五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の園児その6 叶わない我侭

「…俺まで行かなくていいよな…」

 

「お兄ちゃん、まだ言ってるの?

 零奈さんたちにそういうこと言っちゃダメだよ?」

 

「おまえはあの人の怖さを知らないだろ」

 

「…また怒られたの…?」

 

 

 

 怒られたと言っても子供たちも一緒だ。言い返してやりたかったが情けない返答だった。とばっちりを食らっただけなのに何も言えない。

 

 あの鉄拳から数日後。土曜日となった昼過ぎ。妹と一緒に中野家のアパートに来ていた。らいはが子供たちと遊びたくて先生から招かれたのだ。

 

 招かれたのは妹だけだが、兄まで同行している。バイトがないから勉強したかったのに連れてこられたのだ。

 

 参考書を借りたい気持ちはあったが、鉄拳制裁の後だ。あれからバイトが重なり会ってないから余計に気まずいのだ。

 

 目の前に中野というネームプレート。もう着いてしまった。

 

 怒られるのは慣れたものだが…どうしたものか。

 

 

 

「…はぁ

 お兄ちゃんが人の目を気にするなんて…やっぱそういうことなんだ」

 

「ん?」

 

「恋は盲目ってほんとなんだねー」

 

「は、はぁ?」

 

「んー…でもお兄ちゃん友達いないからそれしか考えなくなっちゃうのかな…?

 必然的に尽くしちゃうのかな…?

 どうなのお兄ちゃん?」

 

「おまえが何を言っているのか分からない」

 

 

 

 妹が何か物騒なことを言っているが理解できない。恋は盲目って、恋愛で理性的な判断ができないって話だろ。いきなり何なんだ。

 

 疑問符しか思い浮かばない風太郎にらいはは呆れて、目を逸らした。

 

 

 

「…お兄ちゃんね…最近のお兄ちゃん変だよ?

 家でぼーっとしてるし

 しっかりしてる時はなんか…寂しそうだし

 お父さんも心配してるんだよ?」

 

「…」

 

「お兄ちゃんってさ…

 零奈先生のことばっかり考えて他のこと――」

 

「ま、待たせてしまいましたか、すみません」

 

「ッ!!?」

 

「あ、あれ?

 零奈先生? あれ?」

 

 

 

 背後から聞き慣れた声が聞こえて背筋が凍った。驚いて振り向くと部屋の中にいると思っていた人物がいた。

 

 やはり先生だ。箒を持って走ってきた。

 

 

 

「せ、先生

 何してるんすか」

 

「すみません、敷地内の落ち葉の掃除を…

 ここの管理人には良くして頂いているのでお手伝いを…」

 

「あー

 いつもうるさいですからね、あいつら」

 

「大変ですね…」

 

 

 

 この様子だと聞かれていないか。隣のらいはを見ると手を合わせて謝るジェスチャーをしている。殺されるところだったぞ。恥ずかしさで。

 

 

 

「あ、零奈せんせー!

 これ! つまらないものですが!」

 

「らいはちゃん…ありがとうございます

 ですが、そんなに気を遣わずにいらしてください」

 

「お父さんが持っていけって言ってたので!」

 

「ただの和菓子っすよ」

 

 

 

 うちが貧乏なのを知っている先生が恐縮してしまっているが、手土産ぐらい持っていかないと失礼だろう。との親父の言葉だ。

 

 親父が昨晩、駅前で買ってきたようだ。なぜかみかんの羊羹も個別で追加されている。四葉の好物のみかんだ。

 

 以前泊まった時のことを覚えていたのだろうか。それはいいんだが出費がでけえ。レシートは見たくなくてそのまま捨てた。当分おかずが一品減ることになりそうだぞ。

 

 部屋の中に入ると子供たちが待っていたようだ。珍しいお客さんに皆はしゃいでいた。

 

 夏祭りから数回しか会っていないらいはも喜んで五つ子の波に揉まれていった。今日は楽ができそうで何よりだ。

 

 

 

「ふ、フータロー」

 

「三玖か…って、なんだそれ」

 

「その…ね…」

 

「おう」

 

「…おこらない?」

 

「怒らない」

 

「…

 およめさんあんけーと」

 

「…」

 

「かいて」

 

 

 

 とりあえず先生の反応を窺ってみる。来客用にお茶を準備している先生と目が合った。

 

