このssの書き始め当初は原作がまだシスターズウォーの頃だったので、零奈さんの話は下田さんのエピソードトークぐらいでした。
情報が全然なかったのに、なぜか私にとって思い入れのあるキャラになってしまいました……風太郎と接点皆無なのに。
零奈さん番外編の続編の短編です。
お付き合いいただけると幸いです。
五つ子の夫婦
結婚してはや数年。変わってしまったと感じることが増えた。
上杉風太郎は家族や家庭に不満を抱くことはなかった。独り立ちするまで極貧生活を強いられた一方で、父と妹との仲は良好だった自負がある。
今ではあんな小さな家よりも大きな家を持ち、金にもそう困っていない。金が判断基準ではないとわかっていても、比較すれば今の自分は恵まれた環境にいる。
なのに、今はあの実家の空気を羨む気持ちがある。結婚したからって、とある人への悩みと緊張は尽きない。
夫婦間の会話が減ることを軽視してはならない。言葉にしなくても通じるなんて奢ってはいけない。
仕事から帰って食事も終え、家族の団欒を過ごすこの時間……二人きりになると静まり返ってしまうのだ。
「なぁ、先生」
返答なし。目も合わない。妻もさして気にしていない。もう慣れつつあることに警報が鳴っている。
夫婦が不仲になる原因としてよく挙げられるものがある。今一度確認してみよう。
多忙ゆえにコミュニケーションが不足する。昔は意中の人との時間を大事に大事にとかき集めたものだが……同じ屋根の下で暮らし生活に溶け込めば、その貴重さも必死さも減っていく。
価値観の違いは大きな溝を生む。付き合っていた頃は価値観が合うと思い込んでも、やはりお互い違う人間。
長く一緒に過ごせば些細な差異が生まれる。見過ごせるものばかりであるものの、言わないでいることが果たして正解なのだろうか。
沈黙が衝突を避けることもあれば、接触をも遠ざけてしまう。理解を求める気持ちもまた必要なのではないか。
「零奈」
少なくとも昔はお互いに自分の主張を優先して離縁しかけたのだから。俺たち二人には気持ちの言語化が必要だと思っている。
……ふと気づいた。思い返せば、互いに理想の夫婦というものを共有する機会がなかった。
俺にとってこの体制は結婚後を想定したものに含まれていなかった。妻にはこの光景こそ予め求めていたものだったのだろうか。
少し身じろぐ。緊張とか関係なく肩が凝るから。その動きに妻は眼を開く。
「悩ましげなお顔
何を考えているのですか?」
「……子供たちがいないと、静かすぎる
この先これでいいのかと思って」
「お風呂、賑やかですよ
少し聞こえます」
「聞こえるぐらいこっちが冷えてる」
「……疲れてますか?」
「いいや、先生こそ」
「ええ……だから、こうしていたい
静寂は寂しいものですから」
腕、離してくれない。ソファの隣を陣取る妻が俺の腕を胸に抱えてくっついてくる。
また静かに目を閉じてしまった。昔ならこんなことしなかっただろうに。今では露骨に俺の腕をその胸に挟んでいようと構わず甘えている。
バカップルがするような、恋人期間に済ませておくようなスキンシップだ。
夫が暗にちょっと話したいと伝えても、×1の妻は我儘で振り向いてくれない。夫に寂しい思いをさせようが気にかけてくれないのである。
食事の片付けも、風呂掃除などの家事も終えてゆったり過ごす憩いの時間。ソファに座って風呂待ちをする時間になる。
うちは子供が多いからな。子供同士で入浴するお陰でペースは早いのだが、女の子の風呂は長いもので一番最後に入る俺と妻は暇なのだ。
読書なりテレビ見るなり、仕事と子供たちから解放されて自由時間を堪能できそうだったのに、今度は妻に拘束されている。
寄りかかって肩に頬を乗せる妻は目をつむっている。疲れているのならこのまま眠ってしまいそうだ。
「思えば、あなたにはずっと休め休めと言っておきながら
本当に休めたのは入院していた時ぐらいだな
結婚して、出産して、引っ越して、あいつらの高校受験だったりで長らく駆け足だった
ちゃんと休める時間を作ろう」
「それは君も同じ……いえ、私よりも優先するべき
私は君がいるおかげで楽ができているから」
「そう言っておきながら、いつもこの時間は離してはくれないんだな」
「……前はこんな真似できなかったもの
私の代わりに子供たちを見てくれる人がいなかったから、少しも気が抜けなかった
ごめんなさい、この時間が好きなの」
「休日ならいいけど……会話がないのは寂しい
あの鬼教師が、見る影もないな」
