「おっじゃましまーす!」
「お、おじゃまします…」
「ん?
なんだ、戻ってきたのか
四葉ちゃん…と…」
「三女の三玖だ」
「おう、三玖ちゃんな
いらっしゃい!」
三玖と四葉を連れて自宅に戻ってきた。予定にない来客に親父は驚いて笑っていた。
風太郎の母親を知りたい。三玖が口にしたお願いだった。
らいはが中野家を訪れ子供たちと遊んでいるところで、風太郎は三玖と一緒に自宅に向かおうとした。
そこに四葉もついてきたのだ。母親の写真があるのを知って、見たいそうだ。
「…」
「だいじょうぶだよ三玖!
うえすぎさんのおとーさん、とてもやさしーんだよ!」
「ガハハハ! 四葉ちゃんもびびってたがな!」
「び、びびってないよっ」
三玖は金髪とサングラスを見て風太郎の後ろに隠れてしまった。三玖にはハードルが高そうだ。
三玖はいつものヘッドホンを付けていない。昨日の雨で濡れて壊れてしまったようだ。
普段ヘッドホンとして機能していなかったものだが、水を吸って乾かしているそうだ。随分と重たいアクセサリーだな。
見分けがつきにくい五つ子の特徴を教えてやりたかったが、今回はやめておこう。幸い一番目立つリボンがきているからな。
というか四葉。おまえも親父と接点ねーだろうが。前に泊まった時に一回しか会ってないはずだが。
また勘なのか。それとも思い出が美化されているのだろうか。仲良いのは良い事だから指摘しないでおく。
「母さんの写真見たいってよ
いいだろ?」
「べつに構わんが、大事にしてくれよな」
「はいっ」
「うん…」
「写真割っちまったら母さんが化けて出てきちまうからなぁ…」
「わ、わりません! わらないよ!」
「悪さばっかりしてるのは知ってるんだぜぇ…へっへっへ」
「み、みるだけ! うわー! わー!」
「走るな」
親父のお化けの物真似に四葉が逃げて、追いかけっこが始まった。何やってんだ。狭いんだからやめてほしい。
居間に座って三玖に写真を渡す。三玖は受け取って風太郎の隣に座り込んだ。
じーっと見つめて、風太郎と見比べている。
「似てないだろ」
「にてる」
「そうか?」
「…やさしそう…」
「そうか」
「フータローとにてる、め」
「…」
「…ごめんなさい」
「ん?」
「しらなかったから、しんじゃったって」
三玖は俯いたまま風太郎の膝の上に座ってきた。いきなりで驚いた。あと重い。
黙ってその頭を撫でてやった。
「ごめんなさい、フータロー」
「おまえ、もしかしてそれを言うために家を出たのか?」
「…うん」
「アホか」
「うぅ…」
べしべしとその頭を叩いてやった。もしかしたらと思っていたが的中だった。
「でも…フータローかなしかったよね?」
「思い出しただけだ、悲しくはなかったからな」
「…でも」
「嘘じゃねーよ
それにな、思い出せて本当に良かったぜ
ありがとな」
「…」
三玖を膝に抱える。三玖は何も言わずただしがみついている。
まだ何か言いたいことがあるのだろう。待ってやった。
三玖と仲良くなった当時を思い出す。こうしてこいつの次の言葉を待って長い時間を過ごしていた。
昨日は雨が降り、今日は晴れている。
秋の日向の温もりに当たりながらのんびり待とう。
以前はこんな風に時間を過ごすことに躊躇いと焦りがあったが、今は全くなかった。
「風太郎、ちょっと外で遊んでくるわ」
「いってきます!」
「仲いいな
好きにしろよ」
逆にあっちは騒がしいようで親父と四葉は揃って玄関を出て行った。今日は四葉と遊べそうにないし親父に頼らせてもらおう。
少しして、三玖がこちらを見上げてきた。
「おかあさん、どんなひと?」
「…頑固だったな」
「へー」
「毎日パンを焼いてくれたんだ
死ぬまでずっとな、少しは休めばいいってのに
やりたいことはやめない、そんな人だ」
「パン…」
「なあ三玖、思い出すのは悪いことじゃないだろ」
「うん…フータローおこってない」
「だから怒ってねえって
…だから…まあ…なんだ