 先生の目が三玖が用意した紙に向いた。風太郎と見比べて、無視された。に、逃げやがった…絶対内容を知ってるくせに無視された。

 

 

 

「アンケートって何書くんだ?」

 

「フータローのね

 およめさんに…なりたいから…ね?」

 

「…」

 

「…なりたいから、ね?」

 

「ああ」

 

「どうしたらなれるか、かいて」

 

「何でそんなにアクティブなんだおまえ…」

 

 

 

 ただの真っ白な紙と鉛筆を渡されてちゃぶ台まで引っ張られる。

 

 他の姉妹はらいはと遊んでいるようで頼れそうにない。こいつこの状況を利用して持ってきたな。

 

 この子が自分を慕ってくれているのは知っていた。もしかしたらエスカレートしてこうなるのかもしれないと危惧していた。

 

 子供の戯言だと適当にあしらっても良かった。

 

 だが、この子を偽りの言葉で笑わせるのは絶対にしてはいけないことだ。

 

 

 

「三玖、少し話をしよう」

 

「うん」

 

「…三玖は俺のこと好きか?」

 

「うん」

 

「俺もな、子供の頃好きな人がいたんだ」

 

「え?」

 

「でもな、今はそうでもない

 子供の時と、大人になった時の好きは違うんだ」

 

「…?」

 

「三玖の好きは、本当にお嫁さんになりたい好きとは違うんだ

 俺のお嫁さんにはなれない

 その好きは、おまえにとって大切な人ができたときに生まれるものだ」

 

「…」

 

 

 

 三玖は黙って聞いていた。目を伏せることもなく、静かにこちらの目を見て聞いていた。

 

 ちゃんと分かってくれているのだろうか不安になった。何も反応がない。

 

 

 

「俺もな、三玖が好きだぞ

 でもな、一花も、二乃も、四葉も、五月も同じだ

 本当の好きは、一人だけ好きになるだろ? 違うか?」

 

「…ううん」

 

「…決めつけて悪いな

 でも、おまえはまだ子供だ

 いっぱい甘えて、いっぱい泣いて、いっぱい人に会うんだ

 その中におまえが好きになる人がいるはずだ

 俺はそれを応援する人だ、一人にはしねーから安心しろ」

 

「…

 およめさん…なれない…?」

 

「…」

 

「ふ、…フータロー

 もうわがまま、いわないから

 め、めいわくかけないからっ

 いっぱいやくにたつ、たつからっ

 ほ、ほんとだよ?うそじゃないよ?

 いまがダメでも…がんばるから」

 

「三玖…おまえ」

 

「それでも……それでも…ダメなの…?

 ダメ、なの…なれなぃ……?」

 

「…」

 

「フータローのこと、だいすきです…っ」

 

 

 

 三玖は泣いていた。泣かせてしまった。

 

 泣いても、嗚咽を口から零そうとせず、必死に自分の思いを伝えてくる。

 

 懸命に繋ぎ止めようとしている。微かに残っている糸が切れないように自分の真剣さを教えている。

 

 三玖の言葉は風太郎の胸に深く突き刺さってしまった。この子の思いの強さにも。その思いが自分が抱いたものと全く同じなことに。

 

 断ることが、この子の為なのは分かっている。今ここで泣いてしまってもいずれ思い出は風化して、本物の好きを知る日がくるはずだ。

 

 その時、この出来事が笑い話にでもなればいい。私は子供だったと、馬鹿なことをしたと笑ってくれたらいい。

 

 人の思いを、望みを、完全に潰すことはとても重たかった。

 

 

 

「ああ…

 三玖はなれない

 俺はおまえを、後ろから守る奴だ

 隣を歩く奴は別にいる」

 

「………わ、がっだっ…」

 

 

 

 三玖は走ってしまった。最後に目を伏せていた。泣くのを我慢しようとしたのだろう。それができなくなって…走っていった。

 

 玄関のほうへ向かったから、まさかと風太郎は腰を上げた。向かったのは脱衣所だった。ドアを閉じて篭もってしまった。

 

 

 

 

「―――」

 

 

 

 子供が泣いている。堪えていたものが溢れて一人で泣いている。

 

 

 

「…上杉君」

 

「すみません先生、こんな時に」

 

