五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の園児最終話 京都の先生

 約束の日まであと三ヶ月。

 

 新年を迎えるこの一月は風太郎にとってお年玉を貰うだけのイベントだった。祖父母に顔を見せるぐらいで、貰う物は貰って早く勉強を優先したいものだ。

 

 正月の賑わいはテレビの中だけ。家にテレビを置いていない上杉家には実感のないものだ。

 

 正月はバイト先のケーキ屋も休み。休みとあらば勉強するに限る。今もこうして自宅に篭もり、ちゃぶ台に齧りついて参考書に目を走らせている。

 

 まだ高校2年生。受験生でもないのに年を越してから苦渋に追い詰められ抗っていた。

 

 

 

「…はぁ

 もう1月だもんな…」

 

 

 

 もし今の自分が受験生だったら落第していただろう。考えると恐ろしいものだった。

 

 文字を睨んでも雑念が邪魔をする。全く集中できていない。

 

 煩わしい。この焦りと苛立ちは冷めるどころか日に日に募っていく。思い悩むのは憧れの女教師のことだ。能面のような鉄化面しか思い浮かばないのだが。

 

 新年を迎えて恋煩いに陥るなんて、去年の自分には想像しえなかったことだ。到底認め難いものだが認めないと余計に苛立つのだから困った。

 

 恋愛など愚かな行為、そう何度も見下していたのに今はそればかり考えてしまっている。

 

 忘れようと勉強に没頭し、バイトで気を紛らわせていたのだが、思うように集中できないことに対して焦りが生まれてしまっている。悪循環である。

 

 それでも歯を食い縛って取り組むしかない。憧れの人に弱みなど見せられるはずがない。

 

 

 

「お兄ちゃんっ

 零奈先生たちね、昨日帰ってきたんだって」

 

「…それで…?」

 

「もうっ!

 新年のご挨拶! いこうよ!

 お父さんも代わりに宜しく伝えてって言ってたでしょ」

 

「だったら俺の分も代わりにやってくれ…」

 

「お兄ちゃんが一番やらなくちゃいけないでしょっ!」

 

 

 

 例年にないイベントが追加されている…そこまでする関係になっているのか。親戚だけでいいだろうが。

 

 この妹は死に物狂いで雑念を払おうとする努力を笑顔で粉砕するのだ。会いたくない人がいる中野家にあの手この手で誘導する鬼畜だった。

 

 挨拶など会った時にすればいいだろう。わざわざ挨拶しに行かなくても。自分の不満が顔に出ていたのか、笑っていたらいはが睨んできた。

 

 妹が薄々察しているのは分かっている。可燃ゴミが燃え尽きるのを待っているだけなのだから放っておいてほしかった。

 

 それに、先生と対面して刺激してしまうのは憚られる。

 

 先生は四月までに風太郎の憂いを晴らすと言った。心に病んだこと、子供たちのこと含め風太郎を安心させると言った。

 

 急かすつもりはないがあちらからの反応を見受けられない。繊細な問題だと分かっているが約束したあの日から3ヶ月経ってしまったのだ。

 

 先生にいらん事言って急かすのは好ましくない。あの五つ子に絡まれて穏便に済んだ日はないのだから。

 

 

 

「また今度でいいだろ

 昨日帰ってきたんなら疲れてるだろ」

 

「恥ずかしがらなくていいじゃん」

 

「そうじゃない」

 

「先生が好きなんでしょっ?」

 

「ないわ」

 

「…お兄ちゃんって本当に不器用なんだから」

 

「そうじゃないって言ってるだろ…

 その話はやめてくれ」

 

 

 

 的確に胸に突き刺さる妹の指摘が痛い。兄を殺す気か。兄の威厳がなくなってしまうぞ…

 

 指摘されて面白い訳もなく、つい口調が変わってしまったのを察したらいはの顔が曇ってしまった。

 

 …だからこの話題は嫌なんだ。

 

 

 

「…少しだけな、長居は迷惑になるしな」

 

「うんっ」

 

 

 

 果たして妹の策略なのか、天然なのか。こうしてあの家族と顔を合わせることになるのだ。

 

 参考書を閉じて外出の支度をする。らいはも戸締りにかかり準備を始めた。

 

 動き回っているわけでもないのに、この胸は落ち着きを無くしている。

 