おまえもな…俺のことを思い出してくれたら嬉しいよ」
「ふ、フータロー…しんじゃうの?」
「違う違う
三玖は俺に告白してくれたよな」
三玖を両手で持ち上げて、目の前に座らせた。
また泣かせてしまうだろうか。
「三玖、こんな風に会えなくなる日が…そのうちくるんだ
ずっとじゃないのは、わかってるよな?」
「…」
「これから長い人生、何回か会うだろうな
でも、今だけだ
今だけ、こんな風に沢山会って、遊んでいられる」
今のような、幼い子供と世話してくれる兄のような関係は終わる。長くても1年…2年。
家が近かったり、繋がりがあればいい。でもそれが残っている保証はない。
べつに構わないんだ。だんだんと疎遠になっていけば悲しみも薄れていく。皆そうだろう。疎遠になるからって別れを切り出すのはおこがましい。
だが、三玖が心配なんだ。少し会えないからって泣いたこの子が。好きだと言ってくれたこの子がどう思うのだろうか。
「…およめさん、なれない…?」
「そんなにお嫁さんになりたいのか」
「なりたいっ!」
単純にこの子に押し負けているだけなのかもしれないが。
バッサリ断るなり、中途半端でもそれなりの言葉で返してやればいい。
「…フータロー…こまってる…よね」
「まあな…
良い兄貴分でいてやるってのに…まったく
世話してくれたお兄ちゃんがいてくれたなーって、それでいいんじゃねえの」
「…わかんない」
それを拒むのは自分の我侭。優柔不断。他人のことを考えるとここまで面倒になるのか。
簡単な話だ。この子が好きだ。一花も、二乃も、四葉も、五月も。大切な人だ。断って泣かせたくないのだ。
そして何より、この醜い同情が嫌になる。
現実的ではないこの子の願いが。自分があの人に抱いているものに似ているのだ。
だから、中途半端で終わらせてしまうことが嫌になる。ちゃんと向き合って答えたい。
子供だからと。年齢に差があるからと。そんな理由で誤魔化すようなことはしたくなかった。やはり我侭だ。
それでも、この子たちとの繋がりが消えるのも悲しくて寂しいと思ってしまう。
だから、たまにでいいから、思い出してくれたら嬉しい…それだけで十分なんだ。
他人と関わるとろくなことがない。出会わなければ良かったと思ってしまうのは心が弱い証拠だ。
他人と接して、自分も成長できるような。そんな人間になりたかった。
「あれだ、おまえ
ある意味、旦那さんとは別に甘えられるお兄さんが手に入るんだ
べつにお嫁さんに拘らなくてもいいだろ」
「フータローのお嫁さんがいいの」
「そうかよ」
最高の条件を提案してやったのに我侭な奴だ。腕を掴まれてしまって離してくれそうにない。将来魔性の女になるんじゃないか。
「というかおまえ…あの告白は何だ」
「?
みんなとかんがえたの」
「そういうことか」
もう我侭言わない、迷惑かけない、役に立つから、今がダメでも
正直驚いたが。驚いたのだが。あれは別れを切り出された時に泣いて縋りつく時の言葉じゃなかろうか…
三玖の本心なのかもしれないが、なぜそこまで言うのか心配にもなった。
「やっぱりいやなんだ…」
「…十歳も離れてるしな」
「…おなじだったら…よかったのに」
「…おまえが高校生か
緊張しないで、しれっと言いそうだな、おまえ」
こんなに我侭な奴だ。周りなど見ないで猪突猛進のような告白をするんじゃないか。
自分に自信が持てない子でも、好きになったらこんなにも思いの内を見せてくれる子だ。
逆に自信過剰な二乃は自分から告白などしないだろう。王子様とか夢見てるしな。理想が高いまま育ったら告白させる女子になりそうだ。
少し寂しくはあるが、それでいい。幸せになってくれれば俺はそれでいい。
「フータローだけだもん
フータローしかすきにならないもん」
「ほー
最初は怖がってたくせに、よくそんなに好きになったもんだな」
「こわがってないもん」
「うそつけ、覚えてるからな
ほうっておいてって言われたしな」
「…
む~!