「恋愛なんて愚か者のすること
誰の言葉だったかしら」
「あなたを慕う教え子を虐めて楽しいですか、先生」
中野零奈。京都で出会った上杉風太郎の憧れの人であり、恩師であり、妻である。今では上杉の姓に変わって同じ家で暮らす夫婦だ。
俺が初めて会った時から人妻であったが、ファンクラブができるぐらい美人で人望のある女教師だった。
鬼教師は畏怖と尊敬と美女の象徴であったんだ。その内の2つが瓦解しかけている。これには娶った俺に責任があるのだろうか。
ベタベタに甘える妻は嫌いではないし愛おしさもあるが、尊敬し憧れる先生も好きなんだ。結婚して数年経てど先生呼びが抜けない。
元教え子のささやかな拘りに妻は苦笑し続行を決め込む。むしろ諦めろと言わんばかりに俺の腕を己の胸に沈ませてきやがる。
俺が黙る戦法をもう見抜かれている……妻に弱点を握られるとろくなことにならないぞ。
俺より十も年上で40手前になるのに年下を相手にしているようだ……つーか、何でこの人まだこんなに美人なんだ。近所から美魔女呼ばわりされてるんだぞ、あんた。
これを終わらせる術はある。妻の最大の弱点にして、夫よりも愛してやまない最愛の娘らだ。
「おかーさん おみみ、そうじしてー」
「やっぱりー! ナナ、あがったからパパははーなーれーてー!」
「……」
「まってよー! くーがいちばん! いちばんだから!」
「おとーさん、おかーさん、おふろあいたよ、おねーちゃんももうでるって」
どたどたと風呂上がりの子供たちがリビングに集まってきた。のどかな空気が活気に追いやられていく。
俺の腰よりも低い背丈の女の子たちが五人。今は幼稚園児で、性格がはっきり表れて大いに苦労させられる愛娘である。
娘に呼ばれたお母さんはゆったりと立ち上がる。その表情は子を慈しむものであり、俺が昔から見てきたクールな麗人のそれである。
下着姿だった娘らはパジャマに着替え始めるが、まだ髪の毛が少し濡れている。両親がタオルを掴んで愛娘の黒髪を拭いてやる。
……前代の五つ子と同じく、同じ顔をしてもこの五人の反応はまったく似ていない。
「十和はお利口さんだな、ちゃんと髪拭けてる」
「五月おねーちゃんがふいてくれたの
あと、くおんがタオルぬらしちゃったから、あとであたらしいのもってくね」
「ああ、ありがとな
しかし、いつも十和が九遠のフォローしてるのも悪いな
たまには怒っていいんだぞ」
「十和はすえっこなので」
俺と零奈の娘、五つ子の上杉十和。一番最後に生まれた十女で、優しくて気の利く非常にできた娘である。
良い子なのは確かだが……どうも自己主張が控えめというか。姉妹の言葉に押し負けて折れてしまうところが心配である。
我儘を言わず、自分の時間よりも家族のお手伝いを優先。真面目な分、加減がまだわからない子だから言葉はちゃんと選ばないといけない。
直立不動で髪を拭かれる姿は末っ子という雑用に忠実なモンスター。この後タオルを両手に持ってたたたっと駆けていくのが目に見える。
「いっちばーん! くーがいちばんきがえるのはやい! みんなおっそーい!」
「九遠、もう夜遅いのですからお声は静かに」
「……しーっ……」
「……」
「しーっ……!」
「しー、です もう少し小さく」
「しぃ……」
「はい」
五つ子がもう一人、九女の上杉九遠。おてんばで明るいと言えば聞こえは良いが、見ての通り子供である。
この光景は昔の四葉を連想させるが……あいつはガキながら自重という言葉を理解していた。九遠にはそんなものない破壊神だ。
常に動き回って飛び跳ねて、遊びと勝負が大好き。止めようにもするりと逃げ回るすばしっこさが厄介だ。一番手を焼く娘である。
母親のお願いは比較的聞いてはくれるが……時間稼ぎにしかならず。この後散々はしゃぎ回った後気持ちよさそうに爆睡するのだ。
「……わたしも」
「うおっ! 八重、そこにいたのか
背後に黙って立つのはやめなさい、お父さんびっくりするから」
「……」
「……」
「……」
「拭いたぞ、お風呂上がりに何か飲むか」
「……」
……さっき無音とか会話がないとか妻に嘆いたが、この子の無口の徹底ぶりに比べたらかわいいものだった。
五つ子の八女、上杉八重。見ての通り極端にしゃべらない子で、一時は俺たち夫婦と姉たち全員で連日家族会議を開かせた強者だ。
喋れない病か何かかと危惧したら、単にしゃべらないだけ。言うのがだいぶ遅いが要望はちゃんと口にしてくれる。アウトプットが必要最低限の子なのだ。