 緊張なのか、期待なのか。考えるだけで嫌になる。心臓を握り潰した方が楽になれそうだ。

 

 本当におかしな話だ。恋愛などくだらない。生産性の欠片もない。

 

 好きだと自覚している。だが、それでどうしろと言うのだ。

 

 好きとか嫌いとかくだらない。好きだから何がしたいわけじゃない。ただ信頼し好意的に思うだけでありたいのに。

 

 なのに病に侵されたように平常通りとはかけ離れて胸が苦しくなる。早く忘れたくてもままならない。

 

 煩わしい。恋愛など学業から最もかけ離れた愚かな行為だ。

 

 全てにおいて邪魔なものでしかない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あんたが好きだ」

 

 

 

 耳障りなものを聞いてしまった。

 

 

 

「わ、わっ

 キスしましたっ」

 

「これが、おとなのこいなのよっ

 いいなー」

 

「チュー…やっぱ、くちとくち…」

 

「おでこのほうがいいとおもうなっ」

 

「それっておこさまってことじゃない?

 ほっぺのほうが、こいびとっぽいよね、ふーたろーくん」

 

「新年早々ませすぎだろ、おまえら」

 

 

 

 中野家に招かれ、子供たちの歓迎の波が治まった後だった。子供たちはテレビに釘付けになっていた。

 

 二乃の好きな恋愛ドラマを録画していたようだ。祖父の家にいる間は見れなかったのだろう。五人揃って絶賛視聴中だった。

 

 全国の受験生は四苦八苦しながら机にかじりついているだろうに。来年は我が身の風太郎には姦しい子供たちの輪に入りたくなかった。

 

 そういえば、と思いが過ぎって先生を見やる。先生はらいはに御節を振舞っていた。上杉家では祖父母の家でしか食えないものだ。らいはが喜んでいて何よりだった。

 

 先生は3年のクラスの担任だったはず。生徒が受験時なのだから自分との約束の件に取り組むのは難しいだろう。自分の考えが甘かった。

 

 加えて四月から子供たちは小学校に入学だ。母親一人で五人の娘の準備を全て行うのだ。忙しいってものじゃない…。出費だって相当なもののはずだ。

 

 正直、約束の件は先延ばしにしたほうがいいだろう。一月二月延びたって自分の受験に差し支えるとは思えない。そうならない自信もある。

 

 だがこれを口にするのは不謹慎でもあるか。先生がその傍ら約束の件に勤しんでいたとしたら失礼な話だ。それにこれは自分の願望だ。

 

 やはり刺激するような発言は控えなくては。先生に負担のかかる事は避けようと風太郎は気を改めた。

 

 

 

「おかあさんはキスしたことある?」

 

 

 

 アホ毛を揺らす五月が何か言っている。子供は考えなしに疑問を投げかけるものだ。おまえは自分の父親を忘れたのか。

 

 

 

「…お母さんみたいなおばさんより、上杉君のような若い子の話を聞いたほうが楽しいでしょう?」

 

「ちょっと待て、そこのギリ20代」

 

「ギリって…お兄ちゃん…」

 

 

 

 先生と目線を合わせないように背中を向けていたが、その無防備な背に恩師の強引なパスが直撃した。なんつー振り方だよ。

 

 軽く先生に睨まれる。随分と調子の良いことを言ってくれる。が、鬼教師の目で睨まれたら何も言えなくなる。 

 

 

 

「キスなら経験しているのでは」

 

「…は?

 いや、それってこいつらの話っすか」

 

「いえ、ちゃんとしたものです

 …まさか、してませんよね?」

 

「流石にその話題を振られるのも、疑われるのも心外だ」

 

「冗談です」

 

「だからもう少し笑って貰わないと心臓に悪いんで…」

 

「ほっぺでもおでこでも、アウトだと思うんだけどなぁ

 私っておかしいかな」

 

「うえすぎさんにまたしてほしいですっ!」

 

「次はフータローとおくちでチューする…」

 

「うーん…小学校上がる前にちゃんと教えとかないと大変なことになりそう…」

 

 

 

 先生から爆弾発言が飛んできたが、真面目に答える必要はないだろう。弄ばれているだけな気がする。

 

 何で上も下も十歳離れた相手にカミングアウトしなければならないのだ。恋バナとはこういうものなのか。

 

 五つ子の視線がテレビからこちらに向いてしまっている。

 