そんなことより、こくはくのはなしっ
フータローのすきなおよめさん、おしえて!」
「覚えてるくせに
無視されたの傷ついたんだからな」
「フータローがつめたいからだよっ!」
頬を膨らませてこちらを押してくる。押されるがままに寝転がると腹に乗っかられた。いきなりは苦しいッ
告白を放置されて怒った三玖が風太郎の頭を叩いてきた。流石に怒ったか。
結局幼稚な願いとはこうやってはぐらかされてしまうのか。複雑なものだが仕方ない。
怒っていた三玖の顔がもう笑っている。はしゃぐような声を上げてじゃれてくる。
お子様め。これだけ悩ませて結局笑っていやがる。
こっちはおまえたちの笑顔に弱いんだ。
泣いてばかりいたこの子には笑っていてほしい。普通に見守らせてほしいのに手を引いて巻き込んでくる。
手を見せると、三玖は笑ってこの手を掴んでくれた。胸に抱きしめようと寄りかかって、こちらに倒れてきた。
手を繋ぐ。こんな小さな幸福が手放したくないほど、嬉しくて幸せなことだった。
最初あの子に嫌われていた。
臆病で人見知りのあの子は突然の部外者を警戒していた。
声をかけても無視され、誰かの背中に隠れてしまう。
先生と子供たちを幼稚園から迎えた帰り道。
車が通る大通りから逸れて住宅地に入り、子供たちが走っていた。
一花や四葉、五月が風太郎も一緒に迎えに来たことではしゃいでいた。
四葉が走り、それを追いかけていた。
その中には三玖もいた。
皆が走る中、三玖の後姿は危なっかしかった。
案の定、どてっと派手に転んだ。
よく見る光景だ。子供たちは三玖の下へ集まろうとするが、三玖はすぐに立ち上がった。
大丈夫そうだと見た子供たちは再び遊びだした。一花は三玖を気にかけて待っていたな。
母親が三玖の怪我の様子を見ていたが、目立った傷はなかった。
「…おい三玖
転ぶとそのヘッドホン壊れるだろ
外しとけ」
「…」
「先生から貰ったんだろ
大事なら渡しておけ」
「ほうっといてッ」
つい口を出してしまった。無視され、怒らせてしまった。
風太郎に見向きもせず一花の下へ走っていった。生意気な奴だ。
「いいんすか」
「…あの子が気に入っているものですから
取りたくないのなら無理に取り上げなくてもいいでしょう」
「壊れたら泣くでしょう」
「…壊れるから、気をつけなさいと教えたのですがね」
「走らなきゃいいのに」
あの子のヘッドホンは傷だらけだ。
何度も転んで、派手な音を出して、泣きそうになりながらも立ち上がって走ろうとする。
待っている姉妹に追いつこうと走っている。
その表情は焦っていて、恐れていた。
置いてかれることが怖い。そんな顔だった。
姉妹の中で劣っていることが嫌で、あの子は自分に自信が持てない子だった。
三玖は足が遅い。本人も気にしていることだ。
それでも諦めず、必死に皆を追いかけていた。
何度目だっただろうか。あの子が転ぶ姿を見ていた。
気づけばあの子を見ていた。
時には気だるそうに。時には怒りながら、時には笑いながら。時には慌てて。脅えて。泣きそうになっていた。
後ろを見ずに走っていく四葉や、小馬鹿にする二乃に怒るのはいい。
心配して手を取る五月や、いつも見守って助けてくれる一花に笑うのはいい。
置いていかれることを怖がって、弱音を吐いたり諦めず必死に追いつこうとしている。
それは健気なものだが、あまりにも可哀想だった。
