五等分の園児   作:まんまる小生

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五等分の園児最終話 高校2年の3学期

 そんな大切な思い出も、今では時々忘れてしまいたくなるものだった。

 

 忘れてしまいたい思いを切り離すには、深く繋がっているこの思い出も捨てなければならなかった。

 

 やはり思い出すべきじゃなかった。考えると余計に先生を意識してしまう。

 

 あの人は年齢より若く見えるほうだ。多少の違いはあるが思い出の先生と重なる点が多すぎるのだ。

 

 お陰で顔を見れなくなってしまった。五月に話すんじゃなかった。

 

 

 

「おまえ、罰として俺の助手になれ」

 

「えええ!?

 ばつってなんですか!?」

 

 

 

 お年玉代わりのお菓子を買って中野家に戻った後、嬉しそうにお菓子の袋を開ける五月から物を取り上げる。

 

 四人の姉もお菓子を貰って喜んでいる中、五月を玄関の踊り場まで引っ張る。

 

 

 

「4月から会えなくなるって話を姉四人にもしないといけねーんだ」

 

「もうしってるみたいですよ?」

 

「4月になって文句を言わないのならいいんだぞ」

 

「…」

 

「言うだろ?

 つーわけで、一花から話すぞ

 聞き分けはいいから大丈夫だろうが、駄々こねたらおまえの出番だ

 末っ子が我慢してるのなら、長女が我侭言えないからな」

 

「すえっこりようされてるっ!」

 

「呼んだら手伝ってくれよ」

 

 

 

 五月に一花を呼び出してもらう。狭いから二人で話す場所は限られてくるのだ。他人の家で何をしているんだか。

 

 少しして一花がやってきた。お菓子の袋を見せてお裾分けしてくれた。

 

 

 

「ふーたろーくん、ありがとね」

 

「お年玉代わりな」

 

「もう、そんなのいいのに」

 

 

 

 その謙虚な姿勢を五月に教えてほしかった。

 

 立ち話は疲れる。座って話すことを勧めると一花はあぐらをかく風太郎の膝に座り込んだ。床は冷たいからな…

 

 一花は胸に寄りかかりながら苦笑いしていた。

 

 

 

「もうあえないってはなし?

 五月ちゃんからきいたよ」

 

「…そうだ」

 

「みてくれるってやくそくしたのに!」

 

「…あれは、おまえが甘えてくれれば何でも良かったんだよ」

 

 

 

 雨の中、手を引っ張られたあの日のことは今でも覚えている。

 

 一人でやり抜こうとしたこの子の姉としての意地と不器用さに肝を冷やした日だ。

 

 一人じゃない事を知ってほしかった。母親でも自分でも頼っていい人がいるんだ。

 

 一花が納得できないような態度を取ったから、勝手に見てるから勝手にやれと言ったまでのこと。

 

 結局、あの日からこの子は少しずつ甘えるようになってくれた。風邪をひいた時なんかは見事騙されてしまったしな。

 

 

 

「せっかく、なかよしになったのに…」

 

「出会いがあれば別れもあるもんだ

 小学校の友達と遊ぶんだな」

 

「なんかつめたいなー

 …かぜ…ひいたら、きてくれたりする?」

 

「だからそういう、せこいやり方するな」

 

「だってぇ!

 おわかれなんてやだよぉ」

 

「お別れじゃねーって」

 

「でも、あえなくなるんでしょ?」

 

 

 

 よからぬことを考える子供の頭を叩いてやると、手を掴まれて泣きつかれた。

 

 人を頼れと言っておきながら、手の平を返すようなことをして申し訳なくなってくる。

 

 先生との約束がなければ、こうして遊んでやる事はできなくても、頼られた時に来てやることはできただろう。

 

 先生との約束にそこまでの拘束はない。ないのだが母親がああ言ったのだ。今までと同じことをしたらお節介になるだけだ。先生の邪魔になるのは避けたい。

 

 

 

「…一花、泣いているところ悪いが

 おまえには試練を設けている」

 

「し、しれん?」

 

「そうだ、俺は4月から来れなくなるんだが

 おまえもお母さんが心配だろ?」

 

「…うん」

 

「小学校はお母さんも色々と手伝わなくちゃいけないことがあるんだ

 PTAとか多忙な身の上に無理してやりかねない

 できるところだけでいい、少しでも負担を減らすしかないだろ」

 

「?」

 

「一花

 おまえは立派だ、率先して妹たちの面倒を看ていたし、お母さんのことも気にかけていた

 胸を張れよ」

 

「…えへへ…もう、きゅうにいわないでよ」

 

 

 

 嘘をついたり、妹を出し抜こうとしたり意地悪なお姉ちゃんでもあるが、優しい姉だ。

 

 

 

 

「今までもお母さんの手伝いをしてきただろう…

 だがそれも子供のお遊びだ」

 

「へ?」

 

「母親もその点おまえを甘く見ているからな

 次からは本気でいくぞ

 おまえが大人であることを教えてやれ」

 

「は、はいっ

 …で、でも…どうやったら」

 

「そうだな…コーヒー飲むか」

 

「やだっ!ぜったいやだっ!