 三玖や一花の告白の件含めて、五人とは話が済んでいない。四月から今までのような親しい関係ではなくなるのだ。

 

 自分の言葉が災いして子供たちと関係が拗れたことが多々ある。迂闊な発言はできない。

 

 …この場でそれっぽい奴がいると知ったら諦めるだろうか。

 

 小学校に上がって風化するように忘れられるのを待つしかないと思っていたが、ここで諦めてもらえるのなら後の面倒事は減るだろう。 

 

 嘘はいけないが馬鹿正直にやっていては悪化するものもある。過去によくあったことだ。

 

 もう3ヶ月しかない。あまり余裕はない。

 

 

 

「…最近、いたりする」

 

「え、いるって誰?」

 

「だから、そういう…奴がだな

 あれだ…言っただろ、そうじゃないって」

 

「…

 ええええええっ!?」

 

 

 

 らいはの驚きと共に子供たちが足にしがみついてきた。

 

 悲鳴だったり抗議の声だったり喧しいものだった。おまえら俺の将来潰す気か。恋愛をする気はないが複雑だった。

 

 

 

「おまえらも小学校で気になる男子とかできるだろう

 いつまでも俺と遊んでても仕方ねーだろ」

 

「なんかやだっ」

 

「フータローがいい」

 

「ふーたろーくんはみんなのおにいちゃんなのに」

 

「そうだよ、ほかのひとのところいっちゃやだっ!」

 

「ふりんはダメです!」

 

「あのな…おまえら小学校上がったら少しは自重しろよ、虐められても知らんぞ」

 

 

 

 おまえ達を見てくれる人なんて親ぐらいなもんだ。無茶ばかり言われると疲れる。

 

 兄離れしてくれないと心配で仕方ない。4月になれば口出しする機会もなくなるのだから困ったものだ。

 

 子供たちの小学校生活は先生も不安に思うものがあるだろう。

 

 先生を見やると、どこか顔色が悪いように見えた。

 

 

 

「あの…先生?」

 

「申し訳ありません

 …喜ぶべきなのでしょうね」

 

「…」

 

「高校生もあと1年しかないのですから

 悔いの残らないようにしなさい、応援しています」

 

「…

 先生、すみません

 今の冗談です」

 

「…」

 

 

 

 先生の顔が見れない。

 

 見なくても分かる。足元の子供たちが脅えるように離れていく。

 

 見なくても怒っているのは分かる。暑いわけでもないのに汗が止まらない。

 

 

 

「どういうことでしょうか」

 

「いや、気が動転していたというか」

 

「…」

 

「…先生は経験ありますか?」

 

「知りません」

 

「知らないって、絶対にしたこと――」

 

 

 

 めちゃくちゃ痛い鉄拳を食らった。

 

 やはりここに来るとろくなことがない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 馬鹿なことばかりしている。

 

 こういうことをするから無駄な時間を過ごすことになるのだ。後悔の元だ。

 

 正直者であることは美徳だが、嘘も方便とも言う。

 

 嘘をつけば自分の価値を下げる。それを承知で口にするのはいいが失敗すれば何も得ずに評価だけが転落する。難しいものだ。

 

 だが失敗したからって臆している場合ではない。

 

 子供たちに対して行動を起こすべきだ。今までの清算を済ませなければ何もかも半端なままで終わってしまう。

 

 風太郎にとって放置したところで全く問題ない。後は勝手にやってくれと目を離すだけでいい。

 

 だが小学校に上がり新しい生活が始まる子供たちの不安の元になっては困る。蒸発した父親と同じように思われるのは心底遺憾だ。

 

 その不満や不安を母親に投げかけるのも困る。恩師に対してあまりにも不義理なものだ。

 

 

 

「五月、少し話があるんだが」

 

「?

 はーい」

 

 

 

 姉妹と一緒にドラマの続きを見ていた五月を呼び出す。

 

 五人の中で厄介な問題を抱えていない五月から済ませよう。他は恋愛だとか結婚だとかうるさい子ばかりだ。

 

 他の姉妹に聞かれると収集が付かなくなる。死角になる玄関の前まで呼び出して話をつける。

 

 

 

「まってましたっ」

 

「…ん?