いらないものは置いていけ。不要なものは捨てていけ。責められているようで嫌だった
先生と子供たちと一緒に公園に来た日があった。
外で遊ぶことに喜んでいた子供たちの中で、三玖はあまり嬉しそうにしていなかった。極めてインドア派だしな。
子供らしく走り回っていた。その最後尾にはいつも三玖がいた。
「…またか」
また転んだ。ぺたんと小さな子供が地面に倒れている。
四人が駆けつけるが、すぐに立ち上がって走った。
「三玖、ひざ!ち!」
「けがしちゃった!?」
「もう、バカなんだからっ」
「二ー乃ーっ?」
「ほんとのことじゃんっ」
膝を擦りむいてしまったようだ。子供たちが騒いでいるが三玖は気にしている様子はなかった。
見てられなかった。
懸命に追いつこうと走ることは立派なことだ。
諦めずに追いかけることは幼稚なこの時だからこそ得るべき経験だろう。
怖くても、何かを成そうとするのは誰にでも必要なことだ。先生もそれを望んで口を閉ざしているのかもしれない。
ハンカチを水道の水で濡らした。
先生がこちらへ寄ってきて、鞄から絆創膏と消毒液とガーゼを渡してくれた。準備が良いな。
「いいんすか
何か理由があるんじゃ」
「あの子は私にも脅えていますから」
「…」
「…あの子は悪くないのです、不甲斐ない私が――」
「いってきます」
他人の家庭事情なんて知らん。好きにさせてもらう。
最初母親に脅える意味が分からなかったが、簡単なことだった。
嫌われたくない。自分に自信がないのに甘えられるわけがない。母親からの愛情に卑屈になってしまっていたのだろう。
生憎、こちらは嫌われている身だ。
姉妹の心配に構わず、遊ぼうと言う子供に声をかけた。
「おい三玖、怪我してんだろ」
「…」
「そうだよ三玖
ふーたろーくんに、てあてしてもらって」
「いい」
「…ああもう、いいからなおしてからきなよ!
ち、ついたままくるんじゃないわよ!?」
二乃なりに心配していたのだろう。一花と四葉、五月の背中を押して離れていった。
三玖が皆を追おうと歩く。
「ゆっくりでいい」
「…」
「すぐに追いつかなくてもいい
みんな、おまえのことちゃんと待ってるから」
「…」
三玖の足が止まった。怒るかと思ったが、黙って聞いてくれたようだった。
「拭いてやる、染みるぞ」
濡らしたハンカチで傷口に付いた砂や泥を拭き、消毒液で清潔にする。
三玖の膝がガクガクと震えていた。そのくせ口は黙っている。強情なのか我慢強いのか。あまり良い印象は抱けなかった。
泣きついたほうがまだマシだ。
「座っちまえ
絆創膏貼るぞ」
顔を見れば半泣きだった。三玖は地面に座り、膝を出した。
絆創膏を貼ってやった。小さなかすり傷は残っているがこれで勘弁してほしい。
すぐさま走り出すのかと思っていた。三玖はそのまま座って俯いていた。
「…
置いてかれるのが嫌なんだろ、おまえ」
ゆっくりと頷いた。
少しして、嗚咽が聞こえてきた。
泣き出した。涙がぽろぽろ流れ落ちて、汚れた指でそれを拭おうとする。
ハンカチは使ってしまったから自分の指先でそれを拭ってやった。
いらないものは捨てていけ。
そんな言葉を思い出して、嫌になった。
家族だろうが、おまえらは。怖がることなんてないだろう。
「三玖、足遅くたっていい
あいつらはちゃんと待ってるし、嫌そうな顔もしないだろ
怖がらなくていいんだ」
「…
ひぐ…うぅ…う"ぅぅうううっ!」
顔をぶんぶんと横に振っている。そ、そうなのか…?