 おにいちゃん、やめてよ!」

 

「冗談だ

 とりあえず、おまえ掃除できるようになれ」

 

「えぇ…」

 

「新年迎える前の掃除もできてねえだろ

 汚れまで来年に持ち越しちゃいけねえんだぞ」

 

「それわたしだけのせいじゃないよぉ!」

 

 

 

 生憎、中野家の大掃除を手伝った身だ。他の姉妹が小さな体で掃除や整理整頓をしている中で、おまえは私物を隅から隅に移すだけで何も掃除してなかったからな。

 

 結局母親が全部整理して終わったのだが、子供たちが遊んだりで時間を食って終わらなかったのだ。

 

 一花を連れて、子供たちの玩具や道具が入った棚を見る。

 

 明らかに一花の顔色が悪い。汗をかいているように見える。おまえ自覚あるだろ。掃除のできないお姉ちゃんだった。

 

 掃除中に遊びだした張本人には頑張ってもらおうか。

 

 

 

「いまするの?」

 

「掃除はいいけど、整理整頓ぐらいしとけ

 先生がやってくれたってのに、もうぐちゃぐちゃじゃねえか」

 

「みんながわたしのところにいれるからだよ!」

 

「全部おまえの物だぞ」

 

 

 

 一花の私物が入っている引き出しは他の姉妹と比べてギュウギュウに詰められている。

 

 一花がげっそりしているが、これにはちゃんと理由があるぞ。

 

 

 

「この中に妹の物も入ってるから、早く返せってよ」

 

「…」

 

「頑張れお姉ちゃん」

 

「みんなテレビみてるのにぃ

 …おにいちゃんもてつだって」

 

「ああ」

 

「できたら、ごほうびちょうだいっ」

 

「そこが子供っぽいって言ってるんだよ」

 

「うぅ…っ」

 

 

 

 引き出しを抜いてやって取り組んでもらう。

 

 何事かと先生や子供たちが見にくるが、整理する一花を見ると察したようで退散していった。分かりやすい反応だ。

 

 

 

「これは四葉の…

 こっちは二乃の…

 これも四葉のかな」

 

「何でこうも人の物が入ってるんだろうな」

 

「あはは…」

 

「仲良いよな、おまえら」

 

 

 

 物の取り合いは姉妹喧嘩によくあることだろう。

 

 ここまで独り占めしておいて喧嘩にならないのは姉の威厳か。単に諦められているだけかもしれないが。

 

 いらないものをゴミ袋に詰めたり、汚れた引き出しを雑巾で拭いたり、嫌がっていた一花は真面目に取り組んでいた。

 

 ここまでできるのなら毎日やってほしいものだ。母親も喜ぶだろう。

 

 掃除が終わり、一花は軽くなった引き出しを持ち上げて棚に戻そうとした。

 

 

 

「んしょ」

 

「それは俺がやる」

 

「まって…できるもんっ」

 

 

 

 持ち上げるのはいいが、一花の引き出しは一番上だ。高さでは一花の首元まである。

 

 腕力で持ち上げるには少し至らない。手伝おうとするが断られてしまった。

 

 しかし体がぷるぷる震えて、つま先立ちになっている。限界のようだ。

 

 限界のはずが、一花はジャンプして引き出しを入れることができた。

 

 つい感嘆してしまう。

 

 

 

「…」

 

「どうした」

 

「おでこ、うった」

 

「何やってんだおまえ」

 

「いたいぃっ」

 

 

 

 飛び跳ねた拍子で棚の上に頭や顎を打ったようだ。何をしているんだ。

 

 当たったところが赤くなっている。痛そうなのは分かるができると言ったのはおまえだぞ。

 

 痛みで涙目になっている一花の頭を撫でて膝を貸してやった。

 

 掃除で疲れただろう。少し休んでもらおう。

 

 

 

「ドジだな、おまえ」

 

「…えへへ…ごめんなさい」

 

 

 

 膝枕されてこちらを見上げる一花は恥ずかしそうに笑った。

 

 一人でやるのもいいが、ちゃんと周りを見てくれ。まったく。

 

 

 

「なんか、ねちゃいそう」

 

「寝てもいいぞ」

 

「ほんと…?」

 

 

 

 頭を打った痛みなど忘れたのか、一花は眠たげだった。

 

 良い機会だ。眠そうに瞼を閉じる一花を携帯のカメラで撮ってやった。

 

 

 

「あっ!?

 とったでしょ!」

 

「ちっ、起きやがったか」

 

「なんでとるのっ」

 

「後でからかうためだ」

 

「もーっ!

