五等分の園児   作:まんまる小生

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一年早いあの場所で 前編

 これは俺が五つ子の通う高校に転勤する前のこと。日が早々に落ちる11月の頃。

 

 徐々に秋の乾いた風が雪雲を運んでくる、そんな季節。

 

 毎年この時期は寒くて出勤が億劫になる。季節の移ろいに愚痴り、もう一年経ったのかと焦燥感を抱いていたものだ。

 

 今年はやや違った。例年にはなかった日常、金曜日の夜は出向かわなければならない恒例行事がある。

 

 十年ぶりに再会した五つ子の下で、夕食を共にする約束。今日もまた、中野家にて賑やかな一時を過ごしている。

 

 

 

「そういえば、おまえら来週は遠足だったか」

 

「…何で他校の先公のあんたがうちのスケジュール把握してるのかしら

 知らないうちに探り入れてない? 怖いんだけど」

 

「なぜそこまで警戒される…」

 

 

 

 賑やかだが…十も歳が離れた姦しい女子高生が棘を伸ばしてきて痛い。

 

 並んでソファに座る五つ子の五人が一斉にこちらを見やる。視線の意味もまた五人それぞれでこちらが警戒してしまう。

 

 一人用の小さなソファに座って、その面倒くさそうな目に…主に訝しんでこちらを見る次女に向けて丁寧に説明しよう。

 

 

 

「おまえらの監護者として、学校行事ぐらい把握している

 つーか二泊三日だろ、事前に俺に一報いれてくれ

 それとも俺に知られると何か支障が出るのか? 二乃」

 

「べつにー めっちゃ気が重たくなるだけで問題はないわ」

 

「…気が重たくなるのか?」

 

「ふん 予想はつくのよ

 お小遣いは3000円まで、とか

 消灯時間厳守とか、勉強は疎かにするなとか、お土産はいらないとか

 まだ始まってすらないのに堅苦しいこと言われるのが目に見えてましたー」

 

「いや、楽しんでくれれば何でもいいが…ルールは守っておけよ?

 …ちなみに、小遣いはいくらが希望なんだ」

 

「一人につき諭吉で計5万でどう? お兄さま」

 

「はっはっは! これだから世間知らずのお嬢様は困ったものだなー!」

 

 

 

 ほらー! と二乃は長い髪を揺らしてそっぽを向いてしまった。数ヶ月前は貧乏学生だった癖になんと我儘になったことか。

 

 諭吉とかふざけんな、観光じゃねえんだから買う物ねーだろ。まず第一に1万円なんて許せば五月の菓子代で潰える未来が確定する。

 

 一万くらい悠々と飛ぶわ、と二乃は懲りずにリビングのテーブルに紙を置き、参考資料となる散財プランを書き始めた。諦めが悪い。

 

 1万円ゲットを目指して他の姉妹も紙に書き始めて金をふんだくりにきた。テーブルを囲む五つ子を尻目に風太郎はソファに座り直す。

 

 

 

「…それで遠足は確定でいいんだな? 一花」

 

「うん 来週スキーだってさ

 なんか2年の林間学校と同じところに行くらしいね」

 

「聞いてくださいよ上杉さん! 私動物園楽しみにしてたんですよ!

 本来ならウサギさんに触れたんですよー!? 楽しみだったのに酷いですよねー!」

 

「四葉、文句を言っても仕方ないでしょう

 行先が変わっただけで、中止にならないだけ良かったじゃありませんか」

 

「私は中止のほうが良かった…

 スキーは中学校以来…滑れるか怪しい…というか滑れなかった…」

 

 

 

 雑談の隙におねだりの紙は取り上げておき、五つ子たちはリビングのテーブルを囲って談笑していた。

 

 もうじき始まる学校行事を話題にすると二乃がしかめっ面をし始めた。どうも機嫌悪いな、今日の二乃は。

 

 五つ子たちが心待ちにしているのは高校生の一大イベントの一つなわけだ。

 

 3年は修学旅行、2年は林間学校。そして1年生には学生同士の交友を深める遠足。

 

 しかし何かトラブルがあったのか、今年の遠足の行き先は来年の行事と被ってスキー場となった。

 

 1年生の五つ子らにとっては楽しみが半減なようで、五人揃って愚痴を漏らしていた。

 

 リビングに吊るされたカレンダーには当日の3日間を赤く塗り潰してあった。見れば丸わかりなのである。

 

 そして、明日からの土日は" 準備!! "と、でかでかと激しく主張している。教えない割に隠す気なかったよな、二乃。何なら諸々の費用を俺が払うまである。

 

 

 

「スキーなんて滑る機会そうそうないからな、楽しんでこいよ」

 

「お、案外フータロー君ってスキーに興味ある?

 というか、うちのOBだもんね…滑ったことあるか

 せっかくだし、今度一緒に滑ってあげよっか

 連れてってあげる、冬に行こうよ」

 

「連れていくって…まさか、おまえ持ちで?」

 

「うん その頃には旅費ぐらい稼げてるはずだしさ

 あ…でも、お金のこと気にしてくれるなら二人っきりのほうが節約できて嬉しいなー」

 

「…」

 

「ホテルも一部屋分で我慢してくれると、負担がだいぶ減るよねー

 窮屈になっちゃう代わりに、お姉さんがサービスするから…どう? ゆっくりしようよ、フータロー君」

 

「な、何言っているんですか一花!?

 男女が二人で旅行なんて…ふ、不純です!」

 

「上杉さん、一花だけ優遇するのは良くないと思いまーす!