小さい成りで気配を断つのが上手いせいで、接近に気づけないことが多々ある。気づかずに一人にしてしまい、我慢を強いらせてしまうことも少なくない。
改善しようとあの手この手を駆使したが、無理強いせずこの子の気のままに任せている。寂しがり屋で、家族の傍から離れない子なのが幸いだった。
「ママ、まーたパパとくっついてた
パパうそつき、ナナからとらないっていったのに」
「あら、お父さんとそんな約束したのですか」
「ナナがせっかくゆるしてあげよっかなーっておもったのに
やっぱパパはうそつきだもん、もうきいてあげない
べっー!」
「七尾、パパは何もしてないぞ、ママから誘われたんだ」
「パパのいうことしんじないもん
ママもパパにやさしくしちゃダメ、わかった?」
「ごめんなさい、七尾 お母さんが悪いの……
私も話を聞こうとしなくて」
「えー!? ま、ママはわるくなーい!」
パパ、嫌われてます。全力で嫌がる娘に胸が痛む。板挟みにあうお母さんも意気消沈してる。
五つ子の七女、上杉七尾。少し前は普通に慕ってくれていたのだが、パパがミスって怒らせてしまった件が尾が引いている。
九遠と似て勝ちたがりで目立つのが好きな子だ。言ってしまえばプライドが高い、チビっ子の分際で。そんな子を怒らせれば苦労するに決まってる。
同じ顔を持つ五つ子は他所だと見分けつかないし、呼び間違えられることも多い。七尾はその誤認が特に大嫌いで、外だと九遠並に目立ちたがりになる。
ただでしゃばりというわけではなく、他の五つ子相手にマウントを取りたがる困った子ではあるものの……面倒見も良いのだ。
「おとーさん、やってー」
「睦海、妹の着替えは手伝ってくれるのは助かるが……
パンツ姿で大の字はやめろ」
「めんどーだもん ねーやってー」
「ちゃんとお姉ちゃんやってるのに、着替え手伝うほうが大変だろ」
「えー だってー まー、おねえちゃんだし?」
「……ほら、ちゃんと立って、腕上げて」
「えへへ、このままおふとんにはこんでー」
最後に五つ子の六女、上杉睦海。五つ子のお姉ちゃんであり、あの四人からしたら頼れるお姉ちゃんに見えるだろう。
ところが親と姉たちからの評価は真逆。極めてだらけている。今も立ち上がった直後に俺の肩に手を回して寄りかかってきた。
おぼぼぼ、と妙な声をあげて俺の腕から崩れ落ちて床に転がっていく。本気で脱力して身を任せきっている……九遠と真逆の存在である。
渋々抱き上げてパジャマを着させると速攻でしがみつかれた。本当に寝床まで運ばせる気か、お父さんこの後お風呂だっつーの。
怠け者ではあるが妹たちからは好かれている。テーブルの椅子に座らせるとなぜか歩き出し、なぜか牛乳を出せとパパを呼び出し、いそいそとコップに注いで妹に配った。
……自分の分は面倒で注がなかったのか。変な子にはお父さんから牛乳を注いで渡した。
五つ子が鎮座して牛乳を飲む光景を横に、タオルで長い癖っ毛を拭きながら女の子が戻ってきた。
「二人共、今上がりました」
「五月か、お疲れ
悪いな、面倒見てもらって」
「いえ、かわいい妹ですから
えぇ……何度湯舟で水しぶきを浴びてもかわいいものです」
「……昔を思い出すわ」
「む、お母さん、それは話を盛ってます
四葉はともかく私たち四人は大人しくお風呂入ってましたよ
やんちゃな子の数が違います」
「はしゃいで後頭部を打ったこと覚えてませんか?」
「えっ? あ、あの狭いお風呂場で、ですか?」
「いえ、あれは銭湯だったかしら
銭湯に描かれた壁画の料理を見て、あれは何ですかと駆け寄って転けたのです」
「――」
「納得しかないな」
俺とは血の繋がりがない娘。再婚した妻の連れ子。先の五人の娘とは違う五つ子の一人であり、中野五月は母の暴露によって悶えている。
俺が先生と結婚したのはこいつらが小学6年生の頃。あの日はまだまだ小さい子供だった。
今では思い出の五つ子も母親が務める旭高校に通う学生、背丈も母親に並びつつある。
俺が先生と再会し、五つ子と出会った歳なのだ。つまり、一番多感な時期……
五月はさっきまで妹五人と一緒に風呂に入っていた。子供たちが一人で入浴するにはあともう少しって頃か。湯舟を張るのなら尚のこと見張りが必要だ。
五月は頬を膨らませながら母親を睨んでソファへ逃亡。それを見て牛乳を飲み終わった十和が五月の隣に座った。仲の良い二人である。
ふと、廊下のほうから物音が。玄関のドアが開いた音と共に足音が迫る。
「お祝い事と言ったらケーキでしょ!