 待ってたって俺をか?」

 

「はいっ!」

 

 

 

 まさか悟られていたのか。四葉のような勘を持っていない五月にバレていたとは思わなかった。

 

 その五月がにこにこ顔で両の手の平を差し出してきた。

 

 

 

「…その手はなんのつもりだ」

 

「おとしだまっ!」

 

「…」

 

 

 

 一つ言っておこう。俺は今年貰えなかった。

 

 親戚でもないし、高校生相手にお年玉を貰えると思っているのかこの子は。

 

 …思えばこの子にとっての親戚は祖父だけなのだろうか。祖母の話は全く聞かない。

 

 幼稚園の友達と休日遊んでいる様子も見受けられない。その点曖昧なものなのかもしれない。

 

 

 

「お年玉をくれるのは親戚のお爺ちゃんぐらいだ」

 

「だ、だっておかあさんはおねえちゃんに」

 

「は?」

 

 

 

 五月に連れられ、こっそり居間を覗く。

 

 申し訳なさそうに、少し照れて嬉しそうな妹がいた。その手には可愛らしい紙の封筒があった。正月の子供の楽しみだろう。

 

 先生があげたようだ。マジか。散財する余裕があるのか。

 

 五月と玄関まで戻ると 両手を上げてきらきらと期待した目で見られた。

 

 非常に現金な奴だな。食べ物だけにしてほしい。突っぱねてもいいが泣かせるのも不憫だ。

 

 

 

「高校生にせがむな

 …まあ、菓子ぐらい買ってやる」

 

「ほんとっ!?」

 

「でもな、仲良くなったからってこういうことするなよ

 嫌われるぞ

 お年玉は親戚だけだ」

 

「だいじょうぶですっ

 おかあさんから、おとしだまはおじいちゃんとおかあさんだけのものっておしえてくれました

 わかってるもんっ」

 

「ふざけるな、おまえ確信犯だったのか」

 

「やっー! お、おねえちゃんがもらってたから、もしかしてって」

 

「そういう賢さは求めてない」

 

 

 

 聞き捨てならない暴露を聞いてアホ毛を引っ張ってやった。

 

 気持ちは分かる。もしかしたら貰えるかもしれないと思ったら期待してしまうだろう。

 

 だが物が金なら自重してほしい。あまり良い気はしない。

 

 一緒に菓子を買いに行くか。本当に買ってくれると知った五月は大喜びした。

 

 先生に許可を貰い、姉たちが騒ぐ前に家を出ることにした。

 

 1月の寒さは身に染みる。五月に手袋とマフラーをさせて手を繋いだ。

 

 なんだかんだあって、子供たちに帽子だったりイヤーマフラーだったり、子供たちに買ってあげたクリスマスも過ぎた。

 

 手袋やマフラーをしていた子供たちだが、冬でも走り回る子供たちの顔や耳は真っ赤だったから買ってあげたのだ。

 

 お年玉と言うのなら十分買ってやったはずなのだが。他人の割には。

 

 子供たちはそんなもの知らず、持てる幸せを得ようと一生懸命だ。無邪気には勝てない。

 

 

 

「はじめてですっ」

 

「ん?」

 

「ふたりでおかいものっ」

 

「…楽しいか?」

 

「うんっ!」

 

 

 

 大好きな母親から離れているわけだが、道中五月は寂しがらず上機嫌に笑っていた。

 

 手を繋いでいるこの子は、母親が一夜いないだけで大泣きしていた。

 

 そんな子が自分と二人だけの状況に、笑ってくれることが少し微笑ましかった。

 

 菓子一つで簡単に笑う子なのにな。子供の笑顔はよく分からない。

 

 

 

「五月、4月から小学校だな」

 

「うんっ」

 

「楽しみか?」

 

「はいっ」

 

「怖くないのか?

 一人で学校行き来するんだぞ」

 

「みんながいるもん」

 

「…まあ最初はそれでいいか」

 

 

 

 小学1年生から一人で登下校は怖いだろうが、姉妹が4人もいれば大丈夫か。

 

 そのうち慣れれば一人で帰ることになるだろう。一人でいても寂しさを感じないようになってほしい。

 

 流石に過保護だったか。しかし考えると心配になってしまうのだ。

 

 本題に入ろう。

 

 

 

「4月からはな、俺も受験がある

 あまり会えなくなるから頑張れよ」

 

「…いやです」

 

「幼稚園の友達だって会わなくなるだろ

 同じようなもんだろ」

 

「おにいちゃんはちがうから!