「いいえ…

 私からも…勝手ながら貴方と似たようなことをあの子に教えたのですが」

 

 

 

 見れば妹と遊んでいた四人も静まってこちらを見ていた。悪いな。せっかく遊んでたのに水を差してしまった。

 

 やはり自分は不器用だ。子供たちを泣かせてばかりだ。自分が…嫌になる。

 

 

 

「…あの子は諦めませんでした、あの子も他の子と同じで頑固者です」

 

「まったくだ…」

 

「でも、三玖はたぶん分かっていたと思います

 あの子は自分に自信が持てない子ですから…

 …分かっていても、諦めたくなかったんだと思います」

 

「…」

 

「上杉君

 あの子の思いを、真剣に受け止めてくれてありがとう

 …ごめんなさい」

 

「いえ…もう少し、上手くできたら良かったんですがね…

 すみません」

 

 

 

 三玖を泣かせてしまった。あんなに慕ってくれているのに。慕ってくれるようになったのに。裏切ってしまった。

 

 あの子の笑顔が好きだった。その笑顔が自分に向かれていることが嬉しかった。普段笑わない子だからその温かい思いが心地よかった。

 

 でも今はさっき見せた、必死に縋ろうとするような、不安を押し潰して笑おうとするあの子の顔しか思い浮かばない。

 

 

 

「お兄ちゃん、酷い顔してるよ…

 三玖ちゃんには私からも言っておくから、大丈夫だよ」

 

「…悪いな、頼めるか

 俺と話すのは嫌がるだろうからな」

 

「まかせて!

 みんなも手伝ってね!」

 

「う、うん!

 おねえちゃんだもん! わたしもはげますからだいじょうぶだよ!

 ふーたろーくんなかないで、ね?」

 

「し、しかたないから、めんどーみてあげる

 …だからいったのに…バカ…」

 

「三玖…うえすぎさんのことだいすきだったのに

 きらいになっちゃうのかな…やだな…」

 

「よ、四葉…そんなこといわないでよぉ

 そんなのいやだよ…

 三玖…おにいちゃんがきて、いっぱいわらって、たのしそうだったのに

 いやだよぉ」

 

「ご、ごめんね五月っ!

 そ、そうだよね! あんなにかわったんだから、きらいにならないよね!」

 

 

 

 嫌いになる、か。もし以前と同じような。いやそれよりもっと悪い形になってしまったら…もうここには来れないな。

 

 分かっていながら自分で起こしたことなのに。考えると憂鬱な気分になる。拒絶したのだからその覚悟はあって当然だろうが。

 

 

 

「先生、自分は帰ります

 これ…返しておきます」

 

 

 

 今ここにいる理由はない。今は三玖が泣き止み、立ち直ってくれることを望むだけだ。

 

 持ってきた鞄から取り出した物を渡す。先週借りた参考書だ。

 

 

 

「…今は受け取れません

 また来てくれませんか」

 

「…はい」

 

 

 

 受け取ってくれなかった。その優しさが少し温かかった。

 

 それとも、自分が逃げ腰になっているのを見抜かれたのだろうか。だったら酷い教師だ。

 

 玄関へ向かい、近くのドアを見る。咽び泣く声が聞こえる。

 

 声をかけたい気持ちもあったが、やめた。自己満足に付き合わせてどうする。

 

 靴を履いて、物音を立てないよう静かにドアを開ける。

 

 開いたところで先生がこちらへ歩いてきた。

 

 

 

「上杉君、雨が降りそうですから」

 

「傘なんていいっすよ…大丈夫です」

 

「…雨で濡れる貴方の顔は見たくありません」

 

「…」

 

「…

 あの話があったから…なのでしょうか」

 

 

 

 あの話とは、半年後のことだろうか。

 

 

 

「そんな器用な人間じゃないんで」

 

「そうですか…」

 

「でも、いつかは別れるつーか

 子供の頃に関わった人間なんて、大人になったら忘れるもんですからね

 小学校に上がって…中学までに俺のことを覚えてるか怪しいもんですよ」

 

「…」

 

「こんな酷い終わり方は御免だ

 三玖にとって、いやあの子達全員だ

 必ず良い形で去りますよ

 そこだけは心配しないでください」

 

 

 

 それがけじめだ。あの子達と接してから決めていた。

 

 悪影響がないように、綺麗に、後腐れのないように済ませる。

 