「…怖いなら一緒にいてやる
行きたいところがあったら言え」
「んぐ…う、ぅ…」
泣きながらこっちを向いた。初めてまともに目が合ったような気がする。
置いてかれたくない。でも自分はできない。
姉妹から見捨てられたくない。母親に見捨てられたくない。
一人で頑張るしかない。でもできない。
この子は心の底から困り果てていた。
「…まあ何も言わなくてもいいぜ
後ろから見てるからよ
な、おまえはいていいんだ、必要な人間だ」
考えすぎだ。三玖は確かに足は遅いし少し暗い子だ。だがそれだけだ。
頭を撫でて、立たせた。
ほら、嫌そうな顔してないだろうが。向こうで姉妹が心配そうにこちらをずっと見ている。
背中を押して、行くように促した。転ばないようにゆっくりな。
三玖は歩いて姉妹の下へ向かった。
振り返ってこちらを見た。ぶんっと振り返るものだからヨロヨロし始めた。奥の姉妹がびくっと驚き走り出すところだった。
じっとこちらを見ている。今は何かに隠れずこちらを見ていた。
風太郎も歩くと三玖も歩いた。また振り向いて、風太郎がついてくるのを確認しながら。
言葉はなかったが、三玖に近づいた。そんな思い出だ。
一番思い出に残っているのはこの日だった。
子供たちそこそこ親しくなって、初めて風太郎一人で幼稚園に迎えに行った日だ。
その帰り道。風太郎が一番後ろを歩いていた。五月と四葉、三玖と一花が手を繋ぎ、四人に挟まれて二乃が前を歩いていた。
帰る途中、よく二乃に文句を言われていた。お陰で母親のいない帰り道は寂しいものではなく騒がしかった。
そして帰り道の半ば、車があまり通らない道に入ってから子供たちが手を離し、走ったり、飛び跳ねたり。見ていて危なっかしかった。
母親は慣れたものだろうが、初めて迎えを任された身には目に余るものだった。怪我などさせられない。
「おまえら、ここからは手繋げ」
「んー?」
「おてて?」
「そうだ、車だって通るし、通行の邪魔になるだろ
遊ぶのは帰ってからだ」
「はーい!」
「なによえらそうにっ」
言いたいことは別にあったが言わないでおく。要はじっとしていてほしかっただけだ。
五人横に並んで歩くほうが通行の邪魔になるのは分かり切っている。走り回らずに大人しく帰れるのなら何でもいい。
「一花から順番に手繋いでいけ」
「じゃあ、わたしは五月と三玖だね!」
「うん…」
「えへへ、なんかいいですね!」
「なによ、ばっかみたい」
「余った奴は俺と手繋ごうか」
「!?
ぜ、ぜったいにイヤ!」
「じゃあ一花と三玖と手繋ぐんだな」
「ぐぬぬぬっ」
「二乃、照れちゃってー
おねえちゃんにあまえていいんだよ?」
「うっさい!しょっちゅうつないでるじゃん!
ほらっ!」
「うん…」
「あ、ふーたろーくん、わたしとてつなごー?」
「わ、わたしもです、ほら!」
「俺はいい」
五人が並んで手を繋いでいる。横一列に並んだが子供だから道路を占領するようなものではなかった。少し微笑ましい。
後ろからだったからあまり表情は見えなかったが、五人は笑ったり、照れて赤くなったりで笑ってしまった。
あとは自分が周りに気を配ればいいだけだ。そう思って見守っていると三玖が振り向いてきた。
振り向いたが特に何も言わず前を向く。少ししてまた振り向く。
やたらと三玖が後ろを振り向くことが多かった。べつにいいのだが隣の二乃が手を引っ張られて不機嫌になってきた。
「もうっ! うざったい!