ママもフー君もうちのケーキ屋に呼ぶから、あんたのパンは朝食にでも出してなさい」
「フータローもお母さんもデスクワークばかり、外でピクニックが良い気分転換になるはず
私のパンをランチに食べてもらう」
「二人は外食よりもお家でご飯が好きだと思うよ
というか、外食ならいっそのことデート行ってもらえばいいじゃん」
「そうそう、デートプランなら私も良いところ知ってるからそっちにしよ
ただいまー お姉ちゃんたち帰って来たよー」
ぞろぞろと何やらもめている四人が帰ってきた。両親よりも遅い帰宅で元気そうな顔を見て内心安堵する。
五月と似た同じ顔が四人。一花、二乃、三玖、四葉だ。その学生服姿も見飽きるぐらいには目にしている。
歳の離れた姉の帰宅に十和以外の子供たちは生返事。かわいくない妹ですまん。
「うりゃー お姉ちゃん帰ってきたよ、出迎えてよ睦海ー」
「おかえりっていったじゃん
それより一花おねーちゃん、タマコでたー?」
「タマコはもう終わったってば
さーて、ご飯食べちゃったしお風呂入っちゃおうかなー」
「タマコ いつしんじゃうのかきになる」
「目の前のお姉ちゃんが惨殺されてもいいの!?」
「うーん? タマコ、いっしょーけんめーだし、わたしすき」
「タマコじゃないけど、たぶん近々見れると思う
……結構ひどい死に方で」
「ほんと? たのしみー」
「……教育上、止めるべきかな」
一花は五人と同じ高校生でありながら、今は女優の卵として活躍中だ。今日も仕事で夜遅い帰路となった。
同じ五つ子の長女の睦海にだる絡みしているが手痛い反撃をもらった。あの子は過去に一花が演じたタマコの大ファンである。脇役の即死っぷりに演じる一花も複雑なのである。
妹には働き者、姉と両親には怠け者という睦海のスタイルを一花は面白いと評価し見守っている。俺は睦海の怠け癖がおまえの模倣だと睨んでるけどな。
「ケーキってどういうこと、二乃?」
「んー? 今度パパとママにね、お誕生日の結婚バージョンのお祝いをしようと思ってね」
「ナナのは? ナナもしゅやくになりたい」
「あんたも将来誰かと結婚したらなれるわよ、その日までお預けね」
「うぅまてない……じゃあ、二乃もそのひ、おいわいしてもらうの?」
「え? いや私結婚してないし、彼氏もいないし」
「じゃあやだ、二乃とおなじになるまでまてないもん、じかんかかりすぎ」
「何か、私の彼氏いない歴が長すぎるって?