 そろそろこれに尽くさないといけないのかもしれない。

 

 先生との約束は絶縁ではない。来年もあの子達と接しても問題はない。

 

 だが約束とこれは違う。これは自分の為のものだ。けじめだ。

 

 あの子達が忘れても、自分は違う。後悔のない終わり方でありたい。それだけなんだ。

 

 

 

「…上杉君」

 

 

 

 俯いていた風太郎はそれを認識するのに遅れた。顔を上げていれば何が起こるかすぐに分かったかもしれない。

 

 俯いていた視界の、先生の足が玄関まで下りてきた。何だと思ったら両肩から背に何かが触れてきた。頬に髪の毛が当たって、体全体が温かく包まれて…

 

 抱きしめられている。そう察した風太郎はすぐさま後ろへ飛んだ。玄関から外に出てしまうほど慌てていた。

 

 

 

「あ…」

 

「えっ、

 あ、こ、これは…」

 

「すみません、不躾な真似を…」

 

「ち、違うっつうの!

 つ、つーか、びっくりさせないでくれませんかっ」

 

 

 

 やってしまった、そんな顔をして先生が慌てている。なんてことをしてくれたんだこの人は。

 

 心臓が飛び跳ねるかと思った。急激に心拍数が上がって動悸が抑えられない。鼓動がこんなにもうるさいのは初めてだった。思考が乱れて集中できないでいる。

 

 抱きしめられたのか。なぜ急に。顔も見てないし、先生が密着してきたことしか感じ取れなかった。とても温かくて柔らかかったのは覚えている。

 

 良い匂いがしたとか、胸の当たりが柔らかかったとか、邪な感想も湧き上がってきて羞恥でおかしくなりそうだった。

 

 自分の顔が赤いのが分かる。先生の顔は特別変わった様子がなくて非常に恥ずかしい。このまま走って逃げたい。

 

 

 

「…その

 仕返し…ということで許して下さい」

 

「し、仕返し?」

 

「四葉が泊まった日を覚えてませんか」

 

「…ぇ」

 

 

 

 四葉の前で泣いている先生の肩に触れた時のことか。確かにあの時の先生は今までないほど慌てて驚いていた。

 

 仕返しかよ!ふざけるな!あんた自分がどんだけ美人なのか分かってやってるのか!少なくともファンクラブができるほど高校生男子が憧れる美貌持ってるんだろうが!

 

 恋愛に興味がない風太郎でもこんなことをされては平常心を保つのは難しい。しかも相手は子供の頃から憧れていた人だ。気がおかしくなる。

 

 子供相手だから気が緩んだのか。そう思うと怒りも込み上がるものだ。

 

 

 

「辛そうにしている貴方は…見ていられません」

 

「…

 あの子が泣いているのに、慰めなんて受け入れられません」

 

「…そうですか」

 

「当たり前だ」

 

「傘、お貸しします」

 

 

 

 上を見上げれば確かに灰色の雲が漂っている。時折ゴロゴロと不穏な音が空から聞こえてくる。確かにこれは降りそうだ。

 

 大きめの傘を受け取る。普段先生が使っているものだったはず。つまり早めに返す必要がある。明日まで雨が降り続けたら尚更。

 

 小さいほうはらいはに貸す必要があるからな。これが無難なんだろう。きっと他意はない。

 

 

 

「三玖…頼みます」

 

「はい」

 

「…先生が、決めてくれませんか?」

 

「…?」

 

「…嬉しかった

 好きだと言ってくれて…すげえ嬉しかった…

 馬鹿みたいに、嬉しかった

 …言っていいのか…わかんなかったんです」

 

「わかりました」

 

「…失礼、します」

 

 

 

 これほど情けない男がいるのだろうか。一度決めたことを、抱きしめられて、慰められたからって揺れる奴が。

 

 言えば三玖は喜ぶだろう。だが結果は変わらないのだ。蛇足でしかない。いらない言葉だと分かっている。

 

 でも自分の思いは伝えたかった。好きだという気持ちを知ってほしかった。子供相手にここまで振り回されて情けない。

 

 そんな心中を察しているのか、先生は笑って力強く応えてくれた。

 

 三玖。辛いだろうな。俺も正直辛い。頑張っても届かない人がいる。どんな形でも傍にいてほしい人がいる。

 