 いじわるばっかりっ」

 

「意地悪か…

 あれだ、男子は好きな子に意地悪したくなるもんだ」

 

「そ、そうなの?」

 

「おまえもクラスの男子にされるかもな、気をつけろ」

 

「…ふーたろーくんなら、いいもん」

 

 

 

 眠気など吹っ飛んでしまったようだ。いじらしく膝の上で寝転んでいた。

 

 写真を撮ったのは気まぐれだ。思い出として少しぐらい何か残せるものがほしかっただけだ。

 

 こうして子供が甘えてくれるのもそう多くない。

 

 つい頭を撫でてやると、居間のほうが騒がしくなった。

 

 

 

「だ、ダメです三玖、二乃もっ

 いまはじゃましちゃダメです!」

 

「一花ばっかりずるい」

 

「そうじおわったじゃん」

 

「うえすぎさん、あそぼーっ!」

 

「四葉もっ

 ダメなんです、いまはおはなししてるからぁ!」

 

 

 

 子供たちが構ってくれと言わんばかりに寄って来ようとしていた。

 

 五月が三人を止めようと必死に姉の服を引っ張っている。

 

 妹の乱入を見た一花は頬を膨らませてしまった。

 

 

 

「二乃も、三玖もさ

 ふーたろーくんをとるの、なんかへんだとおもうの」

 

「ん?」

 

「ふたりとも、さいしょはむししたり、わるくちいったのに

 すきになったからって…かってだよ」

 

「おまえな…」

 

「さいしょからすきだったのは、わたしだもん」

 

「…」

 

「…って、いっちゃダメなのかな…あはは」

 

  

 

 姉として言っていいのか、迷っていたのだろうか。

 

 そう思うのはおかしいとは思えなかった。この子は妹に譲っているものが多い、よく我慢しているほうだ。

 

 つい本音が漏れてしまったことが後ろめたいのだろう。姉妹から顔を逸らして寝転んでいる。

 

 

 

「あーあ、ふーたろーくんすきなのに、しつれんしちゃった」

 

「恋愛を語るには10年早いぞ」

 

「はつこいなんだもん」

 

「…言っただろ、その気なら後で言ってこいよ」

 

「…いなくなっちゃうじゃん」

 

「たまに会いにきてやるよ

 小学校生活を謳歌しろよ」

 

「…ふーたろーくんは、しれんっとかいってたけど

 わたしは、おにいちゃんのかわりになれないよ…」

 

「あ?」

 

「おかあさん、たいへんになっちゃう」

 

 

 

 その母親と約束したこんなことになっているのだが、言わないでおこう。子供たちが母親を責めたりしたら気が気でなくなる。

 

 

 

「大変って、そんなにか」

 

「そうだよっ

 ぐあい、わるくしておやすみしてたんだから」

 

「…もう元気になったじゃねえか」

 

「…おくすり、まだのんでるもん」

 

「おまえ…」

 

 

 

 やはりと言うべきか。この子は母親が隠れて薬を飲んでいたのを知っていた。

 

 狭い家だ。家族を誤魔化して何かをするのは限界がある。毎日となればボロが出るだろう。

 

 母親の不調に気づいた四葉と五月の他にも気づいた子はいると思っていた。

 

 

 

「…飲んでるところ見たのか」

 

「ううん

 こっそり…ポーチのなかみたらね、あったの」

 

「…」

 

「…おにいちゃん?」

 

「お姉ちゃんよ

 バレたらゲンコツどころじゃ済まないかもしれないぞ」

 

「だ、だってぇ!

 なんかあやしかったんだもんっ

 ふつー、おふろにもってかないもんっ!」

 

 

 

 この子は家族をよく見ている。母親の行動の不自然さに気づいて探ってしまったようだ。

 

 影でこっそり画策するのが好きなようだな。困った姉だ。

 

 デコピンしてやると膝の上でゴロゴロと寝転がって悶えていた。

 

 仕方ない子だが、母親を出し抜く子で少し安心してしまった。

 

 母親がつく嘘を見抜いて、守ってあげてほしい。

 

 頑張れお姉ちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 3学期となっていつも通りといった生活に戻った。

 

 正月に一度先生たちと出会ったが、その後はバイトが埋まって子供達とはあまり接してやれなかった。

 

 らいははほぼ毎日通っていて、子供たちと遊んでいるようだ。

 

 らいはにとって子供たちは妹のような大切な家族となっていた。正直有難かった。

 

 4月から風太郎は出向くことは極端に少なくなるだろうが、らいはがいてくれるのなら安心できる。

 

 小学校では先輩になるし、普段家事を担っている妹だ。風太郎にはできない面を上手くサポートできるかもしれない。器用な妹だ。

 

 果たして先生がそれを快く思うのかが疑問だが、先生もらいはを気にかけているように見える。

 

 少なからず母親を求めているらいはと、子供たちの面倒を看てくれる子とで、上手い具合にお互いが支え合う関係になったら御の字だ。

 

 そういった気持ちもあって、らいはにメールで一緒に子供たちの幼稚園の迎えに行かないか誘ってみた。

 

 

 

「それはお兄ちゃんの役目でしょ

 頑張って」

 

 

 

 誘ってみたのだが断られてしまった。役目って何だ。何を頑張れと言うんだ。

 

 来年度からは一緒に帰ることも多くなりそうだ。余計な気を回さなくてもいいか。

 