あいつとつなげばいいじゃん!」
「三玖、ふーたろーくんになにかようじ?」
「…」
「…」
何も言わない。何も言わないが目はこちらを見ている。
何なんだ。じろじろ見たって何もないぞ。
見かねた四葉が手を放した。三玖の耳元で何か内緒話をして笑った。
両手が空いた三玖がじっとこちらを見ている。何か言われたんじゃないのかよ。
後ろに下がった四葉が何か目で訴えている。おまえは分かりやすいな…
「ほらよ」
「…」
手を差し出すと三玖はゆっくり近づいて、手の平に触れてきた。
握るというより触るような感覚。大きな手の平に小さな手の平が重なる。
どこかぎこちないその手を包むように握ってやった。
おずおずと握り返してきた。これだけ大きさに違いがあるとどこを掴めばいいのか分からないのだろう。
三玖は不思議そうな表情で首をかしげていた。
「これなら転ばないな」
「…!」
手を繋いで、初めて見せた笑顔だった。
恥ずかしそうに、それでいて溢れる嬉しさを隠せない。そんな笑顔だった。
四人と一人。一人だけ離れてしまったのにこの子は焦ったり、孤立することに脅えず笑っている。
四人は手を繋ぎ、時折こちらを見ていた。結局おまえも振り向いてるじゃねえか。
無言で帰るかと思ったら、三玖はたどたどしくも小さな声で話しかけてきた。
いろいろ話してくれた。
手の大きさが違うこと。ヘッドホンを買ってくれた時のこと。足が遅くて幼稚園の子供たちに馬鹿にされたこと。
統合性に欠けた会話だったが、三玖なりに前々から話したいことがあったのだと思った。
そんな些細なことでも、なぜか嬉しくて、柄にもなく子供に優しく接していたと思う。
それからこの帰り道。いつも三玖と手を繋いで帰ることになった。
自然と傍に寄ってきて、手を差し出せば握ってくる。そんな関係だった。
「お、おにいちゃん…」
「あ?」
「これ、よもうよ」
「えほん…シンデレラか」
「いや?」
「…い、いいだろう…
女の子ってこういうの好きなんだな…」
帰る時だけに限らず、先生の家にお邪魔している時も同じだった。
事ある毎に傍に寄ってきて声をかけてくる。最初煙たがられていたのに雲泥の差だ。
影から見られるより遥かにマシだから邪険にするのもおかしいもので、構ってやっていた。
しかしお兄ちゃんと呼ばれたのはこの日が初めてだった。
「おにいちゃん、おひざいい?」
「許可を取る前に乗るな」
「えへへ」
笑っていれば何でも許されると思っているのかこいつは。
あれから甘えられるようになったのだが、急に態度が変わって戸惑っていた。
三玖は泣き虫なのは分かっている。何か一つでも拒否してガラスの心を粉砕するんじゃないかと思うと断る気にはなれなかった。
結局甘えられて、それを許してしまう。
「もう…三玖、ふーたろーくんが困ってるでしょっ」
「そ、そうですよ
おきゃくさんなんですからっ」
「みんなであそぼうよっ
うえすぎさんもいっしょに!」
「…」
変化に驚いていたのは他の姉妹たちも同じだった。いつものように遊ぼうとしても三玖が参加しないのだ。
風太郎が若干困っている事を察した姉妹が助け舟を寄越した。気が利く子たちだった。あの頃は本当に。
三玖は黙って風太郎の膝から離れた。絵本は持ったまま、隣に座り直した。
一緒に読むのは変わらないようだ。一花たちが何も言えなくなっていた。三玖がここまでするのは意外だろう。
「というか、おにいちゃんってなによ」
「?
おかしくないよね?」
「うえすぎくんはおにいさんです」
「あんたらはいいけど…
三玖がよ? あんなにきらってたのに
やさしくされたら、おにいちゃんってあまえちゃって」
「に、二乃にはかんけーないもん」
「すきなの?」
「ち、ちがうしっ」
「へー、すきなんだー
ぼけっとしてる三玖がね…へー」
「ちがう!」
「さっきもだっこしてもらってたしー」
「えええっ!?
三玖、うえすぎくんがすきなの!?」
「三玖が…いがいだね…おねえちゃんおうえんするよっ」
「わぁ…」
「う、む…
むぅ~っ!!」
三玖は本を持って走ってしまった。母親の下へ行ったようだ。
二乃だけでなく三人からもからかわれて恥ずかしかったのか。主犯の二乃に言い返せず逃げたようだ。
結局その後は母親の下を離れず、子供たちと少し遊んでから風太郎は帰ることになった。
バイバイ、と手を振る子供たちに見送られ中野家を去ろうとすると、ドアが開く音が聞こえて振り返った。
三玖がドアを開いてこちらを見ていた。何をしているんだ。風太郎は引き返した。
「…フータロー…」
「ん?」
「フータローでいい…?」
「…ああ、好きにしろよ」
「じゃあフータロー…
フータロー…」
「…
じゃあな、三玖」
「ふ、フータロー…!」
「ん?」
「ま、またねっ
ばいばい…っ」
「おう」
呼び方が変わっても大して変わりはない。だが三玖は何か思うものがあるのならそれに付き合ってやる。
その場を去って、振り返ると三玖はまだこちらを見ていた。風太郎が振り返ったところを見ると手を振っていた。
絆されるとはこういうことなのだろうか。
早く戻れ、と口にしながらも少し笑みが浮かんでしまうのがだらしないと思った。
「なんだ、あいつら寝てるのか」
「ひなたぼっこしてるっ」
風太郎の親父、勇也と四葉が戻った。静かだと思ったら居間で風太郎と三玖が横になって寝ていた。
いつも勉強かバイトで、とても昼寝などしない風太郎が子供を抱えて寝ている。意外で少し微笑ましいものだった。
「ああ、そういや昨日あげたみかんの羊羹な、もう一つあるんだわ
四葉ちゃん食っていきな」
「えええ!?