 四葉も滑りたいです! 雪ウサギもプレゼントしますよ! 私得意なんです!」

 

「…どうしても行きたいのなら連れて行ってやる、五人揃ってな」

 

「あはは、もしや照れたかな?」

 

「…」

 

 

 

 団欒に異性を匂わせて喧騒に発展させやがった。元凶の一花がソファから降りて足に寄ってきやがる。

 

 お子様だと一蹴して小馬鹿にしてやりたいものだが…一花は未成年の分際で艶があるというか、演技力が優れている。

 

 女優に引き込まれた逸材であって、俺が贔屓目で見ているわけではなく…こうして度々困らせてくる。

 

 実に困った娘を生んだものだ、あの鬼教師は。何であの堅物の母親の元でこう育ってしまったのか…

 

 

 

「ふーん、一緒に遊ぶだけなのになー

 フータロー君ったら見かけによらず初心だなぁ」

 

「うぜぇ…」

 

「降参しちゃえ、うりうり」

 

「安心しなさい、上杉

 冬の一花はそもそも布団から出てこないもの

 その約束自体、反故になるわ」

 

「うん

 裸で寝て風邪ひくのがお決まりのパターン

 だから一花は諦めて、あとフータローにくっつきすぎ」

 

「冬の私には人権ないって言われてる気がするわ…

 あんな酷いこと言うんだよ? 傷心した私を慰めてよフータロー君

 あ、慰安旅行として行くのもいっか うん、二人で行こう」

 

「こいつ懲りてねぇ…」

 

「あんた上杉から離れなさい、目に毒だわ」

 

「二乃が嫉妬してるだけでしょーそれ」

 

 

 

 生意気が過ぎる一花に脇を小突かれる。妹から抗議が飛んできてるのに効きやしない。

 

 大人の面子を潰しにかかる長女のお誘いは断るに限る。仮にOK出したら焦るくせに。

 

 フータロー君も遠足の話題に加わって、と一花に背を押されてしまい、一人用のソファに座っていた俺は一花の隣に招かれた。

 

 ソファは二つ並んでいる。二人用と三人用。五月と四葉で一つ。一花と二乃、三玖で一つ使っている。

 

 3人が座るスペースに大の大人である俺が加われば嫌でも窮屈な思いをする。なのに一花は構わず手を引いてきやがった

 

 一花に誘導された三人用のソファに腰かける。三玖と一花に挟まれる形になり、滑り落ちかけた二乃が心底嫌そうな顔をしている。

 

 

 

「…ッ」

 

「…三玖、狭くないか?」

 

「…ッ…ぅ…」

 

「私も気にかけてほしいんですけどー

 ちょっと三玖、あんたお尻でかいんだから、床に座りなさい」

 

「お、大きくないし! 皆と一緒でしょ!

 変なこと言わないで」

 

 

 

 先までクールに落ち着き払っていた三玖の態度が一変。俯いていき固まってしまっている。

 

 隣に俺が座ったことに三玖がたじろいでいる。長い前髪に隠れた瞳がこちらを凝視して揺れていた。

 

 うーむ…緊張しているのが丸分かりだ。詰められては押され…肩同士が触れる距離感に三玖は俯いた。

 

 目を合わせようとせず、姿勢も俺から遠ざかるように斜めっている。なので限界ギリギリまで隣の二乃に張り付こうとしている。

 

 俺…嫌われてない? 彼女の事情を知らなければ俺は複雑な表情をしていただろう。

 

 間接的に仕立て上げた犯人を睨む。一花は俺たちの文句を聞き入れず、さらに迫ってきた。

 

 

 

「私、皆から遠くなっちゃったから、もっと寄って寄って、お姉ちゃん蚊帳の外だぞー」

 

「お、おい一花押すな」

 

「…一花」

 

「ん? どうしたの三玖? そんなに間開いてるならフータロー君もっと詰めてよ」

 

「おい…この状況をよく見ろ 二乃を犠牲に開けたスペースだぞ」

 

「一花、気を遣わなくていい…」

 

「私には気を遣ってほしいわね!?

 半ケツなのよこっちは!」

 

「二乃はもう諦めてカーペットに座ったほうが良いと思います」

 

「というか二乃こっち来たら? こっちは二人だから全然座れるよ」

 

「何で私が退かなきゃいけないのよ…! 割り込んできたのは上杉だしッ

 一花、いい加減やめなさいよ!」

 

「妙な姉のプライド発揮してる…」

 

 

 

 二乃に寄りかかる三玖が肘で押し返され、散々嫌がられても態度は変わらなかった。というか動けずにいた。

 

 貧乏くじを引いた二乃が限界を訴えている。その様を見た一花は頬に指を添えて、白々しく声を上げた。

 

 

 

「んー? そこまで言うのなら…ごめんフータロー君

 端っこになっちゃうけど、私と場所代わってくれる?」

 

「あ、ああ…つーか俺、あっちに座る――」

 

「っ

 ま、待って…!」

 

 

 

 過度な接触など三玖も断りたいだろう。十も離れた異性に寄られて良い気しないはず、女子高生は。

 

 三女と次女の訴えに観念して、長女が場所移動を提案すると…反対側から袖を引っ張られた。

 

 強引に引っ張られるがまま、三玖の隣に深々と座り込む。

 

 俯いて見えなかった本人の顔は赤かった。ついでに奥に見える二乃は恨めしそうに睨んでいた。

 

 

 

「ふ、フータローにも大事な話だから…真ん中のここが適してる

 フータローもいい…?」

 

「…構わないが」

 

「そっかそっか…確かにね

 それじゃあ…

 ほら、詰めて詰めて♪」

 

「は? おい、もう押す必要ないだろっ」

 

「んぐっ…!?

 ち、近い…っ フータローが…ッ

 ~っ!」

 

 

 

 一花に押され三玖に寄りかかってしまう。姿勢が悪かった三玖は押し返すこともできず、彼女の顔が俺の胸元に埋もれてしまった

 

 三玖が息を止めて狼狽している。呼吸が苦しくなって息を吸えば…顔の赤みが急激に増していく。三玖とはもう足も上半身もくっついてしまう程密着している。

 

 一方で、先程も言ったがソファには四人も座っている。一人が揺れれば連なって揺らされてしまう者がいる。

 

 

 

「…ちょっと上杉、私さ…汗かいてる子にベタベタとくっつかれたくないんだけど

 私もうシャワー浴びてるんだけど?」

 

「俺のせいにするな、俺の後ろを見ろ、後ろを」

 

「意識しまくって汗かいてるのはあんたが原因でしょうがっ

 三玖、暑苦しいから離れなさい、もう限界だわ

 というかもう退いたほうがいいわよ、あんたが抜けなさい」

 

「に、二乃っ 今はちょっと…ッ」

 

「はーなーれーろーっ!」

 

「はい、詰めて詰めてー」

 

 

 

 二乃がキレて三玖を押し返しやがった。お陰で両側から圧縮をかけられている…拷問かこれは。三玖が気絶するぞ。

 

 どこを触ればいいのか、触れては離して、押されては触ってしまい。それを繰り返しあわあわする三玖が不憫に思える。

 

 俺が退いたらこのゲームは終いだが…なんだかんだ慌てふためく五つ子を見るのが好きなのかもしれない。昔の名残なんだろうな。

 

 

 

「フータロー…そこ触っちゃ駄目…

 あ、ご、ごめん! 変なとこ触っちゃ――

 ~ッ!!」

 