もっぺん言ってごらん?」
「パパー! 二乃がいじわるする! ナナもいきたいー!」
「あんた、こういう時だけパパ呼ぶのやめなさい」
二乃は放課後に俺が昔世話になったケーキ屋のバイトをしている。料理上手でケーキ屋からの評価もすこぶる高いようだ。
面倒見も良くて言葉の強い七尾の相手をよくしてくれる。仲は良いと思うがたまに七尾が泣きついてくるのは愛ゆえか。
七尾がパパに泣きつこうとするも二乃に首根っこ掴まれて膝の上に座らされた。頬をつねられて虐められる小さい妹がかわいそうである。
彼氏なしは禁句だぞ、七尾。その気になれば早々に作れるとは思ってるけどな、女子高生は複雑だ。
「……おかえりなさい」
「うん、ただいま
お風呂上がったんだね」
「……」
「……」
「……」
「……あ、そういえば
あのパン屋でね、あずきのパンの新作作ってるの
できたら買ってこようか」
「……おねーちゃんがやいたの、ほしい」
「ご指名? それじゃあ、頑張っておいしいの作るね」
「……」
三玖は中野家のお気に入りであるパン屋でバイトをしている。料理下手だった三玖がよく上達したものだ。
八重ほどではないが、三玖は控えめな性格で自己嫌悪しがちな子だった。それが霞むほど甘えん坊で拘りの強い子であるが。
三玖自身、八重の儚く脆い印象に思うところがあるのか、一番に気にかけて積極的に声をかけている。似た者同士と思っているのかもしれない。
三玖とも似ているが……八重は母親似でもある。あの可愛い顔が成長したら母親の鉄仮面そっくりになるぞ。できれば避けて通ってほしい道である。
「四葉おねえちゃん! きのうのつづきしよ! しちならべ!」
「お風呂入った後ならいいよー」
「うぅ……どのくらい? はやくね?」
「さ、流石に汗たくさんかいたから時間かかるよ?
九遠もそう急かさないで、待っている間に暇つぶししてていいよ」
「だってだって……ねちゃうし」
「子供ながら的確な自己分析……」
「さき、さきがいい! しちならべしてからおふろ!」
「や、それは……ほら、私も女の子といいますか、匂いが……
風太郎さんもいますしね、だらしないところ見せられませんので」
「だらしなくないよ! 四葉おねえちゃんいいにおいだもん!
わたしすきだもん! おとうさんもすきだよね! ね、おとうさん!」
「ど、同意はいいです! も、もう私お風呂入ってくるからー!」
四葉は陸上部の部活帰りで、汗をかいているのは当然。健康的で俺の学生時代よりも好ましいもんだろ。
しかし年頃の女子高生に赤裸々に言うものではなく、九遠の必死なフォローに四葉は居たたまれず風呂へ直行した。
四葉はよく九遠の相手をしてくれる……というか、九遠の暴走にまともに相手できるのが四葉ぐらいだ。素早い子供にはより俊敏な姉が適任である。
九遠は姉の逃亡に肩を落とし母親にひっついた。どうせ後でボコボコに負けて暴れるんだ。かわいそうなのはむしろ本番だ。
「そういえば十和、さっきはタオルありがとうございました
まだ小さいのに気配りが上手ですね、みんな助かってますよ」
「ううん」
「……不思議ですね
私たちが言えることじゃないけど……十和も他のみんなと同じ五つ子なのに、こうも違うとは
当時の私たちは当たり前だと苦言を言っていた立場でしたが、逆の立場となった今は不思議に思ってしまいます」
「?」
「あの四人は我が強い、一方で十和はとても優しくて気の利く良い子……良い子過ぎるのです
十和にも何か好きなものや、これは他のみんなに譲れないと言えるものはありますか?」
「すきなもの……おかーさん、おとーさん……みんな
あとおねーちゃんも」
「はい、お姉ちゃんも十和が大好きです」
「ゆずるのはないかも、すえっこだもん」
「す、末っ子だからですか……?