 携帯をしまって目的地へ向かう。

 

 いつも通りの生活。バイトのない日の放課後は子供たちの迎えに行く日だ。

 

 

 

「お兄さんの迎えを見るのもあと少しだけですね

 なんだか寂しくなりますね」

 

「いや…卒園する子供たちに寂しがってくれませんかね」

 

「お兄さんは私達の癒しだったのでつい…

 健気な高校生…いいじゃないですか

 今年から受験ですよね、頑張ってくださいね!」

 

「ありがとうございます」

 

 

 

 何が健気なのか知らないが一応お礼は言っておくか。

 

 幼稚園にはもう慣れてしまった。見慣れた職員に教室まで案内される途中、改まって声をかけられた。

 

 

 

「…中野さんも元気になられて本当に良かったですね」

 

「…そうですね」

 

「中野さんも癒されたのかもしれませんね」

 

「それはねーです、はい」

 

「五つ子ちゃんたちも笑うようになって

 …お別れって思うと泣けちゃいます」

 

「…まだ礼には早いんで言いませんよ

 お世話になるつもりですし」

 

 

 

 この人も大変だな。子供を可愛がっているが別れは必ず付いてくる。晴れ晴れしい門出だが愛情が篭もっていれば見送るのも辛いだろう。

 

 先生も感謝しているだろう。子供たちを安心して預けられるところだ。職員の優しさは子供たちを見ればよく分かる。

 

 教室に着くと子供たちが走って駆け寄ってきた。走ると危ないと毎回言っても聞かない子たちだ。

 

 

 

「フータローッ!」

 

「うおっ!?」

 

 

 

 いつも通り、三玖か四葉が突撃してくるのかと思った。

 

 

 

「二乃…珍しいな」

 

「フータロー…」

 

「…ん?」

 

「もうあえないって、どういうことなのよ!」

 

「あ?

 って、蹴るな蹴るなっ」

 

 

 

 怒り心頭の二乃にスリッパを履いている足をげしげしと蹴られる。

 

 五月か一花か、三玖から聞いたのか知らないがここで話す内容じゃない。

 

 毎回騒がしくて申し訳ない。隣の職員に謝ろうとすると真顔で詰め寄られた。

 

 

 

「泣かせちゃダメですからねお兄さん」

 

「いや、あの、そんなつもりはないんだが」

 

「…一度お兄さんに、一昨年のこの子たちの様子を見てほしいぐらいです…」

 

「そんなに酷かったんですか」

 

「ちょっと、フータロー!

 はなしきいてるの!?」

 

「二乃っ!

 ダメなんだから! フータローいじめないで!」

 

 

 

 一昨年のことなど知らないのだが、温厚で子供たちから慕われる職員の顔が変わって少し怖かった。

 

 二乃を置いて聞いてみたくなったが、無視を許すわけもなく再び足を蹴られる。

 

 抜け駆けした二乃の横行を見た三玖が走ってきた。また喧嘩するのかおまえら。

 

 

 

「…とりあえず、連れて帰ります」

 

「あ、はい…すみません、とんだ失礼な態度を」

 

「いえ」

 

 

 

 …いつか聞いてみたくもなった。この職員は自分の知らない先生のことも子供たちのことも知っているようだ。

 

 口喧嘩している二人に加えて、一花と四葉、五月が支度を済ませて寄ってきた。

 

 一花に鞄を渡す。入っているのは先生から借りている参考書で軽いものだ。

 

 職員と別れて幼稚園を出る。

 

 二乃と三玖の口論は終わっていないが、帰り道は風太郎が三玖と手を繋いで帰ることになっている。

 

 二乃は五月と手を繋ぎ、お互いに矛を下げた。

 

 

 

「フータロー

 あしたはパンケーキだからね、わかってるよね?」

 

「ああ

 でも二乃、おまえもう一人で作れるだろ、パンケーキぐらい」

 

「い、いいのっ」

 

「…フータローってよばないで」

 

「あんただけのものじゃないでしょ」

 

 

 

 呼び方が気に障るのか、三玖の顔が険しくなっている。

 

 三玖に睨まれる二乃は涼しい顔をしている。妹を虐める姉のように見えるが、二乃は三玖を気遣って一度呼び方を変えていた。

 

 お互いに気遣える性格なのに衝突しやすいのが難点だ。小学校でも喧嘩は続くんだろうなと気が遠くなるものだ。

 

 

 

「三玖」

 

「なに?」

 

「悪いな、明日は二乃と予定がある」

 

「…」

 

「話をしたいしな、我慢してくれ」

 

「…わたしも…ほしかった」

 

「ん?」

 

「二乃みたいに、やくそくがあれば、かまってくれるもん」

 

 

 

 やきもち焼きめ。恩を着せるつもりはないが、毎回こうして手を繋ぐのはおまえだけだぞ。

 

 並んで歩いている三玖が横にぴったりくっついてくる。

 

 まだまだ寒い1月。くっつくのはいいが、ヘッドホンを首にかけたまま巻いたマフラーが落ちそうだ。

 