「…何をしているのですか…貴方たちは

 一向に話が始まりません! 一花も悪ふざけはよしてください」

 

「み、三玖顔真っ赤だよ

 こっちに避難したら? 怪我しちゃうよ」

 

 

 

 長女は楽しげに、次女は鬱陶しそうに、困り果てる三女を弄んでいた。三玖は目を回しながら俺の腕にしがみついて耐えるしかなかった。

 

 揺らされ、押し付けられ、両端の魔の手から逃れようとソファの背もたれへ避難を試みる。

 

 しかし腕に抱えた三玖の髪が口元にかかり、足も絡み合ってしまっている。次第に汗が垂れて湿度も上がっていく。

 

 過去、これほど三玖と近づいたことがあっただろうか。三玖もまた赤面の度合いの記録を塗り替えようとしている。流石にもう限界か。

 

 戯れたいのは十分わかったし距離を縮めようとする気遣いは嬉しい。だがこれ以上は毒だ。

 

 

 

「おしまい」

 

「あいたっー!!」

 

 

 

 度が過ぎる一花にデコピンすると騒動は治まった。遠足の話をしてもらわないと俺の帰宅が遅くなる。大げさに仰け反る一花はようやく離れた。

 

 腕の中で茹ったように朦朧としている三玖を解放すると、初心な女子高生はソファから崩れ落ちて、額の汗がカーペットに散っていった。

 

 前髪がおでこに張り付いている。余程緊張していたのかが見て窺える。

 

 

 

「ま、まだ…まだドキドキいってる…胸の中がうるさい…

 熱い…もう懲り懲り…心臓がもたない…っ」

 

「…とか何とか言って、腕とか太ももとか胸とか…ちゃっかりしっかりお触りしてたわね、あんた」

 

「うるさい、誰のせい…?」

 

「本気で嫌ならソファから出ればいいのに、そうしなかったのは何でかしらねー」

 

「…」

 

「ほーら、むっつりスケベ 今度はお姫様抱っこでもお願いするのかしら」

 

「うるさい…それこそ二乃の願望」

 

「は?」

 

 

 

 三玖の定位置が床だと何となく忍びなく、俺は再び一人用のソファに座るとして。お互いに的確な距離を保って仕切りなおしとなる。

 

 一部バチバチと視線がぶつかり合っているが…さっきよりはマシだ。

 

 妹で遊ぶのは飽きたのか、二乃は睨み返す三玖に鼻を鳴らして、やっと得た解放感に天を仰いだ。

 

 

 

「はあ…どうせならランドか沖縄が良かったわ

 来年も同じことするなんて面白みに欠けるっていうか」

 

「今年は場所を確保できなかったそうです、残念です

 ランドなら私も大歓迎でした」

 

「どうせあんたはアトラクションより食べたかっただけでしょ」

 

「一番の楽しみじゃないですか

 うぅ…ランドの食べ物はどれも美味しいから入学当初から期待してたんです…めったに行けないのに…残念です

 スキーなんて、何を食べればいいと言うんですかっ 雪なんて食べられません!」

 

「そういえば五月ちゃん…

 中学のスキー林間、二乃が雪で作った肉まんにかじりついてたっけ…」

 

「雪まん…あったね、そんな事件

 二乃に貰ってキラキラした目で食べた瞬間のあの顔、今でも覚えてる」

 

「何でわかんなかったんだろうね」

 

「あぁああっ!? 思い出しました! あれショックだったんですよ、二乃!」

 

「あ、あれはもう謝ったでしょ…

 もう話題にしないでおくわ、素直に諦めて来週はスキーしましょ」

 

「五月、食べるだけが楽しみじゃないよっ

 スキーでいっぱい滑ろうよ」

 

「余計にお腹が減るじゃないですか…」

 

「た、確かにそうだけど…え、ずっと動かないでいるつもり?」

 

「…もうおまえ行かなくてもよくね」

 

「それは身も蓋もない」

 

「わ、私だけ残らせる気ですか! いいじゃないですか、美味しいもの食べたって!」

 

「フータロー君、五月ちゃんのはお小遣い多めにお願い…」

 

「だからって一万?」

 

「そこはもう大盤振る舞いでお願いしたいわー」

 

「ちっ ここぞとばかりに甘えやがって」

 

 

 

 五つ子にとって来週の遠出は楽しみ半分期待外れだったらしい。旅行などプライベートで行く機会が少なかった子供にとって期待度は高かったようだ。

 

 …いつか、俺が連れて行ってやるべきか。夏休みはそれどころじゃなかったしな。

 

 子供たちの愚痴を耳に残しておいて、未練を断ち切った五人の遠足の話は進んでいく。

 

 しおりを広げて五つ子から華やかな雰囲気が広がる。当日持って行くもの、スケジュールから係の担当など。笑ったり渋い顔をしたり、見ていて飽きない光景だった。

 

 五人の騒動を隅に置いて思考する。遠足が急遽予定変更になった理由は想像がつく。

 

 

 

「…何よ、ジロジロと見て」

 

「いいや、他意はない」

 

「…

 …はぁ…」

 

 

 

 二乃が不機嫌だった理由。この遠足の予定が急遽変更になった理由を、彼女は薄々察しているんだろうな。

 

 俺も口にはしない。恐らくだが…五つ子の母親が亡くなったことが関係しているのだろう。

 

 教師が過労で倒れる、亡くなったことで教職員の労働環境を見直していると聞いた。多忙になった影響を受けての変更なのかもしれない。

 

 二乃だけでなく他の四人も察している。それでも明るく努めようとする気丈さに胸を撫で下ろす。

 

 

 

「お土産期待しててね、フータロー」

 

「いや、いい 自分たちの分だけ買ってこいよ

 俺もその日は行事があって家を空ける」

 

「…え? いないの? マジ? 聞いてないんだけど?」

 

「行事? 上杉君の学校もですか?」

 

「ああ、合宿がある」

 

「合宿? 合宿って部活とかの合宿ですか?」

 

「…でも、上杉さんは部活の顧問じゃないはずじゃ…」

 

「いや、学年行事」

 

「? それって何の合宿なんですか? 運動部の合宿とは違うのでしょうか?」

 

「勉強」

 

「…べ、勉強? あ、3年生の受験とか…?」

 

「いや2年 毎年行ってる恒例行事」

 

「…上杉さんの学校に行かなくてほっとしてます」

 

「私立は勉強の為だけに旅行ですかー お金持ちですなー 私は絶対無理」

 