末っ子でも我慢せずに好きなことできるんですよ? 怒ったりしませんし、怒られたら私が怒り返してみせます」
「……みんなといっしょがいい……」
「そ、そうですよね
……ゆ、ゆっくり探していきましょう、十和にとって大事なものを」
「? だいじなのはみんなだもん」
「それはそうですが……難しいですね……
末っ子は嘗められたら大変です……」
どういうシンパシーを感じているのかわからんが、過去の苦労から五月はアドバイスを送りたいようだ
五月は帰宅部で放課後は子供たちの幼稚園の迎えを担ってくれている。もちろん強制はしていないが……五月はよく下の妹たちの面倒を引き受けてくれる。
昔の俺と同じ目線でこの子を見てみたい、そう五月は言っていた。俺や先生のような人になりたいと憧れてくれている。
とはいえ、おまえの場合紛れもない身内の子供であるが、俺は赤の他人の子供を迎えていた。我ながら奇特な学生時代だったな。
十和の謎の末っ子理論に同じ末っ子が難儀している。子供は感覚で認知しているものが多い、この手の誤解は本人が苦しんでいない限り、ゆっくり解決していきたい。
「四葉の次は二乃が入る?」
「……時間かかるし、一緒に入っちゃおうかしら
前の家と違ってお風呂広いと助かるわ」
「じゃあ私は三玖と入ろうかな
お湯も冷めちゃうしさ」
「いいよ
……フータローはお母さんと?」
「今日はどうします、先生」
「……お湯がもったいないですし」
「……なんか今更だけど、ずっと仲いいよね
見せつけられると色々と目に毒」
「まぁまぁ、再婚前のこと考えれば仲良いほうが安心するよ
お母さんもようやく肩の荷が降りたって感じするし」
「ふん、まだお兄様相手に拗れてるだけでしょ、みっともない」
「……土日にデートの練習とか言って、フータロー連れまわしてるのは誰」
「……」
妹を膝に抱いて姉妹喧嘩するな、七尾と八重が無言で助けを求めてて不憫でならない。手招きすると姉の膝から降りて避難してきた。
年頃の女子高性からしたら、両親のじゃれあいなど見苦しく見えるだろう。仮に俺のお袋が存命だったら同じ目にあっていたかもしれない。たぶん夜遅くに散歩してたぞ。
しかし、こればかりはおまえのお母さんに言ってほしい。仲良いと言ってくれるのは嬉しいが、先ほどまで不安に思った身としては素直に受け取れなかった。
賑やかな二つの五つ子によってリビングはまだまだ活気づくようだ。二乃は風呂へ向かい、この後は順々に寝る準備を整える……はずなのに。
娘が十人もいる家庭だ、一日の終わり際も姦しいのだ。
「おとうさん、しちならべ! おかあさんも!」
「それなら九遠が好きなトーナメントにしてみよっか
一位にはお姉さんが好きなお菓子を買ってあげましょう」
「十人参加なら2つにわかれる
……ほんと、前の暮らしが小さく見える」
「家族が二倍も増えましたからね
でもあの小さいアパートの部屋も好きですよ」
「そうね、あの頃はあなた達も今のこの子たちと同じぐらいで
当時はこんな未来想像できなかった
……」
あのボロいアパートの一室を思い浮かべる中野家の面々に、俺の娘たちは首を傾げる。今の家よりよほど不便でも思い出には関係ない。
体が病んで一度は入院した母親だ。愛情だけではなく苦労や困難を経て、今の家庭がある。そもそも再婚すら考えてなかったらしい。
当時に思いを馳せて、母親は静かに目頭を覆った。子供に対しては痛ましいほど真摯な母親だから。
「あれ? どうしたのおかーさん
だいじょうぶだよ、おとーさんも、おねーちゃんもいるんだから」
「ママないちゃったの? だいじょーぶよ、ナナがそばにいるから!」
「……おかーさん、なかないで」
「わっ おかあさん!? いたいの? いたいのいたいのとんでけー!」
「なかないでおかーさん、なにかしてほしいことある?」
母親が涙ぐんでいると知って、子供たちが駆け寄って母親を慰める。
先生はそんな娘たちを両手を広げて抱きしめる。愛する我が子は一癖二癖あっても、皆優しい子だ。
「よく見たな、この光景」
「母が昔話に涙もろいのは今更ですが……今こそ夫の役目なのでは、風太郎君」
「ふふ、フータローが泣いちゃった時は私たちがしてあげる
でも今は良い旦那さんの見せ所」
「よし、名演が見れると期待して録画しよう
女優のパパなんだから、頑張って」
「おまえらもつくづく母親に甘いな」
「パパー! はーやーくー!!」
七尾め、さっきはママから離れろと好き勝手言ったくせに……非常時はわきまえる賢い子なのか。
昔よくやったぞ、娘らは成長し変わったのに俺と先生はあまり変わっていないのかもしれん。