 マフラーをかけなおして頭を撫でてやった。

 

 

 

「雪降ったらかまくらだろ」

 

「!」

 

「約束忘れたか?」

 

「ううんっ

 かまくらっ

 ふったらまいにちつくろっ」

 

「お手柔らかにな…」

 

 

 

 そもそも一日で作り上げられるか分からん。毎日ちまちま作ることになりそうだ。

 

 三玖には悪いが明日は二乃に専念したいと思っている。あの子を説得するには骨が折れるのだ。

 

 準備も必要だ。今日はバイトがないから子供たちの迎えに来たのだがこの後用事がある。

 

 子供たちを家に送った後、遊びに来たらいはと交代して中野家を出た。らいはの協力は本当にありがたい。会わせて良かったと思う。

 

 五月や一花のように穏やかな子ならここまでせずに済むのだが。本当に手のかかる次女だ。

 

 間違いなく、五つ子の中で一番風太郎を悩ませたのはあの子だ。慕ってくれるようになった後も手を焼かせる子だった。

 

 つい不満に思ってしまうが、足取りは思った以上に軽い。

 

 いつもそうだ。子供たちを喜ばせたいと思う時、不思議とこの体は温かくなるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「お菓子作りをこれで最後にする」

 

 

 

 翌日の土曜日。二乃が念押ししていたお菓子作りの日だ。

 

 作るのはパンケーキ。この子の好きなものだ。これを最後にして終わりを迎えると決めていた。

 

 毎週とはいかなくなったが、もはや慣れてしまったこのお菓子作りに最初は物珍しく見ていた子供たちも興味が失せてしまっている。

 

 五月と三玖は違うのだが。あの子たちは今でも期待と嫉妬の目でこちらを見ている。

 

 母親に抱えられている三玖がこちらを睨んでくるのだ。おまえ我慢しろって言ったのにそれかよ。

 

 今日で終わりと一方的に突きつけたのだが、キッチン用の踏み台に立つ二乃は察していたのだろうか。何も言わずこちらを見ていた。

 

 いや…思いっきり睨まれている。

 

 

 

「ケーキおしえてって、いったじゃん」

 

「ああ、パンケーキ作ろうな」

 

「…そうじゃなくて」

 

「…」

 

「ま、まだおっきいケーキ、おしえてもらってないじゃん

 やくそく、やぶっちゃやだ」

 

「そうだな、もう少しオーブンが良かったらホールケーキ作れたんだが

 スポンジを積み重ねる奴ならできるぞ…やるか?」

 

「それやだ」

 

「…スポンジだけ作ってきてクリーム盛るのも嫌だろ

 ロールケーキでそれやったら、めちゃくちゃキレてたよな」

 

「あたりまえよ」

 

「何が当たり前なんだ…」

 

 

 

 つくづく我侭な奴だなっ

 

 俺は悪くないぞ。悪いのは出来損ないのオーブンのせいだからな。母親を恨め。

 

 当初はスポンジを積み重ねたケーキを作ろうとしたのだが、イメージと違ったようで反対されたのだ。

 

 二乃が考えるホールケーキはウエディングケーキのようなものだったらしい。ふざけるな。一般家庭で作れるわけがないだろう。作って欲しければ母親に新しいオーブン付きレンジを買ってもらえ。

 

 中野家にあるレンジでは外側はきっちり焼き上がっているのにスポンジの中が生になってしまうことが多々あった。プリン作りで察していたがやはり相当ガタがきていた。

 

 今時、5000円ぐらいの中古品でも買ったほうが良いレベルだった。だが買ったら先生に絶対に何か言われる。だからって先生に催促するのもおかしな話だ。

 

 あからさまに落ち込む二乃の夢に付き合ってやろうと色々と考えたのだ。型を厳選したり、外側を焦がしてでも中を焼いて、焦げた部分を切り取るなり。やったらスポンジを積み重ねるのと同じことになって反対された。

 

 今は諦めろと言ってからはや半年程経っている。環境は変わらず今に至る。諦めろ。

 

 

 

「菓子ばかり食ってたら太るし、金もかかるからな

 潮時だ」

 

「…」

 

「小学校じゃ家庭科の授業で実習がある、ケーキはないだろうが色々教えてくれるだろ

 あとはまぁ…らいはに教えてもらえ」

 

「うぅ…」

 

「言いたいことがあるなら、作りながらにしようぜ

 料理人ならパンケーキぐらい他の作業をしながら作れるぞ」

 

「…やってやるわ」

 

 

 

 パンケーキ職人に怒られそうだが、二乃ならしゃべりながらでも作れるだろう。

 

 ケーキ作りと並行させて話を誤魔化すつもりはないが、落ち込むより何かに取り組みながら聞いたほうがマシだろう。

 

 慣れた手つきで、所々危なっかしいところも見受けながら二乃はパンケーキの生地を作り上げた。

 

 

 

「五月からきいたけど」

 

「ん?」

 

