ…最後に。
その意味はどこか自虐的なものかと思われていた。
しかし、それは少し違った。
もし見ているのなら、心配しなくていい。そんな思いから見せる故人への手向け。
自然と作ってしまうものだ。愛しているからこそ、些細なことでも欠かさずに、苦に感じずに見せられる。
「…先生、俺はそう上手くは笑えそうにない」
そんな器用な真似、風太郎にはできない。
今でも恩師の写真を見れば、ずっと見続けてしまう。
その気持ちが恋だとか、愛情だとか…そうは思いたくない。それが彼の本心。
それに、故人にばかり意識が向いていると、五つ子たちが袖を引っ張っては連れ出してしまうから。
「だが…あいつらからはなぜか
俺が笑うと、ほっとするって言ってくれたんだ
だから…いずれは少しくらいマシになると思うんだ」
28になって十も年下に言いくるめられている。
笑ってしまうよな。風太郎はふっと笑った。
「また来るぜ、先生
いつまで続くかは分からないし
いつそっちで会えるのかも分からねえが
…
また、会いに来ます、先生」
風太郎は立ち上がる。言葉だけではいつまでも物足りないから。
手向けの花がいつまでも色鮮やかに、美しくありますように。
せめてあの人が見飽きるまでは。
風太郎は背を向けて墓石から去っていく。
「上杉君」
その声がいずこからか。誰からなのか。
振り向きはしなかった。
…愛する気持ちをいつまでも抱えるのは苦しい。
飾れる程高名なものでもなく、ただただ生々しい。
告白ぐらいすれば良かった。また一つ後悔を胸に、風太郎は階段を下りていく。
「上杉君」
「何だよ、何度も呼びやがって」
「え? 一回しか呼んでませんが」
「…で、どうしたんだ」
「え、えっと…
そういえば…
そーいえば…っ」
五月は呼び出したくせに脂汗を流して言葉を濁す。
いらん気を遣いやがって。風太郎が教え子を睨めば、五月は慌てて二の句を繋げる。
「そういえば! ここから少し歩いたところに喫茶店ができたんです!
良ければ一緒に行きませんか、私が奢りますし!」
そういえば、とは間を保つ為に連呼するものではなく。五月は必死だった。
ほんと、困った子だった。
「…奢りはいいから、行こうぜ
あいつらも呼ぶか」
「そ、それでしたら…喫茶店よりもファミレスとか…」
「…もう腹減ったのか、おまえ
まだ夕飯には早いぞ」
「ど、ドリンクバーがあるじゃないですか」
「流石に大勢でそれは庶民くせぇ
…お盆ぐらい家でゆっくりしようぜ」
盆は先祖の霊が帰ってくると云われている。
今日くらい家にいてやらないと、先生が寂しがるだろう。
確証のないことでも風太郎には欠かしたくない思いやりだった。
予定が決まったことで歩き出す。
食べ物の話となって五月は声を弾ませて隣に並ぶ。
こうした語るには事足りない日常が続いていく。
それでもあの母親は娘が心配で、こんな小さな物語でも聞いてくれるのなら。
彼らは一日を懸命に生きていく。
大切な人を思って、幸せを掴み、その思い出を語るまで繰り返していくのだ。
これにて、番外編 五等分の教え子は終わりとなります。
幸薄い世界観でしたが、風太郎や五つ子を見守って下さった温かいコメントを
頂けて励みにさせていただきました。
ありがとうございました。