娘に見守られながら、静かに愛する妻を胸に抱いて慰めた。手慣れた振る舞いでも、いつもこの瞬間は緊張してしまうのだ。
ただの風呂待ちだったのに、子供が多いせいで想像以上に時間がかかったものだ。
少しぬるい湯加減で、最後尾の人間からしたら追い炊きするのも気が引く。貧乏人の性と言えばいいのか。
おそらく一人で入っていたら寒さを感じていたのかもしれない。娘が同じ目にあっていたら問答無用で温めなおしてた。
まぁ……大の大人が肌と肌を重ねている分には、ちょうどいいのかもしれない。
「涙もろい日は疲れてる日が大半だったな
今日は何かありました?」
「いえ、そういうわけでは
すみません、迷惑をかけました」
「……まぁ、疲れてなくてもいいんですけど」
「ふふ、だらしないと言われたらその通りだけど
これは君にも非がありますよ、風太郎君」
「なぜだ」
「……ちょうどいいのです」
以前の家の風呂よりも広々とした浴槽で、妻は俺を背もたれにして腕の中にすっぽりおさまっている。
先生と一緒に風呂に入るようになったのはいつからだったか。あの時はまだ小さい子供たちの世話にがむしゃらで、その良策として共に入った気がする。
湯が温いのを嫌ってか、先生はより一層こちらに身を寄せる。
恋人の内だったら赤面して硬直していただろうが、結婚して数年経てば逆にその青臭さが欲しくなるものだ。
まぁ完全に慣れたわけではない。多少先生が老けてくれれば男の面子が保たれただろうが、生憎とこの人……憎たらしいほど美人でスタイル良いからな。
腕で囲んではいるものの、この手が不躾にもその豊満な胸を掴んだりすれば、安らぐ妻は驚き離れるだろう。
こうも素肌を晒して物理的に肌を重ねていても、男に性的な目で見られていると知れば異質なものとして捉えるのだ。男からしたら少し納得しづらいものだ。
一方で、年老いても女はいつまでも魅力的でありたいと思う生き物。男は形の変わる細い境界線を上手く飛び越えたり踏み抜かないといけない。
「……」
「……」
手の置き場にさまよい、先生の腹部に着地した。先生は変わらずリラックスしている。
柔らかい肌の感触に、自分は一人ではないことを実感する。一人暮らしの時はただの作業だった入浴も今は違う。
……ちょっと気になっていたことがある。それとなく探りをかけてお腹に指を添わせていく。
「風太郎君」
「すみません」
こえーよ、この人。目を瞑ったまま俺の手を掴んで胸元に連行されてしまった。腹よりそっちのほうが危険じゃないの。
「見ただけだとわかりづらくて」
「?
ここは見られている部位でしょう」
「それはそうだが、ふと気になっただけです」
「伺いましょう」
「……太ったなって」
ギチチチチと骨が悲鳴を上げそうなほど手首をひねられた。
覚悟していたがだいぶご立腹である。どちらかというと引き締まったウエストで言いがかりも甚だしいものだ。あくまでも比較的、過去との比較である。
早いところ弁明しないと本当に夫婦間に亀裂が走るかもしれん。立ち上がりかけた先生を背後から抱きしめる。
「あんた、細すぎなんだよ
このくらいで一安心だ」
「それで納得できますか
体型には気を配っているつもりではいます……」
「スタイル維持して我慢したり、疲れることもあるだろ
ようやく夫婦になったんだ、子沢山なのも幸せなことに違いないが
俺はあんたにも贅沢させたい」
「……」
「……父親になったからには、子供たちが最優先になっちまったがよ
だからその……もし無理してたら考え直してくれ
そう簡単にあんたを手放す気はねえよ」
「……無理だなんて、私は必要最低限しか
ダイエットもしていないもの」
「ダイエットつうか……美容?」
「……そこは、夫である君に申し訳ない気持ちもありますが
あまり……手の込んだことしていないわ」
「嘘つけ」
「う、嘘なんてついてません
私の化粧品や習慣など、君に筒抜けでしょう?」
「……だとしたら、何で俺の妻になった後もファンクラブが存続してんだ、ふざけんな
多少老ければ消滅すると思ってたのによ、人の妻に手出そうものならぶん殴ってやる」
「仮にも同じ教師が物騒なこと言わないでください
……こんなにも甘えているのに信じてくれないなんて、酷い人」
信じてはいるが、それとファンクラブは別の話なんです。五人の娘が同じ学校に通ってるものだから、昔より有名になってるし。
あんたは俺の妻であり、今もなお俺の憧れの人なんだからな。付き合っていない学生当時ですらファンクラブに嫌悪感あったのに、妻の要素が加算されれば殺意しか芽生えないだろうが。
昔から変わらずめちゃくちゃ美人で魔性の女なのかと疑ってしまうほどだ。その秘訣は結婚してもわからずじまいか、恐ろしい母親だ。