「寮があってな、使わないと何の為に高い金払って建てたのかって話

 生徒には勉強以外何もできん環境で、夜の20時までの授業が待っている」

 

「こっわ!? 私たちには牢屋でしかないわ…監獄よ監獄」

 

「よく言われる

 だが意欲的な奴はいてな、日付変わるまで勉強見てやることもある」

 

「…夜までずっとフータローに勉強見てもらえるのは…良いかも」

 

「ほ、本気で言ってるの?」

 

「頑張るなー 三玖は」

 

 

 

 勉学に意欲的なのは嬉しいぞ、三玖。不真面目な一花と二乃が信じられないといった顔をしているが、三玖はやる気があるようだ。

 

 偶然の一致か、五つ子たちの遠足の日は俺にも予定がある。教師として避けられない学校行事の日である。

 

 学校が保有している寮で二泊三日の合宿だ。勉強だけでは息が詰まるので昼間はスキー、夜は勉強といったスケジュールになっている。

 

 ………スキー?

 

 そ、そういえばこいつら、林間学校と同じところとか言ってたな。

 

 俺も高校時代に行ったあの場所だとしたら…あの場所は見飽きているくらいで…

 

 

 

「…どうしたの、フータロー?」

 

「いや…何でもない」

 

 

 

 隣から顔色を窺う三玖から身体を逸らす。深く考えないでおこう。

 

 まさか同じ場所とかそんな馬鹿な話はないだろう…学校が違うんだからな。

 

 

 

「フータロー君とは少しの間お別れだね

 みんな寂しいんじゃない? 恋しくなっちゃう?」

 

「まさか、たかが三日ですよ

 そんな幼稚な性格をしている人はここにはいませんよ」

 

「ふん、あんたは清々してんじゃないの、子守から解放されて」

 

「ああ、だいぶ」

 

「えぇえええ!? 言い切られてるよ!?

 う、上杉さん、そんなご無体な!」

 

「私たちには隠すなと言っておきながら、自分は予定言わなかったくせに…

 あっちで寝込んだ時は呼び出してやろうかしら」

 

「いいぜ、先に帰るはめになった時はその分みっちり勉強を教えてやる

 マンツーマンで個人指導だ 楽しみだなぁ二乃」

 

「うえ、監獄は死んでもお断り

 上杉と二人きりなんて寒気がするわ」

 

 

 

 二乃は相変わらず小憎たらしく噛み付いてくる。嫌われてるのなら考え物なんだが…二乃の態度はあれから大して変化はない。

 

 その罵倒はコミュニケーションの一環なのか? 段々と慣れてきたがエスカレートされても困るし難儀なことになってきた。

 

 俺一人なら悠長に構えてられるが…一見して分かる、三玖と五月の顔が険しい。俺の諦めに反してこの二人は反抗的になりつつある、俺ではなく次女に対して。

 

 

 

「二乃、そんな子供のような真似しないでくださいね」

 

「何よ、真面目に捉えないでくれる? 冗談、迷惑はかけないわよ」

 

「…とか言って五月ちゃん、小学校の修学旅行でお母さんにこっそり電話してたよね」

 

「きゅ、急に何ですか」

 

「白々しいわー 夜中に布団の中で電話してたでしょ、ママに」

 

「二日連続だったよね、五月

 五人揃ってても上の空でさ、お母さん恋しくなっちゃった?」

 

「な、なぜそれを!? みんな寝てたはずですよね!」

 

「五人で一台の携帯を共有、履歴でバレる」

 

「ああっ!?」

 

「…夜中、電話出れるようにしたほうがいいか?」

 

「ち、違うんです! あの時はお母さんが心配で寝てもいられなくて…!

 からかわないでください…しませんからっ」

 

「はいはーい! 私上杉さんへの報告係になります!」

 

「パジャマパーティーのリアル中継しよっか?」

 

「業務妨害やめろ、俺見回りあるんだからな」

 

「女子の部屋見回り行ったりするのかな?」

 

「食いつくポイントがことごとく面倒くさい」

 

 

 

 俺を煙たがる二乃に小言を飛ばす五月を察して、一花が上手く誤魔化してくれたようだ。喧嘩を防止する手腕は手慣れている。

 

 少しの冗談を交えて馬鹿騒ぎする。自分の生徒には見せられない、プライベートの空間が少し心地よかった。

 

 来週の平日の三日間はお互いに離れて過ごすことになる。こちとら仕事の身、子供たちと違って旅行気分で楽しめるものではない。

 

 それに合宿の最終日は金曜日だ。来週は夕食を一緒する約束がなしになる。子守から解放されて肩の荷が降りることだろう。

 

 

 

「…フータロー」

 

「?」

 

 

 

 姦しい空間から抜けて耳に寄せられた、聞き取れない程か細い声。雑談を交わす他の四人から隠れて三玖が控えめに声をかけてきた。

 

 離れていた距離を少しの間だけ狭める。三玖は視線を泳がせて、手の平を口元に寄せて呟く。

 

 膝と膝、太腿も肩も触れて。冷えたこの身に感じる熱は少し汗ばんでいても目を逸らせないものだった。

 

 長い前髪に隠れる三玖の目がこちらを捉えている。揺れながらも、目を逸らしながらも、一歩近づこうとしてくれている。

 

 

 

「…電話、してもいい?」

 

「…」

 

「…な、長話はしないから」

 

「少しだけな、夜更かしすると朝が辛いぜ」

 

「う、うん ありがとう…フータロー」

 

 

 

 三玖の要望を承諾すると、驚きと戸惑い、それと一緒に喜びを隠せないのか…細い指を合わせて、ふっとはにかんだ。

 

 柔らかく笑う姿は珍しい。それが好意か、昔からのそれなのか。

 

 理解していなければ勘違いしてしまう素振りだ。つい苦笑してしまう。

 

 三玖の前では飾り立てる言葉は不要だと思い知らされる。姉妹に隠れてこっそりと寄ってくる三玖はいじらしかった。

 

 三日か…存外、寂しいと感じてしまうのは俺かもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「「「「「「あ」」」」」」

 

 

 

 勤め先の高校の合宿、二日目。

 

 生徒たちと共にバスに乗り込んで、スキー場に到着した束の間。何の因果か、すぐに発見してしまった。

 

 横一列にずらりと並ぶバスから降りると他校の生徒がちらほら窺える。学校行事で引率を担当した際はよく見る光景だった。

 

 ここからでも見える白い雪の会場を目にして、これから滑って楽しめることに浮き足立つ生徒たちを見守ることしばしば。

 

 もはや慣れたこの勤め。辺りを見渡すと、俺の教師歴4年にはなかったものが目の前に現れた。

 

 つい口から漏れた声は六つに重なっていた。視線もぶつかり合ってしまった。

 

 視界の先に写る、顔が瓜五つの女生徒の視線と…

 

 

 

「見なかったことにしよう」

 

 

 

 即座に回れ右。素晴らしい対応だ。

 

 一瞬の出来事だ。目は合ったが距離が遠い今なら他人の空似として片付けられるだろう。

 

 

 

「あれ? んー?