 たとえどんなに強く願い。どんなに努力したとしても。その相手が人間ならば叶うとは限らない。何をしたってどこまでも不安が付き纏う残酷な世界。

 

 それが恋愛だ。いくら努力しても失敗はある。風太郎の嫌いなものだ。大嫌いなものだ。

 

 もしも、あの子と同年代だったら違っていただろう。あんなに健気に真剣に思ってくれる子がいたら。これ以上は不毛な妄想だ。

 

 溜め息が漏れる。空を見上げると雫が目元に落ちてきた。

 

 約束を結んだ傘を差す。あの子を傷つけて泣いてなどいられない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「三玖ちゃん、出ておいで…?

 和菓子持ってきたんだよ

 三玖ちゃんの好きな抹茶もあるんだから」

 

「三玖ー

 いつまでもないてると、ふーたろーくんきらいになっちゃうよ」

 

「そうよ、ウジウジしてないではやくでてきなさい!

 あんた、こうなるってわかってたでしょうが!」

 

「だ、ダメだよ二乃!

 三玖ないてるんだから!」

 

「かんけーないし!

 うえすぎもすきだったら、ロリコンじゃん! はんざいじゃん!」

 

「ろ、ロリコン?

 ロリコンってなんですかおねえちゃん」

 

「た、たぶん今は知らないほうがいいかな…」

 

 

 

 三玖が脱衣所に篭もってから一時間。泣き声が止んだ頃を見計らって子供たちが励ましの声を投げかける。

 

 しかしドアの向こうからは返事はなく、時折鼻を啜る音だけが三玖の存在を知らせている。

 

 

 

「三玖、出てきなさい

 もう一人で泣かなくていいのですよ」

 

「…」

 

「三玖ー

 おかあさんがおこるまえにでたほうがいいよー…」

 

「おこるのかな…?」

 

「おこらないでしょ…ないてるし」

 

「え、わたしないてるときにゲンコツ…」

 

「…貴方達は泣いている三玖が心配なのか、叩かれる三玖が心配なのかどっちなのですか」

 

「ちょ、ちょーっと皆で作戦会議しよっか!」

 

「う、うん!」

 

 

 

 子供たちの失言にらいはは一度離れたほうがいいと察した。言わなくてもいいことを口走ってしまう妹分たちには困ったものだった。

 

 母親だけが残った。先生は静かにそのドアを開けた。

 

 元から鍵など掛かっていない。子供たちは無理矢理中に入ることなどせずに、三玖が自ら出てくることを待っていた。

 

 中にいた三玖は地べたに座り込んでいた。膝を抱えて顔を伏せている。

 

 

 

「…三玖」

 

「フータロー、おこってた?」

 

「いいえ、ずっと心配していましたよ」

 

「…う、うぅ…うぅぅううっ

 ひぐっ…うぅ…」

 

 

 

 心配してくれている。それだけで涙が溢れてくる。嫌われることを恐れる子供にはそれだけでも嬉しかった。

 

 母親は三玖の隣に座り、大切な我が子の頭を撫でた。

 

 

 

「三玖は上杉君が本当に大好きなのですね」

 

「…うん」

 

「どうして?」

 

「…いっしょに、いてくれるって

 あし、おそくても…なにもいわなくてもぉ…いいって!

 いてくれるってぇ…!」

 

「そんな約束をしてくれたのですね

 良かったね、三玖」

 

「やだ…やだぁ!

 いっしょにいたいのに…!

 なんでなの、なんでダメなの…!

 とし、はなれてるから…?

 こどもだから…?」

 

「…そうですね、まだ三玖は子供です」

 

「うぅう…ぐす…っ…ひぐっ」

 

「…でも、三玖は立派です

 今は貴方をただの子供と思えませんよ

 私は貴方をこんなにも好きなんです…って

 そんなかっこいいこと…一度でも言えるかどうか」

 

「そう…?