不満に委ねて先生を少し強く抱きしめてしまった。先生はその俺の腕に指を這わせて宥める。
「何度も言ってしまいますが、君は以前よりも逞しくなりましたね」
「あ? ああ……まぁ、子供が十人もいればな
高校生のあいつらも……美人だしな
厄介事に巻き込まれれば俺が守らねえとな」
「……私の為かと思ってたから……ちょっと妬けてしまうわ」
「……言わなくてもわかるだろ
一番はあんたを取られたくないが為だ」
「……そう言われると、嬉しくもやはり怖いわ
体型もそうだけど、いつか君を失望させて他の女性の下へ行ってしまうかと思うと」
「ねえよ、卑屈すぎる」
「……ファンクラブは何も私だけの話ではないのですが」
爪立ってる! 女を取られんが為に鍛えた筋肉に女の爪が刺さっている。
俺の勤め先の学校で、なぜか俺のファンクラブができたらしい。恩師を見習って生徒たちの相談に乗っていたら、求めていないものができてしまった。
結婚する前は×1の身を呪って夫に浮気されても何も言わないとかほざいていたが、今の先生はどうだろうか。爪立ててる時点でアウトか。
嫉妬する割にこの人は自分に対してのハードルが高く、その美貌を持ちながら自己評価はだいぶ低い。結婚してもこの点あまり変わっていないな。
「おかーさん」
「八重?」
「……」
「……長風呂しすぎたか」
娘が音もなく脱衣所まで来ていたらしい。あの八重が声をかける理由は単純に母恋しいからか。パパが占有できる時間終わってしまった。
八重にもう出ると伝えると小さく脱衣所のドアが開く音が聞こえた。
たぶん先生の実家でこれをやられたら俺はホラーを疑う。先生と静かに風呂のドアを見つめていた。
「上がります」
ざばっと波を立てて先生が立ち上がる。湯が滴り素肌から雫が落ちる様を至近距離で目にする。
少し屈んで浴槽をまたぐ様を斜め後ろから眺める。大きな胸に目が奪われてしまうのは男として致し方ない。そもそも先生も視線を自覚しているに違いないし。
ふと、これまで見た光景とは違う違和感が。先生は片手で腹部を隠していた。
さっき俺が触れた部分を。言葉にして傷つけるぐらいなら口をつぐむものだ。
先のリビングにて見た、幸せそうに寄り添う妻の顔を思い浮かべた。
「風太郎君もお早めに、温いと風邪ひいてしまいますから」
「……綺麗だ」
「え?」
「……言ってなかったから
綺麗だ、零奈」
「……」
先生は静かに俺の感想を聞いて、一度だけ苦笑して出ていった。
結婚して良かった、だとか……色々と他にも感想はあった。だが言うのも憚られる。何もかも言えばいいってものではない。
さじ加減が難しい。結婚しても、あの時先生と手を繋いだ日と同じ、恥ずかしさが生まれてしまう。
「くそ……変わってねえな」
悩みは尽きない。結婚した妻はいまだに難敵であり、さらに俺には十人の娘がいる。
高校生になったあの五つ子も手強く、俺の手を掴み引っ張ってくるのだ。
妻と二人きりになることも少ないんだ。昔と変わらず付いてくるからな!
加えて俺の娘である新たな五つ子。あいつらの悪ガキっぷりがかわいく見えるぐらい癖が強い。もうめちゃくちゃだ。
解決できそうな悩みなんか残っていない。五つ子ってめんどくせー
求められる人間になるという目標も叶ったのか曖昧だ。
なぜなら、俺たちはもう親なのだから。
「一人の女性を一生かけて愛する男
それを心がけていたんだがな」
妻が一番とは言えなくなった。それが親になったってことなのだろうか。
意気込みとしては正しくも、実際には最初から実現するはずがない心構えであった。
中野零奈は上杉風太郎の妻である以前に、あの娘たちの母親。
そして俺もまた、中野零奈の夫であるも……あの娘たちの父親。
娘が生まれてから、五つ子の母親と結婚してから、俺の第一に守るべきものは決まっていた。
その選択に、選ばれないだろう先生は……何も言わず先のように微笑むのだろうな。
だからこそ、愛してやまない人だ。
「おとうさん、はやくはやく!」
「パパおそい! しちならべするんでしょー!」
「おとーさんはね、睦海たちとしょうぶだよ」
「おとーさん もうかわりにやってよー」
「……」
「五人で来なくてもいいだろ……今出るから準備してなさい」
がたがたと風呂の戸を娘に開けられる。喧しいことこの上ないので手で追い払っておく。
娘に呼ばれたので渋々冷めた湯から上がる。集中して一人悩む時間すらないのが父親だ。
悩みは尽きない、が。
先生としたように……掴み抱きしめてくる手を離さないでいよう。
昔と変わらなくていい。必死に掴んでくる子供たちの手を取った、ありのままの自分で。