 おにいちゃんなら、じゅけん?もだいじょうぶだよ!

 ね、いっしょにいてください」

 

「受験を知らないくせに適当なこと言うな」

 

 

 

 受験勉強しながら子供たちの面倒を看るのは難しいことじゃない。

 

 日々勉強を欠かしていない身だ。取り組む量が少し増えるだけで子供たちに手を付けられなくなるわけではない。3年になってから焦る生徒とは違う。

 

 五月の言葉に同調してしまうものはある。だがそれを認めなかったのがおまえの母親だ。

 

 

 

「それに、おかあさん…」

 

「先生がどうした」

 

「おかあさん、またたいへん」

 

「…」

 

「また、からだこわしちゃうよっ

 やだよ…」

 

「良くなってるってよ」

 

「でも、おにいちゃんがくるまえ、つらそうだったよ

 またおくすり、のんじゃう」

 

 

 

 五月の歩くペースが遅くなり、足を止めがちになった。

 

 自分で話題を振ったせいだが、さっきまで笑っていたのに五月は顔を俯かせて落ち込んでいる。

 

 あまり心配させるようなこと言われても困る。母親を信じるしかないのだから。

 

 手を繋ぐ五月を抱え上げてやった。

 

 

 

「本当にダメな時は俺を呼べ」

 

「…ダメなときだけ?」

 

「先生に怒られちまうからな、勉強しろーってな

 おまえも小学校に上がれば分かる

 帰ったら宿題があるぞ、遊んでる暇ないからな」

 

「…」

 

「お母さんには内緒だぞ、五月

 後で電話番号教えてやるから、助けてほしかったら呼べ」

 

 

 

 先生に知られたらどんな顔されるか分からないが、子供が母親を心配しているんだ。この子を怒らないであげてほしい。

 

 抱き上げられた五月の両手が首に回された。普段三玖がやることだが癖ッ毛が当たって痒い。我慢するしかない。

 

 

 

「あと…悪いな、五月

 前に約束したの覚えてるか?」

 

「?」

 

「先生が薬飲んでたって教えてくれただろ」

 

「うん」

 

「あの時、半分嘘ついちまった」

 

「えええ!?」

 

 

 

 先生が飲んでいたのは本当に睡眠薬だった。風太郎が言っていたことは間違っていない。

 

 だが、何も根拠も当てもない言葉だった。あの時はこの子を慰めるためだけに言ったものだった。

 

 そもそも今だって先生の病についてはハッキリ聞いていない。医者にかかっていないのだから先生も把握していないのだろう。

 

 完治したのだろうか。それも医者にかかっていないから確実な証拠もない。困ったものだ。

 

 嘘をついてしまったことを五月に説明すると不服そうだった。まあそうだよな。

 

 

 

「うそつき」

 

「針は飲みたくないぞ」

 

「うそつきましたよねっ」

 

「半分な、当たってたし」

 

「ダメですっ

 うえすぎくんはばつとして、けっこんしなきゃダメです」

 

「またそれか、お父さんにはならねえって言ってるだろ」

 

「ちがいます

 わたしとけっこんですよ!」

 

「おまえもかよ、勘弁してくれ

 その話は10年先って姉共に言ってある」

 

 

 

 猛抗議されて首にしがみつかれる。絞められそうで苦しい。

 

 落ち込んだ気分は吹き飛んだようだ。五月を地面に降ろすとぴょんぴょん跳ねてせがんできた。マフラーとかでもこもこして暑苦しいんだよ。

 

 手を繋ぎ直して歩こうとすると、五月は足にしがみついてきた。顔を埋めて擦りつけてくる。

 

 

 

「…4がつ、おにいちゃんもうこないの…?」

 

「もう絶対に会わなくなるってわけじゃない

 まあ…月に一回会えたらいいだろ」

 

「…

 そんなのやだっ!」

 

「おまえらだってな、小学校の友達と遊ぶようになるぞ

 寂しくはないだろう、つーか友達作れよ」

 

「わかんないもんっ

 それに、おかあさんいってたよ

 おにいちゃん、ともだちがすくないって、いないって!」

 

「せ、先生が言ってたのかよ…」

 

 

 

 自分は友達なんて求めていないが、この子には友達と遊んでもらいたいものだ。

 

 今はこうして甘えているが、友達と遊ぶようになれば手の平を返されるんだ。それでいい。

 