 こどもじゃない…?」

 

「上杉君は…貴方が好きな男性は、嬉しかったと言っていましたよ

 三玖が子供じゃなかったら勝ちでした」

 

「…ほんと…?」

 

「ええ

 だから、泣かなくていいんですよ

 貴方がこの先、その気持ちを育んで、消えることがなければ…もう一度伝えてみなさい

 悲しむことはないのですよ、三玖」

 

「…うん」

 

 

 

 顔を上げる三玖の手を先生が取った。涙で目を赤くする娘を抱きしめる。

 

 この娘は強い子に育ってくれた。

 

 心配していた。五人の中で臆病で優しい子が、周りに押し潰されてしまわないか怖かった。

 

 自分から、姉妹から離れてしまった時。この子は泣いて動けなくなってしまうのではないか恐ろしかった。

 

 でもあの時。風太郎に思いを告げようと涙を堪える姿を見てそんな不安が晴れていく思いだった。

 

 子が懸命に尽くしている最中に全く別のことを考えていたのだ。母親として失格だろう。でも嬉しかった。

 

 優しい心を持ったまま強い子になってくれた。ただそれが嬉しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「抹茶の…なにこれ

 おまんじゅう?」

 

「ちがうよ、これマカロンよ」

 

「あれ、和菓子だって…

 でも凄いね二乃ちゃん!」

 

「こ、これぐらいとうぜんなんだから…

 ほ、ほら三玖、たべなさいよ」

 

「まだいい…」

 

「あ、あっそ…なくなってもしらないから」

 

「三玖もおいでよー」

 

「た、たべちゃいますよっ」

 

「五月ちゃんがいうとなー」

 

「わー! たべません!」

 

「三玖ちゃん、食べたくなったら言うんだよ?」

 

「…うん」

 

 

 

 三玖は母親に連れられて居間に戻ったが姉妹の輪には入れないでいた。そんな気分じゃなかった。

 

 心配してくれることが嬉しかった。だが気恥ずかしさとさっきまで泣いていた虚しさもあってやはり一緒にはなれなかった。食欲もない。

 

 母親は心配そうに見ているが、窓を見て何かに気づいた。

 

 

 

「どうしたんですか?」

 

「すみません、管理人…大家さんですね」

 

「あのお婆ちゃんですか…あー、だからお掃除手伝ってたんですね

 あ、大丈夫ですよ、こっちは見てますよ」

 

「すみません、らいはちゃん」

 

「食べてるだけですし!」

 

「三玖、少し離れますね」

 

「う、うん」

 

「いってらっしゃーい」

 

 

 

 子供たちに見送られて母親が外へ出た。三玖は少し寂しさを覚えたが顔を振って誤魔化した。

 

 居間から死角になるところに座り込んでしまった。今は賑やかに話したい気分じゃなかった。

 

 だけど一人は寂しい。皆の話し声が聞こえる場所にいたかった。

 

 

 

「お母さんいなくてもみんな偉いね」

 

「そうかな…いっぱいめいわくかけてるのに」

 

「一花ちゃんが一番やんちゃなんだっけ」

 

「や、やんちゃなのは四葉っ!」

 

「えー!?

 一花だよっ」

 

「うー

 あ、そ、そうだっ

 おねえちゃん、おねえちゃんとふーたろーくんのおかあさんってどんなひと?」

 

「!」

 

 

 

 フータローのお母さん。

 

 三玖にとって気になっていたものだった。

 

 影送りを教えてもらった日。風太郎の母親に会いたいと言ったことがあった。

 

 きっとフータローみたいに優しいんだ。会ってみたい。

 

 風太郎の妹のらいはも優しいお姉ちゃんなのだ。会いたいという気持ちは増していった。

 

 つい気になって、こっそりと顔だけ出してみた。

 

 

 

「お母さんかー

 ごめんね、私お母さん知らないんだ」

 

「え?」

 

「知らないってなんで?」

 

「…あ」

 

「え?

 あ、あー!

 このケーキおいしいですね!」

 

「それマカロンだっていったじゃん」

 

「なんでもいいです!!」

 

 

 

 二乃と五月だけは知っているようだった。三玖には不思議な反応だった。

 

 

 

「あはは、二人は知ってるみたいだね

 うーん…そのね

 私達のお母さん、もういないの

 私を産んだ後にね、死んじゃったの」

 

「え?

 ご、ごめんなさい!」

 

「ええええ!?」

 

「四葉ッ!しつれーですよ!」

 

「だ、だって…!?

 …だってぇ…

 あんな…あんな…おとーさん、わらってたのに……おかしいよぉ…」

 

 

 

 そっと三玖は隠れた。

 

 

 

「…フータローのおかあさん…しんじゃってたんだ…」

 

 

 

「わ、私のことはいいんだよ?