あ、あれがあるんですか…」
昨日、上杉家からの手土産として渡した和菓子には勇也が四葉の好きなみかんの菓子もあった。
ただでさえ菓子など食べない一家だ。子供たちにも食べてもらおうと買った分があったのだ。
当然、気に入っていた四葉は甘い誘惑に釣られそうになった。
「で、でも、わたしだけって」
「一つしかねーしな
あいつらが寝てるうちに食っちまえ
ああ、俺も風太郎もらいはも食ったからな、残りもんだ
ほら」
「…」
一人分の羊羹を小皿に乗せて四葉に手渡した。
「う、うーん…」
受け取っておいてまだ悩んでいた。
五人で分けて食べる。それが五つ子の基本的なルールだ。時に五月に譲ることがあって基本的になのだが。
この場合、三玖と分けるのが望ましい。だが勇也の気持ちを無碍にするのも悪い。
そもそも三玖は甘いものが苦手であり、羊羹も然り。声をかけたところで四葉に譲ることになりそうだ。しかもその確認の為に起こるのも悪い。
だからといって一人でこっそり食べるのも。四葉は大いに悩んだ。
「フォークは…
ん?」
勇也がフォークを取り出し、渡そうとするとそこに四葉はいなかった。
写真の前に置かれたお菓子。
四葉が置いたようで、恐る恐るといった顔で父親の顔を見て、控えめに笑った。
「お、おかあさんも…たべるかな…」
「…くく…ガハハハ!
そうだな、母さんもたまには食いてえよな!」
子供がお供えするとは思っていなかった勇也は笑った。
その笑顔を見て四葉はあの時の疑問が再び沸き起こった。
「…どうして、わらえるの?」
「ん?」
「お、おかあさん…いないのに
さびしいのに」
「そんなもん、嬉しいに決まってるからだ
四葉ちゃんが良いことしてくれて、俺もお母さんも嬉しいからな!
ありがとな!」
「そ、そうじゃなくて…っ
…どうしてなの…?」
「…んー?
どうしてか…?」
「どうしたら、わらえるのかな…」
「んー?」
四葉の質問の意図が分からなかったが、何か面倒なことを考えている。
誰かが死んでも笑っていられるようになりたいのか。
それとも泣きたくないのか。
手にしたフォークを羊羹に刺して、勇也は四葉の頭を撫でた。
「泣きたい時は泣け!
笑ってられるのは、泣いた後だからな!」
「そ、そうなの?」
「あったりまえだ!
泣けない子供が満足に笑えるかよ!
四葉ちゃんも笑いたかったら、泣きたい時は泣けよ!
ほれ、母さんはこれ以上食えねえってよ
腐る前に食え食え」
「え、でもそれは――はむっ!?
お、おいひいれすけど…」
羊羹を切り分けて四葉の口に放り込む。
余計な事を考えすぎだ、この子は。
「わ、わらいかた、しりたいですっ」
「さっきまで笑ってたじゃねーか」
「そうだけどっ」
「うまいもん食えば笑えるぞ」
「むー!」
「ガハハハ!
いっぱい食って、大きくなれよ!」
子供が大人に教えてもらうことは多いが、自分で見つけ出して、自分だけの答えを持つことも大事だ。
笑い方などその人が笑いたい時に笑うだけだ。勇也が教えられることではない。
答えを知るためのきっかけぐらいなら、手伝ってやれる。
諦めて羊羹を頬張って、美味しさに悶える子供を見て勇也はまた笑った。