 あれって上杉さんだったよね?」

 

「た、たぶん…? なんとなくとしか言えないかな」

 

「ごめんなさい、私目が悪いのではっきりとは…

 ですが…さ、流石に人違いでは…こんなところでばったり再会するなんて」

 

「あの頭頂部はあいつしかいないわよ」

 

「どこで見分けてるの…」

 

 

 

 一花、二乃、三玖、四葉、五月。あの五人がいた。間違いない。実に数日ぶりである。

 

 地元から遥々やってきた遠いこの地で、ばったりでくわしてしまったらしい。

 

 嘘だろ。こんなことがあっていいのか、これには驚かされる。同じ学校にいながら恩師と一年間すれ違っていたこともあった俺には予想外の出来事だ。

 

 というより困る。大いに困る。

 

 今の俺は教師としてここにいる。五つ子の家庭教師などではない、高校教師としてだ。

 

 プライベートと仕事、両方の立場が暴かれようとしている。俺の生徒と、恩師の娘に。何としても穏便に済ませたい。

 

 俺の心の葛藤を他所に、バスから降りたばかりで散り散りになっていた生徒が整列して集まる。少し待ってくれ、今は自由行動でいい。障害物が減るとあいつらにバレる!

 

 

 

「上杉先生、顔色が悪いような…気分が悪いのですか?」

 

「…いや、問題ない 少しバスで酔っただけだ」

 

「酔い止めいるー?」

 

「お構いなく ありがとう」

 

 

 

 露骨に顔に出ていたようで この異常事態に生徒たちから心配の声が集まってきた。平常心を保たなければ不審がられる。

 

 至って真面目な教師だと評判の俺が、独り身の男教師にあんな五つ子が身内にいて舐め腐られていると知られたくない。

 

 気を引き締めて仕事に取り組もうとすると、背後から無粋な声が響いた。

 

 

 

「上杉さーん!」

 

「…」

 

「おーい! 上杉さーんってばー! こっちぃー!

 四葉ですよー!! なーかーのーよーつーばーです! お返事くださーい!」

 

「ちょっと四葉、目立ってるってっ」

 

 

 

 耳にこびりついている能天気な声が聞こえる。

 

 つーか俺を呼んでる。当然のようにバレてる。完全に暴きにかかってきている。あいつ目が良いからな。

 

 振り向けばひょこひょことリボンが揺れていることだろう。いっそのこと引っこ抜いてやりたい。

 

 

 

「あの、上杉先生…呼ばれてませんか?」

 

「というか…上杉先生に馴れ馴れしくないか、あの子

 って、他校じゃんあれ」

 

「度胸が良いというか…怖い物知らずというか」

 

「鬼教師の噂、知らないのかしら」

 

 

 

 俺の生徒の声に戸惑いが混じる…なぜ前からも後ろからも冷や汗をかかされなくちゃいけないんだ。

 

 そこまで怖いか俺? 仏頂面だとよく言われてきたが…そこまで? 生徒たちからどよめきが見える。

 

 初任してからこれまで色んなことがあった。その過去から鬼教師だとか冷血教師とか呼ばれることが多々あった。

 

 厚かましいのが嫌いな俺には調度良い評価であり、これを崩されるのはとても困る。

 

 …かといって、あの五つ子から怖がられたりするのは…困る。頼られる存在でありたい。やはり知られたくないものだった。

 

 しかし生徒にとって教師の考えなど頭の片隅にも置いてくれない。何度も何度も経験したことだ。後ろの五人に対しても同じこと。

 

 

 

「上杉さーん!

 あれれ? 違うのかな

 上杉さーん! 四葉ですー! 四葉ですよー! おかーさんの娘の四葉ですー!」

 

「…お母さんの娘って何?」

 

「言いたいことは分かる…」

 

「…そんな原始的な方法じゃなくても一発で分かるわよ」

 

「え? どうやって?」

 

 

 

 ふと、ポケットの中の携帯が震える。

 

 他の教師からの連絡なのか。マナーモードにしていたそれを手に取る。

 

 

 

 こっち見ろ

 

 

 

 ………

 

 中野二乃からのメールには、シンプルな脅迫文が寄せられていた。

 

 余計に背後の視線が刺さる。恐らく二乃が…余計な足掻きはやめろと訴えている。

 

 

 

「すみません、先に行っててください」

 

 

 

 降参せざるをえない。他の教師に断りを入れ、観念して五つ子のほうへ向かう。

 

 四葉が馬鹿騒ぎしたせいだ。生徒からも他人からも、四方八方から奇妙なものを見るような視線を感じて居た堪れない。

 

 五つ子の学校の教師が何事かとこちらに寄ってきたが、手を上げて制した。

 

 お騒がせして申し訳ない。保護者なんです、この馬鹿の。五つ子からの説明を受けた教師たちはひとまず下がってくれた。

 

 

 

「やっぱ上杉さんだ!