 もう全然覚えてないから!

 もしお母さんのこと知りたかったらお兄ちゃんに聞いてみて」

 

「き、きけないよ…

 きいたら、かなしくなっちゃうもん…」

 

「そ、そうね

 うえすぎ、おかあさんだいじにしてたよね

 きいたら、おもいだしちゃうよね」

 

「…あいたいとおもってたのになぁ…

 おとーさん、いいひとだったから…あいたかったなぁ…」

 

「よ、四葉っ

 だ、ダメですよ、そんなこと…いっちゃダメだよ…」

 

「だって!

 四葉みたもん!

 こわかったけど!やさしいおとーさんだったもん!

 なのに…なんで…」

 

「…お父さんそれ聞いたら喜ぶと思う

 四葉ちゃん、ありがとー!」

 

「う…うぅ…ごめんなさい…ごめんなさぃ…」

 

「…わ、わたしも…あのとき、おこっちゃった…

 や、やっぱり…うえすぎ、わたしのこと…きらいかな

 いやなこだと、おもってるかな…ぐす…」

 

「お兄ちゃん、二乃ちゃんのこと大好きだよ?

 この前お菓子作りの本買って読んでたよ

 二乃ちゃんのためだよ」

 

「…よかった…うぅ、よかったぁ…」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…どうしよ……どうしよう……っ…やだっ、どうしよぉ…!」

 

 

 

 自分はあの時なんて言ったか。薄暗い視界の中が一層暗くなるような感覚だった。なんて言ったか。

 

 フータローのおかあさん…あってみたい

 

 そう言った。

 

 言ってしまった。三玖は自分の胸の鼓動が早まっていくのを感じた。嫌になるほどうるさい。息がしづらい。

 

 何も知らなかった。死んでるなんて知らなかった。しらなかったよフータロー。

 

 風太郎は優しく笑って答えてくれた。また今度、と。その時は何も悲しいものだと欠片も思わなかった。いつも笑ってくれるいつものそれだったから。

 

 母親としたと言っていた影送り。教えてくれて凄く嬉しかった。風太郎と手を繋いだ影を見れて嬉しかった。

 

 風太郎の家族に近づけたような、形容しがたい幸せがとても心地よかった。

 

 しかし、あの時気になっていたことがあった。それが何なのか分かってしまった。

 

 影送りを一緒にした時、風太郎は泣きそうな顔をしていた。何でか分からなかったが今は分かる。

 

 おかあさんがしんじゃったから。じぶんのせいでおもいだしちゃったから。

 

 

 

「――あぁ…ぁぁぁっ…!

 どうしよ、どうしよっ…」

 

 

 

 三玖は立ち上がって、おろおろと慌てて困迷に陥った。不安が波のように迫ってくる。

 

 ひどいことをしちゃった。だいすきなひとをきずつけた。さいていなことをした。

 

 知らなかった。そんなこと知らなかった。許してほしい。ただこの思いと後悔が頭に纏わりつく。

 

 何でここまで焦っているのか子供の三玖にはまだ理解しきれなかった。パニックに陥っていた。

 

 分かるのは、風太郎に酷いことをしてしまった。嫌われてしまう。これだけで身も心も凍りつく。凍りつかないように体が動いてしまう。震えが止まらない。

 

 

 

「ふ、フータロー……に…」

 

 

 

 風太郎に謝らないと。許してほしい。嫌いにならないで。知らなかったの。もう我侭言わないから。迷惑かけないから。ごめんなさい。

 

 強い不安に陥った三玖はすぐに決めた。その目は、玄関、風太郎が出ていったドアを見つめている。

 

 それは子供がしたいこと。何をするか、何があるのか。具体性などない欠如した願望。親が危惧する行為。子供の拙さ。

 

 三玖は玄関に向かい、靴を履いた。三玖の心は焦っていた。上手く履けず一足は踵で踏んでしまっている。

 

 玄関のドアノブに手をかけ、開けた。一切の恐怖もない。振り向かずに出て行った。

 

 もう不安に満ちているのだから。後ろを向かずに走る。ただ会いたい。今すぐ会って謝りたい。

 

 どこに向かうか分からないまま、だいすきなひとの背中を探して一人で飛び出してしまった。


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