「これでおわりって、4がつからあえないから?」

 

「それもあるが、マジで太るし金もかかるからな

 やめろとは言わないが今日で区切りをつけないとな」

 

「…あえないの?」

 

「たまに会いに行くぐらいだ」

 

「たまにって?」

 

「月に一回ぐらいか

 あいつらにも言ったが、小学校の友達と遊べば寂しくないだろ

 幼稚園の友達と小学校の友達はだいぶ違うからな

 俺も馬鹿やって楽しかったしな

 もうフライパンいいんじゃないか」

 

 

 

 フライパンが十分温まったところで生地を焼いてもらう。

 

 話を聞いて不安はあるだろう。二乃の顔は俯きがちだった。

 

 だが丁寧に生地を一つ一つ焼き上げていった。最初は何度も焦がしたものだが今では綺麗な焼き色を見せている。

 

 

 

「あ、あれ

 りょう、すくなかったかな

 ご、ごめんフータロー」

 

「いや、それでいい

 今日はいつもより少なめだ」

 

 

 

 パンケーキの日はいつも7、8こ焼くのだが今日は6こだ。

 

 そうなると母親と自分、五つ子が食べるには一つ足りないのだが、これでいい。

 

 今回はバターと蜂蜜だけの簡単なトッピングで終わった。

 

 

 

「よくできました」

 

「そ、そうかな…」

 

「考え事しながらでも上手く料理できたんだ

 大人だな」

 

「…そ、そうかな…えへへ」

 

 

 

 心の底から思う。何か一つでも失敗するかと思ったら二乃は一人でやり遂げた。

 

 このまま料理に取り組んでいけば、母親の手伝いだってしてくれるだろう。

 

 一花にも言ったが、子供たちには母親を支えてほしいと願っている。

 

 子供のすることではない場面もあるだろうが、これがこの子たちにとって一番良い形だと思っている。

 

 

 

「できましたかっ!?」

 

「シロップなら…たべれそう」

 

「二乃ってほんとうまくなったよね

 こんどおしえてよ」

 

「二乃、つぎはおっきなケーキつくってよ!

 みかんいっぱいのせたの!」

 

「も、もう…すこしはてつだいなさいよ」

 

 

 

 出来上がりを待っていた子供たちが卓を囲む。

 

 食い意地だけ張っている姉妹に文句をつける二乃の顔はにやついている。食べて喜んでくれることが嬉しいのだこの子は。

 

 

 

「終わり、なのですね」

 

「ええ」

 

「…本当に、ありがとうございます」

 

「俺も楽しかったんで」

 

「…ふ、フータローもたのしかった?」

 

「苦労はしたがな

 美味いもん食えたし、おまえとも仲良くなれたからな」

 

「…っ

 っ」

 

 

 

 お礼を述べると二乃は顔を歪ませて背中を向けてしまった。

 

 肩が震えて、小さな嗚咽が聞こえた。泣くなよ、まったく。

 

 

 

「じゃあ、先生

 ちょっと二乃借りていきます」

 

「はい、いってらっしゃい」

 

「…ぇ?」

 

「二乃、良いところに連れていってやる」

 

 

 

 後片付けが済んでいないが、先生に任せてしまおう。

 

 姉妹に配ろうとしていたフォークを二乃から取り上げて先生へ渡す。

 

 話についていけない二乃の手を取って玄関へ向かう。

 

 

 

「で、でかけるの?」

 

「ああ」

 

「お、おやつまだ…っ」

 

「おまえのは別に用意してある」

 

 

 

 少し遠いが我慢してくれ。歩き疲れたら抱えてやるから許してくれよ。

 

 二乃に上着を着させ、寒くないように手袋やマフラーを渡す。

 

 二乃と手を繋いで外を歩く。状況が分からない二乃は文句を言わずついてきてくれた。

 

 

 

「フータロー」

 

「ん?」

 

「さむいでしょ、はい」

 

 

 

 上着だけ着ている自分にマフラーを渡してくれた。

 

 

 

「寒いだろ、俺は平気だ」

 

「いいのっ」

 

「顔赤いぞ」

 

「…もう、あったかいよ…」

 

「…」

 

 

 

 二乃は嬉しそうに笑っていた。

 

 優しい気遣いに感謝しよう。ありがたくマフラーを受け取って使わせてもらった。

 

 道中会話は少なかったが、二乃は楽しそうだった。

 

 目的地に辿り着き、中に入った

 

 

 

「ここだ」

 

「…ケーキやさん?」

 

「ああ、こっちだ」

 

 

 

 客として来たわけじゃない。

 

 もはや顔馴染みのホールのスタッフに軽く挨拶をして更衣室に行く。

 

 二乃には見慣れない光景だろう。三玖や四葉が無断で出入りしていたようだが果たして二乃も来たことあるのだろうか。

 

 

 

「ケーキ作り好きだろ」

 

「う、うん」

 

「…プロが作るところ、見たくないか?」

 

「え?」

 

「おまえの作りたいケーキ

 家では作れないが…ここでなら作れるぞ」

 