 ししし まさかの偶然ですね上杉さ――ひ、引っ張らないでぇっ!」

 

「なんつー大声出してんだよ、こっ恥ずかしい」

 

「そ、それは…つい…

 えへへ なんか会えるかなーって思うと呼びたくなっちゃいまして」

 

「…何が嬉しいんだか」

 

「嬉しいですよ! 上杉さんとはいっぱい、色んなところ行きたかったので」

 

「…」

 

「ししし、一つ目標達成です!」

 

「…行きたかったら、連れていってやるよ」

 

「わーい! 雪山の温泉とか憧れますねー!」

 

 

 

 いじらしいことを言ってくれる。はにかむ四葉には呆れと同時に、どうしようもない奴だと諦めの気持ちが勝る。

 

 つい掴み上げたリボンを元に戻してしまった。手放すと元気そうに揺れている。

 

 怒りたかったのに、胸の内がほんのり温かい。俺の反応を見て上機嫌になる四葉には敵いそうにない。

 

 しかし、気を許した途端に外野からどよめきが上がってしまった。

 

 

 

「う、上杉先生が笑った…初めて見たかも」

 

「あの鬼教師が…雪、雪が降るぞっ」

 

「というか…なにあの子たち、五人共そっくりじゃん」

 

「お子さんなのかな? でも上杉先生まだ若いし…妹?」

 

 

 

 職場の関係者が騒いでいる…おまえらさっさと行け。ついでに忘れてくれ。後でうるさくなりそうで憂鬱だ。

 

 ゆっくりと生徒たちの列がスキー場へ向かっていき、バスの駐車場には俺と五つ子の六人が残った。

 

 五つ子の教師には…気を遣わせてしまったか。五つ子の実の母が亡くなったことは知っているのだから、咎められなかったのかもしれない。

 

 たった一人の親を失った五つ子の新たな保護者。それが教師の俺であることも知らされているはず。

 

 同じ教師なら、と自分の生徒を任せてくれたのか。一花はこの後の合流先を聞いていたらしく取り残された。後で頭を下げに行くべきか。

 

 

 

「はぁ…冷えるな」

 

「そうだね…まあさっきので体温は上がったよ…あー…焦った焦った

 もし人違いだったらと思うと焦るよ四葉ー」

 

「そんなんじゃアドリブに弱いんじゃないかな、一花」

 

「四葉、騒ぐのはあんたの勝手だけど、こっちまで恥ずかしい思いさせられたわ」

 

「でも四葉のお陰でフータロー捕まえられた、ありがとう」

 

「それにしても…偶然ってあるのですね

 ここで貴方と会えるとは思いもしませんでした」

 

「ししし、ほんと良かったね

 ちょうどバスの中で上杉さんと会えないと寂しくて、昔を思い出すねーってお話してたんですよ」

 

「ちょっと…言わなくていいでしょ、そういうこと」

 

「三日でおおげさな…もう勝手にいなくならねえよ」

 

「…どうだろ、さっき逃げようとしてたでしょ、フータロー」

 

「…俺にも立場ってものがあってな」

 

「何か注目浴びてたね、鬼教師とかどうとか」

 

「…怖がられてるの? フータロー」

 

「想像できませんね、上杉君から怖いなんてイメージは」

 

「ふん、似合わないキャラ作りなんてしてんじゃないわよ」

 

「…似合わなくても、やり通さないといけないことがあるんだよ」

 

 

 

 俺の日頃の勤務態度についてはノーコメントだ。武勇伝もあれば泥臭い話もある。スキーを楽しもうって時に話したくないぞ。

 

 生徒を教え導くだけが教師の務めじゃない。それだけでも大役なのに面倒事も縛りも多い。気苦労が絶えない職場だ。

 

 苦労が顔に滲み出てしまったのか。五つ子はこれ以上触れることはなかった。二乃も罰の悪い顔をして目を逸らしてしまった…だから避けたかったんだ。

 

 亡くなった母親の仕事でもある…話題を逸らそうとスキー場を指差す。

 

 

 

「ここで突っ立ってるのもアレだ…合流してスキー滑ってこいよ」

 

「あの…フータロー、この後一緒に滑れる…かな

 お仕事ある?」

 

「…スキーでの引率は専属のインストラクターに任せているから、俺は手が空くぞ」

 

「わお、ほんと!?

 じゃあ今日はフータロー君と一緒にいられるってこと?」

 

「遊んでていいの? 後で上司に怒られてたりしない?」

 

「何事もなければな、他の先生も自由に滑っていい時間になる

 それに通年やっていることだ、俺は毎年あのカフェで休んでる」

 

「んな! ぜっかくのスキーをむざむざブレイクタイムにしているのですか!?

 汗水垂らす人々と雪景色の輝きを見ながらコーヒー嗜むんですかッ! よくありませーん!」

 

「そうね、なら心置きなく出不精さんをこき使うとするわ、後で飲み物奢ってもらうから」

 

「おい、小遣いやっただろッ 1万もあって何で俺から奪う!?」

 

「今お財布持ってないしー お金よりもー お兄さまに冷えた体を温めてもらうほうが嬉しいしー」

 

「財布ねえのかよ! やっぱいらなかったんじゃねえか!?」

 

「で、では…こちらの自由時間になったら連絡します

 よろしいですか、上杉君」

 

「一緒に滑りましょー! 私得意なので、教えてあげますよ」

 

「…もういい…お手柔らかにな」

 

「な、なんか申し訳なくなってきたね…じゃあ後でね、フータロー君」

 

 

 

 俺の渋顔にはスルーして五つ子はご機嫌良くスキー場へ向かっていく。結局あの五人にジュース奢ることになりそうだ。別にいいけど。

 

 教師の憩いの一時…厳密には待機時間だが、その時間は五つ子に費やして終わりそうだ。毎年あのカフェでコーヒー嗜みながら本を読むのが楽しみだったのに。

 

 こいつらと再会してから何もかも様変わりしつつある。とうとう職場にまで影響が…侮れない奴らだ。

 

 一旦別れて、その時が来るまで暇を潰すことになる。俺の上司である学年主任に五つ子との事情を話すと快く業務を調整してくれた。

 

 そして先程…生徒の先導を引き継いでもらった、俺の先輩にあたる教師にも頭を下げる。

 

 だが彼の表情は、身勝手に面倒事を押し付けられたというのにとても穏やかなものだった。

 

 

 

「不躾ですが…母親を亡くされたんですよね、先程の子たちは」

 

「ええ…」

 

「8月だと聞きましたが…元気に笑っていましたね

 正直驚かされました」

 

「…」

 

「…良かったじゃないですか、上杉先生」

 

「…ありがとう、ございます」

 

「いいえ…これからが大変ですね…

 あの子たちを守りたいという先生の気持ち、応援しています

 相談事くらいならいつでも受けますから、無理だけはなさらないでくださいね

 って、まだ3学期があるのに気が早かったかな」

 

「…最後まで勝手で申し訳ありません」

 

「誰が悪いとか、そんな話じゃないでしょう

 今、上杉先生だけを求めている人がいるのなら…その人の下へ向かうべきです

 それに、いつか戻ってくるんじゃありませんか?」

 

「そういう話ですからね…一応

 私立から公立なんて、なかなかありませんから」

 

 

 

 俺が赴任してからここ最近の出来事まで。迷惑をかけてしまっている先輩は、他校の生徒を案じ笑っていた。

 