 

 

「先生だって友達いねーだろ…再婚すればいいってのに」

 

「…おかあさんとおにいちゃんってともだち?」

 

「教師と生徒だ」

 

「せいとは、いっぱいいるって」

 

「…」

 

「おかあさん、いってました

 おにいちゃんはいちばん、だいじなせいとだって」

 

「マジか」

 

「どうやって、であったの?」

 

「…ドラマみたいなもん期待するなよ」

 

 

 

 落ち込んだり、怒ったり、笑ったり、コロコロ変えやがって。

 

 あまり話しても面白いものじゃない。子供には嘘は必要。嫌でも分かってきた。

 

 聞き逃さないように手を握り締めてくる子に笑ってしまう。大好きな母親の話を聞けるのがそんなに嬉しいか。

 

 先生と出逢った五年前の京都。

 

 今思い返しても自分の幼稚さに恥ずかしくなるものだ。

 

 だがその中には大切な憧れの人との思い出ばかり。

 

 五月が知りたいことばかりだろう。教えてやろうじゃないか。

 

 自分のことでもないのに、なぜか誇らしげな気持ちになってしまうのはなぜだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 五年前、京都で先生と出会う前の自分は何かに飢えていた。

 

 退屈だった。貧乏で友達と遊ぶには物が少なく、家に帰っても誰もいない。

 

 でも帰らないといけなかった。幼いらいはを一人にさせてはいけない。寂しい思いはさせたくなかった。

 

 唯一面白みがあったのはクラスメイトと遊ぶ時ぐらいだ。休み時間とらいはが友達と遊ぶ予定の放課後は遊んでいた。

 

 それでも楽しいのはその一時だけ。遅くまで遊べば妹が心配になるし、終われば虚しくなる。遊ぶ事自体に価値はないと思うようになった。気晴らしになるだけだ。

 

 このまま何かを紛らわせるような日々を送るんだと、満たされず退屈していた。

 

 精々…気になっていた子と遊んでいた時は不安を忘れていられた。楽しかったんだと思う。

 

 だがそれも、京都の修学旅行で分からされた。そこに自分の居場所はない。

 

 いらないものは捨てていけ。自分が口にしていた言葉だ。

 

 極貧生活には取捨選択は必須だった。不要な物にかける金はなく、必要な物を手に入れられなくなった時後悔してもし切れない。

 

 捨てられたような気分だった。自暴自棄になって修学旅行中、班行動から一人離れていった。追い討ちをかけられたように妙な奴に絡まれてしまった。

 

 困り果てていた時に、あの人が声をかけて助けてくれた。

 

 

 

「その子は何も悪いことをしていません」

 

 

 

 見ず知らずの子供を助けてくれた。警察もいたのだから任せればいいだろう。

 

 面倒事に巻き込まれるだけなのに。先生は全く臆することなく話をつけてしまった。

 

 

 

「何だよあんた

 頼んでもねえのに勝手に」

 

「ご迷惑でしたか」

 

「…」

 

 

 

 あの頃の先生は今と同じで無表情だった。しれっと言うその態度が今まで見てきた人とは異なって戸惑ってしまった。

 

 

 

「修学旅行でしょうか

 一人なのですか?」

 

「…関係ねーだろ

 今は班行動だ」

 

「だとしたら、はぐれてしまったのですか?

 一人では何かと困ることがあるでしょう、よろしければ――」

 

「あんなコスプレやろーが予想外すぎただけだッ」

 

 

 

 説教なんて御免だ。そんなこと言われなくたって分かっている。

 

 よく教師に髪を染めるなとか、勉強しろだとか。うるさい奴ばかりだった。

 

 言いたいことは理解している。なのに長々としつこく説教する大人はこちらを馬鹿にしている。分かっても賛同しないことだってある。

 

 先生を置いてその場を離れようとするが止められた。

 

 

 

「どこに行くのですか」

 

「どこでもいーだろっ

 観光だ観光!せっかく来たってのに台無しにされたからな!」

 

「…一人で大丈夫ですか?」

 

「…」

 

 

 

 大人の余計な気遣いなど耳障りなものだった。うちが貧乏だと知れば気まずそうな顔をするんだ。

 

 何か一つ文句を言ってやろうとしたが、先生の顔は真剣で、何も言い返せなかった。

 

 じっと見られて落ち着かなかったと思う。お陰でつい妙なことを口に出してしまった。

 

 

 

「…感謝はしてるぜ

 一応」

 

「…それなら良かった」

 

「礼は言ったからな!