「…い、いいの?」

 

「店長に許可は貰った

 これに着替えて

 ちゃんと爪まで手を洗って

 言う事を聞くのなら、いいぞ」

 

「…うん、うんっ!」

 

 

 

 このケーキ屋がチェーン店だったら店長が許可を出しても、到底許されるものではなかっただろう。

 

 この店の王はあの店長だ。店長も五つ子を気に入っていたこともあって軽く了承してくれた。

 

 だいぶ前から店長にはOKの許可は貰えていたのだが、いつにするかは決めかねていた。

 

 今日と決めて、必要なものも発注しておいた。子供用の制服が届いて昨日準備していたのだ。

 

 このケーキ屋には本当に頭が下がる思いだ。

 

 キッチン用の制服など着た事ないだろう。手伝ってやって着替え終えた。

 

 子供用でもエプロンと帽子、長靴まであるんだなと感心してしまう。身なりは全然問題ないだろう。

 

 何の気なしに着させてしまったが、二乃にとって夢に一つ近づけた日なのかもしれない。

 

 緊張している二乃を連れて厨房へ入った。

 

 

 

「店長、よろしくおねがいします」

 

「ああ、いらっしゃい二乃ちゃん」

 

「て、てんちょーさん…」

 

「ケーキに興味があるんだってね、大歓迎だよ

 今日に限らず、来たかったら来るといい」

 

「は、はい」

 

 

 

 どことなく嬉しそうな店長だった。やっぱりロリコンだろ…

 

 店長との挨拶で一層ぎこちない二乃に手洗いを促す。

 

 店長も後ろから確認したが、二乃の爪は短くて綺麗なものだ。

 

 ブラシで爪の間も洗ってもらうのだが、やはり最初は痛いよな。渋っていたから手伝ってやった。

 

 

 

「悪いけど、見ての通りピークが過ぎた後も忙しい

 生地を作って焼くまでで頼むよ」

 

「オーブン一つ借りれるだけ、助かりますよ

 焼き上がったらこいつに見させてくださいよ」

 

「もちろん」

 

 

 

 厨房の中はピーク中に減ったケーキの補充で忙しい。

 

 他の厨房のスタッフも忙しそうにしているが…二乃を見ては手を振ったりしている。余裕あるなあんたら。

 

 余裕があるのなら遠慮なく使わせてもらおう。スペースを一つ借りてスポンジの生地作りを始める。

 

 

 

「で、できるかな…」

 

「おまえなら楽勝だ」

 

 

 

 食材は店長が用意してくれていたようだ。道具も含めて全て置かれていた。

 

 アルバイトでも入ってすぐにケーキ作りを教えられ、取り組むものだ。特別なことではない。

 

 だが二乃にとってはハードルが高いのかもしれない。風太郎にとって見慣れたものでも二乃にとっては恐縮してしまうのかもしれない。環境はやはり大事だ。

 

 新品の帽子の上から二乃の頭を撫でる。

 

 

 

「焦らなくていい

 楽しもうぜ」

 

「…うん、おしえてね、フータロー」

 

「教えるつっても、この中じゃ俺が一番下手だがな」

 

「だいじょうぶよ、わたしがいちばんへただもん」

 

「…そうだな、じゃあ教えてやるよ」

 

 

 

 生意気なことを言ってくれる。随分と余裕じゃないか。

 

 何も特別な事は教えられない。至って普通のケーキ作りだ。プロの知識や腕などない一般家庭の延長線。到底客に出せないものだ。

 

 小麦粉を振って。バターを溶かして。卵をといて泡立てて。一つ一つの作業を二乃と一緒に行った。

 

 緊張しているから汗が止まらないのだろう。それでも二乃は真剣に取り組んでいた。

 

 

 

「卵をとく時は温めながらね

 砂糖が溶けやすくなるんだよ」

 

「卵を泡立てたら最後はゆっくりやったほうがいい、中の気泡が潰れっから」

 

「は、はいっ」

 

「そこまで求めてないわ」

 

 

 

 子供が真面目にやっている横で、落ち着きを失った大人がお節介を焼いてくる。

 

 ここの従業員は中野一家に甘いらしい。厨房まで探検する三玖と四葉にケーキを振舞っていたそうだ。店長のお人好しも度が過ぎる。

 

 店長も普段ケーキを注文しない先生に試作品と称してケーキを奢っていることもある。他の客にバレたら絶対に面倒になるのに。

 

 そんな店だから人気もあるのだろう。向かいのパン屋との競争に店長は目が血走っているが。

 

 生地を型に流して、後はオーブンで焼くだけだ。

 

 とりあえず完成だ。まだ焼いていないから達成感はないだろう。

 

 その達成感は周りの従業員の拍手で表現してくれた。ありがたいが当人の二乃は恥ずかしがって固まってしまっている。

 

 

 

「よくできたな」

 

「…ほんとっ?」

 

「どれ…うん、綺麗に均一になっているね、十分すぎるよ

 …あれ、二乃ちゃん小学何年生だっけ」

 