 俺が冷たい教師だと生徒から敬遠されている中で、この人の親身に寄り添ってくれる優しさに救われた者は多いらしい。それも納得してしまう。

 

 再び頭を下げて、その場を後にする。スキー場の敷地内に立てられた施設。大広間のフードコートの横にあるカフェで一息つく。ソファにぐったりともたれかかって。

 

 

 

「転勤か…公立の教師と似たようなもんか」

 

 

 

 高校の教師は定期的に勤務場所が変わる。私立はそうではないだけ。だから私立に努めてからは…長い期間そこに務めるものだと考えていた。

 

 私立から公立に移るのは思っていた以上に手間がかかるものだった。しかも、まだ正式に理事から承認は貰えていない。

 

 転勤先に融通を効かせてくれる代わりに条件付きだと言われている。最低限俺の要望は叶っている…のだが…重宝してくれていると思っていいのだろうか。極めて人手不足だからな、教師は。

 

 できれば、恩師の憂いの全てを晴らしたい。それはあまりにも欲張りだと、周りから批難を受けている。

 

 

 

「…しがらみだらけだな、教師は」

 

 

 

 給料が良いわけでもない。残業ばかりで拘束時間は多い。忙しいのに誰でもできるだろう雑用までさせられる。休日まで仕事を持ち出すこともある。生徒の保護者は一癖二癖あって苦労ばかり。

 

 その上、不良生徒だっている。勉強に対して真面目に取り組み、悩みを抱える生徒もいる。助けを求める生徒だっている。

 

 虐めも…最悪流血沙汰になったこともある。思い返せば、やはり胸を張れるものではなかった。疲れる仕事なんだ。

 

 そんな多忙な思い出の中に、俺の手を取って感謝の言葉を述べてくれた教え子がいる。

 

 彼らのお陰で今でも続けられている…その先の先。見えない真っ暗な記憶の向こうには…桜の木の下で見た先生がいる。

 

 先生と違って…向いてないと理解している。続けてきた理由はあの人を求めてのことであり…もう、そんな拘りも今年でなくなってしまった。

 

 

 

「…俺は何になりたいんだろうな

 もう欲しいものは…ないのなら…」

 

 

 

 …やっぱ…あいつらには見られたくなかったな。不出来な教師の背中から何を学ばせられるのだろうか。

 

 せめて、来年の2年に進級するまでは――

 

 

 

「ん?」

 

 

 

 気が重たく、天上を見上げていた。その視線を下げれば…一つの小さな存在に目が止まった。

 

 

 

 

「…迷子、か?」

 

 

 

 この場から屋内の入口の様子が窺える。人が行き来する中で女の子が一人立っていた。

 

 その背丈は見覚えがあるもので…恐らく幼稚園ぐらいだろう。俺が一番判別ができる、子供の年頃だ。

 

 子供はうろうろと行き交う大人の顔を見て、目が合えば逸らして、隅に寄ろうとしては大人の接近に怖がって足を止めてしまう。

 

 リュックを背負い温かそうなコートを着ているあたり、スキー客の一人だろう。保護者とはぐれて子供が一人で泣きそうになっている。

 

 よたよたと足がおぼつかない。疲れているのか、ずっと歩き続けていたのか。途中から見つけ出した俺には分からない。

 

 吹雪けば飛んで行ってしまいそうな小さい存在。子供が不安になりながらも誰かを探していると、周りの大人は気づいている。

 

 だが視線が合えば逸らして脅えている子に、どう声をかけるべきか。

 

 優しくしようと思っても、やり方が分からずできない大人がいる。誰か他に上手くできる人が来るだろう。職員が来るだろう。周りはそんな奴ばかりなんだろうな。

 

 

 

「…教師の性か」

 

 

 

 生徒に道徳を重んじろと説教する身。そんな奴が子供を見捨てていいわけがなく…立ち上がってその子の元へ向かった。

 

 近寄れば、他人の接近に子供が警戒しているのが見てわかる。周りからも視線を集めている。

 

 子供の前に膝をついて、極力目線の高さを合わせて尋ねる。

 

 

 

 

「誰を探しているんだ?」

 

「………」

 

「……」

 

「…」

 

「…」

 

 

 

 無言で後ずさられた。体も背中を向けかけている。もう逃げる一歩手前だよな。お兄さんが泣きそうだぜ。

 

 やはり俺は怖いらしいな…無性に帰りたくなってきた。昔の一花と四葉がいかに特別だったのか十年越しに痛感した。

 

 質問には答えてはくれないらしい、というか完全に怪しまれている。

 

 利口だな、おいそれと他人を信用しちゃ駄目だぜ。先生目立ちまくって困り果ててるけどな!

 

 

 

「一人で大丈夫か?

 一緒に探すの手伝うぞ」

 

「………」

 

 

 

 他人を拒む壁は分厚いようだ。ま、まあいい…これをきっかけに誰か…女性が声をかけてくれればそれでいい。

 

 それを願っているのだが…無情にも誰も声をかけてくれない。このままでは不審者の烙印を押されかねない…転勤するのに悪評が付くのは勘弁して欲しい。

 

 赤の他人の冷え切った心に失望しかけていた時。入り口のほう…子供の背後から声がかかってきた。

 

 

 

「フータロー? どうしたの、膝なんかついて」

 

「良いとこに来たな三玖ッ!!

 おまえは昔から察しの良い子だったな! そういうところは好きだったぜ!!

 おまえは本当に優しいな、抱きしめていいか?」

 

「――え、だ…だき…し……

 ええええええええっ!?」

 

 

 

 我ながら、不審者の度合いが上がっただけな気がしてきた。いかん、気が動転してしまった。

 

 声をかけてきた相手は三玖だった。つい感激のあまり口走ってしまった…三玖が俺のセクハラ上等発言に固まってる。

 

 俺の声に子供は驚いたが、逃げたりはしなかった。よく見ればどことなく三玖に似ているな、この子。内向的なところが。

 

 三玖は子供の存在に気づき事情を察したようだ。俺が手こずっていることを目で訴えると頷いてみせてくれた。話の分かる奴で助かる。

 

 

 

「キミ、お母さんと来たの?」

 

「…

 おかあさん………いないの

 さっきいたの、おそと、いっしょ…」

 

「そ、そっか…お父さんは?