 じゃあな!」

 

 

 

 変な奴だった。子供相手に真面目過ぎるその態度が気恥ずかしくて、身が引き締まるようだった。

 

 学校の教師にタメ口や時には暴言を吐いていた自分が、あの人には勝てないと察した。

 

 子供ながら、妙な気分になって早く別れようとその場から離れた。

 

 なのにあの人は。

 

 

 

「何でついてくるんだよ!?」

 

「私も観光に来ましたので」

 

 

 

 こちらの行き先に先生がついてきたのだ。一人で行動する子供が心配だったのだろうか。

 

 納得できる理由だが、当時の自分には隣に来られると居た堪れなくて焦っていた。

 

 

 

「観光って一人でかよ

 寂しい奴だな」

 

「貴方も一人ですよ」

 

「俺は学校行事で来てんの!

 あんたは一人だろ、彼氏とかいねーの?」

 

「私には夫がいますし子供もいますよ」

 

「…

 つっても、どこにいんだよ、そいつ」

 

「今は一人で来ています」

 

「子供置いてきたのかよ!?」

 

「息抜きしてこいと夫と知人に勧められたので、せっかくですから」

 

「あっそう…」

 

 

 

 それでいいのか、と子供ながら疑問に思った。

 

 うちの母親は毎日パン焼いてくれるぐらい家族に尽くしてくれたってのに。少し納得できなかった。

 

 しかし母さんも息抜きができたらもしかしたら。馬鹿なことを考えてしまって早々に先生から離れようとした。

 

 

 

「お守りを買うので待ってくれませんか」

 

「勝手に買えばいいだろ

 何で俺が…」

 

「これも何かの縁ですし、一つ買ってあげますよ」

 

「いらねえから」

 

 

 

 そうですか、と先生は背中を向けて売店に向かっていった。

 

 目を離しているこの状況で、勝手に行くと思わないのだろうか。

 

 止められる謂れはない。

 

 だが、結局先生が戻ってくるまで待ってしまった。

 

 それからも先生は自分についてきて、観光地を回って、夕方になってしまった。

 

 鉄仮面のような人で取っ付きづらい人だった。だがなぜか惹かれてしまった。

 

 子供相手に見下さないのだ。大人はこちらが何したって面倒を見ようとする、それを自負して接するのが大人なのだろう。

 

 放っておいてほしいと疎ましく思うものだが、先生にはそれはなかった。心配しているのだろうが、その気持ちは真剣で人に媚びるようなものではなかった。

 

 遊んだわけでも、会話が弾んだわけでもないのに、楽しい思い出だった。

 

 しかし、夕方になってそれが終わろうとしていた。

 

 

 

「そろそろ戻らないのですか」

 

「そーだな…」

 

「…」

 

「今戻っても怒られるのは変わんねーし」

 

「私からも先生に話をしましょうか

 困っていたのは嘘ではないのですから」

 

「…なんか、かっこわりーし、いーわ

 サンキューな」

 

「そうですか」

 

「そんなことより、最後にあんたのこと教えてくれよ」

 

「私のことですか?」

 

「自己紹介もしてねえんだぞ」

 

「…では、自己紹介しましょうか」

 

 

 

 もう暗くなるのに、観光地の階段に座って先生と話し込んでしまった。

 

 先生の堅苦しい自己紹介を聞いて驚いた。自分にとって説教ばかりする大人と一緒だったから。

 

 

 

「あんた先生だったのかよ、騙されたぜ…

 あんたいくつだよ」

 

「24です

 去年教員免許を取ったので、今年から新人として勤める予定です」

 

「教師ってそんな早くなれるの?」

 

「免許を取れるのは23歳からです」

 

「…

 すっげぇ、最速じゃん

 やっぱり先生になるのが夢だったのか?」

 

「はい」

 

「…すげえなぁ」

 

 

 目的の為に一直線に突き進み、成功してみせたのだろう。カッコいいと思った。

 

 それでいてもう子供がいるのだろう。子供を産むとなったら忙しいのに両立させてみせたのだ。子供ながら凄いとしか思えなかった。

 

 先生として社会からも人からも認められ、親として子にも認められるだろう。大人として完成された人だと思った。

 