「まだ幼稚園だ、4月から小学一年生」

 

「…天才を生み出してしまったかもしれないね」

 

「大げさな…

 良かったな二乃、花丸だってよ」

 

「あ、ありがとー、てんちょーさん」

 

「どういたしまして

 良かったね二乃ちゃん」

 

 

 

 オーブンに入れ、設定のボタンを押すところまで二乃にやってもらった。

 

 中で少しずつ焼かれていくケーキを見ていたいだろうが、ここまでだ。

 

 店長とスタッフに頭を下げて厨房を出て、更衣室で着替えることにする。

 

 着替えを手伝って、二乃に紙袋を渡した。

 

 

 

「その制服、おまえにやるよ」

 

「い、いいの?」

 

「ああ、おまえしか着れないしな

 使い道があるか分からんが、記念だ」

 

「…うん」

 

 

 

 その制服、中古のレンジの倍の値段はしたのだ。値段を見た時やめようかと思った。

 

 子供の服やら長靴やらで一万、二万も払うのは癪だったが、この高い買い物に納得するには払った分の価値は自分で作るしかない。

 

 二乃の思い出になることを願って高い買い物をしたのだが、後悔はせずに済みそうだ。

 

 嬉しそうに制服を抱きしめていた。喜ぶのはいいが紙袋に入れてくれないと困る。

 

 後になって気づいたが、給料から制服代が引かれるはずだったのにそんなものはなかった。店長のお人好しには本当に困る。お礼を言おうとすればはぐらかされるのだから。

 

 私服に着替えてホールの空いているテーブルに着いた。既に温まっているオーブンだ。30分もかからずに焼き上がる。

 

 

 

「ここで待っててくれ

 飲み物持ってくる」

 

「う、うん」

 

 

 

 一度離れて、適当に飲み物と、事前に用意していたものを冷蔵庫から取り出して持っていった。

 

 

 

「待たせたな」

 

「…なにそれ」

 

「ケーキは焼いたが、あれは持ち帰って完成させるしかない

 明日クリーム付けて、イチゴでも乗せて食えばいい

 これは、今日の分だ」

 

 

 

 リンゴのタルトだ。

 

 二乃が作りたいと言って、作ってやれなかったものだ。

 

 

 

「いいの?」

 

「ああ、俺の手作りで悪いがな」

 

「つくったのっ?」

 

 

 

 午前中に店を訪れて作らせてもらったのだ。ここまで勝手させてもらって店長も他のスタッフも嫌な顔をしないのがお人好しが過ぎるのだ。

 

 

 

「お菓子作りも今日で終わりだしな

 最後の最後だ、豪華にしないとおまえ怒るだろ」

 

「…さいご

 さいごは…」

 

 

 

 改めて、最後と言われた二乃はやはり良い顔はしなかった。

 

 嬉しいようで、寂しい。そんな苦笑いだった。

 

 ずるいことをして悪いと思っている。一花のことを悪く言えるわけがない。酷い兄だ。

 

 

 

「おかしづくりがあるからね…っ

 フータローはわたしにかまってくれたんでしょ」

 

「…」

 

「…やだ…って、いっちゃダメ…?

 こんなにしてくれたけど、ダメかなぁ…」

 

 

 

 風太郎と対立していた二乃にとって、お菓子作りはたった一本だけ繋ぎ留めてくれる生命線だったのだろう。

 

 それを失うことを酷く拒絶していた。その一点に拘っていた。

 

 いつまでも続くとは思っていなかっただろう。だが終わりとなれば惜しみ、悲しむのは当然だった。

 

 

 

「ああ、今日で終わりだからな」

 

「…」

 

「いつかおまえが作ったケーキ食わせてくれよ

 何年先になるかしらねえが

 おまえが今まで菓子作りに拘っていたのは俺の事だけじゃねえだろ

 おまえの夢、どこまで本気かわからねえけど、応援してる」

 

「…うん」

 

「卒業だ

 楽しかったぜ二乃」

 

「うんっ…」

 

「ほら、食っちまえ

 焼き上がったらすぐに帰るからな、夕飯もあるし」

 

 

 

 手をつけないタルトにフォークを差して、一口サイズのものを口元に持っていってやった。

 

 ぎこちなく口を開ける二乃に食べさせてやった。

 

 

 

「おいしい」

 

「当たり前だ、元になるがおまえの先生だしな」

 

「…うん」

 

 

 

 フォークを受け取った二乃は俯いていた顔を上げた。

 

 目尻に涙を溜めて、笑ってくれた。

 

 

 

「フータロー

 ありがとう」

 

 

 

 思えば初めてだった。

 

 一番最初にプリンを作った時から機会を失っていたような気がする。

 

 言わなくても伝わっていた。だがそれでも、やはりその言葉は嬉しかった。

 

 たった一度だけだ。その一言だけでは、今までの努力と時間を考えると物足りないはずだ。

 

 だがその言葉にはこれまでの全てが詰まっているようで、やってよかったと心から満足できる感謝の気持ちだった。

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