 一緒に来てるのかな?」

 

「…」

 

「…?」

 

「…おとうさん、いない」

 

「え」

 

「…」

 

「…そ、そうなんだ…ごめんね」

 

 

 

 子供に寄り添おうと足を踏み入れたら…地雷を踏んづけてしまったらしい。スキー場に吹雪が襲来してる…すっごく冷たい風だった。

 

 三玖は謝罪の言葉を投げかけ、子供の顔色を窺いながら困惑していた。

 

 片親の子…なのか?。思いも寄らぬ家庭の事情を知れば、つい腫れ物に触れるような気持ちになってしまうだろう。

 

 子供は俺たちの気持ちの変わり様を察したのか、ぎゅっとリュックを掴んでいた。

 

 憐れみの目を知っている素振りだ。

 

 どんな家庭なのか、どんな母親なのか知らない。だが、この子が望むものは少し分かる気がする。

 

 親が何だろうと関係ない。親子がこの日何しにきたのか。何を求めているのか。

 

 どんな家庭だろうと、楽しみにやってきた旅行で嫌な思いをする理由にはならない。

 

 

 

「…母親と来たんだな」

 

「…」

 

「じゃあ、うんと楽しまないとな、まだ昼前だ、まだまだ遊べるぞ

 スキーは来たことあるのか?」

 

「………はじめて」

 

「スキー、教えてやろうか?」

 

「…いい、おかあさんがおしえてくれるってやくそくしたもん」

 

「そうか

 お母さんも探してるだろうな

 約束しているのなら大丈夫だ、ちゃんと会えるさ」

 

「…」

 

「ここまで来るのは大変だっただろ、少し休んでからお母さん呼ぼうぜ」

 

 

 

 楽しい思い出作りを涙で湿らせるわけにはいかないだろう。三玖も俺の意見に賛成らしい。

 

 俺が探すのはいいが、ひとまずこの子は迷子センターか案内所に預けたほうがいいだろう。母親がもしかしたら一報入れているかもしれない。

 

 …だが残念なことに、もしかしたら、という期待は外れていた。

 

 迷子の届出はなかった。係の人が保護してくれるそうで、すぐに駆けつけてくれた。

 

 連絡を聞いて駆けつけた女性職員が女の子に柔らかい声で質問している。その光景を三玖と一緒に離れて見ていた。

 

 

 

「大丈夫かな、あの子」

 

「心配か」

 

「当たり前だよ

 あんな小さい子、お父さんもいなくて…母親と離れ離れになって

 泣いてくれたほうがまだ…我慢するのも辛い…」

 

「そうかもな

 だが、泣かないってことは、あの子は諦めず頑張っているってことだ

 そう悲観する必要はないだろう」

 

「だと…いいんだけど」

 

「どの道、俺たち他人は見守るしかない」

 

「う、うん…」

 

 

 

 あの子の根っこの部分は強い子なのかもしれない。

 

 安易に他人に泣きつかなかったのは、我慢強い子だからなのかもしれない。想像の域を超えない話だがな。

 

 三玖の不安を払拭するには根拠がない。三玖の表情は晴れず、せっかくの遠足を楽しめる空気ではなかった。

 

 その上、母親探しの質問は難攻しているらしい。女の子は口を閉ざしたまま。あの子は我慢強く、人一倍警戒心の強い子のようだ。

 

 

 

「お母さんとお父さんの他には?

 誰かと一緒じゃなかった?」

 

「………」

 

 

 

 母親の他に同行者はいるのかと質問を投げかけられて……なぜあの子はこちらを見るんだろうな。

 

 

 

「…ねえ、あの子

 フータローのほう見てるよ?」

 

「…」

 

「あ、あのぅ…もしかして、貴方がお父さんだったり」

 

「いえ、ちが――」

 

「違うから

 この人独身、独り身、彼女なし、子供なんているわけない」

 

「し、失礼しました…!」

 

 

 

 失礼が過ぎるのはこいつ! 何でおまえが答えたんだよ! しかも独身、独り身って同じ意味だからな!!

 

 くいっと俺の袖を摘まんで引っ張る細い指の力が強かった。三玖の態度が一変して俺も困惑してしまう。

 

 憂えていた表情が一変して、むっとした不機嫌なものに変わっている。不躾な反論をする三玖の肩を掴んで引っ込ませる。

 

 係の人が疑問に思うのは当然だ。あの子はじっとこちらを見つめている。リュックをきつく握る手と、閉ざす唇は少し震えていた。

 

 さ迷う視線を受けて子供のほうへ向かうと…子供が走ってきた。

 

 走り寄っては止まり…自分のズボンを掴んで、顔を上げた。無言で助けを求めていた。

 

 

 

「…」

 

「…おかーさんと………やくそくしたの…っ

 ずっとまえからっ」

 

「…一人で大丈夫か?」

 

「…」

 

 

 

 返事は変わらず無言。だがもう、この子を見る誰もが分かってしまう。

 

 頑張って耐えて、優しくされた。

 

 もう頑張らなくていい、甘えていい場所なんだと知った。もう限界なんだろう。本来ならこんな子供が辛い目を負うことはなかった。

 

 まったく、一度離れたことで有難みでも感じてくれたか。もう少し早く打ち解けてくれたらいらぬ気苦労をせずに済んだのに。

 

 風太郎は子供の頭を撫でて、その手を包み込んだ。一人にはしないと気持ちを込めて…子供はようやく安堵し、しがみついてきた。

 

 

 

「…あの、申し訳ありませんが…この子を見守っていただけませんか?

 ここには保護した子が待機できる場所は用意していなくて…医療室ぐらいしか

 そこも急患で慌しいので…お願いできませんか」

 

「…わかりました、捜索はお願いします

 一応私の名刺を渡しておきます」

 

「ありがとうございます

 …あ、先生だったんですね、お忙しいところすみません」

 

「…せんせ?」

 

「ああ、先生だ

 よって怪しい者ではない!」

 

「…」

 

 

 

 出発前、二乃に子守がどうの言われていたが…本当に子守をすることになるとは。

 

 母親を探し求め、大人に怖がっていた子供が足にぴったり張り付いている。案外図太い神経をしているのか、繊細なのかよく分からない。

 

 時折じっと見つめてくる子供に、三玖は胸を撫で下ろした。

 

 

 

「良かったね、先生がいてくれるって」

 

「…うん」

 

 

 

 母親と再会させたいと強く願う三玖の瞳は何かを重ね見ているのか。

 

 亡くなった母を思い出したのだろうか。母親に会えない寂しさを知っている彼女は。

 

 ちょっぴり揺れる目尻を拭って、母親を求める子供に微笑みかけていた。


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