 かっこよくて、憧れた。

 

 目の前にいる人がこれだけ凄いのに自分は、今日居場所を失った惨めな奴だ。

 

 

 

「…何でこんなに違うんだろうな」

 

「?」

 

「うちは貧乏でさ、母さんも死んじゃってさ

 親父はすげえ頑張ってるの分かってんだけど

 …なんか、頑張ってこれかって思ってよ

 

 結局頑張ったって、どうしようもないっつうか

 どうしたらいいのか、わかんねえんだ」

 

「…風太郎君はなりたいものとかありませんか」

 

「そういうのよく言われるけどよ

 望んだものになれるわけないじゃん

 だったら…俺の母さん死んでねーし

 親父だってよ…」

 

 

 

 ハッピーエンドってものがあるのなら、頑張れるだろう。現実にそんなものあるかどうか分からない。未来のことなんて分からない。

 

 不確かなものに全力で取り組む余裕なんてない。意義も魅力も感じられなかった。

 

 成功した大人は運が良かっただけだ。そう思っていたが、先生を見て少し違うと思った。

 

 この人がどんな努力をしてきたかなんて知らないのに、勝ち取った成功なんだなと感じられた。

 

 羨ましかった。こんな惨めな自分とは程遠いところにいる。

 

 子を残して死んでしまった母さんとは違う。借金と子育てに苦しむ親父とは違う。これから先、妹を苦労させてしまう情けない兄とは違う。

 

 成功したこの人が眩しくて仕方なかった。

 

 

 

「俺さ…

 先生みたいになれねえかな…?」

 

「…なぜそう思うのですか」

 

「先生みたいになれたらよ

 母さん、認めてくれるかもしれねえじゃん…?

 親父も安心するし、楽させられるし

 妹を守れる兄になれる」

 

 

 

 もう居場所を失い、悲しみたくない。

 

 家族のいない寂しさ、苦労をかけてしまう不安など嫌だ。

 

 

 

「先生みたいになれたら

 誰かに必要とされる人間になれると思うんだ」

 

 

 

 願望などいくらでも抱いた。これもそれに類似するものだ。

 

 こういうところで人の価値の差が生まれるのだろう。思ってるだけで何も行動できていなかった。

 

 この人と自分は違う。それでもなりたいと願わずに止まなかった。

 

 先生は俯く自分の頭を撫でてくれた。

 

 

 

「な、なんだよ」

 

「なりたいのなら、目指しなさい

 私は凡人と変わりません、貴方なら必ずなれますよ」

 

「…無責任なこと言いやがって」

 

「いいえ

 誰かの為に努力するのなら、必ず必要とされるでしょう」

 

 

 

 そんな曖昧なものではない、確たるものが欲しかった。

 

 不満はあったが、頭を撫でて微笑むこの人を見ていると言えなかった。

 

 既に日は沈み暗くなってしまった。京都の観光地らしく周りの行燈に灯りが付いた。

 

 先生はこちらの手を取って立ち上がった。引っ張られるようにこちらも立ち上がる。

 

 

 

「一緒に謝りますから、戻りましょうか」

 

「…」

 

 

 

 子供扱いしやがって。先生に手を引かれて歩く。こんなところクラスメイトに見られたら死んでしまう。

 

 真っ直ぐ歩くこの人の背中は凛々しかった。

 

 時折こちらを振り向いて安心させてくれる。母親と重なるものがあった。

 

 自分が宿泊するホテルに着いて、そこで別れた。

 

 事情を説明して一緒に謝るとか言っていたが、そこまでされると申し訳なさよりこちらが情けなくて嫌になるからな。

 

 先生みたいになりたい。

 

 ただの憧れだった。だが先生はなれると言ってくれた。憧れで終わらないと言ってくれたのだ。

 

 やるしかない。やってみせよう。背中を押してくれた言葉が温かかった。

 

 その日、担任からこっ酷く説教された。反省はできそうになかった。

 

 先生と出会えたのだから、反省などできなかった。頭の中ではどうやって目標に近づけるのか必死に考えていた。

 

 勉強を頑張ろう。教師になるかは分からないが金もちになって家族を楽させたい。

 

 そして自分を助けてくれた先生みたいに、先生みたいな必要とされる人間になりたい。

 

 あの時からだ。誰かに必要とされる人間になる。そう決めたんだ。

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